はてなキーワード: 「バカ」とは
店内に入るや否や、3~4歳ぐらいの子どもの金切り声が聞こえた。
一方親は子供をカウンター席に置き去りにしながら別のところにいた。
子供は依然として騒いでいる。
自分は「ここは公共の場だから静かにさせなさいよ」と母親に注意した。
すると母親は「何言ってるんだバーカ」と暴言を吐いた。子供が公共の場で騒ぐのは当然と考えているようだ。
隣で喫食していた男性(母親とは無関係)も母親に同調するような発言をした。
母親に注意してその場の空気を気まずくしたことに対し店員に頭を下げて謝罪した。
店を出た後、自宅に戻る途中母親の姿を目撃した。
自分は親の意識改革を促さなくてはと、もう一度さっきの一件について注意することにした。
母親「うるせーよバーカ」
自分「権利意識だけ膨張して、子供をしつけるという義務感に欠けている」
母親「バーカ」
自分「さっきからバカバカとしか言っていないが語彙数に乏しいのではないか」
母親「バーカ」
何を言っても暖簾に腕押し、ぬかに釘だと悟った自分はその場を後にした。
今朝のキュウレンジャーに出てきて、登場人物から「バカ」呼ばわりされ続けたうじきつよし(※敵キャラ)の気持ちが分かった気がした。
それはさておき、しつけという親としての義務を放棄し、それを咎めたら逆上する彼女の程度の低さにただただ唖然とした。
マナーについて躾けられることもなく、自身の野放図を咎められても「バカ」としか言えない親に育てられた子供が果たしてどのように育つのか。
恐らく母親と同じような、権利意識だけが際限なく膨張し、義務や責任から遁走する自分勝手な人間に育ってしまうのではないかと危惧を抱いた。
こうして自分勝手な人たちの再生産が際限なく続いていくのか…と考えただけで気が重くなる。
そして「寛容性」や「お互い様」などと宣い、そういう親を甘やかすような社会の風潮に怒りを覚える。
大多数の親は子供を躾けるという義務を果たしているだろうし、躾けてもなお子供が迷惑行為をしてしまっている…という親に「寛容になる」というのは正しいだろう。
しかし躾という義務から遁走するような手合いに「寛容性」を持てというのは無理筋である。
「公共の場所で騒がない」という基本的なモラルすら教えてもらえなかったのだ。
基本的なモラルすら教えてもらえなった子供は野放図に育ち、知らず知らずのうちに他人に迷惑をかける存在に成り果てるのだろう。
そういう存在は周りも不幸にしてしまう。そしてこの子自身も行ってきた迷惑行為の報いを受けてやがては不幸になる。
この子の将来を考えただけで胸が張り裂けそうになる。
やっぱり、こういう考え方がどんどん浸透していくと、いろいろと窮屈になって、お笑いなんかはいろいろ厳しいだろうなあと思う。
「いや、人を差別するような笑いはレベルの低い芸人のやることだ。人を傷つけない笑いはいくらでもできる」という人がいる。
だが、そういうことをいう人が「たとえば『笑点』が」とか言い出すとげんなりする。
笑点で昇太師匠の「独身いじり」するのと、童貞を笑うのと、構造は全く同じだろうが。
童貞を笑うのがマッチョイズムなら、未婚の男性を「不完全」「人格に問題がある」という立ち位置でバカにして笑うのはどうなんだ。
小遊三師匠は女性を徹底的に「性的欲望を満たす対象」として見ることで笑いを取っているようにしか見えないし、大月と秩父の争いは地方蔑視だ。
まあ、そもそも古典落語なんて、現代基準では結構な差別性をはらんだ笑いの世界なんだから、当たり前といえば当たり前なんだが。
出川哲郎の当たり企画に「出川イングリッシュ」という企画がある。
アメリカで、英語ができない出川哲郎が、片言の英語を駆使しながら街行く人に道を聞いて指示された目的地までいくというロケ企画だ。
必死に目茶苦茶な英語を駆使する出川に必死に耳を傾けて、思いのほか親切な人が出てきたりして、なかなかにハートウォーミングな企画だと思われているし、事実そうなのだろう。
「人を馬鹿にしていない笑い」として例に挙げる人もいる。
しかし、なぜこれがお笑いとして成立するかというと、有体に言えば、出川が常人の発想を超えたレベルの「バカ」だからだ。
それが証拠に、出川がトンチンカンなことを言うたびにテロップで強調されて、笑いを誘う仕組みになっている。
つまり、これは「バカ」を上から目線で笑おうという差別性がきちっと含まれている。
出川本人は誰もバカにしていないかもしれないが、番組と視聴者が協同して出川をバカにするのが基本構造だろう。
さて、ここで「『笑点』は差別的だから内容を改めろ!」とか「出川イングリッシュで出川哲郎を馬鹿にしてはいけない!」とか大声で主張する人たちがでてきて、しかも「私たちの主張に与しない人たちは遅れた差別主義者だ!」と騒ぎだしたらどうなるか?
みんな素直に「ああ、そうか。自分たちの中に潜む差別性に気づかなかったなあ。これからは考えを改めなきゃ」とは思わないだろう。
なんだか、うっとおしい住みにくい世の中になったなあ、と思う人も多いだろう。
「右傾化する庶民を「バカ」と傲慢に冷笑し、切り捨てるのではなく、その庶民にこそ
届く言葉を発すること。スペインの学者たちがやっていることは、実はたいへん高度な技だ。
だがそれに学ばない限り、左派に日は昇らない。」
(「勝てる左派」と「勝てない左派」(ブレイディみかこ)より)
https://twitter.com/sionsuzukaze/status/606233512870445056
この手の言説、左派リベラルが何十年も前からずっと言われてきたこと(私もそれ自体は全くの正論だと思う)だが、
じゃあそれならばと、せっかく高校無償化や子ども手当て、あるいはオバマケアなどの政策を実現させ、十分とは言えないながらもそれなりの成果を上げてもなお、
やれ「満点じゃない」「ここやあそこがダメだ」「だから支持するに値しない」・・・とあれこれ難癖をつけられた挙句に選挙は敗れ、
せっかく作った制度も下野によっておじゃんになり、後には「口先だけの無能政権」というレッテルだけが残され、
挙句に安倍自民や大阪維新やトランプや、最近だと都民ファーストみたいな、どう見てもしっちゃかめっちゃかな連中が
「彼らは成果を見せている。口先だけのあいつら左派とは大違い」などとちやほや持ち上げられる・・・というのでは、みんなバカバカしくなって、
左派も野党ももうそのうち誰も「俺たちはもっと庶民に届く言葉を語ろう、届く政策を作らなきゃ」などと思わなくなるんじゃないか?という気がする。
君は人のこと「バカ」ってよく言うねぇw
某大学は左翼系だの、いやその大学はむしろ俺の基準では馬鹿だからどうこうだの
いろいろ「バカ」って言葉と大学単位みたいな雑なくくりでレッテル貼るとかじゃなくて
それは「ちゃんとした考えを持ったエリートリベラル右翼」とどう違うの?
エリートリベラルも場合によってはかんたんに右翼といってしまえるようなものではなくて、