はてなキーワード: オリンピックとは
オリンピックやパラリンピックが、コロナ禍に与えた影響について。
複数の論点があるという大前提が忘れられていたり、網羅されていない議論が見受けられるので、ここで整理しておこうと思う。できるだけ中立的、または両方の視点から書くように努めたつもりではある。この記事自身にも抜け洩れがあるかもしれないので、ご指摘は歓迎である。
インドなどからの入国者 待機期間10日間に延長へ 水際対策強化 によれば、入国後の隔離期間を長くできないのは「宿泊施設が不足しているうえ、対応できる検疫所の職員の確保も難しくなっていること」が原因。それが、五輪終了とともに 入国者上限1日3500人に緩和へ 五輪終了で「検疫態勢に余裕」 として(隔離期間ではなく人数ではあるが)緩和されているので、オリンピック・パラリンピックが検疫体制に影響を及ぼしているのは間違いない。オリパラを中止・延期して万全の検疫体制を敷いていれば、デルタ株の蔓延を遅らせることができた可能性は十分に考えられる。ワクチンとのスピード競争のことを思えば、影響はきわめて甚大である。
当初はいちばんわかりやすい論点だった。原理的には入国前後の検査やその後の隔離で防げるが、五輪に限らず日本の水際対策は万全ではない。
しかし、オリンピック期間中の東京都民の感染者もそれなりの規模になっていたために、結果的に「日本の感染者を増やした」とは言えないか、または増やしたとしても比率としてはほとんど無視できるレベルだったと言える。逆に、日本がニュージーランドのような「もともとの感染者数がほとんどゼロ」のような状態だったら、たとえ同じだけの感染者を海外から持ち込んだとしても、または隔離体制から1人でも漏れようものなら、大きな問題となっていただろう。
これまで日本に例のなかったラムダ株が、五輪関係者によって持ち込まれたことは大きなニュースになった。(anond:20210811105235)
ただし、ラムダ株が本当にデルタ並、またはデルタ以上に危険かどうかは「わからない」というのが誠実な見解で、危険である可能性は「低い」とさえ言える。ただし、デルタ株だって今年4月の時点では同じように軽視されていたので、決して甘く見てもよいという意味ではない。
ラムダ株の感染者はその後ちゃんと隔離されているはずである。しかし ラムダ株感染者と濃厚接触の可能性がある人、共有漏れ という報道もあり、市中に広まっている可能性もないとは言えない。ただしその場合、市中感染が判明するのは、日本の貧弱なゲノム解析体制では1ヶ月以上先のことになると思われる。
また、いわゆる「五輪株」のような新たな変異株の発生は、確率論なので「ゼロではない」とも言えるが、否定的に「可能性はきわめて低い」というのが誠実な表現だろう。むしろ、五輪後の感染爆発によって日本人の中で新たな変異株が生まれる可能性のほうが、よっぽど高い。(昨秋アルファ株が生まれたのは、イギリスで1日あたりの感染者数が1万人規模の時)
彼らが日本人からウイルスをもらって感染するだけなら、日本人視点で見れば直接的なマイナスではないが、感染を仲介する役目は果たしうる。また、たとえば全国から集められた警察関係者の感染など、日本人同士の感染拡大の影響もあった。
あくまで程度問題だが、感染が拡大している今のような局面では、1人の種火がその後の10人、100人の感染者を生むことにもなるので、累計500人超とされる五輪関係の感染者が、無視できるほどの数字だとは言えない。
いっぽうで、開催を決めた時点でこうした感染者がゼロにならないのは当然の前提であったはずなので、大会の価値と天秤にかけるべき当然の許容リスクとしては十分に低い数字だとも言える。
実際に、いくつかの悲しい棄権事例はあった。当事者にとっても競争相手にとっても、やるせない思いだろう。しかしこれよりも最悪な事態はいくらでも考えられた中では、五輪全体としてはよく成立させたほうだと言えるのではないか。
