はてなキーワード: 鉄分とは
時期は違うが私も適応障害からの体調不良でしばらくフルタイムで働けなかった。自分語りにはなるけど参考になれば。
身体153cm、当時体重53キロ女、当時20歳(現在28歳)
とにかく疲れやすくて常にぐったりしていた。
夜になると微熱になるし風邪をひきやすくてフルタイムで働けなかった。
血液検査の炎症項目だけ高めだが、医者からは気にするほどじゃないと言われる。
・胃の検査→異常なし
・サプリ類→変わらない
・養命酒→変わらない
・運動→運動すると体調を崩す頻度が増えるので続けられなかった
はじめはパートタイム→週5の7時間→週5の8時間と年単位で徐々に伸ばしていく。私の場合はフルタイムで働かないと生活できなかったのもあるけど…。
まあ、今もなんだかんだ休みがちだし、フルタイムで働けるようになった後自己免疫疾患だとわかって今は働きながら治療中。全身のCTを撮ってないなら撮ってみるのもありかもしれない。
・鉄分取る
・鼻うがい
他の人も書いてるが血液検査でフェリチン調べてもらうといいよ。鉄剤めっちゃ効くけど人によっては吐き気の副作用あるので、その場合は鉄サプリで。
鼻うがいはコロナの後遺症の可能性を考えてやってみる価値あり。ハナノア使うのがお手軽。自力でやるならアメーバ感染しないように煮沸消毒した水と容器使って気をつけて。
ブコメにも書いたけど文字数制限あるのでこっちで詳しく書く。時間ないから適当だし読みにくくてごめんね。
私も倦怠感と気分の落ち込みで長年悩んでいたんだけど、婦人科の先生がめちゃくちゃ話を聞いてくれる先生で、先生と話しているうちに「コイツ、ミネラル足りてないんじゃね?」って先生が思ったらしく、血液検査にフェリチン精密と亜鉛の項目を足して検査してもらった。
(普通の日本での貧血の検査はヘモグロビンとかの値で調べるんだけど、それだけじゃ実は不十分らしい)
そしたらとにかく亜鉛の値がめちゃくちゃ低い。亜鉛って魚介類とレバーに多く含まれるんだけど、私の場合どちらも苦手なので多分摂取量が足りてなかったんだと思う。
それと、フェリチン精密は女性は10以上あれば良くて、私は13だったからまあギリギリ。でも、アメリカではこのフェリチンは50はないと駄目で、妊娠を望むのであれば100はないと医療指導されるらしい。日本での基準値が低いのは、日本ではフェリチンを調べたことのある人が少ないので、日本人はどのくらいフェリチンの値があればOKなのかよくわからなくてとりあえず10にしてあるという結構雑な基準値なんだそうだ。
ちなみに、鉄分とか亜鉛とかミネラルが足りてないと、精神面にも多大なる影響が出る。落ち込むとかはミネラル不足が原因の場合もある。上記の婦人科の先生によると、若い女性は生理があるから慢性的な貧血に陥っており、尚且つ炭水化物ばっかり食べていてミネラル不足になっている人が実はものすごく多いらしい。そしてタンパク質不足も精神の落ち込みの原因になるそうで、とにかくミネラルとタンパク質をとるよう指導された。
ついでに、フェリチン精密と亜鉛は日本の病院では滅多に調べないし、血液検査も事前に相談しないとほぼ調べてもらえないと思う。私は他の病院の先生に「フェリチンと亜鉛調べたら全然足りてなくてー」って話をしたら、全員「そんなの調べたの?珍しいね」っていう反応だったから本当に珍しいことなんだと思う。(血液検査って調べる項目数増えるとお金かかるから、何もかも調べようとすると軽く万札が飛ぶんだよね…)
そういうわけで、私は今鉄分と亜鉛のサプリ、加えてプロテインを飲むようにしている。それがまあ、びっくりするくらい効果あった。特に亜鉛。倦怠感はかなり楽になったし、風邪もよくひいていたんだけど全然ひかなくなった。しょっちゅうできていた口内炎もまったくできなくなっていいことづくめ!
精神面は比較が難しいのでなんとも言いがたいけど、上記のミネラルに加えて、冬季うつがあるので、その対策に秋冬はトリプトファンのサプリ飲んでるんだけどこれがまためちゃくちゃ効く!全然落ち込まないし眠くない!お腹空かない!今までバナナたくさん食べてたんだけど、それとは比較にならないくらいトリプトファンめっちゃ効く!!
