はてなキーワード: イントネーションとは
森下千咲
すごいと思うところ
前期は上田麗奈とかいうこれまたすごく上手い声優がみゃー姉というぼっちキャラを演じていてすごいなーと思ったが
若干違うベクトルですごい
上田麗奈が何でもできる技工派だとすれば、森下千咲は「元からこういう声なんだよね?」という自然さがある
当たり前だけどアニメは声が聞こえないとまずいわけで
「小声っぽいけどちゃんと聞こえる」って難しいんじゃないかと思う
どうやってんだあれ
疑問系のように語尾が上がることも、断定のように語尾が下がることもなく
ただ無意味に声に出してみたような抑揚になる
これ、喉が未発達な幼児でも起こるんだけど
抑揚がないから下手に感じる人も居るようだけど、あれは上手い、自信ある
キャラの視点が定まってないような時に、ぼそっと発する声の演技、トップレベルだと思う
たぶん本作の主人公は、小動物系とギャグテイストを混ぜることで、絶妙にいやらしくないラインの可愛さを追求してると思う(カツヲの持ち味。ばらスィーとあずまきよひこの中間みたいな)
その「あともうちょいやりすぎると媚び声」っていう、ギリギリのラインを上手く攻めてると思う
アレを再現できてると思う
エンディング曲とってもいい
ちなみにこの声優は主役初らしいので、他にどんな演技をするか分からない
楽しみである
あ、ラジオ聞いてみるか
生まれ育った市町村の方言やイントネーションがベースで、これはいまだに抜け切らなくある
高校は同じ県内だけど少し離れた別の市へ通っていて、そこではその市周辺の子が多かったからその土地のイントネーションや方言、言い回しがうつって全てではないけど定着した
大学で上京したら今度は全国あちこちの友達ができて、方言が残っている子のイントネーションがなんとなくうつった
余談だけど、保育園から一緒だった友達は同じく上京して早々に方言が抜けてギャルになった
前の仕事で香港に行くことがあって、商社のおばちゃんとカタコトの広東語で話していたら「発音がうまい」とほめられた。これもイントネーションがうつったのと近いのかな?と思う
今の仕事は大学の時と同じで各地の人と話す機会が多いから、またいろんな土地の方言やイントネーションがうつってしまっている
全部一時的なものではなくて蓄積されているので、普段からいろんなところの方言やイントネーションが出てしまう
私の母は東京生まれ・東京育ちなのに、イントネーションが時々おかしい。
「千と千尋の神隠し」と言うと、「千尋」が「ち↑ひ↓ろ↓」になる。「宮城(みやぎ)」に近い。
「この世界の片隅に」と言うと、「片隅」が、「か↓た↑す↓み↓」になる。苗字の「田所(たどころ)」に近い。
先程、3文字の言葉でも変なイントネーションがあったが、なんだか忘れてしまった。
その他の言葉には特に都民の言葉として違和感のある訛りや言葉遣いはない。最近できた新しい言葉や固有名詞がおかしくなりやすい。
新しい言葉と言っても「くまモン」や「PayPay」のような固有名詞ならおかしくなるのもまだ分かる(私は初め、「ポケモン」「定例」と同じイントネーションで読んでいたが他の人と話してみた時に気づいて直した)。
人には悩みの1つや2つあると思う。
私の悩みは「人の名前を覚えられないこと」
何度聞いても覚えられなかったり、1ヶ月以上かかったりすることもあった。
大学時代は3人覚えるのに3ヶ月かかった。(イントネーションが似てた)
「人の名前が覚えられない」という話をすると
決まって「大体そんなもんだ」「俺も覚えられない」と言われた。
でも、その先輩達はすぐに名前を覚えてる。比べると、やっぱり自分はダメだった。
正論や、今まで散々言われてきたアドバイスと同じことを言われたりしてきたけど
結局は違った。
友達に「覚えられないってどの程度なの?」と聞かれた。
程度を聞かれたのは初めてだった。
状況を説明すると、「あー、そんくらい大丈夫だ」と言われたので
「俺は2年一緒に居る人の名前を覚えていない」
そういわれた。確かにそうだった。
「人の名前を覚えるには、会話に何度も名前を挟みましょう。なんども呼びましょう」
そういわれてた。
だから、名前を思い出し、呼び続けなければいけないのかと思ってた。
でも、違った。
少し自分が許されたような気がした。
今後似たように悩みを抱える人がいたら
友達と同じように、状況をしっかり掘り下げて聞いて行きたいと思う。
しっかり知った上で、自分はどんな状況かとか話していきたい。
同僚と行った居酒屋で、外国人の店員さんにオーダー伝えたら、頼んだものとまるで違うものが来た。
野菜の漬物っぽいものを頼んだのに、豚のジャーキーみたいなやつ。どこをどうしたらそうなるのか、と思ったが、指し示した写真付きメニューが並んでいたこと、あとは日本語の発音は全く違うのだが、イントネーション、音の高低が似たような感じだったかもしれない。
店員さんはどうしていいか分からないようで何も言えないよう。しょうがなく、いいよいいよ 注文と違うけどこれで、と受け取った。
その後、そろそろラストオーダーか、という頃に 先程の店員さんがテーブルに来た、飲み物のおかわりは、という。
ずいぶん飲んだしそろそろいいかな、などと思っていたら店員さんがいう「サービスですので、1杯ずつ わたしから」。
