はてなキーワード: 単身赴任とは
http://anond.hatelabo.jp/20100303200229
また、本題からは少し逸れるが、全国転勤の職業についている既婚女性は、いったいどんな結婚生活を送っているのか疑問で仕方ない。
もしそういう方もしくは周りに似たような境遇の人を知っている方がいらしたら、是非教えていただきたい。
私自身は、そういう生活を送っている人に「どう暮らしているか?」と質問したことがないので知らないから、知ってる友人に聞いてみた。
男性は一カ所に自分の両親と共に住んでいて、子供の面倒は男性の母親に見てもらっていて、女性が単身赴任で全国を渡り歩いているのだそうで。「転勤なら会社の都合なんだから、家族も文句言ったりしないよ。休職したのは子供を産む前後1カ月、つまり2カ月ほど」だそうです。
「だいたい会社勤めなら、転勤だって業務のうちなんだから、誰にはばかることもないだろうが」と友人(男)は言う。「性格的に一カ所に留まるのが苦手で、ふらふらふらふら、どっかに行ってしまう女性だって存在する。男性のほうがそれで良いならそれで夫婦として成り立つ。週末婚どころか月末婚だけど、それでお互いが納得しているのなら、それでいいだろう」と。
「要は、『結婚』に何を求めているか?ってことに尽きると思うし、それは他人が口出し出来ることでも、何かのモデルに合わせるようなことでもない。恋人とよく話し合ってお互いにお互いの何を必要としているのかをよく確かめあって、関係を続けるために必要なことを割り出してみればいい。お互いが精神的な支えになれればいいのなら、距離はいくらあってもいい。旦那さんは東京住まいで、奥さんはアラスカで熊撃ちしている夫婦だっている。結婚なんて二人が納得するスタイルでやっていけばいい」だそうです。
こういう例もあるってことで。
http://anond.hatelabo.jp/20100304131301
なんで年齢が問題になるのか理解したから、真面目に答えておくけどさ。増田でその質問意味なくね?
私が就職戦線にいたころは、女性は「クリスマスケーキ」でさ。25過ぎると売れ残るとか言われて。女性が会社勤めするってのは、要するに「出来るだけ良い企業に入って、年収の高い旦那さんを見つけて、勤めて3年から5年で寿退社する」って前提だったのね。今みたいに「女だって稼いで当然だろ」なんて、だあれも思ってなかったから「もちろん、勤めるなら一生の仕事と思ってます。会社に骨埋めます」なんて女の子は採用されなかったよ。
私の年代で転勤族に嫁いだ人は、自分の仕事は行く先々でパートを探すのが精一杯。それも土地によっては同じ業種の仕事が見つかるとは限らないから、業種が変わればゼロからやり直しで30代で10代の子に使われてたりしたなあ。
真面目で有能で仕事に意欲がある人間ほど、採用されない時代の育ちからすれば、元増田みたいに「一生の仕事をものにしたい」って人は応援したいのさ。
銀行に勤めた友達と何年かぶりに会って、年収の話になったんだけど、私より3割がた近く低い収入で、倍近いグレード(家とか車とかから見てね)の生活をしていてびっくりした。ちゃんと経理が出来ると、お金の運用自体がまるっきり違うんだよね。頭いい人は同じ年収でもグレード高い生活できたりするよ。
それに、外注ったって、身内に頼めれば、そんなに高いことにはならないし、育児休暇(もちろん取りにくい状況なのはわかってるよ)も保育園(3歳児までは待機児童でいっぱいなのも知ってるよ)もある。今は介護保険がある(始めてみたら、利用者が多くて、早くも財政がパンクしていて、いろいろ方針を切り換えてるのも知ってるよ)から介護もだいぶお金かからなくはなったしね。
元増田が女性だから、転勤うんぬんが問題になっているようだけど、兄は結婚10年目から単身赴任で、しかもちょくちょく外国に出張に行く仕事で、めったに家に帰ってこない。10歳だった子供は、今25歳でもう働いてる。その15年間、兄が家に居なかったことを家族の誰かがとがめたって話は聞かない。男だったら仕事優先で単身赴任なんて当たり前だろって増田も思うでしょ? 女だって当たり前でいいんじゃないの? 今元増田が付き合ってる彼が「男はいいけど、女はダメだ」とか言う奴なら、とっとと別れればいいと思う。「男だろうと女だろうと家族が離れて住むなんてダメ」と言うのなら、話し合う余地もあるだろうけど。
