「オーストラリア」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オーストラリアとは

2024-02-26

anond:20240226171523

病気だなあ

日本からオーストラリアキャンキャン吠えてどうするの

現地に飛んでこの広告キャンセルされるのは間違ってる!って叫んでこいよ

anond:20240226175641

オーストラリア広告炎上してH&Mが謝罪した案件が、「中国民主活動家炎上して本人は逮捕され謝罪して「共産党が正しかった」と納得済みの案件」に似ていると、本当に思っているの?

印象操作しようとしてるわけではなく、本当に似てる?

anond:20240226011818

H&Mの広告問題になったオーストラリアでは、男性保育士が90人の女児に対し数千回の猥褻行為をしていた事件ロリペドはやべえと大騒ぎしてる中で例の広告が投入された

レオンは今回は全く関係ない

ナタリーとその親は、本来脚本ではセックスシーンがあったのを抗議してなくさせたり撮影当時から「なんかなあ・・・」という思いはあったそうだ

2024-02-25

anond:20240225164038

どうでもよくないだろ

同じ海外でもハワイ山火事ウクライナ紛争トルコモロッコ地震ガザ地区の爆撃、トンガ噴火インドネシア過労死韓国雑踏事故などが日本的にも問題となる中で、オーストラリアの性被害けが見過ごされてよい理由にはならない

ハイコンテキスト炎上は延焼しない

H&MとCOMIC LOの件

 

そもそもH&Mが炎上したのもハイコンテキスト過ぎた

前段階に「幼女への性的虐待事件があったことで過敏になっていた」があったらしいし

(これかな https://news.yahoo.co.jp/articles/eb5147993bec33865c19a25060cc0ff8476833f7

 

そっからの「一見すると問題ないように見える画像オマージュ」でエロ漫画家が「あくまエロくはない画像」を投稿するっていう

これさどう足掻いてもコンセンサスも取れないし、記事にもできないんだよね

 

まずオーストラリアフェミニストの主張が過激すぎる

性犯罪問題だろうけど、H&Mは「H&Mのファッションで注目を浴びよう」しか言ってないし

これで炎上はやり過ぎっていうのはヤフコメですらそうだったからね

 

ここでもしエロ漫画家画像エロ絵にしたら「実在モデル性的に描いた」で燃やせるんだけど、言うほど性的ではない(扇情的ではある)し

これ突っ込むと誰かが言ってたけど「LEONはじゃあアウトなのか問題」っていうややこしい話になってくるから

 

いやー燃えないっすわ

記事にするにあたってCOMIC LO説明しなきゃならないし、そしたら本旨ずれるし

無理だね

anond:20240225182517

ジャニーズの件はイギリス様がいなければジャニオタは「不細工キモヲタ童貞嫉妬」で片づけていたし

女児被害揶揄パロディの件もオーストラリア様がいなければロリオタは「ブスフェミババア嫉妬」で片づけていたよね

すべての批判動機嫉妬に集約するタイプは確実にキチガイなんだよな

日本国児童を性虐待し放題の国だけど

ジャニー喜多川少年虐待しても、日本国ではそういうのがセーフだから無罪のまま何十年も放置されてきて、BBC報道されたのがきっかけで突然大問題になったし

LOの件も日本ではセーフだけど、オーストラリア女児の性被害問題パロディ揶揄した作家の件で、ジャニーズBBCみたいに白人パワーで燃え広がるのかな?

