はてなキーワード: 風俗嬢とは
それ風俗嬢だよねどうせ。
金目当てで風俗嬢みたいな振る舞いしてたのが金を得てどうでも良くなっただけでしょ。
25歳にして童貞ではなくなった。あまりに呆気ない終わり方だった。
ゆきずりの関係というやつだ。中高生の時の僕に聞かせたら卒倒していただろうし、当日もまさかそんな事になると思いもしなかった。
25歳にして童貞、世間様から見ればこれほど不名誉な話はないらしい。職場の先輩も、大学で出会った人も、この「童貞」というワードがあまりに面白いらしい。散々ぱら馬鹿にされたしネタにされたし、そして心配された。
そしてこの童貞は一刻も早く捨て去るべき物であり、卒業するべき物であり、人によっては女の子をあてがおうとする者までいたのである。
男は往々にして初体験の経験を堂々と語りたがるものだ。それは中学時代の彼女であったり、クラブで知り合った年上の女性であったり、はたまた風俗嬢であったり(これはある程度不名誉なこととされている。「一般人」とヤることが大事なのだ)。そして皆一様に「初体験は一生忘れないだろう」といった内容のことを言う。なればこそ、そうした話題が飲みの席の鉄板となっているのだろう。
今回、僕が童貞卒業を果たしたことを周囲に漏らせば、皆これを馬鹿にしながらも祝福し、その詳細を根掘り葉掘り聞こうとするだろう。そして、卒業を誇りに感じ、更にはまだ童貞である人間を同じように馬鹿にし、心配することを求められるだろう。セックスはいいぞ、いい経験だぞと、したり顔で。
ゆきずりのセックスで童貞を捨て去ることとなった(しかも相手は一般人である)が、今、僕はまるで嬉しくない。一方で悲しくもない。
粋がっているように思われる人も多いだろうし、知人にこんなことを話してそう思われたくもない(だから僕はこれからも「童貞」を貫くだろう)。
だからこそ童貞を卒業した記念に、この匿名ダイアリーに記し、同じような感性の持ち主に共感して貰えればと思って筆を取ったのである。
これまで生きてきた中で女の子と接する機会はそれなりにあったと思う。中高は男子校であったが、塾に行けば女の子はいたし、大学には勿論沢山いたし、会社にも当然いる。ただ、女の子と深い仲になれない人間なのである。要は彼女がいたことがない。そしてかなりの程度まで純潔、と言えるかどうかはわからないが、親密な関係とセックスをする関係を結び付けて考えてきた人間である(これは結局のところ今でも変わっていないが)。
なぜ彼女ができないのか、真剣に悩んでいた時期もあるが、最近ではそういったことは専ら諦めてしまっていて、考えることすらない。自分には彼女はできっこないし、彼女ができない以上童貞のまま(これは不覚にも今回卒業したが)であろうし、結婚もできないだろう。ある意味、男女関係における純潔や現代の恋愛結婚至上主義とでも言うべき価値観を心の底から内在化させてしまっている非モテが僕と言えるかも知れない。
友人らからは「結婚相手には良さそう」だとか「いいお父さんになりそう」などと言われ続けてきている。これは言われる度に、今でもどうしようもないコンプレックスと妬みを感じる。思うに顔は老けていてよく言って温厚そうかも知れないがその実頑固であるし、何より変わり者(とよく指摘される)である事が、そういった評価につながっているのだと思う。とにかく外面も、内面も、人に好かれる要素がまるでないのだ。繰り返すが、僕は所謂非モテである。
深い仲になる即ちセックス(その逆もまた然り)ではないことは重々承知しているものの、やはり人に身体を許すと言う行為は僕にとって、ある種の神聖性というか儀式性というか、何か特別な関係性を感じざるを得ないものだ。そして、そのような特別親密な関係になりたいと思えるような人は、女の子に積極的に関わる機会が少なかったこともあって滅多に現れず、現れたとて僕に興味なぞない子であって、それは結局表にすら出てこない片思いで終わってしまっていたのであった(意中の子から恋愛相談をされた時の胸の苦しさよ)。