問題はある。でも、それを乗り越える方法がある限り、意志を持ち続けるかどうかが決め手になると思うんだ。もしかすると、マジで育児手当が充実して、5年もすれば仕事しながら子供を育てるのがラクになる可能性だってあるしね。
厳しいから出来ないって言ってたら、なあんにも先に進まないよ。
2年くらい前のことかな。19歳の頃っす。
自分はアパートで一人暮らしをしているんだけど、となりに住んでいる家族がすごく気になってたんだ。
そこは一人っ子で、父親単身赴任の母親は夜遅くまでいないみたいで(自分、夜間のバイトなので
両親の顔を見たことがない)いつも夕方頃は一人で過ごしていたのね。
自分が出かけるときによく顔をあわせるんだけど、すごく綺麗な顔をしていて目鼻立ちが整ってる。
背が小さくて、超童顔だから、まだ小学生かな~と思いきや聞くと来年高校受験だそうな。びっくり。
で向こうは夕方とか暇っぽくて、夜ご飯のおすそ分けから始まってすごく仲よくなった。
で、さすがに犯罪だろ・・・と思いつつ、付き合うことに!
お互い家には誰も居ないので、1年くらい付き合い続けて必然的にエロなことをするわけさ。
童顔に似合わず結構エロい体してて、最初はノーマルなエッチだけど、だんだんアブ系にも手を出していくのよ。
かわいい顔が切なげな表情で悶えて自分に抱きついてくる姿なんか、すっごく萌えちゃって、
いつしかその子の学校帰りから自分のバイト出勤までの時間だけ同棲する形にまでなってたのよ。もうほぼ毎日エッチしてた。
ある日、いつものように俺の部屋でイチャイチャしてたら、その子の携帯がなった。父親だった。
超久しぶりに家に帰ってきたとのことで今まさに家にいるが、今どこに居るんだ?とのこと。
(隣に住んでる一人暮らしの野郎の部屋にいるなんて思いもよらないだろう・・・)
彼女はあわてて隣の部屋に戻っていった。
俺もこっそり、どんな父親かな~と見てみたら、、、、
以上、実話でした\(^0^)/
ttp://antikimchi.seesaa.net/article/115120957.html
130 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:25:43 ID:+3rijH2NO
131 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:27:45 ID:QSIxBset0
»130
すごいねそれ。
133 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 07:32:14 ID:+3rijH2NO
»131
135 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:07:49 ID:jQ8MsI3P0
140 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:33:01 ID:txfB0aBR0
»130
»133
「国際会館」じゃないか?
ttp://24u.jp/info/index/town_id/694553/
ttp://www.e-shops.jp/local/lsh/an/3/520326.html
143 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:42:29 ID:+3rijH2NO
»140
すいません。正式名称は「国際会館」のようです。
地元では「コクサイ」としか呼ばなかったので。
勘違いしていたようです。すいませんでした。
145 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 08:45:47 ID:txfB0aBR0
»143
じゃ»140でいいの?
