はてなキーワード: てふんとは
倒れた猿 https://note.com/itakuratoshiyuki/n/n9e7a6e7430f9 を読んで家庭菜園をしてた時のことを思い出した。
数年前、転勤が決まり、小さい子連れながら東京都心からとある地方都市に引っ越した。
それまで首都圏から出て住んだことがなかったので不安半分、でも小さい子連れで外出するといつもピリピリと気を張っていなければいけなかった都心の生活に疲れ果てていたので、地方だったらのんびりしてるかなと希望を持ちつつの異動だった。
うちが引っ越した先は日本でも下位5位以内に入る人口が少ない県で、まず引っ越した先の家でトイレを流したら床に水漏れしたのにびっくり。(大家さんに言ったらさすがにその日の夕方に業者が来て直していった)
引っ越した先は集合住宅は猫のたまり場で、猫の糞尿がそこらかしこにされてるのに誰も気にしてない様子なのにびっくり。(もちろんにおいがきつい。これは退去するときまで変わらなかった)
道を歩いてる人が全然いないし自転車の人すらほとんど見かけないのにびっくり。(みんな車でしか移動しない)
方言もきつく言葉もわからないことも多々あり、あらゆるところでカルチャーショックを受け、都会から着てきた服は地元のスーパーではカラフルで洗練されすぎていて目立ちすぎるのに気付いたころにはなんとか地元のコミュニティに溶け込もうと必死になった。(子連れじゃなかったらまた違う認識だったのかもしれない)
いつしか地味で無難な服ばかり着るようになり、言葉も聞き真似でイントネーションを合わせ、ついでに月500円で地元の農家さんに畑を借りることにした。(今考えると形から入っていこうとしていたのかもしれない)
さて、畑は20平米ぐらいの大きさで、どーんと土と雑草で覆われた畑だった。
好きなものを作っていいんだと思っても何を作っていいのかわからない。というかどうしたらいいのかわからない。
わからないのでまず家庭菜園の本を買った。揃えなきゃいけないもの、土をどうしたらいいのか、種や苗をどうやって植えるのか。土を鍬でめっちゃ耕した。(筋肉痛になった)苦土石灰をまいた。わからないながらもマルチングシートで畑を覆った。(これはめちゃくちゃ大事だったと後でわかる)
ホームセンターに行って苗を色々見た。時は春。失敗しなさそうなトマトやキュウリやピーマンやナスやオクラやサツマイモの苗を買った。植えて毎日様子を見に行った。
暑くなるにつれてどんどん苗は大きくなっていった。すくすくと育っていく苗を見るのはいいものだった。花がつくとうれしかったし、花が枯れた後に小さな実がついているを見るのが楽しみになった。
畑を往復してるのに使ってた車があっという間に中も外も土で汚れた。農家の人がみんなハイジェットに乗る理由がわかった。そして害虫と雑草の被害の大変さを身をもって知ることになる。
まず害虫。都会で生活していたので最初は芋虫にいちいち怯えていた。よく見かけたのはタバコガ、スズメガ、ヨトウガの幼虫だろうか。見つけたらとって中身が見えないように葉っぱをかぶせてふんづけるようにしていた。
こいつらマジで滅茶苦茶葉っぱや実を食っていく。オルトランをまくことでだいぶ減ったけどそれでもしぶといのが割とついている。
最初は怯えていたけれどそのうちにせっかく一生懸命育てた作物が無残にも食べられていくのに憎しみを覚えるようになった。じきに見つけたら即はさみでチョキンスタイルに変更になった。緑の中身が出てくるのにも慣れた。彼らに慈悲は無用と考えるようになった。
虫はほかにもいろいろついて、アブラムシやウリハムシ、ニジュウヤホシテントウにも本当に悩まされた。ちょっと葉が茂ってるところに踏み込むと、うわっとウリハムシが200匹ぐらい飛び立つスタイルが続いた。殺虫剤はまかなかったので羽虫系は最後までどうにもできなかった。
そして雑草。マルチングシートの重要性がわかる。ちょっと隙間があればあっという間に雑草がはびこってくるし、雑草には害虫がつくし、通路なんてあっという間に荒地化してしまう。
ナメクジにもいろんなものをよく食べられた。ハナムグリなどの甲虫類にも。蝶は卵を産み付けられるので害虫だし、自分の味方だと感じる虫はカマキリとテントウムシだけになった。虫ではないけど土蜘蛛も強い味方だった。
そんなでもそれなりの収穫物を得ながら試行錯誤を続け、冬には大根やニンジン、白菜などを収穫し、2年目の夏に向けては季節野菜のほかにスイカとメロンというなかなか難しそうな果実を作ることにした。
美味しいものは人間も好きだけれど虫や動物も大好き。それまでの乏しい経験からも果実なんて修羅の道だろうと思いつつ万全を尽くして苗を植え、手をかけて育て育てた。
スイカの実ってなりたては小さいスイカで本当にかわいい。ぷっくりしたスイカの実を害獣に食べられないように一つ一つにネットをかけ、地面の湿気で腐らないように実の下にトレイを置いた。陽があたらないと皮が黄色くなるらしいのでスイカの実の向きを太陽に当たるように毎日ちょっとずつ調整した。
