はてなキーワード: あったらいいなとは
この記事を見て自分も近い経験を最近していて感化されたので自分語りさせてほしい。
[5年かけて作ったウェブアプリを Hacker News に投稿し、最初の1ドルを得た話]
https://zenn.dev/ryohey/articles/6da216dc43557a
「自分の定義での真のお金を稼ぐ」というのは、簡単にいうと業を起こすということ。
アルバイトでバイト代として、企業に就職して給料としてお金を稼ぐというのはしています。
(脱線するけど、投資で利益だすとか、使わなくなったswitchが買ったときよりも高くなったから売って稼いだとかは自分ルールで稼いだには入らない)
自分がビジネス上で出会ってすごいと思う人は、結構若い段階で何かしら大なり小なり、ビジネスを自分なりに考えて業を起こした経験があると感じていた。
そういう人は機転が効くし、本質を見逃さないことが多いという感じ、羨望の眼差しで見てきた。
正確にはそれに気づきコンプレックスが生まれてから何度かチャレンジしたが 完遂できない or 完遂してもお金生み出さないになっていた。
なのでコンプレックスは絶賛継続中で、仕事をリタイアするまでは諦めるかぐらいの気持ちでいた。
ちょっと作ったものをSNSで見せたら多少反応がもらえたので数ヶ月かけて完成させストアに出してみた。
これまでの失敗経験から、売れたらいいなまぁ売れないだろうな、ぐらいの気持ちだったんだが、
全く知らない人複数人に購入してもらえたんだ。
複数人に購入してもらったといっても単価がそんなに高いものではないので、
開発にかかった時間を考えるとペイには程遠いのだが、これまでにない経験に静かに興奮している。
開発をする中であんまり使ったことない言語だったのでインターネットで検索しまくった。
途中めんどくさくなって完遂しなくなりそうになったんだけど反応が少ないときにSNSで賛同者が応援してくれたりして最後まで開発できた。
ちょっといまさらになっちゃうけど絶対絶対絶対離婚した方がいいよ!!
お二人でどこかに出かけたとかあれしたこれしたとか、そういうのは全部あなたが頑張って維持している日常の一コマなんじゃないですか?
そんな努力もうしなくていいよ。2年間も本当に頑張ったよ。
ある程度の年齢ならバツイチの人の方がウケがいいっていうのもよく聞くよね。
今って昔より年齢の壁が下がってるみたいで、私が婚活してた頃は32歳までってよく見たけど
今は35歳までって言われてるんだって。
あと2年もあるよ!2年間頑張ってきたんだからあなたなら大丈夫だよ。
違う方向で頑張ることも絶対できる。
少なくとも今みたいな報われない苦しみより何倍も価値のある時間になるよ。
私自身30代から妊活して35歳の今ようやく妊娠できてるから気持ちが少しはわかるつもりだよ。
1日1週間1ヶ月が勿体ないって思うよね。
あの時間勿体なかったな…って後で思い返す辛さは多分今の比じゃないよ。
何より公務員で勤めてるなんて本当に本当に素晴らしいことだよ。
こんな世の中になっても変わらずに求められる仕事をずっと続けてこられたんでしょ?
偉いよ本当に。ちゃんと一人で食べていける仕事を継続できているってすごいことなんだよ!
だから余計なこと言って足引っ張られてるの勿体ないよ。
この間のザ・ノンフィクション観た?