住所が大体同じかどうか分かるといいんだけど
大久保がいっぱいいる可能性もあるだろうし
159 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 09:13:38 ID:+3rijH2NO
»145
はい。間違いありません。
本人も鍵番として働いていました。
その後、某住宅会社に就職し市議会議員になり、市長選落選、小沢秘書という流れです。
嫁と息子二人は今も釜石に住んでいます。秘書になってからずっと単身赴任状態です。
164 :名無しさん@九周年:2009/03/04(水) 09:21:48 ID:txfB0aBR0
»159
黒すぎるwwwww
朝日が資料隠していた理由はこれかwww
【社会】逮捕の「側近中の側近」秘書、小沢王国・岩手でゼネコンを統率 「小沢氏の権威かさに着て恫喝するようなタイプだった」
ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1236109423/
>迫りくる総選挙に向けた実務を取り仕切る大久保秘書の姿とは明らかに異なっている。
>東北地方全域で展開した公共工事受注のための活動内容を詳細に記したものだ。
>そのなかに「盛岡(営)の所長より、県立病院」と題されたページがある。
>「小沢氏の考え、大久保氏を育てたいという意向を持っている」
>「仕事の話は大久保秘書にし、ほかはあいさつだけにしておいたほうがいい」
>「まず、大久保氏(小沢党首の秘書)を通じて根回しをする。その指示を待て」
>「営業所長は大久保氏を通じて今年度中に
>ゼネコンのしかるべきトップと支店長で直接小沢党首に面談し『お願い』をすること」
>「口利き依頼、陳情……。最も力を持っていたのが大久保氏だった。
http://anond.hatelabo.jp/20090802231749
いや、心療内科行ってるかは俺が書いたけども、単身赴任行けは別の増田が書いたよ。
働いている親が離れたいがために、単身赴任したいなんてのは親子双方に弊害も多いと思う。
相方がバイクを買ってきた。コミコミで5万だそうだ。それ自体は格安で、大変お買い得だと思う。どこからお金出したのか聞いたら「前のバイク(事故で廃車にした)の車検用にとっておいた」お金から出したんだそうだ。
ふーん。
で。
嫁から借りたお金はいつ返してくれんのかな?
嫁に来てこの方10年、一度ももらったことの無い生活費の請求まではせんわ。今更。
サラ金の借金を親に肩代わりしてもらって、通帳とお金の管理を嫁に任せるって言って、それ以来(今年の一月以来)毎月給料から一定の現金をもらってはいるよ。けどな、毎月渡してもらってる生活費以上のお金を、アンタのカードの支払いに足が出るからって嫁の貯金崩して補填してるのは一体どういうことかね。
カードが使えないと出張の時とか不便だろうから、利用停止にならないように気を遣ったのがそもそもの間違いだった。そんな仏心いらなかった。
もう次からビタ一文だしてやらん。自分で何とかしろ。ただし、サラ金に手を出したら速攻離婚な。
大体さー、借金があるのにモノ買うって何なの?その金あったらさっさと返そうと思わんの?まあ、思わんからサラ金に200万もの借金するんだろうけどさ。
いっぺんカード全部取り上げて、現金だけで生活する習慣を付けさせなきゃだめだ。
そのバイクなんだが、何に使うかといえば、単身赴任先から毎週末家に帰ってくるため、だそうだ。帰省のための旅費なんか会社が出してくれるわけはなく。ちょっとでも旅費を浮かすために、バイクで行き来しようと思ったそうだ。車よりも新幹線よりも安いから。
偏食の旦那と結婚してはや10年以上になります。
どんだけ偏食かはレスがあれば書きますが、ものすごい・・すさまじい偏食です。
つきあう前にからかってたので知ってて結婚したのでまあ、自業自得です。
今の状況は、おしゃれなお店にはだんなとはいかないです。ああいうのは友人といくものです。
結婚してからの暮らしにはいろいろと割り切りが必要です。
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あなたの彼氏さんの場合、偏食とか店とかいうより、カロリー摂取と栄養バランスが問題です。
