はてなキーワード: 政治問題とは
企業が就職時に男だけを雇用し、女がひとりで生きていく手段がなくなれば、自然と晩婚化は解消されると思う
確かに効果がある手段だとはおもうけど、どう考えても民主主義政治の元じゃ実現性がない方法だよね・・・
「まず独裁政権を作ります」あたりから始めなきゃならない空理空論を有効と言われても・・・
また、増田で何度も言われているような子無し税をかけていけば、少子化も解決していくと思われるのだが?
こっちの方がまだしもなんとかなる気はするけど、やっぱりこれも実現性は凄く低いんじゃないかなあ。いやもし政治問題化したら個人的には諸手をあげて賛成するけど。
ただ「子無し税」程度の施策で解決できるほど高齢化の進展はは生やさしい状況じゃないと思うよ。緩和はできるだろうけど「超高齢化社会がきちゃうこと」と、団塊Jrが出産適齢期を外れつある現在では「少子化を解消しても、それが高齢化を押しとどめる効果が出るのは遙か先になる」のは、既にほぼ決定事項。
元で挙げた「老人人口指数85人」っていうのは「出生中位死亡中位」(=出生低位死亡中位と並んで一番ありそうなシナリオ)での推計なんだけど、これが子無し税で「出生高位死亡中位」シナリオにできたところで、2050年には老人人口指数70人越えちゃって2070年あたりまで70人切らない。
直感的に理解しにくくて、シミュレーションやってみないと実感できないんだけど、人間が80年スパンで生きてて、1世代回すのを25年以下にするのが厳しい以上、少子化自体が解消されてきても、それが実際の問題である高齢化を解決できるのはどうしても遙か先になっちゃうのよ。真っ当なシミュレーションの範疇だと色々好条件が重なっても
・老人人口指数が70人近くなる超高齢化社会は、遅かれ早かれ、今の子供達が生きてる内に必ずやってくる。
・そして今世紀中には老人人口指数が60人を切るところまで戻すのはまず無理。
・36人でしかない現在のような恵まれた状況は二度と来ない
ていうあたりまではもう覆せないっぽい。
「超高齢化社会は絶対に来る」ってのは未来予測の中で最も確実な代物だし「少子化対策で超高齢化社会を解消できるのは基本的に来世紀の話」っていうのは、もっと知られなきゃいかんと思うんだー。
経済的にはゴミです。IWC対策でやっている経済援助額の方が大きいくらいです。
ですが捕鯨から自主的に撤退すれば「正論なのに引っ込めた」ということで日本国民は納得しないでしょう。最悪政治問題化するので、政府としては引けません。
実は反捕鯨国の事情も似たようなもんで「絶滅の問題とかありませんので」とか引っ込んだら「クジラ可哀想」の国民感情で叩かれかねません。
捕鯨問題の実際は、科学の問題でも経済の問題でもなく、感情とそれが呼び起こす政治的影響の問題なのです。科学や経済なら計算すればいいんですが、そうでないのがやっかいなのです。
昔は共働きで子供が放置という問題があったけど、最近の女性は働きたくないでござるという人がかなり多い。
世間では働きたくない=ニートというのは最低のクズ扱いで、働かざるものは食うべからずという認識がある。
しかし、これからの時代は働かない人はどんどん優遇されて良いと思う。
なぜなら、働かない人はそれだけ経済活動を緩やかにし、地球環境に優しい人間なのだから。
これまでの常識からすると、ニートというのは働かないくせに好き勝手遊んだり食ったりする社会の害虫という認識があったが、実際この認識には隠れた前提がある。
逆に、ニートが主流になったら、逆に世間の害虫であるどころか、ニートは救世主になる。
そういう観点から考案され、近年注目されているのが、ベーシック・インカムという概念である。
ニートが好き勝手遊んで資源を食いつぶすという常識はもはや古い。逆なのだ。
「パパやママは私のことなんかちっともわかってくれない!」
自分が政治を少しでも理解できるようになってから、まだ数えるほどの年しか経っていないけど、日本では常に「政治家は国民の声をもっと聞くべきだ」と意見は常にあったと思う。政治家が何がしかの少子化対策や教育政策を打ち出したら、「きちんと調査をしたらこんな政策にはならなかった」「世論とのずれがある」と、コメンテーターが主婦感覚で好き勝手言う。実際、確実に国民の声と違った政策が取られることはあるし、政治化は国民の声をもっと良く聴くだけど、自分たちは本当に声を発したのだろうか?国民の99%はこれまで一度も声を発したことなどないと思う。この国では会社では働いたり、結婚をすれば大人とみなされる傾向があるけど、実は「もっと僕を理解してよ!」「パパやママは私のことなんかちっともわかってくれない!」と、国に対しておんぶに抱っこの、恥ずかしい20歳過ぎた子供しかが多数を占めている。
誰一人として傍観者はいない
日本にも「声を上げる人」はいる。横浜市には「○○の会(例、9条を守る会)」というのがたくさんある。でも、誰にも気にしない。「自分との関係性」を感じないから。あるいは、単なる傍観者気取りの人もいるでしょうが、こと政治問題においては誰一人として傍観者はいません。有権者全員が当事者です。日本では、働いてさえいれば「社会人」と呼ばれますが、本当に社会に関わっている社会人は、恐らく10%もいないのでしょう。
