はてなキーワード: Otakuとは
段階的に変遷してきたので、どこから入ったかで原点が違って見えるってことなのかという考えになってきた。
http://anond.hatelabo.jp/20140927094024
いろいろ意見をもらって参考になった。
それらは、ラップだったかもしれないがHIPHOPではない、という意見だけど、
まず、元の
とんかつQ&A「今だから抑えておきたいジャパニーズHIPHOPの歴史【入門編】」 | ホームページ作成サービス「グーペ」のキャラクターブログ「とんかつ教室」
が、
これを前提として、ここではあくまで「ラップ」を中心としたHIPHOP音楽について、日本での発展と現在について記していくね。
と書いているのを踏襲したつもり。すでにロックステディクルーなんかも玉椿あたりに来てたし。
この意見を待ってた。やっぱり80年代初期の文化は現代からは切れているように見えるということか。
Technoの源流、デトロイト・テクノもYMOも(それと「とんかつ」で出てくるアフリカ・バンバータも)クラフトワークつながりでお仲間じゃん、ということにはならない、っていうことだね。
同じ理屈で、韓流ファンも「李博士」をK-POPの源流に入れたくないんだろうね。
この辺の感覚、近いと思うか遠いと思うか、の線引きが面白いと思うんだよな。
あるジャンルの歴史なんかを書いたりすると、一丁噛みしたくなる俺みたいのも出てくるからやっかいだよね。
どうして「なんでコレコレについて書かないんだ?」じゃなくて「これじゃ足りないから俺が書いてやる」にはならないのか?
いやあるよ、すでにすごい本が。これをご覧あれ。
OTAKU based lifestyleの構築に失敗した
音声合成DTM製品「VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である「鏡音リン・鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索。
小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞に情報源を絞る。
前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女が革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使いの視点から同じ一連の出来事を歌ったもの。
YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘』から先に。
英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。
身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から。
ニコ文化が中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。
ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。
「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。
たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーからね常識的に考えて、とか。
・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。
いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作。
・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。
…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツもしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞がちょっと拙いとかね。
にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生回数すごいし。
何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。
いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世の騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。
三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。
それでは「これ」は何なのか?
まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。
あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。
このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。
「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治の派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。
この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。
よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。
少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。
鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。
そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民共から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。
彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。
しかもそのレベルの人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホントは彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。
イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。
破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。
それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使いの存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。
「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女と双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。
召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。
ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。
彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。
だからその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。
完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。
オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。
要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。
鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。
というのもなんかこう、意味深ですね。
怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実。
機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。
実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇のテンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。
何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望が絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。
そういう方法で絶望が連鎖して伝播しているような感じがするのです。
漫画家のとり・みき氏の言葉(の引用の引用)だけど、こういうのがある。
人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。
かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。
個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。
ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。
つまりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。
恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子の名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。
閑話休題。
だから例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。
そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。
何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。
でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。
で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。
あの召使いの台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメントが動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。
気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女も馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なものが犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。
いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。
他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。
そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。
「物語の洗練」を。
機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。
具体的にいうとこのネタで小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。
すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます。
続報。最初にリンクを張っていたYouTubeの画像は削除された。著作権違反か何かで通報されたのかもしれない。ただ、英語字幕が付けられた動画が改めてアップされているので実態は変わらず。
http://www.youtube.com/watch?v=mPz0TAPJqGU
ちなみに日本時間30日の午前零時過ぎで再生数は約2万5000、地域はフランスがメーンで、他にも北米や日本、欧州の一部地域の閲覧が多い。
面白いのはレーティングだ。Likesを付けた視聴者47人に対し、Dislikesは203人とかなり多数がこの動画を批判している。コメントも全体に批判している声が目立つ。どうやらこの話題に関してはフランスでも「テレビvsネット」の構図になっているようだ。これまた初音ミクが出てきた当初の日本と似ている。人間はどこにいてもあまり変わらないのだろう。
同じく「どの国も変わらないな」と思わせるのが、ある英語掲示板。
http://www.sankakucomplex.com/2010/10/29/french-tv-pans-miku-shes-atrocious/
アフィリエイトを見ても分かるように海外のHentaiなOtakuの巣窟と思われるが、テレビのコメンテーターであった女性のFacebookアカウントやらblogのアドレスやらを貼り付けているヤツがいる。要するに「炎上させろ」と煽っている訳だ。実に既視感あふれる光景である。
タイトルに出てきたホメオパスについて、何で嫌われているのか、言及されて無いな。
ついでに言うと、あれは砂糖玉を薄めてるんじゃないの。
そうすれば抵抗力が付くんじゃないかって事で。
そして、それで十分であるとして、それ以外の医療、つまりは機械医療を放棄しているのが問題なんだ。
そういった事でおきている問題の積み重ねによって、叩かれるに至っている。
村上隆が叩かれてるのは、
村上隆が表現しようとしているオタク像、オタクのエネルギーって奴を現代のオタクは持ち合わせていないから共感できないという事。
岡田斗司夫に「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と94年に言われているほど当時ですら過去のオタク像を表現している。
国内に向けて、「これがオタクですよ」って言っても「それは30年も昔のオタクで既に絶滅している」と即否定されるんだから、
海外に向けて、「This is..., the "OTAKU"!」と言ってウケを取る。
国内のオタクからすると、海外にオタクとはそういうもんだという認識をもたれるのが嫌なんだ。
日本に来る外人が、「Where is a ninja?」、「Where is a samurai?」と聞いてきても困るだろ。
同じように、アキバであんな30年前のオタクを探されても出てこない。
あれは、パソコン通信や、雑誌の投稿欄、コミケの変質といった状況で生まれたもの。
今の、インターネットや、ニコ同、同人誌卸の存在といった状況には生まれえない。
当時の彼らの欲してやまなかったもの全てに最初から手が届くんだから。
▼主な受賞作品
▼マンガ ・少年:BLACK BUTLER(黒執事) ・少女:OTAKU GIRLS(妄想少女オタク系) ・青年:IKIGAMI(イキガミ)
▼アニメ ・マンガシリーズ:SOUL EATER(ソウルイーター) ・オリジナルシリーズ:CODE GEASS(コードギアス)
なんかもう色々酷すぎる。
やっぱりこれって、海外では「漫画、コミックなんてヲタ文化」って認識だからなんだろうか。
一時期、フランスのコミックは日本のヲタに比重を置いた作風とは全く異なる
素晴らしいコンテンツだってもてはやされた事があったけど
逆にあちらからはこうも日本の漫画=ヲタ文化って断定されちゃうような結果が出ると流石に気が萎える。
いや、そうじゃない、って言われたほうがショックだけどさ。
有村が出てくる前は好意的に受け取られているラブプラスイベントが、有村が扇動始めてから罵倒一色。こういう連中が表現を規制したりリンチで人殺したりするんだろうな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/evil07/20091101/1257057243
amamako これはひどい, ミソジニー, ラブプラス 後で言及するかも/d:id:schizo-08_08氏の懸念もちょっとばかし理解できてしまいそうな惨状だなぁこれ…… 2009/11/03
pure_in_asia ゲーム 2009/11/03
RY0P 2009/11/03
kiichi55 『ラブプラスワン』レポート。30代ばかりか・・・ 2009/11/03
theart game, otaku 2009/11/03
tt_clown game, society 「現実とか糞ゲーみたいなもんじゃないですか」 2009/11/03
KOBA5884 ラブプラス 2009/11/03
medapan ゲーム つまり「ラブプラス」は「デバッグされた現実」とな.いらねーよ,そんなもの.完全に興味が失せた. 2009/11/03
tagkaz ラブプラス いいイベントだったみたいね 2009/11/02
