はてなキーワード: 現代医学とは
増田はカテゴリー的には「健康な若者」だ。高齢でもなければ基礎疾患があるわけでもない。医療職でもない。
従ってワクチン接種の優先度は最底辺。何ヶ月も先だろうと思ってた。
ところが職場接種の対象者になった自分は、ある日突然予約の権利を得ることになった。
結果として60代の両親よりも先に打てることになってしまったのである。そしてそれが明日だ。
自分は都内に行ったり、秋口にどうしても遠出しなければならない用事を控えていた事もあり、この突然のワクチン接種チャンスの到来は朗報中の朗報だった。
普通に自治体のものを待っていたら、秋口の遠出には少なくとも”2回目の接種後、2週間”状態に持ち込むのには間に合わないだろう。
ただ一つ心配があるとしたら、タイトルにある通り母親が反ワクチンであるという事である。普段から西洋医学や政府への不信感が強いタイプだった。
簡単に言うと、病院から貰う薬より疑似科学的な民間療法の方が効いていると確実に信じてるような人である。それでいて陰謀論者である。
流石にワクチンを打つことで5Gに接続するとは思っていないらしいが、ワクチン・5Gそれぞれの普及は政府の恐ろしい陰謀だと思っているようである。
お陰様で、子供の頃は病院にかからせてもらえなかったりもした。特に西洋医学的な薬は飲んではいけないと言われ、飲むことが出来たのは漢方だけだった。
漢方は体質改善には向いているが、今日出ている熱が1時間後に下がるようなものではない。用途が違うからだ。長く苦しい思いをした。
そういうようなことが色々あったが、古い家の跡継ぎとして生まれた自分には「毒親からは離れろ」という選択肢はなかった。
母親と物理的な決別が出来なかったから、精神的な距離を保ち続けた。生活に必要な最低限の話以外はしなかった。ここ数年雑談というものをした記憶はないし、応じる気もなかった。
自分とて、現代医学を100%信用している訳ではない。それでも現在の状況を見て総合的に打つべきだと判断しただけである。
「ワクチンを打ちに行けるようになった」と父に話すと、良かったこれで少しだけ安心だな、と笑ってくれた。
それを聞いていたのか父伝いに話が言ったのか知らないが、母親は自分がワクチンを打ちに行くことを知っていたらしい。
ある日静かに聞いてきた。確かに母親は前にワクチン打つのなんて……と自分に言ったかもしれない。
自分は無視をした。答えはYESしかないし、会話に乗ったら交渉か糾弾のどちらかが始まってしまうと思ったからだ。
私たちは30代夫と20代妻、身体面では至って健康な夫婦である。
おそらく妊娠は可能だが、結婚当初からあえてピルでの避妊を選択しはや3年余りが過ぎた。
子なしの理由は様々だが、一番の理由はお互いそもそも子供を欲しいと思っていない点が大きい。
特に私(妻側です)の「産みたくない欲」は凄まじく、とにかく産みたくないったら産みたくない。
思えば子供時代からおままごとやお母さんごっこが苦手で、与えられる赤ちゃん型のお人形にはあまり興味を抱かない幼児であった。
おままごとに参加するにしても、常に赤ちゃん役やペット役に徹し、親側の視点には立たないよう心がけていたように思う。
その当時私の家庭事情が複雑で親が暴力により離婚していたこともあり世間一般よりも2〜6歳頃の記憶が濃く、なにせ友達におままごとに誘われると嫌な気持ちになっていたことをよく覚えている。
将来の夢に「お母さん」「お嫁さん」と書ける人間の気が知れなかったし、中学生になった頃にはもしも大人になって結婚したら子供は持たないでおこうと決めていた。
現代医学を持ってしても十月十日自分の子宮に子を宿し内蔵や骨の位置をグチャグチャと変えられながら育てないといけない時点でもう嫌だし、自分の身体を交通事故と同等レベルまで痛めつけないと出産ができない時点で本当に嫌だ。