(冬季うつ以外の鬱もトリプトファン不足が原因の場合も多いらしいので詳しくは病院で訊くなり調べるなりしてね)
というわけで、これ以上書くとサプリ業者の宣伝ぽくなるのでこれくらいに。私も試行錯誤を経てたどり着いた結果なので、人それぞれ効果は違うと思うけど参考になったら嬉しいな。
早く良くなるといいね。がんばってね。
13時前頃に停電により停車するとのアナウンス&停車。空調停止、室内灯消灯(上の荷物置き部分の照明と前方の電光掲示板は点灯)。名古屋を出て10分程度なので豊橋を通過する手前ぐらいだったと思う。
14時半過ぎに再度抑止からの運転見合わせアナウンス。下り側が停電による運転見合わせで先行列車が東京駅で折り返せず満杯状態であるとのこと。
列車走行位置(https://traininfo.jr-central.co.jp/shinkansen/sp/ja/ti08.html)を見ると確かに先に先行列車が溜まってしまっている。
15時過ぎ、小田原駅の通過線まで動いたところで抑止。運転再開見込み16時半のアナウンス。
15時40分過ぎ、ふと再度列車走行位置を見てみたら溜まっていた先行ののぞみ16号やひかりが新横浜を出て品川へ移動。新横浜は空いた状態になったのでこれは動くではないかとリロードしまくる。
15時50分過ぎ、新横浜までの運転再開。どうやらのぞみ16号が品川に着いたところで動いてくれる仕組みっぽい?
16時6分新横浜着。ライブに何とか間に合いました。あと膀胱の人権も守られた。
列車走行位置表示の存在を思い出して調べたまでは良かったけど、先が詰まっている画面だけ見ると絶望感が湧いてしまう。
運行管理系の鉄分が高い人だと、ここからどう回復していくかとかどこまで進めるかとか予想できて多少は安心できたりするのだろうか。
おもろい評論だった。元増田はジョジョ読んだか? 読んでたらジョジョはどう感じるか教えてくれ。
俺はめちゃめちゃジョジョオタだが、スタンド能力の攻撃・防御も、都合のいい時に胡散臭い物理理論や科学っぽい理屈を出してくる。
そしてまたジョジョの、というか荒木の謎の所なのだが、それがいい効果を発揮したり悪い効果をはっきりしたりする。
ミステリ小説みたいに(は言いすぎだが)かなりビシッと理屈にハマって格好いいこともあれば、厳密な理屈としてはガバなんだが科学的っぽいフレーバーとして格好良くケレンミ演出としてプラスになっていることもあれば、理屈をこねてるせいでかえって読者の疑問が湧いてきて没頭できないということもある。
たとえばジョジョ五部のリゾット vs ドッピオ戦は、「鉄を操る能力のリゾットが、ドッピオの血中の鉄分を無数の剃刀刃物に変えて攻撃し、さらに鉄分不足でヘモグロビンが働かず酸素を運べなくする。ドッピオは応急処置としてそこらの小動物を食って鉄分を補給する」という攻防がある。こう書き出すと科学っぽいことをねじ込んだがガバガバである。血中の鉄分はそこまで多くないし、動物から即補給はできない。だがこのバトルは名バウトとしてファンの中でも人気があり、俺も大好きだ。
だがジョジョ六部とかだと、物理っぽい要素がかえってノイズになってると言われるバトルは多い。ラングラングラー戦とかメビウスとかリキエルは好きだがね。
ジョジョとハンターと呪術は系譜があると思うし、ジョジョを読んでたら、ジョジョの理屈っぽかったりガバかったりをどう見てるか聞いてみたい。
もちろん、海の妖怪が人間の王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊と人間の騎士との恋愛物語を描いた先行作品が存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。
フーケの作品『ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公の人魚姫が人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである。
この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写の元ネタと考えられているものの一つに、アイルランドの海浜に近い場所に存在する某村に関する民間伝承がある。
周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである。
この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」が禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーンの歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてから、セイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。
日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪の発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し、奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。
ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間の人面魚タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたものが付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れの現場で発見されたことも有るようである。
してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である。
さて、アイルランドの某村に関する民間伝承と比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。
「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら」
根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称である。しかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。
岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的な必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ、約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?
