はてなキーワード: 出生率とは
端的に言えば
・人工子宮や代理母の制限を撤廃→初期は臓器用クローンが大量に作られるかもしれないがゆくゆくは一般化して不妊治療の一環として利用される→出生率アップ
・同性愛者による代理母や精子バンクを利用した出産制限を撤廃→人口の10%に及ぶLGBTによる出生が来される→出生率アップ
・近親婚の制限の撤廃→とにかく結婚とSEXの母数が増える→出生率アップ
この3つを最初から「無いものとして考えている」というのがおかしいんだよね。
なんだそれ?
全然出来るじゃん。
つまんない拘りを捨てれば解決する問題をどうしようどうしようって悩んでるの意味わからないよ。
「今月家賃厳しいんです~~~」と大家に土下座してる奴のすぐ横にAKBのCDがタワーになっているようなもんだろコレ。
そのよく分からん執着を切り捨てれば一気に活路が開けるのは明白なのに何が「厳しいんです~~~」だよって感じ
colaboを持ち上げているフェミニストもこれと同レベルなんよ
https://web.sekaishisosha.jp/posts/4193
リーマン・ショック以降、日本の貧困はマスコミにも取り上げられてきていましたが、それまで、番組で取り上げられたのは、ほとんどが男性のケースでした。2008年末の「年越し派遣村」にメディアが殺到した時も、派遣村にいたのはほとんど男性でした。女性の方が男性よりも貧困率は高いですが、それまでも、それからも貧困の女性はスポットライトを浴びることはなかったのです。だからこそ、「女性の貧困」に焦点があたったことは画期的な一歩でした。
「若年女性」?
クローズアップされたのは10代後半や20歳代の若い女性ばかりだったのです。ちなみに、新聞やテレビ番組では、私が推計した図1の「一人暮らしの女性」の貧困率の数値も引用されていました。しかし、図1の年齢層は、20歳から64歳です。「女子」とか「若年女性」といった言葉が、どの年齢層の女性のことを指しているのか不明瞭ですが、通常、こういった言葉から連想される10歳代、20歳代に限った数値ではありません。なのに、いつのまにか、これが若い女性の問題として取り上げられてしまったのです。そして、彼女たちの貧困問題の帰結として語られたのが、「生きていくのに精いっぱいで、家族を持つことなんか考えられない」ということでした。つまり、彼女たちの貧困が社会問題であるのは、彼女たちが家族を持てないからだ・・・すなわち、子どもを産むことができないからというストーリーが作られていたのです。
確かに、少子高齢化に悩む日本にとって、若い女性たちが貧困によって家族形成ができないようになるのは問題かもしれませんが、それよりも何よりも、彼女たち自身が貧困であるというそれ自体が問題なのではないでしょうか?将来、その人が子どもを産むかどうかにかかわらず、今現在、彼女たちが貧困で苦しんでいること、それが問題なのです。彼女たちの将来の「出生率」なんて、まったく関係ないことですし、女性の貧困問題をこのように理解してしまったら、今後、子どもを産む可能性がない女性の貧困は「社会的に注目するに値しない」となってしまうのではないでしょうか。
日本で、なぜ、高齢女性の貧困が問題とならないのか。高齢どころか、中年であっても、30歳代以上の年齢の女性の貧困について、社会的に関心が薄いのか。
社会は、女性を「産む人」としか見ておらず、「人」としては見ていないのです。
一人の出産年齢を過ぎた女性として、これには大きな衝撃を受けました。
考えれば当たり前のことなのですが、日本の女性の大多数は、今後、子どもを産む可能性がゼロかかなり低い人々です。まず、年齢構成的には、日本の成人女性の76%は40歳以上です(総務省統計局「人口推計の結果の概要」各月1日現在人口「全国:年齢(5歳階級)、男女別人口」)。このうちの多くは、かつて子どもを産んだことがありますが、今後、子どもを産む可能性はかなり低いです。また、そもそも一生子どもを産まなかった女性も急増しています。図2は、先進諸国におけるChildlessness(子どもがない人)の割合を生まれ年別に示していますが、日本の1970年生まれの人のChildlessness率は25%を超え、先進諸国の中で最も高くなっています。すでに、女性の4人に1人は、子どもを持たないのです。ですが、(「ですが」という接続詞を使うことにも腹が立ちますが)、女性一人一人が貴重な社会の構成員です。女性の貧困を語る時に、将来の出生率の話をするのは、すべての女性に対してきわめて失礼だと思うのです。
こういうのを見ても、児童手当って寧ろ少子化を促進してねーかと思うわ
それが今は1人目からもらえるようになったので、それなら子供は1人だけ産んでその子に教育費用を全部注ぎ込もうという親も増えるよね
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2006/18webhonpen/html/i1313100.html
近年、児童手当制度は少子化対策のひとつの手段として論じられることが多いが、制度創設の時期は合計特殊出生率が2を超えていた1970年代前半であったことからもわかるように、その目的は、出生率対策というよりも、子どもを持つ家庭の育児費用負担に着目して経済的支援を行うことにより、家庭における生活の安定と、次代の社会をになう児童の健全な育成と資質の向上に資することにある。
