はてなキーワード: あったらいいなとは
それが気持ち悪くない文脈もあるにはある。「教養としてのワイン」なら分かる。「あーワインの味よりも歴史を知りたい人向けだなー。ワインのうんちくとかも書いてあるんだろうなー」とか想像できる。
でも「教養としてのデータサイエンス」は気持ち悪い。「なんかそれっぽい単語を使ってドヤりたいだけ(と本音では思っているけど自覚がない)人向けで、そんなの売れるの?」とか思ってしまう。
教養に価値がないとは言わない。でも「教養としての...」という冠には、「これはあくまで教養としての本であって、読んでも役に立ちません。それを理解してお買い上げください。」というエクスキューズと、「あなたはこのテーマをよく知らないせいでコンプレックスを感じていますね?この本を読んでもそれを理解して使いこなせるようにはなりませんが、知ったつもりになれるし、あなたが今感じてるコンプレックスは解消できます。なんならドヤれますよ」という下世話なオファーが透けて見える。
「世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道」は、そういう意味でも意味不明。目次を見たら
とか書いてあるけど、それが教養なのか?エクスキューズと下世話なオファーに加えて、そうであったらいいなーという願望が混ざっていて、歪みまくっている。複雑骨折してる。
この記事を見て自分も近い経験を最近していて感化されたので自分語りさせてほしい。
[5年かけて作ったウェブアプリを Hacker News に投稿し、最初の1ドルを得た話]
https://zenn.dev/ryohey/articles/6da216dc43557a
「自分の定義での真のお金を稼ぐ」というのは、簡単にいうと業を起こすということ。
アルバイトでバイト代として、企業に就職して給料としてお金を稼ぐというのはしています。
(脱線するけど、投資で利益だすとか、使わなくなったswitchが買ったときよりも高くなったから売って稼いだとかは自分ルールで稼いだには入らない)
自分がビジネス上で出会ってすごいと思う人は、結構若い段階で何かしら大なり小なり、ビジネスを自分なりに考えて業を起こした経験があると感じていた。
そういう人は機転が効くし、本質を見逃さないことが多いという感じ、羨望の眼差しで見てきた。
正確にはそれに気づきコンプレックスが生まれてから何度かチャレンジしたが 完遂できない or 完遂してもお金生み出さないになっていた。
なのでコンプレックスは絶賛継続中で、仕事をリタイアするまでは諦めるかぐらいの気持ちでいた。
ちょっと作ったものをSNSで見せたら多少反応がもらえたので数ヶ月かけて完成させストアに出してみた。
これまでの失敗経験から、売れたらいいなまぁ売れないだろうな、ぐらいの気持ちだったんだが、
全く知らない人複数人に購入してもらえたんだ。
複数人に購入してもらったといっても単価がそんなに高いものではないので、
開発にかかった時間を考えるとペイには程遠いのだが、これまでにない経験に静かに興奮している。
開発をする中であんまり使ったことない言語だったのでインターネットで検索しまくった。
途中めんどくさくなって完遂しなくなりそうになったんだけど反応が少ないときにSNSで賛同者が応援してくれたりして最後まで開発できた。
ちょっといまさらになっちゃうけど絶対絶対絶対離婚した方がいいよ!!
お二人でどこかに出かけたとかあれしたこれしたとか、そういうのは全部あなたが頑張って維持している日常の一コマなんじゃないですか?
そんな努力もうしなくていいよ。2年間も本当に頑張ったよ。
ある程度の年齢ならバツイチの人の方がウケがいいっていうのもよく聞くよね。
今って昔より年齢の壁が下がってるみたいで、私が婚活してた頃は32歳までってよく見たけど
今は35歳までって言われてるんだって。
あと2年もあるよ!2年間頑張ってきたんだからあなたなら大丈夫だよ。
違う方向で頑張ることも絶対できる。
少なくとも今みたいな報われない苦しみより何倍も価値のある時間になるよ。
私自身30代から妊活して35歳の今ようやく妊娠できてるから気持ちが少しはわかるつもりだよ。
1日1週間1ヶ月が勿体ないって思うよね。
あの時間勿体なかったな…って後で思い返す辛さは多分今の比じゃないよ。
何より公務員で勤めてるなんて本当に本当に素晴らしいことだよ。
こんな世の中になっても変わらずに求められる仕事をずっと続けてこられたんでしょ?
偉いよ本当に。ちゃんと一人で食べていける仕事を継続できているってすごいことなんだよ!
だから余計なこと言って足引っ張られてるの勿体ないよ。
この間のザ・ノンフィクション観た?