日本国児童性的搾取し放題の、性犯罪者にとって自由な国だけど、イギリス人とかオーストラリア人とか『白人外圧』が入ってくると急に大問題みたいになるよね

白人外圧』がなければ「一部の神経質な人がなんか騒いでるだけ(嘲笑)」って感じで、ジャニー喜多川児童虐待表現放置容認されるのが日本お国

anond:20240225163626

オーストラリアにもLOがあったらそんなことは起こらなかったんじゃねえの(ライフル協会理論

anond:20240225170249

思われたのではなく、不適切表現であったので炎上した。

他の増田も言ってるように、オーストラリアでは保育所勤務の男が多数の女児への性的虐待を加えた事件があって世間の目がピりついていたというのも影響している。

そして、日本にもその内容が到達し、絵面がダメなの?どこがダメなの?フェミニストの癇癪?と最初は何故この広告炎上するのかわからない、という内容で話題になった。

そしてそれを目にした絵師エロ漫画キャラクターに変換した絵にして、実在する人間(未成年)をモチーフ性的コンテンツに関わる絵を描くなんて等の炎上に発展

H&M側はの意図ではロリコンの注目を集めようという意味ではなかった(かもしれない)が、その時起こっていた社会的問題も含め不適切表現であった

実際にロリコン視線を集めたのではなく、フェミニストの言ってることがおかしいと思う側の人間表現によってさら炎上した。

anond:20240225165733

オーストラリア女児被害で殺気立ってるところに「笑いがとれると思った」で放火しにいってるもんな…

anond:20240225145537

え、オーストラリアで大量の女児保育士に性加害されてた話が「どうでもいい社会問題」ってことになってんの?

anond:20240218185208

オーストラリアは異常なので異常者から批判なぞ無視すれば良い。

あのイラスト問題はそこではなく、LOが掲げる理念の危うさ、タッチ(物理)しなければ実在女児健全写真を大っぴらに性的妄想材料にするという「YESロリコン、NOタッチ」の欺瞞を露わにしたことにある。

H&Mの広告問題だって言ってる人たちさ、

COMIC LO編集部より読者の皆様へ | 茜新社

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/

↑この記事で圧倒的に★を集めているトップブコメが、以下のもの

hutaai774a7b

前段階として豪の保育所で91人1600件超の児童性的虐待発覚、社会問題化→H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝炎上撤回日本人LO作家が茶化して炎上の流れ。2次と現実の切り分けが出来ていると言う欺瞞

2024/02/24 リンク yellow156yellow



H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝炎上

はてブでもこれがあたか事実のように語られているが、Buzzfeedが続報したように、

この広告攻撃し、炎上を煽ったメディア評論家のメリンダ・タンカード・リースト氏の批判投稿

女児服を性的に~」みたいな内容は別にないようである

Buzzfeedによる続報(訂正?)記事

H&M、制服姿の女児広告撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア

https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/hm-girls


そもそも初報の段階での小宮先生による解説も、戸惑い含みというか、歯切れの悪いものだったよな。

小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論ポイントになっていると考えられる。

広告一見すると、女の子性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子主体性が描かれているともとれる。

しかし、だから問題ないという話にはならない。あくま広告には作り手がおり「どういった価値観表現しているのか」が問われる。



小宮先生初見で「これのどこが問題なんだろう?うーん、でも批判正当化せねば」と頭をひねったであろうことが伝わってこないか

しかしメリンダ氏の投稿は「性的虐待に対する危惧」ではなくアパレル企業子供にまでルッキズムを煽ること」への批判が主である

小宮先生ちょっと困って「などが議論ポイントになっていると考えられる」といううすらぼんやりした表現を使ったのではないか

それでも広告狩りを正当化したい人々が「Make those heads turn in ~という表現性的ニュアンスが強い」などと言い出したが、

記事を見る限りオーストラリアではこの表現自体は別に問題視されていない。

この光景ももはや何度見たことか、日本ネット民の悪い病気の一つだと思う。

だいたいさ、はてブ最初ホッテントリ入りした以下の記事ブコメを見てほしい。


女児性的対象化につながる」H&Mの広告批判殺到→削除し謝罪 消費者広告とどう向き合うべき?識者に聞いた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686

