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2024-02-20

勝ち組だとか、負け組だとか・・・

勝ちたいだとか、負けたくないだとか、あいつは成功しただとか、失敗しただとか。勝ち組だとか、負け組だとか、そういった話題を目にするたびに心底思う。

・・・くだらない」

最近はもう少し穏当に

自分とは住む世界も見えてる世界も違うのだから、どうでもいい」

というくらいには受け止められるようになってきた。

僕にとって、「勝ち/負け」はほんとうにどうでもいい。「勝つための努力」とか「勝つための駆け引き」とか「勝つためのハック」とか、そういった類のことが自分人生に割り込んでくるたびに「頼むから、そっとしておいてくれ」と、そう思う。

これは「勝ってまで欲しいものがないからだ」とか、そういった話ではない。僕にとっては、そもそもゲームが違うのだ。

僕は、大事選択肢が目の前にある時、「結果、そのどちらに転んでも、それでよかったと受け止められる」ように努力する。そのために、環境を整えて、選択肢吟味して、自分過去を振り返り、将来に思いをはせて、最終的に納得するように環境自分の心の持ちようを仕向ける。ここに「勝った」も「負けた」も介入する余地がない。

高校の進路決めのときもそうだった。

僕は中学生の頃に憧れた「留学生活」を実現するため、第1志望公立高校と、併願受験をする私立高校の双方に「留学」という目的が達成できるよう仕向けた。

大学受験の時はもっとひどかった。

僕は、いま通っている大学学部学科の1つだけを公募推薦受験した。落ちたら、さらに羽を伸ばしてバックパッカーにでもなろうと思っていた。受かったら、キャンパスライフという新しい世界を「さて、どんなもんか」と見てやろうと、そんなつもりだ。この時成し遂げたかたことは「環境の大きな変化」だったからだ。

このように、僕は大事な岐路が訪れるとき、常に「現状の分析を徹底し、自分が求めているものを徹底し、どう転んでもそれを受け入れられるように準備する」。そのための思考や、選択肢吟味は、きっと並大抵の人より努力してきたと思う。

僕にとって大事なのは「勝つか負けるか」ではない。「結果をどう受け止めるか」だ。

2022-03-04

指定校推薦は優れた入試制度である

指定校推薦使う人って小さい頃にDSポケモンチート使って心の底から楽しめてたタイプ人種

https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225

イフオ@anokoronomirai



先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。

結論タイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。

指定校推薦というのは、大学高校と生徒にとって三方好しである高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動社会教育活動ボランティアに精を出さねばならない。

大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合ほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。

私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。

これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合指定校推薦の優位性を説明する。

公募推薦スポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試学生よりも優れていると幣学では結論している。



指定校推薦の優位性① 優れた人格や行動傾向のある学生入学してもらえる

これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。

・評定平均が概ね4.5以上

 (推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能

学校行事リーダーとしての役割をこなせる

・人的交流の意欲や能力に優れ、多くの人と繋がることができる

特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ文化芸術学会芸能界その他での活躍

幣学は毎年、上記性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。

いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。

具体例をひとつ挙げる。

4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子新人だった時の話をする。

夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子レジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。

そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。

さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。

その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。

の子は、アジア風の男性から英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。

この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。

才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。

指定校推薦の話に戻る。

幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だってから手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。

ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準説明する。

人格素養

人間社会関係構築能力

自助努力

以上だ。

評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。

例えば、推薦入試募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。

なお、自己推薦制度採用する大学場合は、評定平均が足りないと学校からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。

パターン

高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」

大「出願は可能である合格保証するものでは当然ない」

パターン

高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」

大「協議して回答するので、出せる範囲資料いただきたい。出願できる可能性はある」



指定校推薦の優位性② 人間的に低劣な学生割合一般入試>推薦入試

どんな大学にも救いようのない学生はいものだ。箇条書きにしてみよう。

人間としての良識生きる力に乏しい者

‐①

講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間大学生になってはいけない。行動が大人レベルに達していない。社会進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。

‐②

学生一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークル部活動団体使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式処分を行うこととなった。

‐③

ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ときが偉そうに!」と文句を言った男子学生譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力である勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。

・明確な不法行為をする者

‐①

学外私生活トラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係からクレーム電話が年に10件以上はある。あの学生家族侮辱された、彼は替玉入試から調査しろあいつはコンビニ万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。