米のとぎ汁をあげると甘くなるとのうわさも聞き、家からとぎ汁を持って行ってかけた。緑色の実がだんだん大きくなっていくのが楽しみで仕方なかった。
そんなスイカの実が20cmぐらいに大きくなったころのある日。事件がおきた。
食べられ方から犯人がわかった。カラスだ。ネットの隙間から鋭いくちばしでつついて突き崩したのだ。
中の実はちゃんと赤くてみずみずしくて、蟻がいっぱい行列を作っている。きっと甘いんだろうなと思った。
悲しかったけどやられた実は廃棄するしかなかった。残された数少ない実をさらに食べにくいように葉っぱで隠し、ネットをかけ、障害物を置き、カラス除けも設置した。
猟銃所持許可されてたらマジで付近を飛び回ってるカラスを仕留めてたかもしれない。
それぐらい憎かった。
農家の人たちはこんな思いをしながら作物を育ててるんだろうという一端がすごくよくわかった出来事だった。
そこから自分の生活を脅かす動物を害獣として割り切れるスキルが身についた気がする。
ちなみに当県ではアライグマも害獣としてメジャーな動物です。サルよりも見た目はかわいいと思うんだがやっぱり自分は割り切って対応してしまうかもしれない。
たとえば、今ホットエントリに入ってる「バックアップ」を例にとる。
実はLinuxやWindowsの最新版では、強力なバックアップ機能が最初からついている。
しかしこれを使うと運用がシンプルになり、人月工数が稼げない。
そしてそのソフトが複雑だから、〇〇人月下さいね、と請求することができる。
客は「OS標準よりも、ソフト沢山入れたほうが重厚で安心できそう!」と勘違いする。
LinuxとWindowsの標準機能で100%以上の要件が満たせるのである。
「無知につけこんで、煙に巻いてふんだくる」という行為である。
だから、上のバックアップ担当者などはヤ〇ザっぽい反社人間をつけることが多い。
客がもし「この機能って本当にいるんですか・・・?」とか気づいても、
SIerやSESには、多かれ少なかれそういうビジネス要素がある。
「人売り」という戦前からの手配師にヤ〇ザものが多かった時代となんら変わらない。
より深い理解には、
今週の不毛な議論を聞いてて、山ちゃんのワードセンスの高さってのを改めて思うのと同時に銀シャリの鰻の狂気と、橋本の軽快かつ上手い物言いが楽しかったわ。
で、今日仕事しながらマヂラブコント議論についてふんわり考えていたんだが、考えてみたら南キャンの漫才もどちらかというとコント漫才よな。
俺がマジラブを漫才と認めたくない要因として、変なことをしているだけってところだったんだが、そもそも南キャンのM1の漫才も間違いなく変なんだよ。
だって、お医者さんやりたいって言っているのに相方は火を怖がるサイをやるし、これはクリリンの分!って言いながら殴り掛かってくるし。
間違いなく、ただ変なだけだし、ジャンルもコント漫才に近いのよ。
それを笑いへ昇華できるのは山ちゃんのツッコミが一貫して普通の人としてのスタンスで真綿で締め付けるような一見優しいツッコミであの異常空間をコントロールできているか
これに近いのがアンタッチャブルのM1のネタも、ザキヤマがただ暴れているだけで同じように柴田が一般人の感性で突っ込みしてコントロールできている。
どちらも、コントよりの漫才でマジラブよりも絶対に面白いと自信をもっていえる。
さらに、変なことをしているだけかつ、キャラクターよりかつコントの漫才で言えば中川家なんかがあげられるが、あれは細かすぎて伝わらないものまねと似たようなベクトル。
あるあるネタなので変人が登場しても比較的受け入れやすいネタといえる。
M1取れてはいないが今の千鳥のネタなんかも大体大吾が暴れ倒してノブが激しいながらも突っ込む。
M1優勝者で言うならノンスタイルなどは変人が入れ替わる形式をとっている。
井上がいつものあの気持ち悪い感じを出すと、見ている人たちを代弁するかのように石田が突っ込む。
スリムクラブは雰囲気が独特だが、ネタの構成も概ね近い形ではある。
ダブルボケというシステムだが、ボケ方が独特すぎて世界観に入るのが難しい。
この二人もただただ二人が暴れ倒しているだけで見ている人たちを世界観に引き込むほどではないと感じる。
野田がただただ暴れ倒してて、村上がそれを見守る形式で突っ込みの視点がない、いやツッコミはしているだろうが野田の暴れっぷりに負けてしまっている。
バランスが取れておらず、ただただ置いてけぼりになる。
冷静に見れば見るほどつまらないんだなと改めて思う。
じゃあなぜM1とれたのかというと、芸人さんの話を聞いていると
「強力な個性にあこがれる」癖があるのかなとは思う。
強力な個性にあこがれ、それを面白いと捉える癖と言い換えてもいい。
実際M12020の結果は圧勝ではない、接戦でマジラブがたまたまた勝っただけ。
実際M1 2020において、巨人師匠、塙が見取り図に、松本、上沼がおいでやすこがに、富沢、志らく、中川礼二がマジラブに入れている。
