前いた会社はワンマンでどういうことをすればいいか教えてもらえないところだった
で、失敗して
とかはなく毎回怒鳴られた。そして必ず社長が
「なんでこんなことしたんだ!!!ここはこうするところだろうがテメェ!!」
と怒鳴ってきた。
「これやったら怒られるぜあっはっはー」
なんて思ってやってない。その時は「これが一番よい方法だ」と思ってやっている。
2000年代初頭の中学生~高校生の頃はよくチャットルームに居た。
まだwikipediaの認知度が低かった時代、アニメや趣味の分野などひとつのテーマやワントピックについて語るために作られたサイトは無数にあって、もう廃れてしまった検索エンジンのinfoseekや千里眼やgooを使って気になる分野の単語を調べれば、管理人のまとめた情報や考察が掲載された小規模な個人サイトが一軒家のように乱立していた。
決まってそういうサイトはページを開けばMIDIが流れ出し、アクセスカウンターが訪問者数をお知らせ、キリ番を踏んだらBBSに投稿、プレゼントとしてイラストをもらったり、管理人同士でバナー交換をしていた。そして何よりサイトの中心にはチャットルームがあった。
同じチャットルームに集った人同士で共通の趣味や好きなアニメについて喋りつつ、日常の出来事や個人的な悩み、時には荒らしの対応をしたり喧嘩の仲裁をしたりと、面識もない人間同士の部室のような空気の居心地が良くて入り浸っていた。
instagram、facebook、twitter等のサービスも好きなんだけど、あの頃の気持ちが満たされない。人がたくさん集まる活気のあるチェーン店みたいな感じで、明るい場所しか存在しない。
SNSなんて根本的には馴れ合いなのかもしれないけれど、スターやいいねで承認をしあう事、優しくし合う事、好意を返報し合う事、共感が支配している。
明るい場所に居続けると、共感の美しさがたまに、とても、味気なく感じられてしまう。
あの一見さんが入りづらい、よく分からない近所の小さなスナックや飲み屋のような雰囲気。実際勇気を出して踏み入れてみるとその場にいる人や状況によって楽しかったり、楽しくなかったり、娯楽として当たり外れが多く、共時性のある会話はほぼ現実と同じ様で、それでも同じ趣味を持つ人同士で交流を重ねていく。
インターネットって情報を保存したり、永遠性のある場所だと思っていたけど、サービスの終了や404エラーを見つけるたび実家の近所の親しんだ建物が取り壊されてしまった様な感覚になる。
熱量過多の文章っていうと、増田だとジャニオタとかの女が圧倒的に多い印象があるけど
なぜかアイマスだけは女の腐ったような長文語りがゴロゴロ出てくるんだよな
ありゃ本当になぜなんだろう
俺も工場で単純作業してるんたよ 大卒26歳正規の職歴はなしのポンコツだよ
3年以上やってる 最初は数ヶ月で次のとこ見つけて辞めるつもりだったんだけど
それでも一応時給800円パソコンの大先生候補みたいな非正規雇用のアテは見つけたんだけど
なかなか今のを辞めるって言い出せない
次が見つかったんで辞めますって言えば済むだけの話なんだが
その次の仕事ってのが結局非正規雇用で時給もさらに下がるってのがどうも踏み切れない理由になってるわけ
でも辞めるなら今しかないとも思うわけよ
これの可能性はあるよな。
むしろ『(妻の)ライフサイクルのボトルネックになっているので、タスクを効率化してあげたいけど、安易に口出しできないから耐えるしかない』という内容なのかもしれないのに、全て否定されたと解釈するのは早合点やろ。
両者疲れてそうやけど、語るのをやめてほしいと言うより、出来れば二人でしっかり話し合いすべき案件や。SNSもそんな悪影響与えるなら、いっそやめた方がええんやないの
○朝食:なし
毎度のことながら、アンケートに答えてくれるの、すごく嬉しいです!
デッドラ4もやりたいので、このCASE:WESTと3とドンドン遊んでいきたいですね。
○調子
はややー。
木曜と金曜が忙しくなりそうな感じだけど、普通に定時で帰れる気もしてきた。
ラスボスがゾンビ化して襲われているチャックさんのところに、颯爽と現れる謎の男……
いええええいいいい!!!