性的対象云々以上にルッキズムを煽ることへの批判でしょ。とくに女児にオシャレに対するプレッシャーをかけることが正しいのか。


女児は思った以上に気を付けて見ておかないとすぐにおしゃれを通じて承認欲求を煽られる事で摂食障害危険な整形手術にシームレスに繋がってしまう現状を知ってるかどうかでこの主張の理解度変わると思った


性的じゃなくて、性差別的な点が批判されてるわけでしょ。そしてH&Mもその指摘を理解したと。


大人視点子供押し付けてないかという問題だと思う。女の子から見てこの広告は素敵に映るだろうか?個人的には子供より大人・親へのアピール感が強くて微妙


批判は正しい。ナニを表現したいか、そして、広告からこそ、受け手評価がすべて/印象としては、女児を素のまま広告塔にする意図が透けて見えるから気持ち悪い。これでケバケバしくヘイクしてたら気持ち悪くない


男子2人の親だけど、子供消費者に仕立てあげるマーケティング活動が年々対象年齢を下げていることに危惧を覚る 経済的自立が可能な年齢を対象にして欲しいと、子供が接する各種メディアを横で見ていて思います


これくらいでと思うかもしれないが、その“これくらい”が無数に積み上がって若い女子の無理なダイエットや拒食過食整形などに繋がるので。男子未成年脱毛や整形希望が増えて親が困ってたり他人事じゃない。


表現の自由と、ルッキズムに煽られてすぐ摂食障害やら港区女子になってしま女子リスクと。家庭で教育したくとも外の世界で友人や雑誌漫画アニメ広告から影響を受けてしまうのよね。



性差別である」(男児モデルがいないか???

大人価値押し付けている」

子供消費者にしようとしている」

女児ルッキズムに煽られて摂食障害になる」

女児を素のまま使う広告意図が透けてみる。ケバくメイクしてればキモくない」(これが一番意味不明。素のままか???

言ってることバラバラじゃねえか。

なのに全員が「これは誰がどう見ても◯◯って意味でしょ。普通わかるでしょ。ロリコンどもはとぼけるな」ってテイなのがまたよくわからん

非難してる人たちも「正直どこが問題なのかよくわからないが、白人様によるリベラル的な立場から性搾取批判っぽいか肯定せねば(使命感)」みたいになってないか

それの行き着く先を想像してみてほしい。STARTOなんか即廃業やで?

anond:20240225093320

それが、英語で(オーストラリアで)広告につけられたキャッチコピー大人の女性性的な意味で魅力がある、注目を集めるって意味で使われる文脈なのでポーズや色が相まってそういう意味に見えるっていうのが本当のところらしい

児童ルッキズムを植え付けるって意味でも批判されてるけど、女性的な魅力で注目を集めるっていう風な意味合いが、児童性的対象化に繋がるって元記事翻訳の方が正確


というか他国児童性的対象化するなという炎上関係ない日本批判すること自体そもそも気持ち悪いし、広告炎上することへの批判ってだけでは収まらいからね

そこにわざわざロリコン作家イラストをつけて批判したら児童性的に見させろって流れでしかないんだわ

日本ロリコン大国なんて言ってオタク叩きのための道具にされたりしてるけど、児童性的虐待に関してはヨーロッパアメリカオーストラリアの方がよっぽどな感じなんじゃないだろうか

キリスト教牧師だか神父だかが子供に手を出してたとか定期的にニュースになってるし

今回のオーストラリアの件もそうだし

anond:20240225031901

マジでLOが許されない存在だって自覚皆無すぎて笑うわ。

オーストラリア空港スマホ児ポ画像入ってますねって日本男が逮捕されて一年以上の懲役くらう国なのに、LOなんて存在宣伝するだけでヤベェと解ってない。

anond:20240224225741

それでわざわざ児童ポルノに厳しいオーストラリア炎上案件に乗っかって、日本児ポ漫画家さんが日本の子エロ宣伝して何になるわけ。

アホかよ。

2024-02-21

日本オーストラリア社会成熟

オーストラリアでは相次ぐ女児への性加害事件を受けて社会として「未成年性的な目で見てはならない」という風潮が生まれており、

そのことで今回話題になったH&Mの広告撤回されたし、日本アニメ未成年性的描写するようなものは厳しく規制され、実写でもAカップ女性児童ポルノ連想させるからポルノに出演することを禁止するなどの対策が行われている。