志らくに関してはM1審査員としての力量に疑問を感じている人は少なくない、中川礼二はそもそもネタの性質上、一見個性大爆発に見えるあの手のネタにあこがれを抱いているように見える、富沢に関してはそもそもセンス型に近い人なのでキャラクター寄りのネタが大好物だ。
もし志らくが別の審査員だったら、もう少しロジック寄りのネタ作りをするタイプ、例えばノンスタ石田だったらどうなっていたかと思いを馳せるところではある。
そんなことはない、マヂラブは面白いという人たちはもう一度冷静にマヂラブのネタを見て、さらには有吉の壁に出ているときなどの彼らを冷静に見てほしい。
「稼ぎたいって金が欲しいとか暮らしていけるようになりたいってふんわりした意味」
って言い換えてる時点で、もうすでに元増の補強材料になってるじゃん。
何でも貫ける槍は「なんでも貫けるくらい強い槍だよ」って言ってるようなもん。
・自分の布団で昼寝が出来る
・誰にも気を使わず、一人ゆっくり、録画したテレビを見ながら安く温かい昼飯が食える
・好きなデスク環境、好きな音楽、好きな香りの中で仕事ができる
・テキストベースなのでパワハラ発言が証拠に残りやすく、ビデオ会議も容易に録音録画可能なので、結果的にそういう発言にはみんな気をつけるようになる
・服を考えなくていい、アイロンかけなくていい、寝癖直さなくていい、ヒゲ剃らなくていい、女性だったら化粧しなくていい、なんなら風呂も毎日入らんでもいい
・家が職場なので、「会社にいくのめんどくせえええ」が無くなる
・疲れたら休憩しても、頻繁にトイレに行っても、少し横になって休んでも、誰の目も気にしなくても良い
・仕事中に歩き回ってもいいし、アクビしたって、机に足のせてふんぞり返ったっていい
・引っ越したくなったらいつでもどこにでも引っ越せる
・出社より人との関わりが少なくなるので、人と話したくてしょうがない人や、会社以外に友達がいない人、飲み会が生きがいの人は寂しいかもしれない
浮気相手(寝てもいい程度に好意感情がある)を突き落とすような人そういないだろうし、その前の店での和気あいあいとかホテルにいちゃいちゃ入っていくとかの目撃証言とかあれば嘘やろってなるわな
そんでも強姦された!って言い張るのなら女性が「今安定期だから妊娠は安全だけど挿入はなしね、口だけ」とかの約束やぶられたりの事情があるわけで体に証拠が残るから訴えても勝てるとおもって訴えてるわけじゃん そんなのバカ妊婦人妻をダマしてホテルに連れ込む時点で潜在的に加害してるわけだししょうがないよね あとバカ妊婦ともども元旦那との民事は負けてふんだくられるしお疲れ様ですバーカバーカとしかね
身持ちしろ
仕事で疲れて1時過ぎに家に帰ったら嫁が起きて待っていて息子が幼稚園で揉め事を起こしたとか何とかでなんとかかんとか言い出した。正直もう眠たかったし、明日もほぼ始発出勤だし、うるせぇなとだけ思ってふんふんと適当に相槌を打っていたらなぜか嫁がブチギレてヒステリーみたいになった。なんなんだこの女こんな時間にどういう神経してんだと思って時間を考えろと説得したら余計にヒートアップした。ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん。あー、もうだめだわと思って目の前の女をぶん殴った。女は目を見開くとさらに大きな声でわめき始めたのでもう二発ついでに殴ったら静かになった。なんなんだクソがと思ってそのまま眠りについた。朝起きた時は嫁はまだ寝ていて、もうめんどくせえなと思ってそのまま家を出た。右手の中指の付け根がはれ上がってるのもムカつくし、しょうもない朝だ。朝飯も昼飯も小遣いから出した。少ないのに。今日はちょっとは早く帰れそうなので家に帰ったら嫁と話し合わないといけない。またイライラして喧嘩になったら困るからお前らの知ってる落ち着いて人の話を聞ける方法があったら教えてほしい。また次の女探すのも大変だし、今回は穏当に話し合いで解決したい。
なんていうか、義務教育を外れた人ってこんな感じなのかな
俺は知らない!知りたいといったおまえの自己責任で調べろ!調べたら俺の手柄だ!
ってふんぞり返ると偉いんだろうな
という話に熱を上げ、最後には怒り出すような人間にだけはなりたくないものだ。
「やってみなければ分からない」「だがやれない」「だから分からない」で終わりだろう。
もしも「いいやそれでもコッチの方が強い」と言いたい奴には言わせればいいし、せっかくだから楽しく競馬論でも語ってみようじゃないか。
たまにいるんだ……「○○は俺達世代の代表、○○をバカにされると自分までバカにされたような気分になる」とか抜かす頭のイカれた人間が。
何を言ってるのか全く分からないのだが、彼らの中ではそういう感情は当たり前のものらしい。
たとえばこれが「ウサイン・ボルトは黒人の代表だから、彼が活躍することは黒人の可能性を証明する素晴らしいものだ」という意見ならまだ分からなくもない。
だが、馬だぞ?
