はてなキーワード: 学生会とは
元増田です。
義実家の隣に住んだのは、たまたま隣の土地が空いて、一戸建て建築資金の一部を義母が負担してくれたからだよ。
名義は私たち夫婦になってるけど。その義理があるから引っ越しは考えられない。
義兄夫婦が勝手に3人も産んでおいてこっちに一人寄越すなんてそんな非常識な話がなければ義実家との関係は良好だよ。
ていうかこんなこと口が裂けても言えないから黙ってる。
なんでもかんでも義兄の言うがままになってる義実家も頭おかしいと思うんだけど客観的に見て預かるのは妥当だと思う?
他選択肢
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
入学前参考にした覚えがあるので
ひとり暮らしはしてなかったし
その1 医療費補助を申請しよう
http://www.waseda.jp/student/hoken/gojyokai/iryokyuhu-p01.html
新歓期はアルコールパッチテストなどを実施しているありがたい団体
ご紹介したいのは、ここでは日常生活でかかる医療費を補助してもらえること(上限年間6万だったかな)
事前に本人名義口座を登録して、学生証と領収証を受付に持っていけば数カ月後に
かなり助かるので是非使うべきだと思う
http://www.wul.waseda.ac.jp/imas/
図書館の使いこなし方や論文・文献を見つけ出すノウハウみたいなものは
ログインしさえすれば1970年代からのほぼすべての記事を検索できる
自分の興味あるワードで検索すると見出しがずらっと出るから時代ごとの変遷が見て取れて
就活シーズンが近くなったら企業名や業界のワードで検索してみるのもいいかも
その3 映画を見よう
本を読むの大学生の特権?だけど 映画も時間のある大学生ならではだと思う
テーマを設けて国内外のいい映画をやってるから時間を見つけて行くといいよ
2本立てとかを見終わると日が暮れてたりして愕然とするけど笑、不思議と松竹で見た映画は印象に残るよ
図書館でもミニブースで映画は見れるから、授業の間が空いてたらいくのもあり
その4 運動しよう
学生会館の地下には、かつて小島よしおも通ったというジムがあって
http://ameblo.jp/wasedanosusume/entry-10228174332.html
年間2000~3000円で綺麗な設備を使える 授業の合間に行きやすい
ガーデンプレイスでヨガとかやってるから女子はそれもいいと思う
戸山キャンパスの文カフェの地下にはプールがあって、初めて見つけた時は目を剥いたけど
http://waseda-sports.jp/news/34832/
バルセロナ水泳とかに出ちゃうレベルのガチボーイが隣のレーンに泳いでたりするので
参考にもなるし、マンモス校のはずなのにやたら空いているのでおすすめ 1回100円
全学部生が聴講出来るオープン科目というものがある 語学、教養、IT、ボランティア、スポーツとか
それらを余裕のある曜日にとるのも、楽しく運動不足解消・友達作りも兼ねてということでいいかもしれない
その5 工作しよう
ろくろからレーザー加工機まで 多彩な設備を使わせてもらえる工房がある
http://www.koubou.sci.waseda.ac.jp/
中々有意義な時間を過ごせる DIYとか興味がなくても、行ってみればムクムクと
その6 ピクニックをしよう
残念ながら早稲田はICUみたいなばか広い芝生があるキャンパスではない
http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/file15_03_00011.html
暖かい日は、お弁当かサブウェイのサンドイッチでも持って行くと気持ちいいよ
その7 就活どうしよう
入学式で、「早稲田に入ったあなたが出世するかどうかは保証できないが、あなたの友だちが出世することは確実だ」
みたいなこと言われたけど、卒業する今まわりの進路を見るとなるほどねって感じはする
さて、あなたがこれから日本で就活ゲームに乗るかどうかは自由だけど、もしやるならキャリアセンターは足繁く通うといいと思う
waseda net portalのキャリアコンパスコーナーに、内定先ごとの卒業生の就活振り返り記みたいなのがあるんだけど
これは参考になるし読み物としても中々面白いので、就活どうしようかなってときはここを読むことから始めるといいよ
その8 その他おすすめのお店
http://www.yelp.co.jp/biz/%E5%B1%B1%E6%89%8B%E5%8D%93%E7%90%83%E5%A0%B4-%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA
映画版「ピンポン」に出てくるような昭和館溢れる卓球場 馬場近くの栄通りにある
やたら上手いミャンマー人たちのカットマンぶりを見られるかもしれない
・早美舎
http://www.sobisha.com/shop.html
レポート提出間際、パソコン室のプリンターは混んでてアテにならない
そんなときはここに駆け込むべし 若旦那が神の如き手捌きでUSBからPDF印刷してくれる
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130504/13006270/
親戚のおばちゃん家きたみたいな感じを味わえる韓国料理屋さん
ここらはかなりエキセントリックな体験が味わえるので
1年生のうちに友だち誘って挑戦して、
後輩ができたらご馳走しに連れてってあげると面白いかも
自分は生協加入しなかったけど、結構電化製品とか色々売ってるし本が安いし
amazon代わりに使ってたら結構お得だったかなと思わないでもない
やたら新入生にゴリ押ししてるパソコンは買わなくていいよ レッツノート自体は性能いいけど
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
もっと色々書きたい気もするけど
さて、
新入生はいい友だちできるといいね
ひとりでも楽しめることは、上記以外でも沢山あるし
昨日、駒場祭に行った
素人東大生の素人屋台など食べたくない、その屋台に費やすエネルギーを、
学園祭コンテンツに振り向けて欲しい、と思うのは、自分だけか?
