盗撮以前に、俺はケータイや一眼レフみたいなカメラで勝手に撮られるのが嫌だ
相手はふざけてるとか、たまたま写ったとか言うんだろうが
引越に際して、押入の肥やしになっていたタカラモノ(マンガ、CD、ゲーム)を大々的に処分した。
10万円くらいになった。
割といったなと思う一方で、所詮ひと月分の給料にすら満たない価値すらなかったという失望感もある。
やっぱり、よっぽど手放したらいつ手に入るかわからないだとかいうもの以外は、ものを持つ意味ってないんだなと思った。
4,5年ダンボールにしまったままのものなんてザラだったし。CDは聞かない。ゲームはプレイしない。本は読まない。
自己満足、独占欲、所有欲を満たすことに意味がないとは言わないけど、逆に縛られることになっているだけなら、身を切る思いで処分するほうがトータルで見ていい結果につながることもある。
・・・と信じたい。
「先輩たちとともに、体育科・スポーツ健康科学科・普通科で桜宮高校を取り戻したいです。変わるため、変えるためのチャンスを私たち受験生にください」
色々な考え方はある。だが、自殺してしまった人間にはもはや、チャンスを与えることが出来ない。
自殺者を出すということは、そういう事だ。
これが10年前ならまだ話は違う。自殺傾向やノイローゼというものがわかっていなかった。
しかし、現在では、一定以上に追い詰めると、自殺者が出る。確率論で自殺者が出る。ということはわかっている。
自殺者が出ても、嘆願すればなんとかなるでは、イジメ(体罰等々)は止まらない。
変えるためのチャンスを与えることはできるだろうが、 桜宮高校 ではなく。
日本全土のイジメを止めるために、ではどうしたらいいか?という事を考えてほしい。
いじめが起きても、喉元過ぎれば熱さを忘れるでは、イジメが無くならないのではないか?という質問に何とか答えてほしい。
言いたいことはよく分かる。良くわかるけど。
重い処分を与えなければ、イジメが無くならないのであれば、重い処分を与えざるを得なくなる。
いじめで自殺はこれが初めてじゃない。 もう1年ももっと前から、大きな話題になっている。
それで、なぜ止まらない?
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはいうけれど、喉元過ぎていないじゃないか。熱いさなかでまだ起きる。おかしいだろう?
だが、もう、これだけイジメが大きな話題になっているのに、 どうして、止まらず、こんな問題が起きたのか?
そこが最も 今言われていることではないだろうか?
なぜ、1年前の 数カ月前の事件で、 わが校にもイジメがと 見直されなかったのか?
イジメが見直されていれば、 先生によるイジメ=体罰だって見つかって当然だろう?
今、指摘されているのは、そこなんだ。
「金を儲けよう」と真剣に考えれば、儲からなくても勉強にはなる
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/01/20/155006
これを読んで、5~6年前の大学生のときにやってた転売は何かの勉強になっただろうかと思い返してみた。
ブックオフ等の中古店でゲーム、本、CDなどを見繕う→ヤフオクその他で転売
ということをやってた。
儲けるために具体的にやったこと。どれも当たり前のことばっかりだけど。
→チャリで行ける範囲の中古店を片っ端からリストアップして、地域ごとに回った。
→実地(店)でamazonヤフオク含めてケータイで検索。明らかに安いものはその場で確保。微妙なものは保留リストに入れておく。
→ヤフオクが一番高いという思い込みからヤフオクに出品しまくり。就職することになって急いで処分する必要が出てきてやむを得ず宅配買取を使った。その段になって、ヤフオクじゃなくてもそこそこの値段で売れると知った。
→ヤフオクに複数出したりすることで、落札者=客とのやりとりをルーチンワーク化する。発送手続も値段、効率のよい方法を学んだ。
→プレミア価格のつきやすい商品知識を調べる中で少しずつ頭に入れていく。いちいちケータイで調査する時間の節約につながる。
転売っつっても、本当に商売の基本なんだな。図らずも一人で商売の全ルートを自分でやってたみたいな。
ただそれが今生かされているっていうことはないけど。ただの底辺PGだし。
それに、正直ワリは良くなかった。たまに大当たりがあったりするけど、それを差し引いてもデカすぎるデメリット(移動時間、勉強がおろそかになるなど)があった。
本格的にやるには一人じゃ無理だ。そこで仲間を作って。。。となって起業あたりまでいくと、本当に勉強になったんだろうなと今なら思うけど、当時は一人でやることしか頭になかった。
正直大学の勉強からの逃避っていうのが隠れたメインの目的だったと思うから。
余談だと、就職してから学んだのは、ブックオフとかにいちいち実地でいかなくても、ターゲットが決まっていれば電話して在庫と値段を聞いたほうが早いということ。