‐②

不埒行為目的とするサークル活動ゴシップ雑誌ニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会事件記憶に新しい。

現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。

事件後に行動を改めない場合は、解散処分の例がある。

ここでいったん、関連するトピックに逸れる。

京都教育大学集団強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明

https://wan.or.jp/article/show/2038

覚えている人もおられるだろう。

2009年2月京都教育大学体育会追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。

この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学活動の一環として行われる行事大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。

幣学でも、遠く離れた京都であったこ事件対岸の火事と見ず、リスクマネジメント観点から積極的議論を行い、事前事後の対応策を決めた。

当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。

それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意フォローを示さねばならない。

こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦指定校推薦帰国子女入試学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。

‐③

幣学には、はるか以前から、警護が付くレベル皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。

男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値人格関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。



推薦入試学生一般入試学生よりも優れている根拠

さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。

大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。

過去問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、

指定校推薦<その他入試制度帰国子女含)<一般入試スポーツ(一芸)推薦(※1)

という関係が成り立った。

この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生卒業追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、

指定校推薦>その他入試制度帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試

と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。

知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。

※1…一芸とは、AO入試スポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す

※2…国際公共機関やそれに準ずるNPO世界企業を5点、一般企業一般公務員は3点、フリーターや無業者所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。

ここからは【後述】の内容になる。女子学生写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。

ゼミ担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。

事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。

数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。

そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生からといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。

苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。

私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。

お目汚しを失礼した。

基本はロム専だが、どうしても一度、増田投稿してみたかった。

そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。

イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます

2021-02-26

anond:20210226013525

合理的ってのはそういう意味じゃないよ。

例えば、前提となる都立高校の現状として、

学校経営責任校長。例えば、入試倍率はそのまま評価対象となる。

・逆に、入試倍率が下がった学校は統廃合になる。

偏差値が50を切る学校の、中学3年生とその保護者対象とした学校説明会では、染髪禁止をはじめ生活指導についてかなり詳しく説明する。これはむしろ保護者学校に望んでいることに他ならない。

ここまでは入り口の話。出口すなわち進路について。

偏差値が50を切る学校では、進路が多様になる。概ね多い順に専門学校大学就職だろう。

大学進学と言っても9割がた総合型(旧AO)か指定校/公募推薦なので、ほとんど全員が志望理由書などの書類面接で進路が決まる。

・最も大事な点だが、大学企業担当者学校訪問をしたときの印象は、指定校の枠や求人に影響する。

最後地域

学校運営評議会という、地域代表や近隣の中学校の校長などから意見を伺う場がある。

地域住民からすれば、もし地元金髪ピアス高校生が溢れれば「学校指導が不十分」と映る。

合理的」といったのは、こうした底辺校をめぐる入学・進路・地域社会との繋がりといった構造が、高校染髪禁止を強いているという意味だ。

まして、地毛証明染髪禁止規定から除外するための措置なので、それ自体批判する奴は高校事情云々の問題関係なく、理解力のないただの馬鹿

2018-04-23

小中高一切家庭学習せずに関関同立に受かった男の話

突然ですが、皆さんには趣味や好きなものはありますか?

