結婚は論理じゃないよ。結婚が論理なら同性婚の論理は破綻しているからね。愛し合う二人に結婚を認めてあげようなんて論理は本当にクソ論理でしかないよね。愛し合う二人に結婚を認めるのに近親婚は認めないのはなんでだろうね。近親婚を持ち出すと子の遺伝疾患の発生率がどうのこうの言い出す人が現れるけど今度はそれを認めると遺伝疾患の発生率が高いカップルは結婚するなという話にもなるよね。優生学の観点から遺伝疾患確率の高いカップルを認めないことがいけないことであるなら近親婚もその観点から認められないという論理は成立しないよね。とすると近親婚がダメなのは気持ち悪いくらいしか理由は残らないね。気持ち悪いのは同性婚も同じだったんだからそんな理由で認めてはダメなんてことは無いよね。同性婚を愛し合う二人だからという理由で認めるなら近親婚も認めることになるね。児童婚はどうだろうね。愛し合う二人なら認めるべきだね。児童は判断能力が無いというけれどそれは差別じゃないのかな。頭の良い児童の結婚はダメで境界知能の大人の結婚は良いんだね。境界知能の大人なんていっぱいいるけどね。そこらの賢い子供のほうがよほど判断能力も高いだろうね。児童の判断能力の低さで認めないとなると境界知能のカップルの結婚を認めないことになるね。そうなるとそれはそれで差別だなんだとなるんじゃないかね。となると児童婚を児童の判断能力から切ることはおかしな話だね。児童婚も認めるべきだね。二人でしか結婚できないのも問題だよね。色んな文化で結婚は二人だけのものではなかったからね。多様性がどうのこうの言いながら二人の結婚だけを認めるのは筋が通っていないよね。多様性を認める立場に立つなら重婚は認めるべきだよね。多様性を認める立場は最強で一人婚も獣婚も物婚も認めないといけなくなるね。多様性は大事だからね。
わかる。結婚とパートナー制度は分離するべきだと思う。