はてなキーワード: 次点とは
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
若者に転職の仕方を教えておかないのは日本人社畜化の一環だよなー。おかげで転職にまつわるクソなあれこれも一向に直らん。
さて、君のような場合だが、まず「失業給付を貰おうとする」のはアウトだ。はっきり言って「失業給付なんて貰えない」と思った方がいい。
「自己都合」名目で退職した場合、失業給付が貰えるのは「会社をやめて3か月経ってから」になる。退職後3か月は自腹で生活しなければならない。そこから3か月は給付が受けられるが仕事が決まったらその時点で打ち切りだ。しかし君の手元の実弾が100万円しかないなら、それは失業期間中に溶かしてはいけない。新生活を始めるとなると最初はそれなりに物入りで数十万は要るし、転職先が決まった時点で100万あれば多少余裕はあるが、決まってない状態で100万だと非常に危険だ。
さて、基本的な勝利パターンはこうだ。
今の仕事をとりあえず続けながらオンラインで使える転職サイトなどにエントリし、土日を使ってリクルートやハロワの就職相談を利用するようにする。失業中でなくてもハロワは利用できるが、ハロワは質が低いので見つかりそうなら民間業者の方が良い。スキルが無いとハロワしかないかもしれない。どちらもタダで使えるぞ。
勤めながら転職先を探す場合、面接の日程が問題になる。運が良ければ土日に面接してくれる会社もある。ダメモトで「土日は可能でしょうか?」と一応聞いておくのは基本だ。次点が平日の夜で19時開始くらいなら融通してくれるところも多いが君の場合は仕事の後で東京に19時は無理だろうか。結局同じ日に面接詰め込んで有給使って東京行く作戦が発動することも少なくないだろうから有給取る勇気は絶対必要だな。勤めながら転職活動する人は多いのでちゃんと言えばリクルートでもハロワでもその辺の日程調整は可能な範囲でやってくれる。
君の場合はスキル無しということなので早くても3か月、普通に行っても半年そこらは掛かるだろう。むしろこういうのは慌てすぎてもよくない。ちゃんとやりたい仕事を探そう。とりあえず東京、なんて考えだと人事には一発で見透かされるので確実に落とされる。人事からすりゃ目の輝きだけ見て落としても惜しくないほど求職者は多いんだ。良い仕事にありつけてもどうせ30歳くらいで再度継続か転職か独立かみたいな岐路で悩むことになるから、その時に自分がどんなキャリアを積んだ人間になっていたいか考えてみよう。
今の職場で育てて貰ってるから~というのはあまり気にしなくていい。まあ一回転職するか職場で同チームから転職者でも出ればそんなに気にならなくなるんだがな。ぶっちゃけよくあることだ。社内で転職活動中と大っぴらに言う必要はないが話が通じそうな先輩(一番良いのは直属の上司)には内々に言っておいた方がスムーズだ。引き留められるとは思うがあまり気にしなくていいし、逆にグッとくる引き留められ方をして残るのだって有りだよ。
25、30、35、くらいの区切りで悩む人は多い。誰もが通る道だ。先輩なり上司なりがそれなりに人生経験積んでるなら「転職するか悩んでるんです」と切り出されても「あるある」ってなもんよ。この相談をしておくと、「私用で有給欲しいんですけど……」と言ったら空気読んで取らせてくれる利点もある。ただし今の仕事も最後まで手を抜いてはいけないよ。今の仕事以上に納得できる仕事が見つからなかった時は続けるわけだし、そういうオチも少なくないからね。もちろん、いざ転職先が決まっても引き継ぎはきちんとすること。
昔から負けっぱなしだった
頭はいい方だったけど、読書感想文コンクールなんかで表彰もされない
何かのイベントで一番になることも全くない
学年トップを取ったことはあるけれど、周りが思い浮かべる学年トップ集団で名前は挙がらず常に次点のイメージ
実力的には決して劣らないはずなのに、と思うが劣ってるからそういうイメージが付くんだろう
その大学でも自分より遥かに出来る人間がいて、努力を結果に変える連中ばかり