その後も地獄のような育児が始まり、一秒でも目を離すとすぐ死ににいく生き物を自己責任で最低20歳まで生かさなければならないのも負担が重すぎるし、何より我が子の愛着の形成に全くと言って自信がない。
子に唯一無二の自己肯定感を与えられる教育育児など私にできるはずもない。
おかげで、二人で慎ましく暮らす分には夫の給料だけで十分食べていけるところを、私も自由にフルタイムで働きに行きそれなりの世帯年収でそれなりに二人してドンチャカ遊びながら暮らせている。
「なんで子供いらないのに結婚したの?」とよく聞かれるが、これは「大切な人が危篤になったり亡くなったとき、自分が一番側にいてあげたいから」に尽きる。これが我が国の婚姻制度における一番のメリットなのではなかろうかと思うのだけど、この話をすると既婚の方にさえ「へえ、確かに!そんなの考えたことなかった!」みたいなことを言われるのでこっちがびっくりしてしまう事が多い。
またよく言われること繋がりの話だと、私がまだ20代前半であるため「これから気持ちも変わるよ〜子供欲しくなるよ〜」という言葉をよく頂くことが多いのだが、少なくとも6歳前後から今まで「私、お母さんになりたい!」と思った瞬間が一秒たりとも存在しなかった私が果たして本当に母になる自分を許容できるのかと言われると正直怪しい。
おそらく我が家は生涯子なしのまま、数千年前より長らく続いた命のバトンを我々夫婦で終わらせることになるのだろう。
辛いのは、不妊疑惑をかけられ腫れ物扱いされることぐらい。何度選択子なしだと話してもこればっかりは理解されづらいらしい。仕方ない。
他人の子供は可愛いし知り合いの出産は素直に喜べるので、本音を言えば気を遣わず教えてほしい。
逆に言うと不満はそれくらいのもので、今の生活はとてもとても幸せだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200824123957
思想や行動が合わなくて友人関係を見直すというのは一般的なことなので
けどさ、いつも思ってるけどさ、ヴィーガニズムの話題になった途端に「思想の押し付けは良くない」ってコメントするブクマカ多すぎない?
普段みんなフェミニズムとか表現の自由とかの時は「私と同じ思想になってほしい」みたいな風にでコメントしてるじゃん
友だちがワクチン接種推進動画を拡散!押し付けだ!もう友だちやめる!とか増田に書いた日にはブコメでボコボコにされて魚拓まで取られるじゃん
ねえなんでヴィーガニズムの話題だとスッと冷静に「やっぱり押し付けはダメだよね」みたいな顔になるの?(一応、私は全部肯定してます)
そんなのとヴィーガニズム/表現の自由/現代医学を一緒にするな、っていうかもしれないけど、
前提としてヴィーガニズムは現代倫理学でも肯定的に扱われているし、一部ブコメのようなちゃちい反論もどきでは到底崩せるようなものではない、
というのは倫理学をちょっとでも勉強したことがある人なら知っているはず
少なくともヴィーガニズムは疑似科学やカルトのような、現代的な倫理観や科学的知見に反する非論理的なトンデモさんではないのですよ
もちろん、学術的に確立されてる思想なら押し付けて良い、ということには必ずしもならないけど
繰り返すけど、押し付けだと思ったから友人関係を見直す、というのは理解できる
けど、みんなヴィーガンの「私と同じ思想になってほしい」にだけ異様に厳しくない?なんなの?食べ物の恨みは恐ろしいってやつなの?
あとさ、食べ物の恨みならしょうがないとしてもさ、せめて「肉を食べないと怒りっぽくなる」とか「ヴィーガンはカルト」とかみたいなデマを流すのは止めない?
答え1「障碍者の自殺を社会的に認めることは、社会に対する衝撃or圧力or影響力が大きいため賛成しない」
→ ×
個人は社会に対して良い効果を及ぼさねばならない、植松と根本的な思考が同じではないか?
