はてなキーワード: 盆栽とは
盆栽(BOTH SIDE)
どうして私を好きだと言いながら何ヶ月も仕事が忙しいって理由で
会わずにいられるのか、どうして友達がいないことを寂しいと思わないのか
どうして酒も煙草もギャンブルもやらない、特に趣味もない状態で
息苦しくならないのか、どうして異常なまでに人見知りするのか、
どうしてどうでもいいことに妙にこだわったりするのか、どうして
自分の好きなことには一生懸命なのに私が薦める映画や絵画や読書
やマンガなんかに一切の興味を示さないのか、どうしてものごとに感動しないのか、
どうして私の気持ちをわかってくれないのか、わからなかったんだ。
でもさ、その大部分は「症状」だったのかもしれないって
ちょっとホっとした感じさえあったりする。
実際に彼氏がどうなのかは知らないけど、率直に言ってあなた只のバカ女じゃん。自分の尺度に収まらない想像の及ばない対象を勝手に異常者扱いしているだけだ。2ちゃんねるの既婚女性板にもあなたみたいに素人診断で誰々はアスペルガーだと騒ぐ人達がよくいるよ。
仕事が忙しければ会えないのは言うまでもないし、友達がいないことを寂しいと思わないのは大人だから、酒も煙草もギャンブルもやらないのは育ちが悪くないから、人見知りは性格、自分の好きなことに一生懸命になるのはそんなの当たり前。挙げられた事例はどれも特別な事じゃない。
彼氏は自分の薦める趣味に興味を持ち、自分の気持ちをわかってくれる筈、という考えはバカ女らしい思い上がりだ。自他の区別が付いてない。あなただってそれを薦めてきた相手が彼氏という理由だけで盆栽に興味を持ったりはしないでしょう。
それでも私は彼を大切にしてあげたいと、今は思ってるさ
この行が一番気持ち悪い。はっきり言ってあなたが彼女じゃ彼氏が可哀想。「それでも」って何だよ。
彼氏を愛してるんじゃなくて「彼氏はアスペルガーだったけど見捨てないであげて愛を貫くワタクシ」という自分を愛しているだけにしか見えない。
確かに。一理あると思う。
「親がやらせている」のとあるだろうし。
教師の言も子供の言い分もきちんと聞くことが出来、
さらには「そう成るように『自分が』育てた」としたいだけなので、
その場合は、「特別いきたくもない学校」にわざわざ「したくもない勉強」をして入ったということになる。
習い事にしたって、好きでやってる方が何倍も努力できるし長続きする。
場合によっては親の口出しなんて不要だろう。
やりたくも無くやってるのなら、練習するのも苦痛でしかないのに続けていくのは大変だろう。
その上親から文句が来ようものならやる気は無くなるしプレッシャーで精神的にもきついだろう。
子供が潰れそうになっても、見栄の為に何かさせようとする親ほど子供を顧みないし忠告も聞かない。
なぜなら悪いのは自分では無く、自分の希望に沿うことが出来ない「子供」だと思っているから。
『素敵な自分』で在り続けたいがために、自分の非はなかなか認めないんだろうな。
「サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。
たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。
サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。
みうらじゅん、吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。
もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。
だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。
はっきりと言おう。サブカルは世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店のサブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。
その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが理由ではない。もっと内部に醜く捻れた構造が眠っているのだと、私は思う。
そもそもサブカルは主流文化に馴染めないエッヂな(悪く言えばひねくれた)人間が集まって形成されたものである。既存文化ではカテゴライズできない魅力を求めた人々が消費していたのだ。
しかし、いつしか本来既存からはみ出していたはずのそれらを、「サブカル」とパッケージングし、売り始めることになる。
そして、そのパッケージングされた商品を、個性尊重教育で「他人と変わっていなければいけない」という強迫観念にかられた人々が、「個性」を買うために手にし始めるのだ。
カルチャー誌もそれを後押しする。ロリータの作者、ナボコフは「広告はその商品を買えば、あたかも購入者が高貴な存在になれるかのように錯覚させる」と言い放ったが、彼らも「サブカル」のカタログに載っている商品のどれかを買えば、自らも個性的になれると錯覚していると思われる。
彼らの目的は自分の趣味を追求することでも、なにか新しいものを創造したりすることでも、見つけ出したりすることでもない。「自分は個性的」と安心したいだけなのである。孤立を覚悟してでも自らの感性を信じきっていた先人とは大違いだ。
