はてなキーワード: グレード制とは
いや~~~~オークス凄かった。リバティアイランド。バカクソ強かったね。
私はゴールデンハインドを厚めに買って無事爆死したんですけど、そんなことよりフジの立本アナの実況が近年でも有数の名実況だったと思うんでその話をしたいんですよ。もう昨日からずっと聴いてます。
下に直線の実況を写経するんですけど(したいから)、こういうテレビ実況は画面見てこそと思うしぜひカンテレ競馬チャンネルで見てくれ。観ろ。
さあ内に切り込んで青い帽子はヒップホウ…ヒップホップソウル、津村です
リバティアイランド!リバティアイランド先頭!早くも先頭!残り200を通過!
2番手追走ラヴェル!外からは、12番のハーパー、さらには12番のドゥーラ上がってくるが!
突き抜けた!突き抜けた!
もはや敵なし!もはや敵なし!まさに別格!!!
う~~~~~ん最高!(ちょっと噛んでるけどこんくらいはご愛敬)
まあ散々話題になってるけど「これほどまでに強いのか」。リバティアイランドの父ドゥラメンテが制した皐月賞からの引用。
よくフジの実況はラジニケとかと比較してポエムとか言われたりしますけどね、フジ実況の真の特色は比較対象をカンテレにしたときに現れるものであって、それは「熱い声でリズムよく大盛り上がり」だと思うんですよ。
三宅アナは超人だからこういうカラーを色濃く出しつつ気の利いたことも言いますけど、堺アナとかフィニッシュ時のキメ台詞は結構シンプルなんですよね。ハマった時の青嶋アナとかもそういうタイプで。ゆったりとポエムを詠む塩原アナは結構異端だと思います。
今回の実況で引用された吉田アナも「熱い声でリズムよく大盛り上がり」で「キメ台詞はシンプル」なタイプ。
ドゥラメンテ皐月賞も「これほどまでに強いのか!」超シンプル。でも七五調で語感いいし、吉田アナの声もすげえカッコイイ(そして何より当然ながらレース自体がすごい)のでメチャクチャ盛り上がる。盛り上がるね!
そんで今回実況した立本アナも「熱い声でリズムよく大盛り上がり」な実況。声質も迫力があって基本的にかなり好きなんですけど、なんか上手いこと言おうという邪念(?)も結構ある方でスベることもままある。
今回の本歌取りもそういう邪念(?)から発生してるんですけど、元の語感がめちゃくちゃいいだけにリズムを損なってなくてバチっとキマってる。私これまでは引用元の吉田アナのこと「文言自体は薄味だけど声質の良さで押し通る実況」だと思ってたんですけど、今回のこれ聞いてリズム作りとかすごいワザマエだったんだなぁと気が付かされました。立本アナも声がかなりカッコいいから原典の力強さを損なってないのも最高。
何よりリバティアイランドが本当に強すぎる。6馬身差て。グレード制導入以降最大て。
本当に「これほどまでに強いのか」としか言いようがないから上手いこと言うたったぜ的な臭みが吹っ飛んでたし、まさにドゥラメンテの衝撃がリアルタイムで蘇ったようだった。あ~~~~~~~~ドゥラメンテ蘇って。
あと何気に衝撃を受けたのが「圧倒的1番人気が先頭に立ったらもはや名前呼ばなくていい」というところ。こういうのが画面見りゃ分かるテレビ実況ならではで楽しい。
先日増田でヤフーの退職エントリを久々に見かけたから、懐かしくなって自分も書いてみようと思った。
こちら→ https://anond.hatelabo.jp/20220313111358
理由は主に3つあって、
といった感じです。
これは大半の退職エントリに書かれているので私が書くまでもない気がしますが、日系Web最大手というブランドに期待するとナカナカ渋いです。
若い子ほど待遇には不満を抱えていて、本当に優秀な子(エンジニア)は新卒3年目くらいに1200万とかで外資に引き抜かれてる現状。
それを目の当たりにしたソコソコの子も触発されて転職活動するんだけど、スタートアップあたりに600-700万くらいで軟着陸するパターンが散見される。
私は470万くらいで入社して、毎年50万ずつ伸びて620万くらいまで行きました。
毎期昇給していたのは、かなり恵まれていた方なのではと思います。それでも、牛歩カード使われた時の気分で働いていた気がする。
ヤフーの給与体系はグレード制で、グレードが上がると100万くらい一気に伸びるケースもあるんだけど、会社や組織の業績や昇給原資、他社員の成果との兼ね合いがクリアされないと上がらないので、「能力的には上げれるんだけど、タイミング悪いから、無理なんだ。ごめんね。」と2年くらい言われ続けており。。
自分が入社する直前まではわりとイケイケだったことを知っていたので、急に渋くなってしまったのは残念だった。ただただ運が悪かった(それ以前に、私に圧倒的技術力が無かっただけですね)。
でも、自分の仕事量を調整できる環境だったので、残業は月に10時間未満でした。有給も毎年ほとんど使い切ってた。
かつ、年間12万の技術学習費用がもらえたり、オフィスが綺麗で備品も充実していたり(付箋やホワイトボードを沢山使わせていただきました)、社食やカフェがオシャレだったり、社内コミュニティが活発だったり…(最初のやつ以外、コロナ禍で恩恵なくなりましたが)。
今は外資系ITで同じくデザイナーをしていて、1000万届かないくらいです(残業代が全額出るので、月40時間働いたら超える(今は月平均25時間くらい))。