関西だと、すんげえBest10とかその前後にやってた番組があった。
(調べて思い出した。超爆笑BOOINGだった。同じ枠かと思ってたが違ったようだ)
あと、昼間とかに普通にNGKとかの漫才流す番組があったような気がする。流石に全国放送はされてないだろう。
最近はテレビ見なくなったし深夜放送は特にだから何の情報もないんだけど、ローカルでネタ番組ってそこそこ作られてきた(いる)んだろうか。
実は地方局制作だった、みたいなのお笑い漫画道場みたいにいくつかあるのかもしれない
純粋なネタじゃないけど、あらびき団ぐらいしか他は思いつかない。
ボキャブラとかレッドカーペットとかより、ローカルの若手芸人に影響受けたから、他の地方、世代でも色々あったらいいなと思ったし、そんな時代じゃなくなったんだろうな、とも思う。Tverとかあるし
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
リスナーの問題じゃなくてプラットフォームの問題だろ。youtubeで配信なんかやったら配信者と視聴者の構図になるに決まってんじゃん。チャットで出来るコミュニケーションなんてたかが知れてるし単方向でしかコミュニケーション取れないでしょ。
自分がプラットフォーム選定ミスってるのをなんでリスナーのせいにしてるんだ?そういうのがやりたいならVRChatなりに行くべきでしょ。
聞いてもらって気づいたんだけど、「女Vtuberが求められるもの」と言うより「Vtuberが男リスナーから求められるもの」のほうが正確かもしれない
もちろん私の観測範囲のことでしかないから偏りがあることはご理解願いたいけど、女リスナーは人として接してくれるけど、男リスナーは見下したり理想を押し付けていい別種の生き物として私を見ていることが多かった
女Vtuberのほうが男Vtuberより抱える男リスナーが多いことが多いから、傾向として「女Vtuberが求められる」という表現もそんなに間違ってはなかったとは思うけど真意はそういうことでした
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
あのさ、
次のサンデージャポンで「喝!」って言う人が
「喝!」って言わせたいんだけど、
その「喝!」の人は彼は彼でシン監督いいんじゃない?って絶賛しそうで、
関口宏さんが「喝!」の人の「喝!」を欲しがる画がもう今から見えちゃうわ。
ヤキウなんて一切全く興味ない私ですら、
なんかシン新庄新監督がシン後方伸身宙返りの4回ひねりを決めてしまいそうな勢いで
わ!なんか凄く面白いことになりそう!って思って止まないわけ無いのよ。
ヤキウを知らない人でもサンデージャポン見ちゃいそうだもん。
それはともかく、
私も電動化したいんだけど、
一度電動化してしまったら、
二度と生身の人間に戻れないので、
そんな電動化までして自転車速くなりたいとは思わないからいいんだけど、
休みの日とかさー
自転車あったら、
わざわざ車出すまでも無く、
さっと自転車で行けるんだけどなぁーって
もちろんそこまでして私は電動化することは拒むんだけど
これじゃー全くの改造人間よね。
と言うか
ここ最近稀に見る本当に偶然に心から上手いこと言えた感じがして、
今日はもう閉店したいところなんだけど、
そうはいかないわよ。
でもさー
自転車は欲しいんだな。
人力では無理でそれこそ電動化されたら持ってこれるかも知れないけど、
いまの時点では人力で実家から私の黄色くてカワイイ自転車を持ってくることが出来ないのよねー。
だから中古のボロボロのでもいいから電気が点いて前かごが付いて銭湯セットが入れられるだけのスペースがあったらいいなって
酒屋さん仕様のボディー剛性が最高に強まったあの手の自転車までは必要ないけど、
そんな私専用の本当に文字通り足がわりになる自転車が欲しいのよね。
でさ、
車で行けばいいじゃん!って言われがちだけど
駐車場なかったり
あんまり彫金距離を車で行くのもエスディージーズに反して今ならグレタちゃんにそんな距離を車で乗って行くの?って怒られそうよ。
そりゃー
ヨットみたいに乗っていける水路があったら私だってヨットとまでとはいかずボートぐらいは漕いだことないけど漕げるはずだから、
でもなかなか日本の奥まった都市や街や村には水路が無いのよね。
って今思ったんだけどアンドワネッツさんって
アーノルドシュワルツェネッガーさんのワルツェネッガーってところに似てない?
すごく似てると思うわー。
そういったことひっくるめて、
やっぱりお手軽な足がわりの自転車があったらなぁーって
最近10分も歩くのも億劫になったらいけないけど億劫なのよね。
人間楽な方に流れて行くサガなのよ。
そこの根底からある怠け癖からたたき直さなくちゃいけないのかしらね?