例のブラック企業の件だけど、結局は私たちは何もしないんですね。
「ブラック企業」と言う組織が目の前に存在して、それが社会的に悪いと皆が認識してるにも関わらずに、私たちは何もしないんですね。結局、私たち日本人は誰かが”絶対的な力を持つ何か”が社会を変えてくれるのを待っているだけなんですね。
「何も買わないのが唯一の反抗」「じゃあ、お前がやれ」「そういう空気だからしかたない」どれも正しい意見だと思うし、私たちは「個人」としてはそういう力を持ってない。
唯一相手を倒す方法があるとすれば、それはみんなが協力して民意を表明することだけだと思う「”皆”が間違ってると思うから、迷惑してるからやめて下さい」みたいな感じ。
けど仮に、じゃあ「団結して止めさせよう」と誰かが呼びかけたとしても、その呼び掛けに乗る人が、”皆”と呼べる人が昨今何人いるでしょうか?結局は我が身可愛さでその集団に乗らなかったり、反対するメリットと、それに関わらないメリットを考えた時圧倒的に後者に乗る人のほうが多いと思うんです。
日本の人口減少問題や、政治問題、個人がこれほど文句をつぶやいてる時代だというのに、”間違ってる”という認識がたくさんあるのに何一つ変わらない。結局はめんどくささにブラック企業を黙認したり、社会的におかしいと思ってもそれを享受したり、我関せずと国から出て行く。
挙句の果てには「私が決めたわけじゃない」とシラを切ってその責任を特定の個人の、組織のものにする。政府が悪い、組織が悪い。口で言うのは簡単だけどアタナもそれを構成してる一つの要素と言うのを本当にわかってるのでしょうか。
火の粉が降りかからないように生きていくのは簡単だと思います。
何もしなければいいんですもの。ただ黙々と目の前のあるものを享受して生きていけばいいだけですもの。
ただ、その先に何が残るのでしょうか?
中国住んでるんだけどね。
昨日ニュースでゴミの仕分けについて日本ではこんなに分別してる。
我々の国も環境のために見習うべきだみたいなのやってた。
旗から見てると、経済力付いて偉そうな態度取ってる様に見えるけど、内側から見ると実は結構必死だよ。
大国であることに見合うモラルや行動指針を国民に自覚させようとかなり必死。
あとさー、中国は民主化がどうのこうのとか人権がとか言うけど、字もかけない人や一般常識が通用しない人たちが大勢いる国で民主政治とか無理だからw
この状況で選挙とかありえない、人民のモラルが低い状態で公正な選挙なんかできないよ。ありえない。
いなかの親父とかは一票100円ぐらいで売っちゃうね間違いなく。
それとね。
共産党独裁とか言うけど、トップの任期は厳密に決まっていて、かつ個人による権力の独占に対しては相当用心してるよ。
まあ確かに共産党員じゃなければいけないというのはあるんだけど、共産党ったって8000万弱もいるのよ。
しかもその8000万は中国各地から集まってきて、各地の利害を代表してるし、漢民族っていったって東西南北みればもうタダの名目でしかない、
だって話す言葉違うし(韓国語と日本語ぐらい違う)、顔つきも違うし食習慣も違う。もちろん各地の少数民族とも混血が進んでもう何民族だかわかったもんじゃない。
それに地方意識が強くて「あそこの出身の連中は***だから」なんてのは耳タコ。
そうそう、チベットとかウイグルの問題も結構複雑でね。都市部あたりじゃウイグル人なんかが集団で押し売りとかスリを働くんだけど、警察(まあ公安と呼ばれてる)は政治問題がからむので関わりたがらなかったりするのよ。
あ、あと反日とか?あれほとんど無いよ。
大体街中に日本語があふれてるし、若い世代は日本のドラマやアニメ(まあ地デジ録画の海賊版DVDなわけだけどw)見て育ってるから、日本人が思う以上に日本は身近な存在だよ。
つーか、中国来てから相当立つけどいわゆる反日的な応対をされたことは一度もないなあ。
でもまあいわゆる抗日ドラマこれは普通にガンガン放送されてる。でもこれはしょうがないよね。だってあの国の建国の歴史と切っても切り離せない出来事なんだもの。
そりゃあたまには戦争とかの話に及ぶこともあるよ。
でもそういうときは、欧米人みたいに「我々には不幸な過去があったし、かつて侵略した事実もある。個人的には非常に遺憾だと思う。」って堂々と言えば大概は満足するよ。
最後に技術とかね。
まあ、コピーだのなんだの言いたいことは色々あるだろうけど、少なくともここ数年で中国国内流通品に付いても著しくクオリティが上がってきてる。
当面はまだ日本が優位だろうけど、なにせその日本人を満足させる商品やアップルを満足させる商品を日々作ってるわけで技術が上がらないわけが無い。
昔のメイドインチャイナだと思ってると意外とビックリさせられるよ。
とまあ、グダグダになったんだけど何が言いたいかというと、中国はスケールがでかすぎる(日本10個分だし)うえにアジアの多民族国家なので単純なステレオタイプじゃ判断できないよってことが言いたかった。
