はてなキーワード: 女子大生とは
妻の条件は若さが最優先で他は二の次、俺のマネーで若い嫁を養うんだ!バッチコイ!って意気込む男は多いもんだと勝手に思ってたわ。
マネーを持ってる奴はそれなりの慎重さと賢明さも持ち合わせているので怪しい女子大生なんかを妻にしようとは思わないのだな。
それにしても養う甲斐性まるっきりなさそうな年収300万の30代後半が女子大生を結婚相手に望むのは滑稽としか言いようがないな。
=本来の目的から解放・放逐された結果、地道な努力をせずに自己目的的、自己完結的にその自由を享受する姿勢
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
・島宇宙化
=若者の内向化のことと言われるが、実際は世間が崩壊した結果、寄る辺なく数名の仲間と共に漂流している状態と捉えるべき。
自分のことをアッパーミドルとか言っちゃいつつも不安を隠しきれない女子大生などが典型例。
=社会貢献したい若者の数は増加し続けているけど、まともな社会活動に参加する人は増えてない残念なニッポンの現状
=民衆が持つ独自の規範。これが破られるとリアルネット問わずにいきなり炎上する。
このことを知らないと非常に危険。日本のモラルは肯定より否定の形で表現されることが多い
・親密圏、公共圏
=内田樹が大好きな言葉。彼の脳内ではこれがあれば全ての社会問題解決するくらいの万能薬。
彼の語るこれは、なぜか年功序列的な概念とドッキングしており、ユートピア化している。
彼が批判しているのは常にこのユートピアの実現を脅かす何かである、と考えれば、彼のブログが非常に読みやすくなる
・承認欲求
=若者による、言っていることはわかるがお前の言い方が気に入らない、というふてくされた態度のこと。
逆に言えばほめてやれば簡単に動くのでコツをつかめばこういう若者ほどチョロい。
=友達がいなくても、ネットさえあれば、その気になれば友達は作れるという希望のこと
・近代化
=ムラの外側を創造することなく一生を終えていた村人たちを、
国民や個人という自立した存在として引き上げようとしたプロジェクトのこと。
おじさま率の高い会社組織というものに、新卒22歳のOLが入ってくると、それはもう大人気になった。
彼女たちはチヤホヤされることで己の価値を知り、より高値で自分を売ろうと画策し、当然の権利として高価なデートを求めるようになった。
そうなると男性たちはその小賢しさに辟易し、「女子大生ってピュアだよなあ」と思うのだ。
男子大学生はお金を持っていない。彼らと付き合う女子大生は、安価なデートに慣れている。
同年代に囲まれているから、自分の若さに価値があることにもまだ気付いていない。
だから社会人からちょっと高価なデートをしてもらえると、「同い年の男子はこんなことしてくれない」と目を輝かせる。
男性たちは新卒OLより女子大生の方が安く買い叩けることに気付き、女子大生ブームが起きた。
ブームになると、女子大生も自覚する。私たちは女子大生という最高のブランドを持っている価値ある存在なのだと。
そうなるとデートへの期待度も上がり、よりお金持ちでイケメンな男性と付き合いたいと考えるようになる。
男性たちは女子大生が値上がりしてしまったことに気付く。そして起きたのがコギャル(女子高生)ブームだ。
以後は繰り返しだ。女子高生が己の価値に気付いて援助交際し、大金やブランドバッグを手に入れるようになると、
「あいつらも自分の価値に気付いてしまったのか」と、男性の目線は「JC」へと降りていく。
しかしニコニコ生放送でJCたちが人気生主として注目を浴びるようになると、自分の価値をわかっているJCが増え、
JCも既にピュアでは無くなったのかと悲観した男性は高学年JSに向かうが、高学年JSも高学年JSでオシャレに目覚めており、
高学年JS向けファッション誌には「かっこいい同級生男子から注目を浴びるファッション」などの特集が組まれているのだ。