hidematu game, ds, culture, otaku 2009/11/02
mikemade イシイさんはあのLittlelovers(PCの中の彼女ゲー)作った人だからしかたがない 2009/11/02
yakumoaoi 読んだ 2009/11/02
nico-at 面白い, 捨てちゃって。 デバッグ出来ない人がバグ指摘するのは面白い/200人「生きていけるー!!」…良かったね!! 2009/11/02
oya03 game, イベント 女性の参加者0のイベントでの発言だったら別に(引くけど)/ラブプラスを知らない人達の前で言いだすようになったらいろいろとアレだな。 2009/11/02
mk16 ラブプラス, ゲーム, game, event, イベント, report, DS, loveplus, レポート, NDS 地獄への道は善意で敷き詰められている。 2009/11/02
tenkoma game 2009/11/02
yan_spk 2009/11/02
godfrey ゲーム 内輪のノリを活字という限定した形で外に晒すと、突っ込まれやすいのは確かだが…。現実をdisらないと維持できない愛など、愛と呼べるのだろうか。ラブをプラス出来る穏やかな日々を大事にしたい、今日この頃。 2009/11/02
peppers_white 2009/11/02
font-da 「現実の女性をデバッグ」云々的なミソジニ発言は、ゲームやってる男性だけじゃないので驚かない(いや、ウワッと思うけど)/男性が集まってこういう発言で盛り上がることへの批判は、男性同士でやってほしい 2009/11/02
kou88 ゲーム, ムカついたので やっぱり惨事男って萌えないゴミだな^^ 2009/11/02
sftonnpei id:xevra 「未来人の先祖、さかのぼると2009年時点のたった3人の女性に」b:id:entry:15986736 ここからポストヒューマンの時代が始まるのです(違 2009/11/02
tora_17 オタク, ゲーム やっちゃったなぁと思うけれど取り合えずイシイジロウだから全て許す(キリッ/428をよろしくお願いします・・・/良いレポートを乙でした。 2009/11/02
locke-009 イベント, レポート, ラブプラス 2009/11/02
WinterMute ゲーム 恋愛ゲームの文脈でいったらそりゃ現実の人間はバグだらけなので。「現実の男もバグだらけ」「ですよねー」で仲間だもんげしてればいいんじゃ 2009/11/02
bael666 2009/11/02
beautymaquia event, game, report 2009/11/02
welldefined グノーシス/カタリ派のミサでした。厭離穢土。/ バグは自分のやりたいことを実現できない奴にある。商売でもないのに非モテとくっついちゃう奴がいたらそれこそバグだ。 2009/11/02
feita ラブプラス関係の記事になるとxevraさんの発言がbotのように毎回同じなのは仕様ですか。 2009/11/02
rockyosaka ↓一部テンプレのような批判があるがそんな批判はまったく無意味だよね/「人類の滅亡」を止められるもんなら止めてみれば? 2009/11/02
outasight game 2009/11/02
am91112 2009/11/02
GilCrows ゲーム 2009/11/02
nyancy1011 2009/11/02
AKIYOSHI ゲーム, レポート, イベント 2009/11/02
goldhead ラブプラス, ラブマイナス これは俺の知っているラブプラスではない。 2009/11/02
uta-2007 2009/11/02
steam_heart 閉鎖空間がそんなところに発生していたんだなあ。「現実なんて~」と現実のロフトに集まって現実に叫んでるのは何の皮肉かと思った。 2009/11/02
koyhoge game, event, report 2009/11/02
bokuohn 何か >年齢層は30代ばかりであった。そして職業のところは「サラリーマン」か「自宅警備員」の二極化となり 2009/11/02
missio game …などの発言で会場から拍手の嵐となった/ピュワワワ~ン「どんな反応していいか…わかんないよ…」 2009/11/02
yajicco ゲーム うひゃひゃひゃひゃw面白すぎるww/続編はやりたいなー、大学編も! 2009/11/02
masakimaru 2009/11/02
topiyama まとめ乙。行けなかった人には有り難いです。欠席0は何気に凄い。/一方その頃杉田智和は、絶望先生イベントに銀魂コスプレで登場し、ベヨネッタばかりやってPS3版鉄拳6買ったのに遊んでくれない中村悠一に絶望した。 2009/11/02
sig ラブプラス, event, report 2009/11/02
masahal コメント用 「現実の女性の方がバグってる」と言った直後に「凛子の声を担当した丹下桜さん」からのメッセージを何の疑問もなく流し賞賛してることに恐怖を感じる。声優さんは現実の女性じゃないのか。 2009/11/02
BigHopeClasic ゲーム そういや、初音ミクを「人間の疎外」だとするならラブプラスは違うのか(そもそも論じるまでもなく自明なのか)について、id:y_arim先生やid:hokusyu氏に伺ってみたいところ。http://bit.ly/3tGzT1 2009/11/02
yachimon * 2009/11/02
kozai 「ラブプラスとコンビニがあればー!」という言葉に、会場の約200人が「生きていける-!」 2009/11/02
serizawawawa 2009/11/02
poRon 「現実の女性のほうがバグってるじゃないですか」あーあ。『神のみぞ知るセカイ』じゃねーんだからさ……/よっぽど女性関係で辛い思いをした人なのかも知れないからあんまり叩くのもねえ……(と個人的には思った) 2009/11/02
Sonae-Guy 自分の恋人の素晴らしさを語るのに、他人を貶めるのはどうか。第一、DS内の彼女を「現実」と切り離す言葉のどの辺りが名言と言えるのだろうか。彼氏としてはむしろ怒るべきポイントのような気もする。 2009/11/02
y-mat2006 疑似リア充, ゲーム 頭では理解できていても、何だかわかりたくない。十代で済ませるべきモノを済ませなかったモノの悪あがきとしか思えん。 2009/11/02
tatsunop ラブプラス, event, まとめ ちなみにミノ☆タローさんからは「お母さんはみんなの味方よ」という暖かい言葉があったり。/ 石井氏の言及部分は本筋じゃないし受けてはいたけど大絶賛でもなかったかと。 2009/11/02
angmar クズ発言晒し上げ/バグってんのは自分の現実適応能力だろうが。そこ自覚するところから始めろ/会場やゲームのファンに一人でも女の子がいること考えたらこんな発言は出るはずないと思うがな。ほんと胸糞悪い。 2009/11/02
shinpei0213 「現実の女性のほうがバグってるじゃないですか。もっとデバッグしないと」いいゲームだけど、やっぱり「女性をモノとして思い通りにしたい欲求」を充足するゲームでもあるのか…。http://bit.ly/1uEJCS 2009/11/02
simabuta モノ, 人間 『「君たちにお父さんと呼ばれる筋合いはない!」』 2009/11/02
frog78 ギャルゲー 2009/11/02
y_arim game, event, report, ラブプラス, これはひどい, misogyny 劣等感の裏返しで現実女disるなよ。くだらん。 2009/11/02 18
日本のコンテンツ商品を(著作者に無断で違法に)複製し、翻訳し、配布する人たちがいる。アニメにおいてはファンによる字幕(subtitle)、通称ファンサブと呼ばれる。漫画などの本では翻訳スキャン (scanned translation, scanslation)と言われる。たとえば以下のようなサイトが有名だ。
アニメ | http://www.downloadanime.org/ |
---|---|
ライトノベル | http://www.baka-tsuki.org/ |
ふとしたきっかけから中の人たちと知り合った。だいたい10代後半から20代の青年が多い。国籍は多岐にわたる。意外に多いのが中華系米国人や中華系英国人で、漢字を知っていることのアドバンテージと英語能力を活かしている。アニメの場合、作業はテキスト起こし⇒翻訳⇒字幕作成⇒時間軸同期といった段階を経て行われ、最初の2工程では日本語能力が必須となるが後半はそうでもない。このため日本語をまるで知らない人も作業班に参加している。
法的にははっきりと黒の営為だが、それは認めようとしない。グレーという言い方を好む。北米地域で商業的にリリースが開始されたら翻訳ファイルの公開を止めるなど、一定の「配慮」を見せているのだから悪質ではない、という理屈だ。むしろ海外のotaku marketの拡大に奉仕する公益的な活動だと自己規定している。そこを突っ込むと激しく攻撃的な反発を招く。というか招いた。
10代でこの世界に入り、だいたい25前後で抜けていく。まったく足を洗ってotakuとは何のかかわりもない生活に移行する人もいれば、商業的な翻訳者になったりする人もいる。
彼ら・彼女らと接する上で認識しておくべきだと思った点は以下の通り。
日本人の変態性を真っ向から否定するようなコメントがあったので、
場所を移してとことん反論してみる。
…TEATIME、ゲーム世界と現実がリンクする新技術「フェイストラッキング」システムを発表
http://guideline.livedoor.biz/archives/51192905.html
※274. Posted by 2009年04月12日 01:18
一部のオナニー野郎を根拠に、日本人が変態だの性に対して旺盛だの言わないで欲しいな^^
まともな人間にとって変態呼ばわりされることはちっともうれしくない上にみっともないことだし、そもそも日本人は大して変態な民族ではない。
西洋人の方がずっと変態なのは常識だし、性に対して旺盛だったらセックス回数最下位なんてことにもならない。
西欧(野外露出・レズ)http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele2.html
日本(ただセックスしてるだけ):http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/shunga.htm
↑と比べれば日本人の春画なんて特別なもんじゃねーことはすぐ分かる。どちらも19世紀の絵だが。
お前らが密かに自分達の下品な性癖が民族の特質的なものだと信じたがる根拠に、蛸に犯されてる触手ものの春画を持ち出すことがあるが、あれだって日本特有のものでもなんでもなく、西洋人は普通に描いていた。
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/rops/rops10.html
http://www.alchemicalwedding.com/arserotica/galleryone/vanmaele/vanmaele5.html
江戸時代の日本人はフリーセックス的な「性に大らかな民族」なのであって、それがむしろ抑圧や罪の意識への反動から生まれる「変態性」とは無縁の文化だということは言うまでもない。ノーパンと言うのは、「女はパンツを履くべき」という抑圧を設けることによって初めて意味を持つが、当時の日本人はあっさりした着飾りしかせず、下着なんてつけてなかったんだから、抑圧が少ない分変態性も少ないんだよ。
まず、ひとこと言わせてくれ。
江戸時代までの日本には、庶民に変態が少なく、キリスト教的モラルの制約が強い西洋の方に
村祭り(ハレの日)の夜の乱交、夜這い文化を代表するようにフリーセックス社会であり、
嫁入り年齢が若かったことからもわかるように、10代前半の女性も身体が性的に成熟さえ
だが、それは西洋の幼児性愛、ロリータコンプレックスのように処女性を不必要に尊ぶことなく、
むしろ身体の個体差に合わせた、生物学的に見ても健全なものだった。
このように性に奔放だった農民や町民に比べ、上級武士の世界では性に対してストイックで
しかし、このように奔放だったのは江戸時代までの町民、農民にかぎった話。
明治維新後の日本には、一気に西欧化の波とキリスト教的モラルが流入した。
西欧文化に追い付くために、一気にマジメになることを余儀なくされたのだ。
この文化的な抑圧の時代に、エログロナンセンスのサブカルチャーが花開いたのは、
偶然ではない。
その後、世界大戦の時代に突入し、徴兵制が広がり、軍部の力が強化したこともあって、
日本は一気に一億総サムライとでも呼ぶべき、ストイックな国民性になっていった。
この猛烈な抑圧が、戦地での残虐行為、陵辱行為につながった例も多くあるだろう。
だが、それはいつの時代、どこの国の軍隊でも良くあること。
日本とドイツばかりが未だに叩かれるのは、最も直近の世界大戦における敗戦国だからである。
そして、太平洋戦争での敗戦により、日本は米国進駐軍による文化とセックスでの蹂躙を受ける。
日本中にあった売春宿などの赤線地帯は縮小・管理され、米軍兵に好んで身体を売るパンパンと
その悔しさをバネに、追い付け追い越せの高度成長の流れで、世界一勤勉な国民になっていった。
週休1日、深夜残業当たり前のサラリーマンの激務を支えたのは、目覚しく発達していった
ここでも、ストイックさの陰に変態の萌芽あるのがわかるだろう。
敗戦から40年足らずで世界一の経済大国へと復活を果たした日本は、バブル景気に沸いた。
大学生は車を持ち、社会人は会社の経費で豪遊し、トレンディドラマのような恋愛が流行した。
ディスコ・お立ち台ブームなどで、江戸時代のように陽気にハメを外しかけたが、
バブルはすぐに崩壊してどん底へ。
むしろハメを外すとバチがあたるという、トラウマになってしまった。
バブル景気の前後でもセックス面での格差の激化は続き、世間の恋愛路線から外れて
ロリコン趣味を密かに楽しんでいたオタク層は宮崎勤事件で徹底的に糾弾された。
一方で、不倫ブームが表面化したのも、この頃からである。
勤勉な夫が稼ぎに出ている間、家を守る貞淑な専業主婦という幻想が崩れ始める。
さらにバブルの残党が女子高生を買いあさった「ブルセラ・援助交際ブーム」が過ぎると、
後にはビッチなセックス観を持つギャル達と、児童ポルノ規制の強化だけが残った。
これらの流れは、今でも女の自己満足に過ぎないアゲハ嬢ブーム、児童ポルノ単純所持の禁止や
ダウンロード規制、出会い系サイトの排除などで、おおらかなセックス文化から一般男子を
遠ざける方向へと邁進し続けている。
その結果が、年間セックス回数の世界ランキングでの最下位である。
しかし、その陰でエロゲーを始めとする、二次元の性文化は目覚しい発展を遂げていった。
何故なら、二次元は決して裏切らないからである(と思ったら、かんなぎが...)。
このように、本来は性に自由だった国民性が、明治以降に徹底的に抑圧され、
解放されかけてはどん底に突き落とされ、の連続で萎縮しまくった結果が、
そして、世界不況の今こそ、日本はこの変態力で世界に向けて反撃の狼煙をあげる。
いいか、OTAKU、HENTAI、ANIME、MOE、KAWAII で、日本は天下を取るんだよ!
ありむらさんこんにちは!
# y_arim y_arim anonymous, otaku, culture, gender, 腐女子 些末な突っ込みで申し訳ないが「ホモフォビア」は「人間嫌い」の意。たぶん勘違いしてる。あとマナーの過剰化はid:lisagasuの指摘した「腐女子芸」にも通じるだろうね。男オタクもティピカルな「オタク芸」をよくやる。 2009/03/20 CommentsAdd Star
ギャッ、そうなの?むつかしい言葉を無理して使うんじゃなかった。あとで言葉入れ替える。
「マナーの過剰化=腐女子芸」。女の子どうしのキャッキャウフフ的な感じ?それとももっと外向き?
やっぱ掴みにくい部分がいっぱいあります…
y_arim y_arim anonymous, otaku, culture, gender, 腐女子 男オタクのショタ萌えは二次ロリ萌えの延長上。アプローチが違う。「にょた」の18禁同人誌が男性向けエロ同人誌とは似て非なるものであるように。そういう意味では、ショタだのにょただのはただの雑居地だと思う。 2009/03/20
入口が違っても同じところに辿り着く可能性はゼロじゃないよねえ。
雑居地が広がっていったら面白いのにと思うんですけど、ありえない?
http://anond.hatelabo.jp/20080507090412
が、全然もてませんよ!
・・・んでもって、日本人ってだけでオタクな女の子が寄ってきたりするのは正しいです。
ですが、全てが全て純粋に思っていて行動しているわけじゃないんですよね。
「オタクで日本人なら誰でもいい」的な女性がいて(その人は金髪のふとましい人なんですが)
「こいつうぜー」みたいな感じで日本人男性でちょっと煙たがられているんですよね。
まあ、そういう人もいるってことで。
・半年いただけじゃアメリカのすべてはわからないぜ。
・日本人とのコネクションはある程度は必要だよ。確かに、日本人で固まることは人間関係とかが
ややこしくなったり、嫌なことがあったりはする。悪い噂とかもあっというまに広がるしね。
だけど、やっぱりアメリカにいて日本人の知り合いをある程度は確保しておいた方が緊急時とかも
いろいろ良いことあるし・・・ある程度はつるんだ方が良いとオモ。
・それにしても、今アメリカに来た日本人って恵まれているんじゃないか?