私は、現在関関同立に現役で通っている一年生です

関関同立とは、関西私立大学偏差値が55~65の大学頭文字をとったものです

関東で言うMARCHの少し下のレベルです

私は小学校のころから学校が好きではありませんでした

主な理由宿題です

授業で一度やっている内容なのに、なぜ家でまたそれをやらなければならないのか、という疑問があり、宿題をほぼやってきませんでした

夏休みの宿題をやったことはありません

常に先生から怒られ続けていました

小学校4年生になったころ、父親自分パソコンを買ってもらいました

「これから社会必要から」と父は言っていました

そのころからそれを使って動画をみたり、mixi黒歴史を作ったり、ニコ動臭いコメントをしたりしていました

そして、ある日、海外ゲームが目に留まりました

Minecraftです

今でこそ誰しもが知るようなゲームとなっていますが、当時は動画投稿界隈ぐらいでしか見かけず、友達にも知っている人はいませんでした

悪いことに、当時の私はそのゲームを割って(違法ダウンロードプレイしていました

ただ、その割るという行為自体簡単ではなく、数多の悪質な広告が渦巻く海外サイトに行き、正しいダウンロードリンクを探し、ダウンロードしなければなりません

そのせいでせっかくのパソコンウイルスにかかったりもしました

ただその中で英語動画を見て必死プレイしようとしていました

中学1年生になり、お小遣いをもらうようになってはじめに買ったものMinecraftでした

当時は今のようにコンビニカードを買ってコード入力すれば遊べるようになる、というものではなく

公式サイト英語表記で、Google翻訳を使ってようやく買うことができました

さて、正式版のMinecraftを手に入れた私はMODに手を出し始めました

ここで言うMODとは追加要素のことで、海外ゲームにはよくある自分ゲームの要素を書き換えたり、追加することができるものです

MODを入れるためには複雑な手順を踏まねばなりませんでした

解説サイトなどもありましたが、情報更新が早く、追いついていませんでした

新版のもので遊ぼうと思ったら英語で書かれた海外フォーラムを読まねばなりません

英語なんて中学でようやくまともに学び始めたものなのでまともに読めるわけがありません

それでも私は読み続けました、MODを入れて遊びたいがために

するとなんとなく意味理解できるようになってきたのです

単語ゲーム内に出てくるので知っていますから問題文法です

文法パターンである、とその時に理解しました

そこから英語に興味を持ち始めます

中学生になっても宿題嫌いは変わらず、3年生の時の担任にはその生活態度の悪さから伝説の男」と呼ばれていました

さらにその上授業態度も良くなく、ずっと友達と喋っていたので平常点は低かったです

3年生になって進路を決めなければならない時には「成績が低くて行ける高校ない」と言われ、高校選択肢はかなり狭かったです

私は英語に興味があったので英語を重点的に勉強できる学校に行きたかったのでいろいろ調べました

いくつかの学校オープンキャンパスに行き、「この学校いいな」となった高校があります

その高校通信制をメインとしており、週5日通コースも有るという少し変わった高校です

その高校に決めた理由は「授業の3分の2が英語の授業である」というところです

ちなみに偏差値は38です、あってないようなものでしたが

その高校通信制をメインにしている、ということもあり不登校いじめ経験者が多くいました

入学式が終わって数ヶ月経つ間にクラスの2割がやめていきました

そんな中私は純粋英語勉強したくてそこを志望していたので、変なやつという扱いではありました

私の宿題嫌いは高校生になっても一切変わりません

宿題基本的にやりません

家に帰ってすることは動画を見るか、ゲームをするか

その頃にはパソコンの扱いにも慣れ、様々なゲームで遊ぶようになり、その中にはもちろん海外のものも含まれていました

キャラクターたちは英語で喋り、チャット英語で行われています

私の中で、ゲームをやりたいか英語勉強し、ゲーム英語勉強する、という循環が生まれていました

高校入学時には300点だったTOEIC卒業時には810点となっていました



英語ができると受験において恐ろしく有利です

私立大学には公募推薦入試というものがあります

これはTOEIC〇〇点、や平常点平均〇〇点以上、といった足切りを設け、小論文面接で合否を決定する入試です

英語ができればこれで受験できる学校は多いですが、他の教科ではほぼありません

私達は偏差値の低さも相まって、普通受験など到底できません、英語以外の教科はほとんど勉強していませんでした

クラスで3人だけがセンター試験を受け、一般入試の道を選んでいます

そして私は関関同立のうちの一つの公募推薦入試を受けることにしました

幸いTOEICの点数だけはあったので応募資格は満たしています

書類だけの1次試験を通過し、いよいよ面接となります

面接では自分を一切偽らず、全て正直に話しました

英語勉強する理由を聞かれた際には「ゲームがしたかたから」と答えました

結果は合格、晴れて関関同立に現役で通うこととなったわけです



さて、ここまで長々と自分語りをしてきたわけですが、結局何を伝えたいか

それは「好きなことを武器にできれば無類の強さを誇る」ということです

私の場合ゲームでした

ゲームで遊ぶうちにいつの間にか英語が身についていました

勉強、という形こそとっていませんが、英語は結局身についたわけです

高校時代300から810までTOEICの点数を伸ばした訳ですが、特別勉強はしていません

ただ、海外Youtuber動画を見て、海外ゲームをやっていただけです

ただ、私の場合はその量が異常でした

中学時代からほぼ毎日学校から帰ってくるとすぐパソコンの前に座り、5~7時間ほどしてから眠りについていました

勉強せずともそれで身につきました

勉強している」という意識で机に向かい問題を解いたり単語を覚えたりするようなことは私はできません

「遊んでいる」という意識英語を聞き、動画を見ることなら何時間でもできました

趣味や好きなことはありますか?という冒頭の疑問に戻りますが、なにもこれはゲームに限った話ではありません

スポーツが好きなのであればその関連の情報はたくさん目にすると思います

〇〇選手が大活躍!✕✕選手骨折!といった情報はそこら中にありますが、海外選手情報英語のまま見たことはありますか?