菅原道真の家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏=菅原氏との関わりが存在するということである。
この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土の採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈の採掘にも関連・発展したことであろう。
鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林の樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土の採掘や金属の採掘・精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川で生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害や環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパが河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである。
山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏=菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害の発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパの親分であったであろう土師氏=菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか。
ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しかも角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属の精錬を象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属の職能に携わる部民」であろうと考えられる。
脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏=菅原氏という職能集団的な氏族がカッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである。
本筋に戻ると、アイルランドの海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識や能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。
上で粘土採掘や金属の採掘・精錬を行う職能集団とカッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部からは理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間は尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカの伝統的な音楽・歌唱の職能者グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せな気持ちにしたり、戦の前に闘争心を鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬と差別の心理がアンビバレントに同居している。
日本の人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身が言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。
西洋人が日本に渡来するようになると、剥製・ミイラ製造の技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパや人魚のミイラが製造されたことは、現在も日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚の形態傾向が、人面魚タイプや四脚タイプから、現代人にも親しみのある上半身人間・下半身魚タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触を果たしていた中国を通じて、もっと早い時代にミイラ製造の技術が日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚のイメージも一緒に、早期から日本に流入したという可能性は無いのだろうか。大陸や西洋からの人魚伝承の流入によって、前触れや予言というイメージが形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。
まだまだ考察すべきことは多く残る。
人頭獣身の妖怪、しかも不吉の前兆や予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実の世界と、非日常・非現実の世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れや予言なのであろう。
