この世界に神様なんて存在しない。神様がヒトを作ったわけではなくて、ただ進化の過程でヒトができただけ。ヒトに生きる意味なんてなくて、ただイキモノの本能として生殖を繰り返すだけ。神様の所作とかあるわけがない。
なのにこの世界には「宗教」がある。「神様」を崇め、奉り、救いを求めている。そんなの無意味なんじゃないか。神様なんていないんだから、祈ったって何も報われない。
ただ心の拠り所がほしいんだろう。言い換えれば「気休め」といったところか。それで気が済むのだろうか。いや、済ませているんだろう。いないのは心のどこかでわかっているのだけれど、信じたい、信じることで言い訳にできる。
神様なんていないのと同様に、あの世とか天国とか地獄とか、そんな世界だって存在しない。ヒトは死ねば土に還るだけ。魂だってないし、幽霊だっていない。
お墓の意味もない。埋葬しなくても祟るわけでもないし、故人が「居た」という事実がわかることが大切なわけで。後世、孫に自分の存在を残したいがためのお墓。だったら、バーチャルでもいいんじゃないのか。遺灰は保存したいのはわかるので、別途保存するとしても。
存在意義のためにお墓を建てる位なら、より個人のことがわかるブログなりサイトなりを恒久的に保存したほうが、よほど記憶に残るのではないか。「おじいちゃんは若い時にこんなことを考えていたのか」「おばあちゃんの若いころの写真、綺麗だね」ということが、お墓以上に後世を生きる人々の記憶に残り続けるだろう。
神様なんて信じない。科学的に証明されないものなんて価値はない。Webに残すことのほうが大事。Web万歳。Web以上に素晴らしいものなんてない。Webのために生きよう。Webさまさま。Webに救われたい。Webのことしか信じない。これを「Web教」と名付けて、信仰したい。