★行きは井の頭線が激混みなのを予想し、小田急代々木八幡から歩いて駒場裏口まで行ったが、
小田急はガラガラだし、代々木八幡から東大まで歩くような酔狂な親子連れは
自分たちだけだった。
井の頭通りと山手通りの交差点(富ヶ谷交差点でしたっけ?)も、以前は歩道橋だけで歩行者用横断歩道もなく、
強制的に階段上り下り強いられ、バリアフリーじゃなかったのだが、
昨日行ったいつのまにかエレベーターが歩道橋に完備され、バリアフリーになっていた。
山手通りも(首都高工事が終わって)歩道も広くなって歩きやすくなったし、
なぜこの「代々木八幡/代々木公園~東大駒場」の裏ルートが世間に認知されないのか、よくワカラン。
「井の頭線は大変混み合います、代々木八幡、代々木公園からの迂回をお願いします」と
★しかし東大駒場の裏口って、殆ど掲示もないような裏口なので、「知る人ぞ知る」状態。
関係者でなければ、代々木八幡から歩いてきても、迷ってしまう・・・
ひょっとして、東大生の中でも、裏口の存在知らない人が、いたりして。
★帰りは井の頭線で渋谷経由で帰ったが、渋谷寄り車両は激混みなのはわかっていたから、
池ノ下寄り改札まで少し歩いて、そこから乗車した。
ホームの放送は、必死になって
「渋谷寄りだと乗り切れない場合があります、吉祥寺寄りに行ってください・・」と言っていた。
★駒場祭の日くらいは、井の頭線の急行を駒場東大前に臨時停車させても、バチ当たらない気がする。
★駒場祭は、一般素人は「1号館」を周回するだけでも、結構楽しめますな。
一般人が見てもわかりやすい展示は、結構1号館に集中している気がする。
個人的にはセミナーの類を聴講したいのだが、いかんせん子連れでは・・
★ところで、学生会館、生協はいつのまにか建て替えられましたな。
1号館や900番教室のような、レトロな建物(戦前?)は、「残そう」という
動きになりますが、旧学生会館のような、恐らく昭和の30~40年代辺りに
建てられた建物は、単なる「老朽化した建物」と見なされ、さっさと取り壊される。
1号館や900番教室もさることながら、学生会館とか生協とも、結構思い出になってるのでは?
