「大磯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 大磯とは

2024-03-12

anond:20240312111939

まれてたやつが自分と同じかそれ以下に落ちるのだから格差が消えるじゃん

 ← まだこんなこと言ってるよ。二次大戦みたいな大戦争を経ても上の方の人間たちの殆んどは転落したわけではないだろ。戦後すぐの銀座写真とか見たことないか? 戦後吉田茂大磯の別荘でゆったり休養したりしてたろ。鳩山だって見てみろよ。 

本当に上の方の恵まれてたやつらが庶民と同じかそれより下に落ちるのは暴力革命の時だよ。フランス革命ロシア革命中国共産革命皇帝王侯貴族たちが引きずり降りされて殺されたり一介の労働者扱いになったりしたろうが。

2023-04-01

anond:20230401155808

黒岩県知事は正しい。

神奈川県民は津波のそなえができていない。藤沢茅ヶ崎平塚大磯東海道線のあたりまで水没する。

町田市民もしっかり覚悟しておくように。

2022-11-03

理解のある彼くんの末路

大磯で妻を海に突き落として殺害 40年介護の81歳夫を逮捕

https://news.yahoo.co.jp/articles/d1fe18dc811675b227dae6016917ca92f9027cb1

夫婦は2人暮らし。妻は足が不自由車いすを利用し、同容疑者は約40年間にわたり妻を介護していた。この日は散歩をしようと妻を連れ出したという。

2021-12-26

anond:20211226171225

うそう。金持ち大磯の別邸や軽井沢の別荘に疎開てふんぞりかえってりゃいいだけなのになw

2017-09-15

学校校長先生天下り

地域給食センターというのはよくある話なのだが、大磯はその仕出し屋が天下り先になってたりするのだろうか

2017-09-14

とりとめのない給食の思い出トーク(まずい編)

大磯給食がまずいと話題になっておりますが。

やれ温かくないとダメだとか言われてます

温かくたってマズいところはマズいんだよ!!

俺が昔通ってた小学校は校内の調理から出来たて熱々を運んできてみんなで食べていたわけだが、タマネギ生煮えとか当たり前であった。トマトも今出回ってる品種のように甘くておいしいなんてことは全くなく緑色が残ってて当たり前で青臭いのも当たり前。牛乳は薄めてあって微妙に臭うのも当たり前(当時は法改正前で薄めていても牛乳と名乗れた)。

小学校で一度転校してるんだが転校先の小学校給食牛乳別に臭わないし野菜はちゃんと火は通ってるし味もよかった(農業県だからか)

オチはない

2016-10-15

もし村上春樹ノーベル賞を取っていたら

ニュースで知ったのだが、今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅教授神奈川県大磯町在住だそうだ。

そして村上春樹も、今は住んでないだの家自体はまだあるだのいろいろ言われているが、大磯に長い間住んでいたのはファンには有名な話。

もし村上春樹ノーベル賞を取っていたら、大磯ゆかり人物が同時受賞として、ロングビーチと海以外なにもない我が地元も一躍脚光を浴びていたのかなとも思ったが、そもそも静かで何もないのが大磯のいいところだしな。

2015-09-01

東芝粉飾の原因は「経団連地位に固執した」から

東芝問題、なんか「財界活動の為、黒字が必達になってしまい、粉飾に及んだ」という気がする。

 財界活動に拘らなければ、ここまで「チャレンジ」する必要がなかったのかも。

 財界活動とか、政府の各種審議会に入って、そんなに「メリット」があるのか?勲章を貰えるとか?

★(アナリストマスコミに冷たい)ファナックとかキーエンスなんかは「財界活動?何それ美味しいの?」な感じで、

 それでもしっかり利益を出している。

 そもそも財界活動に熱中してしまうと、本社東京に移さなきゃならない。

 逆にウシオ電機なんかは(中堅企業なのに)財界活動に嵌まってしまって、姫路から東京本社移してしまったのだろうか

★「財界人政府審議会に入ってご意見する」の元祖は「メザシの土光さん」なんだろうな。言うまでもなく東芝出身

 故人を批判したくないが、土光氏が「財界人政策に口出しする」のルーツになった。

 歴代東芝会長が、政府審議会常連になってるのは、土光さんの遺産

財界活動とか政府審議会とかに嵌まってしまうと、原稿書くスピーチライターとか事務局とかに、

 社内の人材(それもエリートクラス)を10単位で割かなきゃならない。

 住友化学米倉氏が経団連会長就任した際に、「住化に事務局スタッフ負担する能力が無かった」のが就任のネックになったらしい

 逆に言えば、東芝は常に「経団連スタッフ要員」を社内に抱えてる訳です。

 会長経団連役職政府審議会に入らなければ、彼らスタッフが「失業」してしま

サブカル論。

 東芝は「サザエさん」の単独スポンサーから降りたが、これが今回の事件の遠因な気がする。

 東芝サザエさん単独スポンサーを降りたのは、「我々はBtoB企業である、と内外に宣言する為」と聞いてるが、

 結果的消費者感覚市民感覚を忘れてしまい、経団連論理に染まってしまった

東芝長老財界活動とか政府審議会に出入りする理由が「勲章ゲット」のためなら、

 勲章制度のもの老害助長し、そして東京一極集中を加速させるんだな。

 昔の長老は、現役を退いたら、さっさと大磯等に移住していたのに、今の長老財界活動のために東京居座り続け、

 「地方創生」に反している。

2014-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20141221195200

小田原市民なのでかまぼこが盛り上がってうれしい!箱根駅伝の4区を見ながら、みんな食べてね。

この秋、小田原駅に「ハル小田原」という地下街が出来ました。その入り口番手前のいいところに市内13店のかまぼこが全てそろうお店があります

http://www.kamaboko.or.jp/maker.html

揚げたての練り物を紙コップにいれて持ち歩けるようにしてくれるよ。お土産千代紙が綺麗な箱に詰め合わせもしてくれるよ。定番の派手な鈴廣も喜ばれるし、渋い土岩もたまにはいいし、竹輪が美味しい佐倉も私は好きだよ。