大学生のときはターゲットがいくつかあるから実際に行って現場を見るのも大事な機会にはなっていたんだけど、就職してからは転売なんてする暇もなくなって、そういう方法がまた開拓できた。
まとめると、物流、商売の基本(というにはおこがましいかもしれないが)の片鱗に触れられたことが、転売に貴重な大学生活を捧げた代償としては安すぎる勉強になったといえるかもしれない。
元増田さんに上手く答えられるか分からないけれど、書いてみる。
依存症治療の会合、アルコホーリクス・アノニマスの手法を書いた本「ビッグ・ブック」の中に神を信じること、っていうのが出てくるらしい。
元々がアメリカからでてきた治療法だから、多くはプロテスタント的発想なんだろうけれね。
そもそもの依存症って例えばアルコール依存症にしても仕事依存症にしても、問題はアルコールを飲むことや仕事に重きを置くことにあるのではない。問題は大事な人(家族や友人)に向き合わなければならないときに、アルコールや仕事や買い物に逃避して向き合わず、人間関係を壊していってしまうことにあるのね。
(ここ、重要)。それを前提として読んで欲しいんだけど。
ビッグ・ブックを読んでいる看護師さんと話していて、ここにある神っていうのは、別にキリスト教である必要はまったくなくて、
に許し、受け入れられる、っていうことが、心の安らぎに通じている、ってことなんだなって分かってきた。
無心論者であっても、「超越者」に「私は生きて呼吸することそのものが、祝福されたことなんだ」と認められていることが、がけっぷちに立たされた状態では、必須で、これがないと人は生きていられない。
私に立ち返ると、父親は仏教徒で、母親の根底はシントーイスト。私は仏教って哲学であって宗教ではないと思っているから、仏壇はあるけれど、宗教的な観点は神道にあるという、古い日本の一部ご家庭の状況。
神道っていっても、自然神的なものを「人知の及ばぬ、わたしの上位のもの」だと感じる程度です。
そんな状態だった私は、幼稚園くらいのころ、桜の花びらが散っているのを見て、
「妖精さんだ!」
と思い、それが創ではないと分かってからも、花びらや雪や、さらには汚れた水の中でもわもわと沸き立つごみや土ぼこりを見るたびに
と感じています。
あれ(神様的なもの)は、目を凝らすと周囲にふりそそぎ、ただにこやかにこちらを見ているもので、こっちのことを好きだけれど何の力も無く、ただいるだけのもの。
小説「沈黙」や「レ・ミゼラブル」みたいな情熱的な信仰心ではないけれど、家族の死や苦しさの局面に至ったときに、
「それでも神は降り注ぐ、何の力も無いまま、それでも私たちを愛している」
というのが根底にあるだけで、不思議な立ち直りの力が沸いてくるのです。
多分それが信仰の原型みたいなもので、それは無心論者であっても必要だろうし、持てるんじゃないかなぁ。
数億分の1だかの確立で地球に生命が発生した奇跡を、成し遂げた神は無心論者が否定することが出来たとしても、惨事を見つめるだけの無力な神は否定できないんじゃないかと。
そして無力な神であっても、「わたくし」の生命をことほいでくれているとしたら、それは力の源になると思うんです。
んで、アルカホリック(というか依存症全体)の、壊れた人間関係に立ち返ると、
「誰かに容認されない自分」
のまま、他人に向き合うことはむずかしいこと、らしいのね。
誰か(上位の、人間そのものが存在することを容認できるくらいの存在)に存在を容認された状態でないと、人は人に対峙できない。
元増田さんの腹が割れないってのは、だから多分その感覚なんじゃないでしょうか。
他の方が書いているように、それについて鈍感な人や、日本人が持っている古い神や「ひととひとがよりそって人っていう字」っていう感覚を知らず知らずのうちに身につけている人にとっては、
「元増田の悩みは宗教ではない」、と言っちゃうけれど、私から見ると宗教っていうか「宗教っていうか、それ以前の、なんだかわかんないものが、私が生きていることそのものを許してるってことを感じられない苦しみ」なんだろうなぁって思います。
感じるのは変なことじゃないし、恥ずべきことでも中学生でもないと思います。
むしろ、人生の危機的状況に至る前に、それに気づいていたほうが、対処に悩まないからいいことだと思います。今後宗教を持つかどうかは別として。
回答になるかわかりませんし、そばで見ていて経験的に得た対策なので、
ひとつの考え方だと思ってください。
何より自分の都合・感情ばっかり言ってて自分の主観に偏執してるというか
確かに発達障害の人は「周囲の人から見た自分」というような俯瞰な見方ができないことが
多いので、“なにやってんだ”って思うような勝手な行動をとる印象があるかと思います。
できなかったことを、自分で反復してグズグズ言ったりもします。(全然発信しないで溜めこむ人も多いですが)
そうならないように、親や専門家の先生が、人間関係を円滑にする見本をいろいろと教えたり、
まずい行動リストを作って、なるたけ、やらないように教えて行くぐらいしか対策はないと思います。
しかし、思いこみは強いですが、頭は堅いわけではなく、大抵の不平はたいした意味がありません。