平社員のデザイナーにもそんなに出してくれるんだーとか、1000万てヤフーじゃ部長になった上でソコソコ成果出さないと到達しないんじゃなかったかなーとか、ちまちま昇給すごろくから抜け出せてよかったーとか思います。
これは所属によると思いますけど、自分が居たところは20代前半〜半ばの子が中心の組織だったので、30代前半の社員は結構割を食ってたと思います。
まだまだ自分のスキルも伸ばしたいのに、マネジメント中心の業務だと、業務外で頑張るしかないので…
はやくマネージャーやりたいんじゃ!という人には最高の環境だったのかもしれませんが。
それでいて昇格も渋いとなると、居続けるのは最適解ではないのでは、と考えてしまいました。
今の会社は平均年齢が10歳くらい高いということもあって、一緒に働く人が50過ぎとかの事もよくある。
そんな老兵と一緒に働くの、嫌だという人も居るかもしれませんが、50までプレイヤーで生き残ってる人、プレイヤーに舞い戻ってきた人は滅茶苦茶に優秀かつタフです(n=8くらいですが…)。
その分緊張感も高いけど、今のところ楽しめてる。
その分雰囲気堅いのかというと、意外と毎週どこかでzoom飲みが開かれてたりする。ワイワイしてて楽しい。
私がいたところは出来て7,8年くらい経っていたので大部分が定型化していたし、個々人の役割がハッキリしてた。
それはそれで良かったんだけど、去年も今年も同じことやってるな〜となると、飽き性の私は停滞感を得ました。
ただ、仕事のプロセスは他組織で実績のあるフレームワークを採用しているから最低限の安心感があるし、その上で手を挙げれば職種に縛られず何でもやらせて貰えるので楽しめてます。
英語での商談にいきなり出ろって言われてテンパる時もあるけど。。
あとは、前から憧れてた本国のプロダクトチームの開発風景を傍観できたり、ナレッジシェアのセミナーに日本からも参加できたり(英語話せないので、聞いてるだけですが)、情報の収集元が日本1カ国から世界200カ国くらいになるのは楽しいです。
あります。
以上です。
30後半〜40前半でも転職するんだろうけど、次はどこに行けば幸せなんだろう。
終の住処とは。
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
(出来事)
1981 ジャパンカップ創設(メアジードーツが第1回の勝馬となる)
天皇賞秋の距離短縮(距離短縮後、ミスターシービーが最初の勝馬となる)
カツラギエースが日本調教馬として初めてジャパンカップを制覇する
ハッピープログレス(及び翌年のニホンピロウイナー)が本年からG1に格付けされた安田記念を勝利し、短距離路線の名馬として評価を受ける(短距離路線の確立)
1985 プラザ合意
ニホンピロウイナーが1983年以来3年連続で最優秀スプリンターを受賞する
1987 皇太子夫妻(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行啓し、天皇賞秋を観戦する(台覧競馬。勝馬はニッポーテイオー)
タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇(史上初の天皇賞2勝)を達成
オグリキャップが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1990年の有馬記念優勝を最後に引退)
東京優駿(日本ダービー)施行当日、196517名の中央競馬史上最高入場者数を記録(勝馬はアイネスフウジン)
社台ファームが種牡馬サンデーサイレンスをアメリカより輸入する
1991 降着制度導入(初の適用は1991年1月5日、中山競馬第8競走におけるミヤギノフジ(13着→15着)
メジロマックイーンが天皇賞秋において、1位に入選するも、進路妨害によって、18着(最下位)に降着(プレクラスニーが1着繰り上がりとなる)
1995 阪神淡路大震災
この年からJRAクラシフィケーション(旧フリーハンデ)がインターナショナルクラシフィケーションに基準を合わせることになる
1998 シーキングザパールがモーリス・ド・ゲスト賞を制し、日本調教馬として初めて海外G1を勝利する
タイキシャトルがマイルCSを連覇し、昨年のマイルCS以来、短距離G1を5連勝する
1999 エルコンドルパサーが日本調教馬として初めて凱旋門賞2着に入る
エルコンドルパサーが国内未出走ながら、選考委員会により年度代表馬に選出される
2000 チャンピオンズカップ(ジャパンカップダート)創設
テイエムオペラオーが年間無敗、重賞8連勝、古馬主要G1全勝(グランドスラム)を達成する
JRAによる企画「20世紀の名馬100」がファン投票により選出される(1位ナリタブライアン、2位スペシャルウィーク、3位オグリキャップ)
2001 アメリカ同時多発テロ事件
2002 中央競馬において馬番連勝単式馬券(連単)並びに馬番三連勝複式馬券(三連複)の発売開始
小泉純一郎内閣総理大臣が東京競馬場に来場し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(勝馬はタニノギムレット)
2003 シンボリクリスエスが2年連続で年度代表馬に選出される
2004 中央競馬において馬番三連勝単式馬券(三連単)の発売開始
この年限りで、抽選馬の抽選会における配布制度が取り止めとなる
