地元医師会で定期的な飲み会が開かれていて、出ても不愉快になるだけだから、もう出席を止めて久しいんだけれど、60も過ぎた爺医にとっては、それが生き甲斐みたいなものらしくて、今でも定期的に盛り上がってるらしい。
毎年年末になると「ビンゴ大会」というものが忘年会で開かれて、自動車が数台買えるぐらいのお金が集められて、今年の1等商品は、「マンモスの牙」だったらしい。何でも時価150万円、それを120万円で売ってくれた人がいて、幹事が即金で買ったんだと。
こういうセンスは個人的にあり得ないんだけれど、少なくとも世の中には、あるいはかつては、「マンモスの牙」を売って生計が立つ人と、実際にそんなものに大金を支払う人とが経済圏を作っていて、あの世代の人がいなくなったら、今は確実にそうなりつつあるけれど、一つの経済圏が潰れるんだろうと思う。
お金を作っては、せっかくのお金を生かすでもなく、「阿呆」としか思えないようなお金の使いかたをして、それだどうしてだか周囲からの尊敬購入につながる、田舎くさい、いわゆる「田舎の金持ち」の振る舞いかたというのは、たぶん大昔は、全国どこでも、富裕層というのはこういうものだったんだろうなと思う。田舎の金持ちというのは、田舎だからこういうことをするのでなくて、むしろ本来、こういうのこそ首都圏の文化であったものが、何十年もたって、田舎では今でも、かろうじてその名残をとどめているような。
「マンモスの牙」みたいな、珍しさ以外に何ら価値のない、それこそ「田舎の金持ち」に売りつける以外の用途を持たない、たぶん利幅の極端に大きなこういう商品は、たぶん富裕層から中間層、さらにはその下の人たちに、大きなお金の流れを生んで、恐らくは「マンモスの牙」という、無価値な象徴を回することで、お金の流れは、その地域の経済圏を生かしていたんだろうと思う。
今自分たちの世代で「マンモスの牙」を欲しがる医師なんてもちろんいないし、じゃあマンモスの牙以外に、何か150万円も出してものを購入しているかといえば、それもない。お金の流れはここで止まって、たぶんマンモスの牙数本分、昔だったらそのお金で生活できていた人は、今はもう、生活が成り立たなくなっている。
世の中に「マンモスの牙」は、やっぱり必要なんだと思う。今はそれがないから、数字上の景気と、実感との解離があるし、お金はあっても回らないから、景気がよくなっただとか、生活が豊かになっただとか、誰も体感できない。
富裕層がお金を払う、お金の流れを生むに値する、実体としての価値と、価格との解離が極端に大きな商品を生み出せた人は、たぶん大きなお金の流れをちょうど中心に、その身を置くことができるのだろうし、「マンモスの牙」に変わる何かがなくなってしまった社会というのは、富裕層に重税をかけて、道路を伸ばすことでしか、お金の流れを作れないような気がする。
昔だったらマンモスの牙なんっつったらロマンの塊だろうが 今となっちゃ、象牙の代替品だからなぁ…
ある人とっては非常に価値・意味があるものでも、他のある人にとっては無意味なものというのは当たり前のこと。宝石・昆虫・時計・おもちゃ・爬虫類・象牙・日本刀・・なんでもそ...
今自分たちの世代で「マンモスの牙」を欲しがる医師なんてもちろんいないし、じゃあマンモスの牙以外に、何か150万円も出してものを購入しているかといえば、それもない。 そりゃ...