あーあ自転車欲しいなー。
うふふ。
ハムタマゴサンドよ!って威張って言うほどでもないけど威張って言ってるわけでもないけど。
美味しいものは美味しいに尽きるわ。
今日はそれを使って作る
ほんの少しだけでいいのよね、
何事もほどほとが良いのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
それは、ちゃんとした市場原理に裏打ちされた評論家、というものがこんな時代だから必要。
ラーメン評論家の場合は、ただラーメン食べてるだけで何の訓練も受けてない、才能とか業界倫理とかを伴わないクズが、ちゃんと市場原理に打ち勝ってる店主と対等ヅラするのがダメだって話だったじゃん。
映画や本の評論家の場合も同じで、なんにも判ってないリスペクトもないバカが、ちょっと若い頃に雑誌を立ち上げたことがあるコネを使って、雑誌の端っこに連載をもらって、センスのない文をお出ししてくるのが問題だったわけ。
面白い渾身の評論はやっぱり面白いし、それができるかは才能の問題だからね。
才能がある人、という意味での「評論家」が、ちゃんと市場原理のもとに成立すれば、それはあったらいいなと思うよ。
まあ今までできてないわけですけど。
オリンピックの開会式批判派の方、7年間準備して165億円使ってあんなしょぼい出来で、全体の流れやテーマも意味が分からない。
なんでタップダンス?なんか俳優とか芸人もいるけど?なんでイマジン?なんでボレロ?過去最低の演出だった。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言った小林賢太郎じゃなくて元のMIKIKOや椎名林檎が良かった。と言っている皆さんへ
私はどうしても思っている、言い切りたいことがあったので、つらつらと駄文を吐き捨てていきます。
まず、開会式で165億円を使い切った訳ではありません。
オリンピック、パラリンピック開閉会式合わせて165億円(うち延期だけで使った費用が35億円)ですよね?私が今まで見てきたニュースではそうなっていたのですが、どうでしょうか。
開始早々のタップダンスについて。
江戸消防記念会の方が歌を披露し真矢みきが棟梁となり、五輪を完成させた一連の流れです。
で、江戸消防記念会は小池百合子知事とつながりがあるそうですね。
江戸消防記念会をうまく輝かせないといけないためにどうしたらいいでしょうか。
大きな動きのあるダンスが良いですが動きを持たせるためには大人数が必要になりフォーメンションを組んだダンスも欲しいですね。
また音楽も必要になります。大勢の大太鼓なども相性がよさそうですね。
ただどうしましょう…音に踊りそんな人数コロナとお金の関係で呼べません。
では歌わせるだけ歌わせときますか?そうもいきませんよね。そこで音と踊りを掛け合わせたタップダンスです。
組み立てていくというストーリーにも音による視聴者へのわくわく感も出すことができます。
団体でのダンス練習も少なくて済むのでコロナの中ではかなり優れたダンスだと思います。
ただMIKIKOがいなくなった今、多くのダンサーが一緒に去ってしまいました。
これから新しく人を呼ぶにも誰も来てくれませんし練習時間もないのである程度タップダンスの経験がある人が欲しい、
そこで小林賢太郎は必死に自分身ひとつで交渉し演者をあつめたんじゃないでしょうか。
イマジンにつて。
あの映像ものすごく見覚えがあるんですが…本当にこの時のためだけに作られたのでしょうか。
もともとは、KIMONOプロジェクトが本当は入る予定だったシーンですね。
残念ながらコロナのための延期の中、代表が変わり保存されていた会社のお金がない状況になり、着物は貸し出せないとなったため着物自体、映像も流すことができませんでした。
小林賢太郎はどちらにもかかわりがないため、どうすることもできませんでした。
ボレロについて。
本来は音楽を担当されていた小山田圭吾がほかの曲を入れる予定を立てていたのではないでしょうか。
ラーメンズのバッハのボレロの~という話は絶対にデマです。小林賢太郎は内輪ネタをしません。ラーメンズファンが勝手に言っているだけです。
ファンがファン同士で身内ネタをしているだけなのに、なぜそこに小林賢太郎は駄洒落をしたファンサービスを最後に持ってくる人間だというんでしょうか、意味が分かりません。
2020年12月に前チームが解散し2021年3月に佐々木宏も辞任。