当然首席などではない
ちょっとした議論になるとほとんど言い負かされる
インターネットでも論破される
論破された末に見下される
論破するときもあるが、それは口ぶりからだいたい年下で、勝つというより指導するに近い
集団でボロクソに言われたこともある
次はいつ勝てるだろうか
また見下されるだろうか
そしてこういうことを書けば、きっとコメントでも「他人との優劣を気にするなんて~~」という感じでやはり見下されるのだろう
もしくは変わらないといけないとかやはり上から目線で言ってくるのだろう
このままで勝ちたいのに、それも叶わない
今の自分が容易く大勢の他人に否定される
いや、それでいいのかもしれない
どんどん見下してくれ
それでこそ自分なのかもしれない
勝てない
勝てない
勝ちたい
小沢の曲で一番好きなのは「天気読み」で次点は「夢が夢なら」なんだけど、どっちも軽いとは思わないなあ。
放蕩息子、フラクタル、まどかマギカ、ゾンビ、レベルE、GOSICK
あとはだらだら見ているだけ。
妻(ヲタ成分は多少はあるけど腐女子ものよりは少年漫画の方が好き)
放浪息子、フラクタルが合格点。レベルE、君に届けはまぁまぁ。あとは論外だけど論外なりにはゾンビとかGOSICKまだいい方。
6歳女児(年長)
ゾンビ、GOSICK、IS、みつどもえ、Rio、ドラクラとメリーもぎりぎり?一番好きなのはプリキュアだし、ポケモンとかFARY TAILとかたまごっちとかめちゃもて委員長とかジュエルペットとか好きだけど暗めの劇画寄りの昼間アニメはあまり見ない。割にべるぜバブや戦隊物、仮面ライダーは案外好きの不思議。
ちなみに
妻
海月姫のみ合格。それ町が次点。荒川UB好きだったけど2期はいい加減飽きた。
娘
イカ娘、PSwG、ミルキーホームズ、ざくろがツボ。最初はあまり興味なかったように見えた神のみ、FAは途中から必須に変わった不思議。とある2期は暗めでキライぎみだったけど、そもそも超電磁砲がツボだったためになんとなく見たり見なかったり。えむえむとToLoveるも気に入る系だったけど検閲ぎみ。ヨスガとそらは検閲。
妻
娘
ストパンが一番ツボ、オオカミ、カンパネラ、みつどもえ、セキレイ、ぬら孫(最初は興味なさ下だったけどだんだんはまったくさい)、あそび、まで、か。
妻
荒川UBがトップ。WORKING!!次点。四畳半はだめの中では上。
娘
妻
娘
妻
娘
さすがに5歳の誕生日前の子供に深夜アニメは難しかったようですまだ。それでも現代魔法は見ないでもなかった。この時期はエレメントハンターとかがツボだった頃。
娘補足。
その他過去の作品のDVD観賞では、もちろん昼間系のドレミとか好きだけど、深夜系だと、咲とかARIAとかゼロの使い魔とか好き。開始時期的に漏れたけどテガミバチも気に入ってる。今ならここ数年の、もしくはそれこそ前世紀のあれやらこれやらも見そうってのは山ほどあるが時間が足りない。
そりゃあ、やろうと思えば様々な手法があるだろうけど…
いかに余計な作業を減らして「やりたいことを実現」するための作業に専念するか、を考えている。
いろんな言語への興味はあるが、むしろそのせいで今まで時間食いまくってるので、そろそろ「手早く作る方法」を知りたい。
あんまり色々な手法を試してもいられない。
「これ!」ってやり方を決めたい。
プログラミング言語は、C C++ Java Python Perl VB C# HSP PHP JavaScriptなど、どれも基礎を触ったりしてばかりで何年も過ごしてきた。
FLASHは持ってない。(PalaFlaは触ったことあるけど、いまいちイメージしにくかった)
なんだかんだで一番慣れてるのがHTML+CSSで、次点でPHPかJavaScript。
ただ、PHPだのjavaScriptだのSQLだの、複数言語を同時に扱ってると非常に面倒。
そこでサーバーサイドJavaScriptに目をつけたものの、『Jaxer』は2008年に書かれた記事がちょっとあるばかりだし…
Node.jsってどうなんだろう…?
