はてなキーワード: 収容所とは
元はDCインサイドという別の大手掲示板から削除された過激/有害な書き込みを集めたまとめサイトが発祥だが今は独立した掲示板となっている。
必ずしも批判的な蔑称というわけではなく、外国人も各地域の有名料理の名前を付けて使用する。
寿司女、カレー女、ウォッカ女、フィッシュ&チップス女等。
イルベは女性蔑視のかなり強い男性中心のコミュニティなので女性からの批判の声も多いが、中絶情報を共有してるようなお前らが俺らの道徳性を批判してんじゃねえという意味が込められている。
イルベユーザーは全員障害者扱いされているのでキリクキリク(車椅子や義足などを使うときに生じる擬音)を合言葉のように使う。
アニメオタクに対し気持ち悪いから一生隔離場所に閉じこもってろという意味が込められている。
全羅道(イルベでよくイジられている地域)を理由もなく批判するために使用。
ちなみに丸焼きとは死傷者340人となった大邱地下鉄放火事件が元になっている。
全羅道住民が批判されることを恐れて別地方出身/在住を騙ることに由来。
「慶尚道民です」と書き込んだ後に逮捕された青年が全羅道住民として報道された逸話は多くのイルベ民の爆笑を誘った。
盧武鉉元大統領の演説動画と音楽を合わせて使ったMAD動画などを指す。
盧武鉉元大統領+無限RTの造語。Twitterなどで行われる工作RTなどを指す。
盧武鉉元大統領の漢字姓。韓国語で「ノー」の音になる部分で無意味に使われる。
イルベ民が5月23日にSNSやメッセンジャーアプリのプロフィール画像を上下反転させる習慣を流行させ物議を醸した。
ネカマが男性のオナニー動画を言葉巧みに入手しそれを材料に金銭を脅し取るモムケム詐欺が流行した。
急発進や前方確認不足でまともなドライバーを驚かす女性ドライバーをヘラジカに例えている。
フェミニストに都合の良い言葉だけ並べて本心はセックスしたいという下心しかない男のことを指す。
意図的にこれを装い多くの反論を集めるレス乞食も問題になっている。
女性が女性という立場(女性器)を使って都合よく金銭的に得をするテクニックを指す。
女性というだけで男性に奢られることやホワイトデーの数倍返しの要求、女性器を使い金銭的に余裕のある男性と結婚し扶養に入るなど。
ガンとは雌のことを指し、また存在が癌的であることも指している。
誤報や誹謗中傷問題などの責任がよくイルベ住民に押し付けられることに由来。
イルベユーザーであることをカミングアウトすることを指す。大抵の場合ドン引きされる。
女性だと自らカミングアウトすることに加え、「俺も男だが~」から始まる女臭さを隠せてない女性擁護の書き込みなどのことも指す。
コミュニティの崩壊を招きかねないので大変な禁忌とされている。
とある地域で特定の政党の支持率が90%を超えたことを受けどこかの国のようだと思ったイルベ民が作った造語。
整形モンスターを指す造語。主に人造人間のような顔と胸を持つ女性を指す。
金大中元大統領が北朝鮮への金融支援で実質的に核開発に貢献したことからつけられた蔑称。
ペンギンとはバットマンの敵キャラであるペンギンと顔が似ていることからついた。
憲法9条がなければ自衛隊の気分で国民が銃殺される世の中になる
第2次世界大戦・太平洋戦争/大東亜戦争末期の沖縄戦、久米島には鹿山正曹長率いる日本海軍通信隊・守備隊が駐屯していたが、わずか34人という少人数であった。これに対して久米島の人口は約1万人。
1945年6月23日の組織的戦闘終了後、6月26日に久米島にも米軍が上陸するが、久米島守備隊は島民が米軍に協力したら自分達はひとたまりもないと恐れ疑心暗鬼に陥りスパイ狩りを始めた。
6月27日には米軍の降伏勧告を持ってきた安里正二郎氏を射殺。これを皮切りに久米島守備隊はスパイと疑った人物の殺害を繰り返し、女子供問わず一家皆殺しにしたこともあった。8月15日のポツダム宣言受諾以降も虐殺は続き、直接の殺害だけで26人は死亡した。
久米島守備隊は9月7日に投降し屋嘉収容所に送られた。鹿山曹長は収容所で久米島島民からリンチを受けたようだが、住民虐殺は日本人(朝鮮人を含む)内輪の事件として罪を問われることはなく、本土へ帰還した。
事件表面化
1972年に虐殺事件が明るみになると鹿山氏は進んでマスコミの取材を受けた。
「処刑は住民ではなく部隊を守る行動であったとして正当な業務行為であった」
「少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人道的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ。」
旧日本陸軍砲兵隊の軍曹としてミンダナオ島の対米攻防戦に参戦された。そのすさまじい死闘を経て、敗戦も知らずに部下戦友と共に人跡未踏のジャングル内を何ヵ月も彷徨。友軍兵の白骨化した死骸群の中、"共食い"など人間として極限を超えた飢餓地獄を、強靭な理性・忍耐力と創意工夫で見事に乗り越えられた。
中隊指揮班の功績係という立場にいた著者の凡張面さから、その折節の実証をスケッチ付きで克明に記録。それを米軍の捕虜収容所内でまとめあげ脱稿、復員時に苦心して持ち帰り、今日まで温存されたという。それだけに、自分をさらけ出したその内容は、鬼気迫る当時を生々しく再現して小説よりも奇なる実録(ドキュメント)の迫真力十分。思わず引き込まれて一気に読ませられるものがあります。資料価値も高いと思われます。