さぁ、7年前から準備してたってなんの話?2021年3月ですべて白紙、全てやり直しです。もちろん資金は増えません6年半の間に一体何十億使われたのか、想像もできません。
小林賢太郎はいろんな偉い人たちにちぐはぐにこれをここに入れろあれをああしろ子供をだせ着物はなしだと言われ続けたであろうなか世界に楽しんでもらえる演出を必死にやってきました。
前チームが言っていたように最後に2020の東京を映し出せるように敬意を払ってまとめ上げました。あとはリハーサルを重ねるだけのところまで持っていきました。
そうした中、音楽が使えなくなり、その調整に追われたのち、解任です。
ホロコーストを題材にした笑いでユダヤ人大量殺害ごっこをしようと言ったそうですね。
ネタは見ましたか?あれはVHSでしか販売のない彼がアルバイトをまだしていた時代の貴重なネタですが皆さんは一体どうやってみたんでしょうね。
不適切ではあったのは絶対として、ネタの概要を言うと、当時NHKで放映されていたゴン太くんとのっぽさんが出てくる子供向け番組をコメディーとして利用して、
「できるかな」というのを背景に通常やってはいけないことを並べ、最終的に『ユダヤ人虐殺ごっこで使ったあれをつかおう』というセリフとして出てきます。
それも絶対にやってはいけない(できてはいけない、できるかなじゃねーよ)というものの代表例として出されたもので、とださんにあれめちゃくちゃ怒られたよねといって締められます。
けっしてLet’s play!というノリではないんです。でも海外にはもうそのように報道されてしまいました。20年以上前の話で、彼はこんなこと指摘されるよりずっと前に誰も傷つけない笑いを追求して結果クリエイターになっていたにもかかわらずです。
そう変わってからのネタはYouTubeで公開されておりそこでの収益はすべて寄付へとあてられているとも知らずに。
彼は、決められた箱で決められたルールの中最大限の力を発揮する天才です。
本来の演出とはそぐわないお達し、すでに使い果たされた資金、使えなくなった版権もの、使えなくなった音楽、出演されなくなった演者たち、それに伴い裏方の人々がごっそりと抜けた中、
彼個人が持っているコネクションから演者お願いし、ちぐはぐの上からのお達しをパッチワークして、なんとか見せられるものにした時点で私はすごいとしか言えなかったです。
断ってもよかったのにと思いますがこれを断った後個人で活動されている彼を守るものが何もないので、しっかりと仕事を果たされたのだと思います。
その上で実際の発言に少しのスパイスを加えられた報道でクレジットを消されたなんて、言葉が出ません。そうして最低の演出だったと言われてもこれから彼が何か発言することも許されないでしょう。
何よりも残念なのは、彼の演出は最低だったと言っているクリエイターがいることです。
明日は我が身だと思った方がいいと思います。実感されていると思いますが、この国はクリエイターを大切にする国ではないです。今回クリエイターを殺す国だというのが分からないんでしょうか。
どんなに頑張ってクライアントのいうことを聞きつつ多くの人に楽しんでもらえるようなものを作ってもクレジットを消され作ったものは消費されそれをあいつのせいだと個人を非難されるんですよ。そしてそれは違うとは決して言ってはいけないのです。明日は我が身です。たたくなら個人ではなく組織や国を叩いてください。
もし、ここまで読んでくださった方の中で開会式のここはよかったという点がすこしでもあったらいいなと思います。
老若男女国籍を問わず多くの人に刺さるものを散りばめるのも彼の才能なので、なにかあると嬉しいです。
彼の五輪関連の仕事はまだ残っています、どうなるのかはわかりませんが少しでもいい方へ行ってほしいです。
最後になりましたが、本来開会式を担われる予定だった皆様、本当は参加したかったのにできなくなってしまった皆様、参加したくなくて断った皆様、参加したくなかったのに参加して下さった皆様、全ての働く大人たちに敬意を払って。
日課のリングフィットを終わらせた後ウィル・スミス主演の素晴らしきかな人生という映画を見た。あの有名白黒映画のリメイク作かと思ったら全く内容違う奴だった。
この前ワークマンで買った980円のリュックが凄い活躍してくれた。
日常で使うにはでかすぎるかなと思ってたけど10食300円の袋麺とか2kg650円のブラ産鶏ももとか大量に買うからこのくらいでかい方がやっぱ良い。
帰ってきて昼食食べたら今度は歩きでまた外出。