若い女の子の持つ素朴さや素直な心は、男性たちに「この年代は安く買い叩けるんじゃないか」という目で見られることによって失われてしまう。
OLは焼かれ、女子大生も焼かれ、女子高生も焼かれ…女の子は「私は女であり、女は売り物である」という自覚を低年齢で持つことを迫られるようになる。
より自分を高く買ってもらうため(できるだけ高収入で性格のいいイケメンと結婚するため)、
仮にそいつをA男としよう。A男は中学で知り合った時から全くもてず、社会人になるまで一度も彼女ができなかったんだ。
仮にB子とするよ。B子は身長が低く、華奢な体つきをしていた。
そして小顔で目が大きくパッチリしており、黒目が大きく、鼻も口も整っていて、色白美肌だった。19歳の女子大生だけど童顔で、女子高生か、どうかすると女子中学生に見えるくらいだった。
比べるとAKBが色あせて見えるくらい可愛かったんだ。本当にアイドル級という感じ。
髪はきれいな黒髪で、服装は地味でおとなしい感じ。しかも趣味は読書だという。
当然処女で、彼氏もA男が初彼氏。A男はB子をとても大切にしていて、キスより先は一切していないと言っていた。
A男に紹介されたときは本当にびっくりしたね。
なんでこんな可愛い子がコイツと付き合ってんだ?って。
A男は別に金持ちなわけじゃないし、顔だってよくない。しかもキモオタ趣味まで持っているヤツなんだ。
しかもB子はオタクじゃないのに、A男のオタ趣味を理解して付き合っているという。
本当にいい彼女ゲットしたな!と冷やかしてやったよ。
それから2週間くらい経ったとき、地元の道を歩いていたら、道路の反対側をB子が自転車で走っているところを見かけたんだ。
そうしたらB子のほうも僕に気付いて目が合い、B子がこっちに何か言おうとしたのか、会釈でもしようとしているような様子を見せたんだ。
その瞬間B子が自転車ごと転倒し、車道に転げ落ちたB子の頭を大型トラックが轢いたんだ。
一瞬のことで、何が起きたのか理解できなかったよ。
B子の後ろを歩いていたおばさんが、鋭い悲鳴をあげた。
僕は、なんだか混乱してしまって、B子がどうなってしまったのかそれ以上見ないようにして、そのまま早足で駅に向かって電車に乗り、用事を済ませて普通に家に帰ってしまった。
翌日、A男から、B子が死んだという電話が来た。「濡れたマンホールでタイヤが滑り、転んだところにトラックが来てはねられてしまった」という話だった。A男は泣いていた。
頭を轢かれて…という話はされなかった。でも僕は見てしまった。B子の頭だけが轢かれてしまうところを。
形を留めているどころか服を着たままのきれいな身体と、赤黒くなった道路が、何度もフラッシュバックする。
あれから僕はただでさえ二次元オタク傾向があったのに、三次元を一切受け付けなくなってしまった。かわいいなと思う子はたくさん居るけど、そう思った瞬間にB子の死体がフラッシュバックして、全く恋愛感情や性的興奮がわかないんだ。
こんなこと誰にもいえないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091018173611
http://anond.hatelabo.jp/20110612211158
ここ数年、ほれた女と付き合いたいというリビドーだけで突っ走ってきたが、
紆余曲折あったあげく、学生時代のバイト先の後輩と、10月くらいから付き合いだした。
初めての彼女になるのだが、かつて想像していたような高揚感や胸の高鳴りはない。
ただひたすらにいとおしいく、大切にしたいというか、
さて、ここ半年くらいの話。
会社での人間関係に嫌気が差していたので、仕事に打ち込むことで気を紛らわした。
仕事で成果を出して名誉回復をしたいというのももちろんあったが。
もともと、上司には認められていたので、メンタル的に問題なさそうだとわかると、
仕事はすぐさま降ってきた。
古いまま放置されていた業務マニュアルの改訂や、英文ドキュメントの翻訳といった
同僚たちからは何かに憑かれていると言われるくらいだった。