採用すべきでないし、採用しないし、無自覚で言っているやつはダメだと思う。
答え2「自殺というのは多くの場合判断力が無いほど鬱な人が選ぶのだから、自由意志での安楽死選択を認めることはできない」
→ △
これかなと当初考えたが、今回自殺した人が"安楽死・尊厳死を考えていますがどうすればいいですか"的な相談の手紙を出していたらしいので、前提が崩れてしまった。今回のケースに関しては、年単位で自由意志を有し続けていなかったので、安楽死希望は必ずしも本段意志でなかった……と規定するのは無理がありそうだ。
答え3「たとえ難病でも他人の手を頼らないで自殺することができたはずで、安楽死・尊厳死をしてもらおう、楽をしよう考えたのが間違いだ。捕まった医師くずれも同じ意味で楽をしていて、説得するとかそもそも治すとかいう困難な道を安易に避けている」
→ ○(?)
しかしそもそもの困難な問題を単に迂回しているだけのような気がする。
>>1978年、アメリカデトロイトにあるサイナイ病院外科研究所に留学、1981年に帰国後、栃木県済生会宇都宮病院、茨城県那珂郡東海村の国立療養所晴嵐荘病院、慶應義塾大学病院などに勤務。慶應大学病院では心臓外科医として
>>石原裕次郎の手術チームの一員でもあった[3]。
>>臨床医として癌などの死病の患者と接するうちに、現代医学や科学が乗り越えられない「死」に対して深く考えるようになる[4][5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E9%83%81%E5%A4%AB_(%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99)
林郁夫
治ったと思って放置していたらまたあの忌々しいプツプツが手のひらと指先に出てきて正直本当にムカついている。俺自身にも菌にもだ。
みんなも自分がかかったときは気を付けてほしい。水虫との戦いは蛮族か戦国武将の精神をおろしてカビの女子供まで根絶やしにするつもりでないとダメらしい。
俺の水虫は手のひらや手の指にも出るタイプで、皮に水泡が生じてかゆみもなくむけた後、同じことがそのまんま、その下の皮にも起きてどんどん地層がえぐられていく。
治ったときは(治ってなかったわけだが)殺真菌クリームに喝采を送った。ざまあみろカビ野郎。二度と俺に逆らうな、わかったかクソが。
あの憎たらしいプツプツと再見したときはゾッとした。怒りよりも恐怖が最初に来た。あの有名な蓮コラが何故人々の恐怖をかき立てるのかはじめて心の底から理解した。俺の体が何か得体の知れないものに侵食されて食い荒らされている。
これでICUとか人工呼吸器セットとかにありつけると思うのだが、どうよ?
・救急車を呼んで、「ものすごく呼吸が苦しい」などといった旨を伝える。
・救急科に搬送してくれる。少なくとも現場レベルでは、重症を訴える患者を見殺しにすることは恐らくできないはず。
数回救急車に乗った経験では、消防も病院も怠慢は絶対にしない。
よく知らないけど、もしそんなことしたら万が一死んじゃったとかの場合、刑事でも民事でも行政でも処分される。
・普通の救急科医はどちらかというと血ダルマの交通事故被害者とか黒コゲの焼死体寸前の人間の相手などが専門だろうから(勝手な想像)、必ずしも呼吸器科のプロとは限らない。
・検査をして肺に異常が無かった場合でも、現代の検査では呼吸器官に異常が見つからなかったというだけで、未知の症状・病気という可能性だってあるのだし、
重度の風邪かインフルか肺炎か結核か別の何かか分からないし、最悪タバコの吸い過ぎで風邪が悪化したかもしれないとでも言えばいい
体にも倫理的にもよくないが、飲酒運転や殺人と違って、風邪引いた状態で喫煙とかしたからといって違法ではない
ましてそれで救急車を呼ぶ羽目になっても(ただしイタズラ電話とかは明確に違法だったと思う)
・痛みとか苦しみといった主観的な症状は現代医学でも客観的に測定しかねる場合が多々あるので(例:幻肢痛)、詐病とか悪質な嘘にならない範囲で、逆手にとって大いに主張する