それも、たまたま自分が競馬にハマっていた時代に活躍していたという繋がりしかない馬だ。
さっき、「ウサイン・ボルトは黒人の代表だ」という意見なら受け入れると言ったが、これが「○○は俺達の時代の代表だから」と言うならそれも軽蔑の対象だ。
たまたま自分と同じ時代を生きた人間が結果を出したというだけで、自分まで凄い人間であることが証明されるなんて言い出すのは脳がイカれているとしか思えない。
ハッキリ言うが、「ウサイン・ボルトが活躍した。俺は黒人だ。俺は凄い」というのなら、そんな黒人は軽蔑の対象だ。
「黒人であっても白人に劣りなんてせず、人種の違いで人を差別するのは馬鹿馬鹿しい」という意味で、ウサイン・ボルトの栄光を称えるのなら理解できるだけで、他人の成果を笠に着て自分が偉いなんてふんぞり返るようならタダの気狂いに他ならぬ。
なんでその例に競馬を上げたのかだが……まあ競馬ってのにはどうにもそういう奴が多いんだよ。
理解に苦しむのだが、自分が熱を上げていた時代に活躍した競走馬が褒め称えられると自分まで立派な人間だと思いこんでしまう人種が殊更に多いのだ。
まあ、「そんな時代の競馬を楽しんだ俺は勝ち組」ぐらいならいいのだが、いつの間にかその時代のヒーローと自分を同一視して、やたらと繊細であることが人格の清らかさを証明するとさえ勘違いしている。
信じられないことだ。
彼らにとってはよっぽど自分の人生そのものが誇れるものじゃないらしい。
そうでなければ、「自分のヒーロー」のために自分自身の人生や、他人の人生を平気で投げ捨てたりはしないだろう。
ヒーローの名誉のためなら、普通の人間の価値なんてゴミに等しいと信じているのだろうか?
天皇のためなら玉砕することこそが幸福だと信じていたあの頃の帝国軍人のように。
まったくもって気が知れない。
そのとき西にしのぎらぎらのちぢれた雲くものあひだから、夕陽ゆふひは赤あかくなゝめに苔こけの野原のはらに注そゝぎ、すすきはみんな白しろい火ひのやうにゆれて光ひかりました。わたくしが疲つかれてそこに睡ねむりますと、ざあざあ吹ふいてゐた風かぜが、だんだん人ひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみの山やまの方はうや、野原のはらに行おこなはれてゐた鹿踊しゝおどりの、ほんたうの精神せいしんを語かたりました。
そこらがまだまるつきり、丈たけ高たかい草くさや黒くろい林はやしのままだつたとき、嘉十かじふはおぢいさんたちと北上川きたかみがはの東ひがしから移うつつてきて、小ちいさな畑はたけを開ひらいて、粟あはや稗ひえをつくつてゐました。
あるとき嘉十かじふは、栗くりの木きから落おちて、少すこし左ひだりの膝ひざを悪わるくしました。そんなときみんなはいつでも、西にしの山やまの中なかの湯ゆの湧わくとこへ行いつて、小屋こやをかけて泊とまつて療なほすのでした。
天気てんきのいゝ日ひに、嘉十かじふも出でかけて行いきました。糧かてと味噌みそと鍋なべとをしよつて、もう銀ぎんいろの穂ほを出だしたすすきの野原のはらをすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくり歩あるいて行いつたのです。
いくつもの小流こながれや石原いしはらを越こえて、山脈さんみやくのかたちも大おほきくはつきりなり、山やまの木きも一本いつぽん一本いつぽん、すぎごけのやうに見みわけられるところまで来きたときは、太陽たいやうはもうよほど西にしに外それて、十本じつぽんばかりの青あをいはんのきの木立こだちの上うへに、少すこし青あをざめてぎらぎら光ひかつてかかりました。
嘉十かじふは芝草しばくさの上うへに、せなかの荷物にもつをどつかりおろして、栃とちと粟あわとのだんごを出だして喰たべはじめました。すすきは幾いくむらも幾いくむらも、はては野原のはらいつぱいのやうに、まつ白しろに光ひかつて波なみをたてました。嘉十かじふはだんごをたべながら、すすきの中なかから黒くろくまつすぐに立たつてゐる、はんのきの幹みきをじつにりつぱだとおもひました。
ところがあんまり一生いつしやうけん命めいあるいたあとは、どうもなんだかお腹なかがいつぱいのやうな気きがするのです。そこで嘉十かじふも、おしまひに栃とちの団子だんごをとちの実みのくらゐ残のこしました。
「こいづば鹿しかさ呉けでやべか。それ、鹿しか、来きて喰け」と嘉十かじふはひとりごとのやうに言いつて、それをうめばちさうの白しろい花はなの下したに置おきました。それから荷物にもつをまたしよつて、ゆつくりゆつくり歩あるきだしました。
ところが少すこし行いつたとき、嘉十かじふはさつきのやすんだところに、手拭てぬぐひを忘わすれて来きたのに気きがつきましたので、急いそいでまた引ひつ返かへしました。あのはんのきの黒くろい木立こだちがぢき近ちかくに見みえてゐて、そこまで戻もどるぐらゐ、なんの事ことでもないやうでした。
けれども嘉十かじふはぴたりとたちどまつてしまひました。
鹿しかが少すくなくても五六疋ぴき、湿しめつぽいはなづらをずうつと延のばして、しづかに歩あるいてゐるらしいのでした。
嘉十かじふはすすきに触ふれないやうに気きを付つけながら、爪立つまだてをして、そつと苔こけを踏ふんでそつちの方はうへ行いきました。
たしかに鹿しかはさつきの栃とちの団子だんごにやつてきたのでした。
「はあ、鹿等しかだあ、すぐに来きたもな。」と嘉十かじふは咽喉のどの中なかで、笑わらひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近ちかよつて行ゆきました。
一むらのすすきの陰かげから、嘉十かじふはちよつと顔かほをだして、びつくりしてまたひつ込こめました。六疋ぴきばかりの鹿しかが、さつきの芝原しばはらを、ぐるぐるぐるぐる環わになつて廻まはつてゐるのでした。嘉十かじふはすすきの隙間すきまから、息いきをこらしてのぞきました。
太陽たいやうが、ちやうど一本いつぽんのはんのきの頂いたゞきにかかつてゐましたので、その梢こずゑはあやしく青あをくひかり、まるで鹿しかの群むれを見みおろしてぢつと立たつてゐる青あをいいきもののやうにおもはれました。すすきの穂ほも、一本いつぽんづつ銀ぎんいろにかがやき、鹿しかの毛並けなみがことにその日ひはりつぱでした。
嘉十かじふはよろこんで、そつと片膝かたひざをついてそれに見みとれました。
鹿しかは大おほきな環わをつくつて、ぐるくるぐるくる廻まはつてゐましたが、よく見みるとどの鹿しかも環わのまんなかの方はうに気きがとられてゐるやうでした。その証拠しようこには、頭あたまも耳みゝも眼めもみんなそつちへ向むいて、おまけにたびたび、いかにも引ひつぱられるやうに、よろよろと二足ふたあし三足みあし、環わからはなれてそつちへ寄よつて行ゆきさうにするのでした。
もちろん、その環わのまんなかには、さつきの嘉十かじふの栃とちの団子だんごがひとかけ置おいてあつたのでしたが、鹿しかどものしきりに気きにかけてゐるのは決けつして団子だんごではなくて、そのとなりの草くさの上うへにくの字じになつて落おちてゐる、嘉十かじふの白しろい手拭てぬぐひらしいのでした。嘉十かじふは痛いたい足あしをそつと手てで曲まげて、苔こけの上うへにきちんと座すはりました。
鹿しかのめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交かはる交がはる、前肢まへあしを一本いつぽん環わの中なかの方はうへ出だして、今いまにもかけ出だして行いきさうにしては、びつくりしたやうにまた引ひつ込こめて、とつとつとつとつしづかに走はしるのでした。その足音あしおとは気きもちよく野原のはらの黒土くろつちの底そこの方はうまでひゞきました。それから鹿しかどもはまはるのをやめてみんな手拭てぬぐひのこちらの方はうに来きて立たちました。
嘉十かじふはにはかに耳みゝがきいんと鳴なりました。そしてがたがたふるえました。鹿しかどもの風かぜにゆれる草穂くさぼのやうな気きもちが、波なみになつて伝つたはつて来きたのでした。
嘉十かじふはほんたうにじぶんの耳みゝを疑うたがひました。それは鹿しかのことばがきこえてきたからです。
「ぢや、おれ行いつて見みで来こべが。」
「うんにや、危あぶないじや。も少すこし見みでべ。」
こんなことばもきこえました。
「何時いつだがの狐きつねみだいに口発破くちはつぱなどさ罹かゝつてあ、つまらないもな、高たかで栃とちの団子だんごなどでよ。」
「そだそだ、全まつたぐだ。」
こんなことばも聞ききました。
「生いぎものだがも知しれないじやい。」
「うん。生いぎものらしどごもあるな。」
こんなことばも聞きこえました。そのうちにたうたう一疋ぴきが、いかにも決心けつしんしたらしく、せなかをまつすぐにして環わからはなれて、まんなかの方はうに進すゝみ出でました。
進すゝんで行いつた鹿しかは、首くびをあらんかぎり延のばし、四本しほんの脚あしを引ひきしめ引ひきしめそろりそろりと手拭てぬぐひに近ちかづいて行いきましたが、俄にはかにひどく飛とびあがつて、一目散もくさんに遁にげ戻もどつてきました。廻まはりの五疋ひきも一ぺんにぱつと四方しはうへちらけやうとしましたが、はじめの鹿しかが、ぴたりととまりましたのでやつと安心あんしんして、のそのそ戻もどつてその鹿しかの前まへに集あつまりました。
「なぢよだた。なにだた、あの白しろい長ながいやづあ。」
「縦たてに皺しはの寄よつたもんだけあな。」
「そだら生いぎものだないがべ、やつぱり蕈きのこなどだべが。毒蕈ぶすきのこだべ。」
「うんにや。きのごだない。やつぱり生いぎものらし。」
「さうが。生いぎもので皺しわうんと寄よつてらば、年老としよりだな。」
「うん年老としよりの番兵ばんぺいだ。ううはははは。」
「ふふふ青白あをじろの番兵ばんぺいだ。」
「ううははは、青あをじろ番兵ばんぺいだ。」
「こんどおれ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ、大丈夫だいじやうぶだ。」
「喰くつつがないが。」
「うんにや、大丈夫だいじやうぶだ。」
そこでまた一疋ぴきが、そろりそろりと進すゝんで行いきました。五疋ひきはこちらで、ことりことりとあたまを振ふつてそれを見みてゐました。
進すゝんで行いつた一疋ぴきは、たびたびもうこわくて、たまらないといふやうに、四本ほんの脚あしを集あつめてせなかを円まろくしたりそつとまたのばしたりして、そろりそろりと進すゝみました。
そしてたうたう手拭てぬぐひのひと足あしこつちまで行いつて、あらんかぎり首くびを延のばしてふんふん嚊かいでゐましたが、俄にはかにはねあがつて遁にげてきました。みんなもびくつとして一ぺんに遁にげださうとしましたが、その一ぴきがぴたりと停とまりましたのでやつと安心あんしんして五つの頭あたまをその一つの頭あたまに集あつめました。
「なぢよだた、なして逃にげで来きた。」
「噛かぢるべとしたやうだたもさ。」
「ぜんたいなにだけあ。」