むやみに取り壊すのは、「現役学生とOBの、場の共有」がなされなくて、
あまり感心しないのだが。
★屋台で「何もつけないパントースト、50円」を売る「やる気ない屋台」が評判になってたそうだ。
これって、一種の「ネタ消費」だと思う。
以前原宿の「ニコニコ本社」の付属カフェに物見遊山で行ったことあるが、ここでは
「食欲を減退させる、ブルーカレー」なんてのがメニューにある。
なぜこういうのがメニューであるか、と言えば、
「ブルーカレーを食べる姿を、ニコニコ動画で全世界配信」したいという、
ネタ消費はどこでも成立するシロモノじゃなく、トーストの件では
良くも悪くも注目される「駒場祭」だから、ネタ消費マーケティングが成立するのだろう。
★ケータイツイッターで「駒場祭」をチェックしながら回ったので、
展示を見ながら、当時にツイートチェックする、という不思議なライブ感覚を味わった・・
★誰かのツイートで「駒場祭、誰かアーチスト来てるの?」というのがあった。
・・・芸能人を呼んで集客するような、「どこにでもある学園祭」は、他大学に任せておけばいい、と思う。
駒場祭は「中身で勝負」してくれ。
★「クレープ屋の理三女子が可愛い」というツイートも横行していたような・・・
これって、インカレサークル(東大の主に男子と、他大学の主に女子)で、実際は他大学女子、というオチだったりして。
そもそも、東大男子って、あまり東大女子を相手にしない気がする。
さて今年も多摩キャンという迷路に迷い込むであろう仔羊たちが沢山生まれるわけか…
っつーわけでまあ、記憶を辿って適当に書いてみるとしよう。俺は現多摩キャン1年(社会学部社会学科)だ。
もちろん間違っている、不正確な情報もあるはずなので、真実は自分の目で確かめてほしい。
俺自身が田舎からの上京組なんで、上京組を想定した項目も入れてある。
西八王子、めじろ台←→法大間は安い定期券と回数券をキャンパス内で買えるので、入学前に買う必要はない。
地図見るとわかるが遠いくせに基本ルートが2つしかない。つーわけで超混む。都心の満員電車の気分をこんなところで味わえます。
なので通学時間帯のバス時刻表は全く当てにならないと思っていい。所要時間はめじろ台15分~20分、西八王子25~30分、相原15~20分(もちろん通学時間帯は後ろの数字)だ。
最近ダイヤ改正で八王子駅←→法政大学直のバスができたので、八王子近辺からはこれでいけばよい。
他のルートは使っていくうちに覚える。とりあえず4月は大学に行けりゃ十分。他のところなんて先輩が案内してくれる。
あとは各自Googleマップを見るなり、路線図見るなり、実際に行ってみるなりしておくといい。初登校日に迷うなよ?
都心のことは覚えなくていい。たぶんほかのことで忙しいだろうし、(サークルや交友関係にもよるが)都心に行く機会なんて意外とないから。
ちなみにめじろ台は「めじ台」、西八王子は「西八」と呼称される。
基本多摩キャン生が住む場所は3つ。めじろ台・西八王子・相原。上記最寄駅ってことね。次に八王子、橋本、高尾。んであとは京王線・中央線・横浜線の各沿線。
都心が近いって理由だけで都心近くに住もうとするとまず破綻する。便利なとこがいいなら立川あたりで止めとくべき。
田舎からの上京なら西八王子でもそこそこ便利と思えるだろうし、俺は西八王子をおすすめしておく。
めじろ台、相原はそれに比べると劣る。そのかわり家賃は安い。ただめじろ台はプロパンガスなんでガス代が高い。千円二千円の家賃の違いでめじろ台にするのはやめたほうがいい。
都会人だけど大学にも近くしたい人なら橋本もいいかも。本数は少ないもののバスで行けるし、そこそこ都会だし京王相模原線が通ってるので都心へも行きやすい。いい物件を見つけられれば穴場。
あとは適当に箇条書きで。
家具・調理器具・家電などは本当に必要なものだけをまず買うのが一番いい。住んでいくうちに必要になるものがわかってくる。
めじろ台であれば、高尾駅(めじろ台駅の隣)の近くにあるイトーヨーカドー、その通りにあるダイソーと電機のセキドで大体のものが揃うはずだ。
まあ住まいや家具家電は親の意向等もあるので、親とか財布とか自分の性格とかとよく相談したうえで決めてくださいな。ここ(や他の情報)で書いていることを親に強弁しすぎないように。
入学式は日本武道館で行われる。服装は自由だ。といってもほとんどの人はスーツだが。
書類をちょいと貰うのでバッグがあるといい。わざわざ買う必要はないが、スーツに合わないバッグしかないなら考えておこう。
駅に着きさえすればあとは案内と人の流れでわかるだろう。周辺では某団体や某サークルがビラを配ってたりするが、気にせず進もう。
キャンパス以外でのビラ撒きは公式的には禁止のはずだ。キャンパスに行けば嫌というほどビラをもらう。
式では校歌を歌わされるが、付属生以外知らないので歌わなくていい。
市ヶ谷生は式後キャンパスへ向かうが、小金井・多摩生は解散となる。
「こんな田舎だと思わなかった」は新入生の自己紹介の常套句。使うと下調べ不足を自ら晒すことになるのであまりおすすめできない。
つーわけでまず一度キャンパスに行ってみるべき。近い人は入学を決める前に行っておくといい。本当に。
上京組でもだいたいの人は入学式前に引っ越すだろうから行ける時間はあるはずだ。百聞は一見にしかず。
では軽くキャンパス案内といこう。
バスで入口を通るとき、セブンイレブンとすれ違うはず。よくお世話になる。その横にはバイクの駐輪場がある。マナーが悪い。
バスから降りた真上に見えるのがEGGドーム(エッグ)だ。サークルに入ればよくお世話になる場所。奨学金の手続きなどををする学生生活課もここにある。
目の前にでっかい木があるはずだが、これはクリスマス期間イルミネーションされる。予算の無駄だと思う。
横断歩道を渡ろう。普通に車が通るので油断するな。右手にはトンネルがある。大学にトンネルがあるなんて聞いたことねえ。
トンネルの向こうにはスポーツ健康学部がある。残念ながら雪国ではなかった。しかし思いっきり民家や私有地が隣にあるので驚くこと間違いなし。
さて進もう。なぜ大学は坂道にしたのだろうか理解に苦しむ。左手にちょっと奥まった下り坂があるが、そこに入ると大教室A棟がある。
ここで新入生オリエンテーションが行われる。俺はオリエンテーション以外でここに入ったことはない。まだ1年だからだろうか。
バス停があるが、ここで体育棟行の循環バスに乗れる。キャンパス内バスなんて北大の専売特許かと思ってた。
上ると道が二手に分かれるが、左へ行くと経済学部棟へ、右に行くと社会学部と現代福祉学部棟に行ける。真ん中に総合棟と図書館。奥の道は体育棟へと続く。
左へちょっと行くと円形型の芝生=円形芝生:通称円芝もある。ここはリア充系経済学部生のたまり場となっている。近づき辛い。
ちなみに多摩キャン、憩いの場がやたら多い。某公式キャンパス案内は、円芝、EGG、社学棟1階、現福棟前、食堂を憩いの場として紹介しているそうだ。
各学部棟は説明がめんどくさいので、あとはパンフなどを参照してほしい。後日、各施設の無駄知識も書く予定だ。
大学の学費支払えるん?
論文読んだり、設備使ったりは、仕事終わってから大学でやればいい。
学費払えないなら、教授に相談して、月に1時間だけ 月給800円で、バイトとしてやとってもらえないか?聞いてみれば。まぁ、時間と額面は適当だけど