そんななかでも、女の子と遊ぶのは欠かさなかった。
というよりも、ムリにでも遊ばなかったら精神をやられて廃人化していただろう。
平日の終電で女の子の最寄り駅に行き、朝まで遊んで始発で出社、
短い仮眠を取り、栄養剤を飲んで何事もなかったかのように仕事に向かう。
体重は10kg近く落ちた。
初対面の相手に対して、抱き心地がよさそうとか、
おおよそ昔では考えられなかった想像をするようになったのもこのころだ。
以前は好みだったスレンダーな体系の女性にさほど魅力を感じなくなった。
失敗もした。地方の女子大生を、都心のホテルのバーに連れて行き、
こんなラフな格好じゃつりあわないと恥をかかせたこともある。
そういった中で、かつての一途な純粋さがいつの間にか失われていたことに気づいた。
ただ、2回、3回と定期的に会うようになったのはその中でも4人。
最終的に、その中の一人から告白される形で付き合うようになった。
以前思いを募らせていた相手とは正反対のタイプだったが、
適度に隙があるというか、無理をしなくてもよくて、
一緒にいると落ち着けるのが心地よかった。
そういうわけで、ここ2ヶ月ほどは、
俺自身の破滅的な振る舞いも落ち着いて、
俺の話は以上でおしまい。
せっかくなので、機会があればここ数年間の経験で、
有用だったことや気づいたことを書いてみたいと思う。
何か質問があったら答えます。
箒でゲロ掃除してる駅員に、こっちに飛ばすなと叱って謝らせてるオッサンを見てしまった。
他の乗客がしているように、お前が避けりゃいいものを。駅員が反論できないのを見越してか、わざわざ当り散らして。嫌なもんだ。
朝の山手線では毎日といっていいほどオッサン同士の言い争いが起きている。
台風でダイヤが乱れたときに駅員に恫喝していたオッサンもいた。
人身事故があったときもそう、311のときもそう、ダイヤが乱れると必ず駅員に怒鳴り散らすオッサンがあらわれる。
ちょっとでもイラっとくることが起きたとき、我慢できずに当り散らすやつって大抵オッサンなんだ。若い男じゃない。
そしてオジイチャンっていう年齢でもない。40~60に集中しているように見受けられる。
電車で迷惑行為に出るのはオッサンだけじゃない。オバサンもそうだ。
この間、見た感じ女子大生くらいの年齢の女の子にオバサンがヒステリックに叱りつけているのを見た。
女の子は地味で暗そうな子。顔色が悪く、貧血か何かで体調不良のように見えた。
しかしオバサンは彼女を叱り付けて立たせ、そばに居た老人に席をゆずらせ、説教をした。
女の子はよたよたしながら老人とオバサンに対して「すみません…すみません…」と繰り返し謝っていたが、
そもそもそこは優先席ではないし、体調が悪い若者にも座る権利くらいあるだろう。
こういった干渉的に正義を振りかざすタイプのオバサンも居れば、堂々と割り込みなどのモラル皆無の行いをするオバサンも居る。
注意されると当然逆ギレをする。オバサンの集団になると一層タチが悪く、飲食店の行列で割り込んだオバサン集団に注意したときは
堂々たる逆ギレをされ、おれが正論で返すと捨て台詞のようにして暴言を吐かれた。
こうしたタチの悪いオバサンも40~60の年齢に集中している。
思うにこいつら更年期障害なんじゃないだろうか?更年期は「性ホルモンが急減することにより気分や体調が乱れる」ことだ。
女の閉経ばかりが注目されるが、男も40以降は男性機能が急激に落ちる時期。
電車でやたらと当り散らしてる変な男が40~60に集中しているのは「男性ホルモンの急減により気分の変調が起きているから」
そして60を過ぎて高齢者になると比較的キレる奴が減るのは「男性ホルモンが低値安定し、気分も安定するから」
これで全て説明できるのではないだろうか?
ネット上ではキレるオッサンを団塊叩きなどの世代批判につなげ、他人事にしてしまっている節があるが、そういう問題ではない気がするのだ。
氷河期世代やゆとり世代も、オッサンになればホルモン量が減ってキレまくる迷惑人間になる可能性があるのではないか?
