名古屋だっておどろいていいのよ。桶狭間(地名)、長久手戦場公園(でっかいショッピングセンター)、徳川美術館の千利休の遺品泪の茶さじ、などがお迎えしますぞ。関ヶ原はいっつも雪ふってるぞー。
安心せい俺も1作目みてない。テンポが非常に良くてお祭りみたいな気分で楽しめる。ミッションインポッシブルとオーシャンズ11を足して2で割ったような映画だと思うとイメージしやすいかも。
ゴジラとこれ、どっち見るか迷って残席を確認したらゴジラがガッラガラなのにこっちは行きたかった時間が満席な上に次の上映も残り2席しかなくてそんなに埋まってるなら...と選択したが正解だった。
「君の名は。」は、同人業界やエロゲを2桁年月で追ってるキモオタから家族連れや中高生カップルまでイケる幅広い客層に対して
減点・加点方式どちらでも高得点狙える上手い出来をお出ししたのが良かったのだろうと思う。
以下疑問点へのツッコミ。
・主人公2人はどうして惹かれ合ったのか?
三葉は憧れのイケメン都会男子生活を満喫するのに忙しくてそんなことしてる場合じゃないですよ。
何時入れ替われなくなるか分からないので、この後も長く付き合わなきゃならない相手かも知れないですし。
何故惹かれ合ったのかでいうと、ああも強烈な体験でお互いのことを知り合って惹かれない方が創作的にどうかと思う。
・入れ替わっている時、年号が違うことになぜ気づかないのか?
自分が自分以外であることは分かっても、それ以外のおかしい点には気付かない夢とかないかな?
俺はTS淫夢とかTSケモ化淫夢とかよく見るので別に違和感なかった。
まあこれは「そういう条件の世界設定です」という前提部分であろうと思う。
・3年前に既に会っていることをなぜ忘れているのか?
…受験期間というナーバスな時期に、あんなキチガイじみた女子高生に遭遇していたら、
間違いなく覚えていると思うんだけど、記憶喪失にしては都合良すぎないだろうか…。
三葉の普段の髪型(3年前にあった姿)と、瀧が入っている時の三葉の髪型が別物(瀧は髪を結えないし組紐の存在も知らない)なので、
組紐のエピソードを思い出すまでその姿が瀧の中で連結していない。
・三葉はどうやって父親を説得したのか?
父親は三葉の母親や祖母が入れ替わりを起こしていたことを知っている。
そこで、瀧が持ち込んだ未来の情報と三葉が実際に入れ替わっているという確信を持って、危機回避に動いた。
しかし、三葉に入った瀧が山頂で入れ替わってその後の説得を託す展開はちょっと強引だとは思う。
味見してみても味がどうとか塩気がどうとか正直全然わかんないんだけど、逆にみんな味見であんなに色々一体何をどうやって判断してるの?って思う
舌が痺れるとか、目がチカチカするとか、コショウ入れすぎて辛すぎるとか、むせるほど酸っぱいとかだったらさすがに、あっコレなんかヤバイなってわかるけど
それすらスプーン一杯とかじゃ全然わからなくて、小鉢に一杯とか食べないと全然わからないし、そんなことしてるとどんどん減ってしまうのであまり味見できない
そもそも目指してる味のビジョンも記憶も特になくて、今口に入れたこれは自分的にはおいしかったかな?どうかな?って基準しかない
昨日食べたものと今日食べたもののどっちが美味しいとか、前作ったときと同じ味かどうかとかよくわかんないんだよね、全然思い出せない
わかんないから分量通りに入れてみて、大体全部「うん!おいしいじゃん!」って思っちゃう、今日のトマトは酸っぱくてどうこうとかわかるわけがない
調理失敗しても気付かないパターンだと、焦げてるとか煮詰まってるとか火が通ってないとかがよく指摘されるから、その辺がガバガバっぽい
大抵の野菜なんかお腹空いたら生でもバリボリおいしく食べちゃうし、あんまり気にならなくて「うん食べれる食べれる、オッケー!ウマいじゃん!」って感じで気付かないんだよ……
常にその時食べたい気分のものが一番おいしいよね、ぐらいのゆるい感じでしか味を判別してないから、おいしいのハードルが人より低いんだろうな
あと自分的にはちゃんと何らかの味がするしオッケーと思って出しても、大抵味が薄いとか味がしないとか言われる
増田が挙げた例で言えば、
「認知症」で尊厳が傷つくとすれば、尊厳とはつまりは理性のことだ。
「寝たきり」で尊厳が傷つくとすれば、尊厳は行為あるいは行動力のことだ。
「生きるために生きている」ことで尊厳が傷つくとすれば、尊厳とは自由のことだ。
どれも否だと俺は思うけどな。
別の味が良いってことを伝えて納得すればそっちも作れるだろうから
エヴァにハマったある年の夏、アニメ映画を見まくっていた中オススメされていた「秒速5センチメートル」は当時の自分には輝きすぎてて予告編だけで辛かったし、何より現実路線の恋愛話なんだろうと思って距離を置こうとしていた。それでも調べてみれば聖地巡礼というまだ聖地巡礼という行為がそこまで一般化していなかったあの時代にそういう事をしている人が居るという事はそれなりに面白いのとリアリティがあるのだと感じ、見た。まず出た感想が「絵が凄い」だった。それからは考察や聖地巡礼を通じて「秒速5センチメートル」は遠距離恋愛という距離と恋愛で構成されている事を理解したし、小説版で補完もした。何度見直したか覚えていない。その後、「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」と見た自分はいつの間にか新海誠作品のファンとなっていた。秒速もあってアニメ業界では有名だったけど一般人にはまだまだ有名では無かったからこの人の作品は凄いんだよと周りに言いまくった。
でも「星を追う子ども」で流れが変わったと自分は感じた。追っかけていた自分はまずあれをジブリに似た何かだと。それからは思考が停止したかのようにあの描写はジブリのアレ、これはあれ、みたいな感じで多くの描写を他の作品で出てきた物と捉えた。もちろん今でもそう言ってる人は居るし、初見であればあの光る石を見て飛行石だと感じる人も少なくないと思う。
それでも先日の配信で、2度目の「星を追う子ども」を見て自分はある事に気付いた。それは新海誠作品のテーマの1つに「生と死」がある事だ。自分が入った「秒速5センチメートル」では死というものはほとんど描かれず、生きるの辛いって言いながら生き続ける人の物語だったとも言えるので、これに気付かなかったのも仕方がない気はする。距離・恋愛という先入観から前の2作品ともこの状況下の恋愛はなぁ・・・みたいなのが無意識にあった事で、受け取る感情が制限されていたのかもしれない。ほしのこえは宇宙戦争、雲の向こうは昏睡状態(と戦争)が描かれ、星を追う子どもでは家族の生死が描かれている。だから自分にとって今まで新海誠作品というものは距離・恋愛・心理描写がテーマになっているものという意識をしていたけど、星を追う子どもを見たことで生と死というテーマもあるのだと気付かされた。また、星を追う子どもは公開が2011年とあの東日本大震災から間もない頃で正直な所、生と死なんてテーマを扱った時期が悪すぎたというか運が悪かった感じがあるのだと思う。自分にとってはあの出来事もあってそういった部分をシャットアウトしていたのかもしれない。断言しておくが被災者ではない。だから先日見た時は家族(または親友)を抱きしめたいという気持ちに一瞬駆られた。
自分にとって「星を追う子ども」はターニングポイントであると感じていたがそれは全く違くて、ただ「生と死」というテーマを強く出した新海誠作品以外の何物でもないという事になるし、その後の「言の葉の庭」も考えてみればいじめの様な生死の関わる話が入ってきたりエンディングで距離が生まれるという事は、テーマに沿っていた訳でやっぱり新海誠作品は最高だという事が分かった。このテーマは建設会社やZ会のCMにも出てきている様に自分は感じるし、どういったコンテンツであってもポリシーを貫いている監督は素晴らしいと素直に思う。
今回の新作「君の名は。」には予告編を見る限り、恋愛や距離、そして生死という新海誠が描くテーマが備わっているように見えた。自分にとって最高の作品になっている事に間違いない。だからこそ新海誠作品に描かれるテーマを今更分かった自分が、見に行って自我を保てるか不安でならない。(隙あれば自分語り 執筆時間30分)
結局のところFPSに関しては「VRを使うことで相手より優位になれるか」が一番の判断材料だと思う
今でも「超絶綺麗なグラフィックだけどちょっとラグ有り」と「最低画質だけど反応速度最速」であれば後者を選ぶでしょ
逆に言えばどんなに没入感があっても優位性がなければ絶対に普及はしない
VRを本気で流行らせようとするなら、ポジトラが荒ぶっても強力な補正で相手に絶対当たるとかすればよい
ガチ勢が大挙して購入する
あとは下がっていくだけだからある程度みて合わなかったら見切りつけてもいいと思う。
借りた人と深い仲になりたいとか、他の条件がないかぎり。
買って半年が経過。
かなり使い倒している。
プライム会員になれば、それなりの数の映画、アニメが見放題になるし、ダウンロードしてオフラインでも観賞ができる。
ジムで見ながら走ったり、エアロバイク漕いだりもできるが、なにより、子供にドラえもんやグデタマを見せて車移動を快適にできるのがいい。
ちなみに、Amazonビデオはテレビでも見られるので、会員なら落ち着いて見るときはテレビで見たらいい。
自炊した古いマンガをたくさん入れておいて、暇な時に少しずつ読んでいる。
旅行中も、今までは最低2冊の本を持って行っていたが、不要になった。
ひらがな、カタカナの学習アプリを入れて子供にやらせていたらあっという間にひらがなとカタカナを書けるようになった。
プライム会員なら、指定された本の中から月に1冊を無料で読むことができる。
しかし、実は子供と嫁さんに独占されて僕に回ってこないのが現状である。
自分で遊ぶ為に買ったのに。
と言うわけで2台目の購入を検討している。
2パターンある。
・なぜか知らんが、まったく味見をしないタイプ。
メシマズ系の話題を見ると、作った本人は味見をしないどころか、完成物を食べていないケースすらある。
毒殺か?
ただ、前者の方が希望がある。
メルトダウンと聞いて反射的にキノコガウンを想像してしまった。
森の中、木々の切れ間。苔の生えた丸石に囲まれた小さな広場で長老ドワーフが「ぬしこそまさに森の王者よ」と告げると、
そばに控えたドワーフの少女が色とりどりのキノコがびっしりと生えたガウンをしずしずと運んでくる。
少女に上目遣いでガウンの着用をすすめられたヒト種の青年は、彼にとってガウンというよりチョッキのようなサイズに戸惑いながら、キノコの毒の有無をしきりに気にしているようだ。
というシーンまで一気に意識が飛んで行って、フフっと口角が上がったところで、「何がおかしいの!?」と強い反原発思想を持った母親にキレられて現実に引き戻された。
頭の中で自動生成される景色はあんなに穏やかで素敵なのに、何かの形で出力するには自分がポンコツすぎてがっかりだ。
あーもーさっさと寝て夢の中に行きたい。今日は海かな、森かな、山かな、空かな。