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2011-11-20

未来のための感情メモ 2011.11.20

感情ナマモノで刻々と変わるから、書いておく必要があるだろう。

父の肺癌が刻々と進行しているそうだ。

実家を離れているか情報は全て母から入ってくる。

2ヶ月半後に私の結婚式がある。

父の癌が判明して急に進んだ話だが、その時まで父が生きているかは全く判らない。

今の率直な気持ちをメモしておこう。

結婚式はほぼ親のためにやると思っているので、

父がその日まで持たないというのは正直考えたくない。考えるのを避けている。

医者さんも大丈夫だろうと言っているし、車椅子でもバージンロードは歩ける。

父ともあまり話していない。話すのが怖い…と何となく思っている。何でだろう?

父は正直家庭的ではなく、家事は全く手伝わず飲み会で連日午前様、金遣いは適度に荒く単身赴任後はほぼ家にいないという人だった。

当然夫婦喧嘩も多く、ここ数年は穏やかになったが母は「定年後ももうちょっと働いてくれないかなー」

父は「地元戻りたくないわぁ」とお互い、お互いのいない場所で愚痴っていた。

(当時、父の赴任先と私の就職先が同地区だったのでたまに飲みに言っていた)

父と母は病気が判明してからお互いやさしくなれた。

これは反面教師にしようと思っている。

2011-11-16

なぜ転勤させられるのか

  1. 癒着を防ぐ 特に金融
  2. (いろんなところを経験させるという建前で)支配下にあるというアピール。従業員はコマ。
  3. (1.2.に関連して)従業員同士の馴れ合いを分断し、増長させない
  4. 家庭より仕事大事にさせる

結婚なんぞさせん したとしても単身赴任させたる

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20081116205012

誰も覚えてないと思うけど、妻に浮気され、http://anond.hatelabo.jp/20081116205012離婚宣言→その後別居された間抜けな男です

3年ほど経ちました。

その後の話。

結局1年半後くらいから再び会いはじめ、今では妻は大抵の週末は家に戻ってきて私が作ったメシ食って録画した番組見ながらだらだら一緒に過ごす、みたいな状態になってます

妻の現勤務地の問題があって別居解消には至っていませんが、まあまあ夫婦仲は良好です単身赴任状態って感じ?

依然レスだけど。

ちなみに離婚したいとはもう思ってはないそうです

浮気相手とは浮気関係は切れたみたいです

たまに会ってはいるみたいだけど寝てはいないっつーか。

てゆーか妻から借りた金地道に返してるみたいね。あまりつのお仕事が続かないみたいだけど。

月1万円の25年払いとか気長だねえ。

まだまだ茨道が続くみたいだけど、どうにか持ちこたえられるといいなあと思っている次第。

2011-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20111006142010

23区内在住32歳 妻は産休中 復帰するかどうかは未定だが、会社から産休手当てをもらってる。

産休手当ては過去半年に遡って貰った給料総額(残業代含む)を6で割った額の50%を産前2ヶ月、産後12ヶ月毎月。

そういう意味では妻の職会社は割と優良企業

自分残業手当も出てるが今は子供の顔が見たいかほとんど残業してない。

酒、タバコギャンブル風俗はやらない。付き合いでしか飲まない。

賃貸マンション、車無し、金のかかる趣味無し(読書とか映画鑑賞くらい)。

因みにボーナス年2回(当然業績により額は変動)

そんなおれのある月の給料

支給総額 393,390円  -  税金保険 95,19円

残業代 16,716     (雇用保険健康保険厚生年金保険

通勤手当 9000      (住民税所得税

振込額 298,371円

ばっくり30万円あるとする。そこから引くことの

家賃12万円

生命保険1万円

奨学金返済1万3千円

電気、ガス、水道インターネットの代金 約1万5千円

これだけが最低限、息するだけでもかかる費用

残り14万2千円。

生活費10万円

子供の為の積立貯金2万円

家の貯金2万円

電話代5千円

ん?(つд⊂)ゴシゴシ

マイナス3,000円

おれはどうやって生きているのか。

美容室も行けない。歯医者ホワイトニングにも行けない。計算上は。

みんなどうやって家族支えていってるんだ?これから養育費出して、たまには家族旅行したり、車買ったり、夢のまた夢。

まず都内は家賃が高すぎる。

いや、生活費10万抜かれてさらに貯金費用まで抜かれてのがおかしいのか。

みんないくらぐらい年貢納てるんだ?貯金とかその年貢に含まれてるの?

