はてなキーワード: 論陣とは
また詭弁だなあ。
「カラスは黒い」だってアルビノのカラスを一匹探しだしてくれば「間違い」ってことになっちゃう。
「あらゆる」を追加しだした時点で
実際的な議論から逃走して現実とは無関係な論理的な話に逃げ込んだというサインでしょ。
たとえば「男は女より筋力がある」という言説があったら
これは傾向の話であって「あらゆる」のような究極論理の話ではないから
君が試みたのはこれと同じインチキだよ。
このように論理立ててどんなインチキかと指摘できない人を相手にするときなら
話をうやむやにして引き分けにするぐらいの効果を発揮することもあるのかもしれないけど、
(足の遅いケニア人を1人連れてきても傾向は否定できないというのは先ほど触れたとおり)
トランス女性の権利は守られるべきだけど、じゃあ生まれ持って女性の人の権利はどうなるの?更衣室やトイレで受け入れないのは差別?押し付けないでほしい本当に。
「“トランス女性の権利”を守れ」ではなくて「“女性”を女子更衣室から排除するな、“女性の権利”を守れ」と言われている。
「トランス女性の権利は守られるべき」といいながら、彼女たちを女性専用スペースに入れないことは端的に言って論理矛盾である。それ、彼女たちの権利を守ってないじゃん。
「トランス女性」という「女性」とは別の生き物がいるわけではなく、トランス女性は「女性」の内側に属す区分であり、「すべての女性」が使用可能な場所は当然彼女たちも使ってよいというだけの理屈が、なぜわからないのだろう?
「トランス女性など存在しない、彼らは男性である」と主張するか、「トランス女性も女性である以上女子更衣室や女子トイレを使う権利はある」でなければ論理的に矛盾をきたす。
どちらかを選ぶべきならわれわれは後者を選ぶべきだろう。
前者を選ぶというのならどうぞ保守派と共闘して反トランスの論陣を張ってくれとしか言えない。
男性の肉体が怖いんだよ。男性の体のほうが圧倒的に強いというどうしようもない事実があるわけですよ。そういう人が更衣室に入ってきたら、トイレに入ってきたら、そりゃやっぱもうめちゃくちゃ怖いわけですよ。
女性レスラーも女子トイレに入るべきではないのか。逆にモヤシっ子で小柄な女性にも負けそうな膂力の男性がいたとしたら、彼は女子トイレに入ってもよいのだろうか。
9月8日にシュナムル氏がツイッターでつぶやいたラノベ表紙問題、そしてそこから派生したキズナアイ問題について。約一カ月遅れではあるがこの論陣に参戦してみたいと思う。
「きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。
自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力だよなと改めて思う。」
シュナムル氏は、最近のラノベの表紙を女性の体を性的に異様に誇張して描いている、と書いている。
はてな界隈では性的消費のワードが注目されているみたいであるが、私個人的にはこの前段の文章の方に違和感を覚えたという言うか、引っかかった。
ラノベ表紙に描かれているのは雑誌モデルのように実在の人間ではなく、物語上の非実在のキャラクターである。
非実在のキャラクターなのだから被害者が存在していない。だから性的消費云々の問題以前に一体これの何が問題なのだろうか、という反論がはてな界隈でも出ていた。
だがここで重要なことは、表紙絵のモデルや下地になっているのはリアル社会における現実の女性一般である。ロマサガ2に出てくる人外のサラマンダーのような完全な架空の生物でない以上は、現実社会の女性をモチーフにしているはずなのだ。
である以上は、ラノベ表紙に描かれている女性キャラクターは「女性一般を性的に消費する」ことになるのだ。
女性の人格を無視して性的な存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳の侵害である、というフェミニストの主張は筋が通っている。
しかし、ここでシュナムル氏やフェミニストたち、はてな界隈が見落としている点がある。
問題のラノベ表紙に描かれている女性の絵は、確かに胸や露出を誇張してエロ要素を前面に出している。
しかしこのような格好をすることができるのは一部の女性(キャラクター)だけであろう。
何が言いたいかというと、ラノベ表紙(だけに限らず雑誌やテレビなどにも共通するが)に登場することができるのは、一定レベル以上の美人や可愛い容姿、スタイルを持った女性だけである。
シュナムル氏もこの点を分かった上で敢えて書いていないのか、それとも本当に見落としているのか定かではないが…。
「自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれている」とシュナムル氏は書いているけど、それは間違いである。
ラノベ表紙に描かれているのは、一定レベル以上の容姿の女性キャラクターという記号としての普遍化されている「シンボル」である。※シンボルの部分を「アイドル」とも「偶像」の言葉に置き換えてもいい。
ラノベの表紙からはブスキャラクターは徹底的に排除されているわけであり、この時点でシュナムル氏の言う「女性一般の身体を性的に異様に誇張して描いている」という話は破綻している。
ブスは女のカテゴリーから排除する、という暗黙の了解が存在しているからだ。
性的消費されているのは女性一般ではなく、一定レベル以上の容姿の女性だけであり、ブス一般は別に性的消費されていない。
何度も言うが、「美人一般」が性的消費されているとしても、それはあくまで「美人一般」だけであって、決して女性一般は別に性的消費されていない。
今回のゾーニング論でも「規制に根拠はない!」「中身を読めばそうじゃないとわかるはず!」「実際に本屋に行けぇ!」「性的消費の定義はなんだぁ!」みたいな頭の悪い意見出てきたけど、自分でそれに対してどんな反論がくるかとか検討してないのがまるわかりなんだよね。
えっ
どんな反論を付けるの?
1「規制に根拠はない!」は同感。具体的に子供にどれぐらいの悪影響が現にあるのか、全然データが示されないままいきなり規制の話しててビビる。放射能騒動みたい。
2「性的消費の定義はなんだぁ!」にも同感・・・というより前提では?共有されてないコンテクスト(性的消費)を振り回して、定義を訊ねられただけで不機嫌になるというのは論外だよ。
3「中身を読めばそうじゃないとわかるはず!」これは中身の問題じゃないから何言ってるのかわからないね。
4「実際に本屋に行けぇ!」これは1に繋がるかも。実際の本屋でどれぐらい子供が被曝してて、被曝の影響がどれぐらいなのかを示してもらわないと。