はてなキーワード: 正論とは
20年くらい前の話。
電源をオフにする度に、「ブフゥ~!!」と、音を立ててた。
おじさんが息を吸い込むような音だった。ブフゥ~!!
すぐに取り替えてくれることになった。
エアコンの取り外し、取り付けをしてくれたのだど、
まあ、終始喧嘩をする。
まるでコント。
親方が電話のケーブルを何のためらいもなく切った!切った!切ったのを見てしまって、「ああっ!!」と声が出た。
すぐさま、
「なんでこれ切ったんだー!」と弟子に怒鳴って、
狭いワンルームで怒号が飛び交い、
私もどこにいていいのか何をしていいのかおどおどしながら、
ひたすらその光景を眺めた。
その後、
「知らない!」と言う弟子。
延々喧嘩が続いて、
わわわ!!どうしようと思っていたら、
笑いを堪えるのに精一杯。苦しかった。
どうしようかと迷ってる間に、ブ―――ッとインターフォンが鳴る。ピンポ~ンじゃなくて、ブ―――!!!
スタスタ部屋に入ってきた。
水を入れるとその容器に謎の粉を入れて真っ黄色になる。
世間知らずだったので、容器に水を入れようとしたら、
親方が飛んできて、
「俺の娘に話しかけるなーーー!」と怒鳴ってくれた。
親方、良い人だった。
エアコンを取り替えは無事に終了したが、
結局、退去した。
今日、思い出したけど、なんとなく良い思い出。
何でお前らは「どっちもやる」っていう概念がないの?
もろちん、コスト面でどっちかしか選べないってことはあるんだけど、
タイトルみたいなことを言うやつの事例って大概「並行してやりゃいいだろ」ってことばっかりなんだよ。
それか「お前がやれ」ってこととかね。
昔、松本人志がイジメに関して「死んだら負け(だから負けないでほしい)」って言った時に「そうじゃなくて『イジメたら負け』って言ったほうが良いと思う」みたいなことをさも正論みたいに言ってる奴がいっぱいいたんだけど、そんなことはお前が言えばええやろアホが。
「死んだら負け」はいじめられてる人間に対してかけている言葉であ、「イジメたら負け」はいじめる人間に対してかける言葉だからそもそも効能が全然違う。どっちも並行してやればいいだけやろがい。
セクシー小泉プラスチックスプーン46が「海洋ゴミ減らすということは海洋ゴミを減らすということなんです」って言った時も「海洋ゴミの8割は中国だからそっちを止めないと無意味」みたいなことをいう奴がいっぱいいたんだけど、言うほど日本の出す海洋ゴミが減ることが無意味か? 並行して中国に対してアクションを起こしていけばええだけちゃうんか?
さも「俺のほうがいいこと言ってる」演出のためだけに出しゃばってくるのやめろカス。
・そうかぁ?マスコミが政権の気に入らないことを言ったり書いたりすると、あからさまに圧力かけてくるじゃん、最近の自民党政権は。NHKの上層部の人事権なんかも半ば政権が握ってるようだし。
・マスコミって一緒くたにしてるけど、社によってかなり違うよねぇ。政権寄りか否かでざっくり順番つけると、新聞なら、産経>日経>毎日>朝日>東京じゃない?これ以外の地方紙は結構いまの政権に批判的な気もする。
・五輪は中止すべきだという主張と、開催中の五輪を報道することとは矛盾しないとも思う。
・十歩くらい譲ってマスコミのしていることの一部ないし全部が正論ごっこであろうと、世の中にいくつもの報道機関があって、何百人か何千人か知らんが大勢の記者がいて、そういう人たちが取材して事実や見解を記事にして伝えてくれることは、ごっこであっても有り難い。
はい、そういうわけでマスコミ各社が感動的なオリンピックという祭典をお伝えし始めました。素敵ですね、読者のみんなもそう思うでしょう、人の心を動かすイベントに立ち会えて。
五輪推進の営業部とスポーツ部の意向があって、一方で称賛するのとは反対の口で国民の生命をコロナから守れって言ってたのにね。でも、各社の紙面は今日もきっとスポーツの素敵さを伝えると思う。社員の皆様に置かれましては「感動的」な記事書いてて気持ちいいだろ?良かったね、金のために素敵な原稿を書いて。
コロナなのにこんなイベントをやるのは間違っとる、もっと素敵な社会があるべきだってがなりたてる筋と、それと反対に感動を読者にって社内で揉めまくっとる状況が併存するのに、金のために読者の生命を危険にさらしてまで開催を肯定するのが新聞よ。
だってそうしたほうが売れるじゃん。開催に至るまでの取材に金もけとるし。すごく単純な話で、新聞をたくさん売らないと会社がなくなっちゃうんだよ。
大昔にも、ジャパンは窮地に戦争で追い込まれたことがある、敵国はけしからん、ぶっ飛ばすべきであるってブチギレて新聞を刷りまくってばらまいて金を集めていたおじさんたちがいた。商品を刷るってことは利益を刷るってことだ。不偏不党なんて嘘だよ。煽れば煽るほど売れるだろ?昔は連中、売りに売って得た金を社内の飲み代にしたんだよ。マスコミで働いてたけど、そういう話聞いたことあるよ。でも今はとにかく利益を確保するのに四苦八苦している。そしたら尚更、金のためにってなるよな。
でも、忘れないでほしいのがかつてのおじさんたちが政府に半ば強要されて御用新聞をばらまいたとのかもしれない、という可能性を持っていることだ。いまのおじさんたちは政府から強要されずに社の方針と折り合いをつけて自ら進んでそうしたことをやっている。
