はてなキーワード: ステーキハウスとは
それは下から上に行くにつれて肉・肉・肉のダンジョンになってる
生肉売ってるコンビニと万かつサンド(カツサンド)。昼はバーコー麺。
予算は1000円以内。
牛モモ肉200g、サラダ・パン・コーヒーセットで2700円-(最安)
黒毛和牛カルビ一人前1,180円、厚切り上タン塩一人前2,200円など。
ステーキコースの最安(青森県産国産牛の赤身、ロース200g)で一人前13000円から。
最高金額の「ステーキ&活オマール海老コース、極上A5等級黒毛和牛、ヒレ(シャトーブリアン)」なら一人前36000円
君は何階まで登れるかな?
時差は19時間だが、実用的には5時間違うと思っておいて良い。
飛行機の中では時差ボケ解消のために寝ずに起きていて、夕方に日本についた。
新婚旅行に行かない/行けないカップルがいるのも知っている。行けるだけありがたいと思っている。
「休みの間は一切仕事を忘れていいから」と言ってくれた。ありがとう上司。
行先は嫁の希望で決まった。
嫁は英語が一切わからないというので、多少なりとも日本語が通じる場所が良かったらしい。
テレビでハワイのおすすめスポット紹介みたいなのを見るたびに、
どーせ楽しんでるのは撮影してるお前らだけじゃねーか、とかよく分からないひねくれた思いが頭に浮かび、
クアロア牧場は本当に良かった。素晴らしい景色を眺めることができた。ステーキハウスの肉もおいしかった。
海水浴に行ったら一瞬だけだけどウミガメを見ることができたし、バスの中から虹も見れた。
ウミガメを見たら幸運なことが起きるらしい。記念にウミガメのキーホルダーを買った。
嫁とほっともっとの弁当を食べ、眠くなったので、仕事に備えて22時くらいに寝た。
夢を見た。
俺は誰かを謀殺したらしく、警察に追われていたが、そんな中で俺はゲームセンターに立ち寄った。
俺がゲームセンターで10人くらい並んで椅子に座って楽しむゲーム(競馬ゲームみたいなの?)に座ってゲームをやっていると、
誰かが隣に座って寄りかかってきた。
誰かと思えば、少し呼吸が荒くなったばーちゃんが、俺に寄りかかって寝ていた。
俺は呼吸を確かめ、席に向かいなおした。ばーちゃんはまだ生きていた。
その後俺は少し画面に夢中になった。ばーちゃんのことは一瞬忘れた。
ふと気付くと、寄りかかっていたばーちゃんがいなくなっていた。
気付いたら床にばーちゃんが倒れていた。
危篤の連絡を受けて、亡くなる1週間くらい前に見た、細くて軽い、少し熱い体だった。
抱き上げたら、ほとんど呼吸していないように見えた。
俺はばーちゃんがこのまま死んでしまうのではないかと慌てて、「ばーちゃん!ばーちゃん!」と叫んだ。
幸いばーちゃんはまだ息を引き取ってなかった。
ばーちゃんはこっちを見て、「いっしょ、いっしょ」と答えてくれた。
そこで俺は「あれ、ばーちゃんは死んだはずじゃ?」と思ったところで、これが夢だと気付いた。
夢だと気付いた瞬間、俺は現実でも泣いていることに気付いたと同時に、夢から醒めそうであることもわかった。
「まって、まってくれ!」と強く願ったが願いはかなわず、目が覚めてしまった。
目が覚めたら、やはり号泣していたことに気付いた。声を出して泣いていた。
泣きながら寝たことはあったが、泣きながら目が覚めたのは人生で初めてだった。
数年前、お盆休みに実家に帰ったときにばーちゃんに会ったら、「すこーし熱の出て下がらんもんねー」と言っていた。
「若こーはなかけん、早よー病院に行きんしゃい」と答えた。飯の量も心なしか減っていた。
体から老人ホームの臭いがしたのが少し気になったが、歳を取ったらそんなものかと思いつつ、帰省は終わった。
俺が実家に帰ったあと、病院に行って検査入院して、そのまま3か月後に亡くなった。
飯が食えなくなったとのことで、どうやら寿命だったらしい。
