・逆に、ニューウェーブみたいにユニット推しだったのが徐々にキャラが立ってきて個別に登場するケースもあるよね
・デレステのローディング1コマではフリスク以外との絡みもあるから、そんなにフリスク一辺倒という印象はないけどなあ
・あずきちは着物要素をお紗枝はんに持ってかれちゃったのがダメージ大きそう。大作戦もあるにはあるけど
・ほのかちゃんはぴにゃとセットというのが強力な武器になってはいるけど、逆にぴにゃ頼みになってる感もあるかも
・忍ちゃん、好きよ。東北から単身飛び出してきての立身出世。劇場592話の帽子の回とかすごくいい
・柚はすごくかわいいし、実際に人気も高いはずなんだけど(総選挙の順位も高かったはず)なぜか影が薄いんだよなあ。
昨日くらいの増田でちゃんみおのことが書かれてたけど、柚とちゃんみおってキャラが被ってるのかもしれない
・デレステからの参入だとはじめからフリルドスクエアありきみたいに感じるのかもしれないけど、モバマスでははじめからユニットだったわけじゃなくて段々と仲良くなっていく過程を見てるからむしろユニットとして活躍してるのを見ると感慨深いものがあるのだけど
・とりあえずモバマスのシンデレラガールズ劇場でアイドル名検索してみれば、フリスクのユニットとしてだけではない別の顔も見られるし、今読み返してみたけど、個別の活動もしっかりやっているうえで、仲良し4人組での行動も増えてきてる感じで、いいバランスだと思いましたよ。ええ。(贔屓目)
・ガールズビーについてはまだそこまでユニットとして固定されてる印象がないので保留
・他に複数人で互い違いにユニット汲んでるのだとセンゴクランブ系かなあ。丹羽ちゃんあやめ殿たまちゃんとかあのへんもいいよね。メンバーが固定じゃなくてけっこう流動的だけど
・新宿プロムナードのときみたいにユニットできゃっきゃうふふしてるのを見てるだけで楽しいんだから、それでいいと思うのだけどなあ
死んでどうぞ。
「むむ…、jt_noSke様の居られぬときに
このようなことになろうとは…。
信じると手痛い目にあうぞッ。
このある増田嬢を「話がわかるッ」の手に
渡してはならん。いまこそ、
マスダスポリスの誇りを見せるのだッ!」
騎士c_shiika
「異国のランサーよ。どこの者か?
何故、この村の争いに関わるのだ。
父祖の代より続く争いだ。
縁なき者の来る限界集落ではない。
このヴィレッジを望むのか?
答えられよッ!!」
風説使い
騎士c_shiika
風説使い
たいそうな褒美をもらうとしようッ。」
騎士c_shiika
「PVのために騙るのか。愚かなッ。
ならばここで果てるがよいッ!」
辛すぎる
一話のうちに台詞の吹き出しが相当数あるが、その台詞に非常に多種のフォントが用いられているはずだ。
過去の人気漫画、ドラゴンボールやスラムダンクと比較するとその違いは特に顕著だろう。
私はこのフォントの数の多さにいよいよウンザリしているのである。
少年マガジンでもなかなかの多さ(もちろん連載している漫画次第というところはあるが)である一方で、モーニングやスピリッツ等の成年向けではそこまででもないことから、
少年漫画にその傾向は顕著だということなんだろう(別にワンピースを貶しているわけではない)。女性向けは正直なところあまり読まないので分からない。
台詞のフォントは漫画のストーリーを飾る・盛りたてる・伝えるにあたって欠かせないものであることは重々承知しているし、フォントをシーンや登場人物の感情に合わせて変えることは必要なことだ。
しかしながら、私にはその多すぎる使い分けを目にしたとき、「このシーンはこう読む・解釈するんですよー」と作者と編集者に押し付けられ、馬鹿にされているような気がしてならない。
そもそも私自身がその漫画・雑誌のターゲット層から外れているからそのような安っぽい表現技法が余計に目につくんだ、外野がぐじゃぐじゃ言うでないよ、という可能性ももちろんある。
みんな裕福になったら、主観的には裕福を感じなくなるのではないか。みんな平等になるから。
海外と比べたらまた変わってくるんだろう。
私の弱小サイトでも上のほうに浮上するらしく先週に比べ3割り増しぐらい収入が増えている。
季節の変動もあまりないサイトなので、キュレーションサイトのおかげとしか思えない。
前職には待遇面での不満はなかったし、
しかし、異動先が不満だった
それがキュレーションメディア
DeNAさんではないが有名企業がやってるキュレーションメディアだ
キュレーションメディアがどうやって運営されてるかを知るいい機会にはなった
あの部署は自社内に大量のバイトライターを用意し、記事を増やしていた
完全にフリーのユーザが書いた記事なんてなかったんじゃないかな
2chまとめと大して変わらない
それでもなんでその部署にいたかと言うと、いつの間にか部署が異動していたからだ
そんなおり、その部署で唯一キュレーションじゃなかったサイトが閉じるかもしれないという話になった
部長判断的にはキュレーションメディアになれば残す。じゃなければ閉じようくらいの感じ。
まぁ、厳密には違うけどニュアンスはそんな感じ
キュレーションが嫌いです
こういうと何人かの執行役員はこう切り返す
好き嫌い言えると思ってるの?会社だよ?命令すればそれで終わりだよ?
そして私は退職を決意した
私はそれがやりたい
昨今のキュレーション叩きを見ると
ホントにあの時キュレーションメディアに異動しなくてよかったと思う
キュレーションメディアなんて全部なくなればいいのに
やまもと隊長の介護ニュースの記事のバックナンバー読んでたら、
続きものじゃなかったかなー、と思って検索してみたんだけど、勘違いみたいだった。
●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ、問題行為が繰り広げられている。
確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
●今で言う鉄道系リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体を自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化のスケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義や新自由主義の発展」、「世界の肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
◯「オウム真理教」では疑心暗鬼にかられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織の崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀にカルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である。
◯人間は電波系として生まれるのではない。どこかで偏見や憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。
集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代・刹那主義世代・理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激な思想を生むと思われる。
ひょっとしたら電波系は実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。
こいつらは自分で切符などを買いあさり、故意に集団でその沿線で移り住み
をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!
カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家の集団移住よりもよっぽどふざけてる
こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。
最近やたら安い駐車場や駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?
最近は公共交通利用促進ポスターが都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道やバスなどの公共インフラをならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道やバスの需要を適正化させる有効な効果にもなると思われる。
一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通が再生される。
鉄道の利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣な人間だけがふるいにかけられることになり、彼らのような異端な存在は、「世論の良心」によって糾弾を受けることになる。
大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限とマイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国や台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである。
「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市部から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通の目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティを実施するべきだ。←ほんとこれ
自分達の歪んだ行いを「昔からの伝統だ」とか「都会人の文化を馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。
少なくとも何らかの制限は行わなければならない。
ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在をいつまでものさばらせておいてはいけない。
私自身、高校時代に鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆の意見が既に存在するからだ。
昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。