はてなキーワード: あの世とは
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090904/p1
id:HALTAN氏ももうほっときなよ、そこまで突っ込まなくてもいいじゃないかって書こうかと思ったけど、どうもクスクス笑えてきた。
最初は、この猿オヤジはまだねちこく絡むのかと、他人事ながらイライラしたんだ。id:apesnotmonkeysの左翼ぶり、マジっぷりはぶっ飛んでて、南京事件関連でカモフラージュしてたつもりでも本音の部分ではまともな人は付いていけないほど過激だったってことは、去年のトリアージ騒動の時に明らかになってるんでさ。今になってまだ「所得の再分配」なんて言ってるけど、本当は「金持ちからぶんどれ」という発想でしかなかったの、取り繕っててみっともない。
だいたい、よくよく考えたら、現実に行われるであろう「所得の再配分」って広く薄くとか、いわゆる中流からもっと取ることになるんじゃないのかな。apesnotmonkeysが思ってるみたいな「金持ちからぶんどれ」ってわけにはいかないと思う。つまり、再配分のための財源って、たぶんそう言ってる本人たちの財布から出るはずでしょ。そう考えると、「所得の再配分」という建前と「金持ちからぶんどれ」「日本の金持ちは逆さに振っても鼻血も出ない人たちなの?」という本音のギャップって滑稽なほど大きいよね。
それに、自民党政権が倒れただけで冷戦が終わったってのも、自由民主党の結党の経緯から考えても冷戦の落とし子の一面があるから分からないではないけれど、でもその「自民党憎し」ぶりがほほえましい。かといって民主党がapesnotmonkeysのお望みにかなうような革新政権なわけもなく、むしろ経世会を実質的に引き継いでいる面があるという意味では冷戦時代の自民党そのものかもしれない。それに、本当は社会党の村山さんが総理になった時に日本の冷戦なんてとっくに終了してるんだよな。どうせなら、民主主義が成熟したと言ってほしいね。
だから、最初はこのずれっぷりにマジで呆れたんだけど、なんと言えばいいのだろう。
いかにも、「学生運動気分が抜けないおじさんがひたすら金持ちや自民党が憎くて書いてます」感が漂ってて。しかも、apesnotmankeysって学生運動世代よりずっと年下で、あの世代でこれだけぶっ飛んでるところをみると、大学でロクなサークルに入ってなかったはずなんだよな。40歳越したおじさんがだよ、学生運動気分というか、ああいうものに対する憧れが抜けないまま、ネチネチイヤミを書いたり、自民党政権が倒れると安直に喜んだりって、ある意味、カワイイよ。そう考えたら、笑えてきた。
「巨悪に対決する一市民」(w の構図って、こうなると、みっともないとか通り越して、滑稽も極まってるね。面白いわ。
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090904/p1
HALTAN氏ももうほっときなよ、そこまで突っ込まなくてもいいじゃないかって書こうかと思ったけど、どうもクスクス笑えてきた。
最初は、この猿オヤジはまだねちこく絡むのかと、他人事ながらイライラしたんだ。apesnotmonkeys氏の左翼ぶり、マジっぷりはぶっ飛んでて、南京事件関連でカモフラージュしてたつもりでも本音の部分ではまともな人は付いていけないほど過激だったってことは、去年のトリアージ騒動の時に明らかになってるんでさ。今になってまだ「所得の再分配」なんて言ってるけど、本当は「金持ちからぶんどれ」という発想でしかなかったの、取り繕っててみっともない。
だいたい、よくよく考えたら、現実に行われるであろう「所得の再配分」って広く薄くとか、いわゆる中流からもっと取ることになるんじゃないのかな。apesnotmonkeys氏が思ってるみたいな「金持ちからぶんどれ」ってわけにはいかないと思う。つまり、再配分のための財源って、たぶんそう言ってる本人たちの財布から出るはずでしょ。そう考えると、「所得の再配分」という建前と「金持ちからぶんどれ」「日本の金持ちは逆さに振っても鼻血も出ない人たちなの?」という本音のギャップって滑稽なほど大きいよね。
それに、自民党政権が倒れただけで冷戦が終わったってのも、自由民主党の結党の経緯から考えても冷戦の落とし子の一面があるから分からないではないけれど、でもその「自民党憎し」ぶりがほほえましい。かといって民主党がapesnotmonkeys氏のお望みにかなうような革新政権なわけもなく、むしろ経世会を実質的に引き継いでいる面があるという意味では冷戦時代の自民党そのものかもしれない。それに、本当は社会党の村山さんが総理になった時に日本の冷戦なんてとっくに終了してるんだよな。どうせなら、民主主義が成熟したと言ってほしいね。
だから、最初はこのずれっぷりにマジで呆れたんだけど、なんと言えばいいのだろう。
いかにも、「学生運動気分が抜けないおじさんがひたすら金持ちや自民党が憎くて書いてます」感が漂ってて。しかも、apesnotmankeysって学生運動世代よりずっと年下で、あの世代でこれだけぶっ飛んでるところをみると、大学でロクなサークルに入ってなかったはずなんだよな。40歳越したおじさんがだよ、学生運動気分というか、ああいうものに対する憧れが抜けないまま、ネチネチイヤミを書いたり、自民党政権が倒れると安直に喜んだりって、ある意味、カワイイよ。そう考えたら、笑えてきた。
巨悪に対決する一市民の構図って、こうなるとみっともないとか通り越して、滑稽も極まってるね。面白いわ。
むああああエンジンかからねええええええ!