コンビニも最近は添加物にうるさいので、コンビニゴハンをたべているからといって味音痴と切り捨てることはできませんよ。
あなたが本当に気になっているのは、実は「味音痴」ではないとおもいます。
(マナー、カロリー、これ以後「私」さんのいきたいタイプのお店につれてってもらえる気がしない、etc)
かわりばんこに店の選択権を譲り合うとかしてください。
「サラダ食べないと死ぬ。」「サラダってのは野菜1種類じゃなくて5種類以上。」「量は少なくても野菜がいろいろたべたい」
など耳にたこができるほど繰り返しました。
むしろ、コンビニゴハンをしっかり選んで食べられる人ならまだ、
単身赴任しても手の掛からない男に育てることができます。
彼氏は育てるものです。がんばれ。
http://anond.hatelabo.jp/20090621214329
今まで喜ばれたプレゼントをいくつか書き出してみました。手ごろなものばかりですが…。
専門店や伊勢丹のメンズ館などで、趣味と好みに合ったものを用途に応じていくつか選びます。クラシクス・ザ・スモール・ラグジュアリ(http://www.classics-the-small-luxury.com/)でオリジナルの刺繍やイニシャルを入れてもらうのもいいかも。
・4711
世界初のオーデコロン。ブランド名はナポレオン占領時代の番地にちなんでおり、ナポレオンも愛用したとか。歴史好きにはいいかも?シトラスを基調にしたさわやかな香り。
父がよく着るブランドで買いました。何枚かあげたうちの1枚はサイズ感とデザインがすごくお気に入りだそうです。
・文庫本
わたしも父も本が好きなのですが、自分では選ばないような本を、ジュンク堂からヴィレッジヴァンガードまで数軒回って、選びます。父の好きな作家、軽めの純文学、ネタ本とかいろいろ混ぜるのがコツ。参考までに、今まですすめた中で面白いと言ってたのは、向田和子『向田邦子の恋文』、恩田陸『六番目の小夜子』、酒見賢一『墨攻』、高野秀行『ワセダ三畳青春期』、糸井重里『言いまつがい』、ケンタロウや『365日たまごかけごはんの本』などの簡単なレシピ本、あといまはやりの太宰治の短編集です。
(http://www.yomiuri-tys.co.jp/jigyou/kibou.html)
これは誕生日用です。読売新聞のサービスで、記念日の新聞のコピーをラミネートして下敷きのようにしてくれます。一回しか使えないのが難点ですが…。
・入浴剤
バラエティショップなどで面白いものをセレクトして買っています。父が海外にいた頃は無印良品のヒノキなど和風のものを中心に選んでいました。
・手書きのカード
これは鉄板ですね。絶対添えたほうがいいです。書くことがないと思うかもしれませんが、意外と書けるものです。面白いカードがたくさん発売されています。
今年は事情で遅れてしまったのですが、国内の革メーカーの定期入れをプレゼントしようと思っています。喜んでくれるでしょうか。うちの父も、仕事で疲れているのと年も年なので、PCやDVDなど機械を扱ったり、新しいことを始めるのが難しいようです。(自分で買ったiPodは曲を入れることすらせずに放置していました…)わたしも絵を描きますし、時計や万年筆、アンティークなどが好きなのですが、やはり好みがあるので、プレゼントしてもらいたいかと言われると微妙です…。(気持ちはうれしいですけどね)
以下個人的な話ですが、父とわたしは就職の時に揉めて以来気まずい関係でした。でも父が途上国に単身赴任した時に、父の日や誕生日に小包やカードを送り続けていて、それがつらい時のなぐさめになったようでした。何かあるたびに本やプレゼントの感想を言っていました。わたしもプレゼントを通じて謎の存在だった父について知ることができましたし、父のことを気にかけるようになりました。今でも自分の買い物をしている時に「あ、これお父さんによさそう」と思ってつい買ってしまいます。アウトドア用タオル一枚でも「ウォーキングの時に使って」などと言って渡すと本当にうれしそうです。