また古来、予言や神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠・出産が可能であることから、男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実・日常の世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたからである。セイレーンや人魚に限らず妖怪や怪物たち(例えば、エデンの園でアダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教・キリスト教・仏教などが地位を確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬と差別というアンビバレントな感情が反映された名残であろう。
最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクトの悲劇の物語とは言えるのかもしれない。
乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。
これ、多分「順番が逆」なんじゃないかなって思う。
誰かの事を好きになってからデートするのか、そうじゃないか、みたいな。
同じ趣味とか「これを一緒にやってればずっと楽しい」相手と一緒に行動するのは楽しいよね。
アニメという共通項があるなら新作のアニメ映画見に行くとか、同じアニメが好きならDアニメとかでそれ見ながら語り合うとか楽しいじゃん
鉄分が強めなら列車の旅したり列車を撮影したりするの楽しいだろうし、登山という趣味が共通項ならどこかの山に一緒に登る、みたいなね。
『デートにサイゼリア』が炎上するのにも似てるんだけど「価値観」がどれだけ近いかは大事だと思う。
もちろん「私」という人間は、この世にひとりしかいなくて「通じ合う、分かり会える」みたいな幻想を追いかけるのはイクナイんだけどさ。
『恋愛したい』『性的交渉は気持ち良い』みたいのも幻想とまでは言わないけれど「そこを目的」にしちゃうからデートが苦痛になっちゃう。
アニメや漫画が好きなら自分が好きなジャンルや作品を描いてる性的対象(※LGBTに配慮しますた)の作家さんと交流するとこからだろ。
『弱者男性』という言葉が嫌いというか、何を持って弱者と言っているのかしらんけれど、弱者と誰かを定義して蔑んだり、みずから弱者という場所に置いても何も変わらない。
変わりたくない、自分はそれで構わない、ひとりでも良いという人はおそらく「デートの苦痛」を考えることもないだろう。
恋愛や性的交渉を目的にしているうちは『デートは苦痛』だ。当たり前だ。
ゼリアでデートしたいならゼリアがオッケーな人を探すところからだし、4Cのアクセがオッケーな相手と付き合ってればSNSに「4Cのアクセをプレゼントされて私は、この程度の価値しかないんだ」みたいなことを投稿されたりもしない。
完全に一緒を望むことは出来ない。
だけれども、だからこそ
趣味や嗜好、着る服の好み、食べ物の好み、旅行での振る舞い方、時間に対する価値観(遅刻オッケーとか時間厳守とか)
そうしたことで「同じだ」と思える人を探そう。
そもそもの問いの立て方が間違い(酷いストローマン)。ホロコーストでのユダヤ人の犠牲者は、大雑把に言えば、アウシュヴィッツで100万、その他の約四箇所(マイダネクは少ないので計算から除外)の絶滅収容所で200万、ソ連等のその他の地域での虐殺で150万、ゲットーや強制収容所などで100万、その他50万、合計で600万人と言ったところ(繰り返し言うがかなり大雑把)。つまり、ホロコーストの象徴になっているアウシュヴィッツでは約100万人なので、それを6倍もストローマンした虚言・戯言である。
また、アウシュヴィッツでさえ「骨まで残さず焼却した」だなんてことはない。むしろ、非常に荒っぽい不完全火葬で、細かい話だが炉の中の死体を載せる格子から下の灰皿に落ちた残骸は、掃き出してランマーで細かく砕いて、集めて近くの川に捨ててしまったのである(司令官を含む複数証言)。他のヘウムノなどの絶滅収容所では焼却後、粉砕機を用いて骨類は砕き、周辺の土地へばら撒いた。また、犠牲者数こそ数万と少ないものの、マイダネク収容所には大量の遺骨が残っていた。「Majdanek bone」とすればその画像が得られる。
もしそうならば、確かに、大雑把に絶滅期間を500日とすると、十万体しか処理できないことになる。しかし、それは明らかに嘘である。何故ならば、別の収容所であるマウトハウゼン強制収容所の衛星収容所であるグーゼン収容所では、一基の火葬炉あたり、1日あたり20体以上の火葬をしていた記録が残っているからである。アウシュヴィッツには絶滅の現場であるビルケナウだけで46基の火葬炉(マッフル数)があり、1日あたり少なくとも900体処理できたことになって、500日なら45万体である。それでもまだ半分以下だが、アウシュヴィッツでは実は一体ごとに火葬するなどと言う丁寧な火葬などせず、複数遺体を同時に火葬していたので、能力自体はもっと増える。それに、ビルケナウの火葬炉はトリプルマッフル炉や八連マッフル炉になっていて、遺体を入れて火葬する場所が内部で繋がっており、高温を維持しやすい構造となっていて、連続焼却を前提とした構造だった。民生火葬場とは全く違い、遺骨を遺族に返却する必要はなかったのだ。(あっても、適当に遺族に誤魔化して骨壷に入れて渡した)さらに、犠牲者が多かった時期は、野外焼却を実施し、司令官のヘスは自叙伝で「ほとんどの火葬は野外焼却となった」と書いている。以上、百万体程度は十分可能だった。
