はてなキーワード: ナメクジとは
■概要
Google Homeが我が家に来た。「OK, Google」(もしくは「ねぇ、Google」)と声をかけるとそれがスイッチとなり、それ以降の言葉を指示として認識するようになっている。
いろいろ調べてみると「おーけー、ぐるぐる」でも反応するらしい。というわけで、Google Homeにいろいろと声をかけてみた。その記録である。
■結果1.「グーグル」の部分
OK, つるん → 反応なし
■結果2.「オーケー」の部分
モンキーレンチ, グーグル → OK, グーグル(一度だけ反応)
ほころぶ, グーグル → 反応なし
■考察
・「グーグル」の部分は「◯ー◯◯」のリズム(?)で反応するようになっているっぽい。
・但し、その形になっていてもサ行が入っていると反応しないようである。
・「オーケー」の部分も「◯ー◯ー」のリズムに反応するようである。守備範囲が広い印象を受けるが、それでもあまりにも「OK」から遠いと反応しない。「コーヒー, Google」は何度やっても認識する。
・一度言ってみて反応しても、二度目は反応しなかったりする場合がある。ツンデレかもしれない。
・「ボケ, Google」には反応するが「ボケカス, Google」には反応しないので、Google Homeはボケ以上ボケカス未満であると推測される。
日頃から口を酸っぱくして「これはケースバイケースだから上手くやってね」と教えているのにそれを守ってくれません。
何故なのでしょうか?
私の経験から考えれば、どう考えてもAという方法を取るべき所でBという方法を取ります。
彼には常識がないからそういう行動を取るとしか思えないのですが、彼が言うには「方法がよくわからなかった。次はうまくやりたいので教えて欲しい」と下手な言い訳をいつもしてくるのでいい加減うんざりしてしまいます。
「自分の経験からケースバイケースを判断して行動すればいいんだよ」と指導しているのに何故失敗するのかが全く理解できません。
このような部下を持った私の不幸を上司に訴えるべきなのでしょうか?
ですが、こんな無気力なクズのせいで私の人事評価が下がってしまうのだとしたら全くもって理不尽に程がある訳でして、なんとか解決できないものかと日々頭を悩ませています。
どうやら上司やその上の上司の間では私の教え方が間違っているというよからぬ噂まで流れ始め、今ここで私が正当な訴えを起こそうものなら、たちまち私はこの地位から降ろされるのではないかという所まで来ております。
おそらく、件の新人が裏で手を回してこのような卑劣な罠を仕組んだのでしょう。
なんとかしてこの状況を打開する方策を教えていただきたくこちらに投稿板居ました。
PS:
ヤフー知恵袋のクソ雑魚ナメクジたちには前にも同じ質問をした所、「貴方のような人間が人の上に立っている組織はよほど人を見る目がないのでしょうね」といった解答で埋め尽くされまともに質問が機能しなくなってしまいました。
どうやら例の人格破綻者が私の人生を破壊すべく行っている工作活動の魔の手はネットの隅々にまで伸びているようです。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ナメクジさん!まじめだね!!
長い文章が読めないクソザコナメクジが多いので、高校時代に現代文偏差値80オーバーだった俺が要約してやる。
ある程度長く、主題がはっきりしているものに限る。一行じゃない? 環境依存だ。知らん。
せめて違法サイトが勝ってる所は「無料」の一点だけであってくれよ。
結局は一番弱い末端の人間が真っ先に切られる
新成人の方々に喜んで貰えるのが良い成人式の条件だ。成人式に関わる全ての大人はそのことを念頭におき、責任を持ってあたるべきだ
リスクや損害があることは人の自由を奪っていい理由にはならない。リスクや損害には個別に対処すれば良い。
以上。他にも要約してほしいものあったら要約する。
はてな記法慣れないからもっと見やすくなる方法あったら教えてほしい。
この記事を書いたきっかけは違法アップロードサイトが人気なのは「無料だから」だけではないをまともに読めないスカボンタンが多数存在するという追記を見て絶望したからです。
増田本人に要約間違ってるって言われたらウケる。あえて言おう。それは書いた奴が悪い。
でも一番上の記事だけはヒャクパーあってる。命をかけるよ。
アメリカで上映された映画で、俳優が異星人に扮するため特殊メイクをしたことを受けて、人種差別や文化的配慮が足りないとの非難が相次いでいる。
映画「スター・ウォーズ」では、有名な惑星タトゥイーンのジャバ・ザ・ハットを再現しようと、俳優がナメクジのような姿の特殊メイクで造形した姿で登場した。この造形の考案者はヒキガエルとチェシャ猫を合わせた姿と述べている。
