2021-05-18

ナリタブライアンディープインパクトどっちが早いのか

という話に熱を上げ、最後には怒り出すような人間にだけはなりたくないものだ。

「やってみなければ分からない」「だがやれない」「だからからない」で終わりだろう。

もしも「いいやそれでもコッチの方が強い」と言いたい奴には言わせればいいし、せっかくだから楽しく競馬論でも語ってみようじゃないか

たまにいるんだ……「○○は俺達世代代表、○○をバカにされると自分までバカにされたような気分になる」とか抜かす頭のイカれた人間が。

何を言ってるのか全く分からないのだが、彼らの中ではそういう感情は当たり前のものらしい。

たとえばこれが「ウサイン・ボルト黒人代表から、彼が活躍することは黒人可能性を証明する素晴らしいものだ」という意見ならまだ分からなくもない。

だが、馬だぞ?

それも、たまたま自分競馬にハマっていた時代活躍していたという繋がりしかない馬だ。

なんでそれと自分をそんなにも重ね合わせてしまうのだ?

さっき、「ウサイン・ボルト黒人代表だ」という意見なら受け入れると言ったが、これが「○○は俺達の時代代表から」と言うならそれも軽蔑対象だ。

たまたま自分と同じ時代を生きた人間が結果を出したというだけで、自分まで凄い人間であることが証明されるなんて言い出すのは脳がイカれているとしか思えない。

ハッキリ言うが、「ウサイン・ボルト活躍した。俺は黒人だ。俺は凄い」というのなら、そんな黒人軽蔑対象だ。

黒人であっても白人に劣りなんてせず、人種の違いで人を差別するのは馬鹿馬鹿しい」という意味で、ウサイン・ボルト栄光を称えるのなら理解できるだけで、他人の成果を笠に着て自分が偉いなんてふんぞり返るようならタダの気狂いに他ならぬ。

なんでその例に競馬を上げたのかだが……まあ競馬ってのにはどうにもそういう奴が多いんだよ。

理解に苦しむのだが、自分が熱を上げていた時代活躍した競走馬が褒め称えられると自分まで立派な人間だと思いこんでしま人種が殊更に多いのだ。

まあ、「そんな時代競馬を楽しんだ俺は勝ち組」ぐらいならいいのだが、いつの間にかその時代ヒーロー自分を同一視して、やたらと繊細であることが人格の清らかさを証明するとさえ勘違いしている。

野球ファンサッカーファンにもそういった人種は多いな。

よく問題を起こしてときには殺し合いまで始める。

信じられないことだ。

彼らにとってはよっぽど自分人生のものが誇れるものじゃないらしい。

そうでなければ、「自分ヒーロー」のために自分自身の人生や、他人人生を平気で投げ捨てたりはしないだろう。

ヒーロー名誉のためなら、普通人間価値なんてゴミに等しいと信じているのだろうか?

天皇のためなら玉砕することこそが幸福だと信じていたあの頃の帝国軍人のように。

まったくもって気が知れない。

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