各国の検疫や隔離体制に責任を丸投げできる話ではあるが、やはり「オリンピックから帰ってきた選手が我が国にウイルスを持ち帰ってきた」とみなされるのは、日本としても気まずいことだろう。
しかし、実際に持ち帰った事例があったのかどうか、どのくらいあったのかは、不明である。そもそも、誰か調査しているのだろうか。「検疫体制も医療体制も貧弱な小さな国に、いままでいなかったデルタ株が持ち込まれた」のような悲劇は、起きてほしくないところだが。
緊急事態でも修学旅行実施 大阪市長「五輪やっている」 といった事例を筆頭に、市井のインタビューなどでも盛んに取り上げられる声ではある。よって、心理的な影響がゼロだと言うことはないだろう。しかしオリンピック反対派にとって、そうした声だけを拾い集めるのは容易なことでもある。これを公正に検証するのは容易ではない。
しかしひとつ確かなのは、「オリンピックもやっている」という声、さらには「国民に自粛を求めながら五輪を開催するのは矛盾ではないか」といった意見を報道することそのものが、そういう緩んだ空気を醸成しているという逆説的効果である。つまり、「本来は心理的影響なんて小さいはずなのに、メディアがそうやって騒ぐから、人々が五輪のお祭りムードを免罪符にして緩んでしまうのだ」というわけである。むしろ、オリンピック擁護派はメディアのそうした報道こそ批判してもいいように思うが、心理的影響の存在そのものを否定したいがために、そうした批判がしにくいのではないかと感じている。
また、擁護派の「他のスポーツ大会は開催されているではないか、観客を入れているではないか」という意見に対して、反対派が大会の規模や象徴性で線引きして五輪だけは特別に悪だと主張するのは、いっけん論理的なようにも見えるが、それこそ、「オリンピックもやっている」という証明しにくい心理的影響を主張するのであれば、「他のスポーツ大会はやっている」という表裏一体の心理的影響も、真摯に認めるべきだろうと思う。結局、心理的影響については両者が「それなりの影響」を認め合って痛み分けするしかないというのが、お互い残念で歯がゆいながらも、仕方のない妥結点ではないだろうか。
現実的な話ではないが、たとえば相当早い段階で無観客を決めて聖火リレーや開会・閉会式も中止にして、「大変なコロナ禍の中ではあるけれど、あくまで主催国としての責任を果たすために、お祭りではなく競技会を実施する」という態度で世の中が進行し、メディアの報道もお祭り色を極力出さないような内容であったなら、だいぶ盛り上がりに欠けたかもしれないが、コロナ禍における心理的な悪影響はいくらか抑えられたのではないかと思う。
また、「オリンピックもやっている」という緩みではなく、大会後半などは特に「感染拡大と医療の逼迫」を伝える報道の量や視聴が、大会期間中に減ってしまったという影響も、国民の緊張を高めきれなかったという点で影響はあったと思われる。
屋外競技における路上観戦やブルーインパルスの観覧など、による感染のことである。
当然ゼロではないし実数もそれなりの数になるとは思うが、いっぽうでオリンピックがテレビ放送されているからこそステイホームで観戦したという都民もいるわけで、差し引きすればステイホームによる人流減のほうが効果は大きいのではないかと思う。ステイホームのほうは視聴率が具体的な数字として得られるものの、オリンピックがなければその日にステイホームしなかったのかと言えばそうとも限らないので、検証はきわめて難しい。
開催前は、これがここまで切迫した問題になることはあまり想像できなかった。
オリンピック関係者の検査数まとめ(anond:20210809163832)にもある通り、都民と違って土日も変わらずに、毎日大量の検査がなされている。これは安全安心の大会のためには確かに必要なことなのだが、同時期に都民の検査数が限界を迎えてしまい、「発熱や濃厚接触があっても検査されない都民」と「何もなくても全員が毎日検査される関係者」という矛盾が生まれてしまった。国際社会に向けて約束した検査を履行することは非常に大切なことだという主張も十分わかるが、逆に開催反対派こそ、土下座してでも「バブル方式の完全性をあきらめてもいいし、オリパラによる感染拡大の検証もあきらめてもいいから、とにかく目の前の都民の命と健康を守るべく、まずは検査を、そして余力があれば保健師の業務逼迫の緩和を」とお願いするべきではないか。その上で、都知事や総理はそれに答えて 五輪より国民の命 菅首相 という約束を履行するべく、国際社会に土下座してでも国民の命と健康を守ってほしい。
また、検査だけでなく医療体制については、安全安心なオリンピック・パラリンピックのために大切に確保されている人的・設備的資源がどれだけあって、仮に中止や延期になっていればどれだけ都民のために割くことができたのか・できるのか、検証するほうも調査に応じるほうもつらい作業かもしれないが、ぜひとも確認していただきたいし、心理面などの難しい検証に比べれば、確実な数字が出せるものとも思う。
3兆円とも言われるオリパラの経費。オリパラがなければ、国や東京都の予算に今よりも余裕があったことは間違いない。
ただし、オリパラがなければ3兆円がまるまる浮いたのかと言えば、そうではない。また、招致した以上は、中止でも延期でも同額かそれ以上かかっていただろう。そもそも、招致した時点ではコロナ禍のことを予想できるはずもない。招致の是非や責任はコロナとは無関係で、あくまで財政的な話であるが、厳然とした巨大な金額でもある。
https://anond.hatelabo.jp/20210822112417
に触発されて書きました。
ほんそれ。
というかバブル構造ってレベルの事を税金投入してあのレベルでやってようやくあの規模の大会が出来るかもしれないっていう証明が出来たのはデカいとおもう。
逆に、あのレベルの事が出来なければ大規模イベントなんてやらん方が良い。
これからワクチンパスポートの話が出ると思うけど、要はアレ持ってないと参加出来ない。とかね。
これは個人の反ワクチン思想は関係なく、安全性の担保が出来ない要素は排除するっていう国民がオリンピックでやれやれって言ってたことと全く同じ。
フジロックの惨状を見ると、オリンピックを無観客開催にしたのは大正解だったな……
スポーツ観戦に来るようなクズがどういう振る舞いをするか、あれよりマシということは絶対になかったろう。
パラリンピックもそうすべき
「オリンピックもやるべきでなかったし、フジロックもやるべきでなかった」という話でしかないと思うのだが、この期に及んで「フジロックがやれるならオリンピックもやってよかった!」と言ってる奴らは現実を見てくれ。
ビックサイトなんてトラックで乗り入れが出来る会場なんだから、ダンボールベッド並べて野戦病棟作る事だって簡単だろうに。
オリンピックの為に空調も新しくしてるし。
こういう人と、絶対にワクチン打たない!とか言っている人と一緒でテコでも動かない。ワクチンには周りが倒れだせばビビるかも知れないが。オリンピック批判のダブスタには一生気が付かない。
現地のレポみたけど、荷物チェックは開けて中チラっと見るだけだから酒も持ち込み放題っていうザル具合。
オリンピックはその辺選手村での騒動は問題になった物の、その中だけで完結させてるからあるいみバブルは成功してたんだと思う。
オリンピック反対って結局、自民のやることNOってだけのいつものやつやんって感じ
しょーもな
いや見え見えでそうだろうなと思ってたけどさ
そんな当たり前のことも分からんのか?
「第一回や第二回の緊急事態宣言の時は国民が協力してくれて人流が抑制されてたけど、最近は慣れてしまったり自粛疲れで人流が~」みたいな事を言ってたけど、
そんなんじゃないんだよ。
慣れたわけでも自粛疲れでもないんだよ。
第一回や第二回で真面目に自粛した人や店に損失を押し付けて、自粛しなかった人達が遊び回って、自粛しなかった店が大繁盛したのを見て来たからなんだよ。
外出を自粛してイベントを中止して演劇関係者とかが収入失って四苦八苦してるのを報道しておきながら、オリンピックとか開いて勇気だ感動だ絆だと報道してるのを見てきてるからなんだよ。
「協力するだけ馬鹿を見る要請だ」というのを散々見せられたからなんだよ。
協力した人や店に報いる事もなく、協力しなかった人や店を罰するでもなく、
同じ要請を繰り返して何度協力されると思ってるのさ。
各自が自分の基準で言いたいこと言ってる増田についていえば、中の人はそれぞれ別人だぞ
オリンピックは官だからNG、フジロックは民だからOKなら一貫性という点では正しい。
しかし、オリンピックを、さらに感染を増やしかねないイベントを開くなど言語道断! と批判した人が同じ口で、
オリンピックより感染状況が悪化してる時期にオリンピックより感染対策がガバガバのフジロックを、アーティストやファンが一生懸命頑張ってやりたいと言ってるのだからやらせよう、感染が広がってもそれは政府の責任! 運営・出演者・観客は無罪! と擁護するから叩かれる。
あとスポーツは嫌いだからオリンピック反対、ロックは生き甲斐だからフジロックに行く、と好き嫌いで利己的に振る舞うのは個人が黙って行動してるなら好きにすればいいんじゃないですかね。
俺は利己的に生きるだけと言うなら、最初から「感染拡大防止」という理屈や正しさを振り回してオリンピックを否定する主張をするなという話。
五輪とフジロックのダブスタ議論ってかみ砕いてみるとシンプルな話だとおもう
大規模イベントに感染症対策の徹底を求めている人は、バブル方式で無観客だった五輪はOKだけど観客いれて隔離もされないフジロックのリスクを指摘するだろう。
大規模イベントで一人でも感染する事や人心の緩みを恐れる人は、そもそもどちらのイベントも認めないだろう。
もうコロナの感染規模よりも、経済や今後の生活が大事だと思っている人は、五輪であれフジロックであれ、大規模イベントを開催する事を応援するだろう。
でも、五輪はNGでフジロックはOKってする議論には整合性が一切つかないんだよね。
観客の規模はフジロックの方が圧倒的に上だし、全国から集まって全国にばらまくフジロックのリスクは、隔離された五輪とは比較にならない程に大きい。
税金が投じられてるか、国際イベントかどうかは、コロナウイルスは一切考慮もしない。
そこにあるのは何?って考えてみると、好き嫌いとか、党派性だけなんだよね。アジカンの後藤と同じです。
よく考えてたら「オリンピック地獄だな」なんて言えんだろって東に突っ込まれてたけど、そういう隙がうまれるのは好悪が出発点だからだよな。
人間だから好き嫌いがあるよねって言うなら、それはいいよ。でも、そうなら他人に正しさを求めて議論を挑むのは止めなよって思うな。
オリンピックは消極的賛成。止めたほうがいいとはいえ、諸外国との調整やら色々あったんだと思う。
利権なんてクソだけど、世の中利権が存在しないクリーンなものなんて存在しないと諦めているので、やるなら徹底的に選手村と会場に封じ込めろよという感じ。
無観客にしたことは評価する。一方でバブルを守れなかった事案が続出したのは強く非難してる。
フジロックも消極的賛成。こっちも利権やら経済的効果やらあるんでしょうし、仕方ない面はある。
だが無観客や飲食禁止などを実施しなかったのは非難する。オリンピック未満の対策じゃ駄目でしょ。
あと、オリンピックは反対したけどフジロックに参加するアーティストとかは有耶無耶にするんじゃなくて自分の態度をきちんと示してほしい。
元増田みたいに「オリンピックはこういう理由でダメだったから反対した、でもフジロックはこういう理由で参加する」みたいに言ってくれたらいいけど、有耶無耶にして参加してるのはフニャフニャしてんなーって思う。何がロックだよ。
最近ある出来事があって、ダブスタって仕方なくない?って思ってきた。
・人によって知ってる情報が違い
・時期によって状況が違い
・さらに、人によって「感染リスク」と「自分のメリット」の判断基準が違う
・加えて、同じ人でも行動によって上記判断基準が違う(一貫した行動をとらない可能性がある)
コロナという感染症を前にして、自分の行動も変わるし判断基準も変わる。
官と民の違いでフジロックOKもオリンピックNGって人もわかるし、
はてなーは運動に親を殺された人が多いから、オリンピックNGでフジロックOKの人もいるだろう。
フジロックとオリンピックについて、矛盾って考える人もいるかもしれないし、矛盾してないって考える人もいるかもしれない。
人間、そんなもんだよなって思ってきた。