不安で夜も眠れなくなる。







ホントの話。

実際はもっと楽です

嫁の給料もあるし、実は今は海外単身赴任していて家賃まるまる浮いてる。

実はこの額面は日本に住んでた一人暮らしの頃の額。といっても今も額面はほとんど変わってない。

上の30万円から10万円日本仕送りして終わり。光熱費もこの国は易い。

日本にいる嫁と子供は嫁の実家にいるので余計な家賃生活費も発生してない。

だがこれから日本に帰国することを考えると不安になるのは確か。

というのもアジアのちょっと危険な某発展途上国暮らしなので家族をここへ呼ぶという選択肢は無い。

子供の顔も見たいし、一緒に暮らしたいのでそろそろ転職を考え中。

2011-08-13

思い

彼氏がいる。

夫もいる。

彼氏とは交際2カ月、夫とは結婚3年同居通算3年、交際から5年くらい。

彼氏がよすぎる。

店員に対する対応、二人でいるときエスコート、興味の範囲。

いちいちぐっとくる。

年が下であるから大目に見ているのだと考えることがふつうなのだろうけれど、

それを考慮にいれてあまりあると、おぼれたわたしは思っている。

でも夫との過去を振り返るに、交際2カ月のときにはやっぱり好ましいところしかないように感じていた。

話を聞いてくれるところ、彼の視点があるところなんかが好ましかった。

誰かからの乗り換えの恋愛を続けているから、今までにしてもらえなかったことがあるとうれしくて、夢中になっていたのかもしれない。

夫とのときも乗り換えだった。

その前もそうだった。

好きだから、態度に出したらそうなってたいつも。

そして今回も。

結局それって、与えられていた恋愛で、わたしはそのことでしか満足できないということを示唆しているのかな。

わたしの欲求を与えられる恋愛

向こうも常にわたしのことが好きだから

でもな。

会いたい、顔がみたい、触れたい、においをかぎたい、声がききたい。

ばかになってるわたしには、食欲とどう違うのかなとか、説明できない。

夫を知ったとき、このひとがいたんだ、と思った。

他の男に目をむくことはなかった。

二人で飲みに行っても携帯ゲームをするようになるまでは、夫に冷める気持ちはなかった。

単身赴任で会いに行き、帰りは泣いて帰るほどだったから。

冷める気持ちを自覚しても、きっかけがなかったから他に好きな人はいなかった。

でも

意識する相手ができ、行動を起こして、彼と向き合った今はひたすら離婚を考えている。

彼もわたしも、遊びのつもりだった。

居心地良いからもっともっとと、次を求めてしまう。

汚いと思わないのかと聞くと、「おれもひどいことしてきた」という。

でも違うのだよ。

法律ていうルールはきっともてないひとのためにあって、案外めんどうなものなんだよ。

めんどうでもクリアしたい。

彼と一対一になりたい気もするし、ずるいのでひとりになりたくもない?のか?

でも一人でも生きていけるように仕事をしてきているのだし

夫は友人としてはいいやつだから、大切にしたいし

決めるのはわたししかできないんだよなーとか、つらつらチラ裏でした。

2011-08-10

子供禁止のマンション

おれの住んでるマンション子供禁止なんだよね。子供がいる家庭は入居できないんだって。住む前に不動産屋に言われた。大家の意向みたい。


それはまあいいんだけど、確か去年の夏だったか、おれの部屋がある階の通路に小さな手さげかばんが落ちてたんだ。かばんには幼児が描いたような拙い絵が描いてあって、どう見てもそのかばんは子供かばんなんだよね。幼稚園自分用のかばんを作る授業があって、それで無地の手さげかばんに園児が絵を描いたんじゃないのかな。


でもそんな子供かばんが、子供禁止のマンションの通路に落ちているのはなんかおかしい。このマンション子供を見たことはないし、子供の声を聞いたこともない。


そういえば隣の部屋の住人はおっさんだったはず。てことはそのおっさんは単身赴任でここに住んでて、夏休みに奥さんと子供が遊びに来たのかもしれない。そのときかばんを落としてしまったのかな。


そんなふうに考えていたんだけど、それから何日か経っても、その手さげかばんは通路に落ちたままだった。もし隣のおっさんの子供が落としたものだったら、あとでおっさんがみつけて拾うはずだよね。自分子供が作ったかばんなんだから。じゃあおれの想像は間違っていたのか。


それからしばらくしてそのかばんは通路の端に設置してある消化器に引っ掛けられていた。まあ通路の真ん中に落ちてたら邪魔から、誰かが片付けたんだろう。その後もかばんはずっと消化器に引っ掛けられたままだったけど、おれはもうそんなことは気にしなくなってた。


そして今日、帰ってきたら通路におもちゃのレールの一辺が落ちてた。


どういうこと? このマンション子供を見たことはないし、子供の声を聞いたこともない。

2011-06-13

贅沢じゃないです

http://anond.hatelabo.jp/20110612190356

仮設住宅って調べると、光熱費家賃もかかるし、食費もかかる。

避難所で受けられていた衣食住のうち食についても自家調達できるって配給対象外になってしまうんだってね。

あとは、どうしても避難所ベース情報が伝わるので右往左往してしまうとか。

ただでさえ、家やら家財一式流されて、義捐金配当有耶無耶で生活のための資金が底をついているのにひどすぎる。

せめて復興支援のうち後片付けを有償で行えるようにできれば、

故郷を離れずに生活を立て直す見通しができるのにと思う。

過去阪神淡路震災大都市圏がそばにあるので、

(今と比較するとお粗末な運営体制とはいえ)日帰りボランティアもあったし、

大阪とか京都等勤め先が被災していない場合単身赴任状態もできた。

中越地震場合は、山古志村とか一次産業中心っていっても

付加価値の高い錦鯉や高級・高品質コシヒカリ生産地だったので、家業をやめてしまった率も比較的少なかった。

自治体としては村ではあったけど再生に向けて銀行から融資を受けられたのだから

会社のように定期収入ではないけど年収だとすごいんじゃないだろうか。

(本当は家業をやめないでいられるのが一番いいのだけど)

2011-03-25

ごめん

震災で命や健康家族や家や土地仕事を奪われた人間と比べたらちっぽけな悩みだけど、ちょっと吐き出させてくれ。

今年頭に九州から東京に転勤になって、田舎ながらも便利な場所に建てた家を離れ、ぼろくて狭くて日当りが悪くて不便な場所にある社宅に引っ越して来た。転勤になったものは仕方ない、こうなりゃ都会ライフ満喫するぜ!と思った矢先に震災で、ガソリンいから嫁さんは買い物で死にそうだわ(乳幼児二人連れ、最寄りのスーパーベビーカーが入れられないかおんぶで片道30分)、電気料金は値上がりしそうだわ、水道水は危ないわ、首都圏人間のせいで東北犠牲を強いられてるんだ!って十字架背負わされるわ、会社はやばそうだわで、すっげー負け犬感。こんなことな単身赴任ときゃ良かった。俺の転勤のせいで妻子に辛い思いさせてると思うと悔しくて仕方ない。ほんとごめん。くっそーーーー。

2011-01-25

中学3年15歳。自分語りする。

おれの親父は高校を出てから20東京にいた。これは11歳のときに聞いた話だけどバツイチしい九州に転勤するにあたってオカンお見合い結婚地元郊外に家を建てた。ただ、同じ九州といっても通勤できる距離ではなく、ほぼ単身赴任のような状況で、親父は週末しか家にいなかった。そんな状況で二つ年上の姉が生まれ、おれが生まれ、三つ年下の妹が生まれた。

