はてなキーワード: 育児放棄とは
メンヘラDQNな親よりどうしようもないものはこの世に存在しない
定期的に増田でお外での子どもの振る舞いの躾の話や子どもに掛けるお金の話になるたびに戦慄する
https://anond.hatelabo.jp/20220529201646
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220529201646
はてなーというか、ブクマカとブクマカを兼ねてそうな増田は生きづらいボクわたし・パパママが多いので
平然と育児放棄・公共の場で迷惑をかけることを開き直るが爆サイ住人やママスタの住人だってまだ取り繕うぞ
極端な話、子に重い障害があったって親の精神が健やかで経済力があればZ武さんみたいな養育は可能
だが生きづらいボクわたし・パパママは開き直りあらゆる努力放棄・利他の精神皆無なので経済力も安定したメンタルも期待できない
生きづらいパパママのお世話がかりが確定よりも重い子どもが負う負担など無い
生まれてこない方がよかった命は存在しないし優生思想を支持するつもりはないので
>労働問題は性別関係なく女性も男性もそれ以外の人も含んだ日本の問題であって男の問題ではない
日本人がモンキーとかブサイクチビアジアンと差別されてるとして、白人に理解してもらうために白人に寄り添って白人たちの心を揺さぶるためにWhite Lives Matterをやる必要があると君は主張しているが僕はそうは思わない
Black Lives Matterは常に単体でMatter
>過酷な労働は女性も強いられているので性の問題ではなくて労働を取り巻く人権意識や遵法意識の低さの問題
考え方が間違ってるね
家事育児しない奴は組織に参加していません。父親ではないし家族でもないし男でもありません。そいつは子持ち男ではありません。育児放棄してる人です。ゴミであって人間ではありません。もし参加できないなら他の何かで徹底的に埋めねばなりません。家事育児ができないのなら自分の小遣いで家事育児を外注して家政婦やナニーを雇ってパートナーを助けるべきです
仕事命というのではなく、子育てそのものを忌避するのが当然であり幸福に繋がると考える男性は結構いる。子供が泣いていても素知らぬ顔で過ごす男親を見たことはあるだろう。彼らの中にはその親やシンセキ、大学の先輩や仕事仲間などを通じて、いかに子供と関わらずにいられるか、特に新生児など最も手間のかかる時期を回避できるかを学ぶ。残業が1番楽な回避方法なのはいうまでもないね。接遇とかもそうだ。
家に帰っても妻の冷たい目を回避して、子供の鳴き声をいかに脳内からシャットダウンするかを色々な方法で学んでいる。
世の中の女性にはなんだそりゃかもだが、地域ごとにそういう文化が根付く例もある。
時代に逆行しているが、むしろ近年の育児パパは異常なんだよ。あっても一部の回避パパがパフォーマンスとして形だけ参加しているのが殆どかな。
育児放棄するやつよりマシやん
しかし社会は両立させることが正義で、両立させないことは悪、何ならハテナでは育児放棄する父親はDV野郎みたいな感じになってるじゃん?矛盾してね?
特に日本人はとにかく臭いものに蓋をしたがるし、見たくないものを見ないようにするためならどんな支離滅裂なストーリーも平気ででっち上げる。
ていうかマジな話、仕事も育児も要求水準はどんどん上がる一方なわけで、俺やお前らは自分の能力や体力がそれに追いつく勢いでどんどん上がってると感じられるのか?全くそんなことないだろ?昔の小学生が1年かけて習得したことを1ヶ月でどうにかできるようにはなってないだろ?だったら全部やるのは無理なんだよ。どう考えても。
1月27日の初公判に、上下黒色のスーツ姿で入廷した梯沙希被告(26)。髪の毛を染めていたのであろう、毛先だけが茶色く残っていて、逮捕からかなりの月日が経過したことがうかがえる。
2020年6月5日から13日にかけて、東京・大田区の自宅アパートに長女・稀華(のあ)ちゃん(当時3)を9日間放置し、脱水症と飢餓で死亡させた、保護責任者遺棄致死の罪などに問われている。
起訴状などによると、梯被告はシングルマザーとして稀華ちゃんを育てていたが、交際相手の男性が住む鹿児島県を9日間旅行し、3歳の稀華ちゃんを自宅に1人で放置した。稀華ちゃんがいた寝室は電気が消された状態で扉には鍵がかけられ、外側にはソファーが置かれていた。
おむつを2枚重ねた稀華ちゃんの胃や小腸には飲食物がなく、口の粘膜は水分が足りない状態になって発見された。寝室には600mlの水とスナック菓子の袋が1袋、どちらも空の状態で置いてあった。
証言台に立ち、まっすぐ裁判長の方を見つめた梯被告は、検察官から起訴内容について読み上げられている際、手を握ったり、ほどいたりと落ち着かない様子を見せた。
か細い声ながら、はっきりと起訴内容を認めた。
「あんたなんか産まなきゃよかった」 母親は自らも虐待の被害者だった
法廷でまず明らかになったのは、梯被告が壮絶な虐待を受けていた過去と、母親との複雑な親子関係だった。幼少期、母親から日常的に殴るなどの暴行を受け、時には手や膝をガムテープで縛られ、そのままビニール袋に入れられ、風呂場に捨てられていた。包丁でおでこを切りつけられ、口を縫われることもあったと言う。
「あんたなんか産まなきゃ良かった」「お前は何も言わずに笑っていればいい」などの暴言も日常的に吐かれた。最初は母親に対して嫌だと主張したものの、止まない暴力や暴言に無気力になった梯被告は、母親の顔色を常にうかがい、笑って応答するほか為す術が無かった。
母親は警察に逮捕され、梯被告は施設に預けられ育った。施設でも周囲にいる人が母親と同じように感じられ、笑顔でごまかしたという。その後、再び母親と生活することになるのだが、母親は過去のことはなかったかのように接し、虐待により施設に入っていたことは、周囲の人間にも打ち明けることができなかった。
そう言った経験から“他人に逆らうことが出来ない人格”が形成されていったと弁護側は主張、「虐待を受けていない人と比べてどれだけ非難できるのか、どれだけ刑務所に入れておかなければならないのかを考えてください」と述べ、情状酌量を求めた。
一方、検察側は冒頭陳述で「稀華ちゃんを旅行に連れて行ったり、知人に頼んだりもせず、交際相手に会いに行った身勝手さ」や「自宅に放置したまま遊びに出かけることを繰り返していた常習性」などを指摘した。
検察側は論告で、「稀華ちゃんが最後までもがき苦しんでなくなったのは一目瞭然」であるとして「交際相手に会いたいという自己の欲求を優先させた身勝手な犯行」と指摘した。
また起訴内容以外にも19回にもわたって稀華ちゃんを放置したまま外出したことも明らかにした上で「育児放棄を常習的に繰り返す中で起こった犯行であることは明らか」として、懲役11年を求刑した。
一方、弁護側は、母親からの虐待や施設で育った過去が影響し、「強い愛情欲求があり、交際男性に愛されたい自己が強く出ていた」と述べ、加えて「積極的に傷つける意図はなく、憎しみを抱いていたわけではない」などと情状酌量を求めた。
梯被告は最終意見陳述で、証言台に立ち、涙を流しながら振り絞るような声で「ずっと変わらずのんちゃんごめんねって思いでいっぱいだし、全部後悔しかないです」と自らを責める言葉を口にした。
身勝手な“ネグレクト”が原因で起きた悲惨な事件その理由が“虐待の連鎖”だとしても、亡くなった稀華ちゃんがあまりに無念でならない。この母親に対して、司法はどういった判断を下すのか。判決は2月9日に言い渡される。
本人が不幸せでも「子供の幸せになるなら」というなら育児をするという選択肢もあり得るけど、本人が不幸せになるのに子供も不幸せにしか出来ないじゃん。それを「せねばならない」って考えるのおかしいんよ、この人。
結局、なぜせねばならないかって考えたのか想像すると「無職の育児放棄」と思われたくないという体面上の事しか思い当たらないんだよ。
先入観に囚われて選択肢が見えなくなってるのがよく表れています。
育児不適合者が体面だけのために子供を育てるのは誰の幸せにもなりません。あなたが無理に子育てするより夫の実家で育てられた方が子供の幸せに寄与します。それでもあなたは自分の体面だけのために子育てをするべきだと考えますか?
大学時代に付き合っていた相手の転勤をきっかけに退職して結婚。
そこまでは良かった。
子どもは夫とも互いに望んでいて、なかなかできなかったから不妊検査をしてタイミング法でようやく授かった。
妊娠後期までは平和に過ごしていたけれど、後期から体調不良に。
出産したら良くなるかと思ったら逆で、未知の生命体を生み出してしまって、
それを生かさなきゃいけない、もし死なせてしまったら罰せられるという恐怖感で、
それなら先に自分が死のうと首を吊って産後すぐに精神科に3カ月強制入院させられた。
未だに子どもは未知の生命体で、これが言葉を習得して、将来的に大人になるということが想像できない。
このまま子育てに戻れないと、子どもは夫の親権で離婚になると思われる。
その場合、現在専業主婦の私は単に育児放棄して親権を失ったクズで無職の母親になってしまう。
世間では、子どもが生まれたというニュースがあれば、当然そのあとは親がきちんと虐待もせず育てているのが当然で、
自分もそうできると思っていたのにできない。
今はとりあえず夫と二人暮らしをしているものの、自殺未遂騒動を起こしてから退院しても日常会話が一切なくなってしまった。
自分の親は家でずっと怒鳴ってる世間でいえば毒親だったけれど、それでも自分を大人になるまで育てている時点で、