海外拠点とするものはもちろん海外のほうが情報は早いです

もちろん翻訳されたりもしますが、されないものも多く、されていたとしてもそれには「翻訳された」というノイズが入るので必ず正確、という訳ではないのです

情報の速度と正確性を求めるなら英語をそのまま取り入れるほうが格段に良いです



私が関関同立合格した一番の理由、それは

自分の好きなことのために貪欲であった」からです

2017-10-26

夢を捨てたわたし反省

本当は後悔文だけど、敢えて反省文、と書こうと思う。ある日夢を捨てた。それからのまだ短い人生について書く。

何のために大学に入ったのか。最近よく考える。何のためだったんだろう。今更レールから外れて生きていこうとは思わないけど、そうしたら全然違う将来みたいなのがあったのかな。そんな風に。

努力は嫌いだった。嫌いだったけど、全くしないわけではなかった。できるだけ最小の努力で得られる中で、世間的に一番いい未来を選び取ってきた。

夢がないわけではなかったけど、いつの間にかこっちを選んでいた。大切な家族わたしの夢を嫌っていたし、わたしは夢よりも家族を選んだ。その程度の夢だったんだと思う。

18の春に、田舎高校から都内国立大に進学した。一般入試は面倒だったから、公募推薦で入った。昔から小論文は得意だった。自由に述べる文章は苦手だったけれど、テーマを与えられるものはそうだった。何故だかいつも、求められている答えがぼんやりと分かった。課題文や、設問の言葉の選び方や、注の入れ方で、いつも何となくこう書けばいいんだなと分かった。その時も、生まれてこのかた考えたこともないような"自分の考え"を、誰かの本で読んだことのある言葉を、自分言葉に言い換えて目の前の紙に書き連ねた。志望理由書でも面接でも自分本心には一つも触れなかったけれど、滞りなく合格通知が届いた。

努力は嫌いだった。嫌いだったけど、努力の使い所みたいなものは分かっていたつもりだ。海流を捕まえることができたときにはただ流されて、いつの間にかそこから外れてしまったときにだけ、ほんの少し自分の力で泳いだりした。そうしてまた流れを捕まえた。その繰り返しで生きてきた。その海流が、自分をどこに連れていくのかなんて誰にも分からなかったし、わたしにも分からなかったのに。今考えると馬鹿っぽい。

大学で学びたいことなんて、多分一つもなかった。学ぶことが嫌いだったとは言わない。学ぶという行為が好きだった時期も多分あったし、ずっと好きだった分野も、多分あった。でもわたし大学に行って手に入れたかったのは、世間的に良いなと思われるような人生への海流だけだったと思う。そういう意味ではわたしは行き着く先を分かっていたし、実際その流れは、確かにわたし目的地まで運んでくれたんだろう。

ゴールデンウィークの前、早々に内定が出た。何個か落ちて、何個か受かった。受かった中から選んだのは、かつての夢とは程遠い位置にある少しお堅い大企業だ。来年春になったらわたしはあの企業で働く。かつて夢を思い描いていた自分には、きっと考えられなかったことだと思う。それでもこれは、リクルートスーツを纏って精一杯背伸びしたわたしが掴んだ一つの未来だった。それは本当だった。わたしが本当に辿り着きたかった場所だったかどうかは別として。旅というのは、案外そういうものだ。目的地なんてない方が上手くいく。少なくとも、到着して辺りを見回したとき、「こんなショボいところだったんだ?」なんて思うことはないだろうから