まずはダイソー行っておしゃれ小鉢とスライサー使うとき指を守ってくれる奴と靴下を買った。
ダイソーで700円でカッターシャツが買えることを知ったがなんか怪しい気がして買わんかった。
次にポケセンまで行ったが緊急事態宣言中は土日休みらしくて空いてなかった。小さい男の子が店内を覗こうと店の前でピョンピョン跳ねてるのがなんか微笑ましかった。
続いて無印良品で雑貨を見て回る。「これダイソーで似たようなのあったじゃん」と心のダイソーが騒ぎ出し結局何も買えず。
次はジュンク堂行った。特に目当ての書籍があるわけではなかったが最近趣味でやってる個人開発が停滞気味なので大型書店のITコーナーの本棚をざっと見ることでなにか新しい発見やインスパイアを得られないものか期待していた。が、特に収穫はなく。技術じゃなくてアイディアがないんだよなぁアイディアが。
ついでに最近話題の三体という中国のSF小説をちょろっと立ち読みしてみたが数ページ読んで思ったより漢字が多くて「ああ、これ絶対積む奴や」って直感で感じ取ってすぐに本棚に戻す。
あとはJINS行ったりペットショップ行ったり家電量販店行ったりウィンドウショッピングでブラブラ。
うちの兄妹はみんな同じような偏差値で同じような収入なのに結局結婚して世帯を持ってそれなりに幸せ掴めそうなのは結局女である妹1人なんだよなぁ。とかよくないことを考える。
会社の同じ部署のそんな親しくない先輩も結婚式開いてたが流石に出費がきついので適当に理由つけて断った。
妹は結婚式が結構先になりそうなのでとりあえずお祝いのジャブ的な奴としてプライムデーにFire TV買ってやると電話で約束した。
妹はいらんって言ってたけどTVerも見れるって言ったらじゃあ買ってってなった。
買い物中に結婚相談所の案内看板があったので見てみるも思ったよりたけーなぁとか俺みたいな系統の男とかカモにされるだけやろとか思い身内の結婚ラッシュの現実感と焦燥感と絶望感に浸る。
色々回って帰ってきたら早速ダイソーで買ったスライサー使うとき指守ってくれる奴を使って家にあったじゃがいもをスライスしてポテチを作ってみる。使い勝手は思ったより良い感じ。
頼れる相手は両親しかいないのでお母さんに明日の友達の結婚式に寝坊しないようにモーニングコールしてとお願いした。
はじめてやけど、ちょっと思い返した雑感をまずは......。
先日、23歳にしてはじめて小説一本書き上げた。
とにかく書き上げることで精いっぱいで、完成させるのが目的みたいなもんだった。
出してから二か月ほどたって、書いたものと距離をおけるようになった。数人の友人にも送ったけど、みんな途中で読むのやめちゃったみたい。みんなが最後まで読み通せるものを書けなかったのは悔しいね。
まあ、下読みの段階で落とされてるんだろうな。
ま、そんなんは今となってはどうでもいいわ。
実際に小説書いて形だけでも完成させてみて、得たものもいっぱいあってさ、
まず当たり前けど小説を書くむずかしさってのは身に染みてわかった。想像してたのとは違った。それに敷衍して、小説以外にも、曲とか絵とか完成させてどんな形であれ世に出してる人へのリスペクトがめっちゃ深まった。
どんなものであれ、とにかく作品ひとつ完成させるのにはすごい労力かかってて、それ自体がすごく尊いことだなって思えるようになった。
そんなこと考えてた時に、twitterでとある下読みの方が投稿されてきた小説に対してながながとツリーぶらさげてアドバイス(というか苦言)書いてるのを目にした。いっぱいRTされててトレンドになってた。
その内容自体は教本に書いてあるようなことで正論。下読みしてきてあったらしい悪例挙げて、「そんな書き方だとプロにはなれないよ」って批評してる感じ。まあ、その通りだと思った。
けど、なんか違うんじゃないかなって思った。なんか下読みっていう立場を利用してマウントとられてるような気がして、やな感じだった。
少なくとも、素人ながらも時間かけてなんとか作品を完成させた人へのリスペクトはみじんも感じられなかった。いや、そんなリスペクトしてくれってわけではないんやけどさ。
でも、下読みの人にマウント取られるような世界でものは書きたくないなって思った。
小説の公募新人賞の投稿作品のほとんどは箸にも棒にも掛からないような駄作、またはそれ以前の問題なんだろう。
けれど、そのごみ小説ひとつ書き上げることへの労力はかなりのものであることは確か。でも出来たものはごみ。けれど時間かかってるから、書いた当人には思い入れがある。気に入ってるところとかもある。このアイデアは独創的なんじゃないかって思って書いた場所もある。
