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はてなキーワード: ヒンドゥー教徒とは

2019-05-22

anond:20190522182111

ヒンドゥー教徒と間違えてるのか?

あいつらは虫けらは虫けら扱いするぞ

2018-02-23

南アジア中央アジア諸国歴史的英雄

anond:20180221160703

インドシヴァージー(1627-1680)ラーター王国建国者ヒンドゥー教徒を糾合し、周囲の各イスラム王朝と対決した。特にムガル帝国に対しては、大々的にゲリラ戦を展開して、当時のムガル皇帝アウラングゼーブを苦しめた。敬虔ヒンドゥー教徒であり、イスラム勢力と戦って独立を勝ちとったために、ヒンドゥー教国のインドでの人気が高い。
パキスタンアウラングゼーブ(1618-1707)ムガル帝国皇帝兄弟同士の後継争いを制し、父親幽閉して即位した。数十年にわたって帝国を栄えさせたが、晩年は長引くヒンドゥー勢力との戦いで財政悪化国土の荒廃を招き、己の統治の失敗を嘆きながら亡くなった。厳格なムスリムとして、ヒンドゥー教徒を激しく弾圧したため、イスラム教であるパキスタンでの人気が高い。
ネパールアマル・シンハ・タパ(1751-1816)ゴルカ朝の名将。ゴルカ朝がネパール統一したあと、アマル・シンハはさらに西へ進軍して領土を拡大した。その後、グル戦争において主力を率いて奮戦するもイギリス軍の前に敗れ去り、失意の彼は聖地サインクンドへ行きそこで亡くなった。グル戦争における彼らの戦いぶりが今も恐れられるグル傭兵誕生につながるのだが、それはまた別のお話。え、「ネパール釈迦だろ」? うん、そうね。
バングラデシュカン・ジャハン・アリもとはインドトゥグルク朝貴族で、ティムールトゥグルク朝を破ったあと、ベンガル地方にやってきて森林を切り開き、いくつかの街を建設して、その地を支配した。イスラム聖者ともされて、彼が建設したモスク群は世界遺産登録されている。
スリランカドゥッタガーマニー(前161-137)タミル人を打ち破り、初めてセイロン島を統一したシンハラ人の伝説的な王。実在はしたらしい。現在でも、タミル人との民族問題となると、シンハラ人がドゥッタガーマニーを持ち出すらしい。
ブータンガワン・ナムゲル(1594-1651)ブータンの高僧にして初代シャブドゥン。チベット仏教ドゥク派の後継争いに敗れてブータンへ逃れてきたあと、たちまち国内統一すると、各地に城砦建設し、たびたび侵入してくるチベット軍やモンゴル軍をことごとく打ち破った。
モルディブハメド・タクルファーヌ(?-1585)モルディブ植民地とし、キリスト教への改宗を迫るポルトガルから独立のため、島から島へと移ってゲリラ戦を展開し、八年の戦いの末にポルトガル人追放し、ウティーム朝を建てた。
カザフスタンアブライ・ハン(1711-1781)「大いなる災厄」と呼ばれたジュンガルの侵攻のなかで勇敢に戦ったため「英雄」と呼ばれ、やがて大きく三つに分かれていたカザフ部族連合の上に立ち、清とロシアの双方から「ハン」と認められるようになった。彼の死後、カザフロシアに対抗できなくなり、その統治に組み込まれていく。
ウズベキスタンティムール(1336-1405)モンゴル帝国の後継を名乗り、中央アジア大帝国を作り上げた世界史上屈指の軍事的天才オスマン帝国との戦争でその皇帝捕虜にしたアンカラの戦いは特に名高い。明との決戦へと向かう途上で死去した。
タジキスタンスマーイール・サーマーニー(?-907)サーマーン朝最盛期の君主。サーマーン朝はタジク人最後独立王朝でもある。サーマーン朝が滅びた後、この地域トルコ系、ウズベク系、そしてロシアの影響下に置かれ続けることになる。タジキスタン通貨ソモニ」はサーマーニーに由来する。
トルクメニスタンアルプ・アルスラーン(1029-1072)セルジューク朝スルタン。名高き宰相ニザームルムルクを重用して国力を高め、東ローマ帝国と戦ってその皇帝捕虜とした。セルジューク朝は「トゥルクマーン」という遊牧民建国したのだが、トルクメン人と「トゥルクマーン」の関係は明らかになっていないらしい。にもかかわらず、トゥルクマーンが建国したセルジューク朝スルタンや、伝説上のトゥルクマーンの祖とされるオグズ・ハンを、トルクメニスタン英雄視しているのは、そこに民族ルーツを求めているかなのだろうか。
キルギスマナス(?-?)世界最長と言われるキルギス英雄叙事詩に謳われる王。オイラト人の支配下にあったキルギスに生まれオイラト人やキタイ人と戦って勝利し、キルギスの王となり、北京への大遠征成功させた帰りに、敵の斧を頭に受けて死んだという。実在たかはよくわからない。実在が確実なクルマンジャン・ダトカのほうがいいかもしれない。
アフガニスタンアフマド・シャー・マスード(1953-2001)アフガンに侵攻したソ連軍を幾度も撃退して「パンシール獅子」と呼ばれた。タリバン政権に対抗する北部同盟の中心人物として活躍したが、9.11の二日前に暗殺された。あんまり最近の人は入れないつもりだったけど他にいないのでは。

2017-10-20

FGOパールヴァティの何が問題だったのか

FGOパールヴァティに関してアメリカネヴァダ州に居を構えるヒンドゥー教宗教団体「USH」から抗議文が出され、議論(らしきもの)が起こったようだが、最初に広まったのがGoogle翻訳らしき日本語文ということもあり、基礎的な認識が食い違っているケース(そして食い違った認識のまま全力で殴り合いをするケース)を見かけたので今更ながら思いついたことを書き留めておく。今のところ他に置き場もないし…

訳は…使えそうなのが見当たらなかったので自分で訳したが、B2程度の私よりはマトモな訳が出来る人は沢山いるはず。

部分訳

Upset Hindus urge removal of goddess Parvati from FGO mobile game where she is a “servant"

怒るヒンドゥー教徒は、モバイルゲームFGOからサーヴァント」(※1)女神パールヴァティの削除を要求する

(※1:一般名詞としてのservantの意味で使っているかもしれないが、引用符の中に入っているので一応サーヴァントとする)

Hindus are upset atFate/Grand Order” (FGO) mobile role-playing video game, developed by Japan’s Delightworks Inc., for reportedly introducing goddess Parvati as one of the “new” servants; saying it trivializes a highly revered Hindu deity.

ヒンドゥー教徒は、日本のDelightworksによって開発されたモバイルRPGFate/Grand Order」(FGO)に対して立腹している。伝えられるところによれば、このゲーム女神パールヴァティを「新しい」サーヴァントの一人として追加したが、これは非常に崇拝されるヒンドゥー教の神を矮小化するものからだ。

Zed, who is President of Universal Society of Hinduism, said that in this mobile game set-up, the player became the Master who summoned and commanded servants controlling their movements, including goddess Parvati; while in reality the devotees put the destinies of themselves in the hands of their deities.

USHの代表であるZedは次のように述べた。「現実において、信者たちは彼ら自身運命信仰する神々の手に委ねるものであるのに関わらず、このモバイルゲームではプレイヤーは「マスター」となり、女神パールヴァティを含むサーヴァント召喚し、命令し、彼らの行動を支配する。」

Moreover, goddess Parvati depicted in FGO appeared more like a belly-dancer than the Hindu deity devotees were used to seeing, Rajan Zed pointed out, and termed it as incredibly disrespectful.

さらには、FGOでは女神パールヴァティヒンドゥー教信者が慣れ親しんだ姿よりもよりベリーダンサー風の姿で描写され、これは信じられないほど冒涜的だ」とRajan Zedは指摘した。

Zed indicated that reimagining Hindu scriptures, symbols, concepts and deities for commercial or other agenda was not okay as it hurt the devotees. Controlling and manipulating goddess Parvati by the game-player was denigration. Goddess Parvati was meant to be worshipped in temples and home shrines and not to be reduced to just a “servant” in a video game to be used in combat in the virtual battleground.