余談ですが、うちの祖父母も、初任給で螺鈿細工の箸を買ってあげたし、敬老の日もかかさず贈り物をしているのに、いまだにはじめての遠足の時におこづかい500円の中から、おちょこと花瓶をプレゼントした時のことばかり言っています。(父母と祖父母に買ったらちょうど500円で、自分の分は買わなかったそうです…。子どもってけなげですね)この前なんか一週間前にあげた旅行のお土産を無視しておちょこの話をしていました。きっと年をとると時の流れとか、時系列と重要度とかが違ってくるんだと思います。悪気はないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
別に連れて行っちゃだめとは言わないよ。
連れて行くかどうかはその家族次第であって、
別に傍からどうこう言うものじゃないじゃん。
一般論ならどっちもありでしょ。
授乳時期以外だったら別に面倒見るのは父親でもかまわないんだし、
僕と父は単身赴任で一時期離れていたことがあって、
とてもよくキレる父だったが、最近はちょっと大人しくなった。
かといって僕は少年期、青年期をびくびくと過ごしたわけでもなく、
至って普通に過ごしたのだが、突如キレる父はなかなかに性質の悪いものだった、と思う。
僕の母はこれまたなかなか性質の悪い人で、
結構ヒステリックなところがあって、愛はあるけれど、
子供を育てることと、自己実現を、同じことだと見てるような人間だった。
僕がそれに気づいたのは高校生の時で、
その時「あんたに喜んでもらうために、あんたに自慢してもらうために東大に行くんじゃないぜ」って言ったのを今も覚えている。
「あんたが頑張ったから俺が東大に入るんじゃないぜ、この俺が頑張ったからであって、あんたはまったく関係ない」とも言い放った。
僕の人生は僕個人のものだ、と今でも思っている。
弟はよく分からない自信を抱えたまま、底辺私立高校へ行って、その後肉体労働に従事している。
この兄が、彼を腐らせたと言っても過言ではない。
彼と僕の能力の差は歴然だったのに、僕は彼に平等を求め、彼を潰したのだ。
僕はここにおいて、彼の人生を歪めてしまったことをとても後悔している。
僕は賢い子供だった。
一族の行事から、抜け出したい一心だった。
過保護すぎて嫌になる祖父母と、僕が歪めてしまった弟。
だから、僕は自分が家庭を持つのが怖い。
絶対に怒らない父になりたい。
でもなれないだろう。
そしてその度に僕は自分を責めるだろう。
それは、辛すぎる。
僕は、僕の為に、家庭を持ちたくはない。
http://anond.hatelabo.jp/20090207203341
俺の家族もそんな感じだ。単身赴任のおかげでなんとか均衡がとれたとおもったら矛先が俺に向いてる。 おかげでうつで大学受験がままならないんだ・・
まあそれはともかく、参考になる本を紹介するよ。負の遺産は断ち切ろうぜ。
父の話。
結婚してからこのかた母に馬鹿だ屑だ脳なしだものを考えることができない人未満などと罵詈雑言の限りを尽くされ五十代半ば単身赴任先でボケが始まった。罵詈雑言から逃れた安心感からかもしれない。三年の任期を終えて帰ってきたとき母から見れば父はかなりわがままになっていた。それでも頼まれなくても家事をしてうまくないけど料理はして仕事もちゃんとして平均から見れば相当良い年収を得ているのに、母はそれでも自分の思い通りにならないことに半狂乱になって父を攻め立てた。
帰ってきて五年。今年還暦を迎えた父に昔の面影はない。昨年癌を発症したこともあるが表情がなくなり顔に生気がない。ただ罵倒されるのを聞き流す毎日。物忘れが増え失敗したことを忘れ無駄なことばかりする。鬱なのかボケなのかはっきりしないがおそらくこのままぼけていくだろう。会社は定年までまだ席を残しておいてくれているのはありがたいことだ。
十になるより前からはやく離婚してほしいと思っていたが父にはできなかった。共依存の関係になって子供たちを巻き込み、子供たちが家を出るまで自分は仕事に逃げていた。憐れみは感じる。でも同情はしない。
早く他人になりたいと願っている。早く結婚をして姓を変えて彼らと違う家族になりたい。彼らと家族であることが苦痛で死にたい。それでも結婚したところで自分も同じことをするかもしれないという恐怖に毎日眠れない。死にたい。