ヒステリックになるんじゃなくて、冷静に相手を見極めればまあ、割と付き合える連中だと俺は思う。
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ああ、いっこ忘れてた。
禁則事項に触れる検索とかするとしばらく検索ページにつながらなかったりする。
どうつながらないかっていうと、禁止されてますとかじゃない。タイムアウトしたりそもそも存在しないことになってる。
Twitter、Toutube、Facebook、Friendfeed、Picasaweb、URL短縮サービス、ポルノ全般なんかはもう常につながらない。
そりゃあGoogleも怒る。アタックされたとかより、Googleのサービスが使えないのが痛い。商売上がったり。
じゃあ中国の人民はどーおもってるのか?っていうとGoogleとかってインテリ層向けでほとんどは百度(baidu)、これで決まり。
みんなGoogleとか使わない。GMailとか使わない。GoogleTalkなんてほぼ皆無。
むしろ日本側から拒否されてるサービスとかあることに驚かされる。(著作権がらみかな?)
在中の外国人とか中国人のホワイトカラーの一部は大体VPNとかで一回外に出てからネットにアクセスしてるからあんまり検閲関係ないね。
元増田です。
>今でも自衛隊の門戸は開かれているのに「踏ん切りがつかない」人のためだけに徴兵制を導入するの?
門戸は開かれていても、実際は倍率が結構高いです。(最も低い二士でも4~5倍ぐらい。今は不況だからもっと高い)。
>フリーター、ニート、派遣社員専門の徴兵制というけど、その三者が選ばれた理由はなぜ?
今の日本でその三者に一度でもなってしまうと正社員になりにくいから。職歴を付ける意味もあります。
>身体的や精神的な理由で正社員の働き方ができない人もいれば、正社員になりたいけどなれず、正社員になることを目指しつつ他の働き方をしている人もいる。
徴兵制なのだから当然身体検査はあるから、受からない人もいるし。それに多くの国同様徴兵拒否も当然認められるでしょ。
自分は徴兵制は即効性のある雇用対策として捉えているので、非正規雇用などの高度な政治問題とは分けて考えています。非正規雇用の問題は解決されるべきですけど、解決されるまでに長い時間がかかります。自分が言っているのは超就職氷河期の今の若者をどうするかということ。ほっとけば、ロスジェネと同じ道を辿るのは明らか。
>つまり、福祉や教育に回すお金を軍事に回すことになる可能性があるわけだ
子ども手当で5兆円。それを辞めて回せばいいと。5兆もかからないですし。
>農林業などの第一次産業に安定した賃金で従事させることだろう
新しい組織を作る事になるので、どうなんでしょう。個人的には既存の組織を使った方がいいと思うんですけど。
まあもともと乱暴な話ではあるんですが、若者に対する就職支援って今殆なされていません。
日米関係は基地問題では揺るがない~全米商工会議所ドナヒュー会長ほか
番組内容
第1部「普天間は政治問題に過ぎない」・第2部「景気に二番底の危険がある」・第3部「オバマ労働組合政権は保護貿易に向かう」・第4部「日米関係はアメリカ外交の基本だ」・第5部「オバマ大統領は敵よりも味方を困らせる」
出演者
【司会者】日高義樹【ゲスト】全米商工会議所会長トム・ドナヒュー、ブルンバーグ放送ワシントン総局長アル・ハント、「ナショナル・レビュー」ワシントン編集長ケイト・オバーン、ブルンバーグニュース編集委員マーガレット・カールソン
番組概要
鳩山政権の登場で沖縄の普天間基地問題が紛糾している。アメリカの代表的な新聞『ニューヨーク・タイムズ』が、日米関係は第二次大戦後、最悪になっていると伝え、アメリカの軍事専門家が鳩山政権を攻撃している。いま日米関係全体がどうなっているのか、アメリカ経済界の指導者、全米商工会議所のトム・ドナヒュー会長に聞くとともに、ワシントンのトップジャーナリスト達と話し合う。
首相偽装献金「責任は国民の期待に応えた政治することで果たす」 官房長官
2009.11.25 12:28
平野博文官房長官は25日午前の記者会見で、鳩山由紀夫首相の資金管理団体の偽装献金問題をめぐり、首相の実母が団体に資金を提供していたとの一部報道について「報道は承知しているが、検察が捜査中で、捜査への協力を前提に見守っているという立場と理解している」と述べるにとどめた。
平野氏は、秘書が刑事責任を問われて政治家が辞職したケースもあるとの指摘に対し、「政治資金の問題は問題として、首相はおわびした。(首相は)首相としての責任ある対応とは国民の期待に応える政治をすることだと発言しており、わたしもその通りと認識している」と述べ、政治問題には発展しないとの考えを示した。
それでも支持率は落ちないと踏んでるんだろうな。実際(まだ)落ちてないし。
2は微妙。「全面的」を外しただけでだいぶ変わってくる。現実問題として屠殺や動物実験において苦痛の低減は行われている。もちろん、これを偽善とする意見もあるが、事実問題として苦痛を減らす試みが行われている以上、単純に主流とはいいが高い。「全面的」とおいう形容をつけたことによる詐術じゃない?