さらに最悪なことにこのような人間は「クリエイター病」を併発している可能性が高い。「クリエイター病」とは、なにかモノづくりの現場に関わり、有名人と交流することこそが人生最良の道であり、クリエイター系の仕事についてない人間はすべて挫折し夢敗れた落ち武者で、毎日布団のホゾを噛みながら恨み言を呟くような悲惨で陰湿な生活を送っているに違いないと思い込むことである。
個性を金で買うようなクリエイター病羅患者が制作側に回るとどうなるか。それがいま現状起こっているような世代交代がまったく進まない世界、というわけである。
彼らのやりたいことは新しいものを見つけ出すことではないため、既存の「個性的」と烙印の押された人物に、自らのプライドを満たすために仕事を依頼することになる。その結果がどこを見ても「みうらじゅん」状態を作る。そして、サブカルは予定調和で満たされる。
みうらじゅんを使えばOK。ボンクラっぽいことを書けばOK。童貞って言えばOK。すべて約束事で構成されているくせに、あたかもエッジであるかのように気取る。
もちろん、そんなことをやっていると感性の鋭い人間は当然そっぽを向く。雑誌を買わなくなり、ネットなどを使って自分の足で本物を追い求めるようになる。それがスタジオボイス廃刊のカラクリである。
同じ人間を使って同じようなことを繰り返した結果、サブカルは特定の世代にしか相手にされていない中年文化へと成り下がった。まずはそれを認めるところから始めよう。このままじゃゲートボールや盆栽と同じになってしまう。
「私、サブカル好きなんです」と宣言し、オーケンと絡んだりしているアイドルのなんとどん臭いことか。サブカル好きと見られたいがためにサブカルとパッケージングされているオーケンの商品を買ったでしょう?
ソラニンの実写映画の主題歌を、アジアンカンフージェネレーションが担当すると聞いて「えっ!?」って思った人がいたかい? みんな「ああ、やっぱり」って思ったはずだ。本当のサブカルは、そんな予定調和から遠く離れたところにあるはずなんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/rynoath/20080930
を、以前に書いた増田です。
あまり知られてないようだけど、エホバの証人は、家を訪問したら、名前や住所などを記録し、信者同士で共有し合ってます。
で、「不在」だったら時間や曜日をずらして訪問したり、雑誌や書籍を受け取ったり少しでも好意的な記録を見せれば、やはり、それは記録され信者内で共有されます。
どんな資料なのか、籍だけ信者として置いている方のブログにあるのを今日偶然見つけたので紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/laodicea/e/e3bca597c12d93e025c939e4fcafee91
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/7e/cb16a2a3396532c6fffe6a02d25cd315.png
http://www.tanteifile.com/diary/2008/11/18_02/
信者に犯罪者気質な人がいるとして、その人が利用する可能性はありますね。
また、このドキュメントがこうして流失していることからも明白ですが、管理はズサンです。
ちなみにこの訪問リストは実際にはもっと細かい資料が別にあり、地図を独自の区分け方法で分類して、訪問スケジュールを組んでいます。
同じ地域ばかり訪問するのではなく、ローテーションでぐるぐるまんべんなく訪問するためです。
ちなみにこの活動は国とか県レベルではなく、その町にある教会(エホバの証人では会衆と呼ぶ)内レベルで管理されていて、横の繋がりはありません。
教会ごとに訪問してもいい地域エリアが厳密に決められていて、他地域の状況を把握したり共有する必要が無いからです。
なので、教会ごとでこの訪問記録リストの管理方法は様々で、老人の多い教会なら紙ベースで頑張っていたりもします。
恥ずかしながら、プログラム知識のあるおいらはその昔、在籍する会衆でExcelVBAで管理システムの開発を手伝ったという汚点があります。
今もそのシステムは動いて活躍しているでしょう。(噂によると他の人がバージョンアップさせたりしているようですが)
一つだけ、覚えておけば良いのは、あなたの家にエホバの証人がきた時、エホバの証人はあなたの家の状況を見て観察し、後で記録しているということです。
例えば自宅に三輪車が置いてあれば「子供のいる家」とマークされますし、植木や盆栽に凝っているようなら「植物が趣味」と書かれるかも知れません。
あなたが主婦で旦那が居るシーンで、エホバの証人が訪問してきて、旦那が冷たく対応した場合は「夫婦。夫は否定的。奥さんだけがいる時間に訪問すると良い」と記録されているのです。
ちなみに私自身は、昔の匿名ダイアリーで彼女と入籍するよーと書いた(http://anond.hatelabo.jp/20080723032424)通り入籍はしましたが、エホバの証人の籍を外してません。
エホバの証人は、正式な離脱届けを出すと「断絶した」という判断を下され、口を聞くのを一切禁止という規律があり、取引先に信者がいて支障をきたすから、止むを得ず、です。
ただし、信者たちには一切居場所を知らせず新居に引っ越したのですが、なんと1ヶ月ぐらいに「兄弟こんにちは」(信者同士では男性を兄弟、女性を姉妹と呼ぶ)と、信者が
カムバックしないかというありがたくないお誘いのためにやってきたのです。
誰にも言ってない、そもそも信者だけでなく、リアル友達ですらまだ知らない人も多いのに・・・・?