明日明後日どーすっかなぁ…これが「テストは投げ捨てるもの」なのか…!
新しい職場に全てを賭けよう。
勝負はクリスマスまで、どっちが先に笑えるのか勝負だ!
あんたは確かに強いのかもしんねぇ。だがそれは画面の中だけでの話な。
俺は実生活であんたを超えてみせる。勘違い乙だが今の時点で容姿は負けてねえ。
頭の回転はあんたの方が早いかもな。亀の甲より年の何とか、ってやつか。
ただ持ってる知識はあんたよりは多いと自負出来る。変な萌アニメとか以外の、一般常識とかマナーとかな。
いつかAさんとも会って話を聞いてみたい。
仲良くなれたらあんたについての話も聞けるし、情報も共有できるしな。
まあ、それまで俺があの世界にいたら、の話だが。
もうこれ以上あの世界に深入りするつもりはない。
大会は興味無くなっちまった。司会のあのあんちゃんには興味あるけどな。今度声かけてみるわ。
せいぜい頑張ってくれ。ああ、一つだけ最後に言いたい。
●'●が神って…趣味悪ぃなおい。
地元医師会で定期的な飲み会が開かれていて、出ても不愉快になるだけだから、もう出席を止めて久しいんだけれど、60も過ぎた爺医にとっては、それが生き甲斐みたいなものらしくて、今でも定期的に盛り上がってるらしい。
毎年年末になると「ビンゴ大会」というものが忘年会で開かれて、自動車が数台買えるぐらいのお金が集められて、今年の1等商品は、「マンモスの牙」だったらしい。何でも時価150万円、それを120万円で売ってくれた人がいて、幹事が即金で買ったんだと。
こういうセンスは個人的にあり得ないんだけれど、少なくとも世の中には、あるいはかつては、「マンモスの牙」を売って生計が立つ人と、実際にそんなものに大金を支払う人とが経済圏を作っていて、あの世代の人がいなくなったら、今は確実にそうなりつつあるけれど、一つの経済圏が潰れるんだろうと思う。
お金を作っては、せっかくのお金を生かすでもなく、「阿呆」としか思えないようなお金の使いかたをして、それだどうしてだか周囲からの尊敬購入につながる、田舎くさい、いわゆる「田舎の金持ち」の振る舞いかたというのは、たぶん大昔は、全国どこでも、富裕層というのはこういうものだったんだろうなと思う。田舎の金持ちというのは、田舎だからこういうことをするのでなくて、むしろ本来、こういうのこそ首都圏の文化であったものが、何十年もたって、田舎では今でも、かろうじてその名残をとどめているような。
「マンモスの牙」みたいな、珍しさ以外に何ら価値のない、それこそ「田舎の金持ち」に売りつける以外の用途を持たない、たぶん利幅の極端に大きなこういう商品は、たぶん富裕層から中間層、さらにはその下の人たちに、大きなお金の流れを生んで、恐らくは「マンモスの牙」という、無価値な象徴を回することで、お金の流れは、その地域の経済圏を生かしていたんだろうと思う。
今自分たちの世代で「マンモスの牙」を欲しがる医師なんてもちろんいないし、じゃあマンモスの牙以外に、何か150万円も出してものを購入しているかといえば、それもない。お金の流れはここで止まって、たぶんマンモスの牙数本分、昔だったらそのお金で生活できていた人は、今はもう、生活が成り立たなくなっている。
世の中に「マンモスの牙」は、やっぱり必要なんだと思う。今はそれがないから、数字上の景気と、実感との解離があるし、お金はあっても回らないから、景気がよくなっただとか、生活が豊かになっただとか、誰も体感できない。
富裕層がお金を払う、お金の流れを生むに値する、実体としての価値と、価格との解離が極端に大きな商品を生み出せた人は、たぶん大きなお金の流れをちょうど中心に、その身を置くことができるのだろうし、「マンモスの牙」に変わる何かがなくなってしまった社会というのは、富裕層に重税をかけて、道路を伸ばすことでしか、お金の流れを作れないような気がする。
映画館で、あれだけ泣いたのは初めてだ。それも、30代半ばのおっさんになって。
自分でも始末におえないとは思っている。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版「破」
事前の情報で、エンターテイメント性に振ったものになっていると聞いていたし
そもそも今の自分は「エヴァ」にそれほどこだわっていないつもりだった。
「序」も、ポップコーン食いながら超まったりな鑑賞だったし。
だから、すっかり油断していた。
95年の秋から、97年の映画版EOEまで。
僕はすっかりエヴァにはまっていた。
大学生活が終わりを迎え、就職活動に向かっていた大学生の僕は社会生活に、そして自分にすっかり自信を失っていた。
いや、そもそも自信なんて持っていなかった。
学生時代のかなり長い期間イジメに遭い、精神的にはボロボロで。