家にはオカン子供3人。何があったのかは知らないけど、オカンは何度も子育てが嫌になって、精神的におかしい時期があったらしい。そんな状況でもオカンは3人を育ててくれた。その点、オカンには本当に感謝してる。んで、親父はたまに家に帰ってくると、主に姉をかまって、オカンはといえば、末っ子の妹の面倒につきっきりだった。おれの遊び相手は、4歳のときに親父が家に持ち帰ってきたパソコンだった。

おれは、パソコンのことだけ考えながら小学校に進んだ。小6のときに胸倉掴まれて、「そんなんだから友達もできないんだよ!!」と親父に言われたけど、おれ自身は友達がいると自分で思ってた。パソコンじゃなく生身の人間の友達がいると。今思えば、あんなのは友達じゃなくて、本当の友達はパソコンだったんだろうな。認めたくない事実だけど。

県立高校の附属中学に入った。無勉で試験合格した最初の実力テストも上位2割に入れた。でもおれにはやる気なんて1ミリもなく、家に帰ったらネット上のコミュニティに入り浸ってた。

違和感小学校高学年の頃からすでにあった。学校生活でうまくいかない。でもおれは勉強はできるし、これからの時代に必要なパソコンも人並み以上に触れる。だから大丈夫だ。中学に入れば、おれを本当にわかってくれるやつがたくさんいるはずだ。と思っていた。しか現実は違った。周りが敵にしか見えなかった。なんで初対面のやつらに笑われなきゃいけないんだ。そう思っておれは入学二日目に、地元中学に転校しますと言って学校を休んだ。親父が単身赴任から飛んできた。「なんで転校するんだ」「学校いけばなんとかなる」伯母さんにも説教された。「アンタねえもうちょっと子供らしくしたらどうなの」

まあ、それから、けっこう回り道をしたと思う。なんだかんだで転校はしなかったけど、休む癖がついて、パソコンを夜遅くまで触って学校に行ったり行かなかったりを繰り返した。中2の学園祭映像制作したのがきっかけで、周りの見る目も変わってきた。しか違和感が残る。

中3になった。相変わらずパソコンが拠り所な、おれ。卒業記念のDVDをおれが作ることになっていたから、おれはそれしかすることがないって思ってた。んで、夜パソコンして、朝寝て、昼から学校。みたいライフスタイル学校で許容されてきたような気がしてた。でもなんか、かわいそうなものを見る目というか、なんというか。

だんだん、それについて思うようになった。生きた心地がしなかった。蓋をあけてみると、おれはチビなのにおっさんくさいしパソコンばっかりやってて、勉強もろくにできないクソ野郎。そして気づいてしまった。自分が今までやってきたことは、しょうもないことだったと。自分は今までパソコンに支配されてきたと。そう思ったのが正月だった。

規則正しい生活をしよう。高校から運動系部活をしようと思う。勉強もやろう。生身の友達をたくさんつくろう。人に評価される人間になろう。高校から第二の人生スタートだ。今までおれを馬鹿にしてきたやつらを見返してやる。志望は東大文一。弁護士にでもなろうか。

そう思いつつ、今日も昼に起きた。学校行きたくないけど、卒業DVD作らなきゃいけないから、放課後に登校。女子disられた。そりゃそうだけどさ。どうせみんな、夜遅くまでネトゲやってたと思ってんだろうな。昨日、24時に寝たのに。どうしたら朝学校に起きられるんだろう。やっぱりまだパソコンに頼りっきりなのかな。パソコンとかを一切絶って、学校生活に全力を注ごうか。

おれはこの中学3年間を通して教育の必要性を痛感した。おれが子供をつくったら人間らしく育ててやりたいと思う。

まあ自分語りはここらへんにしとこう。

2010-11-28

死から逆算するイマの大切さ

大学生になり自分が賢くなるに連れて親父の凄さが分かってきたところだった。本を読めば読むほど知識が増えれば増えるほど、政治経済から歴史に至るまで親父の知識の量と見識の深さに気付くようになり親父と話すことが一番の楽しみになり、話せば話すほど俺の考え方も知識も問題に対する切り口も論理構成力も一段上へと進化していっているところだった。自慢の親父で本当に尊敬していた。そんな時間が当たり前のものになっていた。

しかし親父は単身赴任をしていて50を過ぎているのに平日は一人で暮らしていた。週末帰ってくるので2日しか会えなかった。それでも平日は親父が購読しているメルマガから面白い部分を抜粋し俺転送してくれていて、週末帰ってきては趣味化しているコーヒーを豆から買ってきて自分で入れて飲ませてくれるのだがこれがまた最高に美味かった。

身長高校生の時に数センチ抜かし体型はここ10年で明らかに太り、ハゲかかって前髪が後退した額は俺に将来の毛根の不安感を与えるのには十分だった。そんな日常は当たり前のものだと思っていた。

日曜日、俺はいつも通りバイトを終えて携帯を見ると着信が死ぬほど入っていた。

ー 親父が死んだ

そこからはよく覚えてないけど、心が折れた母の代わりに喪主を務め、葬式にきた人間からは「しっかりしている長男さんだね」とか「20歳なのに精神力強いわね」みたいなことを言われていた。

実態は、想像もし得ないことがあっさりおきたので気持ちの整理がつかなすぎて、感情崩壊していたのだと思う。涙も出なければ死に目にあえなかったことも特段なんとも感じなかった。ただそこには、親父が死んだという事実しかなく、それを受け入れる準備ができていなかった分、その死がただただ自分の生にとって一つの通過点でしかないと本能的に感じていたのかもしれない。

親父が死んでも空の色は同じく、世間ではアホカップルが愛を誓い合い、時は流れ明日は必ずやってきた。しかし変化は微妙にあらわれる。

まず、平日、親父からメルマガ転送されなくなった。奇しくも、最後転送されたメルマガは「戦争による死の矮小化」だった。土曜日がきても親父は帰ってこなかった。そしてコーヒーは入れられていなかった。しかたなく、自分で入れることにした。そこで始めて涙があふれた。

親父の記憶とともに膨大な後悔が脳裏に浮かび視界は水没した。こんなことすればよかった、こんなことしてやればよかったということ。もしこの日に死ぬと分かっていたのなら、もっと多くの時間をそしてもっと多くの感謝を形にしていた。その後悔が脳を壊し心がなくなったような衝撃が俺を襲い視界は真っ白になった。

俺は夢から覚めた。

あまりにリアルすぎる夢で焦ってリビングに行くと親父がコーヒーを入れていた。

おはよう

この日常が当たり前のものではな奇跡連続だと感じるようになった。

さすがに神が存在するのかと疑った。

ここまでリアルな夢を見るということ自体はたしか縁起の良いことではないかもしれない。しかし、縁起が良かろうが悪かろうが、自分家族、大切な人はいつかは必ず死ぬ。それが明日なのか20年先なのかはわからない。しかし、死なれた時にになって初めて後悔するのは馬鹿だ。大切な人が生きているイマを強く意識することで感謝を形にすることができる。その感謝の積み重ねがいずれくるべき時になり事実を受け入れることができるようになる。だから縁起がどうこうではなく、一度自分の大切な人の死をリアルに考えることが必要なのかもしれない。軽々しく死を扱うなとかは的外れな指摘だ。事実、命は軽く他人の死も一つの出来事にすぎない。

一方で自分の死んだ後を想像する人間もいるがそれは多いに間違っている。死後どう思われたいかなんて考える時点で宗教狂だと認定していい。死んだらそこで俺らの人生は終わる。死後にあるのは無であり実質そこには何もない。死後が現在を規定するというならどうやってそれを確認するというのだろうか。(これも一つの宗教なのかしら

死ぬの対義語は生まれるであって生きるではない。

生きるというのは状態であり対義語は死んでいるである

だから、自分の生の流れの中に他人の死は起こり、自分の死はその生の流れを止める。

俺は常々目標や夢はその状態になっていないということが原因で自分に対するプレッシャーとなってブーメラン化する心の負債だと表現している。その原因は夢や目標といったものが極めて前向きであるからだ。今よりよくなるということを想定しているためどうしても向上的なものになる。しかし死について考える時、俺らはとんでもなく後ろ向きな仮定から始める。例えば「今日母親が死んだ」とか「彼女が死んだと連絡があった」ということを考える時、俺らは、そうなってほしくはな未来について考えるためそれは心の負債にならない上に、もし本当に死んでしまった時への心構え、さらには後悔しないためにやれるべき事をやっておこうと考えるようになる。

イマを強く意識して生きていくことこそ大切なことだと思うんだけどなぁ。

2010-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20101114233816

転勤が3年周期ってわかっているなら、

自分単身赴任しているんだ!って思って赴任先を観光して回ったり、

飛行機ホテルの予約の早割つかって定期的に都内に戻ってくるようにスケジュールしてしまえばいいんじゃないかな?

赴任先を一人で観光するのは寂しいよって思ったら、

SNSつかって友達さがすのもいいし小規模OFF会参加したりしたらさみしくないよ。

あと社会人になるとどうしても運動不足になりがちなので

女性多そうなスポクラにいっても楽しいよ。

仲いい人ができればそれに越したことないし、雰囲気悪かったらやめればいいし。

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103195140

でも同居義務って罰則あるわけでもないしなあ。単身赴任だって多いし

2010-08-19

利根川のことば

想像してみろ

何も築いてこなかったおまえらに

どこまで想像が届くかわからぬが 想像してみろ

いわゆるレールの上を行く 男たちの人生

おまえらのようにボォーッとしちゃいないぞ‥‥!

小学中学と塾通いをし‥‥‥

常に成績はクラストップクラス

有名中学 有名進学校と 受験戦争のコマを進め

一流大学に入る‥‥‥

入って3年もすれば

今度は就職戦争‥‥

頭を下げ

会社から会社を歩き回り

足を棒にしてやっと取る内定‥‥‥

やっと入る一流企業‥‥

これが一つのゴールだが‥‥‥‥‥

ホッとするのも束の間

すぐ気が付く

レースがまだまだ終わってないことを‥‥

今度は出世競争‥‥

まだまだ自制していかねばならぬ‥‥!

ギャンブルにも 酒にも女にも溺れず

仕事を第一に考え

ゲスな上司にへつらい

取り引き先にはおべっか

遅れず サボらず ミスもせず‥‥‥

毎日律儀に 定時に会社へ通い

残業をし

ひどいスケジュール出張もこなし‥‥

時機が来れば単身赴任‥‥

夏休みは数日‥‥‥

そんな生活を10年余続けて

気が付けばもう若くない

30台半ば‥‥ 40‥‥‥

そういう年になって

やっと蓄えられる預金高が‥‥‥

1千‥‥2千万という金なんだ‥‥

わかるか‥‥‥?

千万大金‥‥‥

大金なんだ‥‥‥‥!

世間一般の道‥‥‥‥

つまり命を薄めて手に入れる場合

これだけのことをしなければならない

それに比べて おまえらはなんだ‥‥!?

必死に勉強したわけでもなく‥‥‥‥

懸命に働いたわけでもない‥‥‥‥‥‥

何も築かず‥‥‥‥‥

何も耐えず‥‥‥‥‥

何も乗り越えず‥‥‥‥

ただダラダラと過ごし‥‥

やっとことと言えば

ほんの十数分の余興‥‥

なめるなっ‥‥!

2010-08-13

イケメンじゃないのに最高にモテる友人がいるんだよ

見た目は中肉中背、顔は芸能人の誰にも似てないような、あえて挙げるなら、清潔感はあるのね

シンプルシャツシンプルパンツ、黒髪ベリーショートアクセ無し、本当に何も飾ってない笑顔が素敵な奴

言葉の往復のたびに、こっちが期待する表情になってくれて、安心して会話ができて、その人と話すと、男同士なのに本当に好感が持てるんだ

相手の接し方よりも微妙にくだけて、くだけすぎない、そういう対応がいつもできる奴

ボケれば笑ってツッコんでくれて、難しそうな話もちゃんと聞いてくれる

最低限の文学音楽映画漫画なら広く浅く知ってて、用語の使い方もあまり間違えないし、それでいて知ったかぶりは一切しない

知らないことはちゃんと聞いてくれて、それに答えても「俺には難しくて分からんわー」的な返事を一切しない

どんなへんてこな話をしてても全てに興味を持ってくれる上に、変な持論を展開しちゃうようなところもない

カラオケ普通にうまいし、レジャーに誘ってもすぐノるし、誘ってもくれる

俺は女の子との会話はニガテなほうだ、でもそいつが間に入るだけで俺は楽しく女の子と会話できるし、

そいつと一緒に居るだけで俺までカッコ良く見えるらしく、俺主導のナンパが成功してしまうほどだ、まさに虎の威を借りる俺

サラリーマンしてるのに、忙しいそぶりも感じないし、なのに貧乏臭い感じもない

文法思いっきり間違ってる英語使ってもちゃんと外人コミュニケーションとれちゃうところもすごい

 

もう完璧すぎて普通なら腹だたしいのに、怒れないし憎めない、、びっくりするくらい完璧な奴

そんな友人の携帯電話にはほんと数人のメモリしか入ってなくて、親族と俺と彼女サンくらいしかない

今の彼女は2人目だけど、本気の告白を少なくとも20人以上から受けてるし、セックスだけならもっと多人数と思う

全部断ってるのに悪評立ったりしないところも不思議なほど

 

3年前には俺にも彼女が出来たんだが、本命はやっぱり奴だった、ということもあった

 

そんな貴重な友人が、先月から単身赴任香港に行ってしまって、何が起こっているかというと

その友人の近況を知りたいっていう電話が俺にかかってくる始末

全員「あいつによろしくね!」って言って電話を切りやがる

 

もうたくさんです

2010-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20100713064715

両親が別姓でいること = 子供不安になる。

本当にそうか??って思う。勿論、そういう面もあるだろう。

不安をもっと詳しく書くなら、”僕はあなたたち(親)から大事にされていないの??”って気持ちでしょ。

でも、単身赴任とか、ワーカーホリックの親とかいろいろ、別姓以外にも上記の不安抵触することはある。

だから、別姓もそういう親と子供生き方の問題の中の1つでしかない。

で、単身赴任とかを考えてみると、

社会的に、最初子供のために良くない的な風潮があったけど、今じゃそこまでの感覚?でもないよね。

個別的に見ても、子供不安になったりせずにそれなりに暮らしている人がいる?わけだし。

データとか調べるの面倒くさいから、これだけで伝わってくれると助かる。)

つまり、

社会的な雰囲気(空気)で子供のために良くないんじゃないか??は、制度変化の過渡期としてよくある見方でしかないと思う。

子供不安になるっていうのも、別姓だから不安になるというより、全般的な親と子の接し方でうまれてくる(きた)感情だと思うので、子供と親の接し方について、理想的な関係を築く方法みたいなのを、突き詰めていけばいいんじゃないのかな。

2010-07-02

とりあえず前に進みます

http://anond.hatelabo.jp/20100630232355

どうも元増田です。

ブクマトラバなんてせいぜいブクマ10、トラバ2ぐらいだろうと思ってましたが

たくさんのブクマと応援のコメントトラバありがとうございます。

たぶん今までの人生で書いた文章の中で一番反響があったと思います。

 

とりあえず返信したいのですがコメントが多いので、気になったものだけ抜粋して返信します

 

請負」にしてまぁ法律的にはセーフだけど中身は一緒、という方針転換をしたのでそういう言葉になりました。

なのでいまでも社員には”派遣さん”と呼ばれる。俺らも派遣で通してる。

  • 病院に行ったほうがいい
    • 病院はまだ行く予定はないですが検討しておきます。ネットや本で情報を集めて

悪い病院先生無料カウンセリングの皮をかぶった新興宗教には気をつけます。

  • 真面目すぎるんじゃない
    • 真面目というより自分視野が狭いだけかもしれない。自分でももっと楽に

気楽に生きればいいのにと思うこともある

  • やってもいないのに不向きと結論をだすのはだめじゃない
    • 俺は行動する前に頭で考えて、何もしないまま頭の中で補完することが多いです。
  • 家族思いだね

その人達に迷惑はかけれないってことです。たまにニュースで前途有望な若者が死んでしまった

話を聞くと「かわりに俺が・・・」と思ってしまうのと似ています。

  • 今まで何してきたの?
    • 今まで特に努力勉強もしていません、ただ流されて惰性で生きてます。

 

なんか自己紹介したくなったのでつらつらと書いてみた。本文とはあまり関係がないので読まなくてもいいよ。

 

高校を卒業後は田舎を離れ東京専門学校電気系)に入学、新聞奨学生

しながら学校に行く。高校を卒業したら就職するつもりだったが、時は20世紀末で今よりずっと

不況だったし電子電気に興味があり進学をめざす。だけど電気工事士資格とかとれずに

新聞を配ることで精一杯で出席日数ギリギリ卒業

(ちなみに、この新聞屋の店長さんはよく誤配する俺を叱ったりもしたけど、ちゃんと面倒もみてくれる

いい人でした。今もずっと感謝してます。)

別に学費は親にお願いしても良かったのだが、俺は馬鹿で成績も悪く俺がいける高校は授業料の高い私立

だけでこれ以上迷惑を掛けたくなかったし、当時は思春期特有の父に対しての未熟な反感をもっていたので

父に頼りたくない!という気持ちも強かった。

しかし就職活動仕事で疲れてたし、自暴自棄になってたので2年の春休みからはじめて、卒業間近で

某業務用機器メンテナンスをする会社就職が決まった。

入社してしばらくしてから父が東京に来て、焼肉屋でふたりで酒を飲みながら食事をした。

 

その時、父の半生をはじめて聞いた。

高校卒業後、持ち前の計算力を生かして簿記資格を取り会計の道に進む。色々あって

複数の企業渡り歩いて、とある不動産会社会計を任される。その会社は当時まだ未上場だったが

会社上場を目指し、父も上場するためのメンバーに加わりみごと二部上場を果たす(後にこの会社

東証一部上場する。)その功績が認められたのか、父は東京本社に転勤がきまる。

でも父は転勤を拒否、退社する。

理由はその時の家庭状況だった。弟は知的障害がありその事で母はよく泣いていたらしい。今では寛大で

明るくいつも前向きな母が毎日泣いていたとはちょっとショックだった。単身赴任になると母を一人にする

ことになるし、かと言って親戚も知り合いもいない東京に母をつれていくわけもいかなかった。

退社後は保険会社に入社し、未経験だが保険の営業をはじめ、数年でその地域の営業トップに躍り出る。

要は父は何でもあきらめず、努力し勢い良く挑戦していくが、周りの配慮も怠らないデキル男だった。

 