普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
なんか必死に「この子は普通じゃない」と連呼してるブログが話題になっていたので、元記事(http://nanapi.jp/topics/68)を読んでみたけど、そんな意図的な演出や露骨なものがあるとも感じられなかったし、この子の顔だって十人並みで、どちらかというと地味な方だ。もっとかわいい子はいくらでもいる。
真性引きこもりの人は、引きこもってるせいで世の中の女性というのをちゃんと見たことが無いのではないだろうか。
女の子って、基本的には化粧でかなり誤摩化せるから男のキモオタみたいに、みているだけで周りを不愉快にさせるほどの厳しいルックスの人というのはほとんど存在しない。
この子も早稲田で別にとりたてて可愛い方ではないだろう。嘘だと思ったら早稲田のキャンパスで一日過ごしてみればいい。
今の早稲田の女子は基本的にすごく可愛い。高学歴=メガネデブスみたいなステレオタイプな女の子はもうどこにもいない。
岡田女史(ちなみに僕は面識はない)がとりあげた意図も、内容も特にミスリードを誘うようなものではない。
問題は、この女の子が「普通の女子大生ではない!なぜなら可愛くて高学歴だから」という主張をしたくてたまらない真性引きこもりの人自身だ。
名前がずるいとか、もはや言いがかりを通り越して、病的な気配さえ感じられる。
率直に言って気持ち悪い。
元記事にも、それを書いた岡田女史にも、もちろんこの女の子にも悪いところはひとつもない。あるとすれば、これを見て素直に受け取れない歪んだ精神構造の人だけだろう
スケベ心である。
女の子に構われたい、有名人に構われたい、というスケベ心である。
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
(中略)
アイコンが美しい顔をした女の子の写真だからだ。だから人気が出たのだ。
美しい顔をした女の子の写真のアイコンを持つ人間が投稿したものだからだ。
嘘だと思うなら、instagramでもgoogle+でもいい。どちらでもいい。
彼女の写真を評価している人間がどのような人達か確かめてみればいい。
モテない男。
冴えない男。
そういった類の人達ばかりだ。殺到しているのだ。フォトショで巧妙に作られた顔写真のアイコン目掛けて男達が殺到しているのだ。
これだ。これがインターネットを殺した。
冴えない男がネットアイドルを無視していたら、こんな事態は起こらなかった。
ネットアイドルを無視できない男どものせいで、冴えない男が能力を磨き心血を注いで作ったコンテンツよりも
女子大生が就活のため片手間でチョチョッと作ったコンテンツが注目を集めるインターネットになってしまった。
インターネットは死んだのだ。
彼らは懸命に希望を抱こうとするからこそ、インターネットに逃げこみ、そこで見つけた希望を日々の糧にして必死に生きようとしているのである。私達は生きねばならない。どうにかして生きねばならない。だからこそ必死なのである。生きる事に懸命なのである。それには希望が必要なのだ。Aya Sakagutiのような希望の人がどうしても必要なのである。3万人もの男達の希望であり、3万人の男達から必要とされているのである。
希望を抱いて懸命に生きていく上で、高学歴美女の存在は必要不可欠では無い!
彼の書いたこの文章こそ、彼の憎む「美化」だ。岡田有花がしたことと同じだ。
どうでもいいスケベ心を「必要」な「希望」と表現し、浄化、美化しているのだ。
くだらないものをプロレタリアート文学風に仕立て上げ、同情を引きやがったのだ。
僕らは本気で思ったんだよ。そして思っているんだよ。ザッカーバーグとワンチャンあるかもって本当に思ったんだよ。信じたんだよ。
有名人に媚びへつらう今のインターネットを象徴しているようなこの文章!
ネットユーザーの「性欲」と、「『有名人に構われたい』という権力欲と承認欲求の混ざったもの」、
冴えない男がネット上で女性ユーザーに構ってもらい性欲の一部を充たすこと。
冴えない男がネット上で有名人からのレスポンスを得て、自分の価値が少し上がったように錯覚すること。
真引きにもそのフォロワーどもにも言いたい。
お前らは現在住処を奪われた被害者かもしれないが、同時に加害者でもあることを自覚しろ。
お前らは自分の掘った穴に落ちたのだ。
お前らのスケベ心がインターネットを殺したのだ。
極めてどうでもいい話だ。
暇な人は、下を読んだらいいよ。
>「坂口綾優がGoogle+で日本一になったのは、彼女の顔写真に冴えない男たちの性欲が殺到したからである。取り繕って美談にするな。
性欲の表現をレトリックとして見るか、単なる裏心を隠す美談と断定するかで、その人の見方が問われると思います。
>高学歴美人女子大生である坂口綾優を『普通の女子大生』扱いすることで、本当に普通な人々を抑圧するのは言葉の暴力である。
で、本当に普通な人々を抑圧するって、増田の言う本当に普通な人々に該当する普通な人々っているの?
そして、レッテルを貼った以外のそれらを一般化して、あたかもそういう人が存在するかの如く書き綴ることに疑問を感じる。
普通の女子大生の定義と、増田の普通の人々の定義が、どこかすれ違っているように思える。
学生としての普通の大学生は、大学で勉強をするのが学生としての普通(というか当たり前)なので、普通の女子大生でかまわないのでは。
学校をさぼって何かしていたら、きっと普通の学生とは言われないのではないでしょうかね。
>坂口綾優のGoogle+をやっている動機は『就活のため』ではなく、『他者からの承認による興奮や感動を得るため』だ。自分を偽るな。」
修辞学的なことを習った方がいいと思う。
仮に表面で『就活のため』と言っていても、『他者からの承認による興奮や感動を得るため』と彼女が認識していたら、何も自分を偽っていないじゃないか。
面倒なので詳しくは読んでないけど。
確かTwitterのかつてのフォロワー数日本一も「普通の男子大学生」だよね(今は流石に有名人に抜かれているけど)
同じような事になっていても男子なら何も言われず、女子だと「どうせ性欲まみれの男にチヤホヤされてるだけだろw」扱いされるんだなーと思った。
「坂口綾優がGoogle+で日本一になったのは、彼女の顔写真に冴えない男たちの性欲が殺到したからである。取り繕って美談にするな。
高学歴美人女子大生である坂口綾優を『普通の女子大生』扱いすることで、本当に普通な人々を抑圧するのは言葉の暴力である。
坂口綾優のGoogle+をやっている動機は『就活のため』ではなく、『他者からの承認による興奮や感動を得るため』だ。自分を偽るな。」
以上。
以下は、暇な人だけが読めばよい。
nanapiに掲載された元記事では、人気の理由を
人気の理由は、彼女がアップする美しい写真だ。iPhone 4で撮られた空の写真だ。紫からオレンジにグラデーションする朝焼け。真っ赤な夕焼け……。
と説明している。
しかし元記事中に
とあるように、彼女は格段に優れた撮影スキルを持っているわけでは無い。
冴えないおっさんが撮影したものであれば、ここまで話題にはのぼらなかったであろう。
hankakueisuuは、この真相を表面的な美談で覆い隠そうとするライターの岡田有花が許せないと主張している。
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/211919_100000872144853_4875960_n.jpg
nanapiの記事タイトルは「普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか」だが、
彼女は上記jpgの通り平均以上の顔をしており、何より早稲田の現役女子大生である。
京都大学卒ライターの岡田有花からすれば早稲田は普通の大学かもしれないが、日本全体で見れば早稲田は高学歴だ。
hankakueisuuは、彼女は普通よりハイスペックな存在であり、彼女を普通だと広く伝えることは多くの人々を傷つけることになるだろうと危惧している。
元記事ではGoogle+をはじめた動機は「就活のため」と説明されており、
「Google+で1位の人ということで、企業の人とか、学生起業家の方など、いろんな人が会ってくれるようになり楽しいです。ソーシャルメディアを使って就職活動をしようとしている企業からも、やり方について相談を受けたり」
とあるように、就職に繋がるような人脈も実際に生まれているようだ。彼女のねらいは成功しているといえる。
しかしhankakueisuuは、クールにインターネットを利用しているかに見える彼女の姿勢は「心の偽り」であると言う。
インターネット上で話題になっていく、成り上がっていく興奮と感動こそが動機だったのだろうと主張する。
( 1 )については、まあそうだろう。彼女もフォトショ修正した顔写真をアイコンにしている時点で、薄々わかってやっているのだろう。
そして岡田有花は「いちいち不細工って書かれるのが凄く嫌だから」という理由で滅多に顔出ししない女性ライターだ。
そんな彼女が成功の理由を女子大生の容姿に持っていくとは考えにくいだろう。
( 2 )については、そういう面もあるかもしれないが、嫌なら見なければよいのである。
この記事を読んでも思ったが、「普通以下の人が傷つくだろう!だからそういう表現はやめろ!」というのは下から目線の干渉であり、大きなお世話だ。
いちいち気を配っていてはあらゆる表現が不可能になる。全ての表現は、どこかの誰かにとっては地雷だ。
( 3 )に至っては、坂口綾優の立場に自分を重ねすぎていて気味が悪いと感じた。
真性引き篭もりにとってはネット上での承認が大きな意味を持つかもしれないが、
並以上の容姿を持つ現役女子大生には現実の中で承認を得る機会など腐るほどあるだろう。
僕らは本気で思ったんだよ。そして思っているんだよ。ザッカーバーグとワンチャンあるかもって本当に思ったんだよ。信じたんだよ。駆けたんだよ。駆け抜けたんだよ。
これらの文言にもあるように、hankakueisuuのインターネットへの思い入れは重すぎであり、若年層の感覚とは乖離があると感じた。
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
顔だ。
顔写真だ。
顔が美しいからだ。
Aya Sakaguchiって子。
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/211919_100000872144853_4875960_n.jpg
アイコンの写真、カワイイっぽいじゃん!ファン多いのもうなづける!
さてさて調べてみると、、、早稲田の人なのね、、。だから津田大介とかにもフォローされてるのね、、、。
http://gakusei.suumo.jp/contents/campus/waseda/waseda/10067400_004.html#area_gekichika
http://gakusei.suumo.jp/contents/campus/waseda/waseda/img/commnet/img_gekichika_01.jpg
http://a3.twimg.com/profile_images/1194892435/b13baffb-7b1c-45b1-b025-1d51cbc33535_bigger.jpg
google画像検索すると、twilogのキャッシュで古い写真が出てくるけど、
クリックすると上のカワイイバージョンの新しいアイコンになってたりして、
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。
ああ、よくぞ言ってくれた。本当に、本当に、よくぞ言ってくれた。
世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。
しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。
「身長185cmに満たないからパリコレの男性モデルになるのは厳しいね」と言われても傷つかないが、
「日本人の平均身長は172cmなんだけど、あなたはそれに満たないからチビだね」と言われるのは不愉快なものだ。
「ただしイケメンに限る」場で排斥されるのは傷つかないが、
「ただしフツメン以上に限る」場で排斥されるのは傷つく。
"お前は普通未満だ"というメッセージをぶつけられたときに人は傷つくのだ。
普通を定義するということは、その基準に満たない人々に"普通未満"というメッセージをぶつけているのと同じだ。
では、ここで言う「普通の女子大生」は、自分を普通というカテゴリに置くことによって、
自らを普通と定義することで、勝利を実感することが目的なのだろうか?
私は違うのではないかと感じている。
世間で早稲田は有名大学のうちに入る。「普通」ではない。優れていると言えるだろう。
見渡す限り早稲田の学生、という状況で日々講義を受けているのだ。
早稲田よりも偏差値の高い大学に進学した高校時代の友達なども居るだろう。
彼女たちにとっては、東大京大一橋大…などが「良い大学」であり、マーチ未満は「不可視」なのだ。
男子大学生5人のグループがあったとして、4人はフツメン以上の彼女持ちコミュ充、
1人だけがいない歴=年齢のコミュ障キモメンだとしたら、そのグループは上手く行くだろうか?