外見やら身だしなみやら話し方やら、改善しようにもどうしたらよいか分からず見当違いのことばかりをして。
勉強はそれなりに頑張っていたから、それなりの大学に入ったけど、誰に褒められることも無い上友人は少なく授業は厳しく。
今までの人生における、努力に対する報われなさ感は最大、絶望感も特大、最低の時期だった。
そんな折、エヴァに出会った。
周囲から無理や理不尽を押し付けられる中、一時的には逃げつつも何とか踏みとどまって世界と折り合いをつけようとするシンジ君に
僕は共感以上のものを覚えた。
そして、彼に自分を重ね合わせ、彼が幸せをつかめることを、僕がこの境遇から抜け出せることを、切に願った。
TV版で相当やられていたけど、まあそれはそれとして。
正直映画版見終えた後、茫然自失になり、しばらく何をしたか覚えていないくらいショックだった。
「エヴァ」とは正反対に、自分の状況は就職してから急激に好転した。
精神的な余裕ができて、色々な物事にチャレンジできるようになり。
時間や金銭にも余裕もできて、遊びの幅も広がり。
拷問のような学生時代のことは、時折悪夢として夢に見る程度で意識しない限り思い出さなくなっていった。
もう一度言う。だから、すっかり油断していたんだよ。
特に、ラストの20分くらいはもう本当に涙が止まらなくて。
彼が、自らの手を伸ばして何かを掴み取ったことが喜ばしくて。
闘うという決意が報われたことに、雨が上がった後の青空のように気分が晴れて。
90年代半ばの自分が求め続けたものが、そして決して得られなかったものが、そこにはあった。
あれは確かに「エヴァンゲリオン」の「続き」だった。
間違いなく。
僕にとってはそれだけで幸せだ。
以上、掲示板やBlog等読んでいて、昔ほど感情的な感想が無いなぁと思ったので書いてみた。
皆成長したんだな。僕みたいにアレを引きずっているのは少数派になったのか。
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これだと世界中の神話が『生徒会』と『車内わいせつ』意外全部引っかかりますね。
近親相姦のない創世神話なんて太陽神ラーくらいじゃないですか?
兄妹神イザナギノミコトとイザナミノミコトがきゃっうふふと近親相姦して妊娠出産。
そして、死んだイザナミノミコトはあの世でおぞましいなにかと複数プレイします。
え? やっぱり子供に悪影響を与えるから禁止?
きっと貴方たちがバカなのも、こんなくだらなくて有害で気持ち悪い日本神話を子供の頃から聞かされていたからなんでしょうね。
とりあえず規制に引っかからなそうなエロゲーを考えてみました。
これらのくだらない規制をクリアするもっとも楽な方法は、男を出さないことです。
男を出すだけでレイプ、逆レイプ、妊娠に引っかかる恐れがでてきます。
これを避けるため、女性と性行為を行う相手は道具がいいでしょう。
自らの意志を持たないただの道具であれば、
がクリアできます。
・主人公は私服の18歳女性(『ロリ』ではありません。あらゆる制服は『生徒会』を連想させる危険性があります)
・場所は青い空の下に地平線まで穏やかに起伏の続く緑の丘陵(部屋の中ですと『監禁』の可能性が否定できません。外にするべきですが他人がいると規制に引っかかる恐れがあるので無人とします)
・直径2m程の丸い球体が置いてあり、様々な形をした棒や道具が突き出ている。(巨大なバイブの集合体であり、なんの意志も知能も持たないただの物体です。『奴隷』ではありません)
・女性は球体にくっついているあらゆる道具を使って激しく楽しく自慰行為をし続ける。(女性は合意の上で妊娠の可能性のない性行為を楽しんでいます)
・球体は時折、青いどろどろの液体を噴出させます。(白い液体だと妊娠可能なのではないか、と勘違いされる恐れがあります。おむつのCMを参考に青く色をつけてあります)
・二人での性行為及び同性愛が規制されていないため、バリエーションとして女性をもう一人だすことは可能です。女性が三人以上になると『複数プレイ』のため禁止です。
世の中の人々が有名企業に就職するために就活、玉の輿に乗るために婚活、かわいい子供産むための産活、あるいはどうしようもない男から慰謝料をむしり取って離婚しようとする離活に励む今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
そんな中、不況のせいもあり(?)就職に失敗したボクたち、若い(さらにはあんまり若くない)女性には見向きもされないボクたち、将来を見てくれる子供もいないボクたち、(とりあえず離婚問題で疲弊することはなさそうです)、こんなボクたちに必要なのは、人生をいかに締めくくるかという死亡活動なのではないでしょうか?