さて俺の人生に戻ります。そんなリッパで頼れる両親を持った俺ですが、なんとか新卒

潜り込めた会社は三年ほどで辞めてしまう。持ち前の人付き合いの下手さが社会人になっても

顕著にでてうまくいかず、給料もその時は安いと思っていたので辞めてしまった。

貯金社員寮で暮らしていた時期もあって300万円程あったが、2年間一人暮らしニートをしていたら

貯金がスッカラカンになった。親は無職の俺を心配するし、かと言って親元には帰りずらいので

日雇い派遣をはじめることになる。結局つなぎのつもりの派遣が2年も続いてしまい、今物凄く行き詰ってる。

 

別に比較する必要はないんだけど、やっぱ男として父をライバル意識してしまう。

父は職場では信頼されて、時には母には内緒で部下の借金の肩代わりをしたり

人事を任されていたときに採用した人間がのちの社長になったりと、まぁ月とスッポンです、ハイ。

 

リーダーや班長とか今までほとんど任されず、人からも信用されないしどちらかと言えば

自分から人を避け、周りから避けられていた人間なのでどうも社会にも人生ににも居心地の悪さを感じる。

この居心地の悪さは家族に対しても同じ。もう一人暮らしを10年もしてると家族とはいえ

同じ屋根の下で暮らすのは不安である。

でも、杖をついてヨボヨボになった父を見ると、そろそろ面倒をみないといけない気がする。

杖をついて歩く姿を見ると自分は何かしてあげてるだろうか?と自問する

色々と経済的に支援してあげたいが自分の生活がやっとなので無理なんだよね。。。

 

だったら勉強するなり転職するなりしろよ!と思うかもしれないが何でだろうね?今も全く行動に移せない

たぶんそういう性格なんでしょう、ごく稀にささやかに行動してあとは惰性で生きる。

実際この文章を勢いで書いたがどう終着点に持っていけばいいか考えるのが面倒くさくなってきたので

ここらで閉めようかなと思う。

 

とにかく今言えることは、はてなのみなさん色々と意見を有難う。

これからは肉食系になれないかもしれないけど、少しずつガッツリと意欲的に人生を歩んでいきたい

とりあえず就活面接をたくさんやることで”面接なれ”を身につけようと思います。

2010-06-13

俺は俺の父ちゃんの息子だと実感した瞬間

一人暮らしが初まってもう7年になる、実家は18の時に出た、今では年に数回帰る程度だ、

父ちゃん子どもと話はあまりしない方だった、母ちゃんはおしゃべりな性格だ、

家は母ちゃんの話が中心に話題が繰り広げられてたと思う。

俺が小学校高学年の頃だったか、父ちゃんが1年間単身赴任をした、サッカーの帰りの車で

父ちゃんに直接言われた、その時はふうん、って反応しかしなかったが、次の日学校から帰ると

今日から父ちゃんは居ないんだって一人泣いた記憶がある。

1年後父ちゃんが帰って来た、思春期真っ只中な俺は表には出さなかったが嬉しかった、

飼ってた犬は家中を全力疾走して喜びの遠吠えをあげてた。

小さい頃はキャッチボールとかしてもらった事があるが良く覚えていない、

どちらかと言えば小学生の頃父ちゃんが母ちゃんのケツを撫でまわして

父ちゃんのスケベ、変態!、っと叫んでた時の方が記憶に残ってる、今思えばあれはサインだったんだろう。

今日風呂上がりに暑かったんでパンツ一丁になってた、不意になんか懐かしい臭いがした、

あれ?、これどっかで嗅いだ気が・・・、それはプールの臭いでもあり、父ちゃんの布団の

匂いでもあった、自分体臭だった。

2010-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20100526170159

外注いいじゃん。なんでいけないのかなあ。

客観的に見てもまっとうな理由がある親御さん「は」助けてあげたいと思う。

1週間預けっぱなしとかは論外だけど、ある程度時間の融通の利く保育園が欲しいというのは、子供を預けて働く親御さんなら思ったことがあるんじゃないかな。

働いてません、働く予定もありません、お金もありません、でも子供は24時間いつでも預けたいっていうなら「それは違うだろう」と思う。ちゃんとその時間働いてて、収入なりのお金もちゃんと払うつもりがある人なら、いいと思う。待機中については、「24時間いつでも」預けなければいけないというシチュエーションがわからないので、要検討。面接くらいなら頻度も少ないし、ファミサポなりシッターなりで十分対応できるしね。

コメント増田は「親は1日中つきっきりで世話をしてこそ親」だと思っているのかな。

保育園幼稚園に行かせたら外注だし、習い事だって外注。近所の子に面倒みてもらったら外注。学校関係も学童も塾も全部外注。なーんだ、外注してない人なんてまずありえないじゃん。

程度問題? じゃあ1日何時間一緒にいればいいの? 一般的に、自宅勤務でない父親は一緒にいる時間がずっと短いけど、それはいいの? 残業が多い人は、単身赴任の親は育児放棄なの?

自営業で勤務先が自宅の父親が「小さいうちはやっぱり一緒にいてあげたいじゃないですか。なんで会社勤めなんてするんですか?」って言うようなもんだよね。

2010-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20100523214650

本人同士が結婚という形を取りたいなら、同居できないことは何の問題もないだろ。

一緒に住めないなら結婚する意味がないというなら、単身赴任はどうなのさって話になるし。

子供が欲しいとか、よりどころが欲しいとか、理由なんて星の数ほどある。

どちらかが転職しなきゃいけないなら、「ツブシのきくほう」なんだろうな。

他が同じ条件で、片方が「その会社でないとその職種はない」、もう片方が「専門職だが選択肢はある」だとすると、

前者は転職しようにも先がないが、後者は(収入や条件が下がるのに目をつぶれば)なんとかなる。

問題は、後者転職した後にケンカしたとき、前者が後者に「俺のほうが稼いでる!」と言ったり、

「負担は俺のほうが多いんだから○○しろ(家事とか親戚づきあいとか)」とか言ってしまったら、

それで最後になるよねってことかな。

それは絶対ありえないならいいのかもねー。

2010-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20100514094016

自分も自覚がある他人からの善意言葉を「呪い」って思ってる間は一生ダメだろうな。

元増田は、元増田自分彼女)以上に元増田仕事を大切に思ってくれる相手を探すしかないよ。

社内恋愛が一番容易い。

ケイドンドンブラック会社なら、相手が上司なら尚更良い。親会社の中間管理職とかなら最高。

それがダメなら、専業主婦で家に篭りたいって相手を探すといい。

で、遠距離だ何だ言ってないで、さっさと結婚する。相手が地元に残りたいっつーなら元増田がそっちに行くか、先に結婚して単身赴任する。

そういう人にとって、旦那の仕事は旦那以上に大切だから、文句言わないよ。

別に元増田の考えに問題や欠陥がある訳じゃない。

昔はそういう考え方で上手くいってた。

ただし、餌をやらなくなるのは自分で囲うって責任を全うしてからだ。

考え方じゃなく、中途半端な根性がダメ

間違っても、【自分意見をしっかり持った自立した女性】とかは相手にしない事。これに尽きる。

2010-05-12

親といえども切るときは切るべし

http://anond.hatelabo.jp/20100509080915

増田に同感。

親といえども手に負えないと思ったら縁を切ってしまえばいいと思う。

僕も実は親とは縁を切った。

50歳にして住宅ローンを組んで家を買ったはいいが、父親の自営業が行き詰まりを見せローンの返済に困るようになった。その頃僕はひとり上京していて欝と闘いながらどうにかこうにか生きていた。傷病手当金でどうにかしのぐ日々が続いていたが、一人部屋が欲しいと駄々をこねていたという自責の念から少々のお金だがローン返済に充てるよう仕送りをしていた。

一方、父親と仲の悪い母親パチンコ借金を作っていた。携帯母親からの着信があった場合、それはすべてがお金を貸して欲しいというお願いだった。初めは「これが最後だ!」と言いながらも渋々送金をしていたが、送金の条件としていたパチンコをやめることは全然していない様子だった。弟にもお金をせびっていたらしく、ついに僕は電話口でブチギレた。何と言ったかは覚えていないが、金輪際お前とは関わらんとかそんなことを大声で怒鳴っていたと思う。

そうして母親との縁を切ってから、僕はよく父親と連絡するようになった。単身赴任の多かった父親とは子供の頃から疎遠な関係で正直好きな父親では無かったのだが、いろいろと話を聞くに、パチンコ依存症で浪費していた母親に対していろいろと悩んでいたようで、ああ僕は誤解していたんだなあと同情するまでになった。

そして僕にも婚約者と呼べる人との出会いを経て、結婚しようかという時、当然結婚式費用などの話にもなるのだが、そこで父親は「なんで(お金が無いのに)結婚式なんかあげるんだ。式をあげるなら彼女の方からお金を出してもらえ」とまくし立てた。実はできちゃった結婚で、十分な資金を蓄えていなかった自分が悪い。だが、式の費用は両家で折半し、僕の父親にはその負担分は毎月返済するからと話したのだ。それでも父親は文句を言い続けて、ついに僕も切れてしまった。「もうお前とは縁切りだ!」と。

ごたごたを経て、今は可愛い娘を授かるに至った。孫を親に見せられないというのは意外にも悲しいことだと感じる。特に、嫁さんのほうのご両親が孫を可愛がる様子を見ると、僕がそれを親にしてあげられないのはなんと親不孝なのかと悩むこともある。だが、僕も親も金銭的に問題があり、一方がもう一方に頼れない状況でこうなってしまった。母親と縁を切ったのはいいけど、父親と縁を切ったのはちょっと酷だったかも知れない。

これからどうしようか、まあたまに思い出したときに考えている。

2010-04-23

Granddaughter of a bitch

祖母が亡くなって数年たった中学生の時、母親から「お前のばあちゃんはビッチだった」と言われた。

実際はビッチとは言わなかったけど。

母は祖母の不貞の相手との間にできた子だという。

祖父の出征の時期と誕生日を照らし合わせるとそう考えるほかないらしい。

実際、祖父と母とは全く似ているところが無い。

そしてそれは母が育った地方農村で、村の暗黙の了解だったそうだ。

どんな気持ちで母親が育っていったのか、祖父母が育てていったのか、想像もつかない。

ただ、夫婦の子である叔母とはかなり差をつけられて育てられたらしい。

そんな家族の中に、初孫として生まれたのが私だった。

私は家族に溺愛された。特に祖母に。

母は仕事をしていたため、祖母に私を預けていた。

母と祖母は、私の関心を互いに引きたがった。

今思うと、実の親子でありながらあれは異様なかけひきだったと思う。

実の母に「おばあちゃんとママとどっちが好きなの?」と問われる。

祖母には父母の悪口をさんざん聞かされる。

父はそんな家族から逃れるように長期にわたって単身赴任を繰り返した。

私は次第に異様な行動をするようになっていった。

耳や鼻に綿をつめる。机の中に潜って固まる。

小学校高学年まで日常的に失禁する癖が直らなくて、

さんざんいじめられたっけ。

今ならわかる。

子はかすがいと言ったりするけれど、

私は家族としての、形をなんとかつなぎとめた糊のようなものだったんだ。

私というこどもを糊のように使って、私の家族家族として形をとどめていたんだと。

ずっとずっと、わたしがわるい子だとおもっていたよ。

異様な私のせいで、家族をくるしめていたとおもっていたよ。

2010-03-06

友人(男)に聞いてみた

http://anond.hatelabo.jp/20100303200229

また、本題からは少し逸れるが、全国転勤の職業についている既婚女性は、いったいどんな結婚生活を送っているのか疑問で仕方ない。

もしそういう方もしくは周りに似たような境遇の人を知っている方がいらしたら、是非教えていただきたい。

 私自身は、そういう生活を送っている人に「どう暮らしているか?」と質問したことがないので知らないから、知ってる友人に聞いてみた。

 男性は一カ所に自分の両親と共に住んでいて、子供の面倒は男性母親に見てもらっていて、女性単身赴任で全国を渡り歩いているのだそうで。「転勤なら会社の都合なんだから、家族も文句言ったりしないよ。休職したのは子供を産む前後1カ月、つまり2カ月ほど」だそうです。

