「季語」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 季語とは

2021-12-30

白飯シチューをかけてさようなら

タイトルだけ見ると意味不明俳句(シチューは冬の季語)のようだが、先週末に私が実際に体験した悲劇なので他の増田たちに対する教訓としてここに書き記しておく。

私と彼女との出会いは去年の3月頃。

不織布マスクの紐が切れてしまい手でマスクを押さえていたところ、「これ良かったらどうぞ」とピンク色のマスク差し出してくれたのが彼女だった。

それから色々とあって彼女と付き合いはじめて1年と少し。

正式婚約しているわけではないが、双方の親にも紹介しあっており、私も彼女結婚を前提として付き合っていた。

先週金曜のクリスマスイブ、「私がご飯つくるから部屋でゆっくり過ごそうよ」という彼女から提案に乗った私は定時で仕事を切り上げた。

道中で手土産として適当に見繕ったスパークリングワインデザートを購入し、予定通り19時前に彼女の部屋に到着。

その日彼女が用意してくれていた夕飯はクリームシチューバケットサーモンソテーサラダなどなど。

私たちテレビを見たりくだらない雑談をしたりしながら、ゆったりとした時間を過ごした。

翌日は何の予定も無いからと遅くまでNetflixを見ていたせいか、目が覚めるともう時計12時を回ろうとしていた。

私よりも少し先に起きていた彼女が朝食兼昼食としてベーコンエッグを作ってくれていた。

「昨日のシチューの残りが少しあるけど食べる?」「食べる!」

私はなにも考えずシチュー皿にご飯をよそって温めたシチューを上からぶっかけた。

「何してるの?」

ご飯シチューかけて食べると美味しいじゃん。ほら、ワンプレートで済むから洗い物も減るし」

「いやそういう問題じゃなくて、ご飯シチューかけて食べるとかありえなくない?」

「・・・(うちの実家じゃ家族全員こうやって食べてたんだけどな・・・)」

「そんな下品な食べ方してる人なんてこれまで一度も見たことないよ!」

「悪かったよ、折角作ってくれたのに変な食べ方して本当に悪かった。もう絶対にしないから」

そうやって私は何度も謝ったが彼女の機嫌が戻ることはなく、食事が終わったあとも無言の時間が続いた。

スマホをいじりながら二人で無言のまま過ごすこと約1時間ほど。

今日中の仲直りは無理かな、とりあえず一旦撤収して間を空けよう」と決断し「嫌な思いさせて本当に悪かった。今日はとりあえず帰るよ」と立ち上がった私に対し

彼女は「色々考えたけどやっぱ無理かな。別れよう」と切り出してきた。

「は?なんで?ご飯シチューかけただけだよ。それにもう絶対やらないから

「駄目。無理。ご飯シチューをかけた行為けが許せないんじゃないの。そういう行為普通生活をこれまでずっと送ってきたわけでしょう。

そういう人とこれからも付き合っていくのが無理なの。私の従姉妹結婚して1年で離婚したんだけどやっぱりそうだったの。

旦那さんがご飯食べるときクチャクチャ音を立てる人だったんで、付き合ってるときに何度も注意して直させたの。

でもね、それが直ってもやっぱり駄目だったんだよ。お風呂場でシャワー浴びながらおしっこしてるところ見たんだって。私もそんなの絶対無理だから

シャワー浴びながらおしっこって普通にしてるけどやってるなんてとても言える状況じゃないな・・・)