すなわち死活。
死活問題。
親の老い始めた姿を見て婚活にのめりこむ女性がいるのと同様、親はいつまでもはいないのです。
参考
死亡活動(以下、死活)という概念が考え出された背景には、日本の結婚を巡る環境の変化(以下を参照)にある。
等 こうして“特に活動を行わなくてもなんとなく結婚できたシステム”が崩れ、モテる人とモテない人が二極化。結婚を諦めた人間が独り身の死をどうするか決める活動が必要になったという。
以下の通り
なお、婚活のブーム化や、少子化対策などを背景として、結婚活動の支援に取り組む地方自治体や企業も出てきている。また、こうした社会情勢を奇貨とみた企業によって、結婚活動関係のビジネスが活況を呈している。しかし、商行為が悪質とされた企業が告発されるなどの問題も発生している。このような中、男性はますます結婚に失望するという状況に陥っており、経済的な改善が見られない状況と相まって、ますます死活は活況となっている。
橋爪大三郎東工大教授(社会学)は、「就職活動の連想で『婚活』が出てきたことに、奇妙なものを感じる」「あの世に旅立ったキヨシローじゃないが、婚活に血道を上げる連中に聞いてみたい。『愛し合ってるかい?』と。彼らに『恋愛』の2文字はみじんも感じない。あるのは『計算』だけ。」「『恋愛結婚』が定着したのは、1960年前後。まだ、社会全体が恋愛に慣れていないのです。結婚制度の変化に多くの人が戸惑っているのが現状で、独身でいることは、そんな自分に正直に生きた結果でもある。結婚する、しないは個人の自由。その意思は尊重されるべき」等々と語る。
死活をする若者が増える一方、低収入等条件が悪いと思われる若者から結婚できたという報告が出されることがある。
これを見て一部の若者が死活を中止する例があるが、同時にその報告内容に疑問がもたれることも多い。
死亡は、文学における重要なテーマの一つであるが、死亡活動として捉えられる作品はまだない。
冥福をお祈りします、ってのが呪文のようにしか聞こえず居心地が悪い。
他人がそう言う分には別にそりゃ構わんのだけど、自分で口にするのは嫌だな、と思う。
冥福ってのは、ま、あの世で安らかに暮らしてくださいってことなんだろうけど。
そもそもあの世というものをまったく信じていないので、その世界での幸せとかまったくぴんとこない。
そんな俺が、そんなこと思っても居ない、気持ちのまったく篭らない言葉をいうというのは、
その亡くなった方に対して失礼でしかないな、と思ってしまうんだろうな。
だからきっと、その方が心中だったりした時には、お疲れ様でした、と言ってしまうのだろう。
きっと、これが俺にとって亡くなった方に対しての精一杯の真摯な言葉なんだろうと思う。
ある豆知識を紹介するブログがあって大変参考になるのでお気に入りにしてたんだが
それほどアクセスはないらしく、コメントも1記事に2,3と言ったところだった
管理人は驚きの記事を書いていたが、マイペースで頑張りますみたいなことが書かれていた
しかし、それからすこしして、それまで一切していなかった政治の話をし始めたり
確信は持てないが、アクセスの増大が、著者を変えたのではないかと思っている
僕は、前のブログが好きだったので残念な事だと思った
藤子F不二雄のすごさは子供にたいして漫画を描き続けたことだと聞いた事がある
あるていどの発言力を手に入れると、とたんに偉そうなことを言いたがったり
これは漫画に限らずで、大人という生き物はそういうものなのだそうだ
だからこそのF先生のすごさなのか
だから、もちおですよ
ネットって怖いなと思うわけ
本もたくさん売れてしまった
しかもあの世界の任天堂の岩田社長と糸井重里と鼎談したじゃない?