表現の自由戦士が「私的復讐もの作品禁止されないのと同様、未成年に対する性犯罪を描く作品禁止されるべきではない」と主張し、内心の自由戦士が「実際に手を出さなければ未成年性的な目で見ても問題ない」と主張してそのような規制に待ったをかける日本と比べてなんと社会成熟度に違いがあるのだろうかと思う。

2024-02-18

anond:20240218123432

バカネットニュースかどうかわからんけど

オーストラリアでH&Mの広告がでる半年くらいまえに1500人くらい幼女を性虐待した男性保育士がつかまったため、

保育園小学校低学年になる娘にどうやったら魔手を逃れられるか頭を絞ってる保護者(実質の購入者)の存在も大きいだろうな

ルッキズムだけではないが元増田のA’(性犯罪者が野放し状況での「女の子らしい」衣装)にしろ

CDしろ

要素は満たしたんじゃないの

H&Mの炎上に飛び込んだLO漫画家は本当に馬鹿だと思う

https://twitter.com/3goutotugekihou/status/1758623928388661444?t=Dk1pmyHG6gIfOOh9LdEpzg&s=19

H&M炎上で騒いでるオタクは、まずこの炎上オーストラリアで起こった事や、キャッチコピー批判が集まった事を理解していないのではないか

オーストラリア日本より遙かに子供性的対象にする事に厳しい、スマホ児童ポルノを入れて入国しようとした邦人男性空港逮捕され禁錮1年4月の実刑判決で豚箱にぶち込まれたこともある。

イラストの力は強い、児童性的客体化に繋がると批判された広告児童モデルに、日本児童ポルノ雑誌で描いている漫画家エロイラストを描いたと言うのが流れたら批判が起こるのは間違いない。

海外から日本児童ポルノ批判が起きかねない。

冷笑しただけ、釣られた、どこがエロいんですか、コミックLOに詳しいんですねと笑ってるロリコンオタク共は馬鹿じゃなかろうか。

日本児童ポルノが潰れるとしたら外圧が一番有力なルートだろうに自ら招き入れてる事すら解らないんだから

女児性的対象化につながる」H&Mの広告批判殺到→削除し謝罪 消費者広告とどう向き合うべき?識者に聞いた

https://maidonanews.jp/article/15133686

性的衣装とは何か

性的目的で考案、作成された衣装(A)」又は「元は異なる目的のものであってもある状況下で性的目的に用いられるとのコンセンサス社会的に生じた衣装(A')」を指すと仮定する。

たとえば「穴あき下着」は前者A、「亀甲縛り」は後者A'の例だろう。そして、それらが批判対象とされるのは、

「それらが性的喚起力を高くもつとの合意が現に社会的に維持されている(B)」こと、そして「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する対象にそれらの衣装を着ける(C)」ような場合(つまりAorA'、かつB&Cの場合)と仮定する。この場合、結果として現れる表象それ自体公序良俗の取り締まり基準を満たしているか否か(D)とは、また別の問題として扱う必要がある(Dは、どんな文脈でも社会的提示するのは一発アウト、みたいな基準と考えられたい。生性器のドアップ写真、とか。ただこの場合も、「公序」の制限とかけはなれた特殊な状況、場所で許容されるのは言うまでもない。医学書とか。)。

以上を前提として、先日話題になった「オーストラリアのH&M広告炎上」の件と、昨日来話題の「咲バニーガール衣装」の件を合わせ論じたい。先に結論を述べれば、A~Cの基準が異なれば議論が噛み合わないのは当然であり、相手非常識扱いしてヒートアップするのではなく「相手との間で異なっているのは何か」を考える必要がある。相手が、いかなる表現100%許されると考えている人(つまりDなどないよ派)でない限りは、見解が異なるだけで、対話余地はあるはずだからである。ではまず、オーストラリアH&Mの件を整理しよう。