と、ちょっとゾッとしました。その夜は今さながら(親からの強制で嫌々ながらも)関わっていたこの宗教が恐ろしくなり寝れませんでした。
何はともあれ、面白半分でも関わらない方がいいよ、ほんと。
組織的に個人情報をかき集めて情報共有しているけど、信者が絶対にそれを悪用しない、という保証なんてどこにもないのに、
真の宗教組織にそのようなことは起きないという前提で(起きた場合も闇に葬られて。実際事件は起きたという不確かな噂は耳にしたことがある)活動しているんだから。
とにかく、玄関は絶対に開けない方がいい。
インターフォンで済ませるのが最善だ。
表札も支障ないなら外した方がいいよ。
地図上の名前と表札が違っていたらわざわざ、表札の名前で地図を修正するという、変なところで頑張る人たちなので。
まぁ、これはエホバの証人に限らず、訪問系全てに言えるんだろうけどね。
また気が向いたらちょくちょくエホバの証人ネタを書こうと思います。
ここに書いているのは本当に事実だよ。
本題の否定かもしれないけど、趣味も仕事もかぶらない別分野の友だちの方が良いんじゃないかなあ。
「庭師」や「盆栽」の分野での増田の能力を、何の厭味もなく認めてくれるんじゃないかな。少なくとも同じ分野でライバルにならない分、認めやすくなると思う。
その代わり、逆にその友だちの得意分野での能力を認めることも大事だと思うよ。
話題なんて世間一般の話でも芸能の話でも、適度の説明を交えれば趣味の話でも良いと思う。
とにかく趣味の分野で評価が低くて悲しくなる
好きでやっていることが、ことごとくほめられない
それどころか、怒られる、けなされる、邪魔者扱いされる
当たり前だ、庭師なんだから
途端に、盆栽の評価が低くなる
わかってる
たぶん、人間性がゆがんでるからだ
何をやっても、我が我がの性格であることは、自覚している
だから仕事での評価が高いのも、知っている
趣味だけじゃない
友達がいないのだ
マージャンをやれば上級者を不機嫌にさせ
人に愛されたい、必要とされたい、好ましく思われたい
もっとちやほやされたい
「仕事は評価されてんだからいいじゃん」と言う人もいる
一緒にいると楽しい奴だと思われたい
目が悪くなったら?
手が動かなくなったら?
足が、内臓が、脳が、使い物にならなくなった?