その都市では一番大きい国立大学の、留学生用語学クラスにいたんだけど、日本人の留学生にちらほらオッサンがいるのね。
大学生ばっかりだと思ってたから最初は意外だったんだけど、どうやら現地にある某有名日本企業の駐在員らしい。
みんな単身赴任で来ていた。
駐在員で、現地の工場の日本人監督とかやる人は、中国語喋れない人は語学勉強しないといけないらしい。
現地の労働者と意思疎通できないといけないから。
社命で来てるんで、みんなすごく真面目だった。
2年間で検定の●級とらないといけないとか決まってたみたいで。
勉強は真面目だったんだけど、日本人留学生同士で付き合ってるうちに、イヤなところ見えてきた。
当時は五人くらいその企業の駐在さんが学校にいて、内四人が既婚者、一人が独身。
だから厳密には、その一人だけは愛人とは言えないかもしれないけど。
「それ社訓に書いてあんの?」てくらい、ガチで100%、駐在員には現地の女がいた。
留学生寮に中国人の若いお姉さんが出入りし、クリスマスだのイベント時には高めのレストランでデートしてたり。
もちろん、愛人がいることを、我々学生でやって来た留学生達に公言してたから、私も知ってるんですよ。
「言葉を覚えるには一番の方法だよね」とか、
「ちゃんと帰国する時がお別れの時って約束してるし」とか、
かなり開き直っていた。
駐在仲間がみんな同じように女と付き合ってるし、学生たちからしてみれば彼らは大人なので、みんな正面から批判しないしで、罪悪感が薄れてたんだと思う。
でもね、日本から奥さんと子どもが遊びに来るという時があるので、口止めはされてた。
しれっと奥さんを我々に紹介している姿なんか見てると、「チクったろか!」という気分になったものだ。
中国人の女性からしても、ダブルペイ(手当が出るので日本で仕事した場合の倍額くらい給料が出るんだそうだ)でお金持ってて、
日本人(外国人)で優しくしてくれて、というとフラっといっちゃうみたいだった。
みんな、駐在員さんたちの遊び場、つまり女の子が付くカラオケとかクラブとか、そういうお水系の商売してるところで働いてた女性。
思えば幸薄そうな顔した女性が多かったような。
駐在員さんたちは一年から二年で学校終わらせて付き合いもなくなるから、その後彼女たちがどうなったのかは知らない。
学校が終わるとその企業の駐在員さんたちは、大学の留学生寮からホテル附属のマンション(社員寮になってる)に引っ越すんだけど、
留学生寮は狭いし部外者は住めないんだけど、マンションでなら一緒に暮らせるらしい。
それでも、日本から奥さんが来る時はマンションから一時的に追い出すんだろう。
日本人駐在員が、札束で頬をひっぱたくような扱いで、中国人のお水の女性に相手をさせてるなんて話もよく聞いた。
金にものを言わせてかなりえげつない遊び方もしてるとか。
企業名はここでは伏せる。
こんにちはこんにちは!mixiは退会しちゃったからここにかくよ!←文句は勝手にパクってるだけだよ!
ちなみに入会後にiPhoneに変えちゃったからmixiには再入会できないんだってさ!なんとかしてよミクシィ!
さて、いくつかあやまらないといけないことがあるんだ。
まず、うつ病の状態で日記を書いてたせいで、一年間「チラシのウラ」に書くべきことをつらつらと書き連ねてしまったこと、ごめんね!
うつの状態が慢性化してるのの気づかなかったせいか、僕の思考のどこからどこまでが「健常者」クオリティなのか判断しかねてたんだ。
一応脳内ファイヤーウォールを厳重警戒モードにして、口数は多い方だったのにうんともすんともいわなくなったけど、ネットを掃きだめにしちゃ意味無かった。
というかネオリベっぽい言動をミクシィですること自体お門違いだった!
卒業してミクシィ解禁になって、もう1年間醜態をさらし続けていたんだと思うと、時空の穴があったら入りたい気分だよ。
思考力の鈍化・・・うつの束縛からは徐々に解放されてきた。生きてるだけで必死だったことも当たり前のように気づけるようになってきた。??finalventさんはやっぱりすごかったんだ!