「わがらないな。とにかぐ白しろどそれがら青あをど、両方りやうはうのぶぢだ。」
「匂にほひあなぢよだ、匂にほひあ。」
「柳やなぎの葉はみだいな匂にほひだな。」
「はでな、息いぎ吐つでるが、息いぎ。」
「さあ、そでば、気付きつけないがた。」
「こんどあ、おれあ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ」
三番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝみました。そのときちよつと風かぜが吹ふいて手拭てぬぐひがちらつと動うごきましたので、その進すゝんで行いつた鹿しかはびつくりして立たちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿しかはやつとまた気きを落おちつけたらしく、またそろりそろりと進すゝんで、たうたう手拭てぬぐひまで鼻はなさきを延のばした。
こつちでは五疋ひきがみんなことりことりとお互たがひにうなづき合あつて居をりました。そのとき俄にはかに進すゝんで行いつた鹿しかが竿立さをだちになつて躍をどりあがつて遁にげてきました。
「何なして遁にげできた。」
「気味悪きびわりぐなてよ。」
「息いぎ吐つでるが。」
「さあ、息いぎの音おどあ為さないがけあな。口くぢも無ないやうだけあな。」
「あだまあるが。」
「あだまもゆぐわがらないがつたな。」
「そだらこんだおれ行いつて見みべが。」
四番目よばんめの鹿しかが出でて行いきました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭てぬぐひの前まへまで行いつて、いかにも思おもひ切きつたらしく、ちよつと鼻はなを手拭てぬぐひに押おしつけて、それから急いそいで引ひつ込こめて、一目いちもくさんに帰かへつてきました。
「おう、柔やつけもんだぞ。」
「泥どろのやうにが。」
「うんにや。」
「草くさのやうにが。」
「うんにや。」
「ごまざいの毛けのやうにが。」
「うん、あれよりあ、も少すこし硬こわぱしな。」
「なにだべ。」
「とにかぐ生いぎもんだ。」
「やつぱりさうだが。」
「うん、汗臭あせくさいも。」
「おれも一遍ひとがへり行いつてみべが。」
五番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝんで行いきました。この鹿しかはよほどおどけもののやうでした。手拭てぬぐひの上うへにすつかり頭あたまをさげて、それからいかにも不審ふしんだといふやうに、頭あたまをかくつと動うごかしましたので、こつちの五疋ひきがはねあがつて笑わらひました。
向むかふの一疋ぴきはそこで得意とくいになつて、舌したを出だして手拭てぬぐひを一つべろりと甞なめましたが、にはかに怖こはくなつたとみえて、大おほきく口くちをあけて舌したをぶらさげて、まるで風かぜのやうに飛とんで帰かへつてきました。みんなもひどく愕おどろきました。
「ぢや、ぢや、噛かぢらへだが、痛いたぐしたが。」
「プルルルルルル。」
「舌した抜ぬがれだが。」
「プルルルルルル。」
「なにした、なにした。なにした。ぢや。」
「ふう、あゝ、舌した縮ちゞまつてしまつたたよ。」
「なじよな味あじだた。」
「味あじ無ないがたな。」
「生いぎもんだべが。」
「なじよだが判わからない。こんどあ汝うなあ行いつてみろ。」
「お。」
おしまひの一疋ぴきがまたそろそろ出でて行いきました。みんながおもしろさうに、ことこと頭あたまを振ふつて見みてゐますと、進すゝんで行いつた一疋ぴきは、しばらく首くびをさげて手拭てぬぐひを嗅かいでゐましたが、もう心配しんぱいもなにもないといふ風ふうで、いきなりそれをくわいて戻もどつてきました。そこで鹿しかはみなぴよんぴよん跳とびあがりました。
「おう、うまい、うまい、そいづさい取とつてしめば、あどは何なんつても怖おつかなぐない。」
「きつともて、こいづあ大きな蝸牛なめくづらの旱ひからびだのだな。」
「さあ、いゝが、おれ歌うだうだうはんてみんな廻まれ。」
その鹿しかはみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭てぬぐひをまはりはじめました。
すつこんすつこの 栃とちだんご
栃とちのだんごは 結構けつこうだが
となりにいからだ ふんながす
青あをじろ番兵ばんぺは 気きにかがる。
青あおじろ番兵ばんぺは ふんにやふにや
瘠やせで長ながくて ぶぢぶぢで
どごが口くぢだが あだまだが
ひでりあがりの なめぐぢら。」
走はしりながら廻まはりながら踊おどりながら、鹿しかはたびたび風かぜのやうに進すゝんで、手拭てぬぐひを角つのでついたり足あしでふんだりしました。嘉十かじふの手拭てぬぐひはかあいさうに泥どろがついてところどころ穴あなさへあきました。
「おう、こんだ団子だんごお食くばがりだぢよ。」
「おう、煮にだ団子だぢよ。」
「おう、まん円まるけぢよ。」
「おう、はんぐはぐ。」
「おう、すつこんすつこ。」
「おう、けつこ。」
鹿しかはそれからみんなばらばらになつて、四方しはうから栃とちのだんごを囲かこんで集あつまりました。
そしていちばんはじめに手拭てぬぐひに進すゝんだ鹿しかから、一口ひとくちづつ団子だんごをたべました。六疋ぴきめの鹿しかは、やつと豆粒まめつぶのくらゐをたべただけです。
鹿しかはそれからまた環わになつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。