そんで、同上。
せっかく、論文読めるし、機材がある場所を知ってるんだから、使えばいいじゃん。合法的に。
産学協同って名目でもいいし
あと、論文だけなら、いま、学生会員から、正会員になったんじゃないの?だとしたら、電子閲覧できね?
まぁ、できなければ、著者にメールして貧乏なんで 着払いでコピー送ってくれないかorPDFでくれないか?と問い合わせるのを繰り返すとか?
なけりゃ無いなりに、やりくりする方法を捜すしか、ないわなぁ。
なんつーか、会社はおそらく、そんなことを望んでいない。言われたことを言われたとおりにやってくれるパーツを探しているんだろうけど
というか、その程度のガッツもなければ、転職もうまくいかなかろうて。
3年頑張れ3年。
あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。
それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。
その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。
しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。
それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼や宗教の勧誘でもない。
最大の敵にして、現在の学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。
四月一日の入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。
大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。
マイルストーンを購入して、授業やサークルの情報を読み込んでいる人もいるだろう。
大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。
早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争に突入する。
入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。
あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。
その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。
すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。
これが通過儀礼であり、また儀式を遂行する首長たちの姿なのである。
ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。
この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。
さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。
私が入学した2006年、新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。
新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、
体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。
次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。
基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。
早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。
この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。
翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。
さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。
そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。
それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。
例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。
それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。
この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。
しかし、より多くのサークルに、よりオープンな感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。
入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。
この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。
もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。
しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。
多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。
このような 改 悪 を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双のアウトロー集団たる早稲田大学の学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。
それが、 早稲田大学職員 なのである。
彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。
私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。
これはなにも、新勧活動に限ったことではない。
学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。
夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。
大学のネットやシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。
迅速なアフターケアはない。
大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。
彼らは0900から1700までしかいない。