いや違う。これは「全面的」こそがキモだ。動物に対するサディズムはよくないという社会的合意が日本にあるのは明らかだから、苦痛の低減が「部分的」には「罪」を減殺するという意識があるのは間違いない。ただ、その「部分的」の比重が問題だ。少なくとも日本では「気休め」程度以上に受け取られることはまずあるまい。
3は正当化が必要。
意味がわからん。あんたこそ「反証が必要」だろうが。こちらは「根拠がない」と言ってるのに、ないことを証明できるか、そんなもん。
こっちが「日本はアニマル・ライツが徹底された国だった」と主張しているものとして、それに反論しているの?それこそ藁人形だよ。
ああそうか、すまなかった、では何を言いたかったか説明してくれ。
アニマル・ライツや動物福祉の理論体系は理屈としてはそれなりに一貫しているという立場をこっちは取っているわけだよね?実践的には受け入れていないにせよ、論理ゲームとしては評価している。「業」論者の主張はさっぱり理解できないので評価していない。
要するに君が理解できるか理解できないか、が基準なのか?そんなことを言えば俺から見れば「人道的な屠殺には何の倫理的問題もない」という方がさっぱり理解できないが。
そもそも、これを言ってしまうとおしまいだが、倫理観の是非を論理的整合性で判断するのは危険だぞ。なぜかというと、論理的整合性に重きを置きすぎれば行き着く先は原理主義だからだ。論理的な説明というのは所詮少数の仮説から出発するしかないわけだが、実際には受容されうる倫理観の前提を全部書き下すことなんてできていないんだから、当然論理的整合性に重きを置いた判断にはアラがでまくるわけだ。
広義で大雑把な欧米の動物愛護的精神を指すのであれば、”西洋”の文化的土壌の一部であるのは論理的に自明でしょう。なぜならそれは西洋の文化の一部だからです。
こちらは最初からアニマル・ライツだの動物福祉だのの教義は問題にしていないわけだから当然そうなる。要は、アニマル・ライツだの動物福祉だのだけが捕鯨反対を叫ぶなら「狂気とはいえ筋が通っている」が、一般の西洋人を巻き込んで政治問題化することが日本人を怒らせているわけだろう。散々牛肉を買わせておいて鯨を食うなとはなんだと。それだけの話にそんな大げさな前提が必要なのか。なんでそんなに話を拡げたがるんだかさっぱりだ。
そして、普遍的な根拠がないならば、それを拒否する権利があるということも認めるな?
それを否定するとなるとタリバンを否定する根拠がなくなるわけだが、そんなものを当人以外の誰が認めるというんだ?理屈のための理屈はよせ。
私は中高一貫の女子校に通い、そこはそれなりの進学校(東大医学部現役合格が出ても騒ぎにならない程度)だった。
校則がほとんどなく(自主性に任せられていた)、教師も個性だらけの学校であったため、すこし浮いた学校だったと今ならわかる。
生徒は自主性を重んじられるあまり大変気の強い人間に育ち、教師に対しての反抗心も露骨だった。
そんな私達がみな慕っていた教師がいる。
おおらかで、先生らしくない能天気さを持ち、えらそうでないのに尊敬したくなるほど人柄がよかった。
そういえば在日だったなあ、と思い返すぐらい、そのことについては印象が薄くて(先生は名前を韓国での読み方にしていたし、在日であるがゆえにうけた差別などについて話してくれたこともあったはずなのに、だ)今思うと不思議でたまらない。
これはどういうことだろう?