回復期は不安定な状態が続くけど、あと少しだと思う。 焦っちゃいけないんだけど。
でもやっぱり生きることに対しては否定的なままだし、普段はそれをファイヤーウォールで検閲してるからテンション低くて無口なままだ。
そして、死ぬことに対して全く違和感がない。 というか、安息とか平和とか完璧とかそういうポジティブなイメージしかない。
だからこれからは死を魅力的にしないようなメタ認知的な意志決定をしていかないといけないんだと思う。
でもご存じの通り、寮で一緒に暮らして3年のときは死にたいとかウツだとかおくびにも出さなかったけど、この前メッセでぽろっと「死にたいんだ・・デフォルトで」っていっちゃった。
そのときはYとKがつきあってくれてたよね。
それでKにたしなめられて、なんかいろんなことに絶望した。 絶望する材料が(また)たまってきて、そのトリガーがそれだったんだな。
フィルタリングできなかった自分と、「そんなこと相談されるYがかわいそう」って憐憫の矛先がそっちかよ!って思っちゃったことと、Kは僕のこと嫌いなんだよなあってことと、ぶっちゃけうつ病の浪人生なんて付き合ってていいことないよなあ、っていうことと・・・
あと、ミクシィで健常者の言動をまねぶのが窮屈で仕方なかったって気づいたこと。
僕、高校のころの記憶はあまり残ってないんだけど、友達との関係もすべて過去完了形でおわらせてしまおうと思う。 どうせおぼえちゃいないんだ。
・・・はあ。 環境に嘆いても始まらないんだ。 僕の親が両方(元)中国人だったり、僕が帰国子女でインターナショナルスクールに通ってたこととか・・・小5までは日本で育ったと家、日本の高校になじめない材料はただでさえあったんだ。 ??????この言及自体、自己憐憫に属してしまうね。 すまない。
もっとすまないのは、去り際に何も言わなかったことだ。 ミクシィもメッセもメールもすべて衝動的に消してしまった。
・・・なにをするにしても、禁則事項になってしまう。 まだ自分の認知がうつバイアスから回復してないかもしれないってだけで怖いのに。 僕はちっぽけな傷口をなめてほしくてたまらないんだ。
去り際に何かを言うと、それも禁則事項になってしまうようなきがする。 自分でも恥を増やしたくないって思惑もあるけど、たぶん僕がいない暮らしのほうが快適だと思う。
みんなは京都大学や大阪大学やら東京大学やら、いろんなところで活躍して欲しい・・・一般人として。
・・・・・がんばれが禁句のヤツががんばれって、愚かしさもきわまったよね。
・・・・ポジティブに行きたいんだけど、僕が「がんばります!」って、もう説得力ないよね。無担保では・・・
1回途中でうつ病から回復してて不安定ってことで寝込む理由につかっちゃった。
とにかく、高校の人たち、いままでありがとう。 さようなら〜FOREVER!
さて。
受験の問題が残ってるんだよな。 死にたいってポロって漏らしちゃったのも、受験のことをどうするのか相談に乗ってもらったときだったよな。
というより、受験は「どれくらい生きる意志がありますか?」の問題になっちゃうんだ。 ぶっちゃけると受験なんかどうでもよくて、死ねちゃえばそれでいいんだ。
カリウムも買ったし、注射器もある。 でもなんか踏み出しにくいんだよな。 きっかけがないとな・・・
たぶん僕が唯一行える譲歩が、なぜか「東京大学ならいいんじゃない」なんだよな。 スパルタ式進学校の洗脳はすごいな。
はてなでマッチョーウィンプの議論をみてきたせいなのかもしれない。 何をするにも低水準で、妥協を空気のように行うわが母君に嫌気がさしてるのかもしれない。
父親は単身赴任で上海だしなあ。 母親は毒親っぽいけど、うつ病のぼくがいっても説得力ない・・・
英語はもともと得意なんだ。 東大の試験でも満点ねらえるんだ。
でも高校の頃の記憶がない・・・というより、高校にいるあいだはうつ真っ盛り大流血バーゲンで、脳内HDDの読み取り/書き込みができなかったんだ。ずっと。
それで、去年卒業して幾分か回復して、高校の数学と物理と生物と倫理を詰め込んだ。 とりあえず知識と基礎的な応用はすべて身についた。
といっても夏ぐらいからうつが再来したけどね・・・ けっこうがんばったとおもうんだ、そういう状況を鑑みたら。
普通大学受験に記憶喪失(←便宜上こう呼称してる)もうつ病も、HDD読み取り/書き込みも関わってこないよね!?
