2024-02-20

勝ち組だとか、負け組だとか・・・

勝ちたいだとか、負けたくないだとか、あいつは成功しただとか、失敗しただとか。勝ち組だとか、負け組だとか、そういった話題を目にするたびに心底思う。

・・・くだらない」

最近はもう少し穏当に

自分とは住む世界も見えてる世界も違うのだから、どうでもいい」

というくらいには受け止められるようになってきた。

僕にとって、「勝ち/負け」はほんとうにどうでもいい。「勝つための努力」とか「勝つための駆け引き」とか「勝つためのハック」とか、そういった類のことが自分人生に割り込んでくるたびに「頼むから、そっとしておいてくれ」と、そう思う。

これは「勝ってまで欲しいものがないからだ」とか、そういった話ではない。僕にとっては、そもそもゲームが違うのだ。

僕は、大事選択肢が目の前にある時、「結果、そのどちらに転んでも、それでよかったと受け止められる」ように努力する。そのために、環境を整えて、選択肢吟味して、自分過去を振り返り、将来に思いをはせて、最終的に納得するように環境自分の心の持ちようを仕向ける。ここに「勝った」も「負けた」も介入する余地がない。

高校の進路決めのときもそうだった。

僕は中学生の頃に憧れた「留学生活」を実現するため、第1志望公立高校と、併願受験をする私立高校の双方に「留学」という目的が達成できるよう仕向けた。

大学受験の時はもっとひどかった。

僕は、いま通っている大学学部学科の1つだけを公募推薦受験した。落ちたら、さらに羽を伸ばしてバックパッカーにでもなろうと思っていた。受かったら、キャンパスライフという新しい世界を「さて、どんなもんか」と見てやろうと、そんなつもりだ。この時成し遂げたかたことは「環境の大きな変化」だったからだ。

このように、僕は大事な岐路が訪れるとき、常に「現状の分析を徹底し、自分が求めているものを徹底し、どう転んでもそれを受け入れられるように準備する」。そのための思考や、選択肢吟味は、きっと並大抵の人より努力してきたと思う。

僕にとって大事なのは「勝つか負けるか」ではない。「結果をどう受け止めるか」だ。

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