はてなキーワード: ヘイトデモとは
「ネトウヨが登場し始めた頃、連中の垂れ流すデマやヘイトスピーチを『あいつらなど放っておけばいい』『荒らしはスルー』と放置した結果、ここまでレイシズムが横行する事態を招いてしまった」…。
こういう言説を、至る所でよく見るようになった。
自分も始めのうちはそういうものかと思っていたが、最近はどうも「そういう言説自体がフェイクなんじゃね?」という気がして仕方がない。
端的に言えば、「後付け結果論」「今の基準や感覚で当時を裁いている」という感じがしてしまうし、表立ってこれに対して「そんなことはない」と反論する声が見られないのも、何か異様だ。
かつて自分の知人に、反戦市民運動系のサイトを運営している人がいた。
当時はイラク戦争の頃だったが、彼のサイトにもよくネトウヨが掲示板を荒らしにきていたようで、彼は「まーたウヨクが荒らしに来ているよ、困ったもんだ」とぼやきながら、かなりきつい調子で1つ1つ反論していた。
また、自分が当時よく読んでいた多くのリベラル・左派系ブログでも、コメント欄を荒らしに来るネトウヨに対して、放置などせず丁寧に逐一反論している管理人が多かった。
(中には放置しているブログもあったが、あくまでも管理人の方針が「賛同的なものも含めてコメントには一切反応しない」というものだったためだと思う)
卑近な例だが、こうしたことを思い出すと、少なくともこの人たちはネトウヨに対して「荒らしはスルー」などせず、きっちり対峙・反論していたわけで、そういう行為を「なかったこと」にしてしまうのは、やはり乱暴な議論なんじゃないか。
そう思うと、「ネトウヨのデマを放置した結果、レイシズムの横行を招いてしまった」と主張している人々は、どうにも主語が曖昧だし、自分からすれば、「で、あなたはその時どうしていたのですか?」と言いたくなる。
先日もあるジャーナリストが、「ネトウヨがここまで広まったのは、左派リベラルが彼らを放置したから」と主張しているのを見かけた。
「ネトウヨがここまで広まったのは、左派リベラルが彼らを放置したから」
という仮説がもし成り立つとすれば、逆に、
「左派リベラルがネトウヨを放置せず適切に対処した結果、ネトウヨの抑え込みに成功した」
というケースがあってもいいはずだが、そんな国はどれほどあるのだろう、と自分は思う。
世界を見渡すと、日本より左派リベラルに力があるとされる国々ですら、デマやヘイトスピーチを平然と言ってのける指導者や政党が勝利したり、日本ほどひどくはないかも知れないがヘイトスピーチやヘイトデモ、ヘイトクライムが横行したり、強弱の差はあれ「抑え込んでいる」とは言いがたい国が多い。
こういう状況を見て、「ネトウヨのヘイトスピーチを放置せず適切に対処していれば、ここまで横行することはなかったろう」と結論づけてしまうのは、どれほど正しいことなのだろうか。
かなり前、「戦争を起こした奴よりも、戦争を止めようとして止められなかった奴の方が、皆に責められ裁かれる時代が来るのかねぇ」と書いたことがあるが、「ネトウヨを放置したせいで…」という言説がここまで広まっている現状を見ると、もうそうなる下地はできているんだな、と思う。
戦争が起こるのは、戦争を止めようとした者が弱すぎて止められないせいなのか?
戦争を起こした者よりも、戦争を止めようとしたが弱すぎて止められなかった者の方が、より厳しく責められなくてはならないのか?