嘉十かじふはもうあんまりよく鹿しかを見みましたので、じぶんまでが鹿しかのやうな気きがして、いまにもとび出ださうとしましたが、じぶんの大おほきな手てがすぐ眼めにはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまた息いきをこらしました。
太陽たいやうはこのとき、ちやうどはんのきの梢こずゑの中なかほどにかかつて、少すこし黄きいろにかゞやいて居をりました。鹿しかのめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづき合あひ、やがて一列れつに太陽たいやうに向むいて、それを拝おがむやうにしてまつすぐに立たつたのでした。嘉十かじふはもうほんたうに夢ゆめのやうにそれに見みとれてゐたのです。
一ばん右みぎはじにたつた鹿しかが細ほそい声こゑでうたひました。
「はんの木ぎの
みどりみぢんの葉はの向もごさ
ぢやらんぢやららんの
お日ひさん懸かがる。」
その水晶すゐしやうの笛ふえのやうな声こゑに、嘉十かじふは目めをつぶつてふるえあがりました。右みぎから二ばん目めの鹿しかが、俄にはかにとびあがつて、それからからだを波なみのやうにうねらせながら、みんなの間あひだを縫ぬつてはせまはり、たびたび太陽たいやうの方はうにあたまをさげました。それからじぶんのところに戻もどるやぴたりととまつてうたひました。
「お日ひさんを
せながさしよへば、はんの木ぎも
くだげで光ひかる
鉄てつのかんがみ。」
はあと嘉十かじふもこつちでその立派りつぱな太陽たいやうとはんのきを拝おがみました。右みぎから三ばん目めの鹿しかは首くびをせはしくあげたり下さげたりしてうたひました。
「お日ひさんは
はんの木ぎの向もごさ、降おりでても
すすぎ、ぎんがぎが
まぶしまんぶし。」
ほんたうにすすきはみんな、まつ白しろな火ひのやうに燃もえたのです。
「ぎんがぎがの
すすぎの中ながさ立たぢあがる
はんの木ぎのすねの
長なんがい、かげぼうし。」
五番目ばんめの鹿しかがひくく首くびを垂たれて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そこの日暮ひぐれかだ
苔こげの野のはらを
蟻ありこも行いがず。」
このとき鹿しかはみな首くびを垂たれてゐましたが、六番目ばんめがにはかに首くびをりんとあげてうたひました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そごでそつこりと
咲さぐうめばぢの
愛えどしおえどし。」
鹿しかはそれからみんな、みぢかく笛ふゑのやうに鳴ないてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。
北きたから冷つめたい風かぜが来きて、ひゆうと鳴なり、はんの木きはほんたうに砕くだけた鉄てつの鏡かゞみのやうにかゞやき、かちんかちんと葉はと葉はがすれあつて音おとをたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂ほまでが鹿しかにまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見みえました。
嘉十かじふはもうまつたくじぶんと鹿しかとのちがひを忘わすれて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫さけびながらすすきのかげから飛とび出だしました。
鹿しかはおどろいて一度いちどに竿さをのやうに立たちあがり、それからはやてに吹ふかれた木きの葉はのやうに、からだを斜なゝめにして逃にげ出だしました。銀ぎんのすすきの波なみをわけ、かゞやく夕陽ゆふひの流ながれをみだしてはるかにはるかに遁にげて行いき、そのとほつたあとのすすきは静しづかな湖みづうみの水脈みをのやうにいつまでもぎらぎら光ひかつて居をりました。
そこで嘉十かじふはちよつとにが笑わらひをしながら、泥どろのついて穴あなのあいた手拭てぬぐひをひろつてじぶんもまた西にしの方はうへ歩あるきはじめたのです。
それから、さうさう、苔こけの野原のはらの夕陽ゆふひの中なかで、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋あきの風かぜから聞きいたのです。
キモいのわかる
アニメって提供物で自分が気持ちよくなった事をつらつらと相手の定義を言葉にしてあげることで
自分が気持ちよくなる性感帯の攻め方を知ってる嬢のプレイをつらつらと書き垂らしてるのが感想とか解説とかいってるのがキモいんだと思う
自分が解説できるほど理解できたとか感動できるほど評価できるクオリティだとかみたいなのってもはや二次創作なんじゃないかって感じする
ストーリーとか内容そのまま盛りって脈絡のない創作にキャラクタだけ乗っけるよりたちがわるいよね
お金で買った快楽を他の人が体験するまえに自分の体験を語って評価をつけて他人に話すことで自分が提供者側の一部になった気でいるのだろうけど
一番にならんで舞台の最前列から後ろに振り返って「おまえら楽しめよ」とか観客なのにほかの観客にむかってふんぞり返るのとかキモいね
なんか似たようなエントリ最近見たけど、どこにも吐き出せないから吐き出したい。
感染を抑えるために頑張りましょう、今だけの辛抱ですって去年も言ってたよ。いつ終わるの?