センス一発の技術屋なんて、腕が鈍ったら誰も使わないだろう
もし仕事ができなくなっても
同じ趣味の友達がいてくれたら
生きていける気がする
http://anond.hatelabo.jp/20081127063438
バスト:AAとAの65を行ったり来たり(忙しくなると食べるの忘れて脂肪がどっと落ちるんだ)。
一目で日本人と分かる顔と黒髪。
痩せると若いころの宇多田ヒカルに、歌うと昔の倉木麻衣に似てると言われる。声が。
好きなこと:飲み会、料理、あとカラオケ行ったり盆栽クラブ行ったり増田潜ったり回路組んだり美術館めぐりしたりCやJavaで思いついたもの作ったり写真撮ったり工具のカタログめくったりトラックを下から覗いたり。
好きなもの:酒、機械式時計、アナログカメラ、はんだごて、工具特にドライバー、苔、機械全般(小さい方が好み)、センサ全般、マフラー、靴下、調理器具、インテリア用品
バカは嫌いでもない、スイーツ(笑)は笑えない、なんでもiPodと呼ぶ奴は見ててイラっとする。
前の彼氏と別れて2年ぐらい経つけど、正直この先男が出来る気が一切、全然、欠片も、しなかった。
「地図が読めない人は何で読めないんだろうっていつも考えてる。三次元地図ができれば解決する気がする」って言ったらそれまで気のないそぶりをしていた男がくいついた。
先週末何する予定?って聞かれたから「寝てます」と答えたらそれ以上何も聞かれなかった。
バーでお酒でもと誘われたので一緒に居酒屋に行ったら相手が飲み潰れそうになったので世話してやった。
知り合った人にご専門は何ですか?って聞かれるから素直に専門を答えると「。。。そうですか」と言われたのでここから俺のターン!とばかりしゃべりまくった。
同僚はすでに私を女として見ていなかった。
年下君には怖がられるし男友達は簡単に出来ないけどなぜか彼氏はできた。
意味わかんないモデル化をして楽しそうに仮定話をするくせに時々妙に女の子っぽいところがいいんだと。文系の男はわからんね。
今更かわいらしいふりなんて出来ないし。ツッコミがきついのも仕様だし。
同僚とは付き合う気はないし、新しく出会っても恋愛対象として見てもらえてない。まぁでも彼氏ができたら他の男とかどうでもいい。
このままずっと一緒にいられたらいいんだけどなー。
追記:カッとなって書いた。今は後悔してる。
なるほど。数日の議論を読んでみて、水村本の目次を確認してみると、否定派および肯定派がそれぞれの立場に別れた理由が少しわかっってきた。
目次・水村美苗『日本語が亡びるとき』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32157995/
2章 パリでの話
なるほど。本で第4章以降を読んだ人からは、もう知ってるよという反応や具体的提案についての否定的コメントが出てくるのも頷ける。日本語とか英語とかあるいは語学教育とかについて何か語りたくなる人も現れるだろうし、反対に、多文化主義的な観点からのコメントも出てくるだろう。
わたしなどは、8月に読んだからでもあるが、むしろ第1章がとてもおもしく感じられた(そりゃあだって、理論的な解決がこの本にあると思って読む人なんているだろうか。水村さん作品に親しんでいる人はもちろんそんなこと思わないだろうし、煽った人たちの力点もそこにないだろう)。
おそらく、
柄谷周辺の論者の問題意識に沿って書いた議論の向かう先・解決策を期待してこの本を手に取るか、あるいは、「アイオワの青い空の下で「自分たちの言葉」で書く人々」と交流しながら問題の所在を発見するというその出発点に着目するか、これにより、この本の評価はかなり分かれるのではないか。
多分、梅田さんがこの本について語りたくなったのも、水村さんがアイオワで様々な国からやってきた文学者と触れあう内に、日本や日本語についての問題に近づいていったというプロセスを、梅田さんの場合であればシリコンバレーでの経験になるかと思うが、この本を読みながら追体験し共感したからのではないか、とわたしは思った。
第1章のところだが、アイオワに各国の作家とともに招かれて出会った内の一人が、若いころロシア娘と恋に落ちたりもしたことがありその頃学んだロシア語を用いて盆栽に詳しいリトアニアの青年と会話のできるモンゴルの老詩人で、何かの時に水村が老詩人に向かって“You are an important person”といったときに、英語が苦手なのでたどたどしいながらもゆっくりと静かに“Everbody is important”と答える場面やそのほかの場面は、外のものに触れることでいくつかのばらばらの点が繋がり問題が自分のものとして感じられるプロセスとして見ることができ、さすがにマドル・スルーというようなものではないが、問題を自分のものとして受け止める過程はそれなりに緊張し疲れるのだが充実した読書だった。
そういうことが問題となってるのはずっと昔から知っているよ、何この話、古くさい、というのは十分あり得る反応だろう。ただ、問題の所在を個々人がそれぞれ理解するというのはそれとは独立に重要なことだろう。もちろん、この本とは別の入り口でも全然かまわないのだが。
そういう意味では、今回の騒ぎをきっかけに、こういう問題があるんだあ、と思った人にとっては水村さんの本は一つの入り口として悪いものではないと思う。
別の話。
http://d.hatena.ne.jp/Thsc/20081109/p2
話は少しそれるが、これを読んで、まず、「あたし彼女」読もうと思った。
もうひとつ思ったのは、
『新潮』9月号に載った前半部読んだ感想としちゃ、読めたもんじゃないよ。
何の説明もなく日本の文学は一人で幼稚なものになっていっていたと断じている作家が、この『ひとり』をひらがなに開く言語センスすら持ち合わせない作家が、<叡智を求める人>は今の日本文学など読まないなどとぬかしているのだよ。
という記述について。この方の水村本の理解からはそのように読めるし、きっと正しいだろうと思う。
ただ、もうひとつの可能性もあるのではないかとわたしは考えた。(いま新潮および本が手元にないので原文を確認することができない。「一人で」あるいは「ひとりで」が本のどのような箇所でどれくらい用いられれているか確認しないままではあるが、Thscさんの指摘にインスピレーションを受けてわたしの理解を書いてみることにする。)
Thscさんの主張はおそらくこうだろう。
という文の「一人で」は、「おのずから(自ずから)」あるいは「ひとりで勝手に」というニュアンスで用いられていると理解できる。そうであれば、「ひとりで」とひらがなで表記するべきであろう、と。
しかし、もしかすると別の考え方もあるのではないか。
「一人で」と漢字で表記するという点に固有の意味を見ようとするならば、日本語が「ひとりで勝手に」幼稚なものとなっていった、という理解とは別の理解でこの文を読まなければならない。その理解とはこうだ。
水村の議論全体をふまえると、水村は「言語というものは孤立すると衰退する」と考えているのではないだろうか。言語は「一人」になると衰退する。
このようなニュアンスを込めて、ひらがなにせず、あえて漢字を用いて「一人で」と表記したと考えることはできないだろうか。ここではそのような理解の可能性を指摘してみよう(もちろんこれはまだ単なる思いつきの段階であり、実際には、本文で語が使用されている箇所を逐一チェックしていく必要がある)。
ただし、このように考えたとしても、それならば違った書き方をするはずだ、等の疑問は当然に出てくるだろうし、結局のところは、Thscさんの理解が穏当なところだろうとわたしも思う。
別の可能性を指摘しただけでは水村さんが確信犯で「一人で」を用いたことの立証にはならないし、ひらがなか漢字かの選択だけでこのような微細な部分をオミットするのは文章家として正しい態度ではないのだから、いずれにせよ批判されても仕方のないところだろう。
助けが必要な、増田です。
自分萌えじゃないのですね。(あれ、萌えなの?)おしゃれをすると、自己嫌悪が減って、自信が持てるようになる。部屋の掃除をすると気分が良くなることと似ているのかなと偏った知識の中で想像しています。盆栽とか、育成ゲーのたとえは新鮮です。オタ用語で解説してもらえるとほんと助かります。
黒の古いアイライナーしか持っていなかったので、帰りにコンビニで茶色買って試しました。(普段化粧はしていません)もともと老け顔なんですが、恐怖!さらに老けこんだ顔の女が鏡の向こうに! …正直キモイですが、すごく変わって見えることは実感しました。
うーん。身体と過剰な自意識をちょっと切り離して、身体&服装のカスタマイズをしてみようかなー、と思っている自分に今びっくりです。増田さんってすごい。
信じようが信じまいが私は増田。
帰り道電車でトラバを読んで、いや、そうじゃないんだよ。でも何が違うんだろう。とモンモンとした事がこことここ読んでまとまった。
駄文だがお付き合い頂けたら。
自分の見てくれで萌えられたら世話ないよ。って感じです。他所様でもうっかりそんな勘違いが許されるのはローティーンまでか。ブロック遊び、ってのが言い得て妙。元増田がどんな人なのか想像もつかないまま失礼な事を言うようだけれど、見てくれに若干なり欠点があると思う。自分にもあるし、広い世の中無い人は居ないと思ってるんだけど。怒ったらごめん。なかったらごめん。欠点がデキる洋服一枚でゼロに…はならないけど、大幅に軽減されるんです。マジックだよ。マジック!と鏡に映る自分に対する好感度がアップします。自己嫌悪が減ります。ちょっと根拠ない自信が持てるようになります。これは、楽しいよ。てか、これって萌えか?
