2020-01-23

anond:20200123161255

障碍者を「人間」として扱うためだよ。

人間には人権があるので殺してはならない。

 

逆に言えば、植松理論は「障碍者人間ではありません」という主張なわけだ。

これはいろんな理屈から認められない。

まず第一に、心情がある。障碍者の息子が生まれときに、母親に「これは人間ではないっすね~」とかアホか。そんなことにしたくない。

第二に、無知のヴェールで有名なロールズ的な判断功利主義理屈がある。もしも植松自分障碍者になったときに、自分人間ではなくなったと認めるのか。そうではないだろう。だいたい、それはリスクだ。リスクは少なくすべき。

第三に、政治倫理思想面の困難も発生する。障碍者といったって軽度と重度がいるわけで、極論、メガネ必要な人は視力障碍者だよ。そのすべてをの非人間扱いするわけでない以上、線をどこかで引くわけだが、それはどうするのか? 植松は喋れるかどうかみたいな雑な判断で線を引いたけど、それが正解とは限らないよね。植物人間ときにも赤ん坊中絶関連でも散々もめてる。答えなんかでるわけない。一律で人間扱いするのがベストだと思う。

 

いま盛んに報道されてる、植松批判の話も、だいたいは「障碍者が『人間』じゃなくなるのがヤバい」と言ってると思うよ。障碍者当人言葉だったりするから、心情面に話がよりがちで、元増田みたいな考えの人にはお気持ちしか見えないかもしれないが。

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