何の気なしに病院に行くのを勧めたんだが、あの時勧めて良かったのかどうかは今もわからない。
危篤と聞いて俺が駆け付けた時には、意識はあったもののほとんど話ができなくなっていた。
俺が話しかけると、たまに声にならない声で応えてくれるといった有様だった。
ずっとついていたいと思ったが、遠方に住んでいたのでそういう訳にもいかず、
その5日後に亡くなった。
嫁は何もなかったかのように隣でぐっすり寝ている。
嫁は夜勤付きの看護師で、どんなタイミングでも寝れるのが特技だ。
ばーちゃんに嫁と合わせて話をさせたかった。プロポーズしようと思った矢先だった。
そもそもばーちゃんが生きてるうちに嫁の顔を見せてやろうと思って始めた婚活だった。
いらっとすることもあるが、それでもうまくやっている。
嫁の寝息を聞いていたら、また泣けてきたので、PCの前に座ることにした。
この夢を記録しておきたいと思った。
時計を見たら夜1時、ホノルル時間で朝6時。いつの間にか2時を過ぎていた。
時差ボケ解消ならずということか。
いっしょだよ。お土産買ってこなくてごめん。
書いていたらまた泣けてきた。
当分寝れそうにない。
さて、私事ではあるが、私はひょんな事から知人の紹介を以て物書きとして仕事をすることになってしまった。
同人小説の一つも書いたことはなく、詩を紡いだこともないズブの素人が物書きとなってしまったのだから、これは一大事である。
世の中に生々しい悪臭を漂わせるクソのような文章を生み出すに違いない。同業の諸先輩方には申し訳のしようもないが、生きていくためには書いてみるしかないようだから、一つ堪忍していただきたい。
具体的に何を書いているのかという話だが、主にソシャゲのシナリオとフレーバーテキストの仕事をしている。
シナリオは新規追加キャラクターに付帯する「ガチャを回したくなるようなストーリー」であり、フレーバーテキストとはアイテムやキャラの説明文といった類のものである。
自他ともに認めるズブの素人であるから、面白いストーリーも売れるキャラクターも分からずに右往左往している私の論は大変滑稽であると思うが、思考を整理しながら意見を頂きつつ、私のような後進があった時の手がかりになればという考えでタイピングしているのでご容赦願いたい。
物申したい訳ではなくて、自らの認識と世の中の齟齬を確かめつつ、様々な意見に触れられれば良いと考えた訳である。
物書きとしてスーリーを生み出す以上、面白いと思われる作品を作らねばならない。
しかし、困ったことに今までの人生で面白いものを作ろうとして作ったことはない。作りたいから作った絵や模型は少々あれど、人にウケる事を目的とした作品を作ったことは全く無い。これでは何を良しとすれば宜しいのかが分からない。
初っ端から大きな壁にぶち当たり、困り果ててしまった私は「ここはひとつ、自分が好む『面白さ』を分析し、自分と同じ感性の人間にウケる物を作ることから始めよう」と考えた訳である。
そのために、まずは自分が好きな作品をリストアップしてみようと思い立った。
そうして思いつくままに好きな作品をリストアップしてみた訳だが、どうやら具体的なことは何も分かりそうにない。 困った困った。
(例として『攻殻機動隊』『エヴァンゲリオン』『松本零士戦場まんがシリーズ』『姉なるもの』『装甲悪鬼村正』『DARKER THAN BLACK』『Fate/stay night』『イヴの時間』『カウボーイビバップ』『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『殻ノ少女』『ARIA』などが浮かんだ)
パッと見で抱く第一感は、大抵の作品には何処か仄暗さがある事、ハーレム物ではない事(Fateはハーレムに近いが)が共通項であるという事ぐらいだろうか。
(一見明るく見えるARIAだって地球の海はすでに人の泳げない環境になっており、テラフォーミングされた火星の海で人が営む話だし、その他の作品も主人公格のキャラが暗い過去を背負っていたり、あるいは直面している状況が暗かったりする。)
あとは私が「根暗で面倒くさいタイプのオタク」のような何かであることぐらいは分かるのかも知れない。
本筋に戻るが、素人なりにこれらの作品を嗜好する人間が好む『面白さ』とは「その世界をキャラクターを通して知ること」ではないかと私は考えた。
例えば草薙素子がメスゴリラではなくか弱い少女であっても、碇シンジが熱血爽やか少年であっても、私は攻殻機動隊やエヴァが好きだっただろう。
なぜなら彼らがどのような性格や外見であっても、あるいは登場せずとも、世界設定が同じならだいたい同じように世界は動くだろう。
極論を言えば草薙素子がか弱い乙女であり公安9課に勤めていなくとも人は義体化し続けてゆくし、あるいは碇シンジが初号機に乗れと言われた時点で超ノリノリであっても、最初に戦う第三使徒サキエルにはコテンパンにされ、進化し続ける使徒を食い止めきれずにサードインパクトを迎えるだろう。
キャラの性格や外見がウケなくとも物語は進行し、あるいは登場せずともその役目は別の人物が担当して物語は収まるべきところに収まる。なぜならその世界はそういうニーズを抱えて生まれるからだ。
しかしそれではつまらないから、面白く見える視点を借り受けることで、物語は娯楽作品として成り立たせることが可能になる。
結論として、私は「キャラクターとは世界観に内包される1つの要素であって、世界の覗き穴でしかない」という考えに至った。
しかしこれを知人に語ったところ、「世界はキャラクターに内包されている」という返答を得て混乱することになり、こじらせ続けた結果としてこの日記を書くに至ったのである。
まず私は混乱を与えた知人に「なぜ世界はキャラクターに内包されるのか?」と問いかけてみた。
すると彼は「大塚英志を読みなさい」と言うので、彼が勧める「物語消費論改」に目を通し、今の私にうってつけの本のように思えた「キャラクター小説の書き方」も読んでみた。
大塚英志の書く文章は客観的なエビデンスを示す事よりも、一つの前提を提示した上で理論を展開する事に重きを置いているように思え、彼の取る左翼的立場(いわゆる大多数の革新派とは別物との自覚があるのか、自身は『サヨク』と表記するが)が突如乱入して辟易する事もあり、中々体力の必要な内容であったが、ひとまず読み切った。
彼の書き込んだ政治的なノイズと、理論展開をしたかっただけの文章をフィルターに掛けながら読んでいくと、どうやら物語というのはキャラクターがいないと生まれないものらしい。
キャラクターが初めに存在し、ストーリーを作る中で世界が見えてくるのだという。
なるほど、確かに何かしらのネタがなければ物語は書けないし、世界を描写することができないように思える。
例えば年齢や性別を設定されたA子さんというキャラクターだけがそこにいて、世界観がなかった場合はどうだろうか。
この場合、A子さんに生まれるのは虚無の中に放り出されたと言う事実だけである。
もし、その「『何もない世界』を受けてA子さんが得た情動こそが物語である」というのならば、それは虚無と言う世界観がないと成り立たないのではないか。
逆に、例えば「中世風の世界」があったとしよう。登場するキャラクターの設定は何もない。
中世風の世界といえば、人の頭の中には剣戟や鎧がたてる金属音や、あるいはそこで生活する人々が桶を片手に井戸に水を汲みに行く姿などを思い浮かべるだろう。
そして、多くの人は中世と言われただけで頭の中にヨーロッパの景色か、日本の中世を思い浮かべたのではないか。
あたり前のことだが世界観には内包する事物があり、事物には経緯がつきまとうものである。
世界観を定めたことで、これらの自然な在り方の幅が定まり、人物も含めて存在する範囲が決定される。
