ごめんね。「少なくとも日本では」ってわかりやすく書くべきだったね。
海外の就職事情には詳しくないから、保守的に書いてしまいました。
前の職場では正当に評価されなかったから来たとか言っても平気だとか
一年未満の離職でもマイナスイメージをもたれることがないって聞いたばかりだったから。
この人が、「かまってちゃん」とか言われたりはてブで「薄馬鹿」とゼッケンをはって過ごせ、などといわゆる「普通の人」に罵倒されてしまう理由。
それは、もともと「普通の人」も、好きで空気を読んでいるわけではないからです。
何故読んでいるか。というより、何故読まざるを得なくなるか。といえば、それは「社会生活を成り立たせるため」なのです。
別に、面白くて空気を読んでるわけではないのです。「そうしないと成り立たない」から読んでいるのです。それを子供のときから続けた結果、嫌悪感も感じず自然に染み付くようになっているだけです。
それが前提としてあります。なので、「俺はこういう障害があるから、空気なんて読めません。だから、読みません。悪い?」と開き直ってる人を見ると、「ズルい」と感じるのです。「俺達だって別に読みたくて読んでるわけじゃないのに、社会生活を成り立たせるためにしかたなくちょっとずつ我慢してるのに、障害があるからって何でお前だけそれが免除されちゃうの?障害者だからって読まなくてもいいの?で、その分俺たちがまたフォローするんでしょ?空気読めない発言しても、それを注意したら差別になっちゃうんでしょ?できない人に「おい、それするなよ」なんて言っちゃいけないんだから。で、俺達はそういう人の発言を注意することもできずただ黙って我慢しろってことでしょ?一方発達障害の人は「障害があるからしかたないじゃん」ってことで何を言っても許されるんでしょ?……なんだよそれ、やってらんねえよ、あーあ、発達障害とやらがある人はいいですねぇ、読まなくても「障害があるからしかたないだろ」で済むんだから。だったら俺だって発達障害になりてーわw俺、名乗ってもいい?w」となるのです。
今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
と言っていますが、重要なのはですね、別に「普通の人」でも、「迎合してヘラヘラ笑ったり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けて」いるのは、ものすごく嫌なのだということです。でもそうしないと生きていけなかったりするので仕方なくしているのです。そこで「そうしたら不整脈になるんだからしかたないだろ」と開き直るとどうなるか。「普通の人」たちはこう思います。「じゃあ何か。俺達は、なまじ「嫌だけど、我慢できてしまう」から、ダメなのか?不整脈の一つでもでりゃ、俺達も我慢しなくていいのか?」と。「なまじ我慢できてしまうが故に、そこにつけいられ我慢を強いられているのか」と感じるわけです。嫌なことを我慢した上、しかもその「我慢ができるゆえにさらに我慢をしなければならない」という理不尽さに、そして「不整脈が出るから」ということでその我慢から逃げおおせている事に怒りを感じるのです。
「発達障害の人は生まれつき、迎合してヘラヘラ笑ったり、理不尽な目にあったりすると死んじゃいそうになるから、そういうことができないんですよ。しかたないのですよ。だから分かってあげましょうね」
なんて、だから、「普通の人」には絶対に届きません。
「え?そんなの俺だってやだよ?なんで、そいつだけ、「いやだ!」っていうことが許されるの?なんで、そいつだけ、そんな我侭が許されるの?俺だってやだよ?じゃあ、俺も嫌だから、皆、そういう風に気を使ってよ!ダメ?なんで?障害者じゃないから??なんだそれ、ズルいよ」
と感じるからです。そしてそれは無理のないことだと思います。発達障害の人からみれば、あまりに「普通の人」が普通に空気を読んでいるので、「好きでやってるのか」「楽勝なんだ」とか思ったりするかもしれませんがそういうわけじゃないのです。「普通の人」だって別に完璧に空気なんか読めません。だからこそ人と人のトラブルはいつだって発生するし、「普通の人」だって人間関係で悩んでいる人はたくさんいます。
別に発達障害の人じゃなくても、人間、『自分の思ったことをそのまま言う、迎合しない、納得のいかないことには納得いきませんという』……それが一番に決まっているのです。でもそんなことは通常幼児期しか許されない。そんな事を互いにしていたら、社会が成り立たないからです。ドラゴン桜に(マンガですみませんが)「本音で語り合える学校がどうのこうの」という話題になった際、「本音ってそんなにいいか?」「本音ばかりは必ずしもいいことじゃない」と主人公が言い放ったシーンがありましたが、まさにそういうことなのだと思います。