うーん、あまり纏まってないが、とりあえず現状をダンプしておく。
なんか参考になるものがあればなー。
こういうこと色々聞ける相手も周りにいないし…
東大・早慶 は公立・私立のネームバリューの問題。ネームバリューのあるところへ行くか、実技に特化するかという話。
次点とかあまり考えてない。次点とか次次点とか、狙っていったらきりがないという事。そのうちMARCHまでならOKとかそういう議論になりかねない。だが、そういうことではない。
東工大を狙うなら、次点だから、という理由はなく、受けたい授業があるから。師事したい教授がいるからという項目で選ぶべき。なら、東工大に限らない。
http://anond.hatelabo.jp/20100924150333
そもそも論として、大学は教授ありきで 大学間の序列ではないと気がつくのが社会人になってからというのがアレ。受験・塾業界の偏差値マジックだわな。
以下の増田と同一人物です。
http://anond.hatelabo.jp/20090615221632
標準的な、ある一面で理想的な「日本の」大学生生活の第一歩をうまく描いているな−と思う。
自分も多くの人と同様、とらドラ!のような輝かしい高校生活も、ゴールデンタイムのようなリア充的大学生活(これからどうなるかわかんないけど)も送ったわけではないが、かといって全くなかったというわけではない。
そういうちょっとしたところで心に引っかかるというのも、作品にひきつけられる一因なのだと思う。
今後の予想をしてみようかな。増田だし何でもありで。
だれがみのりん化するかと言ってもいいけど。
大本命は千波だよな。多分2,3巻あたりで人畜無害っぷりを散々振りまいといて、中盤あたりから急変しそう。詳細は後述。
次点は光央。このあたりは次項で書く。
いわゆるギャルゲー(あんまやったことないけど)でいうと、香子視点から見た光央シナリオって中盤超えたあたりぐらいの位置になると思う。
この話の場合だと、光央は今の香子に嫌気が差して千波に走るけど、色々乗り越えて雰囲気が変わった香子と、千波の嫌な一面とかを見てしまって、最終的に香子の元に戻るみたいな展開。
「光央シナリオ」で通せばそれでハッピーエンドでいいのだが、残念ながらこの話の主人公は光央ではないのでそうは問屋が下ろさない。
で、心変わりした香子に対して黒化するリスクというのを光央は持ってるんじゃないかなと思うわけ。
百歩譲って香子と仲良くなれたとしよう。
これが光央主人公のギャルゲーであれば「香子シナリオ」ハッピーエンドでいいのだろうが、残念ながらこの話はギャルゲーではない。
自分が好意を寄せている男性の前に、突如現れる不快な女。初対面でいきなり足を踏みつけて、昼ドラマニアも真っ青の脇役っぽいセリフで自分を罵った女。そして目の前の男性は明らかにその女のことを嫌っている。これでこの女に対する印象が悪くならない女性がいたら見てみたいものだ。
一般に男性が浮気をしたとき、女性は相手の女性に対して敵意を抱くという。ましてや、印象最悪の女に奪われたとしたら普通は怒り狂うだろう。
現時点では千波の内面について全く描かれていない。ゆえに、今後千波の黒い内面が表面化してきても全くおかしくないのだ。
もし光央が香子と寄りを戻したくなった場合、光央の振る舞い次第では破滅的な結末に向かってもおかしくないかもしれない。
さすがに刺されたり目の前で自殺されることはないだろうが。
きっと次巻かその次ぐらいでフォーカスが当てられるであろう、リンダと万里、そして香子との関係。
といっても、今のところこっちの展開はあんまり興味がない。
どうみてもリンダが気を遣ってるのは明らかだから(でなきゃ知らないフリなんてしない)、そのうち香子と仲良くしてる万里を見てるのが耐えられなくなるだろう。
で、万里の方は香子といい関係になってきたあたりで記憶復活。三角関係に苦しむ。
っていう展開が想像できるので、この予想を裏切ってくれることを願うばかりだ。
リンダが万里のことすっぱり諦めて、他に彼氏作ってたりしたら面白そうなんだけど。
万里って空気だよね。
話に(直接)絡んでこないのでなんともかんとも。今後に期待。
あーたくさん書いたらすっきりした。
仕事しよ。
つらい現実から脱出したい。
『主人公が、現実から異世界に脱出している(※)』 パターン(”現実 → 異世界”)のフィクションについて考えてみた。
こういうフィクションのなかには、異世界に脱出しても、そのあと『現実に戻ってくる』 パターン(”異世界 → 現実”)の物語が存在する。”ネバーエンディングストーリー”のような。
現実に戻ってきたあとの主人公の幸福度って、『異世界に行っていた間、現実ではどのように時間が流れていたか』 にも依存するように思う。
(※)『比較すると、現実より異世界で過ごすほうが楽しい(楽しそう)』パターンのフィクションに限定します。『現実より異世界で過ごすほうがつらい』というホラーのようなフィクションについて、以下除外。