緊急事態宣言が出ても、リモートワーク推奨でも、どうしても紙媒体が必要になる仕事だから、こんな中でほぼ毎日出勤してる。
最大二人でシフト組んでって言われてるけど、私の課は三人しかいないから、感染対策になってないよ。ほぼ毎日出てる。
人事、総務、営業は出ていない。その中で在宅勤務している人たちが、私たちが出勤していることに気がついて、やれ在宅端末が壊れたから修理に出して欲しい、人事の書類を送ってほしい、取引先の文書を受け取ってスキャンして送ってほしい、毎日毎日依頼をかけてくる。
私たち、自分たちの業務がお客様のために不可欠だから泣く泣く出てるだけであって、あなたたちの雑用のためにいるんじゃないんだよ。課長が見かねて止めても、メールだと足がつくから電話で早口で用件を捲し立てて、こちらができないです!って強めに言ってもすぐに電話を切ってしまう。折り返しても出ない。
結局向こうの業務に支障が出てしまうから、と雑用もこなすことになる。先月の残業時間は60時間を越した。
こんな中で、営業さんたちは在宅勤務端末の発注が間に合わないから、4・5月に引き続き8割が自宅待機なんだって聞いた。
自宅待機なのに箱根の温泉でリフレッシュ!とかLINEに書いてるやついるよ?会社もそれを把握しているのに、その人が罰せられてる気配はない。
せめてお金が出れば納得できるんだけど、4・5月の時は「管理職やプロパー社員はみんな在宅してたから」という理由でうちだけ危険手当でなかった。
感染リスクが高い中で毎日出勤してたのに、課長からの「6月は有給とって体を休めてくださいね!」っていう謎の労いだけで終わった。多分今回もそうなんだろう。
家に帰ってくると、毎日リモートワークの夫がふんぞり返って座っている。
6時30分に出て22時に帰ってくる生活をしているから、家事は代わってほしいって言ったのに、「俺は仕事で忙しい」ってふんぞりかえって、タバコ吸ってる。
腹が立って自分の分だけ家事をこなしたら、罵詈雑言の嵐。義母にも伝わって、休みの日に「貴方は妻としての自覚が足りない、夫を支えるのが妻の最大の仕事、貴方のやるような遊びみたいな仕事は夫の仕事とは違う」って50分説教された。
9月くらいに若干落ち着いたから、友達と感染対策めっちゃして、ご飯でも食べようかってなった時、夫に何気なく話したらめちゃくちゃキレて、地団駄踏んだ。
なんか怖くなって実母に相談したら、「貴方の仕事と違って、夫くんは責任感も社会のためにもなる仕事をしている。コロナになれば夫くんの評価が下がる。貴方からの感染になるわけにはいかない。貴方の楽しみは全部我慢して、家にいなさい」って言われた。
怒り狂う夫、義母からの電話、実母からのLINE攻撃に辟易して、結局ご飯はキャンセルした。
でも、夫は毎週のように先輩と船に乗って釣りに行く。それはいいんだってさ。実母も義母も、夫自身も感染リスクは低いって言って聞かない。意味がわからない。
楽しみにしていたイベントも、友達に会うこともできないまま、どんどん時間だけがすぎていく。
毎日毎日感染者の数と、若者へのステイホームと、強めのお願いの動画が回ってくる。
そんな中でも、バスの中には老人向けの格安バスツアーの広告が入ってるし、私の課にいる定年間近のおばさんは、何度言っても「話してる最中に暑くなっちゃうから」と話している最中にマスクをとる。駅ですれちがうおじさんはマスクをしてない人もたくさんいるし、マスクをわざわざ外して咳やくしゃみをするおばさんもいる。
テレビでは高齢者を守ろうっていうけど、こんな人たち守る必要ある?
コロナはいつか終わる!だから頑張ろうって、一年前から言ってなかった?
いつかこの仕事が評価されるって言うけど、危険手当すら出し渋るくせに?
楽しいイベントも、友達と会うのも今は我慢して!って言うけど、いつまで続くの?
若い人が自粛してって言うけど、イベントも外出も防ぐくせになんで毎日の仕事は休みにならないの?
なんかもう疲れた。
22時をすぎると、テイクアウトも終わっている店が多いから、しんどい体を引きずって自炊しないとあたたかいものも食べられない。
何なんだろうこの世の中。感染対策がんばってきたけど、何一つ報われない。感染対策に中指立てて、友達と会いまくったりしてればよかったのかな。そういうずる賢い奴が得をしてるじゃん。
今日は珍しく21時までに仕事が終わって、友達からきたLINEを見てたら、「緊急事態宣言の隙間に遠距離の彼氏の家に逃げ込んで、リモートワークできてて充実してる!毎日楽しい!東京大変だね、大丈夫?」ってLINEがきてた。
つらくて閉じて、真っ暗な道を歩きながら一人で泣いてる。