私はひとつずつ、先生の言動を思い出していくことにした。
ある日、日数が余ったかなにかで(私の学校は勉強に力を入れていないのでそういうことは日常茶飯事)特別授業として人権や差別のことについて話してくれたことがある。(人権問題の講座の担当もしていたので)
先生が自分が在日であることを自分の口で述べたのもそれが初めてだった。
名前読みは韓国での読み方になっていたので、在日であることはうすうす感じていたけれど、私達は特に意識もしてこなかったので、先生の話にちょっとドキリとした。
先生の話は名前のこと、自分の出生のこと、そして大学時代、友人だと思っていた人から差別されたことや(しかしそれを笑い話にして話してくれた)、それを救ってくれた別の友人との出会い、最後には差別がどれほど人を傷つけるか、けれどそれを救ってくれる人はいるのだ、というものだった。
先生は日本と韓国の歴史に対しては何も言わなかった。むしろ、「日本」「韓国」なんて単語を出すこともなかった。
話では常に自分と友人が登場人物であり、国家の話に摩り替えられることはなかった。
先生は個人と個人の間で起きた差別について実感してもらうためにまず私達に自分の体験を話してくれたのだ。
その後、先生は日本にあった「女人禁制」や他国の差別問題などの話をはじめ、きっとそれが本題だったのだろうけれど、
私達は導入部分であったはずの先生が受けた差別についての話にかなりショックを受けていた。
泣く学生も続出していて、でもそれは自分が先生を差別した友人と同じ日本人だからショックだったとかそういうものではなく、
いい人が不条理な扱いを受けた、という事実に涙していた。差別というものの残酷さに泣いた、それだけだった。
別に先生がアメリカ人で、その友人がイギリス人でも同じ反応をしただろう。(アメリカとイギリスにそんな関係があるのかは知らない)
差別の経験を話す際、偶然先生が「在日」だっただけ。そこに重きは置かれていなかった。
その先生の差別の話を聞いたところで、私達の頭に歴史がよぎるわけもなく、
ただ私達が過去に経験した話を今の友達にするのと同様、その人の財産である経験を見て、さらに信頼を築いている、それだけのことだった。
先生のスタンスは常にこんな感じで、国家や立場を、人と人の関係より重視することは決してなかったのだ。
だからこそ私は、先生が在日であるということを、さほど意識してこなかったんだろう。
こういった状態には賛否あるんだろうと思う。問題意識が足りないとか、そういう点で。
私の学校には在日の子もいて、でもそれも同じように気にならなかった。名前が見慣れないってぐらい。
彼女達も自分が在日であることを隠すわけではなかったけど、それで関係がどうなるってことでもないし、国の名前が会話に飛び交うこともなかった。
問題意識が足りない、と言われればそうなのかもしれない。
歴史問題を考えるいい機会だったのかもしれない。
バックボーンをきちんと理解することが礼儀だって思う人もいるのかもしれない。
でも、私達はそんなことを意識する以前に仲良くなっていて、その関係が密接であるために、国家という大きすぎる定義を取り上げる必要性を感じていなかったのも確かだ。
もちろんそれは日本人である私達がのんきに考えてあげなかっただけだ、ということなのかもしれないけれど、
別に在日の生徒がだんまりをしていたわけでもなく、自分や家族が受けた差別の経験などについては、人権問題のイベントなどできちんと意見する人ばかりだった。
そのさいでも、被差別者だからといって私達が態度を変えたこともないし、それが友人関係に影響を与えることはなかった。
それと同様、私達がただ友達で、青春時代をともに過ごす関係である上で、国家や歴史は特に持ち出すべき問題ではないと私達も、彼女達も考えていたんだと思う。
私達の中で、彼女達に日本人として申し訳ないとか思う子もいなかったし、あなたたち韓国人ってなんで歴史捏造するの?と思う子もいなかった。
私達は学生番号XXXXX1とXXXXX2で、仲がよくて、クラスメイト。
それでよかった。
これがいいことだったかはわからない。最後までいい先生、いい友達、で彼らとはいられたし、差別だとか思いつかないほどだった分、歴史問題について意識が薄くなってたかもしれないことは確かだ。
世の中にそんなに在日を嫌う人や、在日の中で日本を嫌う人がいるんだって考えもしなかった。
はっきり区別するものだということ自体に驚いた。
世の中の状況をネットなどで知って、私も国家についてすごく考えるようになる。
その反応する人に反応する人もいるし、
あの学校生活と反対に、国家というものが人間関係ですごく重視されているのがネット(特に不特定多数が出入りする)だと思った。
学校では校舎という狭い世界に閉じ込められていて、クラスや学年で個人個人がちゃんと識別できていたし、「あいつ1組だし」とか「あいつ三年だし」とかでちょっと冗談で偏見持ったこともあったかもしれないけれど、国家なんて大きすぎるものさしで人を考えることはなかったのに、不思議だと思った。
広すぎて、人が一人一人区別できなくなってくるし、クラスや学年でちゃんと整理されているわけでもない。むしろわざと匿名や不特定多数の出入りでわからなくなっているところもある。
そんな中で、ちゃんとはっきりとわかる「個」というものは、ネットを構築している言語だろう。