②-1 時間の流れ方が、異世界>現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、5時間しか経っていなかった。)
②-2 時間の流れ方が、異世界=現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、3年間経っていた。)
②-3 時間の流れ方が、異世界<現実。 (例:異世界で3年間冒険する。現実に帰ってくると、5年間経っていた。)
※その他の、「異世界と現実のどちらか片方だけで展開するフィクション」は分類から除外。(基本的に異世界だけで話が展開する”指輪物語”みたいなフィクションなど。)
一番幸福なのは、「異世界から現実に戻ってこない」パターン(①)だと思ってしまう、今のわたし。
次点は、「現実に戻ってきたら、現実では殆ど時間が経っていなかった」パターン(②-1)。
『3年間分の経験を、5時間で経験できる』というような、主人公の成長譚における必殺チート技なので、子供向けの教育的なフィクションにおいては、この類の数が一番多いんじゃないかと思う。
上記の2つ以外については、現実に戻ってきたあと、現実に適合して暮らしていくのが結構難しくて(浦島太郎的で)ツライと思う…。
「異世界と現実を往復するけど、双方の時間の経過にズレがある」というパターン(③-1と③-3)は、往復するたびに、周囲との差が開いていくという切ない経験がメインになる話になるのかな…。
作品を違うパターンに置き換え直してストーリーを想像してみると、興味深かった。
(もし、”ネバーエンディングストーリー”が、「現実に戻ってきたら、現実ではだいぶ時間が経っていた」パターン(②-2、②-3)だったら、だいぶ違う結末になっている筈。父親は、子の不在に耐えられたかな…。)
② 現実に戻ってくる
②-1 時間 異世界>現実。 (作品例:ネバーエンディングストーリー、不思議の国のアリス、ナルニア国物語)
ここまで大上段に構えて書いてきて、ここにきて肝心の作品の例が埋まりません…。ごめんなさい。
だれか、補完をお願いします!
在日、と言ったときに誰のことを指すのか考えてみよう。
単純に在日外国人を排斥したいのならば、韓国人のみが特定して攻撃される理由はないはずだ。
だが在日差別されていると声を挙げるのは韓国人以外に見たことがない。
ならばこれは在日の問題ではなく、日本と韓国の問題ではないかと思う。
ではなぜ日本人が韓国人を攻撃するのか、答えは韓国は反日だからである。
嫌われるから嫌う。
順番を間違えてはいけない。
実際に日本、日本人に害をなしているのは中国人がほとんど、次点でブラジル、韓国が入ってくる程度である。(外国人犯罪資料より)
日本人が日本に害をなす者を嫌うならば在日中国人こそ排斥されていておかしくない。
しかしあの有名な在特会が攻撃するのは主に在日朝鮮・韓国人だ。
日本人は、害をなされるより、嫌われることが嫌いなのだ。
韓国が日本を嫌い、日本が韓国を嫌う、この構図が出来上がったとき、在日差別は顕在化した。
実際には、国民同士のけんかである。
日本という国の中に差別があるのではなく、日本人対韓国人のけんかが日本国内でも起こっているだけである。
しかし日本国内にいる少数の韓国人からしてみれば、不当に差別を受けているように見えるわけだ。
それは多数決の問題であって、多数対少数になる事項では常に起こりえる。
この差別のように見える問題を解決するのは簡単だ。
話が少し飛ぶが、昔テレビでダンディー坂野(古いな!)がネタをレシートとかの紙切れの裏にメモするから、すぐそのメモを無くしちゃってネタが進まない。なんて話をしてた。
かくいうオレもケチが極まり、お菓子の包装紙とかティッシュ箱を分解して裏をメモとして活用できるんじゃない?!という考えから、そういうゴミを集めてたりする。
だが、ゴミばっかりたまって、うまくそれらをメモとして活用できない。
そこで、最低限それらのメモを活用する、メモのまとめ方をやっと考えるようになった。
まず必要なものは、お菓子や割り箸の紙袋の裏地とか、メモできるものなら何でも、すべて。
あとクリップ。
そしてメモを書く時の絶対的なルールとして「見出し」を書くこと。
面倒だが、このひと手間は絶対にサボっちゃいけない。そうすると後々これが何のメモだかわからなくなるからだ。
欲しいものだったら、「欲しいもの」と書き出しておく。
そして、その見出しをわかりやすいようにしておく。ラベルのラと書いて丸で囲ってもいいし、見出しそのものを丸く囲って星印をつけてみるのもいい。とにかく見出しがわかればいい。
次点としては、場合によって日付を入れておくといい。日付もとても大切な見出しの一種だ。