「だいたい会社勤めなら、転勤だって業務のうちなんだから、誰にはばかることもないだろうが」と友人(男)は言う。「性格的に一カ所に留まるのが苦手で、ふらふらふらふら、どっかに行ってしまう女性だって存在する。男性のほうがそれで良いならそれで夫婦として成り立つ。週末婚どころか月末婚だけど、それでお互いが納得しているのなら、それでいいだろう」と。

「要は、『結婚』に何を求めているか?ってことに尽きると思うし、それは他人が口出し出来ることでも、何かのモデルに合わせるようなことでもない。恋人とよく話し合ってお互いにお互いの何を必要としているのかをよく確かめあって、関係を続けるために必要なことを割り出してみればいい。お互いが精神的な支えになれればいいのなら、距離はいくらあってもいい。旦那さんは東京住まいで、奥さんはアラスカで熊撃ちしている夫婦だっている。結婚なんて二人が納得するスタイルでやっていけばいい」だそうです。

 こういう例もあるってことで。

2010-03-04

47歳だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100304131301

なんで年齢が問題になるのか理解したから、真面目に答えておくけどさ。増田でその質問意味なくね?

私が就職戦線にいたころは、女性は「クリスマスケーキ」でさ。25過ぎると売れ残るとか言われて。女性会社勤めするってのは、要するに「出来るだけ良い企業に入って、年収の高い旦那さんを見つけて、勤めて3年から5年で寿退社する」って前提だったのね。今みたいに「女だって稼いで当然だろ」なんて、だあれも思ってなかったから「もちろん、勤めるなら一生の仕事と思ってます。会社に骨埋めます」なんて女の子採用されなかったよ。

私の年代で転勤族に嫁いだ人は、自分仕事は行く先々でパートを探すのが精一杯。それも土地によっては同じ業種の仕事が見つかるとは限らないから、業種が変わればゼロからやり直しで30代で10代の子に使われてたりしたなあ。

真面目で有能で仕事に意欲がある人間ほど、採用されない時代の育ちからすれば、元増田みたいに「一生の仕事をものにしたい」って人は応援したいのさ。

銀行に勤めた友達と何年かぶりに会って、年収の話になったんだけど、私より3割がた近く低い収入で、倍近いグレード(家とか車とかから見てね)の生活をしていてびっくりした。ちゃんと経理が出来ると、お金運用自体がまるっきり違うんだよね。頭いい人は同じ年収でもグレード高い生活できたりするよ。

それに、外注ったって、身内に頼めれば、そんなに高いことにはならないし、育児休暇(もちろん取りにくい状況なのはわかってるよ)も保育園(3歳児までは待機児童でいっぱいなのも知ってるよ)もある。今は介護保険がある(始めてみたら、利用者が多くて、早くも財政パンクしていて、いろいろ方針を切り換えてるのも知ってるよ)から介護もだいぶお金かからなくはなったしね。

元増田女性だから、転勤うんぬんが問題になっているようだけど、兄は結婚10年目から単身赴任で、しかもちょくちょく外国出張に行く仕事で、めったに家に帰ってこない。10歳だった子供は、今25歳でもう働いてる。その15年間、兄が家に居なかったことを家族の誰かがとがめたって話は聞かない。男だったら仕事優先で単身赴任なんて当たり前だろって増田も思うでしょ? 女だって当たり前でいいんじゃないの? 今元増田が付き合ってる彼が「男はいいけど、女はダメだ」とか言う奴なら、とっとと別れればいいと思う。「男だろうと女だろうと家族が離れて住むなんてダメ」と言うのなら、話し合う余地もあるだろうけど。

問題はある。でも、それを乗り越える方法がある限り、意志を持ち続けるかどうかが決め手になると思うんだ。もしかすると、マジで育児手当が充実して、5年もすれば仕事しながら子供を育てるのがラクになる可能性だってあるしね。

厳しいから出来ないって言ってたら、なあんにも先に進まないよ。

2010-01-23

2年くらい前のことかな。19歳の頃っす。

自分アパート一人暮らしをしているんだけど、となりに住んでいる家族がすごく気になってたんだ。

そこは一人っ子で、父親単身赴任母親は夜遅くまでいないみたいで(自分、夜間のバイトなので

両親の顔を見たことがない)いつも夕方頃は一人で過ごしていたのね。

自分が出かけるときによく顔をあわせるんだけど、すごく綺麗な顔をしていて目鼻立ちが整ってる。

背が小さくて、超童顔だから、まだ小学生かな~と思いきや聞くと来年高校受験だそうな。びっくり。

で向こうは夕方とか暇っぽくて、夜ご飯のおすそ分けから始まってすごく仲よくなった。

で、さすがに犯罪だろ・・・と思いつつ、付き合うことに!


お互い家には誰も居ないので、1年くらい付き合い続けて必然的にエロなことをするわけさ。

童顔に似合わず結構エロい体してて、最初はノーマルなエッチだけど、だんだんアブ系にも手を出していくのよ。

かわいい顔が切なげな表情で悶えて自分に抱きついてくる姿なんか、すっごく萌えちゃって、

いつしかその子の学校帰りから自分バイト出勤までの時間だけ同棲する形にまでなってたのよ。もうほぼ毎日エッチしてた。


ある日、いつものように俺の部屋でイチャイチャしてたら、その子の携帯がなった。父親だった。

超久しぶりに家に帰ってきたとのことで今まさに家にいるが、今どこに居るんだ?とのこと。

(隣に住んでる一人暮らしの野郎の部屋にいるなんて思いもよらないだろう・・・)

彼女はあわてて隣の部屋に戻っていった。

俺もこっそり、どんな父親かな~と見てみたら、、、、

10年前離婚した俺の親父だった。。。。。。orz


以上、実話でした\(^0^)/

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