俺がアメリカに来たときははてなもニュースサイトも、ソーシャルネットワークサービスとかブログとか
なかったんだぜ?OTAKU文化なんてもってのほかだ。
ネット、趣味関係においてはやっぱり今の方が恵まれているし、そういう話題を引き出しにしやすいんだと思う。
・アジア人でも老けている奴はたまにいるよ!俺とかな!
日本人同士で固まってる奴らはやっぱりダメだ。バーで日本人のグループを見るとちょっと悲しくなる。
これから留学しようって人は、日本人で固まるのは止めておいたほうが良い。絶対に良くないから。
アメリカ人はやっぱりみんな老けてるね。やたらゴツいし、学生なのにもう額がハゲかかってる奴までいる。
その点、アジア人は華奢だし顔が中性的(こっちの女よりもw)で幼く見られる。
意外だったのはこっちの方が日本にいる時よりもモテる。(白人の奴の方がモテるけれども)
華奢で中性的ってのを好む人は一定数いて、その人達に可愛がられる。日本にいる時はみんなそうだから可愛がられない。
服装もポイントかな。こっちは服装はダサいし、みんな似通った格好。何故ならみんな同じ店で買うから。
それは来る前から知ってたから日本で服を買い込みました。それを着回してるだけで何かオシャレだって言われますw
それとOTAKU文化はやっぱりすごい。日本人ってだけでそういう奴が近寄ってくる。
最新アニメはネットで見てるから詳しい。過去のアニメや漫画は発売されてないのが多いから自分の方が詳しかった。
その人たちからは自分は「L」って呼ばれてる。理由は似ているからw日本じゃアニメのキャラに似ているなんて言われないよね。
それとこっちじゃアニメはしっかりカウンターカルチャーです。
ついでに恋愛関係について。アジア人はモテないって言うけどそれは嘘。日本にいる時よりもモテたり恋愛したりする。
日本人ってだけでオタクな女の子が寄ってきたりする(自分も今そういう子と付き合ってますw)
それがなくても留学生同士でくっついてたりする。カップル率はかなり高い。おそらく日本の大学よりも。
そして、こっちの恋愛は実はあんまりロマンチックじゃない。恋人作ってすることはすぐセックスになる。(でも日本よりも避妊や浮気に厳しいんだよな)
散々指摘されていることだけど、近頃アニメを中心に、萌えだとかロリだとか声優だとかいわゆる萌え系オタクコンテンツ、というより鉄オタも漫画オタもフィギュオタもエロゲオタもぜーんぶひっくるめて「オタク」という言葉、存在自体が良くも悪くも徐々にオープンになってきてるなあと。
ヘビーかライトかはさておき、一見普通に見えるリーマンや好青年、また俗に言うイケメンが「オタク」を自称し、外国人は外国人でOTAKUが増加している。こういうのを目にする度「オタクは市民権を得つつあるのかな」と感じる。
中でも特にネット上はいわゆる萌え系の傾向が著しいと思う(TV界はTVを見ないのでよく知らない)。その傾向を助長し支える存在がyoutubeやニコニコ動画等の動画共有サービスサイトかどうかは知らないけれど、以前よりもアニメ等を扱ったサイトやblogは増加し、他にもそういった発言が多々見られるようになったようなならないような。
ここまで来るとまさか衰退することはないと思うが、一体どこまでネットの萌えオタク化が進んでいくのだろうか。もしくは、一体どこまで社会のオタク化が進んでいくのだろうか。いずれにせよそうなる過程で、今はあまり仲の良くないオタクと非オタクとの関わり合いはどう変化していくのだろうか。楽しみでもあり不安でもある。
というか、ネット上の話。オタク化なんて書いたけれど、それはただ単に自分がそういうサブカル系のサイトやblog、または2ch系を巡回してるからそう感じるだけだよね。萌えなんてネット全体からしてみたら1割にも満たない、まだまだ鼻糞程度のことなのかも。書いてて気づいたよお。
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