実は、アウシュヴィッツの火葬炉は、最初の二日間程度、炉内を高温化するためにコークスが必要だっただけで、遺体の火葬自体にはコークスはほとんど必要なかった。何故ならば、複数遺体を同時に連続的に火葬していくので、それらの遺体自身が燃料化したからである。燃えにくい痩せてガリガリの遺体の場合にはコークスは追加されただろうが、太った新鮮な遺体(つまりは収容所に収容されずに即日ガス室で殺された人)ならば燃料替わりにさえ使われた。これらについての細かい技術的な話は、遺体処理を担当したゾンダーコマンドだったヘンリク・タウバーの証言を読むといい。
アウシュヴィッツの様々な議論(9):証人の宣誓供述書1:ヘンリク・タウバー|蜻蛉|note
青酸ガスの爆発濃度下限値は56000ppmであり、人間の致死濃度はせいぜい2000ppm程度(一般には300ppmとされるが諸説ある)である。いずれにしても、ガス室内だけの話であり、ガス室外に漏れ出したとしても、濃度は低下してしまうため、引火の危険があるとは考え難い。否定派は、シアン化ガスの「濃度」を無視する傾向がある。実際には例えば、10ppm程度だと致死に至る可能性は極めて低い。そもそも青酸ガスの元であるチクロンBは害虫(及び害獣)駆除剤であり、害虫駆除作業で使える程度の安全性がなければ使えなくなってしまって全く意味がない。なお、詳細な話をすると、この火葬場の隣のガス室は、アウシュヴィッツのメイン収容所にある、現在でも観光用に公開されているガス室(第1ガス室)のことであり、ユダヤ人絶滅の現場であるビルケナウのガス室のことではない。流石に第1ガス室で処刑最中には、隣で火葬作業をしていたとは思えない。そこでは毎日稼働させるような大量の処刑はしていなかったからである。ビルケナウのガス室では、火葬場はガス室から離れていたので、引火の危険性を考えること自体おかしい。
遺体搬送の働き手は、いつ死んでもいいユダヤ人のゾンダーコマンドである。また、20時間の換気は、ディゲシュ社が想定した害虫駆除作業箇所でのものであり、様々な場所を想定した上での安全性を配慮しただけのことであり、必要十分な時間よりかなり長いマージンをとっている。しかしアウシュヴィッツのガス室は、室内はガランとしたただの空間であり、致死濃度でさえなければ、あるいはガスマスクを使用していれば、少なくとも死ぬ危険はなかったのである。実際、何人かのゾンダーコマンドの証言ではガスマスクをつけていたとの証言がある。十分な換気能力の換気装置のあったガス室と、自然換気で行ったガス室があったが、生存者証言によるとわずかに体調を崩した程度の証言があるのみで、死者があったと言う証言はない。また、非常に細かい話としては、地下型のガス室になっていたクレマトリウム2や3では、金網投下装置なる特殊なチクロン投入装置があり、これを利用してユダヤ人殺害を確認したのち、ガスを放出し続けるチクロンBを容器ごと天井から引き抜いたため、「ガスを放出し続けるチクロンB」の問題はなかったのである。
それは、ロイヒターやルドルフは、殺人ガス室とされた場所には存在していない、(シアン成分が鉄分と結合して化学変化した長期的に安定的な)プルシアンブルーを害虫駆除室で試料採取し検量したからである。プルシアンブルーが、青酸ガスが使われたら必ず発生するという証明は一切されていない。その上、害虫駆除室の壁面をよく見ると、プルシアンブルーのある場所とない場所がはっきり分かれており、これは青酸ガスが存在してもプルシアンブルーが発生しない場合があるという証明になっている。プルシアンブルー以外のシアン化物質成分は、非常に水に流出しやすいことがわかっている(ビルケナウのガス室のあった火葬場は全てダイナマイトで破壊されており長年に渡って雨曝しだった)。さらに、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンの使い方は、その残置時間が全然異なる。害虫駆除ではシラミはなかなか死なないので、通常は丸一日の燻蒸を行ったのに対し、殺人ガス室では証言によるところ、せいぜい三十分以内であった。死体の火葬処理の方に時間がかかるため、一箇所のガス室での集団処刑はせいぜい1日に一回、多くても2回が限度だった。したがって、殺人ガス室の後とされる場所にプルシアンブルーが生成されていなくても、何ら不思議はない。以上のことから、プルシアンブルーを含めない検査方法でなければインチキである。それをやったのが、ポーランドの公的機関であるクラクフ法医学研究所であり、結論として殺人ガス室があったとみなして良い結果を得たのである。
ロイヒター&ルドルフレポートに対抗したクラクフ報告とは。|蜻蛉|note