天皇皇后が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はヘヴンリーロマンス)
2006 ディープインパクトがIFHA発表の「トップ50ワールドリーディングホース」で125ポンドの評価を受け、日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めて首位に立つ
2007 日本、ICSC(国際セリ名簿基準委員会)のパート1国に昇格
デルタブルースが日本調教馬として初めてメルボルンカップを制覇する
ウオッカの東京優駿(日本ダービー)を制覇(牝馬による東京優駿(日本ダービー)制覇はクリフジ以来64年ぶり)
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬)
2008 ダイワスカーレットの有馬記念制覇(牝馬による有馬記念制覇は、トウメイ以来37年ぶり)
2011 東日本大震災/東京大賞典が地方競馬のレースとして初めて国際G1に格付けされる
ヴィクトワールピサが日本調教馬として初めてドバイワールドカップを制覇する
2012 天皇皇后(現・上皇上皇后)が東京競馬場に行幸啓し、天皇賞秋を観戦する(天覧競馬。勝馬はエイシンフラッシュ)
ロードカナロアが香港スプリント(G1)を連覇(また同年、安田記念を制し、昨年のマイルチャンピオンシップ以来、短距離G1を4連勝する)
2014 ジャスタウェイが日本調教馬(かつ日本生産馬)として初めてロンジンワールドベストレースホースランキングにおいてレーティング1位を占める
皇太子(現・天皇)が東京競馬場に行啓し、東京優駿(日本ダービー)を観戦する(台覧競馬。勝馬はワンアンドオンリー)
ジェンティルドンナが2012年以来、2度目の年度代表馬に選出される
2016 日本中央競馬会が仏・凱旋門賞において、日本国内で初めてとなる海外競馬の競走における勝馬投票券発売を実施する
モーリスが安田記念・マイルチャンピオンシップ・香港マイル・チャンピオンズマイルといった短距離G1(マイルG1)を4連勝する
2017 ホープフルステークスがG1に昇格する
コパノリッキーが東京大賞典に勝利し、G1級競走(GI・JpnI競走)の勝利では歴代最多となる11勝目を挙げる
2918 令和改元
1 1905年~1931年 公認競馬~馬券禁止・連合二哩創設~旧競馬法制定~東京優駿(日本ダービー)創設以前
代表的な競走馬:コイワヰ、バンザイ、ナスノ、ハクショウ、連合二哩の勝馬
.
2 1932年~1944年 東京優駿(日本ダービー)創設~競馬開催の停止
代表的な競走馬:ワカタカその他東京優駿の勝馬、セントライト、クリフジ、
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3 1946年~1963年 戦後の競馬再開~シンザン登場以前
.
4 1964年~1980年 シンザンの三冠~ジャパンカップ創設以前
代表的な競走馬:シンザン、スピードシンボリ、トウメイ、ハイセイコー、TTG
.
5 1980年~現在 競馬の国際化(ジャパンカップ創設・グレード制導入等)
代表的な競走馬:ミスターシービー以降の三冠馬、オグリキャップ、いわゆる「最強世代」、ウオッカ
.
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
(出来事)
1700頃オルコックアラビアン誕生
1724 ゴドルフィンアラビアン(三大始祖)誕生
1776 セントレジャーステークス創設
1780 ダービーステークス創設
1807 ゴールドカップ創設
1836 フランス・ジョッキークラブ賞(フランスダービー)創設
1858 バーデン大賞創設
1861 メルボルンカップ創設
1863 パリ大賞典創設
1867 ベルモントステークス創設
1873 プリークネスステークス創設
1875 ケンタッキーダービー創設
1896 ケンタッキーダービー距離変更
1907 日本・小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1909 ジャージー規則がジェネラルスタッドブックに記載される
1922 コックスプレート創設
1924 パパイラスとゼヴのマッチレースがベルモントパーク競馬場において行われる
1932 東京優駿創設
1937 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合)
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1951 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス創設
1952 ワシントンDCインターナショナル創設(1984年のブリーダーズカップ創設以降は価値低下)
1954 フェデリコ・テシオ死去
1956 有馬記念創設
1970 ミスタープロスペクター誕生
1976 アイリッシュチャンピオンステークス創設
1981 アーリントンミリオンステークス創設
日本・中央競馬の競走体系変革。グレード制導入。天皇賞秋の距離短縮
1990 日本・社台ファームが種牡馬サンデーサイレンスをアメリカより輸入する
1996 ドバイワールドカップ創設
2002 ドバイシーマクラシックが国際G1となる