B級グルメではない、普通ローカルフードが美味しくて、まだそれなりに作られていて、必要とされているってこのご時勢ありがた珍しいことだと思ってます

都内の皆さまは箱根のついでに是非1時間でも小田原に立ち寄って、こののんびりした城下町で美味しいかまぼこ食べてってください。お正月だけじゃなくて、一年いつでもおいしいよ。

追記

おだちかのこと、覚えていてくれる人ありがとう小学生とき玩具屋さんも洋服屋さんも干物屋さんも掛け声がにぎやかで、なのに気づくと全面閉鎖になって暗い中を駆け足で通り抜けるだけのゴーストタウンになっていました。それが、新しく出来たハルネは明るくて等身大でとても朗らか。中川精肉店さんのお惣菜やさんとか、魚國のお弁当やさんとか、農協の直売野菜店とか、なくなった商店街が帰ってきたような匂いがして歩くだけで心弾みます。とても普通でこの町にぴったりです。年末年始には帰ってきてね。地元はいつもあなたの帰りを待ってます

追追記

ぶらり東海道線一人旅のみなさまには、大磯途中下車おすすめしたいです。井上蒲鉾っていう名店があります。 街全体も文化的でいいところです。日曜日には大磯市っていうマーケットが立つことがあって、漁港で潮風当たりながら食べるはんぺんもうまうまです。つぼ焼きの焼き芋もあるよ。小田原-大磯電車で15分くらいです。西湘はきばらずに散歩できるところたくさんあるよ。ポータルもあるよ。小田原駅の金次郎像をハックしにおいで。

2007-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20070702215449

本文はどうでもいいんだけど

>ロングビーチ大磯ではない)

何故かツボに入った

2007-07-02

7年好きだった女にフラれた

 久しぶりに告白なんてしたからフラレてしまった。

パソコンに付けてるさ、テレビ会議カメラ壊れちゃったよ」

 にやにやしながら課長が話しかけて来る。お昼過ぎののんびりした時間だ。

「僕のWebカメラ使います?」

「いや大丈夫」

「そうですか」

「キミ使ってないのか」

「恥ずかしがりやですから」

 遠くで課長が笑っている。

 僕は自分のパソコンディスプレイに向かって今日30回目のため息をついた。

 彼女との出会い高校で、2年の時に彼女を知ってからは何となく目の端で追いかけるようになっていた。そして3年のクラス替えで同じクラスになり、席替えを2度して、その2度とも隣同士だった。その時からの付き合いだ。付き合いと言ってもただの友達で、どちらかといえば卒業してからの方が仲良くなった。

 きっかけは、彼女から留学してロングビーチ大磯ではない)に今いるというメールが届いてからだ。それから毎日のように(一時途絶えた時もあったが)メールをするようになった。もうあれから3年が経つ。僕は大学卒業し、社会人となった。メール以外では彼女が帰ってきた時には帰国祝いに飲みにいったり、銀杏BOYZの出るライブに行って騒いだりした。そしてそこで自分の好きな音楽や好きなお笑い芸人や将来の悩みやお互いの家族のことを話した。僕たちはあまり喋る方じゃなかったけれど、ぽつぽつと語り、だいたいのところで嗜好は一致していた。でも今思うと、僕が喋るのが苦手だから、彼女が無理にあまり喋らなかったんじゃないかという気がする。そんなメール帰国メール帰国という関係が続いていた。

で、告白のことを書く。

 2007年7月1日。きのう。彼女から誘われた相変わらずの激しいライブが終わって(彼女はなんでこんなにライブが好きなのか、この点よくわからなかった)のんびりとジュースを飲みながら渋谷NHK近くの花壇に座った。夜の10時くらいだったと思う。そして今日の余韻を味わいつつなんとなく切り出した。

僕は7年の月日を考えながら、ほんとにでもやっとだった。どうしていままで言えなかったのか、それはいままでのこの気持ちいい関係をただ壊したくなくて、そう壊したくなくてそれだけだった。怖かった。でももう僕のこころは色とりどりの風船を部屋にぎゅうぎゅうに詰め込んだみたいになって、どうしようもないところまで来ていた。そして社会人になって、行動に移すことの重要さの学んだから。

 答えはすぐ帰ってきた。いまはごめんって。ちょっと沈黙。僕は出来るだけ丁寧にタバコの火を消して、駅行こっかと最大の笑顔で言って立った。

 歩きながら、あーあふられちゃったなーというとごめんごめんと。謝られてもな。

 さすがに7年もこの瞬間のことを考えているとエラー発生時の処理も考え抜いていた。ついつい人は正常ルートばかり考えてしまうけれど、else文やdefault文といった異常系処理は忘れがちで、プログラムメモリ空間を漂い、システムダウンになりかねない。

結局いつもみたいにくだらない無駄話をしながら、渋谷駅に着いてしまった。井の頭線の改札の近くで握手しながらごめんごめんという彼女にいいよ大丈夫でも俺は好きだなんていいながら、お互いもう会えないのかなって考えてたと思う。

 僕は地下鉄に乗って、窓に映る哀れな自分を見つめながら、iPodからMy Bloody Valentineの曲を失恋ソングに選ぶことにした。



ねえ、もう、会わない方がいいの?

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん