はてなキーワード: 矢部とは
まず、4月30日放送分の岡村の発言と矢部の「結婚しろ」発言への批判は根本的に正しいという立場です。ただ、あちこちで流れてくる要約で知った気になるのはマジでやめた方がいいです。矢部と岡村の会話に関してはホントに音声を一度聴くのをオススメします、最悪全部じゃなくてもいい、矢部と岡村がどんな感じのトーンでどういう雰囲気の元、会話をしてるのか。その辺りの肌感を知ってないと発言のニュアンス全っ然つかめないです(って書いたあとに文章放置してたらもう聴けなくなってた。ごめんね)。
岡村ってこの放送中ずっと謝ってるんですよね。謝る以外のことが何一つできない地獄のような20分があり「あ、これはダメだ」と思った矢部が放送に乱入する。そしてそこからまた1時間近く、30年来のつきあいの人間が、岡村の人格分析を、ゆっくりと、ずっとゆっくりと続けるんですよ。この回、端的に放送事故ですからね? 矢部が部屋に入ってくる時の扉の音をマイクが拾ってるところとか、全部聴いた人ならわかるけどラスト10分のはがき職人の大喜利コーナーで岡村がはがきを読み上げるところの絶望的な空気感とか、本当にヤバいですからね?
それで、この放送のポイント、岡村に横柄なところが全くないんですよ。本来ならまともなラジオトークの一つや二つはするべきところ、それすらもできなくなってる。とにかくマジで参った感じだし、ずっと謝りつづけてる。何より怖いのがここ。
なぜなら、矢部が一番最初に持ち出した岡村への指摘は「岡村さん、表でしか謝らへんのよね」という言葉だからです。「まともに放送できないくらいに責任を感じている」けど「それをカメラやマイクの前以外では出すない、出す勇気がない」、だから公開処刑のごとく生放送で伝えることしかできなかったという問題の根深さ!
そこから矢部が岡村の言動を長年どう見てきたかを話す。岡村の普段のちょっとした振る舞いの、ささいなことだけど違和感の感じたことを、ゆっくりと、一つ一つあげていく。
お茶持ってきたADさんにありがとうを言わない、鬱での休業の復帰回後に矢部に送られてきたメールが一行だけだったこと、そういった、本人が気づいていないレベルの「岡村がどう人間と接してきたか」、そしてそれらを矢部が素朴に「引いてしまう」こと、そういうのが滔々と語られる。
話題の中心は基本的に対女性関係のことになりがちだけど、矢部とのこととか仕事でのこととかも含まれてるので根本的には人間一般に対する態度、つまり岡村の性格の話をしてる。会話の中でぼんやりと示唆されてるのは、岡村の他人に対する「甘え」が「対応が雑になる」かたちで出てるのではということ。ただし流石にそれは明言されない。間違ってるかもしれないしね。そう、その意味でも矢部は慎重なんです。岡村の人格について断言はしなくて、基本的に言動の話しかしない。もしかしたら、矢部自身はそのあたり自分で気づいてほしいと思ってるのかもしれない。だから言葉を慎重に選んでいる。
その中で語られる「結婚したら」って、もう色々なニュアンスが含まれてるんですよ。たとえば、矢部と岡村の昔の会話で「彼女のご両親にご挨拶しに行ったことある?」「あるよ。高校生のころ」というやりとりに(いい大人が素でそういう[女性と遊んでる割にまともに結婚をふまえた挨拶をしたこともないって]答えする!?)と素で引いた、みたいなエピソードとか、スタッフやメイクさんの女性と遊びに行くときに「宿代は出すよ」と岡村が話したりしたことに「飛行機代の方が高くつく」という不満なんかが本人ではなく矢部の方に飛んでくるみたいな話(後述しますが、この本人には伝わらないことが恐ろしい)、女優さんとデートする企画が振ってきたら「笑われるのが嫌だから」と自分は断り別の既婚者を推した話、そういう「女性をデートには誘うし普通に関わりを持つのに、深い関係にならないし場合によっては逃げる」という岡村の普段の行動パターン、さらには矢部の「自分は結婚したら妻へのリスペクトが増した」という実体験、そういった、放送中に出てきた会話やそのときの雰囲気全部込みでの文脈でのことなので「40代の独身男性が女性と積極的に関わりたいと思うなら女性をリスペクトして女性から逃げるな」くらいのニュアンスが多分に含まれてる。
そういう様々なあの場の質感が、発言箇条書きとか録音文字起こしだと全然わからないのですよ……。
あ、一応言っておくと、そういうことを全部踏まえた上でも、「結婚したら?」発言はかなり唐突でしたし、乱暴な発言ではありました。
それでですね、放送を全部聴いてやっぱり思うのは、「この岡村をこれ以上責めるの辛くない?」と思っちゃうし、反省の色を見せている岡村隆史をdisるのには少し違和感があるんですよ。
これは自分の価値観の問題がたぶんに含まれますが、人間ってどこかしら不道徳な価値観を持ってるのが当たり前だと思って生きているんです。だから、他者との関わりでは「それをどう隠していくか」(ここでの「隠す」は「他人を傷つけないために努力する」のニュアンスをかなり含む)が重要だと思ってて。人格がゆがんでても、人格がゆがんでることそのものが隠せてたら人間は生きててもかまわないんじゃないのかなっていう。それを露出してしまった以上批判されることに異論はないし批判されるべきだとは思うけど、でも少なくともどこぞの松江哲明やら大澤昇平やらに比べたらまだまともでは?とは思っちゃうんですよ。比較で善し悪しを語るのは良くないんですけど。
まあ時折「これ大丈夫なのか?」みたいなエピソードは結構目にしてたので完全に隠してたわけじゃないけれど、それでもたとえば矢部が「カメラの前では謝る」みたいなエピソード聴くと、「少なくともカメラの前では取り繕えるくらいの価値判断は持ってるんだな」って俺は思っちゃうんですよね。30超えると人間は変われないと言われがちな世の中で、50でそこそこ取り繕えるってのは大事なことだと思うんですよ。それとも岡村さん社会的に殺します?
なんでここまで岡村に甘めの感覚を持ってしまうかといえば、最近よく、どのタイミングで自分が社会的に死ぬかわからないなあと思うんです。
岡村の件の何が一番怖かったかって、矢部が指摘したことの多くが「無意識な言動」だったことですよね。自覚的に行動を変えようとしても、無意識の言動は言われないと自覚的に変えられないじゃないですか。もっと言えば認知がそこからゆがむ可能性もある。
たとえば、ここまで書きながら「女性視点での批判的感覚が欠如してる」と自分で強く思います。この原因ははっきりしてて、自分は男性として生きてきたから「女性がどう感じるか」についての直感や共感が働くのが遅いんですよね。反射的に「別に大したことないのでは?」と思ったあとに、「いや、でも女性の視点で見たらこれはこうだろう」という理詰めで価値判断を下す。たとえばですが、一応自分にも女性の友人はいるから「この件、俺は岡村に同情してしまうけど、きっと彼女らは岡村に同情できる要素がないんだろうな」くらいの想像は、まあできる。でも、けど女性の友人が多いわけじゃないから、日々の生活で女性への気遣いが必要になる機会も、世間の人に比べると相対的に少ない立場だと思う。その意味で、女性へのリスペクトは忘れないように心がけてるつもりだけれど、でも結局のところ本当にできてるかはわかりません。他人は自分の欠点をおいそれと指摘してくれないからです。岡村隆史の放送が示したのってそういうことでしょ? 人は黙って去って行くんですよ。
だから、今回の件は、「どのタイミングで自分が女性から批判されて、社会的制裁を受けることになるかわからない」という恐怖で、どうしても岡村に共感してしまうんですよ。
そして、もちろん、この件は女性にとって「自分がコロナ不況でいつ生活が困窮し、風俗で働くことになるかわからない」という恐怖の共感と反発の方がおそらく強く働くのだろうなと思います。これ、残念ながら男性には「我が事のように想像する」ことがなかなか難しい部分ではあるんです。なぜなら、「生活に困るから風俗で働く」というジェンダーイメージは女性だと根強いものの、男性だとそうではないから(純粋に男女のジェンダーで分けられない人のことは申し訳ないが一旦話から省きます。たとえば率直に思い浮かぶのはゲイ風俗ですがそれをこの件に絡めると「性嗜好の一致しない相手と性的行為をする」ということの問題が絡んで話がややこしくなるのでその方面の話は当事者に任せた)。
だから、この件って共感をベースに立場を決めてしまうと、おおよそきれいに男女の立場で反応がわかれてしまうという、絶妙な案件だと思うんですよね。これって伊藤詩織さんの件みたいに「加害者が反省もしていない案件」とは全然様相が異なる。なまじっか反省しているように見える人間をどこまで責め続けるか。
「このような価値観を許していたら自分たちがいつ貶められるかわからない」という女性側の怒りはよくわかる。でもその反対にいるのは、「このように糾弾されるのを許していたら、自分たちがいつどのタイミングで社会的に殺されるかわからない」という男性でもある。この間の溝を埋めるのは、並大抵のことじゃないだろうなぁと思いました。
書き手である増田本人は、少なくとも今回の件は岡村が悪いと思ってるし、「どっちの味方」につくかと問われたら共感ではなく倫理を優先して岡村を批判します。俺にとっての「他者を尊重する」とはそういう価値判断をしていくことだと思っています。他者の立場を想像して、他人に嫌な思いをさせない。そこには必ずしも共感は必要ではなく、共感しなくても他人を尊重していく。
ただ、そもそも「どっちの味方」かという話をしている時点で、溝を埋めることはできないんじゃねえかなぁ、と思うんです。どちら側の人に対しても。なんか、この手の踏み絵がものすごく増えている気がする。踏み絵の後に待ってるのは処刑じゃないですかね。どちらの側にとっても。みんな、処刑合戦したいんです?
岡村さんはかなり憔悴している感じがした
ヘビーリスナーです。
4月30日深夜のオールナイトニッポンで岡村君は
最初の40分間は申し訳ない気持ちで反省、謝罪の言葉を何度も繰り返し
大変落ち込んでいた。ダイジョブカ・・
その後、結婚を機にオールナイトニッポンを辞めていた矢部君が登場、
矢部君はやさしいな。2010年に岡村君の頭がパカーンしてしまったような
2010年にも岡村君がヤバい状態のとき「休め」と言ったのは矢部君
だったと聞いたきがする。
矢部君はまだ子どもも小さいだろうに深夜の1時からの番組に現れ、
ヘビーリスナーにとっては、ラジオ最後の「ワーワー言うております。お時間です。さようなら」
は懐かしい思いがしたであろう。
岡村君も年を取り、いつのまにかお笑い界でも、その発言が大きくとらえられてしまう
岡村君にとって、オールナイトニッポンはとっても重要な場所なのだろう。
高校の同級生の話や正月に実家に帰ったときの話がよく出てくる。
普段であれば気を付けてトークしていたと思うが、コロナの影響で
よく反省してもらいたいが、
ラジオは続けてほしい。
岡村は毎年女変えるくらいにはモテるし高級車も複数所有できるくらい金も稼いでる勝ち組だぞ。
ADにコーヒー淹れてもらってもありがとうすら言わなかったり相方の矢部にも人目のある所でしかごめんと謝らないから改めろって言われただけ
ADがコーヒー淹れてくれても「ありがとう」すら言わなかったり
相方の矢部にも人の目がある本番以外でごめんって謝ったことが無いくらいだし
そんなんじゃ人間関係続かんよ
ADがコーヒー淹れてくれても「ありがとう」すら言わなかったり
相方の矢部にも人の目がある本番以外でごめんって謝ったことが無いくらいだし
そんなんじゃ人間関係続かんよ
(1999)加藤あい
(1999)葉月里緒奈
(2001)酒井若菜
(2004)新山千春(「1回くらい抱いたかも。覚えてない。墓場まで持ってく」)
(2005)熊田曜子
自分もモテた試しはないがそこまで女に執着したことがないので、女に逆恨みする形で「俺を選ばない女が悪い」となる人の気持ちがわからなかったのだが
先日、岡村隆史氏が指摘されていた
という一連の流れを「この人とは友達になりたくないな…」と増田の文章を読んでいて思い出した。
熟年離婚で奥さんに逃げられた高齢男性と接していると、とても独り善がりな上にカーストを前提とした価値観で人と接しようとするせいで
人から煙たがられて避けられる…というパターンで孤立を深めていくのをよく見る。
実際には男性の役割を降りていない増田の文章からも「女(他者)は俺に●●するのが当然であり、俺の意のままに従わない奴が悪い!」という思考が見える。
とにかく私が男性の役割を降りて障害者になったことで良くなったことは何もない。収入が増える見込みはないし。世の女性たちが求めているのは強い男性だ。男性社会で勝てる男が求められている。
また、「年収の低さ」と「男性の役割を降りたかどうか」は無関係であることの証左になっているように思うのだが、
もう少し他者が自由に生きることに寛容になった方が周囲と折り合いを付けやすくなるんじゃないだろうか。
もちろん、岡村氏や増田が死ぬまで今のままでいることを止める権限は俺にはないし、
2020.04.30 ナインティナイン 岡村隆史のオールナイトニッポン 【ゲスト:矢部浩之】
https://www.youtube.com/watch?v=GJQEpov0G7Y
賛否両論あれど、矢部は説得力をもたせつつ岡村の人格を否定していく。
ただ、途中で岡村は矢部の説教に耐えられなくなったのだろうか。
とりあえず目の前の矢部に謝罪をして、彼の言葉を全肯定する機械に成り果てていく。
その最たるものが、矢部が「自分が変われた事例」を出して、「だから岡村も変われるし、変わらなければならない」という主張をするくだり。
https://youtu.be/GJQEpov0G7Y?t=3273
矢部は幼い頃から、人脈の広い兄のおかげで、どこへ行っても可愛がられる。
なぜなら、幼少の頃から、自分から人の輪に入っていく必要がなかったから。