児童手当制度は、児童手当法に基づき、1972(昭和47)年1月から実施されている。発足当初は、第3子以降を対象とし、月額3,000円で、義務教育終了前までが支給対象であった。その後、1974(昭和49)年に月額4,000円、1975(昭和50)年に月額5,000円に引き上げられた。
日本軽視で客が逃げたとかそういうバカの妄想とは違う現実の数字の話。
なぜなら出生率低下でゲーム専用機の主な客層だった若年層が減ってるから。
今となっては親世代も普通にゲームするけど、総人口すら減るレベルまで人口減少が進んでるから
どっちにしてもこれから先の国内市場はゲームに限らずありとあらゆるB2C市場が先細り一直線だ。
PS5発売直後ぐらいに「SonyはPS5で日本後回しにする」って記事が出たときは
「またデマ記者のデマ記事か」みたいなブコメがゲハ残党を中心に盛り上がってたが結局事実だったな。
ただ、PS5でSonyが日本を後回しにしたのは商売的には正しい判断だったと思う。
どれだけ優先したって萎んでいく市場は膨らまない。
家庭用ゲーム機市場に関しては、日本市場は海外の盛り上がりのおこぼれを頂戴する側に回ってしまった。
これはどうしようもない現実だ。
それな
貧乏人専用子育て金券を配るシステム作りに配布額より金かけたりする本末転倒が防げる
金持ちが子供の教育に金かけるのは支援金があってもなくても一緒
人口置換水準の出生率2.1弱で安定すればいいのだけれど、先進国ではイスラエル以外は長期的には滅亡だからね。
正直人間が多すぎる気がする。
仕事してても「この仕事って本当に必要なんだろうか?」ってことが多い。
毎日7.5時間労働してるが正直ちゃんと働いているのは2時間程度しかない。
本当はたいしてやることがないのに、その時間職場の空間に存在しないといけないだけだ。そうしないと金がもらえないから。
無駄に人間が多すぎるせいで、その大人数を食わせるために不必要な仕事や職業も多すぎるんじゃないのか?
富国強兵政策あたりから人口が爆発的に増えただけで、本来は3000万人くらいいればいいのではないかと思う。
少子高齢化が叫ばれているが、ボリューム層の高齢者がいなくなった後は、
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。
だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。
こんな書いてるけど近親婚に対して反対の気持ちは特にない、子供産めとか障害児増やすリスク上げんなとか、人の自由を制限する理由にまではならんわな、本人の責任やし。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。
同性婚が認められるなら近親婚も同様だというのを見て、まあ確かに言われてみればそれらしい理由も思いつかんなと思ってたけど、1つ思うのは同性愛者ってまあ色々いるけどいわゆるレズとかゲイとかは「同性」というくくりの中じゃないと恋愛的に好きになれんという人間で、人生で何人好きになろうと異性を好きになることはないし、チンコもたたんみたいな。それに比べて近親愛者(?)ってあくまで特定のとある身内を好きになったってだけで、恐らく「身内じゃないと好きになれない!」というのは少ないんじゃないか。だから何かっていうと、こういう考え方がそもそもめちゃくちゃ嫌ではあるんだがやっぱり国としては子供(しかも健康な)を産んでくれな困る。そして同性愛者もその点を長い間持ち出されてるわけだが、じゃあ同性婚認められたら異性と結婚して子供産むかというと、昔ならともかく今はもうそんな人は少ないと思う。なぜなら「同性」という括りの中でしか恋愛できないから。そうなると同性婚認めても認めんくても出生率の変動なんて微々たるもんじゃないか。ただ近親婚の場合ちょっと違う気がして、さっきも言ったみたいに「近親」というくくりで好きになったわけじゃなく、好きになった人がたまたま「近親」だった。だからもし次に新しい恋をするとしたら、多分必ずしも近親になるとは限らない。それなら近親婚認めない方が障害児が産まれるリスクも下がるし…と考えるかもしれん。「いや、他の人を好きになるなんて有り得ない!」って人もいるかもしれんけど、同性異性近親その他何でも同様に結局人間なんて大半は付き合っては別れ、結婚しても離婚し、どんなに愛し合っててもいつかは冷める。同性愛者見てても性別違うだけでやってることは異性愛者の恋愛と何ら変わらんからな普通にめちゃくちゃ別れてる。ただ近親しかり同性しかり、世間から反対されてる境遇だと共通の敵が出来てお互い結束しやすくなるというか、冷めにくいみたいなんはあるけどな。こんな書いておいて別に近親婚に対して反対の気持ちは特にない。まあ同性愛者にも自分の身に降り掛かってる差別には気づけるけどそうじゃない事には鈍くなる人もおるし、何より何十年もずっと同性婚や同性愛が認められるよう活動してきたコミュニティとか人間らやったら、やっと世間的にまだギリ許容の雰囲気も出てきたとこに突然さらに現状ヘビーな近親婚が「お前たち認めるなら俺らも認めてくれ!」って付いてきたら認められるハードルがまたグッと下がるリスクになるから一旦、とりあえず別個にしてくれとはなるんちゃう。
実際、同性婚認められたら近親婚の説得力にも多少はなるやろうし、下手に乗っかって同性婚認められる確率下げるよりは認められてから声上げていった方が個人的にはいいと思った。
プリキュアに男出てくるのショックすぎてそれどころじゃない。