メンツ見て正直もちおは場違いなやつだなと思ったの。
でもまぁ岩田社長は、はてな使ってますよとかファンでユーザーですって立場みたいだから
それもアリなのかなと思った。
でも、これでもちおは勘違いを加速したのかも知れない。
俺は発言力があるぞって
俺が言えばみんな頷いてくれるんじゃないかって
でも冷静になって、はてなみてみなよ
こんな中途半端で、きもいオタしか使わない、人気が頭打ちのサイト
海外に行ったらどうにかなるなんておもうの?
きみはピンクレディーか
結局うごメモが大ヒットじゃない
灯台もとぐらしじゃない
任天堂に寄生しなよ
まとまり無くなにがいいたいか分からない文章ですが読んでくれてありがとう
文部科学省推薦だか何だか知りませんが、アンパンマンが嫌いです。
ばいきんまん派とか、カレーパンマン最強とか、擬人化同人とかそういう事を言ってんじゃありません。
暴力(アンパンチ)で毎回事を解決するようなアニメが、本当に良いのか?という問題については、ネット上でたくさんの方が既に議論されています。
が、少なくとも今の教育は「STOP THE 暴力。ダメ、絶対」を貫いているようですし、「問題解決の為なら暴力OK」なんてのを真に受けて大きくなる子ってそんなにいないと思うんですよね。多分ですけど(少なくとも、最近のU-35が引き起こす傷害事件・殺人事件はアンパンマンのせいではないと思う。ソース無いけど)
それよりも私は、アンパンマンがチビ達に植え付けているもっと深刻な思想があると考えています。
それは、
「汚い(汚そう、清潔感が無い)存在は、それだけで悪なので敵とみなしてよろしい」
です。
実際のアニメ作品の中で、アンクル・ジャムもアンパンマンもそんな事言いやしません。
しかし、あの世界の住人達は大概、ばいきんまんが例の乗り物に乗ってうろついているのを見かけるや否や、特に何も仕掛けてこなくても、恐怖の顔や怒りの顔を見せます。現実の社会で言う「差別」とかいうやつです。
え? 差別もクソも普段から悪い事しているんだから、そんな待遇当たり前? 確かにそうですね。常識的に考えて。
でも、小学校に上がりもしないようなチビ達がそういう常識を頭で理解するのはもう少し先だと思います。
チビ達はただ、「あ、キタナい悪いのが出てきた。アンパンマンはいつぶっ飛ばしてくれるのかな?」と、目を輝かせるだけです。
そして、最後にお約束通りアンパンチが繰り出されると、チビ達も溜飲が下がると。毎回視聴の度にその繰り返し。
決して浄化することの無い、毎回変わることの無いの汚いやつを、繰り返しフルボッコにするシーンを見てスカッとしながら(快感を得ながら)大きくなっていく訳です。
ターゲットを虐める理由として(自分自身が虐めて、見に覚えのある人も多いでしょうが)「汚いから」が本音のケースがよくあります。「汚い」と認識する理由には、「鼻をほじっているのを見ちゃった」「この間授業中にゲロ吐いてた」「いつも同じ服」「いつもボサボサべたべたの頭」等、ぶっちゃけ言いたい分からんでもないよ…みたいのもあります。
でも、ある程度の知識が身に付けば分かることですが、他の人と比較した時群を抜いて存在自体が汚い人ってまあ居ないです。何故か。
水やせっけんで洗えば大体キレイになるし、匂いも取れるからです。
しかし、アンパンマンとばいきんまんの攻防を繰り返し見てきたチビはそういう風に認識しません。
ばいきんまんは、存在自体がばいきんだから、何をやっても悪いし許されないし、他の存在とは一線を画す汚い存在なのです。
ちゃんとお風呂にも入らせているし、歯も磨くよう教えているし、毎日清潔な服を着せていて、とても優しい子なのに、学校で「汚い」と虐められている子供がいて戸惑っている親御さん、この記事をご覧の人の中にいませんか?