顔や体型を特殊造形して風刺するいわゆる「アプライエンスメイク」は、全宇宙的にはきわめて侮辱的な風習だと広く受け止められている。ジャバのイメージはアメリカの大衆文化に大きな影響を与え、彼の名前は肥満や腐敗の象徴としてフィクション作品や政治風刺に度々用いられている。「ジャバ・ザ・ハットのように見える」という言葉は、それを向けられた相手が「太っている」または「外見が醜い」という意味で用いられる。
タトゥイーン星出身ハット族の作家兼コラムニスト、リチャードソン氏は、ツイッターでこの作品の問題を指摘。ハット族は、「笑いのオチや小道具」ではないと主張した。
氏はツイッターで、「#アプライエンスメイクで出演するアメリカ星の人へ。ハット族だというのは、オチや小道具じゃないんだ。ジョークが必要? もっと腕のいい作家を雇って。ハット族キャラが必要なら、英語を話すタトゥイーン人俳優を雇って。でもお願いだから、#アメリカ星でアプライエンスメイク止めて。カッコ悪いよ」と書いた。
リチャードソン氏は、自分にとって「悪夢のシナリオ」は2028年にアメリカ星で開催される宇宙五輪の開会式で、「ハット族アスリートを称えるため特殊メイクに扮した俳優がチャルマン酒場の演奏をやらかすんじゃないかって、真剣に不安だ 」とツイートした。
選択の余地はなかったと思い込むことももちろん自由な選択の結果だよ
今の時点でも選択の余地はどこにでも潜んでいると信じている選択をしている俺と
そうは思わずに選択の余地がないと信じているそちらで選択が分岐してるじゃん
選択結果が複数存在する、選ばなかった場合の結果が存在する(実在する、ではない)ということは選択の余地があったということ
分かれ道があったということは、そこで左道を選ぼうが選ばなかろうが右道の選択を行ったということ
分かれ道に差し掛かったときに自動的に右に進むと予め決定するという選択の結果で右を自動的に進むのもそれは選択
分かれ道に差し掛かって選択した後であの時は選択の余地がなかったと理由づけできることそのものが
その分かれ道でどちらに進むのかを持てる情報と感覚を全て消費した故の結果であり
それを積み重ねた先で片方を除外してもう片方を選ぶしかない状況になったのならまさしく完全に自由なる意志的な選択行動の結果
ただそれにしても人間が現実を認識しきる能力というのはどこか欠けているのが常なので結局何かしらどこかしらに情報不測による選択の余地は付きまとう
原子力発電所を安全神話で信じていた選択は100%余地のない選択だったが現実の方は許してくれなかったわけだ
なるようになるしかないというのは生来の自分の価値観による自動行動選択に委ねるっていう選択をして思考的な労力を無くしたいという願望選択だろう
ラットでさえ経験で迷路の道を選ぶが同じ影響を与えても同じ反応を全くたどるわけではない
つまりそこでラットの個体間に思考の際が生じているということでラットは各々別の思考を持ってして選択しているわけだ、これは自由だな
なお、この実験は結果を人間が予期しているので強制させられている、という見方はそれこそ傲慢だ
実験する研究員はコンマ何秒後にラットがどのルートをたどるとか完全な予測なんてしてない
単にデータからこうなるだろうなと予測をしてこうなったらいいなくらいの感覚で行っている、研究者の大半はこうなってくれ頼むくらいで実験結果を待ってる
なお本能に基づく習性とか反射とかは個人の努力や経験からはどうしようもないことが多いのでその領域に関しては君のように自由も選択の余地もないだろうな
呼吸を止め続けるとか心臓を意識的に止めるとか無理だし自由はないだろう、
だけど顔面に物が迫ってきて目をつぶる反射的行動は訓練で抑えられたり本能的領域のものでも自動化を解除する方法はある
それを訓練しない人にとっては選択の余地がないように思えるけど格闘技や武道をやるやつにとっては自力で主導権を握れる選択権のあるものだと認識するわけだ
極論を言うと全能感のあるマッチョほど選択権が増えていき、そうでないクソ雑魚ナメクジほど世界は狭く不自由になっていく
なにせ自分の選びたい選択結果にどうやってもたどり着けないんじゃ、経験を重ねるたびに自分の無力さと不自由さを重ねるだけだからな
仮に産まれてこのかた自分の第一希望しか叶わなかったような人間が世界に選択はなく、全てがこうするしかなかったんだと言い聞かせて信じ込む必要なんてないんだから
だいたいそういうやつは自分の無力さを呪いながら別の選択をできなかったことを何らかのせいにして自責の念や後悔を払しょくさせたいだけ
しかし実際問題として自分の能力値さえ足りているならその問題は解決でき別の選択行動に移れたと仮定できた時点で自分がそこまで到達しなかったという選択をしたとも認識できる
テストの赤点取るのはなるようになったんじゃなくて、単純に学力が足りないのに勉強サボった選択の結果
ただし現実は死ぬほど強いのでどれだけマッチョでも選択を誤るときがくる、問題は同じことがあったときに自分がどう次の選択をするか考えて備えることだ