「だからね、増田君のことは好きだけど私増田君とは一緒に暮らせない。別れよう」

そして私は何も言い返せないまま、彼女の部屋を後にした。

ご飯シチューをかけるのはギルティ

シャワー浴びながらおしっこするのもギルティ

唐揚げ弁当に入ってるレモンハイボールに入れて呑むのもギルティ唐揚げの下に敷いてあるパスタを食べるのもギルティ

なんなら彼女ルールでは納豆ネギを刻むのもギルティかもしれない。

私が30年近くライフハックだと思って実践してきた色々なことは、彼女にとっては憎むべきライフファックだったわけだ。

クリスマス彼女にフラれ、何もやることが無くなってしまった私は街をふらふらと歩いた。そして酒でも飲んで全てを忘れることにした。

酔い潰れてしまいたい、そう思いながら呑んではみたがそういうときに限ってなぜか全然酔わない。

2軒目の店を出て路地を歩いている私に黒服の男が声をかけてきた。

シチューご飯豚野郎にはおっパブみたいな下品な店がお似合いだな」と自嘲しながら私は男の手招きに応じて店へと入った。

薄暗い店内に通され、薄汚いソファーに座って待つこと3分ほど。酷く歯並びの悪い女の子が私の横に座ると身を寄せてきた。

おっぱいパブには入ったもののそこまでおっぱいを触りたいわけではない私はその子のとりとめもない話に耳を傾けた。

その話を要約すると「コロナ普段からマスクをするようになってこれまで以上に歯並びがコンプレックスになった。マスクを外したとき男性露骨がっかりするのが本当に辛い。

ここでお金を稼いで歯の矯正をしたい」ということらしい。私はその話を聞いて素晴らしいことだと思った。

ちょっと聞くけどさ、もし彼氏が白ご飯シチューをかけて食べてたらどう思う?」

「は?そんなの別に普通だよ」 良かった、この子は私の側の人間であった。

「つかさ、わたし元カレガチ屑でさ。何回ゴムしろって言っても絶対にしないし、出す時に人の顔に精液かけてくることもあったし。」

なるほど、それに比べれば私の行為の方がよっぽどマシに違いない。

「おにーさんだっていきなりシチューぶっかけられたら嫌でしょ、ほんとマジありえねーし」

の子の何気ない一言に私は脳天をスレッジハンマーでぶっ叩かれたような衝撃を受けた。

そうだ、私は何もかも間違えていた。今この瞬間に至るまで「なぜご飯シチューをかけるという愚行に及んでしまったのか」とずっと悔やみ反省し続けていた。

しかしそれは大きな間違いだった。正しいのは私で断罪されるべきは彼女。私があのとき取るべき行動は彼女シチューぶっかけて立ち去る、その一択しか無かったのだ。

間違いに気づくきっかけを与えてくれたお礼をせねばなるまい。

店の出口までの見送りの際に「これ歯の矯正豊胸手術費用の足しにして」といって二千円札を一枚渡した。

貧乳バカにすんな、死ね!」そう言いながらチップを受け取る彼女笑顔はとても魅力的だった。

店外に出て私は何も考えずコートすら羽織らないで外出してしまたことを後悔していた。突き刺すような冷気が私を取り囲む。

全身の震えが止まらない。でも震えているのは寒さのせいではなかった。

「思い切りシチューぶっかけたら君はどんな顔をするだろう」そんなことばかりを考えながら部屋までの道を歩き続けた。

2021-12-10

つの季語になるんだ 冬だよな オミクロン

斧入れて 香におどろくや オミクロン

寒月や 門なき寺の オミクロン

ともかくも あなた任せの オミクロン

の子の なぞなぞあそび オミクロン

2021-11-30

[] そのひゃくさんじゅうに

ウロボローッス

 

十一月のことを霜月とか神楽月とか神帰月とか呼ぶらしいんですけど

そういう異名の中の一つに竜潜月というのがありまして

調べても由来がわかんねえと書いてる人もおり

私が適当に調べたところ易経の乾為天の最初に書かれてる龍の話から来てんじゃねえかとかなんとか

春の季語であるところの『龍天に登る』に対して

秋の季語が『龍淵に潜む』であるだとか

なんかそういう感じのサムシングがあるらしいです。

いろんな表現があるんですねぇ

月初めに調べた時は『まぁ偉い人も引きこもるぐらい寒いってことなのかな?』とか思ってましたが、まさか冬至を始まりだと受け止める方々がいらっしゃるとは

からまぁ今月はずっと龍とかドラゴン関係する名称ばかり叫んでいたんですね

グウィバーってのは赤い竜と戦ってた白い竜の名前です。

 

ということで本日は【竜頭蛇尾いか】でいきたいと思います

竜頭蛇尾いか竜頭蛇尾ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2021-11-17

俳句季語って誰が決めてるの?

それ季語じゃない!とかって季節の言葉だと思って入れても指摘されてイラッとくる。

2021-11-03

お兄ちゃん……

濡れて来ちゃった……

先っぽが

季語なし)

2021-10-17

季語ってなんであんなにキモいの?