Zedによると、「ヒンドゥー教経典シンボル、コンセプト、そして神々を商業的もしくはその他の目的において使用することは信者を傷つけることになる。ゲームプレイヤー女神パールヴァティ支配操作することは冒涜である。(※2)女神パールヴァティ寺院や家庭の祭壇で祀られるべき存在であり、架空戦場での戦いに駆り出されるような一介の『しもべ』(※3)のような存在矮小化されるべきではない。」

(※2:ヒンドゥー教徒に対する中傷嫌がらせ、という訳・解釈も見かけたが、denigrateは名誉を汚したり、重要性を矮小化すること(参考: https://www.merriam-webster.com/dictionary/denigrate)なので、対象女神パールヴァティだと解釈した。ちなみに次の文の主語パールヴァティ)

(※3:ここは文脈的には「サーヴァント」では意味が通らない)

Hindus welcomed entertainment industry to immerse in Hinduism but taking it seriously and respectfully and not for refashioning Hinduism scriptures, symbols, concepts and deities for mercantile greed. He or other Hindu scholars would gladly provide genuine entertainment industry seekers the resources they needed for their study and research regarding Hinduism, Zed stressed.

ヒンドゥー教徒は娯楽産業ヒンドゥー教に没頭することは歓迎するが、それは真摯さと敬意を払い、商業欲望のためにヒンドゥー教経典シンボル、コンセプトを再解釈しない限りにおいてである。私や他のヒンドゥー教学者は、本物の娯楽産業の追求者に対し、ヒンドゥー教研究調査するのために必要資料を喜んで提供するだろう。」とZedは強調した。

In this game, Goddess Parvati is shown as carrying Trisula (trident), which is her greatest weapon; while in reality Trisula is Lord Siva’s most powerful weapon. In the game, when Parvati is equipped with Nandi, it increases her performance; but in Hinduism, Nandi is Lord Siva’s mount. This kind of misinformation spreading creates further confusion among non-Hindus about Hinduism, Zed states.

「このゲームでは、女神パールヴァティは最強の武器としてトリシューラ(三叉槍)を手にしているが、トリシューラは実際はシヴァ神の最高の武器である。このゲームにおいて、パールヴァティナンディを装備した場合能力が強化されるが、ヒンドゥー教においてはナンディはシヴァ神の乗り物である。このような誤った情報ヒンドゥー教徒に対する更なる誤解を引き起こすことになるだろう」とZedは述べた。

(原文:http://www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-removal-of-goddess-parvati-from-fgo-mobile-game-where-she-is-a-servant/)

で、何が問題なの?

使われ方と描写問題だが、このケースにおいてはウェイトは「使われ方」の方が重い。

現実において、信者たちは彼ら自身運命信仰する神々の手に委ねるものであるのに関わらず、このモバイルゲームではプレイヤーは「マスター」となり、女神パールヴァティを含むサーヴァント召喚し、命令し、彼らの行動を支配する。

...

ゲームプレイヤー女神パールヴァティ支配操作することは冒涜である

サーヴァント解釈云々以前に神がPCになるなんて(彼の)ヒンドゥー教のコンセプトに反するのでNGゲーム使用するのがOKならこういう書き方はしないはず。ここはスルーしてはいけないはず。

表現については、

ヒンドゥー教信者が慣れ親しんだ姿よりもよりベリーダンサー風の姿で描写され、これは信じられないほど冒涜的だ

ベリーダンサー風だからではなく、「(彼が想像する姿よりも)『より』ベリーダンサー風の姿」と言うのが問題なので、例えば「おっぱいを出している彫像もあるのに、それに比べればFGOは布を纏ってるしOKなんじゃ?」と思うかもしれないが、それは林檎審査的にOKというだけで、おっぱいを出していない事が問題かもしれない。私たちが思う「セーフ」のラインと彼の思う「セーフ」のラインが大きく食い違う可能性もある訳で、こればかりは聞いてみないとわからないが。

娯楽産業を歓迎してるんじゃないの?資料提供するって言ってるよ?表現修正したらFGOでも使えるんでしょ?必ずしも削除しろって訳じゃないでしょ?

真摯さと敬意を払い、商業欲望のためにヒンドゥー教経典シンボル、コンセプトを再解釈しない限りにおいてである

「再解釈NG」、そして上にも書いた通り神を操作するのがコンセプト的にNGなので、普通に考えると「削除要求」以外の何物でもない。英語版では名前を変えてヒンドゥー教関連の要素を全部削除する、という手段はあるかもしれないが…

どうしたらいいの?(Zed氏を支持するFGOプレイヤー)

FGOみたいな涜神的なゲームは削除しなきゃ

どうしたらいいの?(一般FGOプレイヤー)

現実的には運営問題なので気にしなくてOK

Zed氏はこんなに怒ってるの?訳の表現が強くない?