「英語警察」のせいでコミュニケーション離れが加速、SNSでの警笛はもはやパワハラの域
「いきなりSNSにコメントが書かれ、“発声が違う、だらしがないねえ”と説教をされた」
「“そんなんじゃネイティブには通じない”と言われた」
「“イントネーションが薄い”と言われたかと思えば、別の人には“もっとイントネーションを抑えて!”と言われた」
「“経営者の英語が下手”“海外でビジネス(笑)”“私ならこうする”など、記事にコメント、またはメンションを飛ばされる」
『英語警察』という言葉をご存じだろうか? インターネットから派生したとされる言葉で、日本の著名人などが英語でスピーチしている動画をSNSでシェアして、警笛を鳴らす警察官よろしく「違反」を指摘する人たちのこと。
こういった『警察』たちが違反の切符を切るのは、だいたいが起業家。特にアピールを心がけている人たちは、英語警察の遭遇エピソードには事欠かないという。
冒頭のエピソードの数々が、そんな英語警察との遭遇報告だ。おせっかいを超えて、もはやマウンティングからのパワハラの域といえるものもちらほら。
「私はもう慣れましたが、1回の『警察』の指摘で、心が折れ、そのまま人前で英会話をすることをやめてしまう人も少なくない。“いろいろ言われたくない”“悪目立ちしたくないから”なんて、英語にネガティブなイメージを持っている子もいる。英語警察さんたちのせいで、英語を話すを日本人が減っているんじゃないかと思います」(英語科の大学生)
ちょっと話はずれるけど。
東北から東京に進学してきた時、普通に喋ってるつもりなのに「訛ってるね!」とめちゃくちゃ言われた。別にそれだけなら気にならなかったんだけど、自分が日常的に訛り喋るのを知っていながら会話中に訛が出る度に指摘してくる人がいるのがすごく嫌だったなあ…しかも指摘する前に必ず鼻で笑ったあとに「その単語、◯◯だよ」って言うの。
彼はそれ以外は良い人だったから、いい加減やめてくれと言ったらやめてくれたけど(それでもまだ時々指摘される)。
でも彼は関西人には訛を指摘しないし関西人のイントネーションを聞いて笑ったりしないしつーか他の人の別の地方の訛を聞いても笑ってらの見たことないんだが
書いてて悲しくなってきた
関西生まれ関西育ちの私は、「同じ国民=同じ仲間」だと思っていた東京都民から想定外の敵意を受け、思わず愕然としました。
台風の影響でたくさんの飛行機が飛ばなくなって、彼女の旅行社に苦情が殺到したときがあったそうです。
「飛行機飛ばへんのかいな!!どうにかせえや!!!!!」関西方言はときに、乱暴で攻撃的に聞こえます。
関西の中でも、大阪や神戸といったド関西とは少し離れた田舎で生まれ育った私には、そのことは感覚的に理解できます。
高校生の頃、部活動の遠征でしばしば田舎から神戸まで出てきたものですが、自分たちと異なるイントネーションや語彙に違和感を持って、親しみを感じにくかったおぼえがあります。
「なんて乱暴な話し方だ。やっぱり関西の人は礼儀知らずだ。」彼女やその同僚たちが至ったのは、このような結論だったそうです。
(そもそも私や彼女らが、関西方言に乱暴な感じを覚えるのはなぜでしょうか。
それは自分と異なる性質の人間の集団に対して、危機を感じることと関係があるとおもいます。
なぜ自分と異なる性質の人間の集団に危機を感じるかというと、異なる価値観を持つ人間は、自分に攻撃してくる可能性が大きいからです。
これまで維持してきた生活や考え方を揺るがされることは、人間のアイデンティティの危機をもたらします。そして人間にとってアイデンティティの危機は、生命の危機とも言えます。(実はこの辺りはまだよくわからない。教えて欲しいです。))
ひとくちに異なる価値観といっても、例えばわたくし関西(の田舎、、笑)人からみると、東の標準語は比較的洗練されて聞こえます。なぜでしょうか。
東京の人たちから関西方言が野蛮に聞こえるのは、自らが住む地が日本国の首都であるという自負があるからではないかと、今は思っています。また、地方の者が東京の方言を洗練されていると感じるのも、同じ理由からだと思っています。
繰り返しになりますが、東京生まれ東京育ちの友人から関西に対する偏見を聞いた経験は、私にとって非常に衝撃的なものでした。
これまで身内だと思っていた「日本国の首都、東京」に対する認識が覆されました。すなわち、自分が「日本国」だと認識している範囲について、懐疑的になったのです。
具体的にいうと、これまで北海道から沖縄までを日本国だと思っていたのが、実は「自分が認識できている範囲=自分の周囲の人間関係や社会」を日本国であると思い込んでいるだけではないか、と疑うようになりました。
私は以前中国の上海に留学していたのですが、文化や習慣、環境の違いから、ホームシック気味になるときもよくありました。「日本に帰りたい」と強くおもうときもありました。しかしそのときに帰りたいと思った場所は、果たして「日本国」なのでしょうか。それとも、単に「自分の家や友人、地域、地域の文化」が恋しかっただけなのでしょうか。
国ってなんなんでしょう。
今の世界では「国」が一つの基本的な単位になっていますが、その「国」ってなんなんでしょうか。