オーストラリアのH&Mが子供向けに「新学期ファッション」をテーマとした広告を打った。広告は、通学バス社会を想起させる色合い・デザインの背景に、かわいい通学服を着た女児2名がちょっと生意気そうな雰囲気で振り返り、「この子らを新学期ファッションに振り向かせよう」みたいな煽り文句がついていた。これが炎上謝罪撤回に追い込まれた件である

まず、この広告がDに違反していないことは言うまでもなく、それでも炎上したことに対して、いろいろと文句をつける人がいた。多くの人は「こんな程度でいちいち文句をつけるなんてちょっとヒステリックでは…」みたいな反応であり、個人的にそう感じる気持ちもよく分かるのだが、でもちょっと待ってほしい。女児制服ファッションとして扱うのは、このキャンペーンがまさに狙っていることであり、ファッション一種性的喚起力だととらえるなら、この広告は「生意気そうなモデルの表情」「かわいい制服」といった文脈で、Bを印象付けたわけであり、その結果、制服がもともともつA'の文脈制服に対して性的視線を向けるという界隈の文脈)を喚起した結果、Cに抵触する(保護されるべき女児制服を着せあざとい表情をさせて晒し上げる)という批判を生んだという風に考えることができる。このことは、A'に陥りがちな服装ファッショナブルな(あるいは扇情的な)存在として扱うときには常に注意すべき危険であり、BからA'→C違反、という道筋がすぐ描かれてしまうことに、広告関係者は神経を尖らせる必要があるだろう。その意味でこれは、「月曜日のたわわ」の一件との連続性が高い問題だった。あれも、Dには全く違反しておらず、おそらく制服でなければ問題化もしなかった広告が、一言の少しだけ扇情的キャッチコピーを添えられただけで炎上したが、これはもともと危うい位置にある存在で更に一歩危うい方向へと歩を進めることで起きたトラブルなのだと考えるのが適切である

ただし、表現とは常に時代の尖端で社会常識と切り結ぶのが仕事であり、そういう突破力を否定し切るのもいかがかと思う。社会的に(まだ)アウトですよ、と指摘するのはいいが、相手悪魔化したり、あまつさえ、様々な社会問題の根源や責任がそこにあるかのように攻撃したりするのは、慎むべきだ。社会の様々な問題は、多くの場合間違いなく社会のものの中に有り、そちらをまず片づけるべきであるゴミの多い都会を描いた漫画があるとすれば、取り組むべきは都会のゴミをまず片付けることであって、漫画の取り締まりではない。

次に、「咲にバニースーツ着せた姿の広告炎上」した件。これに対して「高校生バニーガールなどという性的衣装を着せた絵が広告として駅頭に出るとは、常識外れもはなはだしい」という指摘が出た件である一見すると、上のオーストラリアの件以上にひどい案件に聞こえ、即取り締まられてもおかしくないように感じられることだろう。この場合、それが一般的公序良俗違反(D)の案件である必要はない。たとえば、制服の上から亀甲縛りをした少女を描いた広告にOKが出るか、と考えてみればすぐ分かる話だ。Dに違反していなくても、これはA'かつBかつCで明白にアウトである。では、「咲+バニースーツ」はどうなのか?

