はてなキーワード: 統計学とは
本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済の専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにはフランス語を原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語はメジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。
ピケティの本が世界的な話題作であるなら尚更、フランス語と経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語からの翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系の感覚。「アイスランド語の推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語の経済学書」だったら、日本にはフランス語の専門家は大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or 翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚がマジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済的メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)
結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳は原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、
場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学に所属してて碌な研究費ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。
(理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコーの思想を研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力」概念をドイツ史研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料をちゃんとドイツ語で読んでるなら理論は日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)
なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品(ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究はあくまで原典に依拠して行うもの、原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田は経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学や統計学を踏まえずになされた経済学研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。
単純に頭が良い人は不幸な出来事を真芯かその近くで受け止めてしまうから凹みやすくなってその後人生においての機会を逃してしまうんだろうなって思ってしまった。
そして多少頭が良いけど鈍感になれる人は不幸な出来事をちゃんと行事として受け止められる精神的な余白を作れていて、そしてしょうもない幸せや多少砂利の混じった幸せであってもニコニコしてるから何かしらの機会が訪れて活かしやすいのかなって思った。
これが私なりの不幸と幸運の正体です。
“追記”
頭が良くないことがトラウマの増田達をびっくりさせちゃったみたいね
足りない頭で変に読み取ろうとするからなんでも否定的に思えて不幸になるんだよって書いてるだけだよ。
勉強になったね。
あとイグノーベル賞って書いてる時点で『そこまで本気にすることでもないけど軽い話題みたいなもんでなんだったら統計学とかで考えたら怪しいよね』って話だし
第一、増田に書かれてる時点で『賢いから褒められたい』とかではないんだよ。
なんでこの程度のことも読み取れないのよ。
Aさんの目の前には2つの封筒X,Yがあり、X,Yのどちらかにはもう片方の2倍の金額が入っている事だけが分かっている
さて、AさんがXの封筒だけ開けたら中には1万円が入っていた
Yの中身が5000円である確率が幾らなのか設定されてないんだから
じゃあここで「5000円である確率を幾つに設定するのが適切か?」なんて考えをする事も出来るけど
こうやって現在の数学は数学的な設定が不十分の問題には「分からない」というしか無い学問になっていて
どういう設定を与えるのが適切かというのは数学以外の学問でやって下さいとなっている
設定が与えられた時に答えを導く事に全力を注ぐ事で、答えを導く方法が洗練されてきた歴史が数学にはあるから
一方で統計学や医学では上記とは違って「問題の設定をどう与えるべきか?」も学問の中に入っているし
もちろん「設定が十分な時に問題の答えはどうなるか?」も学問の中で扱っている
まぁ数学の方も応用数学の方で問題の設定をどうすべきかについても専門的な知識を持ってる人がいる
統計学は数学云々以前に思想を理解してない奴が多すぎるんだよなあ。
だから「p値は確率なのかそうではないのか!?」みたいなしょうもない話で永久にループしてる。
まあ、しょせんweb系のマーケティングだのなんだのみたいな応用では統計学なんてお飾りなんで、
間違ってようとなんかそれっぽい数字が出て意思決定者がそれで何らか決断できれば物事は前に進むんだろうな。
おすすめまとめ
良さげなのあったら教えてください
生化夜話
http://visual-memory.co.uk/daniel/Documents/S4B/japanese/
http://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/
https://bellcurve.jp/statistics/course/
統計学
「他より1年早くちょっと凝った事を理解して語れるか」なんて天才かどうかの基準としてはほぼ意味ないでしょ。
「すごい研究結果を出す」ということはそんなちょっとした発達や能力の差なんかより遥かに巨大な知能や労力や蓄積の差によって生み出される。
いや役に立ちまくるし使いまくるけどな。たかが予備校講師がなに分かったようなこと言ってんだって感じだ。
「設計では微積や物理の考え方を使っているが、俺の友達で新宿のビルを設計した設計士は、ソフトに数値を打ち込んでその結果を見ているだけだった。『先生難しいこと理解できてすごいですね』って言ってたよ」
大学の統計の授業で平均、分散、標準偏差とかの細かい計算方法教えてもらったけど、リアルじゃexcelにデータ入れて関数使って結果解釈すればいいって話になるもんね。偏差出して二乗和が云々~なんて企業でやったところで、「で、結果は?」ってなるもんね。うん。
実際に数学や統計学を使う場面では、そんな基本中の基本の爪の先みたいな知識なんて知ってて当然にも程があるし、何一つ「細かく」なんかないし、そんな簡単なことで解決できるほど現実の問題は単純じゃないのでもっと複雑な(数学的)道具を使うんだよ。
というか、
とか言ってるのに、こんな学部1年の教養講義の最初のコマでやるようなレベルの話を「細かい計算方法」と認識してるの?
本当に勉強してた?勉強してるつもりになってただけで意識失ってたとかじゃない?(それでもテストで点取るくらいはできてもおかしくない)
レスしてる方の増田だけど、例えば数学や物理学(基本的に順問題の学問)は人類には早いということはないと思う。
統計学は本質的に逆問題で、決定不能性を常に孕んでるんだよね。そこをどうにかするために頻度論とか決定理論とかベイズとかの主義を入れるんだけど、それはロジックを完結させるためにはそうするしかないという形で導入される原理なので、往々にして現実に起こっていることとは乖離がある。
統計学を使うときは常にその乖離を意識して結果に悪影響を及ぼしていないかを確認しながら使う必要があるんだけど、これが人間の認知能力的にほぼ不可能に近い。だから一般人はもとより研究者でもすぐp値ハックにハマったりクロスバリデーションを怠ったりして意味のない分析を量産してしまう。