だけど時間的制約のないメモに日付は特にイラナイので、そこはケースバイケースだな。
既にメモを活用してる人からしたら当たり前かもしれないが、こうやってメモが整理できると、なかなか便利で楽しい。
思いついた雑多なことを、書く。そして見出しを書く。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
外国人選挙権―まちづくりを共に担う
自治体の首長や議員を選ぶ際に永住外国人が投票できるようにする。この外国人地方選挙権の導入に、鳩山首相や小沢・民主党幹事長が前向きな姿勢を示し、来年の通常国会にも法案が出される見通しだ。
98年以降、民主党や公明党が法案を出してきたが、根強い反対論があって議論は進まなかった。この間に地域の国際化は急速に進んでいる。鳩山政権は「多文化共生社会」をめざすという。実現へ踏み出すときではないか。
日本に永住する外国人はこの10年で5割増えて91万人になった。このうち歴史的経緯がある特別永住者の在日韓国・朝鮮人は42万人だ。年々増えているのは80年代以降に来日し、仕事や結婚を通じて根を下ろし、一般永住資格を得た人たちだ。出身国も中国、ブラジル、フィリピンと様々だ。
地域社会に根付き、良き隣人として暮らす外国人に、よりよいまちづくりのための責任を分かち合ってもらう。そのために地方選挙への参加を認めるのは妥当な考え方だろう。
日本の活力を維持するためにも、海外の人材が必要な時代である。外国人地方選挙権を実現することで、外国人が住みやすい環境づくりにつなげたい。分権時代の地方自治を活性化させることもできる。
「選挙権が欲しければ国籍をとればいい」との考え方がある。だが、母国へのつながりを保ちつつ、いま住むまちに愛着を持つことは自然だ。そうした外国人を排除するのではなく、多様な生き方を尊重する社会にしたい。
合併などを問うための住民投票条例の中で、外国籍住民の投票権を認めた自治体はすでに200を超えている。地方選挙権についても最高裁は95年、立法措置をとることを憲法は禁じていないとの判断を示している。
世界を見ても、一定の要件を満たした外国人に参政権を付与する国は、欧州諸国や韓国など40あまりに上る。
近年、声高になってきた反対論の中には「外国人が大挙して選挙権を使い、日本の安全を脅かすような事態にならないか」といった意見がある。
人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張には首をかしげる。外国籍住民を「害を与えうる存在」とみなして孤立させ、疎外する方が危うい。むしろ、地域に迎え入れることで社会の安定を図るべきだ。
民主党は選挙権を日本と国交のある国籍の人に限る法案を検討しているという。反北朝鮮感情に配慮し、外国人登録上の「朝鮮」籍者排除のためだ。
しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう。
もし「多文化」の最小単位を「個人」にまで微細化してしまった場合、多分その場の全員が「中国人」か「イスラム教徒」かのどちらかになると思う。次点で「ヒンズー教徒」かな。人口比で言えば確実に彼らが多数派だし、人数の増え方もトップクラスだもん。数の論理で、二者がそこら中に存在する事を受け入れる事なければならなくなってしまう。しかしそうなると逆に「中国人」や「イスラム教徒」以外のアイデンティティがこの二者に駆逐されてしまう現実もある。彼らの他文化に対する寛容さはぶっちゃけ下から数えた方が早いんだもん。どちらもあちこちで中華街とかスラムとか作って、現地の人間と隔絶されたコミュニティー作りまくってるから。そういう連中に対して「多文化共生」を唱えてる連中がアクション起こした事あんの?何か成果を出してるの?
そもそも多数派を占める彼ら自身が、「多文化共生」なんて屁の突っ張り程度にも考えてないが故に多数派を獲得しているんだよね。だから「多文化共生」を唱える事が、結果的に「多文化共生」を微塵も考えてない連中を利する事にしかならんのよ現状は。こっちが相手を受け入れる準備を整えても、相手がこっちを受け入れるとは限らんでしょ。
この社説子にも言いたい事だけどさ、「多文化共生」を訴える相手偏りすぎてるよね。前述の中華街作って、中国人同士で勝手に結束しちゃってる連中にも言うべきだよね。なんか彼らの長老会みたいな所に乗り込んでいって。「それではいけない!長老会にもアメリカ人や日本人やロシア人を参加させるべきだ!多文化共生万歳!」ってさ。それをやらないから、保守的な連中から「ていうかお前どこの国の味方?」と疑われるんだと思うよ。それが嫌なら、タリバンとか反米国家に向けて「多文化共生しましょう!欧米文化を受け入れましょう!」って言えばいいと思うよ。何故かそういう所に関しては、「帝国主義のアメリカに抵抗する勇敢な人々」みたいなとらえ方する人多いけど。