「戦争」を「ヘイトスピーチ」「差別」に置き換えると、完全に同じ問題になる。
そう考えると、「ネトウヨのデマを放置したせいでここまでレイシズムが広まってしまった(?)」ことよりも、「『ネトウヨのデマを放置したせいでここまでレイシズムが広まった』という言説が、多くの反レイシストの間に広まってしまった」という現実の方が、危ないというか後々響くんじゃないか、と思う。
(2020.1.14 加筆修正した)
慰安婦像が表現の自由って、あたま大丈夫?表現の自由だからって法律とか条約に違反してもいいのかよ。
日本でも「表現の自由」をうたって公道に落書きしたり、構造物を設置したりしたら逮捕されるでしょ。それが放置されてるのは異常な状態。
表現の自由で何でも通るんだったら、ヘイトデモだってOKってことになるなわけだけど、ここで「表現の自由だから」ってコメントしてる奴らは普段ヘイトデモは表現の自由の範疇じゃないって紛糾してるじゃない。どんだけダブルスタンダードなんだよ。
表現の自由は完全になにをしても良いという自由ではないよ。他者の権利や法律を犯さない範囲で認められているもの。極端な例で言えば、芸術的表現のために人を殺して良い訳はないし、薬物でハイになってコンサートを行っていいわけでもない。
表現の自由は「何を表現するか」が自由なだけ。「どこで」とか「どんな手段で」みたいなことは自由じゃない。私有地で展示するのなら、どんな形の銅像であっても問題ない。(現実の人物とかを揶揄するようなものは名誉毀損になるけど。)
だから慰安婦像を作ること自体は表現の自由だけど、どこに設置するかは自由じゃないんだよ。
どうか表現の自由をはきちがえないで欲しい。
この日のためだけに時代錯誤のようなばかげたおふざけ行為をするんでしょうか?
日本って何を控えている国でしょうか?2020年に何を控えているんでしょうか?
私の知人に神奈川の茅ヶ崎に住むアラサー男子さんがいます。その人にこのニュースの話を教えました。
すると彼は「私ですら見ていて恥ずかしい。吐き気すら覚える」と返答がありました。
私の祖国には成人式と言うものはなく、ましてや成人式で暴れて捕まるようなとんでもない不良なんて存在しません。
日本は韓国と違い、比較的文化的に慣用性のある国です。今の時代はオタクみたいな人間でも公務員に入れる時代です。ゆとりさん、落ち込まないの。
しかし、それでもみっともないものには「みっともない」というべきではないんでしょうか。
2020年に国際的行事、しかもオリンピックです。万博ではありません。
日本は昔に比べて治安も良くなったとききますが、今年の沖縄の成人式で暴れていたような連中が日本の各地に東京ですら蔓延る様をみていると、まだまだそれは不十分です。
俺は一介の川崎区民だ。
なにもコリアンタウンに行かなくても、近所に朝鮮屋さんがあってキムチやチヂミが売られている。
子どもはいわゆるチョン中、チョン高を馬鹿にしたりもよくする。俺はしてないけどね。
部活の練習試合でチョン中と対戦するときは、大抵相手は学生鞄や靴綺麗に並べているのだ。
教師は、そんな彼らを見習えと口煩かった。ばかじゃねーの、とみんな嗤った
雑多なことを言っている。
良くも悪くも彼らは川崎の一部だ。
そういう奴は、反発される。あんな運動は川崎区民には受け入れられない。
差別も友好も川崎から産まれたものでなければ、川崎区民の心には届かない。
ヘイトデモの主催者は架空の朝鮮人相手に机上のヘイトをやっている。
菅野完著「日本会議の研究」を読んだ感想、ではなく、疑問点をつらつら書いていく。ホントはまとめて読者お便りにでもしたかったのだけれど、切手代が惜しくなったので、気になった点を列挙していく。なお、これを読んで本書の内容を知った気になって恥をかいても知りません。
以上のように、筆者が単行本化に際して加筆修正すべきであった点を放置して世に出したのは、筆者と出版社の怠業である。一方で、本書を「巨大陰毛組織、日本会議の全貌」のような内容という理解で評価するのは本書を読んでいないか読解力が不足している。
ヘイトデモをするような人は言わずもがなで、それのアンチも対抗するのに「豚野郎」とか叫んでるし。
2chでネトウヨが盛り上がってた時も、彼らの頭の悪さとか下品さとかどうしようもなかったけど、最近はそれのベクトルが反対になったような人が「ジャップ」とか「アベ」とか言ってはしゃいでるし。