日本語のサイト、フランス語のサイト、フィンランド語のサイト、英語のサイト…。
日本語のサイトを見たとき、その人がどこにいてどんな人なのか、なんてわからないことも多いけれど、
日本語があるのだから、きっと「日本人」なんだろうと思うことができる。(例外ももちろんあるけど)
そこにいるのが誰かまったくわからない世界に飛び込めば孤独感で人が不安になるし、なんとか判別できる個性を見つけようとするだろう。
けれどネットは混沌としすぎていて、ちゃんと分けるとき重視してしまうのが「言語」、そして「国」ぐらいしかないのではないだろうか。
日本の土地に住み、日本の学校や職場に通っている間、頼るはずもない「自分も相手も日本人」という意識が、
こうした広大な世界に入るととても重視されていき、
結果的に「自分は日本人」という自覚が、どんどん大きくなっていく。
国家はこうしてネットの中で重要視されていくんじゃないだろうか。
私も今は「自分は日本人である」という意識、そして「○○人は好き・嫌い」だとか考える気持ちが芽生えている。
でもそれはあくまで、不特定多数が出入りし、そして個があいまいになった集団の世界にいるときだけだ。(あと、政治問題もこちらかな、と思う。人一人ではなく、国と国の問題だから。)
個人で向き合ったときそれは払拭すべきで、学校生活のおかげか私はそれが自然とできるようになっている。
人一人と向き合ったとき国家関係や歴史というものの影響がすっかり消えてなくなるというのはすごく不思議な現象で、当たり前のことのはずなのに、すごく平和に近いんじゃね?とか思えてしまったりするのは、私はまだまだ平和ボケしているからなんだろうか。
違うと良いな。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼します。コメントやトラバくださった方、ありがとうございました。
「昭和な街角」読みました!
火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオは七面鳥~。
多くの国民に加えてあまつさえ政府機関が「テポドンこそが日本への脅威である」と認識して動いてたらそれはそれで由々しき問題だと思うよ。頭を越えていくってことは逆に言えば日本にとっては近すぎて範囲外のミサイルである、という初歩的なことくらいは認識できないと非科学的な前提で現実的でないことを政治問題に上げることになる。
その部分だけを切り取れば、日本への脅威でないかのように見えるけど、北朝鮮がアメリカ本土を攻撃可能になることが日本の安全保障に及ぼす影響とか考えないとだめなんじゃないかと。要するに自衛権を制限してる日本はアメリカの核の傘を抑止力にしてるのに、アメリカが自国民が大事だから日本は守りませんということになりかねないのは明らかなリスクなんじゃないのかと。アメリカに届かないノドンだけならそういうことにはならない。てぽどんは日本を標的にしたものじゃないから脅威じゃねえなんてのは揚げ足取りだよ。
逆に社民党の福島さんが「間違えて迎撃したら先制攻撃とみなされる」というのも「迎撃ミサイルが北朝鮮領土に届かない」という科学的事実だけをもって馬鹿にされてるが、これも揚げ足取りに過ぎない。日本が種子島から打ち上げたロケットが北朝鮮に撃墜されても攻撃されたとは思わないのかと小一時間問い詰めたい。北朝鮮が「自分の領土にむけて発射されたミサイルと勘違いしました」といえばそれで済ませるんだろうかこういう人たちは。念のために言っておくと北朝鮮がそういうことをする能力や意思があるということを言いたいわけではなくて、もし北がそういう事をしたら日本が攻撃されたことになるのかどうかということ。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090330/1238349203にid:tari-Gが答えないのは単に読み難い文体の問題だということだから、本人に代わって文体を書き換えてみるよ。
これで逃げ場がなくなったね。
知的誠実を他者に要求するtari-Gクンへ
さーて、書かなければならないことはあるけれど、それはそれとしてまず売られた喧嘩を買っておきますか。
にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが、多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…ケッ 2009/03/27
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090326/1238051100
このtari-Gクンは、永訣の朝、公開オナニーにダンス・ダンス・ダンス - 地下生活者の手遊びで遊ばせてもらった、negative_dialektikクン(以下、否定弁証法クン)を擁護していたお方です。
で、このtari-Gクンに、「ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去のコメント欄で2009/03/26 10:31に、idコールまでして答えたくないと思われる論点を挑発的に問うてみたら、そちらには答えがなく、上記のブクマコメがかえってきたということです。