「普通の人」も最初は自分の思った事をズバッと言ってしまったり空気を読まなかったりしています。が、成長するにつれ、「どうも、おかあさんがムスっとした顔をしているときに、おもちゃを買ってというと、怒られるようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。「どうも、髪型に拘っているクラスメイトに、その髪型変だよといったらクラスメイトは悲しんだり怒ったりするようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。
それだけの話です。だからそもそも許されるならば、気をつかわなくていいのならば、いくらでも好き放題「その髪お前変じゃね」「おもちゃかってよーー!!!」と言いたいのです。ただそれを自分で律しているだけです。ときに自分のため、ときに他者のため、ときに社会のために。
だから、「普通の人」からそういう発達障害者の主張を聞くと、「なにそれ、わがままだ」「ズルい」と感じるのです。「できないからってしなくていいなんて。だったら自分もしたくない」「それじゃ幼児じゃん。大人になっても幼児のままで過ごしておいて認めろっていわれても」と。
しかし発達障害者からすると、そもそも上記のような「自然に学んでいく」が全くできないので、皆がただ単に何かよくわからないものを押し付けてくる、としか感じられない。過程が、分からないんですね。「別にすきじゃないけど必要だから皆がちょっとずつしかたなく身に付けてきた」という背景が。あるいは言葉では知っていても実感として知らないわけです。だから、「理不尽だ」と感じて怒りを抱いたり、「なぜ?なぜ??わからない」と苦しんだりするわけです。
普通の人と発達障害者の「ズレ」は、そこにあるのだと思います。発達障害者の人たちは「そんな空気読むとかそういうことを押し付けてくるな!そっちでやってろ」と思いますが、別に、普通の人も好きでやっているのではないのです。そこがズレだと思います。仕方なくやっているのです。押し付けるのはなぜかといえば、「みんながちょっとずつ我慢して、社会を穏便にするように努力してるんだから、お前もやれよ」という感覚によるものです。だから、そこから逃げようとすると、怒るのです。まるでそこからは、「税金は払わないけど、皆から集めた税金の恩恵は受ける」ような感じ、フリーライダーのような感じを受けるのです。
そんな怒りが、「かまってちゃん」と言われたり「薄馬鹿というゼッケンをはってれば?」という反応になって表れるのです。
「脳に、もう、そういう障害があって、そういう能力が無いんだから、どうしようもないんだよ」という切り口で言っておられますが、そういう切り口の攻め方はいささか受け入れられにくいと思います。寧ろ、そういった方向性で攻めますと、おそらくそのうち「それならそんな脳に欠陥のある奴は、普通に社会生活を営めないんだから、外に出てくるなよ。迷惑をかけるな」なんて反応が出てくると思います。
「目が見えない人」「耳が聞こえない人」と同じだ、とおっしゃっていますが、それもなかなか通じないと思います。実際「平均的な人間に比べ、ある能力が著しく低下、あるいは無い」という見方においては、目が見えない人と発達障害の人は同じと言えます。が、「脳とそれ以外の器官」という見方で見ますと、「目が見えない人」と「指がない人」と「耳が聞こえない人」は同じであっても、「発達障害の人」は違う、ということになります。同じか否かというのは、何でもそうですが、見方によるわけです。ある一面では同じでも、ある一面では違う。何でもそうです。
で、「普通の人」は、後者の見方をします。なぜならば(現代の)人間にとって、「脳」という臓器は他の臓器とは一味違った、特殊な部位であるから(と、思っているから)です。現代の人間にとっては、「脳」は、ほぼ、自分です。他の臓器は、いうなれば単なる道具に過ぎない。極端ですが、そういったイメージを持っている方が多数だと思われます。誰しも、自分の盲腸が考え事をしているなどとは思いませんし、自分の太腿にアイデンティティが宿っている、とは思いません。自己はほぼ脳であり、手、足、目、耳、それらの部位は、脳=自己(人格)のための、道具である、と、そういったイメージが漠然と身についているのが現代人だと思います。
ですから、「脳に障害がある」のと「目に障害がある」では、同じようで、全く違うのです。
道具にちょっとくらい欠陥があっても、欠陥というのがアレでしたら、ちょっとくらい違いがあっても、周囲の人は「ああ、道具が壊れてしまったのだな」と手助けをすることが割りと容易ですし、社会生活も、意思疎通の面ではあまり問題はありません。人格には何も問題はないからです。それを伝える、口という道具が若干働かなくても代替のものがある。それを受け取る耳という道具が若干働かなくても別の道具でそれを補える。伝える内容そのもの、交わす内容そのものには問題はないのですから、あとは純粋に道具の問題だと、なるわけです。ですから、まだ受け入れやすいのです(それでもまだまだですけどね)。
しかし脳に障害がある、というのは、ちょっと違います。道具には問題がなくとも、その中心である自己、人格に問題があるのですから。根本的にそこが他と違う、というと、道具でも補いきれません。(そもそも、「補う必要はあるのか。補うという考え方はどうなんだ」という問題もありますが)
いうなれば、「右手がサイボーグの人間」と、「一見普通の人間だが、実は中身は宇宙人」と、どっちとまともにコンタクトを取れる自信があるか、という話です。無論、前者なのです。極端に言えば、脳に問題がある、というのは「普通の人」にとっては後者の如く感じられるのです。
ですから、「脳がそういうふうなので仕方ない!」という切り口で攻めますと、最悪「なら、そんな奴は社会不適合者だから、外に出るな!」的な反応を食らうことになりかねないと思うのです。
実際、鬱病も「甘えだ」なんていわれたりしがちな病気ですが、これも「元気がでないとか、仕事いきたくないとか学校いきたくないとかさぁ……そんなん俺だってそうだよ。いかなくていいならいきたくねーよ!でもそうしなきゃいけないから行ってるんだろ。鬱って診断されたら休んでもOKなわけ?なんだよそれ」という、「ズルい!」という思いから来ているのだと思います。
目や耳の障害や、精神系でない病気についてそういったこと(甘えだ、等)が言われないのは、「ズルい」と思わないからです。
それでも鬱病も最近は「甘えだ」と言う人も減ってきました。それは「鬱状態は辛いのだ」という認識が広まってきたからだと思います。肺炎になって学校を休んでも「ズルい」とは思いません。休みたいは休みたいでも、そんなキツい思いをするのは普通嫌だからです。鬱も、知識が広がるまでは単に「いきたくないといってる人」くらいの感覚で捉えられていたため「そりゃ俺だってそうだ!ズルい!」となっていたのですが、「どうやら相当キツいらしいぞ」と分かってからは「ズルい!」とならなくなってきたのだと思います。
しかし、発達障害の場合はどうか。
これは多分「ズルい」という感覚はちょっとやそっとじゃ抜けないと思います。なぜならば、発達障害の人が「辛い」のは、あくまで周囲との関わりにおいて、「読めない空気を読めとおしつけられる」等のことから発生するものです。肺炎や鬱などと違い、ただ一人でいても辛いものではありません。(鬱が発生すること自体は、周囲の環境などが関係しますが、発症後は一人でいてもキツい、ということです)
ですから皮肉にも、自分たちが「空気がどうしても読めない」人のことを理解し助ければ助けるほど、彼らの「辛さ」は減る。一方、こちらの辛さやストレスは上がっていきます。空気を読んでくれない相手を「しかたないのだ…」と思いながら、ただでさえ空気を読むという我慢をしているのに、さらに「空気の読めない仕方ない人」に対しても我慢をしなければならない。そしてそうすればそうするだけ、その「空気の読めない仕方ない人」の「辛さ」は減っていくのです。当然、「ズルい。なぜ、こちらだけ我慢をしなければならない」となります。どちらに転んでも、「ズルイ」となる。いやむしろ、こちらが助ければ助けるほど「ズルイ」となる。
結局、「発達障害だろうがなかろうがみんな空気とか読みたくない。自分勝手でいたい。が、それでは成り立たない」中で、「普通の人」は空気を読み、「発達障害者」がそれが著しく困難な事を理解する。また「発達障害者」は「普通の人」も別にしたくないが社会の存続のため仕方なくやっている、ということを理解し、形だけでも出来うる限り合わせるようにする(空気を読むこと自体はできるようにならなくとも、表面上あわせることは訓練次第で可能と聞きました)。という相互からの歩み寄りが大事なのだと。平凡な結論ですが。「発達障害者は、じゃあ、外に出るな」は勿論問題外ですし、といって「発達障害なんだからしかたないだろう」では逆に「普通の人」に全てしわよせが来るだけです。どちらかに押し付けてはいけないのでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20090403015444
複数の人間が協力してクリエイティビティを発揮して何かを完成させるということについて、彼ら二人はあまりよく理解していないようだ。
仮に優れたアイディアと優れた技術があってもそれだけでは何も生まれない、必ず二つの視点が必要である。
画期的なエンジンをもった新しい車であっても、タイヤは必ず必要である。たとえそれが凡庸なタイヤだとしても。
アイディアを実現可能な要素に分解し、また構成し直す、設計図、青写真を作る必要がある。技術とアイディアの間の大きな溝を埋める作業である。
このプロセスにおいて、アイディアは常に、技術的な裏付けがあり実現可能であるかを問いただされ、技術はプロダクト全体としての目的を達成するものかが問いただされる。
設計図、青写真を、やるべきことに分割し、時間と人間に割り当てる作業である。
しかるべき能力を持つ人間を連れてくる。道具、空間を用意する。
各人の個性を理解し、人が心地よく協力し合う空気作りをする、進捗を見張り時にはムチを振るう、といった事も含まれる場合がある。
はっきりいって優れたアイディアも、優れた技術も、優れたプロダクトマネジメントとプロジェクトマネジメントの前においては従属要素である。
もし、君たち二人のどちらもこれら2つのマネジメントの能力に目覚めないか、兼任するだけの余裕がないのであれば、それが出来る人間を連れてくるしか、事態を解決する方法はない。あるいは、兼任できる規模のものを目指すべきであろう。
やっかいなのは、これら2つともに教科書どおりにいくものでもないので、これまで結果を出したことがあるかどうかでしか能力の評価が出来ないところだ。
あえて言うとさらに3つめがある。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009040300739
民主党は3日、北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射に備え、「北朝鮮飛翔体発射対策室」(室長・平野博文幹事長代理)を設置した。鳩山由紀夫幹事長は記者会見で「万一発射されれば、迅速に党としての対応を考える」と述べた。 (了)
(2009/04/03-18:15)
民主は発射されてから対応考えるってさ。もし早めに解散総選挙してたらこいつらがこの問題を担当してたかも知れないと思うと背筋が寒くなってくる。
元々政府は「破壊措置」とは言ってるが「迎撃」とは言ってない。
多分、厳密に使い分けてるのはこの件に直接関わってる一部の議員だけ。
内閣はわからないけど皇位継承圏というのは何百番まであって日本中に(あるいは留学とかで世界中に)散らばってるとかいないとか。それで首都にもしものことがあっても続くようになってるとかなってないとか聞いたことがある。
なんだそういうことか。それって迎撃っていうのかな。
それだといつどこで故障するかわからないのを打ち落とせるの?
余計に無理っぽくない?
カラオケ屋においているカラオケは、今や3メーカー(他のメーカー置いてる店あるけど…)。
・DAMは、一般に売られているCD系の曲が沢山だしPVも豊富。
一部機種は、clubDAM(マイウタ登録サービス)があって便利。
むしろ、無いと不便すぎ。
・JOYは、マイナーな曲ほど入ってるので面子によりけり。
一部機種は、うたすき(マイウタ登録サービス)があって便利。
むしろ、無いと点数を残せないし色々と使いにくい。
・UGAは、一般とマイナーの両方が半々で混ざっている。
採点がいい加減なのでそこで楽しめるし、BGVを選択できるのも良い(一部機種)。
BGV選択は良いけど選択種類が偏ってるってのがなぁ。
で思ったんだけど…
何故メーカーによって入る曲・入らない曲が分かれてしまうのだろうかと。
・DAMの場合、マイナーじゃないけど微妙な曲等が結構入りにくく、JOY・UGAで歌えるのに…な曲があったりと。
・JOYの場合、リクエストサービスの関係でマイナー曲が配信しやすい反面、偏ってしまう傾向があり(そろそろ東方とかはジャンル分けしようよ)。
・UGAの場合、DAM・JOYの中間過ぎて突っ込みたくなる場合があり。(リクエスト出すとUGAのみ配信とかもあるけど…)
それと、一番問題なのはメーカーによって機種が数種類ある点。
・DAMの場合、DAMプレミアムとDAM G100(G50Ⅱ)では採点機能やPV・音で違いが多すぎる。
完唱!歌いきりまショー!! があるのはプレミアムだけ。
・JOYの場合、WAVEとHyper JoyVⅡだと、うたすきの有無と採点機能の差が合って人によってはショボーン。
・UGAの場合、B-karaじゃなければ今は大丈夫率高いんだよなぁ。
で、結論。
カラオケ屋は、空き室+空き機種の表示をして欲しい。
もう、Hyper JoyVⅡはウンザリです。
遅トラバだけどわかるわ。
タレントが所属事務所の社長を「うちの社長」とかその事務所を「うちの会社」とか言うのの違和感に似てる。マネージャーとかは社員だろうけどタレントは(例外はあるにせよ)社員じゃないだろうに。あくまで独立事業主=タレントとマネージメント会社の契約って形がほとんどだろうし。
「新人なんだから積極的に付き合いしないとダメだよ」って説教したら、
「先輩と二人きりなら行きますけど」って言われて、キュンとなって二人で飲みに行った。
新人に「マッチョな体のくせにベッドの上じゃかわいいんですね」とかいわれた。
童貞にそんなふうにいわれたの初めて。
ちょっと好きになってぶりっ子しちゃったのかもね、かーもね。はい、はい、はいっ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20090403/20090403-00000359-fnn-int.html
北朝鮮「ミサイル」発射 朝鮮労働党関係筋「人工衛星を4日に打ち上げる」と明言
北朝鮮の朝鮮労働党関係筋は、FNNの取材に対し、「人工衛星をあす、4日に打ち上げる」と明言した。
ピョンヤンの朝鮮労働党関係筋は2日、FNNに対して、「人工衛星は4日に発射する。よほどのことがないかぎり実施する」と語り、北朝鮮が試験通信衛星を打ち上げると予告している4日から8日までの5日間のうち、初日の4日に打ち上げを行う予定であることを明言した。
北朝鮮は、打ち上げに際して気象条件にも考慮していて、現時点で4日の天気予報は、打ち上げに問題ないと判断しているもよう。
また、日本のミサイル迎撃計画について2日、北朝鮮の国営テレビは「敵対勢力(日米韓の)がわれわれの平和的衛星迎撃の動きを見せれば、直ちに正義の報復・打撃を加える」と警告した。
朝鮮労働党関係筋もFNNに対し、「われわれは本気になっている」としていて、日本が迎撃した場合に備えて、戦闘態勢に入っていると強調している。
[3日22時7分更新]
そもそも日本に落下するコースじゃないとPAC3は発射されないはずなんだが、あいつらの情報源はそこらの市民団体(笑)と同レベルなのか。それとも警戒する事そのものがムカつくのか。だとしたら発射前にその「人工衛星」とやらを公開すりゃいいのに(笑)。
今読んでる本(著者はアメリカの大学の教授)に企業に関する噂話が載ってた。
・バブリシャスは蜘蛛でできている
・プロクター・アンド・ギャンブルは悪魔の新興宗教とつながりがある
漏れが気になったのは、著者がコカ・コーラとペプシ・コーラの話題を多く出してる割には「コーラで骨が溶ける」がなかったこと。
キモオタとの精神性の違いがよーわからんので、実は野郎が書いてんのかと思ってしまった俺がいる。
エロゲのキャラが寝取られてあれだのあのあれだのってのを思い出した。
もし銭ゲバを観てないなら次の追っかけをする前に観ましょうね。
東京かよ!
雪国最南端在住から見たらうらやましくて仕方ない
飲みに行けそうにもないから、ちょっと真面目に答えます
元記事に書いたような時って、頭を使うことができない感じになるんですよね
自分が数年前大阪で一人暮らししてた時、元増田と同じように考えてた
家は寝るかご飯食べるだけの場所やと割り切ってた
家に一人でいるとどうしようもなく寂しくなる時が来るから、この3つを日ごろから心がけてた
結局いろいろあって実家に帰ったけどね
明るく考えようぜ
こんなとこに書き込むより、写真とコメントをブログにでもアップした方がよっぽど生産的やと思う
事の発端は、ちょっとした事で役に立った為に視線を浴びるようになったのがきっかけ。
あまり目立つのが好きじゃない私は、役に立つのは嬉しいと思ったけど「ありがとう」の一言で済ませて欲しかったと思ってた。
周りがあまりに褒めるせいで、いつも人気だった人がその日はあまり目立たなかった。
それが嫉妬に始まって、最悪な展開で被害妄想になってしまう。
どういう経緯かは私も知らないけど、友達から聞いた話だと「日に日に私に対しての愚痴が多くなった」らしい。
被害妄想についてはあまり聞いてないけど、「ありえない事をすべて私の考えた事」と言いふらしてるとのこと。
あんまり聞いても、たぶん気分が悪くなるだけなので聞かない。
でも、人ってあっさりと嫉妬で醜くなるんだなぁって思う。
○○さん・・・知ってる?私が役に立ったのって「通訳」なんだよ?
英語が得意と言っていたあなたがろくにコミュニケーションが取れなかったから
私が通訳しただけなんだけど。
そういうとりとめのない話。