一昨日、卒論を書く手を止めて、ふと、何のためにこの大学に入ったんだろうなと考えていた。窓の外に、台風でぐちゃぐちゃになった道が見えた。校内にイチョウを植えるなんてどうかしている。銀杏を潰した女の子が、隣の友人ときゃあきゃあはしゃいでいる。悩みなんてない風に見える。彼女たちも、いつか思ったりするのだろうか。何のためにここにいるのだろうと、考えたりするのだろうか。そうだとしても、わたしとは違って夢を持ってこの大学に入ってきたんだろうな。そう思ったら、少しだけ羨ましいような気がした。

羨ましい、というのは少し違う。わたしは何も捨てられなくて、何も得られなかった。そんな自分が少し恨めしかっただけ。それでもわたしはこれからもそうやって生きていくんだろうな。

今朝、窓を開け放して鼻から思い切り息を吸い込んだら、鼻の奥がツーンとした。台風が去れば気温は上がる。暖かい日はしばらく続くのだろう。それでもわたしは、もうすぐ冬がくるんだなぁと、そう思った。わたしペンを握る。この論文が書き上がったらわたしは新しい海流を見つけて、もうあの頃の夢を思い出すこともなくなるのかもしれないと、そんなことを考えながら。

2017-08-11

公募推薦を使おう

公募推薦大学に入った。都内の国公立大だ。夏休みのおわりに、受けようと決めた。予備校にもとくに行かず。家に金がないので、とりあえず受けて受かったら私大受験料も浮くしいいなと思った。どうせ受からないだろうし、ということで担任相談して、一般で受けようとしていたところの少し上を狙うことにした。結果、受かった。受かる気が0だったかネットでの合格発表の日にちも忘れて、見ていなかった。担任に受かってたよと言われた。そして合格通知が郵送されてきた。あれは驚いた。周りにバレると面倒だと思ったので、一般の人に混じって変わらず勉強していた。センターは、もと受けようとしていた大学はB判だった。今の大学はD判だったけど、向こうが勝手に選んできたのだと開き直って何の迷いもなく行った。二年目だけど今の所フル単テストは正直余裕だった。嬉しい。推薦で入ったか不安だという人、大丈夫だ。英語と専門の基礎だけ勉強しておけば何の問題もない。

この前、受験とき面接してくれた教授と二人で話した。私のことを覚えてくれていた。ロクに練習もしないで行ったので、口から出まかせを言っていたがバレていたみたいだ。面接は小論の内容の理解を見るのと、人格破綻者を落とすためにやってるから、内容はあまり関係ないのだと笑っていた。私の受け答えはそれでも覚えているような内容だったと。恥ずかしい。特殊部活をしていたから「死にそうな目にあいましたが、おかげで命がかかった咄嗟判断にも長けていると思います。今突然包丁を持った不審者がここに入ってきても、冷静な判断ができます」と真顔で言ったらしい(覚えていない)。勿論てきとうに言ったんだろうけど、それが特に先生のツボだったそうだ。推薦の面接なんて、案外こんなもんなのかもしれない。(この大学だけかもしれない)

推薦なんて正直まともな人間が入ってくる確率が少ないと思うので、大学から考えたら今すぐやめた方がいい。こうやっててきとうな人間も入れてしまう。それでも大学側が続ける限り、それを享受するのだってアリだろう。大学での勉強ハイレベル学校だけあってまぁ楽しいので私は感謝している。

推薦で入って今後が不安なやつ、付いていけないやつは、自分が悪いんじゃなくて自分なんかをとった大学が悪いんだと考えるといい。自分を責めると頭がおかしくなるからバカキャラをやって、馬鹿にされながらも強請ってみんなに教えてもらえば、センターすらD判の私のようなやつでもフル単できるんだから

みんな推薦を使おう。あんまり対策しなくても運が良ければ入れる。落ちて当然と思っておけば、メンタルもたぶんやられない。受けに行く二日ばかし無駄になるだけだ。きっと同じことをやるなら、少しでも上の大学の方がいい。気がする。私は実際、この大学に来られてよかった。本当に面白い教授がたくさんいる。

指定校は、周りにいなかったからよくわからんAOはけっこう大変なのかも。公募推薦学校にもよるけど倍率はそこまでじゃないし、高校でそこそこテスト勉強さえしてれば受験資格ゲット。

夏になると辛かった夏休み猛勉強の末の、気の抜けた公募推薦合格を思い出す。ので、ちょっと書いてみた。

公募推薦おすすめだ。

高校生のみんなはテスト勉強頑張ってな。

 
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