はてなキーワード: 優生学とは
結婚は論理じゃないよ。結婚が論理なら同性婚の論理は破綻しているからね。愛し合う二人に結婚を認めてあげようなんて論理は本当にクソ論理でしかないよね。愛し合う二人に結婚を認めるのに近親婚は認めないのはなんでだろうね。近親婚を持ち出すと子の遺伝疾患の発生率がどうのこうの言い出す人が現れるけど今度はそれを認めると遺伝疾患の発生率が高いカップルは結婚するなという話にもなるよね。優生学の観点から遺伝疾患確率の高いカップルを認めないことがいけないことであるなら近親婚もその観点から認められないという論理は成立しないよね。とすると近親婚がダメなのは気持ち悪いくらいしか理由は残らないね。気持ち悪いのは同性婚も同じだったんだからそんな理由で認めてはダメなんてことは無いよね。同性婚を愛し合う二人だからという理由で認めるなら近親婚も認めることになるね。児童婚はどうだろうね。愛し合う二人なら認めるべきだね。児童は判断能力が無いというけれどそれは差別じゃないのかな。頭の良い児童の結婚はダメで境界知能の大人の結婚は良いんだね。境界知能の大人なんていっぱいいるけどね。そこらの賢い子供のほうがよほど判断能力も高いだろうね。児童の判断能力の低さで認めないとなると境界知能のカップルの結婚を認めないことになるね。そうなるとそれはそれで差別だなんだとなるんじゃないかね。となると児童婚を児童の判断能力から切ることはおかしな話だね。児童婚も認めるべきだね。二人でしか結婚できないのも問題だよね。色んな文化で結婚は二人だけのものではなかったからね。多様性がどうのこうの言いながら二人の結婚だけを認めるのは筋が通っていないよね。多様性を認める立場に立つなら重婚は認めるべきだよね。多様性を認める立場は最強で一人婚も獣婚も物婚も認めないといけなくなるね。多様性は大事だからね。
御田寺圭(白饅頭@terrakei07)及び「ただしさに殺されないために」に対するデビット・ライス(ベンジャミン・クリッツァー)の批評について
https://note.com/katotoorera/n/n69b752f88f02
「何かを批評する時、何らかの根拠(理論や思考システム)や価値判断の基準(善悪)が必要である」
病んだ細胞は救済せず淘汰すべき、といった風な優生学や国家有機体論ごとくのものをしばしば見かけることだ
確かに
・理念的根拠が示されていない(迫害目的だなど叩かれるようなことは言わない)
・科学的根拠なし、あるいは偽造統計、捏造事件の使用(権威的な機関ほど有利だろうね)
・「枚挙に暇がない」などの被害度曖昧変造レトリック(「権威が言うんだから」のどこに信頼性があるのか?)
ぶっちゃけ欧米国家は人権保護の劣った国に武器を売りつければある種の同罪になりかねないこともあり、人権保護を求める
一方欧米武器業界は反欧米感は困るので、内国分断する言論をはらまき、反欧米武器輸入論者の分母を減らしたい可能性はある
ただ武器や技術の購入を求めたいから、劣った国の構造的不景気問題などは無視だ(円安のときにドル借款を返済させるのは、わざとではないと主張しながら)
巧みなことだな
なんでやらないんだ
この論は一見弱者の味方をしているように見えるがそうではない。強者のための理論だ。優生学を否定する物も人間には優劣があるということを理解している。きっと、その人たちは北川景子や天海祐希を観れば美しいと思い、アインシュタイン稲田を見ればブサイクだと思う。東大や京大は駅弁大学より賢いと疑わない。(同時にごく一部の例外が居ることも否定しないだろうが)大谷翔平や藤井颯太が一般人よりも優れていることを否定できない。
ではなぜ多様性を否定するのか。ずばり、強者生存のために弱者が必要だからだ。弱者でももしかしたらパンデミックが発生したときに抵抗性を発揮してくれるかも知れないし、彼らがいる限り、自分たちが淘汰されるリスクを回避できる。仮定の話をしなくても、トラック運転手、土方といった底辺の仕事をするための奴隷として弱者は必要だ。そのために弱者が不幸な人生を歩もうが知ったことではない。
結局、優生学論者も否定論者も「人間社会は優れた物の幸せを守るためにある」という思想の本質は変わらない。前者は「強者の幸せのために弱者を淘汰する」のに対し、後者は「強者の幸せのために弱者を保護する」と手段が対照的なのだ。