"持つ者"側の4人が"持たざる者"側の1人に気を使って摩耗するか、"持たざる者"が"持つ者"をひがんで卑屈になるか、"持つ者"が"持たざる者"をバカにして苛めるか。
友情を維持する上で障害になるトラブルが無駄に起きやすくなるだろう。
だから似たようなスペック、境遇の人間ばかりが友達グループとしてつるむ傾向が生まれるのだ。
似たような体格、似たような髪型、似たような木こりファッションに身を包んだ男子学生が、
似たようなノリで居酒屋で騒いでいるのはあまりにも見慣れた光景だし、
女子学生集団やOL集団の服装・メイク・基本的なルックスレベルの均質化され具合はおそろしいほどだ。
育ちも同じである。年収2000万の父親と教育熱心な母親に育てられ、家族で海外旅行に行くのが当たり前と思ってきた人々と、
水商売の母親と酒を飲んで暴れる父親に育てられた人々とでは、話が合わないのだ。無駄な軋轢を生むのだ。
しかし、坂口さんの関わっている女子のグループが、坂口さんと同等かそれ以上のルックスを持つ女性ばかりだとしたら?
底辺の人間が感じる「普通」と、素養や運に恵まれた人間が感じる「普通」との間に、
大きなギャップがあることを可視化してしまう暴力的なツールである。
底辺の頭と底辺の容姿を持って生まれた人間が、似たような底辺とつるみ、
似たような底辺と結婚して底辺の再生産を続ける、そんな彼らの自己認識は「普通」であった。
視界に入るのが底辺ばかりなのだから、そうなるのも当たり前である。
そして恵まれた頭や容姿を持ち、親や親戚や友達も恵まれた者ばかりの環境で育った人間は、
自らの優れた点を奢り高ぶることなく、自分は「普通」だと認識して生きていったのだ。
自分とは違った常識を持つコミュニティの存在を発見しやすくなる。
ダルビッシュが贅沢な暮らしをしていることが窺えるツイートをしたことに対して、
オッサンが執拗に絡んでケチをつけたことがあったが、これはインターネットが生んだ軋轢である。
インターネットが無く、優れた人間の私生活がわからない時代であったなら、
このよくわからないオッサンは"持つ者"の恵まれた暮らしを発見することがそもそもなかったであろうし、
「昔のインターネットはオタク・非モテ・コミュ障にとって救いだった」という意見があるだろう。
それは昔のインターネットが本当の意味でグローバルではなかったということだ。
昔のインターネットコミュニティには、ほとんどオタクしかいなかった。
「開通作業が面倒」「接続料金が高い」「遅い」「見たいコンテンツが無い」などの要因がボトルネックとなって、
一般人の参入が妨げられ、オタク以外がふるいにかけられた世界になっていたのだ。
そこはオタクが圧倒的な多数派であり、オタクが常識をつくっている世界だった。
「インターネットでの普通」は、「オタクにとっての普通」と同義語であり、
一生独身、アニメ・マンガ・ゲーム好き、インドア、非モテ、童貞、服はダサい、髪型は床屋、
しかしインターネットというものは、一般人をも飲み込んでいく。
mixiでリア充を取り込み、モバゲーで情弱、ニコニコで"オタDQN"層、Facebookやtwitterで"意識の高い"層を取り込んだ結果、
これからネットを使いこなす老人が増えれば、「若者のもの」でもなくなる。
インターネット上の人口構成がリアルの人口構成とさらに近づいてゆき、
あらゆる世界、あらゆるグループ・組織に所属する人間がインターネットに参加するようになる。
そして全日本人の認める「普通」のスペック、「普通」の生き方というものが、インターネットによって広く知らしめられる。
弱者ばかりが集うコミュニティで独自の「普通」基準を制定し、「普通」を充たしている気になっていた人間たちに、それは暴力的に襲い掛かる。
初期のインターネットと現在のインターネットは全くの別物である。
前者は弱者に優しい逃げ場所であり、後者は「グローバル化された普通」という圧力によって、弱者を容赦無く叩きのめす残酷な場である。