たとえ時間が静止していても、大木には新芽から育った歴史があり、水すらも水素2つと酸素が結合したという経緯が発生する。
私はこれらの変化こそが物語なのではないかと考えているのである。
即ち、その世界で起こった変化を拾い上げた時に、初めて事物がキャラクター化すると考えているが故に、私はキャラクターが世界に内包されるという考えが捨てきれない。
そして、物語の本筋というのは、それらの小さな変化全ての集合体であり、世界観そのものがストーリーであると考えてしまっているのだ。
うーん…困った…。なんでキャラクターに世界が内包されるのだろうか。
A子さんの主観から書いた物こそが物語であり、A子さんの認知した物こそが世界観であると定義するのだろうか?わからん…
うーんこまった。うんこまった。
なぜ困っているのかは次項で触れよう。
上記の様に「世界にキャラが内包されている」と考えている私が、物書きとして初めて書くことになった物語はソーシャルゲームに追加される新キャラのイベントストーリーだった。
この仕事のキモは、有料のクジ引きでプレイヤーが獲得できる新キャラをプレイヤーに対して強烈に売り込むことである。
具体的には運営会社が考えるキャラクターの「良さ」を引き立てるためのお話を一本仕上げるのだ。
ここで私は早くも躓いた。
何故ならソーシャルゲームにはベースとなる世界観があり、主要キャラはすでに出揃っており、本筋の進行に何ら問題のない所に、いきなり「強烈な売り込み」を必要とするキャラが登場してしまうからである。
本筋の話に必要のないキャラクターを、いかにも重大で必要な魅力を持っているかのように持て囃し、そのために何かしらの話を世界観という大地から発掘して、プレイヤーの周りに再配置する作業となる。
そして、運営としては本筋に明確な終わりを与えてしまうとプレイヤーが離れてしまうから、本筋だけを避けて大地を穴ぼこだらけにしながら不要物ばかりが増え続けていき、やがてはプレイヤーの周りに綺麗にそびえ立つ「本当はどうでもいいキャラ」の山が本筋を隠してしまう。
これは、私の「世界に内包されたキャラクター」の考え方だと避けて通ることは叶わない結果のように思える。
しかし、「キャラクターに内包された世界」という考え方であれば、大地の形は定まっていないので、きっとプレイヤーの周りに何処からともなく取り出した土を積んでゆく作業となるだろうから、なるほど確かにそちらの方がソーシャルゲームに向いている。
ただし「どこからその土(物語)を持ってきたんだよ」という疑問とともに、「別にその土がなくてもこの世界は存在しているし、その山は不要じゃない?」という感想を得る私のような面倒な者も少々発生するだろう。
「要・不要でしか語れない虚しい奴め」と言われればそれまでだが、こちらとしてはいきなりステーキか、或いはさわやかハンバーグでも良いが、兎も角ステーキハウスで3000円のステーキを注文したら、鉄板の上にステーキを覆い隠さんほどのミックスベジタブルを乗せられた心持ちなのである。
いきなりステーキの店員としても、ステーキが主役なのに上役の指示でステーキを切り捨ててでもミックスベジタブルを山程ぶち撒けろと言われて途方に暮れててしまうだろう。ステーキの前でアホ面を晒してミックスベジタブルを握りしめている店員こそが私なのである。
私は本筋を覆い隠さんほどのサブキャラを並べるという在り方は、本筋へたどり着かせない為だけの行為にしか思えず、ベースとなる世界観にガチャの新キャラを紐づけていく意義を上手く見いだせなかったのだ。
前項で困っていたのはこの点であって、物語がキャラクターに内包されているのであれば私の考えが間違っているだけなのだが、どうやら一応理屈は通っているように思えてしまっている。
え?意義はお金を稼ぐ事だし、キャラも理由なく存在していてもいいじゃないかって?
まあその通りなんだけどさ…青臭くってウブな駆け出しとしては、ちゃんと物語を進めたいわけよ…
え?面白ければ本筋がどーこーはどうでもいい?
それも最もな話よ…だけど、面白いって何さ?
ようやっとこの4項目にして表題に触れられた。
展望も何もなく書いてきたので、まずはここに着地できた事で一安心である。
「本筋が進まないシナリオ、世界に干渉できないキャラクター」に塗れた作品であっても、成功しているコンテンツというのは存在する。
何を隠そう大部分のソシャゲは「本筋が遅々として進まず(或いはほとんど存在せず)、本筋に絡まない=世界の動きに絡まないサブキャラクターに塗れている」にも関わらず、利潤を得やすいガチャ商法を確立し、商業的に成功していると言えるだろう。
しかし、これは「プレイヤーが楽をして手に入れられる娯楽としては」という但書が付属するのではなかろうか。
例えば、人が10時間の自由と完全に健康な体を手に入れたとして、目の前に据え置きのゲーム機とスマホが置いてあり、何れかの"ゲーム機"で好きなゲームをして10時間消費できるとしたらどちらを選ぶだろうか?
多くの人は据え置きゲーム機を選ぶと思う。
ソーシャルゲームを10時間プレイするということは、多くの場合は右手の親指で、画面の右下を5秒毎にタップする10時間を過ごすことになるだろう。
ソシャゲのファンタジーゲームよりもドラクエXI、スマホの荒野行動よりもPS4のPUBGのほうが良いユーザー体験を得られることは当然である。
(バトロワゲーにおける「物語」とはプレイヤーのプレイそのものであると私は考えている。つまり、より派手に快適に臨場感を得られるPUBGのほうが物語を鮮明に作り出すことができると思っている。まあ、異論どころか非難轟々かも知れないが、本題とは離れてしまうので一旦放置してほしい。)
しかし現実には日本のゲーム市場はソシャゲが大きな地位を不動のものとしている。
これは、プレイヤー自身が体験・考察・のめり込む事なく「楽に手に入れられる娯楽」を欲しているからだろうと思う。
つまり「さっと注文して、さっと食べ終えられるファストフード」のニーズが高まっているのだと考える。
ここで本題に戻るが、端的に言ってファストフード的娯楽に、「大きな物語の展開を推察し、その行く末を記憶して楽しみにする」という『面白さ』は重すぎる。
世界観や、大きな物語の動きを受け取ることができるプレイヤーに対して、ファストフード的娯楽を求めているプレイヤーが圧倒的に多い。
故に本筋を覆い隠してでもサブキャラを増やしまくり、ゲームの本筋とは関係のないキャラ推しの話を通勤電車の中で10分で摂取させ、その体験を通してガチャを回させて達成感を与える訳である。
本筋というハイカロリーでの御馳走を消化するには、健康な消化管と食後にゆるりと過ごすことができる時間が不可欠だが、これは時間とタスク処理に追われる現代人にはちょっと厳しい要求だ。
故に、消化が楽で手早く終わるローカロリーな立ち食い蕎麦である、本筋に干渉しないキャラシナリオをちょいと摘むぐらいがちょうど良いという世情があり、まぁ立ち食い蕎麦も許せないほどマズイ訳ではないから多くの人が食べるのだ。
そしてこの2つを比べた時、多くの人は無意識のうちに御馳走と立ち食い蕎麦を「比べるべきではない両者」と判断して、或いは意識的に御馳走を我慢して立ち食い蕎麦を選んでいると言う構図なのだろう。
どちらを食べてもひとまず空腹は収まり、なんとなくか明確かの違いはあれど「美味しかった」という感想が残るから、死に物狂いで御馳走を求める酔狂なグルメ以外は、立ち食い蕎麦でも満足感は得られるのである。
つまり、ベストである必要が無いと言うのが、物語の器たる創作物に求められているのではないか。
結局のところ私はここまで考えた所で面倒くさくなってしまった。
本当は物語の捉え方を考えていたはずなのに、到着したのは「求められる面白さ」になり、挙句の果てにはステーキと立ち食い蕎麦だ。救いようがない。
さて、脱線し続けた挙げ句、私はこの記事の命題である「本筋が進まないシナリオ、世界に干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」という問いには、一旦以下の答えを与えることにしようと思う。
Q.「本筋が進まないシナリオ、世界に干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」
A.「本筋が進まないシナリオ、世界に干渉できないキャラクターは一番面白い訳ではないが、なんとなく面白い位にはなる」
つまり、結論として、「本筋の展開する面白さ」は今の創作物には重すぎる。
キャラを立たせてキャラを売った方が、消費者に優しいし、会社としても嬉しいのだ。
ベストではなくベター良いから、世界に干渉できないキャラクターでも十分であり、安心できる経営につながるということだけは確かなようだ。
私は物書きの入り口に立った以上、そこをうまいことやっていく必要があるらしい。
さて、私の眼前にそびえ立った、ステーキの上にぶち撒けるべきミックスベジタブルはどうしてやろうか。
ミックスベジタブルを手早く、それなりに美味しく仕上げる方法をご存知の方、或いはこのステーキとミックスベジタブルが載っている鉄板料理の良い拵え方をご存知の方がいれば、教えていただければ幸いです。
日々勉強!
あとで気付いたんだけど
わけありがシェフに掛かってるのってどうよ!って。
どんな事情があるか知らないけど、
ほんで、
シベリアのお婆ちゃんがまたショウガを樽に詰めて送ってきてくれたんだけど、
その中の手紙で
ショウガを送り出したとき雨が降ってたからきっと良いことがあるわよって。
ロシアでは人が旅に出るとき雨が降ってると縁起が良いって言うから
きっとそのことなのねって。
うふふ。
上方演芸会とわけありシェフの熟成肉のステーキとシベリアの生姜のお話でした。
レコーディングダイエットならぬいちいちカロリーを見ていたら
美味しい物は美味しい!
正直でありたいわね!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「ここでカフェろうぜ」
「安物のコーヒーしか飲んだことないから、たまにはこういう所で飲んでみよう」
「注文、どうしよう」
「『よく挽いてください』とかでいいんじゃね?」
「ステーキハウスでも『よく焼いてください』で通じたし大丈夫だろう」
「○○○○円!?」
「俺たちが飲んだことのあるコーヒーの5倍かよ」
「でも、量は同じくらい」
「ということは味などの満足感が5倍ってことか」
「じゃなきゃ、安いコーヒー5杯飲んだほうがいいもんな」
「まあ、コーヒー5杯も飲みたくはないけど」
「さて、どんな味かな」
「……うん、香りがいい」
「苦味とか、酸味もいい感じ」
「まあ……コーヒーだな」
「おい、他に感想ないのか」
「他になんと言えと?」
いらっしゃい!
ここのお店の一番の人気メニューは
約1.4kgよ!!!
何味?
肉味!!!
肉味に決まってるでしょ!
お店の中のお客さんたちはまるで、
私がお行儀良く
隣の大男が、
おいおいそんなんじゃ肉が冷めちまうぜ!!!
ほら!こういう風に豪快にほうばりな!!!
と言うと、大男は
その48オウンスのトマホークステーキを
半分に切ってフォークに刺した肉の塊を私の口元にもってくるの!
やめて!やめて!
牛だけに
ぎゅーってお肉につぶされちゃったと思ったら
そこで目が覚めたの。
そういえば、昨晩から冬布団を掛けて寝てたんだわ。
そんな夢を見たのよ。
牛だけに
もーなんだかお肉が食べたくなっちゃった。
また今度買ってこなくっちゃ。
鮭系美味しいわよね!!!
急に飲むと熱いから、
冷ましてのんでね。
飲んでるのはホッツ白湯だけど。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
書きながら考える
バイトが寝転んだ?冷蔵庫に入ってたアイスが嫌かってたら、私はそんなでもない。
袋に入ってたんでしょう?
醤油さしは嫌だな。嫌だけど外食には常にそういう危険性がつきまとうってことだ。
私も出しすぎた爪楊枝を戻したことがある。
出しすぎた醤油を戻した、ってのはどうだろう。
うーん。
家のやつならまあ、ありかな。
何でかっていうと梅干の種をとっておいて別のことに使うって料理家の人が書いてて
そのときもちょっと汚いなーと思ったけどまあ家族のだったらいいかーって思ったので。
あとねぇ、社食のパートのおばちゃんがラーメン出すときに指が汁に浸かってて、
「だいじょうぶよーあつくないからー」ってそういう問題じゃない!というのも思い出した。
人が触ったから毒、ではないんだよね。大腸菌は世の中にあふれているので、(゚ε゚)キニシナイ!!方がいいんでないの。
若い頃の、仲間内のおふざけみたいなの、大学の同級生がつり革にぶらさがってたことあったし、あれ今だったら炎上すると思う。
「おまえも(モラルがない人の)仲間なんじゃないか?」って言われるのが怖いんだろうな。
疑われたときに「自分は違う」と説得できないと自分で思ってるんじゃないか。
職業はいろいろあり、各職業で「周囲で許容されてはいるが外から見たらおかしいこと」ってあると思う。
思いつかないけど、例えば給食のおばちゃんが鍋に指つっこんで味見するとか?
結局、メディアリテラシーの問題って気がしてきた。
企業がすべきことはSNSの利用指針をつくる、ってことだけで(うちの会社は職場に携帯持ち込み禁止ということになっている。ドメイン規制もあるよ。)
店舗閉鎖決めたのは会社のくせしてバイト君に損害賠償するのは変だよ。
客として行って、不味い!ってSNSにアップしたら「あなたのせいで売り上げに影響しました」って訴えられそうだもん。。。
会社の肩書きやフォロワーの多さを利用して自分の意見を拡散するんだったら責任が伴うってこと。
そういえば件の写真はどうやって広まったんだろうね。
モラルに欠ける奴がいるから拡散しよう、というのは正義感ではなくて明確な悪意だよね。
バイト君はその行為自体じゃなくて風評によって罰せられたんだけど
店は
「今後このようなことのないよう指導を徹底して参ります」じゃいかんのか。
そういう店だったら行くけどなあ私…。
店は謝罪のコストを嫌気しただけじゃなく、損失分をとれるところからとりかえそうとしていて醜悪だと感じる。
失われた信用というのは謝罪でしか取り戻せないと思うのよね。
謝るとコストがかかる、こんな世の中に誰がした。
近所の土地買い上げて、夢見るオーナーの頭金を湯水のごとくぶっこんで
いくらオーナーに吹っかけても、巨大な損失の補填程度にしかならない。
勝ち残った後に、本店化して巻き上げるまでがゴールとして考えても
やはりリスクもでかい。立地条件では、そもそも無理な場合も多々ある。
そんな暑苦しいことしなくても、なんとも涼しい方法が発明された。
もうここまで来るとだいたいイメージがわいてると思うが念のため
まず10~50万円用意する。つぶしたい店のバイトさんに連絡を取る。
「ちょっとアイスボックスに入って、ツイッターアカウントで晒してくれ」
「うちらの世界」を壊すため、場合によっては嫌だと言うだろう。
あらかじめ用意してあげると良いかもしれない。
10万円もあれば、だいたい飲むだろう。
食べログなら、もうこの店じゃ食えない。
はてぶなら、低学歴扱い。
コンビニなら、数日休業。
ステーキハウスなら、閉店。
もちろん質を上げれば金がかかる。