言論の自由があるのに、そういうことやっちゃってる。
大昔の戦争では戦いの様子を伝えた新聞が売れに売れたらしい。今回もそんなもん。所詮マスコミなんてそんなもん。
だから、一つだけ本当に覚えておいてほしいことがある。これからマスコミがいろんな正しいことを言って与党を責めるだろう。おれも与党はいろいろよろしくないことをすると思う。っていうか嫌いだ。にもかからず、だ。マスコミはどんなに正しいこと言っても、所詮、コロナで人の命よりも自社の儲けを優先させた連中なんだってことを忘れないでほしい。
今後マスコミが正しいこと言って政府を紙面やテレビで責めたって、おまえらの金の儲け方省みろよって思ってほしい。マスコミは読者の味方だなんて思わなくていいと思う。所詮、高給もらって、一見正しいことをちん○しごきながら喚いてるいるメチャクチャなやつらだと思う。
本当にこの出来事を忘れないでほしい。こんなコロナで社会が成り立つのかどうかっていう局面であっても、所詮マスコミがばらまくのは正論ごっこよ。
ぐうの音も出ない正論
「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼びます。
とのこと。ここではベンチャー精神となっているが、冒険心と置き換えていいだろう。時に無謀な挑戦が、思いがけない成果に繋がることがあるというやつ。
この冒険心は、正論や論理性から導き出されるとも限らず、側から見たら狂信的、無茶、無謀、狂気といったものに見えることもあるだろう。
狂いに対する社会的な許容量が、先進性や新しい挑戦に繋がる。とすると、たしかに日本にそれが欠けているという見方もありそうだ。
ファーストペンギンの育成。腹ペコのペンギンが崖から海に飛び込むことを促すには何をすれば良いのか?狂いを許容し、枠から外れていくことを促すことはできるのか。
それには飛び込んだペンギンの犠牲を許容することが必要となる。飛び込むペンギンを増やせば、成功も増えるが犠牲者も増える。これを受け入れる。
選手のこと考えてくれよアスリートファーストで行こうって言ってたのに
【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」 | 東スポの体操に関するニュースを掲載
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/gymnastics/3387282/
「東京オリンピックできないと思わないで」体操・内村航平が開催協力呼びかけ | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20201109/k00/00m/050/014000c
アスリートはお前らがどうなろうが知ったこっちゃないってさwww
それでいざ開催したら予選落ち
そりゃ笑われるよ
ブコメじゃ笑うなっていうけどね
増田と立場は違うかも知れないけど、私が表現規制について日々考えていることと近かった。
表現に対する批判について、「規制を要求するものではない」という前置きは、よく見かけるものだけど、
その批判のスジの中に「人権侵害」が含まれていれば、それは国家による強制力によるものでなくとも、
直ちに有形無形の圧力による、事実上の規制へ繋がるご時世なのだよね。
これに抵抗するのは、なかなか難しい。
SWO副代表もその辺りはよく分かっているようで、彼のコメントでも、肝になる部分はここだ。
ホロコーストを冗談めかして語ることが「ユダヤ人の尊厳」を傷付けるものだと言ってるのだよね。
これを「ぐうの音も出ない正論」と捉える人もいれば、
ホロコーストといえども、明確な否定論でもないものに対して「人間の尊厳」を持ち出すのは行き過ぎと捉える人もいるだろう。
もちろん増田の文脈に沿えば「ユダヤ人たる私が尊厳を傷つけられたように感じた」主張をすることに、何の障害もあってはならない。
ただし、このSWO副代表の主張は、小林氏に釈明や謝罪の機会すら与えず、問答無用で解任したことを支持する内容なので、
私はそれには明確に反対だ。
もちろんそれはまず、判断の主体である組織委員会に向けられるべきものだが、
20年前の表現について、釈明や謝罪の機会を与えず解任したことを正当化するに足る理由にはなっていない、
と私は考える。
私は小林氏やラーメンズに詳しくないが、多くの人が、この20年間に彼らの表現に対する姿勢が変わったことを指摘していた。
なぜ、その変化について、釈明や弁明が許されないのだろうか。
駐日イスラエル大使なども誤解したままだが、まず重要な事実として、
彼らが「ホロコーストを否定」したのでもなければ、「反ユダヤ主義」的な主張をしたわけでもないということは、確認されなくてはならない。
「コードに触れたら終わり」という事例が、徐々に増えていっていることだ。
その表現が、誰の人権を傷付けているのか、傷付けているとすれば、どの程度傷付けているのか、
それは、その表現が置かれた文脈を幅広く見据えた上で、なされるべき判断だ。
不快感と、人権侵害のあいだに、明確な一本の線を引くことが難しいことは理解しているが、