あと、これは自分が書いた事だけど
これは、うーん。経験論でしかないんだけれど、喩えると何だろう。人の家の庭が松とか生えて池に鯉なんか泳がせちゃう位に整ってるとなんとなく気分がいいと思う。だけど、雑草を抜いた程度の手入れしか入ってないと、不快ではないけど気分の癒しにもならないし、場所が勿体無いからゴミ置き場にでもしちゃおうかしらってのと一緒で。見てくれの構造自体は変えようもないけれど、なんとなく工夫がしてあると、ちょっと良くしてあげようかしら、っ心理が働く人が多いんだと思う。
メイクについて何も書かなかったので、ここを少し。
黒、だと濃すぎるので茶か灰色のアイライナー買ってきて、上瞼のキワの辺りで目に染みない程度の辺りで線を引いた状態で一日過ごしてみてください。半日でもいいよ。線の長さを瞼全体にするのに抵抗がある場合は黒目の上だけとか、黒目+2ミリ位の長さで。ここは騙されたと思って。ここで色は間違っても肌と毛の色に馴染むような色で赤とか青とかいきなり冒険しない事。あと、線は太くても0.5ミリとかそれ位で。最初の頃は素っ頓狂な顔というか変な顔した人が居るなあとか恥ずかしいなあとか思うけれど、慣れてくるとそれが自分の顔みたいな気がしてくる。かわいいとかそういう要素は別として。自分が見つけだせていない、違う印象の自分というものを見出してください。見慣れるまではアイライナー落としちゃだめ(寝る前は落として下さい。)絵が描くのが好きだった人とかだったら、線の太細で印象に微妙に変わるのとか、すぐに見つけられると思う。本当は眉毛を整えて、いつもと違う眉の形(やたら細い眉とか上がり眉とか目頭だけ太い眉)にしてみたりチークの色と位置で雰囲気が変わったり、付け睫付けると目がエイリアンみたいになって目に視線が集まるから顔の他のパーツは手を抜いても大丈夫だよとかノーズカラーって実はすごいんだよとかも説明したいんだけど、これは難易度が高いという人もいるし自分も良く分からないので、お手軽なアイライナーで。あ、化粧品会社の回し物じゃないです。高い金もかけなくていいです。
心持ちとしては「自分かわいいんです!うふふん」というなんかスイーツ(笑)チックな雰囲気でやるんじゃなくて自分の顔や体にこういうモノを合わせたらどんな印象変化がおきるんだろう!という好奇心と探究心でやるがベスト。盆栽を育ててるようなそんな気分で取り組んでください。別にカレにカワイク見える4つのアイテムを見つけたりしなくていいです。主体性は自分で。お洒落というよりかは育成ゲームとかRPGだと思った方がいいと思う。舞台は現実だけど。
まあここまで書いてアレなんだけどさ、○○って楽しいよ!って言われても興味無かったらふーん、で終わるんだよね。
ちょっと試しにやってみたら楽しくてのめりこんだとかあるけど。
いや、すまない。
別に彼を罵倒しようってわけじゃないんだ。
でもな、最近流行ってる"ラーメン つけ麺 僕イケメン"ってネタっていうか、ツカミっていうか、あるだろ。
あのフレーズがどうも頭に引っかかってしょうがないんだ。
引っかかってっていうか、なんていうか、その、"俺が二年前位に考えた自分の彼女にしか披露したことのないネタ"にそっくりなんだ。
え、爆笑したって?
いや、なんでもない。
でも改変したわけじゃないぜ。
マヂにてねぇ?ってか初めて"ラーメン"のツカミを聞いた時は耳を疑ったぜ。
でもな、俺のネタには続きがあるんだ。
"イケメン、つけ麺、担々麺。八百八町に灯が灯る。"と高らかに歌い上げるところまでがワンフレーズだ。
え、聞いたことがあるって?
うん、すまない。
然るに、狩野のネタは、俺ロジックで言うと、"盆栽"のリズムをパクった俺の"つけ麺"フレーズまでパクった二重盗作ごっつぁんネタってわけだ(あざーす!)。
別に罵倒したいんじゃないんだぜ。
でもな、狩野さん。
もしご覧になられてけつかられましたら、パクリ疑惑を認めてけつかられましたら、
はてな匿名ダイアリーまで、何処で俺の"つけ麺"ネタを盗んだか、ご一報頂ければ幸いです。
オタク中年化問題(汎適所属)
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/chunen_ota.htm
増田で影から書くようでホント申し訳ないが、この"オタク中年化現象"、問題でもなんでもないんでは?と思っている。この状況って、"オタク趣味"なるものが一般的に言われている"趣味"と同じレベルにまであがってきた、という望ましい事態なんでは?と思っている。
まず、一般的な趣味は一生続けられるもんだ。僕の祖父の趣味は盆栽。盆栽とはまたベタなおじいちゃんのための趣味である。しかし、ポイントは、祖父が盆栽をはじめたのは彼が10代??20代のころからである。当時は、とても盆栽が流行っていて、みんなで情報交換して楽しんでいたんだそうだ。その趣味を、ずーっと何十年も続けてきた(だんだん盆栽そのもののブームがすたれていって、下の世代が盆栽に興味がなくなっていっても)結果、盆栽が"おじいちゃんの趣味"と言われるようになったと。
このことから、"オタク趣味"も、若いころからはじめて、一生続くものである、というのはある意味当然の帰結、と言えなくもない。
次、
について。こんな人、他の趣味でも、たくさんいまっせ(まあいるとは書いてあるけど・・・)。僕の草野球でよく対戦する相手チーム(平均年齢20代中盤ぐらい)に、一人40超えたおっさんがいる。そのおっさんは甲子園にも出てて、プロに引っかかりそう、というところで引っかからず、社会人を数年続けて今ではその会社のリーマンという。彼とのみに行くと、ほとんど"たら""れば"の話ばっかりになる。あの時あのプレイができていれば、もう2cm背が高ければ、同世代にあのスター選手がいなければ、、、(自分はプロでやっていた)
というやつである。
スポーツなんて、肉体の才能がなけりゃそれで稼ぐことなんてできない。だから稼げないという時点ですぱっとあきらめりゃいいのに、まだこの有様である。そもそも、その道で稼ぐ、というのは狭き門である。"趣味"(厳しいがそのおっさんにとって野球は趣味である)にかまけて稼げるかもしれない(しれなかった)ことを悶々と考えてる暇があれば、自分で稼げるものを見出したほうが楽しいのに、とか僕は思うけどね。その意味で"バットを捨てろ!現実を見ろ!"である。
ちょっと話がずれた、要は、"オタク趣味"でモラトリアム、他にアイデンティティの対象を持たない人なんて、山ほどいていいはずだし、別にそれって他の趣味と一切変わらない、と思うんだけど。趣味で飯食うのは、何だって難しいさ。
あとね、それ以上に
いつまでもモラトリアムを続けているわけにはいかないのである。少なくとも、モラトリアムを続けることはだんだんに難しくなっていく
そうですね。そう思って、うまく現実と折り合いをつけている人だって、たくさんいますよ。僕は1980年生まれでここで言う"中年オタク"で最も若い部類だけど、ちゃーんと自分で手に職つけて、人並み以上に給料もらって、残業して深夜に帰ってからニコニコ動画を見てますよ。そしてまた会社に向かう。今日なんて、会社の同僚と、連休中にやったいろんな趣味の話をしたよ。ラグビーをやってるやつは試合に出てたし、サーフィンやってた奴は海に行きっぱなしだし、バンドやってた奴はライブイベントがあったし、僕はニコニコ動画と読破したマンガの話をしましたよ。ええ、それでいいじゃないですか。そんなもんですよオタク趣味なんて。
僕は思春期が終わったことなんてとっくに自覚してますよ。でもね、やっぱり子供のときに衝撃を受けたからきっと今度のエヴァの映画版は間違いなく見に行っちゃうわけですよ。それで何が悪いっていうんだ。三つ子の魂百まで。それがたまたまオタクだっただけ。
昔のオタクは、"オタク趣味"というものが、他の趣味よりもレベルが低いとみなされる環境下で、自分の趣味をひたかくしにせざるを得なかった結果、趣味を"趣味"として成り立たせることができず、廃棄してしまったんだろうと思う。その意味では、古いオタクの人のほうが、かわいそうだと思えなくもない。
まあいいや、なんかよく分からなくなったけど僕の言いたいことはタダひとつ。
オタク中年化は、オタクの地位が一歩上がって"他の趣味"と同レベルになるという記念すべきすばらしき事象だということだ!!!!