バニースーツがAであることは誰も否定はしない。従って、論点は、B「それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか」、また、高校生が「性的存在として眼差すことへの禁忌社会的存在する」ことは前提とした上で、これらの少女が「高校生である」ことが明示されているか、の2点ということになる。

C 「咲」に登場する少女高校生であることは明示されているか? これについては、残念ながらこの広告に関する限り、疑わしいとしか言えない。批判者は咲が麻雀部に所属する高校生であるとの知識をもって批判しているが、咲はそこまで社会的認知度が高い漫画ではない。アニメ化されたとはいえ視聴率は1%に届かない程度、DVD売り上げでも、1期7758枚、2期4939枚、3期4565枚…。(※)アニメファンには実写化映画化……とされた人気作のイメージがあるかもしれないが、社会現象になった数々の作品に比べれば売り上げが一桁少ない。加えて作品ジャンルが「麻雀」という、一般的にいって高校生とは結び付けづらいものだ。この広告を見た多くの人が「高校生バニースーツ」という風に見る、と主張するのは難しい。ただし、一定年齢層以上の人で、アニメ画は全て少女ロリ)にしか見えない、という意見をお持ちの方がいることも、一応認識はしている。

(※DVD売り上げはhttps://nizilove.com/category/number-of-anime-sales/page/2/の値。)

B それが性的喚起力の高い服装であるとの社会的合意があるか? おそらく批判者が一番「何を言ってるんだ?!」と思うポイントであり、今回一番議論が噛み合っていないところだと思うが、Aのような服装時代を下るにつれてBの意味合いを失っていくことは、歴史的にはよくあることである。たとえば、髪型一つとっても、「結わない髪は淫らである」といった固定観念が、遊女などの流行を取り入れつつ徐々に変遷し(※)、現代の人は単に「かわいい」という感覚で振り乱した髪の毛を奔放になびかせているのはご存じのとおりだ。「そんな髪型は昔は遊女流行らせたもので…」と説教をして、いま、一体誰が首肯するだろう? 時代が下ればある衣装が「もともともっていた意味合い」が薄れていっても、何も不思議はない。つまり、たとえAであったとしても、時代によってBではなくなるということは別に不思議ではないのだ。

(※たとえば参考:「『女髪結』考」https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21365/files/KU-1100-19940930-01.pdf

では、バニー衣装はどうなのか、といえば、これはまさに時代が変化しつつある過程なのではないかと思われる。自分は決して専門の立場ではないが、そもそも夜の店の主流がキャバレーキャバクラ等へと変遷していく過程で、「性的接待衣装としてのバニーガール姿」というのはもはや古典的イコンとなり、現役の「風俗衣装」としての意味合いをかなり失いつつあるのではないか。たとえば「社長さん」御用達で半世紀以上の歴史を誇る「エスカイヤクラブ」では、支援の声を受けて「ワンランク上のおもてなし」としてバニーガールによる接待をうたっている(https://www.esquire-club.co.jp/general/about01/)が、これなど、バニーガール姿がほとんと「祇園芸妓」的な存在と化しつつあることの表れではないだろうか? そもそもの出発点においてからが極めてトレードマークコスプレ的な衣装であったバニーガール衣装が、現代においてコスプレ的ではなく生き延びている事例というのがどれほどあるだろう。

そのような時代の変化の過程において、「バニースーツ性的!」という批判と「ただのコスプレじゃん?」という意見が、まさにBをめぐる議論として立ち現れてくるのならば理解ができるし、それははっきり言えば単なる「時代感覚の差」の問題に過ぎないと思われるのだ。たとえば、高校生文化祭メイド服を着る、あるいは、小・中学生習い事ポールダンスを学ぶ……ある年代以上の人からすると、目が点になるのか三角になるのか知らないが、そんな事例であろう。だがそれらは、時代の変化の中で起こるべくして起こる変化の一様態しかない。

まり、これらは決して表現の自由だとか差別かいった問題ではなく、単なる「年寄り若者時代感覚の違い」に起因する問題だと認識した方がいいと思う。ならば、相互批判しあう人たちも、この問題からいずれも学ぶことがあるはずなのだ。こういった問題で、敵味方を作ってがあがあがなりたてるのはよろしくない。何よりも必要なのは、分断ではなく対話理解であるはずなのだから

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん