はてなキーワード: 主婦とは
最近、『テレビCMを使わない企業が増えた』というのが解説動画でチョイチョイ増えてるんだけども…適当なYouTuberに案件を依頼するのを見ると「テレビから脱却しても進歩してないやついるんだね」って思う。
結局さ…客単価で考えたら商売の王道は「毎日使う・買う人」に認められるかどうかなんだよ?
スーパーで無駄遣いしてたっかい買い物するのはお父さんかもしれないけど、主婦のおばちゃんが買い物したくないスーパーなんか長持ちしない。
「お母さん食堂なんてけしからん」と言うバカがいるけど、本質から逸れてる。あるジャンルではお母さんほど当てになるものはないんだぞ?バカにすんなよ
お母さんに限ったことじゃないよ。
オタクが一番当てになるものもあれば、おっさんが当てになるものもあるし、デブが正しいこともある。
それをレッテル貼るな?
違うだろ!
自分のレッテルだからこそ説得力があるモノを見つけて語っていく方が大事だよ。
ネットでよくわかんない難癖で批判してる人たちとか、よくわかんないスパム広告・案件振りまいてるやつって結局そこなんだよ。
自分が最も真面目に取り組んで信用を得ないといけない相手や商売から逃げとる。
「お母さん食堂なんてけしからん」と言うバカがいるけど、本質から逸れてる。あるジャンルではお母さんほど当てになるものはないんだぞ?はまじで意味が分からない。
虐待ってまあ頭の悪い人間が無計画に子づくりしているパターンもあるのですが
まあまあ収入がある家庭でもあるんですよ。そういう系の仕事しているから見かける。
たまーに講習も受ける。
そのなかで虐待というのは環境が起こすから、虐待者もある意味被害者であるという考え。嫌悪感、反吐が出る。
あまり外にも出ず、他人との関係もなく、主婦という役割しかない。孤立感、焦りや不安から苛立つだろう。
結果目の前の弱い生物に当たるしかない。他に発散方法を知らないから。
じゃあ子供はその怒りを虐待者に向けるのは間違っているのだろうか。お母さんは誰にも相談できなかった。だから君はサンドバッグになってくれ!許してあげてくれな!
そう言っているようにしか見えない。
もちろんそこまで言っていない。それは私が虐待の当事者であるからこそ過剰に反応し、虐待者に対する感情が人一倍強いため、悪者ときめつけてしまう。
しかし虐待を受けていない人間は虐待を受けてしまった人間を本当に理解することはできない。あくまで座学で学んだ虐待の発生機序しか知らず、被虐待者の虐待者に対する殺意なんて知りもしないし、知ろうともしない。
私の母は私が幼稚園に入るか入らないかの頃には、一人でご飯の支度を出来なかったんだな。母方の祖母がメインでバリバリ家事をこなしていたからだ。
あるとき、私の従妹が肺炎をこじらせて長期入院してしまい、祖母が従妹の家に家事と看病の手伝いに行っていた。それで母が一人でご飯の支度をすることになったが、ガス釜でご飯を炊くことにすら失敗し、釜の中を黒焦げにしていた。おかずもかなり不味かった。
そんな母だったが、祖母の体力が落ちてきて家事をやりきれないことが多くなり、夕飯の支度なんかは母が仕事から帰って来てから怒りながらやるようになっていた。
「なにこれ、何もやってないじゃない! 昼間ずっと家に居るくせに、一体何をやってたの!?」
と、祖母に腹を立てながら。私は日中祖母が何をしているのか知っていたが、祖母はもっぱら掃除と草むしりと畑の世話と私ら孫達の世話をしていた。まあ普通に田舎の農家の主婦の生活で、夕方になると力尽きてしまい、早くに布団を敷いてその上にぶっ倒れて寝ていた。母はその、完全にへたばってしまった祖母の姿しか見ることがないので、怒るわけだ。
祖母は癌になって入院し、手術をした。乳ガンだったが、今ほど周辺組織を温存するという発想と技術力のない時代の手術なので、片胸と共に周りの筋肉組織まで根こそぎ削がれるほどの、大手術になった。結果、昔は物凄い勢いで家事などに勤しんでいた祖母は、殆んど家事が出来なくなった。
体力が無くてあまり家事ができないというのは良いとして、働けなくなった途端に、祖母の性格がガラリと変わってしまったのが、母には怒り心頭ポイントだったかもしれない。祖母は今まで面倒見てやった恩をこれからは返していくべきだとばかりに、母をこきつかいつつ依存するようになった。
私はその頃も祖母とよく行動を共にしていたから知っているんだけれど、丁度その頃、祖母の昔からの友達は続々と隠居していた。
祖母のお友達の家に呼ばれて行くと、祖母のお友達は家事を何もせず、台所の隅に設えられた女用の炬燵に当たっていて、お嫁さんがちゃきちゃきと家事をこなしていた。お嫁さんは、姑に対してすごく良い笑顔で従順に言うことを聞いている。まあ、実の母娘じゃないからそんなコミュニケーションをしている訳だ。
祖母はそんな隠居暮らしに憧れがあるようだったが、母はというと、実の母親から姑がするような仕打ちをされるなんて勿論当然だとは思っていない。ていうか、本物の姑だって、嫁をやたらこきつかうタイプの人ではなかったのもあり……。
そんな訳で、母は新婚の頃から祖母を家に置いて家事育児農作業を任せ、自分はバリキャリをするという人生プランを立てていたが、それを祖母に呆気なく突き崩されて急速に病んでいった。
当時まだ年齢一桁台だった私には、急に家庭内が不穏になっていった理由は、全部目の当たりにしているにもかかわらず全然解らなかったのだが、大人になった今振り返ると、そういうことなんだろうなと思う。
祖母が元気だった時期は食卓に並ぶ料理はいただきものでない限りは祖母の手作りだった。母が作るようになってからは、スーパーで買ってきた揚げ物を、家の使い回して古くなった黒っぽい油で揚げ直したもので、私はよくそれを食べて油中りしていた。父なんかは知らないだろうが、おかずの多くはスーパーのお惣菜だ。それが私にとっての母の味。
小学校高学年くらいになると、うちの近場にもコンビニが雨後の竹の子のようにあちこちにポコポコと建つようになった。スーパーのフードコートも充実するようになった。その頃の母はノイローゼとメニエール病で動けなくなり、土曜の部活の為の弁当は、お昼頃に父がコンビニやスーパーで買ってきたおにぎりやパンを学校まで届けに来てくれて、私は校門の前とかで受け取っていた。
母が寝込んでいるか逆に遅くまで働いて家を空けているのを、両親特に母が「可哀想」だといって、私ら子供達を外に連れ出せない埋め合わせとして、家にはスナック菓子やカップラーメンやジュースが沢山あり、おやつにはフードコートで買ったらしいお好み焼きとか焼き鳥をもらい、夜ご飯には茹でたパスタにパスタに混ぜるふりかけをかけて各自食べる、みたいな食生活だった。
そんな我が家だったので、コンビニの「お母さん食堂」というコーナー、そんなものは私の子供時代には名前としてはなかったけれども、実質そういう中食の類いが、小学生時代からの私を育ててきたのだし、四つ離れた妹なんかにはむしろ、それが完璧に母の味というものだったろう。妹は、祖母が出汁用の鰹節を毎朝削ってた頃のうちの食卓なんか知らないわけだから。