いや、前情報でフランクさんが出てくるとは聞いてたんだけど、こんないきなり出てくるとはおもわず、超滾った。
そして、フランクさんに連れられて、製薬会社に潜入することに。
潜入後、フランクさんに情報提供している内通者と連絡を取り合って、製薬会社で色々するみたいなゲームみたい。
●3DS
○ポケとる
師匠、ボイスおめでとう。今さっきTwitterのタイムラインで知った。かなり好きな子だったから嬉しい。
こうして素直な気持ちでボイス実装をお祝いできるのは久しぶりだ。
担当には、まだ声がない。
担当はキャラクター実装以来総選挙でもランキング内、ボイス確定を掴めるほどの順位ではないものの十分に圏内だとは思う。だからずっとどこかで期待していた。この子がどんな風に話すのか、ずっと楽しみだった。何度も期待した。デレマスにSSRで登場したと一報を聞いて、ついに声が付いたのかと思った。アニメ化してからは毎週毎週ドキドキしながら、いつ出るかもしれないと緊張しながら見ていた。
でもふと疲れてしまった。アニメは2クール目になったころから見ることができなくなった。毎週、アニメ放送の時間になると、自担に声が付いたと喜ぶPの声が、素直におめでとうと思えていたそれがいつからか妬ましかった。
ボイスが実装されていない子が未だにたくさんいることは知っている。ボイス実装確定枠があるときに担当を入れるためにたくさん票を投じたPの努力も理解しているつもりだ。
それでも、今はもうアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツの話をするのが辛い。
たとえ結果が出なくても、次への意欲とか、悔しさとか、リアルのアイドルみたいに彼女の気持ちが聞けたら(実際、それを喋るための声がないのが悩みなのだけれど)、また違ったのかもしれない。あるいは悲しいけれど、引退や卒業という形で区切りがつくこともあったかもしれないけれど、彼女はシンデレラガールズが続く限り、これからもずっと永遠にアイドルでい続ける。終わりがないこと、区切りがないこと、このまま生かされていくことがこんなに怖いと思ったアイドル作品はこれだけだ。
元プロのみんながライブに行くたび、素晴らしいパフォーマンスをしてくれる声優さんたちへの応援と感謝をツイートしている。デレステで初めてP業を始めた友達の担当はボイスが決まって初のイベントが始まったらしく、ここのところいつも嬉しそうにその話をしている。
でも自分は、もう担当に声が付くまでシンデレラガールズには関われない。これはそういう呪いだ。担当のことはずっと好きだけれど、いつからか、応援するたびにどこかで見返りを期待している自分がいた。それを自覚するのが辛かった。それでもどこかで、担当の声が白馬の王子さまみたいにいつか現れる日を期待している。シンデレラガールズの呪いとは、その実、自分が自分にかけた呪いなのだと思う。
今、チョコボールで金のエンゼル2倍キャンペーンをやっている。金のエンゼルの封入率が通常の2倍となるキャンペーンだ。しかし、このキャンペーンには大きな罠がある。キャンペーン期間中、銀のエンゼルが封入されなくなっている点である。
御存知の通り、金のエンゼルには銀のエンゼルの5倍の価値がある。通常の封入率も金のエンゼル1:銀のエンゼル5くらいだろう。体感的にそうだ。仮に金のエンゼルの封入率が1%とすると、おもちゃの缶詰の総合的な期待値は2%となる。
さて、今回のキャンペーンを単純に適用してみよう。金のエンゼルの封入率は2%になるが、銀のエンゼルの封入率が0%になる。結果的に、おもちゃの缶詰の期待値は2%である。つまり、今回のキャンペーンではおもちゃの缶詰の期待値は変わっていないのだ。それどころか、すでに銀のエンゼルをストックしている場合は、銀のエンゼルがなくなる分おもちゃの缶詰の期待値は通常よりも低くなる。まさに欺瞞の塊、さすがヒ素ミルクの森永である。懸命な諸君はこのような詐術に騙されないように。
先月末の小さな炎上以来xevra先生のブコメにつくスターの数がすごく減った気がする。あくまで印象だけど。
悲しい話でもないのに泣く。
もう私は立派な大人なんだけど、「少なくてごめんね…」と謝りながら毎年お年玉をくれる。
むしろ私がおばあちゃんにお年玉をあげたいくらいなんだけど、おばあちゃんの何かを傷つける気がしてできていない。
今は元気で歩くのも支障はないけど、多分、老い先長くない。
あ、やばい泣けてきた。
それまでに自分が何をできるか考えてる。
素直になれない自分がにくい。
何をあげたら、したら、喜ぶだろうか。
アイディア下さい。
>なんなん?
ではなく、どうしてなのでしょう?
>リアルに話してる
ではなく、現実での会話
>言葉じゃない?
言葉ではないですか?
>あんだろう?
正しくは あるのでしょうか? 若しくは あるのだろうか
どっちかというと「若い女の子ならみんな幸せ」とか思っている人の方が不思議。オジさんオバさんから見ると若い子はみんな一緒くたで、「お肌や髪がキレイで、将来の夢や選択肢がいっぱいあっていいねぇ…」と思うけど、自分の学生時代を思い出しても、自分の持っているモノより自分が持っていないモノが気になってしょうがない年代だったので楽しかった記憶がない。
同年代の子たちといると、若いのは当たり前なので友達とかとの容姿やスタイルの差がやたらと気になるし、モテ格差にやたらと敏感で、「自分はモテない、彼氏なんかできない」とか悲観すると思考回路がどんどん悪い方に行ってしまう。今みたいにSNSとかスマホとかがない時代だったので、友達の数や自分の人気がはっきり可視化できる状況ではなかったけど、勉強ができるとかできないとかより、同性異性を問わず人気があるかどうかが幸せのバロメーターだった。今はSNSとかで人気の差がはっきり出ちゃうし、LINEとかで周りにわかりにくいいじめとかできちゃうから、かえって「自分は不幸」と思っちゃう子が増えたんだと思う。
自分に関しては、「自分は容姿が悪くて人生損してる」と思ってたけど、化粧とか服装とかでカバーできるレベルだったと思うし、モテないのは容姿だけが原因でなく、むしろコミュニケーション能力の問題だった。よく皆は暗黙の了解で分かってることが、自分だけ分かっていなくて、うまく会話に入れなかったりしたけど、いわゆる「空気読めない」「コミュ障」だったんだと思う。ちなみにそれは20ウン年経った今も軽症化してると思うけど完治はしていない。「生きづらい」という状況や原因を表現する言葉は増えたけど、その分、自分の生きづらさを過剰に意識する羽目になっているんじゃないかと思う。
彼女と上手くいってるのSNSとかで知ってモヤモヤするけど、好きな人から彼女に相手にされてないっていう愚痴を聞くのもそれはそれで「もっと彼を大事にしてやってくれよ、、、」って思ってモヤモヤするな
この気持ちはなんだろう
他人の消費行動なんてほっておけよ