野外焼却の証拠は、まず司令官ルドルフ・ヘスの自叙伝に記載されているものがある。他にも複数人の証言がある。また、1944年中の米軍による航空写真にそれら証言が伝える場所での煙が写っている、さらにはユダヤ人ゾンダーコマンドによる極秘に取られた焼却中の写真もある。さらには1960年代に行われた民間会社による野外火葬場所の発掘調査で遺灰などが発見されている。否定派は、「アウシュビッツに焼却用の燃料がなかったこと」「どのくらいの燃料が必要だったかの客観的根拠」など、否定すべき内容についての証明を一切行っていない。なお、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所は、十万人規模の囚人と二千人規模の親衛隊員を有する巨大施設であり、燃料不足で燃料を使わずに活動・生活していたなど信じ難い。ユダヤ人絶滅は「総統命令」として実施されており、極秘作戦だったから、遺体の証拠隠滅も必須であり、戦争遂行と同じであって、何が何でも実施したであろうことは想像に難しくない。彼らは命令で動いていたのである。否定派は、何故ユダヤ人絶滅をやっていたのかを全く考慮していない。戦況が敗戦必至になって、絶滅作戦が中止されたが、それもまた親衛隊トップのヒムラーの命令であった。
今更何を……。[しかしいまだにアンネの日記のデマはツイッターなどでしばしば流れる]
Twitterホロコースト否定論への反論(18):アンネ・フランクの日記|蜻蛉|note
昔からあるアルマナック・デマと呼ばれる既に何度も論破された愚論。戦後のセンサスがアルマナックに反映されるのは1949年まで待たなければならない。それまでは、単に1939年の値からの推計値を記載していたのである。また、ニューヨークタイムズは後日、その数字を1200万人に訂正している。
ダッハウに米軍が入った時、大量の囚人の死体があったのは周知の事実である。ガス室のあった建物であるバラックX周辺にも遺体が山積みとなっていた。そして「浴場へ」と書かれた看板のある、ダミーシャワーのついた謎の部屋……、戦時中からドイツ軍がユダヤ人のガス処刑をしていることは広く連合国側に伝わっており、これらの状況からダッハウのガス室で大量虐殺をしていたと誤解しても致し方のない状況であった。米軍は当初勇足で「ダッハウのガス室での大量虐殺」を報告してしまった。しかし、直接的な目撃証言や裏付けのある証拠が当初は見当たらず、ガス室でのガス処刑があったとは言えないとわかるのは1960年代まで待たなければならなかった。のちに僅かな目撃証言と文書資料が見つかったが、裏付け能力に乏しく、「実験的なガス処刑があった可能性がある」くらいしか言えない。いずれにしても、歴史的事実がさまざまな調査研究により、後々になってより詳しく判明していくのは当たり前のことである。とくにおかしいところはない。
知らんがな。確かにNHKの番組ですら誤ったホロコーストの内容を伝えていることはある。実は著名な研究者ですら、非常に細かいところで誤った記述をしていることもある。しかし、日々のニュースでさえも、「先ほどのニュースの中に誤りがありました。訂正してお詫びします」を聞かない日はない。人は誤りを犯す生き物である。それが何か?
……ほんとにネット界隈(特にTwitter、Youtubeあたり)は修正主義支持者が多いので、誰か手伝って欲しいくらいなんだ……
多数派の専制でよく思うのがまさにこのコメ欄です。例えば料理チャンネルでレバーを扱う動画が上がるとコメ欄は
「美味しそう!」
「作ってみてすごく美味しいかったです!」
「家族に好評でした」
「久々に料理して5個も食べちゃったよ」
「寝る前のメシテロやめろ」
「わーいいなー」
「レバー美味しいし動画の通りにやれば臭みも抜けるし鉄分豊富だし安いし最高」
「いやいやレバーはビタミンA多すぎるから鉄分目的で食い過ぎたらかえって毒だぞ」
「苦手だけどこれなら食べれそう」
「すみません正直私には合いませんでした」
って感じになって、少数派はビタミンAに触れてる人と不味かった人。
それ以外のコメはほとんど動画を漠然と肯定してるだけで、その数に見合うほどの具体的で価値ある事を特に言ってない。
だったらコメ欄をまとめれば(そういう動画見る人はレバー=鉄分くらいの知識は誰でも持ってるものと考えれば)
「美味しそう(まだ作ってない人)」
「食べてみて不味かった人(作った否定派)」
「ビタミンAに注意」
の4つだけでいい、これで少数意見が目立てる。疑似意見はいちいちツリー立てて書かずに既に書かれてる所にいいねするだけでいい。
でもそのビタミンさんと不味かったさんは発言したくても肯定的なコメだらけの中で細かい事やネガティブな事言ったら
空気読めない奴みたいに思われるから勇気が必要になるし、書いたところで多数の疑似コメに埋もれて見つけて貰えない。
俺も少数派でいる事が多いので疑似コメ増やして他の少数意見を埋もれさせる加害者になりたくないので、
なるべく全てのコメを読んで既に言いたい事が書かれてればそこにいいねするだけにして同じ内容は書かないようにしてるし、コメツリーをいくつも立てません。
長文を書きはするけどツリーが一つだけなら読みたくない人はさっと飛ばせる。もしこの文をツリー10個に分けたら他人に迷惑がかかる。
でもこんな事考えて書いてるのたぶん俺くらい、どの言語の母語話者でもです。
日本の動画はどんなに人気のものでもコメは4桁だけど英語動画になると5桁がザラにある。
その5桁のコメも内容ごとに整理したらきっとせいぜい100通りくらいしかない。
500回くらい書かれてる意見は大勢の目につくけど3回しか書かれない意見は誰にも気づいてもらえない。
コメの多さが動画主の収入に繋がるなら疑似コメを増やす事は否定できないけどyoutubeにその仕組みは辞めてって言いたくなる。
でもyoutube以外のどんなサイトでもそこを効率化できていない。
みんな多数派に属していたい気持ちと、自分個人のオンリーワンそうな意見に耳を傾けて欲しい気持ちがある、