ふと、京アニのあいつのことを考える。あいつも京アニの公募に時間かけてひいひい言いながら書いた作品送ったのかな。これはいける。このアイデアはいけるって思いながら書き上げたんかな。
そんで、公募投稿者の例に漏れず、賞とらねえかなとか期待しながら発表を待ったのかな。そして、選外。そんときは落胆したのかな。
どんな精神状態で待ってたんだろう。落選したあとは何考えてたのかな。不安だったかもしれない。
実際に小説を出してみて、あいつの気持ちが少しわかった気がする。
自分の書いたものが、どんな風に読まれて、どんな風に落とされたのかもわからない公募新人賞のシステムは、合理的だけどやっぱり多くの人にとっては不親切だ。そんで、今なんてTwitterで下読みにマウント取られさえする。別にそのシステムが悪いとかいいたいわけじゃない。才能を持った人はそのなかで当然のように選ばれるんだから、このシステムは正しいんだと思う。
ただ、もし自分が精神的に不調で被害妄想気味になってて、自分の作品に対して距離をとれずに、落とされた意味が理解できずにいたとしたら、
そのあとに、自分が書いたものと似たような作品が自分の送った公募の運営会社から出たら、彼のようにならないとはいえないなあ。
私はこれからも小説を書こうと思うけど、10年後、20年後、自分がどうなっているかはわからない。
人知れず消えていく、多大な労力を掛けられた渾身の駄作たちは、それ自体が意味を持っていると思う。
結論から言うと、男の娘に興奮するのは非現実的な「顔より大きなおっぱい」に興奮するのと理屈は同じだと思っている。
まず男の娘とはなんだろう?
男の娘とは女性的な服装に身を包み、女性的で綺麗な顔立ちであり、女性的な内面を有しており、おちんちんが付いている。生物学的に言うと男性。この性別でフィルターをかけがちな人もいるけど、そんなことは些細な問題なんだよ。エルフ族の耳が人間より長くて尖ってる程度の差しかないんだ。
視野が狭い方は「男だから」という理由で即「性的な対象に見ない」という選択肢を取りがちだが、少し待って欲しい。
「モノや人を可愛いと感じる心」「好きなエロを好きだと感じる気持ち」
顔より大きいおっぱいを持つ女性のエロ画像はありふれていて、世の男たちは当然のようにそれに興奮する。理屈なんていらない。非現実的だとか、そのサイズでDカップは嘘だろとか、そう言うことをいちいち考えない。本能に訴えかける興奮なんだ。
おっぱいだけじゃない。なんなら別に人間じゃなくてもいい。何百、何千歳という設定の獣人や吸血鬼、モンスター娘だろうと「可愛い、エロい」という理屈抜きの興奮を覚えるのならば全て等しく抜く対象にしていいんだ。男なのに女性的で可愛いというギャップに何か感情が芽生えるなら、もうそれ以上深く考えずにエロと結びつけていい。
ここで話を戻そう。
さて、男の娘にはおちんちんが生えている。このおちんちんに興奮することが果たして異常と言えるだろうか?「可愛くてしかもおちんちん付いてる!?お得!」くらいの認識でいいんじゃないだろうか?
まだ納得できない方のためにもう少し具体的な話をしたいと思う。
まず最初に二次元的なエロ、これはほぼファンタジーや空想の延長線上にある。「こういうエロがあったらいいな」の情熱の火が伝搬し、世界には現実からかけ離れたような多種多様なエロが広がり続けている。
男の娘もそのうちのひとつで、私は二次元限定のファンタジーとしての性癖だと思っている。だから、男の娘のお尻に入れるのに浣腸もローションも必要ないし、初めてでも感じるし、お尻の奥に女の子になっちゃうスイッチがあっていい。ファンタジーとはそういう無責任で夢のあるものでいい。
800歳ののじゃロリ狐っ娘に「妾は人の子など孕みとうない」と言わせながらセックスするエロ画像があったとして「本当に孕んだらどうしよう」や「そもそも人間の染色体で妊娠するのか」などといった野暮なことを考える必要はないのと同じだ。
つまり私が言いたいことは、男の娘は二次元特有のご都合主義に塗れたものであり、ファンタジーであると言うこと。ファンタジーであるが故にもっと気楽に男の娘作品に触れてもらって、難しいことを考えずに興奮して欲しい。性癖なんて広ければ広いだけ世の中に溢れるオカズの量が増えて得するんだから、性別という些細なことは忘れて広い視点でエロ画像を見よう。