外見は大人だし、知性や学力は大人並み、なのに、感情や思考が子ども並みで追いついていない。
実年齢から5歳から10歳下ぐらいの人として扱うと、腹が立たないかと思います。
20歳だったら、15歳以下、中坊として扱う。
15歳だったら、10歳以下、小3として扱う。
面と向かって、「君は小学生並みだね」と言わない限りは、そう扱っても気が付かないと思います。
そばにいるとイヤな目に遭いますよね。
あなた自身がどうにもできないことだったら、スルーするのが良いと思います。
まじめに受け止めて、アドバイスしても、効果はほとんどありません。
話をしているのではなく、愚痴や不平は、大抵、警告音だと思って、接しています。
「疲れているなら、早めに寝たら?」
って言うぐらいです。
愚痴ばかりで、同じようなことを延々いう場合は、言っている本人としては、
どうにかしたい問題が生じて、ストレスが高まっているんだが、
それを自分では解決できない。
というような、警告と思って、私は受け止めています。
周囲にはわからないようなことがストレスになり、彼らは苦しんでいることが多いです。
または、どうにもできないことだったりすることが多いです。
例えば、先生が今日配ると言っていたテストの回答を渡さないで、授業をはじめてしまった。
普通の人には、なにが問題なのかわからないことが、彼らにとっては大問題で。
環境の変化や予想していた事実の変更に対応するのが難しいので、ちょっとしたことでも、
一旦、それが気になると、そのことばかりでワーキングメモリがいっぱいになってしまう。
なので、他のことが考えられなくなって、やるべき作業もとどこおり、
そして、彼ら自身がそのドツボから抜け出すことは難しい。
しかし、あなたがどうにかすれば、どうにかなるような問題であれば、
解決を手伝ってやってください。
具体的に解決でき、「ほら、解決したよ」と示して見せれば、止まります。
例えば、暖房で部屋が暑いぐらいなのに、コートを脱がずに座っている。
顔は赤くなっているし、機嫌が悪そうだ。そんな時は、
「この部屋は熱いな。コートを脱いだら」
と声をかけて、あなたも脱いでみせたり、脱いだコートを置いて見せる。
そうすると、彼らは脱ぐことに気が付きます。
脱いで、生理的な“暑い”というストレスが減ると、ストレスがたまるコップが
“変なことしているな”と思ったら、その状況を伝えてやると、気付いて止まることも多いです。
笑ったり、バカにした言い方をしなければ、ハッと気付いて、直すことも多いです。
こんな簡単なことが、どうして、できないのか? どうして気付かないのか?
と思われるでしょうが、それができないのが、発達障害なんだと、私は理解しています。
大抵のストレスの原因は、こんな簡単なことばかりではないのですが……。
先にあげた、ストレスの例。
「教室の冷房の振動音」や「テストの回答を渡さない」など、変えがたいことについては、
親や先生などが、
“こういうのが苦手なんだな”
毎回、毎回、ストレスがたまりはじめたら、本人の話を聞いて、原因を探し、
そうやって慣れているうちに、次第に経験を積んで、成長していくようです。
それとも彼独自のパーソナリティなの?
どっちでもありえるということですね。
あなたが思い浮かべている方が、私が知っている子たちと同じようなタイプとは限らないので。
障害の程度も、症状の現れ方も、さまざまですから。
ただ、「発達障害がある」と看做されている人と付き合う時は、
●中身は子どもだから、ちょっとしたことで驚いたり、疲れたりするから、要注意。
●ストレスがたまっていないか、気遣って、ストレスの原因から遠ざける。
●愚痴や不満が多くなったら、その子にとってリラックスできることをさせる。
というようなことは、常に意識していると、それほど腹が立たない気がします。
参考になれば幸いです。
いじめ問題にしてもレイプ問題にしても、なんでこういう全く無駄な話がしょっちゅう議論されるかというと、被害者の救済に限界があるからだ。
被害者はお気の毒だけれど、時間を戻してなかったことにもできないし、いじめた奴やレイプ犯をしばりあげて本人の前に突き出し好きにさせてやることもできない。
時間を戻してなかったことに出来ないのも
なので「いじめやレイプでだけそういう議論がされる理由」として挙げるにはまるで不十分だ。
君は頭が悪い。
もう少し論理的に整理して書けるようになるまでは長文は控えるべきだ。
集団的自衛権 どころか 普通に自衛権で自衛隊派遣できると思うけど・・・
どうなんだろうな
なんだろう。いろんな解釈があるけど、邦人は拉致しやすいと思われると、拉致されるのが外国だからな。
そこはなんとかしてほしい。
B「編集中です」
Aさんはファイル編集権の排他制御の意味でファイルを開いて編集しているかを聞いています
Bさんはファイルは今の時点でファイルを開いては居ないのですが、まだ編集途中であとでやろうと思ってまだだと答えました
「編集中」の意味を確認すれば齟齬はなくなりそうですが、口頭で厳密に確認ってあまりしないですよね?