アンパンマンは、表向き「歯を磨こう、手を洗おう!好き嫌いしないでなんでも食べよう!」と教えているように見せかけて、実際には「汚いやつには「汚い、悪い」のレッテルを貼れ。存在自体がばいきんだから、何をやってもきれいにならない。ばいきんまんみたいな待遇をし続けろ」と、チビ達に命じているのです。
原作者はもちろん、文部科学省もアニメ制作に携わった人たちも、子供たちにそんな悪影響を与えているとは思いもしないでしょうけどね。
1979年生まれ。中高時代にTRPGブームに乗り,ソードワールドやガープスのPCを何百人と作った。購読誌はコンプRPG。大学に入ってから一緒にプレイする仲間を失い,TRPG冬の時代にもぶつかり,まったく疎遠になった。細々と出版されるリプレイを書店で見かけて,ああまだこのシリーズ生き残っていたんだなあと再確認するくらい。伏見健二が介護福祉士になったなんて噂を聞きながら時間の経過を感じていた。
近年エロゲに手を伸ばすようになって,ライアーソフトというブランドに触れた。こいつら面白いもの作るなーと思って調べてみると,なんと元遊演体の社員達が集ったブランドだという。作品自体よりもそのことに感動してしまった。あの頃見たあの人たちは,今もがんばっているんだ。場所こそ変わってしまったけど,ちゃんとゲームしてるんだ。
消極的に避難しただけじゃない。隙あらばまた本流を食ってやろうとギラギラしてる。ライアーソフトから出た文倉十が,ラノベの挿絵を機に表で活躍の場を広げつつある。なんか,あの世界の人も資産も2000年を越えられずにどこかに消えてしまったんだと勝手に思い込んでいたけれど,ちゃんと系譜は続いている。
明日からまた少しがんばれそうな気がする。
お疲れ様でした。
どうかあの世ではお元気で。
僕も50年後にはそっちに行ってる予定ですので、
機会があったら仲良くして下さい。
増田が「命=善という社会通念に反対」とか言ってるのは頭の中でのお遊びに過ぎない。
そんなにこの世がきらいであの世が好きなら増田なんかしてないでさっさと(ry
命=善というより、人はほとんどの場合死にたくないんだよ。まして殺されるのはまっぴら。
だから命はお互いに大事にしようという約束事が生まれる。でしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
いやー、それにしても日本の公立高校には感動したね!
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
日本の人を考慮してないように見えるかなあ。うーん。
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
これ以上は自分の方がキリなくなっちゃうので、この辺で失礼します。コメントやトラバくださった方、ありがとうございました。
「昭和な街角」読みました!
火浦の新刊だーーーーー!!!と勇んで買ったものの、中を見たら全部20世紀の作品じゃねぇか!…そしてたった2ページ+数行の掌編がべらぼうに面白い上に竹本泉の挿絵も最高とか火浦過ぎるだろ火浦…。楽しいラジオは七面鳥~。
どうもこんばんわ。元増田Aです。巡り巡って今一緒に暮らしている母が還暦を迎えました。
子供の頃は包丁の握り方や皿の洗い方、鉛筆の書き方等を躾けてくれた母なのですが
最近書いている文章を見たら誤字だらけだし、内容の重複は激しいし、文章の構造がおかしいし、
そもそも文章(手紙)すら余り書かなくなってます。
読書をしていれば少しは予防が効くと思うのですが本は老眼で疲れるからと読まなくなりました。
そんな母が話す最近話す内容というと、テレビの通販やワイドショーか自分の交友関係か親戚に対する感想に終始し、
会話の方法も、人が他の人と会話しているのを遮って、全く関係のない話を延々と続けたりと
(これは若い頃からあった。元々天真爛漫というか我が儘な人なんだと思う。)
聞いていてこっちが頭の痛くなるような状態です。
元々専業主婦でしたが、体を一時期壊し、今は大分元気になってはいるのですが、
病後以降家事も手を抜くどころの話じゃなくなっております。
又、夫婦喧嘩もよく勃発しておりますが父も同様に還暦を越えた為、
一時イライラしても持続しないらしく彼女もその時ばかりはしゅんとしてますが毎日が元の木阿弥です。
最近、脳科学の本をよく目を通すのですが、そんな私が彼女に対して出した結論は端的に言うと
前頭葉とか使ってないから判断力や認識力が低下しているのではないか?
という推論でした。更に数冊、又数冊と読み進めていくうちに、
この儘の状態が続くと認知症を発症してしまうのではないか、という危惧さえ生まれました。
(認知症は病気で発症する人もいますが、7割は脳を使わない事により発症、
この手の患者さんを解剖してみると健常な脳との違いが殆ど無いそうです。)
折角一緒に生活しているのだから、もうちょっと前頭葉を使って元気に生活して貰いたい。
私はそう思いました。とりあえず、ものは験しと任天堂DSiと脳トレをプレゼントしましたが、
画面が輝いて目が疲れるという事で二ヶ月で飽きてしまったようです。
私は頭を抱え、何か、彼女の脳細胞に刺激になる物はないかと探しました。
そこでふと、漫画を読ませてみたらいいんじゃないか、と思い至りました。
しかしここ最近ロクに漫画雑誌も買わなくなったので、部屋にあるのが
「ハチくろ」「有閑倶楽部」「星☆おにいさん」「深夜食堂」「三月のライオン」位で
他にどんな物をあの世代の女性が共感を持って読むのか分かりません。
本人は、漫画とか読んだ事ないから読んでみようかな☆と概ね好感触。
この好奇心旺盛な時期を逃す訳にはいかないのです。
多分有閑倶楽部は幼すぎて疲れてしまうと思うのでナシですし、
星☆おにいさんは若者カルチャーが大分混ざっているので理解出来ないかもしれない、と思われます。
この中で最初の一冊はやっぱりハチクロなのかなあ。。それとも三月のライオンがいいのか。悩みます。
あ、そろそろ韓流ドラマをぶっ続けで見るのも辞めさせたい所です。何故そんな体力はあるんだろう。
結果として今パラサイトシングル化(こんな言葉あったよね!)してる自分ですらそんな体力ありません。
あ、あとジムに行くと行ってる癖に誘っても乗ってこないのもどうすればいいのだろう。
年取って動けなくなる前に少し動かして欲しいんだ。頭も、体も。
いつまでも元気でいて欲しいの。お母さん。だからどうすればいいかな?
この世界に神様なんて存在しない。神様がヒトを作ったわけではなくて、ただ進化の過程でヒトができただけ。ヒトに生きる意味なんてなくて、ただイキモノの本能として生殖を繰り返すだけ。神様の所作とかあるわけがない。
なのにこの世界には「宗教」がある。「神様」を崇め、奉り、救いを求めている。そんなの無意味なんじゃないか。神様なんていないんだから、祈ったって何も報われない。
ただ心の拠り所がほしいんだろう。言い換えれば「気休め」といったところか。それで気が済むのだろうか。いや、済ませているんだろう。いないのは心のどこかでわかっているのだけれど、信じたい、信じることで言い訳にできる。
神様なんていないのと同様に、あの世とか天国とか地獄とか、そんな世界だって存在しない。ヒトは死ねば土に還るだけ。魂だってないし、幽霊だっていない。
お墓の意味もない。埋葬しなくても祟るわけでもないし、故人が「居た」という事実がわかることが大切なわけで。後世、孫に自分の存在を残したいがためのお墓。だったら、バーチャルでもいいんじゃないのか。遺灰は保存したいのはわかるので、別途保存するとしても。
存在意義のためにお墓を建てる位なら、より個人のことがわかるブログなりサイトなりを恒久的に保存したほうが、よほど記憶に残るのではないか。「おじいちゃんは若い時にこんなことを考えていたのか」「おばあちゃんの若いころの写真、綺麗だね」ということが、お墓以上に後世を生きる人々の記憶に残り続けるだろう。
神様なんて信じない。科学的に証明されないものなんて価値はない。Webに残すことのほうが大事。Web万歳。Web以上に素晴らしいものなんてない。Webのために生きよう。Webさまさま。Webに救われたい。Webのことしか信じない。これを「Web教」と名付けて、信仰したい。
いや、もう本当に論理も倫理も何も無くて申し訳ないんだけども、マジコン使っているやつって気持ち悪いよね?直感的にそう思う。
なんかさ、みんなちゃんと人間として生まれてきたわけじゃん?人の子供として。母親と言う聖なる存在から生まれてきた子供が、マジコン使っているなんて、俺は思いたくないんだよなぁ。
きっとみんな天国に行けば、マジコンなんて使わなくて済むんじゃないかなぁ。そこで神のご加護を受けて、そして、もう二度とマジコンなんて使わないように脳みそを神の手でジャブジャブと洗ってもらってさ。ヨハネの黙示録じゃないけども、人は一人じゃないってことをそこで実感するんだと思う。
事故で死んだ子供がさぁ、大事そうに握ってたんだよ、マジコンを。あの現場見たとき何か俺泣けてきてさぁ、何でこの子を救えなかったんだろうと思うと、涙が止まらなかった。寂しかったなぁ。もう一度会いたいなぁ。でも無理だよなぁ。
著作権とかさ、俺はどうでもいいんだよ。どうせ天国に行ったら、著作権も何も関係ないから。でもさマジコンはさ、この世とあの世の境界に存在しているものだと思うんだ。だから、あの子とマジコンを半分コして、片方を俺が食べた時、あの子笑ってたんだ。あの笑顔もう一回見たかったなぁ。
一年前、俺が強く死を意識していたとき、あいつはまだマジコンに手を出してなかった。普通にDSのソフト買ってたんだよ。まぁ言うなれば、聖なる存在だよね。でもさ、半年前から、あいつの躯に悪霊が取り憑いたのを俺は覚えている。黒い固まりが全身を覆って、あいつの躯をマジコンに変えてしまったんだ。
生命保険、こと死亡保険というのは平均寿命よりも早く死ぬほうにタップするギャンブル。
年金というのは平均寿命よりも長生きするほうにタップするギャンブル。
平均寿命通りに死ぬならばタップしないほうが徳である。(ただし税制上の優遇があるので、こと年金に関しては払ったほうが徳である人が圧倒的に多い。)
生命保険に関しては税制上の優遇はあるものの、それでも払わないほうが徳。
しかし、お金はあの世に持っていけないんだから、早く死にすぎた場合に備えておくのは悪い選択とは言えない。
まして家族がいるのではなおさら。