関西だと、すんげえBest10とかその前後にやってた番組があった。
(調べて思い出した。超爆笑BOOINGだった。同じ枠かと思ってたが違ったようだ)
あと、昼間とかに普通にNGKとかの漫才流す番組があったような気がする。流石に全国放送はされてないだろう。
最近はテレビ見なくなったし深夜放送は特にだから何の情報もないんだけど、ローカルでネタ番組ってそこそこ作られてきた(いる)んだろうか。
実は地方局制作だった、みたいなのお笑い漫画道場みたいにいくつかあるのかもしれない
純粋なネタじゃないけど、あらびき団ぐらいしか他は思いつかない。
ボキャブラとかレッドカーペットとかより、ローカルの若手芸人に影響受けたから、他の地方、世代でも色々あったらいいなと思ったし、そんな時代じゃなくなったんだろうな、とも思う。Tverとかあるし
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
リスナーの問題じゃなくてプラットフォームの問題だろ。youtubeで配信なんかやったら配信者と視聴者の構図になるに決まってんじゃん。チャットで出来るコミュニケーションなんてたかが知れてるし単方向でしかコミュニケーション取れないでしょ。
自分がプラットフォーム選定ミスってるのをなんでリスナーのせいにしてるんだ?そういうのがやりたいならVRChatなりに行くべきでしょ。
聞いてもらって気づいたんだけど、「女Vtuberが求められるもの」と言うより「Vtuberが男リスナーから求められるもの」のほうが正確かもしれない
もちろん私の観測範囲のことでしかないから偏りがあることはご理解願いたいけど、女リスナーは人として接してくれるけど、男リスナーは見下したり理想を押し付けていい別種の生き物として私を見ていることが多かった
女Vtuberのほうが男Vtuberより抱える男リスナーが多いことが多いから、傾向として「女Vtuberが求められる」という表現もそんなに間違ってはなかったとは思うけど真意はそういうことでした
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
あのさ、
次のサンデージャポンで「喝!」って言う人が
「喝!」って言わせたいんだけど、
その「喝!」の人は彼は彼でシン監督いいんじゃない?って絶賛しそうで、
関口宏さんが「喝!」の人の「喝!」を欲しがる画がもう今から見えちゃうわ。
ヤキウなんて一切全く興味ない私ですら、
なんかシン新庄新監督がシン後方伸身宙返りの4回ひねりを決めてしまいそうな勢いで
わ!なんか凄く面白いことになりそう!って思って止まないわけ無いのよ。
ヤキウを知らない人でもサンデージャポン見ちゃいそうだもん。
それはともかく、
私も電動化したいんだけど、
一度電動化してしまったら、
二度と生身の人間に戻れないので、
そんな電動化までして自転車速くなりたいとは思わないからいいんだけど、
休みの日とかさー
自転車あったら、
わざわざ車出すまでも無く、
さっと自転車で行けるんだけどなぁーって
もちろんそこまでして私は電動化することは拒むんだけど
これじゃー全くの改造人間よね。
と言うか
ここ最近稀に見る本当に偶然に心から上手いこと言えた感じがして、
今日はもう閉店したいところなんだけど、
そうはいかないわよ。
でもさー
自転車は欲しいんだな。
人力では無理でそれこそ電動化されたら持ってこれるかも知れないけど、
いまの時点では人力で実家から私の黄色くてカワイイ自転車を持ってくることが出来ないのよねー。
だから中古のボロボロのでもいいから電気が点いて前かごが付いて銭湯セットが入れられるだけのスペースがあったらいいなって
酒屋さん仕様のボディー剛性が最高に強まったあの手の自転車までは必要ないけど、
そんな私専用の本当に文字通り足がわりになる自転車が欲しいのよね。
でさ、
車で行けばいいじゃん!って言われがちだけど
駐車場なかったり
あんまり彫金距離を車で行くのもエスディージーズに反して今ならグレタちゃんにそんな距離を車で乗って行くの?って怒られそうよ。
そりゃー
ヨットみたいに乗っていける水路があったら私だってヨットとまでとはいかずボートぐらいは漕いだことないけど漕げるはずだから、
でもなかなか日本の奥まった都市や街や村には水路が無いのよね。
って今思ったんだけどアンドワネッツさんって
アーノルドシュワルツェネッガーさんのワルツェネッガーってところに似てない?
すごく似てると思うわー。
そういったことひっくるめて、
やっぱりお手軽な足がわりの自転車があったらなぁーって
最近10分も歩くのも億劫になったらいけないけど億劫なのよね。
人間楽な方に流れて行くサガなのよ。
そこの根底からある怠け癖からたたき直さなくちゃいけないのかしらね?
あーあ自転車欲しいなー。
うふふ。
ハムタマゴサンドよ!って威張って言うほどでもないけど威張って言ってるわけでもないけど。
美味しいものは美味しいに尽きるわ。
今日はそれを使って作る
ほんの少しだけでいいのよね、
何事もほどほとが良いのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
それは、ちゃんとした市場原理に裏打ちされた評論家、というものがこんな時代だから必要。
ラーメン評論家の場合は、ただラーメン食べてるだけで何の訓練も受けてない、才能とか業界倫理とかを伴わないクズが、ちゃんと市場原理に打ち勝ってる店主と対等ヅラするのがダメだって話だったじゃん。
映画や本の評論家の場合も同じで、なんにも判ってないリスペクトもないバカが、ちょっと若い頃に雑誌を立ち上げたことがあるコネを使って、雑誌の端っこに連載をもらって、センスのない文をお出ししてくるのが問題だったわけ。
面白い渾身の評論はやっぱり面白いし、それができるかは才能の問題だからね。
才能がある人、という意味での「評論家」が、ちゃんと市場原理のもとに成立すれば、それはあったらいいなと思うよ。
まあ今までできてないわけですけど。