はてなキーワード: 神通力とは
俺は特にそういうデート文化ゴリ押しが嫌いでよく文句言ってたもんだよ。
酒も嫌いだし。
「おねがい、買ってー!」っていうならまだ可愛げがあってよいんだけど
「すでに大人気です」「買わないと大変ですよ」みたいな空気で人を操縦しようとするから反吐しか出ない。
いまやそういう洗脳商法の神通力は薄れてきててバレンタイン贈答は衰退してたところに、
さらに/14や3/14が休みになる年が続いてバレンタイン市場の規模がガタガタ、
俺は韓流も勿論嫌いだけど
あれには売上を度外視した韓国の国家戦略としての資金が投入されてると聞く。
だとすればどんなに消費者がそっぽ向いても抗議してもヘッチャラで続くわけだ。
残念ながら
自分の説得力の無さを言葉の威力で補うヤカラがいっぱいいすぎて
自由も人権も市民もファシズムもナチスも差別もほとんどの言葉は神通力が大幅に減じるか、胡散臭い副イメージがついてしまった。
本当にそういう言葉が指し示す概念を大事にする、もしくは重大視する人は
それらの言葉を大事にして、1ミリでも言葉の威力を増した状態で次の世代に手渡すべきだったんだけど
実際には言葉を振り回して使い倒してスッカスカにしてしまうから
もうみんなそんな言葉聴いても笑うだけだし、次の世代に受け取り拒否されることまである
威力を減らさない・増やすやり方も一応書いておくと
それはもちろん「決して鞘から抜かない」ことに他ならない。
鞘から抜かない状態で示す、もしくは鞘すら表には出さないで示唆する…
まあそんな芸出来る知性があったらそもそも振り回さないだろうけど。
(なんか例が政治的な用語ばっかりになっちゃったけど、政治と関係ない日本語もそうだよ。
たとえば「号泣」なんて、大の男がウワワワーッ!て泣くような、見てる人間全員が怖くなるようなものを本来指す言葉なんだけど
テレビで女性タレントがくっだら無いことでメソメソ嘘泣きするのを「号泣!」って宣伝欄に書くようになって随分過ぎてしまった
どうしても歌うこと自体が許容できないというなら
起立して口パク、これでいい筈だ。
何故見習えないのか。
(ついでに、消極的に歌うことすら不可、というの自体も変な話だが。
歌に神通力があるとか、異教の儀式に加わると魂が汚れるとか、汚れは永遠に落ちないとか、
自分個人の思想にも国が介入してきて、必死に戦うシチュエーションを夢に見てる。
でも実際は国も他人もそこまで彼等サヨに興味持ってくれないから
「君が代反対」にしてもなんにしても、
一番問答無用に邪魔になるとこ、ウザいとこ、不特定多数の迷惑になるとこを選んで叫ぶ。
「こら、やめろー」って言ってもらえるから。
彼等は防衛線の設定と攻撃ターンでやってることが釣り合ってない。
自分達の行動を問いただされるターンでは、
侵されてはいけない。
だが
・事前に生徒に洗脳じみた圧力をかけたり
・校門でノボリ立ててビラ撒いたり
という数々の行状は
「個人の信条の自由」を守るための必要最低限から大幅に逸脱している。
という気持ちを持ち続ける。
年数度、業務の一端で心ならずも君が代を歌う、
その夜は左翼仲間と「ペーッ、仕事とはいえ口が腐った!もっと強いのくれ!」と酒が進む、
ここまでが「個人の信条の自由」の範囲というものだろう。
どうしても歌うこと自体が許容できないというなら
起立して口パク、これでいい筈だ。
何故見習えないのか。
(ついでに、消極的に歌うことすら不可、というの自体も変な話だが。
歌に神通力があるとか、異教の儀式に加わると魂が汚れるとか、汚れは永遠に落ちないとか、
そういうのは宗教の教義ならあるだろうし、イスラム教徒に礼拝を受けさせるのは暴挙だが、
進歩的な左翼思想にそのような宗教性や迷信は無いはずだ。左翼にとって歌は歌でしかないだろう。)
つまり、
俺が前に書いた表題の床屋談義について(http://anond.hatelabo.jp/20100923234530)。
暇なはてな民の方々からそこそこ意見が寄せられてきたのでここらでみんなの意見を踏まえつつ再論する。人によってはSFという言葉に過剰反応したり、「SFロボットアニメ」の定義がわかんねえよとの声があったが、語義を巡る議論に深入りするのは主眼ではない。ここでは差し当たって「巨大なロボットとそれを指揮するキャラクターが物語の中心となる近未来アニメ」という意味として便宜的に使わせて頂くのを許して欲しい。近所のレンタルビデオ屋にある「SFロボ」のコーナーはこれで並んでおり、一般的な認識ともそう離れてないと思う。(これだとたとえば、「鉄腕アトム」や「攻殻機動隊」は近未来だけどOUTとなる、一方で「パトレーバー」はINとなる。)
で、上記のように定義づけると、「トランスフォーマー」のように「テレビくん」で販促しているようなキッズ向け作品に関しては好調なものはあるものの、従来の大きな柱であった「アニメージュ」で取り上げるようなティーンネイジャー以上をターゲットにしている部類では、陳腐化は間違いない。
たとえば最も有名なタイトルであるガンダムシリーズは、作品数の減少が顕著だ。90年代には「V」から「∀」まで5つのテレビシリーズ(加えて複数のOVA、映画)がリリースされた。しかし、00年代に入ると、テレビシリーズの新タイトルは「SEED」(続編含む)、「00」の2つだけだ。
ガンダム以外にも、90年代には「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」など今も語り継がれる新タイトルのヒットがあった。今冷静になって振り返るとこれロボット出す必要あんのか、という作品までロボットが登場していた。具体的には、「神無月の巫女」や「エスカフローネ」、「サクラ大戦」(これはアニメというよりメディアミックス作品だが)などだ。00年前後までは「ロボット」は登場人物を引き立たせる定番の構成要素だったと言っていいかもしれない。