例えばインドメディアが書いた記事を見てみよう

The American Hindu behind BoycottAmazon: Rajan Zed’s crusades to save Hinduism

「BoycottAmazonを仕掛けたアメリカヒンドゥー教徒:Rajan Zedのヒンドゥー教十字軍

The one-man outrage industry is not new to controversy, or in creating controversies.

常に議論の的となるワンマンの憤怒産業

http://www.thenewsminute.com/article/american-hindu-behind-boycottamazon-rajan-zeds-crusades-save-hinduism-44433

少なくとも彼が「怒っている」と感じる人はいる(このメディア立ち位置については情報が無いのでノーコメント)

ちなみに何かしらの理由があって声をあげている人を見て「穏健だね」と評価するのは逆に失礼に当たらないだろうか…それは批判要望の深刻さを過小評価することに繋がるから

ヒンドゥー教ヒンドゥー教徒的にどれくらい問題なの?

観測ポイントの一つとして、謝罪要求しているケースは恐らく深刻。

www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-valencia-firm-to-withdraw-lord-ganesh-crash-pad/

複数声明文が出てくるとより問題視されているかもしれない。

www.rajanzed.org/upset-hindus-seek-withdrawal-of-sydney-exhibition-showing-lord-krishna-smoking-meth/

www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-sydney-mayor-to-disallow-exhibition-showing-lord-krishna-smoking-meth/

もっとヤバいのは謝罪+複数(&Zed氏以外の出所から)の声明文が来ているオーストラリアCM(https://www.youtube.com/watch?v=f8kuoFGgj8s)

www.rajanzed.org/hindus-urge-blocking-public-funding-of-meat-livestock-australia-for-reckless-marketing/

www.rajanzed.org/3340-2/

www.rajanzed.org/upset-hindus-may-launch-boycott-of-australian-lamb-worldwide-if-insensitive-ad-continues/

www.rajanzed.org/upset-hindus-seek-ban-on-meat-livestock-australia-ad-showing-lord-ganesha-at-lamb-bbq/

とは言え、騒ぎ立てるほどではないが面白く思わない人が存在すること、そして国全体のイメージを左右する可能性があることは気に留めておいていいかも。

ちなみに、上のCMを見てあなたは正直なところどう思った?胸に手を当てて考えてみよう。あなたの抱いた印象が、いつの日かあなたに帰ってくるかもね。

2017-09-01

https://anond.hatelabo.jp/20170901121738

科学的に調べた結果を嘘つくことはできないでしょ

あくまでもキリスト教徒の話であって、仏教徒ユダヤ教徒ヒンドゥー教徒イスラム教徒などには縁のない話ではある

2016-03-25

西洋価値観を丸パクリしてモラリストを気取ったって

無駄なんだよ

そのうち増えまくったイスラームヒンドゥー教徒に媚を売らなきゃいけない日が来るんだから

2015-07-15

ミニマリスト批判を違う角度から展開してみる

はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野パラダイスだが、

手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。

平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。

「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方ダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て

なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。

自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。

論文は大抵「過去研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。

まり比較することそのものは、別に批判対象になるようなことじゃない。

比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから批判対象になるわけだ。

コレは結局のところ「スタート立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。

思想を持たない「主義」への違和感

例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。

宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、

外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である目的」は、大きく異る。

例えばミニマルアート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。

徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。

これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。

手塚治虫ブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。

ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。

ジェータ太子土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。

必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。

目的」が明確で、「手段」としてミニマリズム実践した人、とも言える。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。

目的」が明確なら、その「手段」は様々である

知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。

手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。

(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)

まあ、どんな主義であれ、基本的には尊重されるべきだろうし、

本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味干渉しかならないだろう。

ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。

ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒仏教戒律に関して「バカげている」という話はしない。

当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限意味が無い」という話はしない。

お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。

(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。

自分の主義に無頓着から他人の主義もぞんざいに扱えるのでは?

結局のところ、目的も無く、自覚的自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。

そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。

というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。

全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。

自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。

あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。

それは「自身立ち位置無自覚」で「他人思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。

まりインド人ベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。

きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。

他者に敬意を払えない恐ろしさ

自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのもの別に悪く無い。

他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。

他者に敬意を持ってさえいれば、間違いがあっても、論理構成が変でも、ちゃんと「比較」しようとするはずだ。

最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達は、きっと想像以上に恐ろしい存在なのだと思う。

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