hokusyuのところのコメ欄でのtari-Gの発言などを考慮すると、実にカロリーの高いエサなので、おいしくいただくといたしますか。
では、エサをいただくにあたっては、いつものように逐語的にお料理させていただきます。
tari-Gクンは猫かぶり文体を読んでいたはずだけど
「にゃー語は脳が受け付けないので」
ほうほう、僕の猫かぶり文体が読めないと。まあ、それ自体は珍しくないよな。
ただ、はてなブックマーク - tari-G のブックマークを開いて、tikani_nemuru_M で検索してみると、現時点で14件ヒットします。そのうち6〜7件のブクマについては、否定弁証法クンの騒ぎが持ち上がる以前にブクマされたものだね。
特に、舌打ちにのたうつ40♂ - 地下生活者の手遊びにつけていただいたtari-Gのブクマには「うんうんそうそう」というタグがつけられていますにゃ。少なくとも、このブクマをつけた1月17日時点では、「ない語は脳が受け付けない」ということではなかったみたいだね。
ま、そういうこともあるだろ。
急所をつかれると、突然に気にならなかったものが気になるようになることは、よくあることですからね。いままでも、猫かぶり文体を理由にして逃げ回る恥知らずは数えきれないほどいたし、卑劣な弱者に逃げ場をつくってあげるために、このような文体を使っているというところもありますしね。
だから、hokusyuのブログエントリのコメント欄で、僕からの質問に応えなかったのもそういうものだと思って見逃してあげるつもりでいたのにね。
わざわざ自分でクチバシ突っ込んできやがりましたので、何の遠慮もいらないだろう。
しかも、
「にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが」
などと言い訳を前面におしだしてやがりますね、みっともねええええ(げらげら
hokusyuのブログのコメント欄では、こちらからの質問に逃げておいて、僕のエントリにブクマコメで文句だけはつけたいのかー。しかも、「ない語は脳が受け付けないので斜め読みだが」と言い訳全開にしてだと?
こんなヘタレが、「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去のコメ欄で、「知的誠実」だのといっちゃってるわけですにゃ。
tari-Gくんは文献を示す義務がある
「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。」
なるほど、僕の前回エントリは[なにこれ], [これはひどい], [ご都合主義]とタグ付けされたうえに、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で」書かれた駄文というわけだな。うむうむ。
まず、僕自身はシロウトであるし、この問題について包括的に書くつもりもないということは前回エントリでも最初にことわっていますよね。
もちろん、シロウトであるからといって、研究が積み重ねられているものを無視するどころか否定するようなことを書いてよいということにはなりませんね。無知を盾にとって、ホロコースト否定論とか南京事件まぼろし論にくみする言論を垂れ流すのは確かに無恥だな。ホロコーストや南京事件については、その規模や細部についてはともかく、そうした事実があった、ということについては学問的にも確定しているわけだしね。
ところで、前回の僕のエントリを駄文と評するのは問題ないし、包括的に文献を読んだつもりもまったくないのだが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化」と断言するのであれば、当然のことながらどのような文献のどのような論点を未消化なのか指摘できるよね?
いやね、フツーならばブクマコメのこの程度の指摘に対して、いちいち「ソースだせや」なんて言うつもりはないんだけどさ、tari-Gクンってば、↓のようなことをいっていますよね。
海外の著作に言及する場合、自分が依拠しているのが、原著を参照せずに翻訳書だけなのか、それとも両方参照しているのか。依拠している文章が、翻訳書なのか原著なのか。引用訳文が翻訳書からなのか独自訳なのか。そういった極めて基本的なことを明確にしたら?。
あと、hokusyuさんは、「通説である」とか「多くの研究者に支持されている」を極めて多用するけど、そういう場合は、必ずちゃんとその根拠を明示しなよ。少なくとも、それを裏付ける著作名と研究者名ぐらい列挙しなさいよ。
学問的手法に忠実云々ということをあれだけ強調していながら、実際には、そういう最も基本的な事からして全然できてないのは、ホント困るわ。
学問というのは、自律の世界なんだから、まず自分に厳しくしないとダメだよ。
出典の紹介等について、私が「一番」「甘い」というのも全く根拠不明で意味不明だが、誰に言われようが、自分の言葉の典拠や論拠を明確にするのは当然でしょ?世界のどの研究者もしている当たり前の学問的手続きを、自分の言説にまず適用するのは当然じゃないの?誰に言われようが関係ないじゃん。情けねー。
一般読者達向けに、惜しみなく情報を提供しようとは思わないの?そもそもそこがよく分からないな。なんで知識を出し惜しみするの?
てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?
hokusyuが見てて不快なのは、学問的誠実さが本当にないところ。自分が得た情報をできるかぎり共有して判断して貰うという、最も基本的姿勢がない。結局、客観性へのこだわりがないんだよね。「信じればいい」という主観だけ。
と、議論相手にここまでソースを出すことを要求するtari-Gクンが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書く」と断言している以上、僕の前回のエントリが、多分野に渡り山のようにある文献のなかで、特に必須なものをどう未消化なのか、具体的に言えないはずもないだろう。「てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?」
僕が誰を冒涜できるのだろう?
「こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…」
何をいっているのかぜんぜんわかんないのだが。
ホロコーストがあった、ということは歴史学的にもまともな学者には完全に合意され決着がついていることがらなので、ホロコースト否定論が「先人の業績」にまるで敬意をはらってないということになるのは当然だな。
ところで
人工妊娠中絶について、生命倫理学的に決着がついていたっけ? で、僕がそれに反するようなことを書いていたかにゃ? 僕が「先人の業績」を冒涜しているというのなら、ちゃんと根拠をだして説明してくんないかな。
それに
「被害者」「死者」等への冒涜 って何のことかにゃ? 僕のエントリが、どのような理路で、「被害者」「死者」等への冒涜 になるのか説明してくんないか?
tari-Gクン、チミな、他人に対して知的誠実だの学問的誠実だの、根拠をだせだのとさんざんいったのだから、求められたことを説明するのは当然だろ?
以前は猫かぶり文体も読めていたようだし、猫かぶり文体で書かれた文を、頼みもされないのにわざわざDISりにきたんだからさ、説明の責務があるのはアッタリマエだろ?
ここで僕の予想を書いておくと、tari-Gクンはまともに応えることはできないと思う。他者に要求するものが自分に向けられることを想定すらしてないだろう。
そして、他者に要求することを自分はまるでできないということと、否定弁証法クンのような歴史修正主義にくみする者を擁護することと、多分つながるところがあるのだね。
もちろん
自らがhokusyuに要求しているようなことをtari-Gクンができた場合、僕は鼻水を垂らしながら全力で謝罪するつもりです。
再掲
それと、ついでといってはなんだけど、hokusyuのところのコメ欄に書いたものを再掲しておくので、こちらにも応えるように。>知的・学問的誠実を他者に求めるtari-Gくん
>id:tari-G
「歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコーストの歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人の被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国の軍国主義復活を目論む右翼分子とレッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」否定弁証法3/17
と、上記の主張は端的にデタラメだよね。「冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺」ってのは事実と異なる主張だよね。
で、歴史に関する記述が政治的に歪められているという上記断定は、歴史修正主義が大喜びする「どっちもどっち」という判断を直接的に導くよね。tari-Gも、「どっちもどっち」は歴史修正主義の手口だと認識してるだろ?
さて
3/17の否定弁証法クンの主張は明らかに歴史修正主義にとって都合の良いデタラメの垂れ流しであるがゆえに、これを厳しく批判する論調がでてきたわけですね。
しかも、直後の否定弁証法クンの反応は、具体的な反論に対して「史上最大のタブー」「「信者」と議論するのは、ご遠慮しておきます」と、明らかに陰謀論を採用して議論を拒絶していたわけですね。ここも批判されて当然だろ。
でな、今回は否定弁証法クンがデタラメを垂れ流したので叩かれた、というだけの話だぜ。しかもそのデタラメは歴史修正主義を利する典型的なデタラメだね。
こうした批判に対して
>これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。tari-G
って意味がわかんないんだが。
いいか? 先にデタラメ垂れ流したのは否定弁証法クンだぞ。それを批判すると、後付けで「圧殺的行動への批判」となるわけ? 時間的前後が無茶苦茶。
しかも、デタラメを批判すると圧殺的行動になるってのも支離滅裂。デタラメを批判したらいかんの?
おまけに、「具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白」って、どこに根拠があんの? チミの脳内で明白なだけだろ?
というわけで、僕はこの1点でチミのお相手をさせていただく。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090305AT3S0402L04032009.html
民主党の鳩山由紀夫幹事長は4日夜のTBS番組で、小沢一郎代表の公設秘書が逮捕された事件に関連し、受け取っていた献金について「早く返した方がいい。小沢代表は(資金提供側の問題性を)知らなかったと思うが、知った以上、返すべきだ」と述べた。小沢氏は違法性が確定すれば返却する考えを示しているが、前倒しすべきだとの認識を示したものだ。
献金していた政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」はどちらも3年前に解散してるんだが、どこを念頭に「返した方がいい」と発言してたんだ。
もしかして西松建設に?