・本当に新型肺炎の重症の場合でも、結核みたいなレアケースでも、上記のようなタダの不摂生による重症でも、毎月月給から大量に搾り取られられている税金や社会保険料による公共サービスを正当に行使しただけである
・命に関わるような大病でなくても、死ぬかと思うような激痛を伴う病気も普通に存在するし(1敗)、自覚症状が無くても即死寸前の重病という場合もあるので(1敗)、そういう判断は専門の検査とか医者が必要になるんだから、遠慮なく呼ぼう
「20XX年、人類は未知の病に冒された」で始まる謎の感染症と戦う医師の物語とか、大気すらウイルスに汚染された世界で感染症という敵に立ち向かう医師や政治家を目指す少年少女の物語とか、ゾンビをウイルス感染者に置き換えたホラーとか、医師が異世界に転生して現代医学で異世界を蝕む危険な感染症と戦う物語とか、異世界から医師が現代社会に転生して現代社会にない方法で感染症と戦う物語とか、ウイルスに感染して超人的な力を得た能力者ものとか、ウイルスに冒された国家が世界征服を企てて連合国と戦争になる物語とか、ウイルスが擬人化されて現代社会でバイトとして働く物語とか、そんな感じで。
人の隣に常に感染症が存在して毎年多くの人が死んでいくのがこれからの世の中だから、物語もそういう世相に影響を受けると思う。
Wikipedeaによると、ここ100年くらいの間にスペイン風邪から数えて6回のパンデミックがあったそうな。
スペイン風邪、アジア風邪、エルトールコレラ、香港風邪、A(H1N1)pmd09(新型インフルエンザ)、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)
かつての感染症と違って、現代の感染症のほうが現代医学で制御できると思ったりもした。しかし、制御できるどころか、現代医学の発達以上にヒトの移動の激しさと、都市の人口密度によってかつてない速度で世界中に広まっている。
今回のCOVID-19が単年で終わったとしても、数十年に一度は違う感染症でパンデミック騒ぎはあるのだと思う。そして、COVID-19が単年で終わることもないように思う。
けっこうな対策費を計上するわけだが、来年も再来年もその額を出すのは不可能だろう。
今年制御出来なかったら、来年、再来年はもっと悲惨なのだ。日本も中国のようにヒト、モノ、カネを躊躇なく使うべきだと思うのだが、まあそれはいい。
人口が多い都市の閉鎖が毎年のように起こったら、都市で生活することをリスクと感じ地方を好む人も増えるだろう。
お金があっても、タワマンより、戸建ての豪邸に住みたくもなるだろう。
そういうわけで、東京大阪から地方都市へ、地方都市から地方の小さな市町村へ、人口が流入すると思う。
地方に仕事がないとそんなことは起きえないと思うかもしれないが、地方に仕事も増える。
こうも簡単に予測不能に工場が止まると、大きな工場を一か所建てて全世界へ出荷するというのも難しくなる。必然的に、工場の数は増える。
今よりもっともっと、部品や材料の供給元の数は増やされ、世界中の中小の町工場も潤う。
小売りだって、イオンのような大型店の一人勝ちじゃなくなる。感染症が蔓延していて、一人の感染者が出ると、二桁三桁の濃厚接触者が出るような大型店は営業がままならない。
人は生きているのだから、生きてる限りなにかしらの消費はする。そのための生産活動がある。腹が減ったら飯を食うし、機械が壊れたら買い替える。経済活動がなくなるわけじゃない。
これのパクリ。
例えば俺は愛着を持っている人物以外に何をされようが気にしない。罵倒されようが邪魔をされようが気にしないし気にならない。
周囲からは「あんなことされて何故怒らないのかっ!?」と何故か周囲の方が怒っていることがあるくらい興味のない相手には本当に興味がない。
そこに居ようが居まいが興味のない相手に持つ印象は「無」である。
逆にこの特性によって周囲から激しく叱られることがよくある。意識はしていないが興味のない人物への対応が事務的すぎるらしいのだ。