・・・っていうのが僕の論点なんだけど、東京大学は英語の力を持ってしてもちょっと辛いな・・・
・・・ということで、もう一年。 さっき母親と一週間に及ぶ交渉をおわらせて、やっとOKがとれた。
一人暮らししてもいいって!
(本当は一人暮らしは好ましくないかもしれないけど、母親は外的病原体みたいなものだってドクターもいってるし、ドクターも一人暮らしには同意してくれた。)
それで、どこに一人暮らしすると思う?
京都だよ!
このまえ家でして泊まらせてもらった君の家、京都大学近郊すぐちかくだよ!
なんてこった。 いやでも思い出してしまう。 KとY、たのむから平和でいてくれ。
はてブをみてたらゲストハウスもいいかなあ、って思えたんだけど、京都にも大阪にもあまりいいのがなかった。 だから学生専用の一人部屋を借りることにしたよ。
実は夜間、ゲストハウスの管理人として管理室で寝るだけのバイトがあって、それだと家賃無料だったんだけど、昼間はどこかにいかないといけないってことでNGをだされちゃった。
家の経済的な理由をひとりぐらし反対にあげたんなら、OKすればいいのにね。
経済的な理由ってものに僕の(ただでさえ枯渇気味の)生きる意志(笑)が局限されると死にまたコンニチハしちゃいそうだから、寝込んでる時間を生かして、
・・・まだ収益あげられてないんだ。まだ作ってる途中で、最初のポストは相互リンクするのめんどくさい。
普段からニュースをRSSで収集するクセがあったのが役に立ったよ! ほぼ自動化できてる。
Rubyとかできればコード書くんだけどなあ。僕はHSPしかできないんだ(笑)
高校2年で25キロやせたのはレジェンドだけど、あれ以来結局さらにやせた。高校入学するまえとくらべて35キロやせた(笑)
おかげで贅肉がとれて若干イケメンっていってもらえるようになったよ。 多分お世辞というかかわいそうな人へのはなむけだけど。
ダイエットしたいひとはうつになるといいよ。
・・・ものすごく収集つかなくなったけど、アイドリング中に高校の友達のことを思い出してしまうのはそろそろやめたいって思う。
一応、2010年の今頃に、アドレス張のバックアップが僕の新しいメールアドレスに送信されるようにしてるから、そのとき回復が進んで、関係を再構築できそうだったらするかもしれない。
でもしばらくは全て0に収束させようと思う・・・
メンヘルなりに精一杯あがいてみる。 結局禁則事項を犯しまくることが、一番回復への近道だと思う。 でも迷惑をかけるのも、これ以上僕に対して関心をもってほしくもないんだ・・・
Steve Jobs的に言うとbag of hurtだからね・・・
はてブでは最近自己責任教ってのが気になりだしたけど、たぶんこれも自分で自分の傷をなめる行為の一環に分類されるんだろう。
まあ、目立ったことは何もしないことで、サンドバッグ状態を作り出せるかな。
支離滅裂だね。そろそろ自重するよ。
今までありがとう。
この二人、四六時中電話している。
後者は新婚さんなのだが、入った大学院の都合とかで別居中らしい。
ちなみに私は電話が嫌いで苦手だから、
留学してこのかた一回もかけてない。かけたいとも思わない。
で、これまでずっと平気だったんだけど、
夜間、ふたりが電話で喋り続ける声が途切れないのに、だんだんイライラするようになった。
でも別に二人とも悪いことをしてるわけじゃないし、普通に我慢しているのだが
「私の旦那がー」「私の兄がー」「私の義母がー」って話を延々されたり
「ほんとに時間ない。忙しい」って愚痴を毎日聞かされたり(毎日2時間とか喋ってるからでしょうに…)
「なんで増田は電話かけないの?」「彼氏いないの?」etcetcと言われたりすると
うっかり切れそうになる。
家族に対する価値観が全然違うだけだというのはわかっている。なので、ここで切れても向こうには意味不明だろうと容易に想像つくし、だから切れないように自制している。二人とも深夜長電話するので、最近早寝早起きするようにしたら、顔を合わせる頻度が若干減ってちょっと快適になった。あぁ、電話の声を聞きたくない。壁が薄いのがうらめしい。