普通の寿命まで生きた場合に備えて貯蓄して、普通の寿命まで生きたとしてなお余りそうな資産を年金と生命保険に振り分けて平均より長生きした場合と早死にした場合に備える。
風の噂に聞いたことがある。東方にあるという人が死ぬ国。人が死ぬ。なんて素晴らしいんだろう。生気の欠片も見受けられない、倦み疲れた先人達を眺めながら、そんな夢みたいなことを考えていた。
議会には王、貴族、官僚が参加する。だが、建国当時から生きている老いぼれがほとんどだから、こいつらだけじゃ政策どころかまともな会話すら覚束ない。泡を吹いてる奴なんて可愛いもので、言葉を忘れ獣に帰っているような奴までいる。
だからそいつらの子孫が、子孫と言っても子や孫も耄碌して使いものにならないので十何代目の子孫が、横に付き添い、泡を吹いてる口元に耳を傾け、意見を伝えるという形式になっている。が、意見なんて高尚なものを考えることができる奴なんて一握りも残っていないので、実際は子孫達が自分の意見を述べるに過ぎない。もっとも、口の泡を拭いたり、獣に帰った爺に餌を与えて黙らせたり、それなりに忙しいとも言えるが。
書記は新人。新人と言っても何十年やっているかわからないが。書記官の自分は新人の仕事ぶりを見ているだけ。あの耄碌爺たちと一緒だ。もっともあの世代の書記官は流石に三百年ほど前に辞めてしまい、自分はその後の世代だからあそこまで耄碌はしていないが、それも時間の問題だろう。
仕事の帰り道。街にいる人々も当たり前のように生気がない。思考停止した労働者がのろのろと動いてる他は歩く人すらまばら。若者は濁りの中にも苛立ちを泡立たせた目をして座り込んで無為に時間を潰している。建国当時の人間が生きているのだ。議会のように現役であるのは例外だとしても、年寄りは腐るほどいる。そいつらは呆けて泡を吹くまで権力の座を明け渡さないし、明け渡したとしても次の世代は、腐った発酵物が更に腐って液状化してしまうくらいに、腐っても足りないくらいにいる。若者の順番が来る日なんて彼らにとってみれば永遠にも思えるだろう。席が空くのをただひたすら待っている。
家へ着くと妻だった生き物が糞尿にまみれて呻いていた。服を脱がせタライに汲んだ水で体を洗ってやる。あーうーあーと呻く妻を洗いながら早く反応がなくならないかと何十万回と願ったことをいつものように思う。
反応がなくなると監査官に連絡することができる。そこで3人の監察官に3日に渡り本当に反応がないか検査される。といっても、収容所に大量に寝かせた人間に、1日2回、刺激を与え反応がないか見るだけの簡単なものだ。そこで反応なしと認定されると晴れて殺すことが許可される。不死と言っても殺せば死ぬ。もっとも専門の処理場で念入りに細切れにした後、焼却しなければならないが。
王や貴族など、子孫によって生きて傀儡になってもらわなければならない他は、反応がなくなると喜んで処理場へと持って行く。それも当然だ。かつて愛した美しい人とはいえ、いや、だからこそ、動けなくなるまでに老いた体は退化し小さく丸まり、言語どころか日常生活も送れない程に理性をなくした、別人のように変わってしまった伴侶を、数十年、数百年と面倒を見続ける辛さにあっては。作業が辛いのではない。かつて熱烈に愛した人を、忌み嫌っていくことを、そして死を願うことをやめられない、己の心が辛いのだ。
いつもの作業を終え妻を部屋へと寝かしつけ、その際に受けた傷の治療をして、ようやく一息をつく。一日で唯一、心を落ち着かせられる時だ。いつもはただただ何も考えることなく、倦み疲れる仕事のこと、そして死を願ってしまう妻のことから離れて、自由な時間を堪能し心を休める。だが今日は日中に考えていた人が死ぬ国のことを考えていた。権力者も死ぬことで若者が活躍することのできる国。かつて愛した人を憎まずにいられる国。そして何よりそれらのことで苦しまなくてもいい国。そんな夢みたいな国を夢見ながらいつしか眠りについていた。夢は見なかった。もう千年ばかり見ていなかった。