ある日、そんな矢部を岡村が真剣に矢部を叱る。「お前!性格変えろ!」と。
・・・これ自体は良い話であり、矢部も説教に感謝しているのだが、この話をされた岡村は「俺...そんなこと、どういうつもりで言ったか...」と、消え入りそうな声で釈明をしようとした。
https://youtu.be/GJQEpov0G7Y?t=3545
会社でノルマ未達成を詰められた社員が、とりあえず謝罪をすることでその場を逃れようとするのと同じ。
武富士の「全然足りねえじゃん」「申し訳ございません」の永久ループと同じ。
このモードに入ると「謝罪をする」という単純作業のみを行うようになり、他人の声や周りの状況は一切頭に入ってこない。
脳が拒絶しているから。
矢部が「岡村が良いことを言った話」をしているのに、それに対しても謝罪をしようとしていたのだ。
そして、謝罪も単純作業の一環として行われただけのものであり、たとえば癖で表出される舌打ちや悪態等と何ら変わりはない。
彼の謝罪は藤田孝典等が言う以上に「形だけのもの」であり、彼は今後も変われないし、反省もしていないだろう。
その前にとくとくと説教されるんだよ。「説教」って言葉分かってんの?
はいはい、と返事して答えても「返事ばかりで分かってるの?」だし、
どんなに理解を示そうとも「分かってないから」うんぬんと言われるし、
どんな答え方をしようと逃げてると捉えられるんだよ。だって説教するやつは追い詰めるんだから。
「分かりました」が本当は分かってないだろと詰められるんなら、いま分かったことを強調して「そうだったんですね。今ようやく理解しました」だろ
説教するやつは、そんなの言ったって「わかったふりすんな」っつーんだよ。
結局、説教するやつは相手をダメ人間と決めて掛かってるわけ。端っから見下してんの。
岡村は、あの発言だけを反省させられるべきなのに、矢部は岡村の人間性そのものを否定した。
俺はそれに絶望したよ。
コンビ愛だかなんだか知らないが、いいように解釈できさえすれば許されると思ってる。
怒るのはその人の為を思ってるからだとかなんだとか、起こる理由を正当化できれば、どんなに人間を追い詰めてもいいと思ってる。
怒られる側が実際にどんなに心痛だろうと、愛されてるわけだから我慢しろと、そういうわけだ。
親が子供に叱るのなら話はわかる。子供は未熟だという常識があるのだから。
成熟してなければならんのにお前は未熟者だと、大人として失格だと烙印を押されるのだ。
少数だけど、岡村を心配している人はいる。自分自身で自分自身を責め過ぎて鬱病になってしまうのではないか、最悪自殺するんじゃないかと。
でも、たとえそうなっても、矢部を責める人はいまい。だって岡村を思って説教したんだから矢部は悪くないと言われるに決まっているからだ。
オールナイトニッポンでのナイナイやべっちの公開説教、いろいろ考えたけど、
やっぱり矢部さんの「あんたも結婚しろ」「結婚してない(責任負ってない)から今回みたいたことを起こした」って、
岡村さんの発言に問題があったのは確かだが、それを説教するからといって、セクハラが許される訳がない。
・親しい間柄で、相手のことを思いやった上での発言だったとしても当然セクハラは成立する
・自分の経験をベースにしたアドバイス(のつもり)であったとしてもセクハラは成立する
・個人から個人への会話だったとしてもセクハラは成立する。だから「矢部さんが岡村さんに対して言ったことだから外野はとやかく言えない」は的外れ
矢部さんの結婚関連の説教をテキストに起こして、発言者を例えば「会社の上司から部下」とかにして、それでも許されるならセーフ。
(コンビ間に上下はなかったとしても、今回「迷惑をかけた側」として明らかに岡村さんの立場が下だった)
それで許されないならやっぱりアウト。
というわけで、ナインティナイン矢部さんは今週のオールナイトニッポンにもう一度出演して謝罪してください。
いまさら岡村の謝罪ラジオを聞いた。発言の問題点や公開説教の是非について色んな意見をネットで読んだけど、全然言及されてない「本田翼を口説くコントを拒否すんな、ダサい」「20歳の女優と岡村がデートするなんて真骨頂やん」という部分が自分はかなり疑問に思った。
矢部が結婚や恋愛を勧めたことへの批判もあるけど、相手を一人の人間として尊重してしっかり向き合え、そのためには今まで怖がって避けてきた彼女を作るのがひとつの手段だ、というのはアドバイスとしてはまぁ頷ける。ただ、それはあくまでプライベートな部分であって、タレントとしてテレビでどのように振る舞うかということとはまた別だと思う。
岡村が過去の交際相手とのセックス体験やアプローチしてきた女性タレントの裏切等のトラウマから女性不信になったというのは、熱心なリスナーではない自分でも、テレビで見聞きしてきた。「合法的にセックスする相手(恋人、結婚相手)がいないから風俗に行って性処理する」トークを自虐としてできても、モテないキャラ、恋愛下手キャラとして拙い口説き文句やぎこちないデート姿をカメラの前に晒すのに抵抗があるのは仕方ないことではないか。
そうした小さなプライドが積み重なった結果がいまの岡村をこじらせ、がんじがらめにさせてると思うけど、「笑われる/笑わせるにこだわるな」「モテないおっさんキャラを受け入れろ」「偉くなったからってスタッフに求められる役割を放棄するな」という発言は聞いていてかなり辛かった。「既婚者のノブよりも独身の岡村がやる方が滑稽で面白い」というのもお笑いのセオリーとしては理解はできるけど、本人が触れられたくない恋愛絡みの演出を拒否する権利はあるだろう。共演NG、家族の話NG、バンジーNG、辛いものNG……というタレントだっていくらでもいるだろうに。
そこを打破することで景色が変わる、一皮むける、という言い分もわかるけど、みんなが見たいタレント岡村を押し付けず、本人が折り合いつけられる部分を見つけてまた笑わせてほしい。
タイトル通り。
無理というか絶対やらない方がいい。
あのラジオでの発言はやばいしこれだけ炎上してれば降板もやむなしだろうと思う。
別番組の降板署名も、事の重大さを知るべきという意味ではわかる。(賛同するかはともかく)
これは分かる。
岡村隆史にも学んで欲しい。
これもわかる。
が、これをくっつけるとどうにも悪い方向に転がる気がしてならない。
テレビのニュースでフェミニズムや女性差別が取り上げられる事も増えてきたが芸人さんはまぁ茶化す茶化す。
どっかで笑いを取らないといけない職業だからしゃーない部分もあるのかもしれないが何故そこで?
芸人さんにとってフェミニズムはイジっていいという認識なんだろう。
その上岡村さんは矢部さんが指摘してた様にコンプレックスから女性を敵視してる。
それで番組作っても絶対番組内で要らんことを言う。どれだけ真摯に訴えても聞いてるポーズだけ。また炎上して終わりになるんじゃないか。
そもそも署名始めた方の発言によれば岡村隆史起用の理由は彼の影響力を利用したい為だと。しかも岡村隆史の学びについては期待してないと。だとしたら人を選んでくれ。影響力はあるけど絶対炎上案件になる。差別を受けた人が傷つく発言が出てくる。学ぶ気ない人に教える映像流してそれは誰に向けた番組なんだ。
はっきりいって、もうね、100対0、1回コールド勝ち、相撲なら1.0秒押し出しのレベルで、完膚なきまでに岡村は負け。
矢部が致命的と表現したように、どっからどう考えても岡村はダメな発言したんですよ。
個人的にも、全く賛成というか擁護のしようのない発言だとは思う。
でも、「降板」を求める署名ってのはやり過ぎで、吐くような嫌悪感がある。
その間に、上げた拳、相手を殴った拳の始末が分らなくなくなっちゃったんだろう。
相手の人間性が見えてない状態、「女性を物としてみてきた旧弊」という抽象的な物を攻撃してたつもりが、
「コンプレックス満載で、コミュ障で、人間関係を築けない48歳のおっさん」という「個人の顔」が見えてきて、
攻撃してる方が戸惑ってしまったのだと思う。だから「降板」は求めるが「追放は求めない」とか支離滅裂になってきた。
人を刺して血が流れたのを見て、初めて相手が人だったと分って戸惑う少年犯罪っぽさがある。
初めて、「抗議した相手は抽象的な悪の象徴でなく、人格ある具体的な人間だった」と気づいた。
しかし「降板を求める!」と思いっきり殴ってしまった。自分の行動の整合性をつけられない混乱が見て取れる。
岡村を思いっきり批判していた活動家が「岡村の混乱が分った」というが、混乱してるのはお互い様だろう。
今回の件、簡単に言うと、「喧嘩慣れしてないやつは加減が分らない」というやつだ。
岡村批判派は、どっからどう考えても勝てる正当性という武器を持ってる。岡村の敗北は確定してる。
丸腰の相手に正義という超有力な包丁を持ったうえで喧嘩に臨んでる。
で、その武器を加減せずに使ったら、返り血浴びて、相手が意識を失ったのを見て、我に返って自分のしたことに気づいた状態。
喧嘩慣れしてる人間なら、自分が強い武器を持ってる時ほど、その扱いに気を付ける。
相手に重傷負わせて返り血浴びるようなとこまで、相手のことを傷つけない。
だけど、一発目から致命傷の刺し傷与えちゃうのが、そもそも喧嘩慣れしてない弱者。
法医学者によると、遺体に40箇所メッタ刺しみたいなとき、犯人は凶悪な犯罪者ではなく、むしろ、弱者。
相手が反撃能力を失ったのに、メッタ刺しでダメージを与え続けるのは、
攻撃を辞めたら反撃されるという潜在恐怖が抜けていない。
喧嘩慣れしてる人間は、必要以上のダメージを与えず、最低限で仕留める。
岡村の謝罪を受けても、意固地になって署名を集め続ける若い人達の行動は、
返り血を浴びて、相手が人間だと言うことを認識したが、今の攻撃を止める勇気も無く、
また、反撃への怖さから、メッタ刺しをし続ける、喧嘩慣れしてない少年のように見える。
反撃できない相手にメッタ刺しをし続ける、そのやり過ぎた残酷さから、周囲が引いているのも気づかずに。
攻撃を止めたら負けと頑なに信じて、強迫観念で、相手を攻撃し続ける。
それが、若さというのかもしれないけど。
私は、そこに、嫌悪を感じる。
同じ考えを持っているという意味じゃない。
私はそこそこはその辺のリテラシーは多少はある方だ。
その、性差別やら貧困搾取ということではなくて、何か失敗をやらかした時に、自身がその失敗を認めざるを得ない状況で、自分を責める以外に方法がない時、あの辛さはほんとに逃げたくなる。
ところが、批判者は逃げるのを許さない。問題と向き合え、駄目な自分と向き合え、反省しろ、自分を変えろ、と責め立てる。
お前は甘えているんだ、何様だと思っているんだ、しっかり考えろ……。
「はい、はい、仰るとおりです。申し訳ございません。二度といたしません。すみません。私が悪かったと思います……」
でも、それでも「お前は分かっていない」と見られ、言われるものだから、言われていることをわかろうとし、必死で考えて、「そうかも知れないですね」と捻り出した返事を、「かも知れないじゃないだろ?」とさらに怒られる。
分かってないから、「かも知れない」と分かってないことを吐露しているのに、分かってないことを責め立てられる。
それで、「分かりました」とでも言おうものなら、「嘘を付くな! 分かってたらそんな事をするはずはないだろ!」とこれまた責め立てられる。
こうして道を塞がれ、退路を断たれ、責め立てられることを許容し、ボコボコにされなければならなくなる。
自分が悪かった、ということを認めよ、というのはこういう構図なのである。そして、これを延々と「あの時お前は悪いと認めたであろう」と十字架まで背負わされるのだ。
私は社会でいろいろな人に怒られたし、こうした体験を何度も繰り返してきた。
その度に謝罪し反省し、それでもなお、色んな人からガンガン怒られる。
多分そんな人は珍しいどころか、そんなダメ人間は世界に私くらいしかいないような気にもなる。
それでも死んじゃ駄目だ、挫けちゃ駄目だと何とか踏ん張って生きている。
逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ……
その繰り返しは今もなお続いている
本人が自覚できないなら第三者が誘導するのは別に普通の事だと思うけどね。
それに矢部曰く、岡村はパフォーマンスとしてしか謝れないらしいから、
(芸人としてはともかく)