俺にとっては興味のない相手との会話を最短で済まし興味のあることへ集中したいので最短のやり取りで済ますようにしているだけなのだが、これは時と場合によってあまり良くない対応らしい。
興味のない相手が喚こうが死のうがどうでも良いではないか。俺と俺が愛着を持っている者たちに何ら負担はないのだから。
リアルタイムでアフリカの子供たちが死んでいるらしい情報を得てもどうでも良いではないか。それと同じだ。興味はない。
中年に差し掛かりようやく社会が持つ常識とやらの線引きが何となく把握できるようになってきたが俺が非常識であることは変わらない。
これも主体的な部分は「興味」という要素へ尽きるのだが、興味のないことへ対して最短で済まそうと動くと社会の一般常識とやらに抵触することが頻繁にあるのだ。
勘違いしないで貰いたいのは基本的に俺は法律を守る。法律を無視した行動をあまり取らないというのは知ってもらいたい。
悪法も法というのは正にその通りだと考えており法律は守るべきで、例えば人を殺してはならないのは法律にそう記されているからだ。
興味はない相手が喚こうが死のうがどうでも良いので、自身の障害になるのなら殺してしまえば良いとは思うのだが法律では殺人を禁じているので実行しない。
興味のない相手を殺すと自分が損するというのはおかしな話だが、損はしたくないので殺さない。
これは子供の頃からそうだった。興味は無いがやらなければならないことを最短で済ますと親や教師から叱られたり同級生と喧嘩になったりするのだ。
こういう経験から俺はルールの大切さを学んだ。自分が損しないためルールを破ると更に自分が損をすることを知った。
それらルール(=常識)を把握するのに中年まで掛かってしまったが檻の中に居ないことを考えると運が良かったのだろう。
これは現代医学も認めている。
障害認定を受ける際に脳波やら何やらを取ったが脳の構造が普通と違うらしい。専門ではないし興味もないので詳しくはない。
そんな俺がどんな仕事をしているかと言えば、同じく障害者認定を受けている者たちと一緒に仕事をしている。
生来コンピュータには興味があったので同僚の障害者が使うソフトウェアを開発している。いわゆる社内SEだ。
ほぼ1人で開発しているため誰か他人と協調することがあまり無い上に、コンピュータのルールを守れば自分がやりたいように開発できるので性に合っている。
面倒なことと言えば、他の障害者が使うソフトウェアなので他の障害者の意見を聞くことや、稀に暴れる同僚の障害者を抑えつけなければならないことくらいか。手っ取り早く殴ると上司から怒られてしまうので加減しながら抑えなければならない。
1つ想定していないだろうことを指摘するなら「異常者も学習・成長する」という点だろう。
俺が「普通の人」に上手く擬態できているのかは俺の主観だとどこまで行っても正確な客観視ができないので不明だが、異常者は学習・成長して普通の人へ擬態できるようになってくる。
問題を起こす頻度が年1回くらいになったのが中年に入ったか入らないかくらいだったので、この時点で俺は自分で擬態がそこそこ上手くできるようになったと考えているが、上手く擬態しないと損するのは自分だぞとアドバイスをしたい。
例えば京アニの放火犯もあの年齢まで擬態していたのだろうし、擬態をやめたからこそ放火したのだ。放火することが捕まるよりも損しないと判断したのだろう。
そうだ意外かも知れないが俺は結婚している。
結婚してくれた人は上手く俺の興味を把握し、興味のない部分を担当してくれる人だ。
子供も居る。作ろうとして作った子で俺の中では愛情を注いでいるつもりだ(客観的にはどうなのかわからないが周囲から怒られてはないので大丈夫だろう)。
目下の悩みは俺の悪い部分を継承していないか?であり、おかしな学習・成長をして大人となり逮捕されたりしてしまわないかだ。
妻と子供を作る前段階で「もしこれから作る子が将来的に殺人を犯した際は俺はこの子を殺す」という約束をしてある。妻は了承して子を成した。
最悪、何人も殺すことになりそうなので子供は1人だ。
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。