一般企業、大企業、公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。
なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。
そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。
彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。
このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。
彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。
そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。
しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。
私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。
………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド
*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。
どこの地方の人か知らんが、東京だったら家賃込み月6万はかなりシビアだぞ。しかもまかない付寮なんて学寮でもあるかないかだ。学生会館は食事付だが10万位するし、四人部屋とかだとしても安くて二万台。そこから学費生活費を捻出するのはできなくはないけど結構シビアだわな。
俺もそんな生活してたけど栄養失調と過労でよく寝込んだよ。医者に行く金もなかったけど心配してくれる友人を大学内で作れるような時間もなかった。学校が終わったあとにできる塾講やカテキョウも時間拘束が長いから思うようには稼げない。その上週にいくつも必修のレポートがあって、睡眠時間が2,3時間なんて事はざらだった。長期休みはバイト三昧。工場で働いたり、日雇いをやってみたり。
俺は家の収入はそれなりにあったけど、大学に行くのは俺のわがままだからってことで、親が金を出してくれなかった。親の収入があるせいで学費免除ももらえなかったし、奨学金は貸与も給付もどっちも書類ではじかれた。学寮も同様だ。親に収入がないほうがよっぽど救いの手が差し伸べられていて何度うらやましいと思ったかしれない。扶養家族から外れようとしても、年収200万を超えてないから独立生計をたてていると認めてもらえなかったし、親も税金が増えるからそんな事はするなと俺を罵った。俺よりはずっと恵まれていたけど、ぎりぎりで授業料免除がもらえなかった人たちは同じように大変そうにしていた。あぁいうのには、条件があるから、ぎりぎりで条件に引っかからない人たちが一番つらいんだよな。でもだからといって条件を下げると、制度自体が破綻してしまうからどうすればいいのかよくわからない。
でも俺の状況は誰かを恨んだとしても、俺はがんばってるんだと叫んだとしても、何も変わらなかった。俺は、今は俺の大学時代を振り返って、貧しいがゆえに助けてくれたバイト先の社長とかメシを奢ってくれたバイト先の先輩とかに感謝してるし、同じようにバイト三昧の学生に、俺はもっと大変だったとは言わないように気をつけている。俺が大学院までいけたのは、当時バイトをやっていた先の社長とか先輩とかマネージャーとかが応援してくれたからだった。俺もこの先何ができるわけじゃないけど、せめて金がないやつにメシを奢ってやれるくらいのことはできると思うし、子供にはできる限り金を出してやりたいと思う。私設の奨学金を出せるほどの収入があればいいんだけど、それは難しいんだよなぁ…。
元々ダメダメなったのならいいけれど、受かっていた可能性があると悔しいものですね。
卒論→修士、と研究室を移った。うちはB4の10月から卒論を書き始める。おもしろい卒論がかけたと思った。
M1の半年は、卒論の続きをやっていた。卒論の内容をM1の夏に国際学会に提出、秋にaccept。
後は、その内容を論文誌に出せば、間に合うはずだった。それなのに、11月まで論文誌を書かず、のらりくらりとしていた。
11月に今の指導教員に「早く出せ」といわれて、国際学会に出したものを編集しなおして、11月の下旬には、ほぼ完成していた。
「僕も一応学生会員なんですけど、論文誌を単著で書いたらどうなるんでしょうか?」
というメールを送ってしまった。
M1で、論文誌というものがどういうものかよくわかっていなかった。文系の方ではみんな単著で出しているので、それと混同した。
当然、卒論の先生からは「何を言っているんだ君は」という内容のメールが届く。申し訳なかった。とにかく、申し訳なかった。
卒論の先生に逆らった。違う研究室に行ってしまったのに、その後も丁寧に論文に赤を入れて時間を取ってくださった先生に逆らった。恩を仇で返した。申し訳ない。
今から思うと、どうかしていたと思うが、実際に夜中の教室を首を吊る場所を探して彷徨った。この業界で単著などありえない、という基本的なこともわかっていなかったのか、と恥ずかしくて、今でも周りの人に積極的に話す気にはならない。その後、卒論の先生は、「あの論文はどうなったの?」とメールを送ってくださったのに、それでも自分は書けなかった。
今考えると、どう考えても過剰反応なんだけど・・・なんだったのかなぁ。
それから一年、最低限のことはやったと思うけど、本当に最低限だった。
M2の春に、いい加減諦めて、その出せなかった論文を論文誌を出した。夏には通った。せめて去年の12月に出しておけば、採録まで十分間に合ったのに。論文誌一本と国際学会論文一本をM2の5月までに作れたはずなのに。国際学会論文一本になってしまった。
一年間、すねて仕事から逃げて遊んでしまった。今でも、業績は、卒論の内容の2本だけ。DC2は絶望的。
この一年取り戻したい。一年って、こんなに重かったのか。修論は何とかなりそうだが、M3やりたい。でも、今の研究室で博士に受かってしまっているので、M3やりたいなんてとてもじゃないけど言い出せない。でも、やっぱり、どう考えても、諦めて気持ち切り替えて、素直に修論書いて博士進学するのが正しい選択肢なのだろうな。
元増田だ。
いや、部活動なり学生会なり何なりの集団の飲みの話。プライベートの飲みはさすがに一年くらいじゃ行かないし、そこまでひどくもない。うちの学校には寮はなかったが、あるところはあるところで酷そうだなあ。
ちなみに、若さゆえの暴走には男女関係ないらしく、風の噂で聞くところの女バレは海岸で飲んだくれてそのまま全員砂浜でお目覚め、とか、ウォッカ一気で限界突破したよ!というのが恒例行事だったらしい。高校との試合の後、「今日打ち上げ和民だからー!着替えてから集合!!」って叫んでやばかったとかなんとか(高校の先生方から大目玉食らうわ、他の学校の先生の手前、自分とこの教官も怒らざるを得なくて大変だったらしい。TPOは弁えましょう、という話)
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く
この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか?
いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治会のビラ配ってた人が、『解放』の号外をサークル机に置いたりする姿見れば普通にそう思うよ)、統一教会系のオルグサークルと同じくらい「うかつに近寄らないほうがいい」組織だと思われていた。
とはいえ、そういう「出自」を除いたところでも、学生はあんまり彼らに同情的ではなかった。それには二つの問題点があったからだと思う。
まずひとつは彼らが上記エントリのいう「世界」のために戦ってはいたが、われわれ=学生のためにはほとんど戦ってくれないように見えたことだ。彼らは毎週キャンパス内で集会を開き、アメリカの帝国主義的なイラクへの介入・制裁を弾劾し、それに追随して侵略戦争に加担しようとしている日本政府を批判していた。そして、年に何度かは、北海道(浜大樹)や九州(どこだったっけ?)の自衛隊演習場に出かけては、平和的労働者や他大の自治会と連帯して反戦平和のためのアピールを繰り返していた。しかしわれわれのためには?彼らがわれわれのためにしてくれたこといえば学費値上げに対する抗議くらいだった。その抗議も割りと教条的なもので、「学費値上げ絶対反対!」というような、学校側に交渉の余地を残したものではない、交渉の要求というよりある種の決意表明のように見えた。たぶん学生のニーズは、混雑する駐輪場の拡大・整理とか、トイレの改修とか、部室を持たないサークルが利用できるような有料ロッカーの設置とか、あるいは氷河期真っ只中の就職戦線に挑む学生のへのより一層のサポートなどにあった(ように僕には見えた)のに。活動のバランスが車の両輪くらいのものなら、まだそれでも納得のしようはあったかもしれない。しかし、ほとんど一輪車で「世界」のみにコミットしていくような団体に、われわれが「学生自治」をあまり感じなかったのは、無理のない帰結に思えて仕方ない。
もうひとつは、権力に対する「自ら(手前)の権利を守ろうとする」自治会が、それ自体ひとつの権力になって、より弱い主体である学生からごくわずからながら、しかし明らかに搾取していたことだ。早稲田大学の本部キャンパスと文学部キャンパスを主会場とする大学学園祭は(文連≒自治会なのは公然の秘密だった)、どういうわけだか入場に有料のパンフレットが必要で、その収益がどこに行ったものだか外部からはわからないようになっていた(あと、出展・出店に当たってなんか学園祭と関係ないことに同意する必要があったとかなかったとか聞く)。理工学部で行われていた、主催団体がまったく別の「理工展」は、そういう入場システムをとっていなかった。学生の割と多くが、文化祭参加と引き換えに、過分の見返りを求められていると感じていたように思う。(旧学生会館に部屋があったサークルにいなかったので、はっきりとは知らないが、学生会館の中でなにやらはばをきかせていたという話も聞いた)。個人的な話で恐縮だが、僕が友人と酒を飲んでいるときに、設立当初はさておいて、大学も自治会も、対価と引き換えにサービスを提供することが主たる目的の、同じような存在ではないかなどいう話になったこともある。
だからなんだ、といわれると困るのだけれど、こういう「感じ」に対して、「啓蒙」という態度や、「馬鹿さ加減」という言葉で立ち向かってしまうところに、政治活動の衰退の一因があるように感じてしまい、何か書かずにはいられなくなった、というお話。