万葉集には季語は入ってないけど日本トップクラス歌集だよね。

そんでもって季語なんてなくても季節感なんていくらでも出せる。

まり季語って本来必要がない癖に誰かが後付で偉そうに付けたタスポB-CASカードみたいなゴミなわけ。

わざわざ季語なんて発明した理由ってマジでキモくて、結局の所は「俺達がマジで凄いことしてるってのアピールやすいように縛りプレイしようぜ」っていうマジキモすぎるキモさなわけ。

聞く側の気持ちとか一切考慮せずに「俺達が身内でやってる芸がマジで最強であるってことを教えてやるために敷居高めたろ」でしかないの。

マジでキモいよね。

まりは何の哲学も持たない料理人が「ヴィーガン料理名乗れば客くるし高くても売れるらしいから俺野菜縛りするわwwww」ってやるのと何も変わらねーわけよ。

マジキモくね?

こんなキモもの文化って持ち上げてる奴らキモすぎない?

俺はありえないと思うよ。

2021-10-10

俳句ってなんで季語必要なの?

エヴァみたいに四季がなくなる可能性ってあるやん

気候変動めっちゃ進んでるやん

というか100年前の四季といまの四季って別物やん

季節がなくなったら俳句も成立しなくなるの?

2021-09-19

私の解釈はこうなんだけど、これだと「不正解」になるの?それを教えて?

突然の雨音に誘われて窓を見るとそれが夕立であり同時に今が夕方だと気づいた

実際、私は今象印魔法瓶を洗っていて、それは今日という日が終わりへ差しか返っていることを意味している

今日もまたあっという間に過ぎたなとふと思った

私選評

夕立という夏の季語から象印魔法瓶には冷たいお茶が入っていたことが想像されます

その魔法瓶を洗っているということで、暑さに負けず1日をやり終えたという気持ちが伝わってきます

頑張っていたらあっという間に1日が過ぎてしまったという感覚と、強い勢いで降り注ぎあっという間に終わってしま夕立がよくリンクしていると思います

れいに洗った魔法瓶、雨上がりの澄み切った空、それらのイメージからこれから爽やかな夕方という時間の広がりを感じさせます

読み手の年齢は58歳、人生夕方へと差しかかかっている自分自身に対しての前向きながらもどこか寂しさのある気持ちを詠っているのかも知れません。

魔法瓶の中の冷たいお茶というイメージは、伊藤園お~いお茶大賞に応募する詩としてとても良いと思いました。

ってなるかなあ。

もしもお茶のラベルに書かれているのをお茶を飲みながら漠然と読んだら。

でも作者のコメントを見ると、コレは間違った情景を思い浮かべたことになるんだよね。

えこれって「不正解」なの?

私は私の頭の中に広がった、夕立の音を聞きながら流し台でピカピカに魔法瓶を磨いているおばちゃんの後ろ姿を素敵だと思ったんだけど、この景色は「不正解」なの?

https://anond.hatelabo.jp/20210919002338

anond:20210918185654

夕立って夏の季語なんだって

暑い時期に動物園行って象と一緒に暑がってくるといいかもしれんね

そしたら夕立が洗い流したものが何かわかるかもしれん

いろいろ間違っています

国語警察です。増田書き込みはいくつも間違いがあり、看過できません。

1つめ。まずお茶ペットボトルに書いてあったのならそれは川柳ではなくおーいお茶伊藤園主催する俳句大賞です。夕立という季語を入れているので、作者は俳句としての読み取りを求めていると解することができます俳句解釈はいくつかフォーマットがあるので、読み取りにはある程度それを知っておく必要があり、簡単に云々するのは適切ではありません。

2つめ。件の句は大変面白い句です。やや読み口が未熟ではありますが、賞に選ばれるだけの作品だと言えます。以下、少しだけ解説します。

まず、夕立季語として用いているので、季節は夏。象は「夕立」が降る日本でよくいる動物ではありませんから場所動物園とほぼ確定できます。夏の夕方に作者は動物園を訪れているわけです。事情はさまざま、ですが、一般的にいってどんな心境だと想像できるでしょうか。夏休み家族連れ?詠み手子供?親? 確実に言えるのは、詠み手はそう不幸な状況にあるわけではないと考えられるということです。不幸な人は、夏のさ中に動物園に来たりしませんし、夕立の中でぼーっと象を眺めたりもしません。むしろ想像できるのは、それなりに幸福な人で、新鮮な心と驚きをもって周囲に向き合っている人だということです。そこで、そういう心で、目の前の情景に向き合ってみましょう。

何も心配することのない子供のころの心で、夏のさ中に動物園にやってきた状況を想像してみてください。いろいろな動物のむせかえるような匂いに少しへきえきしながらも、非日常感に心躍らせる思いで時間はあっという間に過ぎ、気づけばもくもくと黒雲が辺りを覆っていて、不意に夕立が訪れます。象はいつも動物園の人気上位です。目の前の象の圧倒的な非日常感は、この日一日の中でもとりわけてあなたの心を喜ばせたでしょう。そして、夕立。遮るもののない中で、夕立普段よりもいっそう激しく感じられます。雷もなってあなたは少しひるんだかもしれないし、あるいはワクワクしたかもしれません。ですが、目の前の象はどうでしょう。象舎に入るでもなく、動じるでもなく、まるで心地よいシャワーでも浴びるかのように、何物にも動じません。そんな象の姿は、あなたの心を揺さぶらないでしょうか。それが、象への感動なのか、夕立への感動なのか、二つが混ざった状況は、目の前の柵の存在すら忘れさせて、ふと見たこともない遠いアフリカスコールを浴びる象の野生すら幻視させるかのようです。象が夕立を浴びている風景を、主語を逆転させ、夕立が象を洗っている、と見たのは、夕立に象に劣らぬ存在感や主体性詠み手が感じたことを表しています。そして、夕立というあまりにもありふれた題材が、象という、俳句にはなりにくそうな題材と出会うことで、なんと生き生きと、生々しく荒々しい存在感を生み出していることでしょうか。異質な二つが出会うことで取り合わせの妙が生まれる、つかず、離れず、のこの関係を「不即不離」と言います。上質な俳句に欠かせない、新鮮な感動だけが生み出す言葉マジックです。

最後の「またたく間」もとても素晴らしい。夕立は短いものですが「またたく間」というほどかというと少し誇張なので、このあたりやや詠み手の未熟さ若さと捉えられるかもしれません。しかし、この「またたく間」は、まさに瞬きも忘れるほどこの情景に見入っていたこども心の「またたく間」であり、必ずしも一瞬とは限らないとも言えます。また、ウォッシュされた結果クリーンになるのがまたたく間だった=それほど激しい夕立だった、と取ることもできますし、さらに読みを深めれば、これらの幻視、ひいてはこの日一日の非日常の全てがこの瞬間に込められており、夕立とともに非日常ははかなく消え去っていく、ただし、後に残るのは夕立の後のような爽やかさで、この一言とともに、象と夕立幻視に閉じ込められていた詠み手が再び現世に返り、我々読者もその爽やかな読後感を共有できる…そんな終わり方です。幻は一瞬であり、一瞬であるがゆえに永遠。この句はそんなことまで感じさせてくれます

そんな、まるで壮大な幻を一編の短編映画に仕立てたような幻想を、わず17字に詰め込む、これこそが俳句の妙であり、これはそんな俳句という表現形式の魅力を存分に発揮した作品だと言えるでしょう。実に見事というほかはありません。

3つめ。これは一番勘違い修正いただきたく、返信をしようと思った最大の理由ですが、「分け入っても分け入っても青い山」は、種田山頭火俳句です川柳ではありません。無季自由律であってもそこに俳句スピリットがあればそれは俳句だ、というのが彼らの主張であり、その主張自体をどう取るかは人それぞれの考え方にもよりますが、「あれは俳句ではない」と主張するならまだしも違うジャンル呼び名で呼ぶのは、俳句に対して、川柳に対して、そして山頭火に対して、あまりにも失礼で不当です。この勘違いは、即刻修正していただきたいです。

最後に、俳句川柳面白さはまた違うところにありますが、川柳面白さはもっと言葉の響きや並びの妙といった所にあるので、「情景が浮かばないとダメ」といったような狭い(ある意味俳句的な)縛りの下にあるものではありません。その点も、増田勘違い修正された方がよいと思います俳句世界川柳自由さは、それぞれに面白いものであって、それぞれの特長をきちんと知ることで、それらの作品をより深く味わうことができるようになります。知らないで否定することは簡単ですが、それはあなた世界を狭くしてしまます。分かったつもり、の人生より、世の中にはまだ知らないことがたくさんある、という人生の方が、楽しいと思いませんか。お茶ペットボトルを飲み捨てることなく、そこに書かれた一言に目を向ける精神は素晴らしいと思います。どうかそのように、物事簡単に切って捨てるのでなく、小さなところにも発見のある人生をお送りください。

anond:20210918185654

anond:20210918185654

夕立季語から、それは川柳ではなく俳句

その夕立は「象を洗う」と表現するほどに激しいものだった。しか夕立らしく、「またたく間」の出来事だったのだ。動物園でびっくりするような夕立に見舞われた際の情景と感興をうまく切り取っていると思う(あるいは東南アジアアフリカ山野での出来事可能性もゼロではないが)。

夏の夕暮れ、束の間、激しく雨が降り、それがさっと止んで雨上がりの匂いがする。この感じだけでも自分夕立が好きなのだが、それが動物園での出来事で、象を洗うがごとくの激しいものとなると非日常感が増して余計に良い。

2021-08-28

anond:20210828220331

蒼井そら名前ネタにするのはもうネットネタにおいて擦られ過ぎて、季語みたいになってる

2021-08-18

anond:20210818122635

季語の雨の憂鬱さ。

アフリカマイマイの歩みがじわじわと迫りくるコロナウィルスの恐怖を物語っているようでとても詩的ですね。

2021-08-15

anond:20210815201541

「この俳句季語は何か」「この漢詩は何句目で韻を踏んでいるか」なんて問題文学部以外に出す大学は何がしたいのか理解できない

2021-07-26

(現代)短歌キモ

季語っぽいものへの言及

ヘンに古臭え概念LINEコンビニなどをおり混ぜてギャップを狙ってるのか?気持ち悪いんだよな

杜若、じゃねえですよ そんなんその辺に生えてっかあ?生えてたらごめん

とにかく浮いているのだ季語

紫陽花、とか向日葵、とかさあ!

なんなんだ なんで漢字で書くんだ

おまえ、🌻みて、あっ向日葵だ!なんて思ってんですか

あれはなあ、ヒマワリですよ

いかにもノーテンキじゃないすか なにが向日葵だ 表現のために自分を曲げるな 世界を曲げるな

根本的な自己陶酔

思考を57577に整えるっていう行為、ある程度正気じゃないとできないので、中身が「エモい」ほど、どうなってんだという感じが出てくる

たとえば長く付き合った恋人とどうしようもないすれ違いの末別れた、っていうのをうつくしい短歌として詠まれると、感情どうなってんねんとしか思えねー

布団にくるまってグエーとか言ってるのだけがREALだろ

彼女にフラれて悲しい、を表現するリアル言葉は、グエーしかないんだ

水滴とか風とか、トイレの水とか、知らねえけど、そういうもの感情を仮託するな

・謎の古語調

これが一番キモい これさえなくしてくれれば、俺はここまで俳句敵対しなかった

「してをり」みたいな表現が突如混ざってるのを見るとはらわたが煮えたぎる 

オマエそれ言わないだろ、日常で!!

言ってんのか?

言ってたとしたらそれはそれで尊敬するけど、言わねーだろ、絶対

ゐる、とかさあ、キショイんですよ 本当にキショい

いま「ゐる」って打とうとして、けっこう変換に手間取ったぞ キショ俳句人間、毎回変換に手間取ってまでわざわざゐるって言ってんだとしたら死ぬほどキモいし、辞書登録をしてスムーズに打っていたり、予測変換が覚え込んでしまうくらいにゐるゐる言ってんだとしたらさらキモい

救いようがないですよマジで

都市

俳句野郎、なんか、全員"シティ"っぽいんだよな

アーバンな感じがしてすげえムカつくわけ

すっげーイケてない、コンビニもない、ウンコみたいな田舎、実際に空気ウンコのにおいが混ざっていることもあるような、そういう場所の感じがしねえんだよな

全員シティーボーイっぽい、つうか、なんなら、三大都市圏っぽい

三大都市圏人間が、「私は雅を介します!」みてえな顔して、都市風景を詠み、しか生意気にも季語なんかを盛り込んだり、古語っぽい表記をしてみたりするわけじゃないですか

そういうのはよくないし、許せないし、許すべきではないし、許されるべきではない

絶対に許さないからな

「ちんぽくっさあ~」は夏の季語

ムワァ~

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん