はてなキーワード: 法則とは
入れても入れても消える毎日を送ると、「お母さんと確認した」という記憶があっても、それが本当のことかわかんなくなってくる。
だって入れた記憶が本当なら、物はそこにあるはずなんだから。でも実際今ここに物はないんだから。
その状態で先生に「忘れたの?」と聞かれたら「忘れた(って事だと思います)」と言っちゃう。
もし「無くした」って言ってクラス中大捜索とかになったら、家に帰って物があった時みんなに怒られるから。
それで家に帰る。
するとお母さんに「入れたでしょ」って言われる。顔も怒ってる。実際物もない。
それで改めて「ああーやっぱりお母さんと確認したあの記憶は事実だったのかー」と反省して
「入れたけど無くした」と言いなおす。
言いなおすけど、本当にどっちだったかは、自分ではわかんない。マジでごめんなさい。
【解決策】
大人になったらだいぶ改善されたけど、それまでに一番役だったのは
「全部紐でつなぐ」作戦と
紐でつなぐのは今でも手袋の左右とか、財布と鍵とかやってる。
ちょっと恥ずかしいけど、繋ぐと消えなくなった。つないだもの丸ごとなくす事もない。ふしぎ。
部屋を出る時振り返るのは、
部屋を出る時に、部屋を入る時何を持っていたか忘れていても
「振り向いてそこに自分のものが残っていれば自分の忘れ物」というシンプルな法則でチェックできるから。
そんなかんじの、記憶力と注意力に一切頼らない(←重要)予防と事後チェックで防ぐ感じです。
今の時代なら荷物を用意した時点でスマホで写真撮っておけば、入れ忘れか紛失かの切り分け自体は学校でもできると思ったけど
【お母さん増田さんへ】
小さい頃は親にすっごい怒られたし、すごく悲しかったし
自分のことは出来損ないだと思えてとっても辛かった。ぶっちゃけ自分のことは人に迷惑をかけるために生まれた邪悪な何かだと思っていた。
昔は発達障害っていう概念もなかったし。私の母も苦労したと思う。
でも悪かったのは私じゃなくて私の脳みそ(ADHD傾向)って分かって吹っ切れたし
ま、何とかなりますって!
でもせっかく今の時代なんだし、吹っ切れるの大事だし、発達障害の診断うけさせてあげてほしいです!!!
違ったら違ったでまた手の打ちようがあるだろうし!!!
大体宇宙にとっての価値とかどうでもいいんだよ僕たち地球人なんだからよ。
宇宙に種子をばらまくよりもばらまく先の星で勝手に生命が誕生するのを待った方が圧倒的に楽だろ
数光年先で地球とソックリ同じ星があるからってそれで何か不思議な現象でも巻き起こんのかっていう
地球上で誕生した生命が最も尊いという考え方は人間ならそう思うのが自然だが
宇宙スケールでみたら、あ、別に人類じゃなくても次の奇跡を待てばいいだけなので…って話だぞ
生命の謎を考えるのならまずDNAの目的、多様性を保持しながら情報を遺伝させていること
それ自体の目的を解き明かさない限りは宇宙に種子をばらまくことに意義があるかどうかも分からん話だ
技術的特異点を迎えて宇宙の法則を解き明かし、宇宙の法則のバックドアを見つけるということが目的だったとしたら
地球を飲み込む前にそこまで到達すれば済むことになる
あー話はそれたな、なんだったか
ゲーデルの完全性定理と、ゲーデルの不完全性定理というものがあってだな……
異なる物理法則が支配する宇宙はあっても、こちらの宇宙と異なる数学理論で支配された宇宙というのはないのではなかろうか?
(おそらく数か月で読めなくなると思うので引用するが) http://www.asahi.com/articles/ASK963JY5K96PLZU001.htmlに、こうある。
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遺伝の法則の「優性」「劣性」は使いません――。誤解や偏見につながりかねなかったり、分かりにくかったりする用語を、日本遺伝学会が改訂した。用語集としてまとめ、今月中旬、一般向けに発売する。
メンデルの遺伝学の訳語として使われてきた「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、誤解されやすい。「劣性遺伝病」と診断された人はマイナスイメージを抱き、不安になりがちだ。日本人類遺伝学会とも協議して見直しを進め、「優性」は「顕性」、「劣性」は「潜性」と言い換える。
「優勢」「劣勢」じゃあかんのか。
な法則あると思う
門外漢からすると、Aという領域とBという領域を同じだと勘違いするけど
中の人的にはAとBは全く別で
そういうやつ
X社に努めてるなら、あの製品について詳しいでしょ とか
そういうやつ
例えば他の領域の人は、プログラマーのこと、ITなら大体分かるんだろうと思ってるだろうが
実際は知ってることなどすごく狭い
この「気付かずに同一視する」ってのがとても危ない
例えば素人でも野球好きなら野球についてちょっとは言えるだろう?
同じようにサッカー選手も、野球についてちょっとは言えてもおかしくない
でも、もし野球とサッカーを「同じスポーツでしょ」って捉えると
サッカー選手の言った「野球がうまくなる方法」を「専門家が言ったこと」と鵜呑みにしてしまう
こういうのが色んなところであると思う
本当に文章力落ちてきてる。
ネットに転がってるようなくだらない文章ばかりよんでここ20年ぐらい過ごしてきたのがボディーブローみたいに効いてきた。
ワロスだの(核爆)だの草生えるンゴギザヤバスだの言ってりゃコミュニケーション取れてしまう世界に長くのは不味かったらしい。
定期的にちゃんとした文章が書かれてる物を読んで、どういう文章がまともなのかを認識し直さないとあかんね。
ラノベやエッセイレベルでもいいから、一応は校閲通過済みの文章をもうちょい読むべきだった。
あの頃は週1冊は本読んでたから、どういう文章を書けば少しはマシに見えるかがすぐにイメージ出来てた。
頭の引き出し開ければ少し前にインプットしたまともな文章のパターンがいくつも出てきたからなあ。
最近は句読点省略してるような文章やビックリマーク多用してるような文章ばかりインプットしてるから引き出しの汚染が進みすぎて使い物にならない。
ガベージインガベージアウトの法則だね。
いやいや人間やっぱ本は読んどけですよ本当。
本読んだ所で一見何の役に立たないように見えても、最低限度まともな文章はどう書けばいいのかが無意識レベルで修正されるから。
まともな文章を一行読むたびに、微粒子レベルで自分の文章構成における微妙なズレが矯正されていくんだよ。
その重要さが改めて実感できた。