やたらとおやじギャグのような、ダジャレの造語を作ってレッテル貼りたがるのとか、本当にそっくりなんだよね。
ネトウヨが盛んな時には、彼らは貧乏で教養のない人々と言われてたけど、ネットで声高に政治的なことを叫ぶ人は右左関係なく中身は同じなんだろうな。
増悪を向ける方向が、どこに向かうかで中身は同じ。
昨日は周辺に警察がやたらと沢山出てきてて、
「うざいなー」と思ってたんだけど、またヘイトデモがあったんだね。
この問題に対して、否応が無く考えざるを得ない身としては、
最初に断って起きたいんだけど、自分は外国人排斥や、極度に国粋的な考え方を
持っていたり、支持したりする人間では無いということ。
そうでなきゃ、こんな中国人やその他アジア各国の外国人だらけの土地に住まないわな。
ヘイトスピーチを排除すれば問題は解決されるとでも考えてる方々には、乗れない。
カウンターといわれる方々にはパンクロックっぽい雰囲気があって、
中高生のころパンクロックとか大好きだった自分は乗れそうなもんなんだけどね。
成長しちゃったのかな。
まず言いたいのは、ヘイトスピーチを排除することが根本的な問題の解決になるとは思えないこと。
規制をしたところで彼らは地下に潜って先鋭化するだけ。
臭いものにフタをしただけ。中でどんどん腐っていくだけだと思うよ。
そもそも考えて欲しいよ。
何故彼らがそんな極端な考え方を持つようになってしまったのかを。
簡単だよ。
彼らは自分に誇りを持てないんだよ。
ここで何が問題解決となるか。
これも簡単だよ。
彼らに自分を誇りに思える何かを与えてやればいいんだよ。
「では、どうやって?」となると色々難しいと思う。
このまま社会は分断されていって良いと思う人には分からないかもしれない。
でも、自分はヘイトスピーチを行う人間と同じ社会に住む一員として、責任を感じる。
分かってくれる人がいればいいな。
右:愛国 尊皇攘夷(?) 特定の日に軍歌流しながら凱旋 ヘイトデモ
左:労働者の権利 生活保護 人権 法改正とか反原発とかのデモ (昔は激しくてバリケード作ったり立てこもったりしてた)
書き出してみたら右のほうが知らない度が高そうだし、なんだか平等を欠いた記述になってしまった。申し訳ない。
9条で対立するのはなんとなく、そうねえとは思うんだけど。よくわかってないから間違ってたらごめんなさいだし今掘り下げるつもりはない。
でも愛国心がヤバイくらいあって、低所得者の生活の向上もしたいっていう人はいないの? そういう人はどっちなの?
別に左を全否定するのが右とかその逆とかではないと思っていて、というかそもそも別に常に仲悪いわけではないの?(門外漢にはそうは見えないけど)
よくわかんない。ぜんぜんわかんない。
http://www.dororen.gr.jp/dl/2014/senden/syusyokuren140727.pdf
http://blogs.yahoo.co.jp/biwalakesix/32950304.html
https://twitter.com/jcp_seiban/status/488182970654539776
https://twitter.com/fourier2010/status/490041200456372225
http://suitdemo2014.blog.fc2.com/
「戦争をさせない1000人委員会」7.31集会
http://www.anti-war.info/schedule/1406201/
http://blogs.yahoo.co.jp/sayonara_nukeskawagoe/11582819.html
15:00〜17:00@天神コア前(福岡市中央区天神)街頭アピール。プラカード掲示、フラッシュモブ、マイクアピール、シール投票、ハガキアクションなど
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e37ec82124ebc3e487c47f5804af1457
http://now-events.net/jp/page/2154638
http://sayonara-matu.jimdo.com/
http://www.dororen.gr.jp/dl/2014/senden/yausubetu_50th_140809.pdf
http://www.dororen.gr.jp/dl/2014/senden/yausubetu_50th_tour140809.pdf
http://no-abenomirai.hatenablog.com/entry/2014/07/20/004025
http://2014815.blogspot.jp/2014/07/815.html
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e37ec82124ebc3e487c47f5804af1457
http://gaku-ito.tumblr.com/post/91922378963
【集会】13:00〜14:30【デモ】14:30〜16:30 @天文館公園(鹿児島県鹿児島市千日町9-30)※詳細未定。変更の可能性あり【問合せ】Tel.099-248-5455/info@nanpou.com
「左派的な言動主に極右を対照させる詭弁("極右の反応と全く変わりはない")は、inumash氏がkyo_ju氏に放った"ヘイトデモの参加者と同レベルの言動である"でも見た」
「極右」を「ネトウヨ」に変えました。確かにid:yoko-hiromは「極左」ではなく「バカサヨ」だと思ったので。でも「ネトウヨ」「バカサヨ」は侮蔑的なニュアンスがあるでしょ。だからできれば使いたくない。「左派」「右派」は正しい感じがしてそれも嫌い。
フレームワークを変えずに勝手に都合のいいように解釈をしてダブルスタンダードを用いる左派は、単なる「左派」ではないでしょ。左派に失礼。それを「左派的な言動主」というマイルドなニュアンスにしてるのも詭弁だよ。
こういう大人げない対応をする僕も僕だが、これ全く不毛な論点でしょ。他のブクマもそうだが、「塩村都議がクソだと塩村が受けたクソな言動が薄くなると思っているなら間違いだし」とかどういう解釈なのだろう。
右派のレベル低下もさることながら、左派のレベル低下も甚だしい。しっかりしてほしい、本当に。
またまったくの蛇足であるが、集団的自衛権の話もそうだけど、手垢まみれの右の議論に手垢まみれの左の議論で答えてたら、本当にしょうもない言論空間ができあがってしまう。
若い世代はそうだと思うけど、党派性のみで出来上がる議論にうんざりしてる。
「てか20万は韓国被害者ではなく慰安婦総数なんだが、自ら基本を誤認したままドヤ顔はどうなの。韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて、加害主体は施設運営してた韓国政権だし、色々と問題把握の根っこがおかしい。」
欧米に出回ってる誤解の説明ですよ。「20万人(主に韓国・中国人)が性奴隷にされた」という説明が多いです。あと、「中国人も入れると40万人にもなると中国人研究者は推定している」という説明をWSJでつい最近見ましたね。
「韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて」その指摘はどういう意味ですか。当然そうだろうね、という感じですが。それを否定すること僕は一切書いてないですけど。
「加害主体は施設運営してた韓国政権」最初の文に書いてあります。知ってます。だから、アメリカは関係ないと言いたいのでしょうか。韓国軍・アメリカ軍慰安婦の話になると、急に日本軍慰安婦批判のときとトーンが違ってくるのが面白いけど。
この文章に対して揚げ足取ろうとするのは左翼の人が多いのはなぜだろう。
左翼の人って「私は従軍慰安婦に対して中立的に人道を擁護する立場で客観的に見てます、知識豊富です」って自負があるから、違うフレームワーク持ってこられると批判したくなるんだろうとは思っているが、その批判によって、何を訴えたいのかよく分からない。
僕の主張は詰まるところ「欧米メディアはちゃんと報道しろ」なんだけど、この文章を「問題把握の根っこが」「左派は極右とは違う」と批判することで左翼の人たちは何を主張したいのだろう。
まさか「日本軍は韓国軍、韓国政府、アメリカ軍より酷いことをした」とか「だから日本軍の方が悪いから、文句言うな」とか「米軍慰安婦は報道するに値しない」とかそういうことなんだろうか。
「↓誰も言及しないが、この「米軍慰安婦」と「日本軍慰安婦」には大きな違いがある。日本軍慰安婦制度は自国民(日本民族)だけでなく植民地や占領地の女性に売春を強制したという特殊性がある。」
これは正しい視点ですね。つまり、日本軍慰安婦は「自国」と「敵国」で慰安婦制度を利用したということです。
ただ「自国民(日本民族)だけでなく植民地」というところがやはり違うと僕は思います。「日本民族」という概念をここで持ってきていますが、それは単一民族を謳う戦後右翼的概念であり、なんか皮肉だなぁと思います。
「自国」「他国」の区分で言えば、植民地(韓国・台湾)は自国に入り、占領地は他国に入ります。この論点は朴裕河の指摘です。
例えば「日本軍慰安婦」と言った時に、韓国での事例と、インドネシアやフィリピンなどの事例を切り分ける必要があると思います。
それは「自国」「敵国」の違い、地域による事例の違い、未解決かどうかの違いという意味で切り分けるべきだからです。(韓国のみがアジア女性基金を拒絶した事実をここでは確認しておきます)
朴裕河の指摘も同じように、自国民を慰安婦にした事例と、敵国を慰安婦にした事例を切り分けて把握すべきだ、というものです。だからこそ、「韓国人慰安婦はいわば同志的関係」という表現を使った訳ですが、誤解によって大バッシングを今韓国で受けています。彼女は米軍慰安婦の人権侵害も早くから指摘しています。と、ここまで書いたところで、そういえば朴裕河もやはり左翼から批判されることの方が多いなと思いました。
なので、日本軍慰安婦を語るときに「韓国における」という言葉をつけるか、つけないかは大事な点だと思います。白馬事件などと韓国の慰安婦制度をごちゃまぜにされた議論を海外のネットでも日本でもよく目にするので。
大阪の新大久保という場所で、連日のように反韓デモが行われているそうだ。俺の知ったことではないが不快ではあるので、この話題をRTした奴は無条件に即リムっている。大虐殺である。いい加減あらかたリムり尽くしたと思っていたが、上記の小田嶋記事でまた十人単位でリムることになった。勘弁して欲しい。
もう竹林に住むしかないのかもしれない。俺は女子高生のパンツだけ見て生きてゆきたいのに、クズどもが善意で糞を拡散する。原発が。反韓が。TPPが。だいたい原発の汚染水が漏れてたとかでいまさら大騒ぎしてるけど、あの「貯水槽」って穴掘ってシート敷いてるだけだからね。漏れないと思うほうがどうかしてるだろ。原発関連もひたすら虐殺したから最近はだいぶ見かけなくなった。
こういうことを言うとすぐクソ左翼が「お前はヘイトデモに賛成なのか」みたいなことを言ってくるが、賛成もなにも、そもそも俺はもはやそうやって踏み絵を迫られることにすら我慢ならない。そんなに世界の悲惨がお好きなら今すぐカンボジアに行って地雷除去でもなさればよろしい。在特会のデモに賛同するわけがない。当然のことだ。だが、その拒否感と同じくらい、あるいはそれ以上に、俺はもう「なぜ○○しないのか」式の言説が嫌で嫌で仕方が無い。「戦う民主主義」だの、「日本の国益」だの、俺はその種の「正義」や「善」にはもう一切加担したくないし、そうした旗印で踏み絵を迫られるのにもほとほとうんざりしている。
お前らはニーメラーが大好きだけれども、彼は「私は声を上げなかった」と言っているだけで、「私は銃を取らなかった」とは言っていない。彼の自省はあくまで彼の良心についてのものでしかない。ナチスは剣ではなく投票によって立った。つまり、俺はもう民主主義は無理なんじゃないかと思っている。学校では民主主義というのはなにか素晴らしいものだと習ったけども、結局のところ民主主義というのはああして糞を拡散する連中にも「主権」を認めるシステムなわけだし、それはつまり俺が在特会や踏み絵組と対話し連帯してわれらの崇高なる理想と目的を達成すべく邁進せねばならないということで、そりゃあ無理だろうと思う。しかしTwitterとか見てるとどうも皆様そうは思われないようなので、俺はもう竹林に行くしかない。お前らどうせ改憲に賛成するんだろ。改憲が無条件に悪だとは言わないが、国民投票で過半数を取れるというのはこれはもう間違いなく狂騒と興奮に駆られた落花狼藉であって、その乱痴気騒ぎに乗じてお前たちは正義と善を旗印にところかまわず踏み絵を撒き散らすんだろう。対話なんて信じちゃいないくせに、誰かを辱めたいだけなくせに。