会社で働き始めると人間関係も固定化してしまい、今度こそ本当に何もないまま歳を重ねていくのだろうなと、童貞(これは僕にとって特定の女性と親密な関係になって身体を許されることを意味している。僕にとっての童貞と世間的な童貞ーつまり女性器に男性器を挿入する行為をしたことがないと言うことーには幾ばくかの隔たりがあって、それこそが今回僕が感じる違和感の原因なのだと思う)を馬鹿にされても全く動じない程度に諦めてしまっていた。
そのような背景がある中でゆきずりな事態が起きた。経緯としては簡単で、一緒にお酒を飲んで、終電無くなっちゃった、である。
相手はとある集まりで一度会って連絡先を交換した、酷くはないがまあブサイクだよねと表現されるであろう女の子だ。
会うのが金曜ではなかったこともあって、普通の飲みだろうと僕は考えていた。金曜であればそれなりに覚悟していたやも知れないが。
「酔っちゃった」と言う言葉と「終電なくなっちゃった」はあまりにあからさま(そもそも前の集まりはもっと遅く終わって、君は電車でしっかり帰っていた)であったし、僕がもう少し選り取り見取り出来る立場であれば断っていたと思う。ただ、あんまりにあからさまだったのである。
そしておそらく僕は今後、そういった機会に出会うことはない。確かに明日も出勤で、好みでもない女の子に付き合うのには労があるが、一方でこれを逃せばどうか、そう考えればじゃあまあこれがタイミングなのかなぁなどと思ってしまったのだ。
結論から先に言えば、僕は彼女を利用して童貞は捨て、彼女は自身の性欲、と言うよりも承認欲求を満たすために僕を消費した。
店を出た後、だいぶ寒くなった夜の街で女の子が手を絡めてくる。暫く歩いて、チェックインしたのは普通のビジネスホテルだ。
女の子の方はまるで準備が万端で、バッグの中に男性用のコンドームを持ち合わせていた。
部屋に入るなり電気もつけないままキスをされ、服を脱がされ、申し訳程度に愛撫をされた後、騎乗位で挿入された。
全く情けない話であるがここまで全て受け身である。今でこそ偉そうな文体で文章を書いてはいるものの、僕は正に童貞であったのでセックスのやり方なぞまるで分からなかったのである(そして今でも分からない)。
女性器に、そして何より女体の全身に触れたのも初めてであった(付き合いでピンサロに行ったことはあるが、結局申し訳程度に胸をつっついただけだった。これが8千円のサービスか、と思いながらフェラチオをする女の子の頭の上下するのを眺め、結局イけなかったことを覚えている)し、ここを弄れだのなんだのと言われるがままに指を動かしていた。
女の子は僕のモノをしごくなどして射精させようとしてはいたが、彼女が喘ぎ扇状的な言葉を発し、そして私のこと好き?と囁く度に、僕はピンサロの、突然恋人面してくる女の子を思い出して益々萎えてしまうのであった。情けない事にブツは勃ちっぱなしだったが、心はどんどん離れていった。
そうなるといろいろなことが細かく気になってくるもので、例えば女の子は顔が大きめでかつしゃくれ気味の出っ歯であったので彼女とキスをするとその口腔の大きさがよく分かるし、フェラチオされる時もよく歯が当たる。なんなら口臭が田舎のおばあちゃんちの臭いがする。部屋を暗くしているのは肌がくすんでいるのを隠すため。熱い股間と裏腹に僕はどんどん冷めていくのである。適当に脱がされたスーツの皺が気になる。明日も出勤なんだぞ。
結局僕はイくことができず、夜もだいぶ遅かったのでそのまま寝てしまった。女の子はそれでも、僕にひしと抱きついて足を絡めていつの間にやら寝ているのである。ブサイクな女の子である。こうしてゆきずりの関係性を通じて自分の価値を感じている、あるいはそうせずにはいられないのだとすれば、それはあまりに哀れなことであるなと感じた。これじゃあ僕はただの肉バイブじゃないか。
朝は女の子の愛撫で目が覚めた。字面だけ見ればあまりに同人誌のような展開であるが、大事なことは相手がブサイクなことだ(尤も先述のピンサロ嬢はかなり可愛かった。が、同じ感想を抱いているので僕にとってあまり顔というのは重要ではないのだろうが)。出勤前にもう一回という魂胆なのだろう。前日のこともあったので今回は最後まで終えることが出来、女の子は一足先に部屋を出て出勤して行った。
出際にまたキスをされながら「また会ってくれる?」と聞かれたが、僕は何も答えることが出来なかった。お互いにまたね、と言って扉がしまった。
童貞は恋愛やセックスに対する幻想を抱えすぎだと人は言う。恋愛もセックスもそんなハードルの高いモノじゃないよ、と。セックスに関しては確かにそうであったと言えるかも知れない(恋愛はしたことないので)。確かに記号的なセックスはあまりに簡単で、呆気ないものだった。ただ、果たしてそれが幻想を砕く何かに繋がっているのだろうか。あの女の子はセックスを通じて、今回は僕を通じて、恋愛という幻想を体験していたのではないだろうか。
結局のところ人は誰かに、特別に認められることを渇望していている事に変わりはないのではないか。そう言った意味で童貞か、童貞じゃないかという区別には、激辛料理を食べられる人が食べられない人を馬鹿にすると言った区別以上に意味はないように思われる(ただより普遍的に経験の有無が問えるのが性交渉なのだろう。我々は生物であるので)。
僕は確かに童貞は捨てたが、だからと言って何が変わったわけでもない。僕は彼女に一時の満足を与え、彼女は僕にブログのネタを与えた。ゆきずりの関係はそこで終わりなのだ。ピンサロと同じだ。何も変わらない。なればこそ、感情の動きが生まれなかったのかも知れない。
皆が誰かの特別になりたがっている。童貞いじりは下を見て溜飲を下げる儀式に過ぎない。
尤も、彼女という存在もできればじゃあ何かが変わるのかと言われれば分からない。また、この問題に関してはいろんな切り口で話せてしまうので今は立ち入らないことにしたい。
兎に角、このややこしい、複雑な感情の動きを誰かに共感してほしくて筆を取った。極めて散文的になってしまったが、そういう人がいれば嬉しく思う。
男さんってブス以外の女は男のことが好きなはずと信じてて可哀想。
なんで20代の男の半数に彼女が居ないんですか?なんでキャバクラ嬢や風俗嬢が高給を得られるんですか?
何故男は給与が高いほど既婚率が高くなるんですか?
勤務先の社長と取引銀行が協議した結果、会社が倒産して従業員全員が路頭に迷うのはまずいだろうということになり、大幅に事業規模を縮小することになった
まず新会社を設立し、そこへ土地や建物などの資産と黒字が見込める一部の事業、一部の従業員だけを移管
そして新会社には今後10年間で返済出来るであろうと思われるだけの銀行借入を背負ってもらう
旧会社は残った借金だけを抱えたからっぽの箱になるので銀行が債権放棄したうえで清算というスキームである
新会社の事業は今の事業規模と比較すると10分の1程度であり、余剰不動産の賃貸収入等が新たな柱となるので、あまり人員は必要ない
というわけで下請会社などは全て契約を切られ、私たち正社員も新会社へ移ることが出来るのは1割にも満たなかった
そうなると再就職が困難な高齢者や住宅ローンと家族を抱えた人たちがどうしても優先となってしまう
この新型コロナ下では再就職先の斡旋もほとんどなく、その僅かな紹介先も家族持ちの人たちが優先され、私は無事に無職となってしまった
今から思い返せば、5年ほど前から当社の業績は少しづつ少しづつ傾きつつあった
業種柄大儲けすることもなければそこまで損をすることもない堅実な仕事をしていた
風向きが変わったのは取引銀行から通貨オプションの取引を提案され、導入したあたりからであったと思う
業務で使用する原材料のうち、どうしても海外から輸入しないといけないものがあり、当社の材料費コストは為替に左右されていた
当時120円を超える円安が続き、輸入コスト上昇に悩んでいたところ、銀行から「オプション契約すれば為替を115円程度で固定できますよ」と提案があった
契約期間は7年間であり今思えばもの凄くハイリスクな取引であったわけだが、銀行からの説明を受けた社長はすぐに契約を締結してしまった
その後、暫くして為替相場は110円を割り込む程度の円高水準で安定推移した
通常なら1ドル=110円で交換出来るのに、契約に縛られている当社は1ドル=115円での交換を余儀なくされ、毎年かなりの額の為替差損が発生した
社長は銀行に対して解約の相談も行ったが、「今解約すると多額の違約金が発生する、しばらく様子を見て欲しい 運転資金が必要なら検討する」と丸め込まれてしまった
結局為替レートは円安に戻ることもなく、そして今般の新型コロナの影響で当社は完全にトドメを刺されてしまった
本来なら破産するべきところを、新会社を設立したうえでの債権放棄を銀行が呑んでくれたのは、通貨オプション取引の負い目があったからなのだろう
最終出社日、給料1ヶ月分にも満たない一時金を退職金代わりに受け取った私は同僚たちと久しぶりに飲むこととなり、街へ繰り出した
新型コロナでずっと自粛が続いていたが、今日くらいは酔わないとやっていられない そんな思いでみんないつもよりもハイピッチで酒を呑み続けた
「明日からは無職だ 時間を気にせず呑もう」と言ってはいたが、一人抜け二人抜け、最終的に私以外は終電で帰ることとなった
一人残された私は、コンビニで酒とつまみを買い駅前の適当なビジネスホテルへ入った 幸いなことに、コロナの影響で空室はいくらでもあった
部屋で横になりながら、私は折角の機会だし久しぶりにデリヘルでも呼んでみるかという気になっていた
会社から貰った一時金はまだ残っている 十数年勤めた結果がこれかと思うと気晴らしに使いきってしまっても問題ないだろう、そんな気分になっていた
スマホで適当なデリヘルを見つけ今からすぐ呼べる女の子を頼んだ
待つこと30分ほど、予想よりも若くてかわいい子がやってきたので私は酷く緊張してしまった
やるべきことを済ませたあと、私は酒を呑みながら勤務先が潰れてしまったこと、明日から何もやることがない無職であることなどを話した
初対面のおっさんにこんな重たい話をされたにも関わらず、女の子は「大丈夫だよ、とりあえず元気出しなよ ちんちんは凄く元気だったよ」と励ましてくれた
恐らく私よりも10歳以上若くてかわいい子から優しい声をかけられ、私は思わず泣きそうになってしまった
彼女を見送ったあと、私はナイナイの岡村さんの発言を思い出していた
景気が悪くなれば、風俗嬢のレベルが上がり価格が下がる 世間からは酷く叩かれた発言だった
「円高デリ安というのも意外と悪くないな」
「オプションなんだから権利行使しなければいいだけ、損失はオプション料だけだろ」という指摘があったので補足説明しておきます
取引先と銀行の契約内容が「ドルコールオプションの買い」だけなのであればその通りなのですが、実際の内容はそうではありません
銀行が扱う通貨オプションは「ドルコールオプションの買い」と「ドルプットオプションの売り」をセットにしたものとなっています
こうすることで支払オプション料と受取オプション料が相殺され、顧客側は初期費用がかかりません 所謂「ゼロコストオプション」です
ブコメで指摘されている通り、「ドルコールオプションの買い」の最大損失額はオプション料の部分だけです
一方で「ドルプットオプションの売り」の最大損失額は青天井なので、為替相場が反対方向に動くと損失額はとてつもない額となります
ちなみに先ほど「相殺」と書きましたが、実際には相殺はされていません
「ドルコールオプションの買い」で顧客が支払うべきオプション料が仮に500万円だとすると、「ドルプットオプションの売り」で
「あれ?相殺されてないじゃん 差額の1000万円はどこにくの?」
このスキームの素晴らしいところは、顧客に手数料の発生を認識させないまま1000万円単位のフィーを抜き取れるところでしょう