Aさんが意味を伝えていれば、もしくはBさんがAさんの質問の意図をくめていたら齟齬はおきなかったかもしれません
意味を厳密に聞く人もよくいませんか?(うちの職場には居たりします)
「あれ」「それ」を使うと 「あれ」て何?とかいちいち聞く人
相手の想像を推測して合っているか聞けばいいのに、直接的に聞かれると
言葉を直接的にしか理解できない発達障害な人なんじゃないかと思ってしまいます
意思疎通って互いに「考えていること」を伝え、認識・理解されないといけない
よくわかりますよ、あなたの気持ち。自分も似た様な感情に悩んだ経験があります。
自分は、西洋の古典的な小説に感銘をうけて、もっと知りたいと思うと同時に
日本の土着の信仰につても魅力的に感じて、これは両立できないなぁ…と困っておりました。
そんな感情を背景に持った状態で、ある時、人生に大きな困難が降り掛かりまして
変な新興宗教に掴まる前に、自分が納得する宗教宗派を選ぼうと思い立ちました。
せっかくなので、かねてより興味のあったキリスト教にしようと決め
宗派による違いを調べ、教会が近くにある場合は足を運び、最後に一つの宗派を選びました。
日曜のミサにしばらく通い、その後に洗礼の準備のための聖書の勉強会にも通いました。
その後、人生の困難が落ち着くにつれ、教会からは足が遠のいてしまい、
結局洗礼は受けませんでしたが、今でも良い経験だったと思います。
以上のような経験をふまえ、増田に伝えたいことは、以下の通りです。
●日本におけるキリスト教コミュニティは西洋のそれとは大きく異なる
宗教的である以前にマイノリティ団体としての側面を強く感じます。
都心部なら、まだ増田のイメージに少しは近いところもあるかもしれませんが
少し郊外や田舎になると、老人ホームとボランティアのような雰囲気も珍しくありません。
教会のコミュニティは代々キリスト教徒として育った人が大半を占めます。
大人になってから自ら門を叩く人は、大変珍しいです。
あなたが教会で仲間として認められるためには、洗礼をうける必要がありますし
洗礼をうけた後も、教会員としての役割を人一倍こなすことが求められるでしょう。
キリスト教的には、私のような日本の伝統的宗教に価値を持ってる人も無神論者のようなものです。
それでも、事情を話して知りたいと言って訪ねて行けば、みなさん丁寧に対応してくれました。
そして、だんだんと足が遠のいても、ほっといてくれました。
時間のある学生のうちに、実際に自分の目で見て確かめてみるのも悪くないと思います。
ブコメ等で指摘されてる、恋人ができれば解決する、ってのもまた事実でしょうが
子ども一人大学までやるのに、全部国公立でも約1000万かかる。
子ども二人で2000万。
2000万を25年で割ると、80万。これを12で割って月6万7千円。
毎月6万7千円。
家賃2DK10万だとして残り13.3万。
13.3万で残りの生活費賄えればなんとかやれる。
ブランド物は別にいらないけど、マグロや牛肉とかは無縁の生活。
やっていけないよな~。
自分でも最低だなと思う言葉を冗談とは言え大事な人に吐きかけて関係が終わろうとしている。
普段絶対言わないようにしていたし、それを言う人のことを蔑んでたのに、なんで言ってしまったのかわからない。
でも、ふと出てしまったということは、そういう部分が自分にもあるんだろうな。
一度の失言で終わってしまうくらいなら元から無理だったんだろうな、とか、
その一度で終わってしまうくらいひどいことを言ってしまったんだな、とか、
自分は結局人のことを本当に思いやることが出来ない、底の浅い人間だな、とか、
なんだかいろんな気持ちがぐるぐるしている。
うーん・・・
横だけど、むしろあの書き込み群に逐一目を通してる人がいるのに驚く。