しかし00年代にはいって、男の存在を抹消した萌えアニメの隆盛と入れ違うようにしてSFロボットアニメのプレゼンスが消えていった。中でも象徴的な出来事は07年の「グレンラガン」だった。久しぶりにガイナックスが制作するSFロボットアニメで、内容的な出来も(個人的には)期待を裏切らないものだったが、その影響力は同時期に放送していた「らき☆すた」の方が完全に上回っていた。「エウレカセブン」や「創聖のアクエリオン」は、事前プロモーションやメディアミックスで力をいれていたものの、作品としてはことごとくコケた。この2作品が今でも人々の記憶に残っている理由は、アニメの成功ゆえではなくパチンコで行きを吹き返したおかげだ。
結局、世紀が変わった当たりからSFロボットアニメは定番タイトルの続編が少なく新タイトルもろくなヒットが出てこなかった、ということになる。
はてな民からのコメントに、「企業が興味を示さなくなったから」というのがあったが、これは結果と原因を取り違えている。企業側の主導で消費のトレンドを作るのは電気製品などではよくあるが、アニメのトレンドは消費者が主で企業が従、がこれまでの流れだった。重要なのはなぜ消費者が興味を示さなくなったかだ。
それは「21世紀の現代に適応できた新しいSFロボットアニメ像を提示できていないから」。繰り返しになるが、やはりこれが一番大きいと私は思う。「ロボが出てくる未来のおはなし」だけではもう飽きた、というわけだ。前回のエントリに対し、別のはてな民も『電脳コイル/ゼーガペイン見たときに思ったのが「これ、ロボアニメである意味あるか?」だったなぁ』と回顧している。SF的な未来世界の中に「巨大な人型ロボット」の存在は間違いなく時代遅れになりつつある。
実際、ストーリーはすでに出尽くされ感がある。たとえば、
14歳の少年・早瀬浩一は、ある日“事故”により、少女と出会い、巨大人型メカ「ラインバレル」を手に入れた。何も出来ず、正義に憧れているだけだった少年の周りは、彼が圧倒的な力を手に入れたことでめまぐるしく動き始める。新しい仲間と出会い、友人と別れ、守るものを背負い、自らを囲む世界と向き合い、やがて少年は成長してゆく。
これは2008年に放送された「鉄のラインバレル」のストーリー紹介だが、これにたいして海外の掲示板にすら「俺たちは同じようなアニメを幾つもみてきたんだよ!」って放送当初からキレていた人がいた。
設定や描写も現代では通用しなくなっている。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。それと、お互いを「○○少尉」とか軍隊風の呼称で呼ぶことも、あのコクピット内の絵面(ごちゃごちゃした巨大なマッサージチェアみたいなところに腰かけて膝の横辺りにある操縦桿を握る)もそう。そもそも2足歩行があれだけ一般的な形式であり続ける工学的な理由は何?陸上を移動するならば足よりも車輪の方が機能的じゃね、と外人でなくてもそうツッコミたくなる。
もっと根本的に、少なくとも目の肥えた「大きなお友達」にとってはSFの持っていた神通力が衰退したことも大きい。前回のブクマコメントにあったように、SFはかつてテクノロジーの未来を提示する役割を果たしていたけど、今やSFにその力はなくなってしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムでアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。20世紀にワクワクしていた未来技術の世界は、21世紀の今になって確実にワクワクできなくなっている。深刻なのはそれを21世紀の私たちがワクワクできるような形に上手くリニューアルできていないことだ。「SFロボットアニメがどうこうより科学の発展に大した希望をもたなくなった」という悲観的なコメントもあった。
だから結局、オーソドックスなSFロボットアニメが受入れられなくなってきたから、今はなんとかして新しいそれに代替するSFのあり方というか表現方法を模索してる、という段階なのだと思う。1つの流れとしては、『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って、みたいな話だ。ロボットなんてシロモノをあえて登場させず現実的な想像力で捉えられる範囲で、人間同士の関係を描写する。もう1つの流れは、SFロボットアニメの突飛さをあえて逆手にとり、腐女子的な暴走ノリを表す手段として借用する流れだ。ちょうど「コードギアス」がそれをやって大いに受けたし、近々放送される銀河美少年のやつもおそらくその形だと思う。「ガンダム00」?あれは本来やるべきワクワクするような未来世界を提示できずに単純な現代の延長でお茶を濁した失敗作であり、SFアニメの屈服だ。
ただし、Geek以外の一般人にはまだいまいちわかりづらいところが多々ある。
1995年当時のリテラシでは、わかりやすさと使い勝手においてPCを凌いでいることがある。
が、いかんせん汎用性がない。
Willcom・イーモバなどのWM機=PC98
進化はやっと始まったばかり。
今後Win98・XPとかの位置につくのはどこなのだろう。
このままいけばAppleになるはずなのだけど、いまいちそんな気がしない(Appleだし)。
MSが粘り腰でまた勝つ気もするけども、ゲイツ不在で神通力が消えそうな気も。
GoogleはシンプルなUIには強いけど、こういうジャンルでは未知数過ぎて全く強さがわからない。