2012年04月11日の日記

2012-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20120411204324

バブルが怖いからずっと不況続けたら失業自殺が今のように高止まりし続けるだけでは?

他の国のように素早く金融緩和してダメージを和らげることだってできるだろうし

もう一回言っとくけど、バブルが怖いから反対なら「デフレ脱却方法がない」とか嘘の反対理由言わずに「バブルが起きる方がよくない」というのを理由にしてくれ

http://anond.hatelabo.jp/20120411204311

ゆうちょカードなくても通帳だけでおろせるよ。

カード再発行は窓口でやってもらえばいいよ。

自分は前にカードをなくして窓口行って相談したら、

「通帳だけでおろせるから無理してつくらなくても」みたいに言われ、そのまま2年経つ。

不便はない。

ゆうちょATMの通帳記入

三井住友銀行カードがひび割れで使えなくなったので

久しぶりに郵貯で下してついでに通帳記入したら1ページごとにめくらされた

SMバンクでは自動化されてたんだが、めくらされるのって他の銀行でもあるの?

あとカード物理的に使えなくなった場合どうしたらいいの?

移民問題・・・すべての原因は銀行家だ。

http://anond.hatelabo.jp/20120411194440

11 : ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro : 2011/06/11(土) 11:57:59.33 ID:lMc55bfH

ドバイ仕事のない外国人は強制退去

http://zarutoro.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_cad8.html

↑コレは当たり前の事・・日本生保与えて日本人を見殺しにしてるけどな・・

グローバルスタンダード人権に固執した結果がコレだよ・

英国人の約7割、「失業中の移民は帰国すべき」=調査

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37000120090316

世界どの国でもこんな質問したら過半数が帰れって言うわな・・下らん・・・

迷惑な街」チャイナタウン、現地社会と「同化」できない中国移民イタリア.

http://news.livedoor.com/article/detail/4046948/

移民を許可した国に文句言えよ?こうなる事は予想できたからな・・華僑を引き受けるメリットはない。

オーストリア移民排除法案、可決

http://matinoakari.net/news/na/item_39845.html

↑当然だけど費用は国=国民持ちだからな・・で・・人権団体がまた騒ぎ出す・・

銀行家は問題を起こす事だけ起こして次は対立させるのが非常に上手い・・

すべての原因は銀行家だ。

中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

引きこもりの人がメル友を募集する掲示板があったので書き込んでみたが、全然来ない

女にしか興味がないのではないかと思いつつ女で書き込んでみたら、1時間に4通近くも来たw

女目当ての奴ら多すぎるだろww

引きこもりだろうとデブスだろうと女であればだれでもいいのか

http://anond.hatelabo.jp/20120410210805

エクセルで台帳出力できるようになれば解決じゃないの?

増田のしたいことはサーバ監視方法自動化であって、台帳の根絶ではないでしょうよ。

増田相談相手も知らない理由で、台帳を必要としてる人が居るのかもしれないし。

台帳無くそうとするなら、その人たちを探してさかのぼって説得する事になりかねないよ。

一度動き出したシステムを無くすっつーのはすげー大変なんだよね…。

http://anond.hatelabo.jp/20120411194626

喧嘩もあまりなく、私が勝手に怒っている時はあっても、お互いの意見をぶつけ合うような激しい喧嘩ほとんどなし。

お互いの意見をぶつけ合うことすらしないような関係性の奴と結婚したがるという心理が理解できない。

選ばれる気は満々だけど選ぶ気は皆無だったということか。

自ら動かない人間幸せになるなんて無理だろ。たとえその元彼氏結婚できてたとしても幸せになんかならなかったと思う。

36歳女SE独身 もう死にたいです

36歳女独身SE春子です。

別にレスが欲しい訳ではないので、小町ではなく増田に。

もう本当に死にたいです。

3年間付き合っていた二つ年下の彼氏と別れました。

別れの理由は「春子の期待に答えることができないと思うから」でした。

私の期待というのは、彼との結婚でした。

彼とは趣味性格もよく合い、今までずっと仲良くやってきました。

喧嘩もあまりなく、私が勝手に怒っている時はあっても、お互いの意見をぶつけ合うような激しい喧嘩ほとんどなし。

一緒に色んな場所へ出掛けました。

新しくお店が出来たと聞けば二人で行ったり、普通カップルが行くような場所にはだいたい行きました。

誕生日クリスマスには素敵なお店に食事へ行きました。

ちょっと高価なアクセサリープレゼントしてくれたので、それだけのお金をかけてくれるということは、これからも私と一緒にいてくれるつもりなんだと安心していました。

彼と付き合ってから2年程で、周りの友達はどんどん結婚していきました。

今まで女子会を開いて、お互いいつ結婚しそうかということを密かに探り合ってきましたが、私以外の友達は皆結婚しました。

そして、その頃結婚した人達は今ではパパやママです。

その時はもちろん結婚に焦りがありました。

それを彼に伝えた事もあります。私だって結婚したい、アナタは私と結婚することを考えているの?と聞いた事もあります

私はもう30代半ばだし、女性の30代には色々意味があるのよ、と言うと、彼は真剣な顔をして「分かっているよ」と言いました。

でも彼には、どうしても自分のやりたい事があり、それが成功しないと結婚は出来ない、と決めているのも知っていました。

まだ若い彼は自分の挑戦にも一生懸命、打ち込んでいる趣味も本当に楽しそうにやっているので、邪魔はしたくありませんでした。

ですから結婚に対する気持ちはものすごく焦りを感じていたけれど、どうしても彼と結婚たかったので、爆発させることはできませんでした。

焦りを彼にぶつけて、ちゃんと私と結婚する気があるのかを確認したい。どうせ待つなら安心して待ちたい。

でも、そんなことをすると結婚が遠ざかるのは分かっていました。だから辛かったけど我慢しました。

喧嘩もするけど、何も問題の無い楽しい日々。

このままずっと続けばきっと私達は結婚するんだろう。

そう信じるしかありませんでした。

あれから3年。

半年前に彼の頑張っていた夢が叶いました。

これで私達もやっと結婚できる!目の前が明るく開けた気がしました。

なのに突然別れたいと言われました。

全く問題のなかった私達の付き合いなのになんで・・・

彼は私と結婚するつもりで付き合っていなかったのです。

「大きな喧嘩もなく、性格趣味も合うし一緒に居て楽しい、だから結婚したい人と出会うまでこの人と一緒にいよう」そう思っていたんだと、彼の友達から後で聞きました。

そしてその「結婚したい人」と出会ったので別れようと思ったそうです。

共通の友達に聞いた所、その「結婚したい人」は私より5つも年下の家庭的で可愛らしいおっとりとした女性だそうです。

私の様に彼と一緒に趣味を楽しんだりするタイプではないけれど、彼が外で楽しんでいる間にしっかりと家を守るような。

愚痴や悪口もあまりわず、いつもニコニコしていて一緒にいると安心できるタイプだったと、実際会った友達に言われました。

もうすぐ入籍するそうです。

早すぎます辛いです

やっぱり男の人は「結婚したい人」が現れたら、他のものを捨てても結婚したいものなのでしょうか。

私達の築き上げて来た3年は何だったんでしょうか。

どうして出会ってすぐの人と結婚すると決めたのでしょうか。

付き合って来た期間と結婚は関係ないのでしょうか。

ずっと信じてきた私は何だったのでしょうか・・・

更に、先週不調があり婦人科へ係った所、問題が見つかりました。

一昨年の定期検診では何もなかったので、あれからできたものだと言われました。

とりあえず早急に対処しないと将来の妊娠は難しくなるそうです。将来のと言ってももう36ですし、予定もありませんが・・・

来週末手術になりました。

独身一人、使う予定も無い臓器の手術です。

具体的な結婚の話がでないのであれば別れれば良かった。

時間無駄にしてしまいました。

もう時間的にも身体的にも子供は生めないかもしれません。

もう本当に死にたいです。

驚く程反響を頂いたので追記しました

http://anond.hatelabo.jp/20120412202946

外国に融和的な議員左派)が移民を推進している」という流言

参政権移民の両方の賛成は成り立たないのではないか

外国人参政権に賛成している人達の多くは移民には反対だよ」っていうと今でも驚かれる事が多い。

驚いた人達はいったいどういった理由で彼等が参政権に賛成していると思っているのだろうか?

ひょっとして「隣の国が好きで~」というのを本気にしているのであろうか?

民主党内の参政権賛成派の議員を調べると、労働組合との繋がりが特に目立つ。

労働組合の中には自動車関係の重工業系で保守的ものもあるが、そういった団体の支援を受けている議員参政権には明確に反対していなかったりもする。

だが、彼等の政策を見るとその多くが「移民反対」であったりする。

これについて、単純に自らの票田を伸ばす為に賛成していると考えると妙に納得がいく。

民主党は(破綻はしたが)子ども手当という少子化対策を一応は出して実行まで漕ぎ着けた。

これは既存労働組合に対するリップサービスのようなものであったと考えて良いだろう。

にも関わらず自民党には未だに少子化対策がない。

それどころか「移民を入れないと日本はこの先持たない」とまで言う議員もいる。

議員だけでなく、自民党のバックである経団連の幹部も同じ事を言っている。

少子化対策があれば、移民は必要ないのではないか…という意見は何故か出てこない。


本質は「経営者vs労働者」なのではないか

この件は「自民党vs民主党」を「経営者vs労働者」と置き変えると妙に納得がいく。

少子化対策をするよりも、移民を受け入れた方が即効性が高い上に賃料も安く済むのだ。

これに対し、労働組合が「労働者職場を奪う移民」に賛成する可能性というのが殆ど考えられない。

在日朝鮮中国)人が仲間をたくさん受け入れたい」というのも妙に説得力に欠ける。

小泉改革においては、法人税が減税され所得税(住民税)が増税された。

そうなれば労働者からの反発も当然で、これが政権交代の大きなきっかけになった。

それに対し「外国人参政権」というとても薄い根拠を大きく取り上げて「あの党の政策は全て隣の国による売国政策だ」という噂を流し、その政策の全てを危険視するかのような噂は未だに目にする。

これはひょっとしたら経営者から労働者側への流言飛語なのではないか?と疑った目で見る必要があるのではないか


東電労働組合民主党のバックなのに東電改革なんてできるわけがない」というのは企業名と労働組合をごっちゃにした意見も多い。

自治労がバックなのに天下りなんて」というのも成り立たない。

労働組合の矛先は同企業経営者なのだから

ちなみに「自民党vs民主党」を「経営者vs労働者」というのはあくまでも大まかなもので、松下政経塾のように経営者側の視点に立った人達民主党には数多く居る。


まぁ、労働組合があるような大企業に行っている時点で「庶民?」という疑問も湧きますがねw

http://anond.hatelabo.jp/20120411181945

日本語作詞が嫌い 同じ単語を1曲の中に20回以上入れられるとうんざりする

どんなのよそれ

SPANK HAPPY(第一期)の「I LOVE YOUの逆襲」みたいなやつ?

オウム平田を支援した組織警察行政府司法である

http://anond.hatelabo.jp/20120411181135

132 ソーゾー君 [] 2012/01/21(土) 13:17:19 ID:M9nICu/IO Be:

ここで霊的な引用

オウム平田を支援した組織警察行政府司法である。」

平田を出頭させた目的は新たな敵を作る又は敵と再認識させる事が目的。」

オウムを支援していたのは北朝鮮又は山口組と誘導する気である。」

北朝鮮を敵と再認識させれば拉致問題の話題も再燃させられる。

拉致問題を再燃させれば拉致問題騒動を起こした自民追い風が吹く」

売国奴は政策では誘導できないので敵を作り国民の為に

戦う勇敢な者を演じて大衆を誘導する。」

↑これテストに出るから頭に叩き込んどけ。

中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

http://anond.hatelabo.jp/20120411181815

というか、かっこいい禿っていっても禿げてるからカッコイイじゃなくて、禿げててもカッコイイだからな。

禿げててもこの人はかっこいい、だから禿げがマイナスにはならないってだけ。だから諦めろっていうわけじゃないんだけど。

まぁ要はカッコイイ人は禿げてても禿げてなくてもカッコイイよってことです。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.6

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】はこちら

 これまで四つの観点からカルトについて述べさせていただきました。しかし、「入会防止」の目的なので、それに関連する内容に言及されており―学問的に説明が不十分でもあります―。オウムのすべてが網羅されているわけではありません。ましてや、私はカルトのすべてを論じることのできる立場ではありません。その意味では、本文は「オウムへの入信を防止するための手紙」でしかいかもしれません。

 この理由で、カルトへの入会を防止するためにも実学としてカルトのすべてを知るためにも専門家による著書『マインドコントロールとは何か』(西田公昭 著 紀伊國屋書店)お勧めします。

 また、本文にはオウムの教義の概念が氾濫しているので、皆様にどのように受け取られるか気掛かりでもあります。これまでも、私は多くの方々から質問を受けてきました。説明責任があると思い、できる限り回答させていただきましたが、私どもの愚行をお伝えすることには失敗することが多かったです。殊に宗教経験に係わる話になると、その方の人生経験に沿うように別の解釈をされてしまうことが多々ありました。人は自身の経験に基づいて物事を理解するものですから、無理もありません。

 ですから、この度は説明方法を変え、具体的な描写とそれを説明する文献の引用を加えました。それでも、理解が困難な点があると思いますが、ご容赦願います

 現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定しています。その正当性の根拠だった宗教経験について、脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象として理解しており、教義のいう意味はないと考えているからです。

 それだけに、いかなる理由があれ人間として許されない罪を犯したことは、慚愧の念に堪えません。亡くなった皆さまのかけがえのない生命は取り戻すことができないこと、ご遺族の皆さま、重傷を負われた皆さまやそのご家庭の皆さまの苦しみが今後も続くであろうことを考えると、後悔の念ばかりが浮かびます

 また、オウムの教義や麻原から心が離れた今、私は無信仰の状態にありますしかし、宗教価値は認めています信仰によって人格を高められた方々が多数いらっしゃるからです。人間には超越的な存在を感じる資質が備わっているのでしょう。それは、人類誕生して以来、いかなることがあっても―権力から弾圧されても、科学が発達しても―、宗教が存続していることが証明しています。その資質によって人格を高めることは、決して否定できません。そして、超越的存在自体も、私などが否定できることではありません。

 「超越的存在も否定できない」と申し上げると、これまで私が述べてきたことと矛盾していると思われるかもしれません。実は、「宗教経験脳内伝達物質が活性過剰な状態で教義のいう意味はない」ということも、私の個人的経験によってそう感じているだけであって、客観真実ではないと自覚しています。私の経験に基づいて、多くの方々にそれを納得していただける程度の説明をすることは可能と思いますが、科学的に厳密な証明は不可能です。元々、この種の概念は、科学的な証明が可能なように定義づけすることができないからです。そのため、カルトの超越的世界観についても、それを科学によって排斥することは、極めて困難です。

 また、前に「禅」の瞑想の例を挙げましたが、それは、オウム技法本質な違いはありません―もちろん、教義は大違いですが―。つまりオウムは多くの文化遺産採用―濫用というほうが正確かもしれません―してきたのです。この場合伝統的に承認されており、有益性もある瞑想技法と“オウム的なもの”として排斥したら、社会問題になりかねないでしょう。そして、この事情はほかのカルトについても同様でしょう。このように、社会的要因によっても、カルトを構成する要素を排斥しきることは難しいのです。

 これらのエアポケットにおいて、カルトはいつまでも生息し続けるかもしれません。

 たとえば最近は、「スピリチュアル」が話題になっています。これはいまだ「カルト」とはいえないかもしれませんが、その超越的世界観が有益なもの有害ものか注意深く見守る必要があると思います。もし、恐怖を喚起する概念が含まれているならば、影響を受けやすい人は日常生活に支障をきたすでしょう。また、「スピリチュアル」が集団化すれば、個人の価値観が相当受容して、社会通念から逸脱した行動をとる人も現れるかもしれません。

 以上の状況においては、結局、各個人が「カルト」を理解し、その基準を定めるしかないでしょう。本文が少しでもそのお役に立てれば、幸いに思います

 平成二〇年六月二五日  

 広瀬健一  

 平成二〇年一〇月二七日改訂


【vol.1「カルトに係わる契機」】へ戻る。

 

 

◆参考記事リンク

 『広瀬健一 - Wikipedia』

 『摂理資料』

 『駅長日記:サリン事件実行犯広瀬健一氏の手記をUPしました』

広瀬健一氏の直筆手記、PDFへの直リンク

 『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

 『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記を一部公表。順次追加』(2011年~公開)

◆皆さんに読んで欲しい記事リンク

 『悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料』

 『やる夫とAAで学ぶオウム地下鉄サリン事件』

http://anond.hatelabo.jp/20120411163637

自分管理職であるってことを全く分かってないタイプだな。

あぁ、日本管理職なんてあってないものだったっけ?

http://anond.hatelabo.jp/20120411183816

理解のない奴は、理解してないし、しようともしないからなぁ。

気持ちの持ちようとか、気合が足りない、根性がない、考え方が悪いとか言い出す始末。

関わらないようにしてあげるのが一番だと思うわ。

理解しなくてもいい、だから離れろ。ハッキリ兄に言った方がいい。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.5

【vol.4「恐怖心の喚起」】はこちら。

規範意識を変容させる集団

 これまで、「宗教経験」、「恐怖心の喚起」について述べさせていただきました。次に、これらを基礎とする思想に沿うように個人の規範意識を変容させ、常識から逸脱した思考や行動をさせる集団の作用について補足致します。

 オウムにおいては、集団の作用によって、教団の規範客観現実性が付与され、さらに、信徒規範意識が変容したと思われます

 オウム信徒の多くは、教義どおりの宗教経験をしていました。そのため、次のように、宗教経験のものの「個人性現実性」に「社会的現実性」も加わり、信徒は個人的な非現実宗教経験客観現実であるかのように認識していました。

 現実性とは、当該の所信の内容が客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度であり、個人的現実性とは社会的現実性の二つを仮定する。個人的現実性とは、当該の所信の内容が直接知覚や論理的推論といった個人的経験を通して客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度である社会的現実性とは、当該の所信の内容が他者の経験や他者によって合意されているといった間接的経験を通して客観現実としてあたか存在しているような感覚の程度である

西田公昭 一九八八 所信の形成と変化の機制についての研究(1) 実験社会心理学研究、二八、六五-七一

 そして、オウムにおいては、信徒たちが客観現実として認識していた宗教経験を根拠とする行動規範が定められていました。ですから信徒にとっては、その規範現実的だったのです。

 たとえば、殺人を救済、すなわち「善」とする規範は、前述(本文三十一頁)のように、輪廻転生、麻原の救済能力、および現代人の苦界への転生などに係わる宗教経験に基づいていました。一般的な社会通念は「命は地球より重い」ということですが、それが「この世の一生限りの命」などの日常経験に基づいているのと同様です。

 ところがオウムでは、日常経験のほうは、宗教経験によって幻影とみなされ、無意味化されていました。そのために、宗教経験に基づく行動規範が一般社会のものに取って代わっていたのです。

 実際、信徒は教団独特の規範に従い、麻原の指示であれば殺人まで犯しました。信徒見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観合致した思考や行動をしていたため、教団の規範現実的に映っていたのです。つまり、教団内では教義そのもの世界が実現しており、信徒はその中に没入している状態でした。

 以上のように、オウムにおいては、信徒規範意識が教団で通用しているものに変容し、信徒常識から逸脱した思考・行動をしました。集団のこのような作用について、次のことがいわれています

 そもそも人はいろんな信念を抱いている。その中には善悪規範基準になる信念も含まれる。これらの信念は親、教師、友人、知人、などと相互作用を行いながら獲得され、社会的な共通性ができあがっている。しかし形成された信念がどうして「良い」とか「悪い」といえるかの判断基準は、所属する社会における暗黙の価値観に左右されるものであり、個人が所属意識をもって参照する社会集団によって左右される。

西田公昭 静岡県立大学大学院准教授作成広瀬健一に関する「意見書」)

 カリスマグループでは、集団凝縮力(全員を集団に従事させ続ける影響力)、共有信念、変容意識行為の基準、およびリーダーの魅力の影響は、公然の強制がなくても、行動の服従を強い、感情を変化させる作用をする。

 バイオンやエズリエルのような集団心理の理論家は、個々の構成員の意志にかかわらず、避けられない問題が集団においては現れることを指摘してきた。不可解な個人の行動を彼らは説明するが、それは依存的傾向や闘争―逃避パターンのような、集団につきものテーマの現われかもしれない。この点については、集団が構成員をあたかも一つの集合体に変えるようなものである

(前出 引用英語で分からず。)

 そのほか、カリスマグループ規範が、全員の本能的要求の表出や行動を統制することが報告されています。(本文四十三から四十四頁の引用)。

 以上のように、集団には個人の規範意識を規定する作用があるとされています。したがって、集団に係わる場合、それが全員の規範意識を一般社会のものと異なるように変容させないか確認すべきだと思います

 まず、集団の全員が共有する「ビリーフ」が適切に合理化されている必要があるでしょう。たとえば宗教では、教典自体には非現実的な表現が見られることがまれではありません。しかし通常は、そのような表現は、信仰日常生活の間に摩擦が生じないように、合理的に解釈されています。集団の全員と会話をしたときに、なぜその人の「ビリーフ」が形成されたのか理解に苦しむ場面があるならば、その集団は「ビリーフ」の合理化がされておらず、全員の価値観規範意識を不適切に変容させる可能性があります

 項目の選択に偏りがあるかもしれませんが、次の点の確認も必要でしょう。

 

 

指導者や教えへの服従がないか

 その服従が、たとえば宗教上の指導におけることのように、範囲が限定されているように見えても要注意です。実質的には、それが生活全般に及んでいることがありますいかなる状況においても、全員個人の判断が尊重されている必要があります。また、教えに疑念を抱くことや脱会が制限される場合は問題です。

 

 

○過度に厳しい規制がないか

 思考や行動に関する道徳的規則が、社会通念と比較して過度に厳しい場合は、一般社会における生活がしにくくなります。その結果、社会から離脱が促進されることもあります。また、規制違反に対して、過度の恐怖が喚起される場合は問題です。

 

 

自己を否定されないか

 自己を否定されると、指導者に服従する結果になりますオウムにおいては、信徒煩悩を有している。(本文二十頁)ために正しい判断ができず、それが可能なのは最終解脱である麻原だけだとされていました。

 そして、それは私にとって、体験的にも事実と思われました。私は自身が悪業(カルマ)で汚れていること、また、麻原だけがそれを浄化できることを感じていたからです。(本文二十八頁)。

 結局私は、それまでの人生煩悩や悪業を増大させるだけのものだったことを認めざるを得ず、自身の経験や知識を信頼できなくなりました。これは、私が愚かにも麻原に従った原因の一つです。

 

 

○会員が一般社会から離れ、集団生活に入る傾向がないか

 一般社会を非合理的に否定する教えを説き(本文二十七頁)、全員をそれから離し、集団生活に誘導する集団は問題です。全員の価値観規範意識は相当程度変容していると考えられます。集団生活に入った後は、さら規範意識の変容が深まり違法行為に及ぶ可能性もあります

 

 

 次の内容は、麻原が信徒出家を訴えていた昭和六十三年十一月(本文二十七から二十九頁)の彼の指示です。「人材をぬきとる」など、人材を集める強い意志が感じられます。これは教団の大師(解説・悟りを認められた高弟)のメモで、一般信徒には明らかにされていませんでした。

六十三年一一月五日は黙示録予言を麻原が七つの予言その後世界戦争、二〇〇〇年まであろ一二しかない

滅亡の日の出版しろと

一五日、オウム方向性旧約聖書によるとオウム時間はあと七年、石油になってハルマゲドン、ソ、米、日本世界大戦

デザイン編集プロパガンダマシン完璧に成りきること(人材経済力のためでもある)

一、新信徒の獲得

二、人材ハンター(ブレーンハンター)(信徒の中から選ぶ)

三、大学理教化学人材をぬきとる

四、ドクター医学)を集める

五、美人を集める(看板

六、経済的センスを持っている人間プロパガンダ広報

七、法律専門家

八、大師(一人で二~三億)が五〇〇〇人

九、建築班一〇〇〇人

一〇、七年後大師だけで一四五〇〇億

 なお、右のように、麻原は理系人材の獲得を重視していますが、それは当時既に、科学技術を用いた大量殺人である「ヴァジラヤーナの救済」を意図していたためと思われます。実際、昭和六三年十月二十八日、麻原は出家者に対して次の説法をしていますが―在家信徒がこの説法を聞くことは禁じられていました―、「ヴァジラヤーナの救済」を宣言した説法(本文三十二から三十三頁)においても、「残すべき者以外はポアする」旨説いていました。

 近ごろ私は心が少しずつ変わってきている。動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことが私の役割かもしれないなと。


【vol.6「まとめ」】へ続く。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.4

【vol.3「宗教的経験(後半)」】はこちら。

恐怖心の喚起

 恐怖心を喚起する思想も極めて有害です。オウムにおいては、信徒の思考や行動が教義に沿うものに著しく制限されました。

 ただし、その思想に触れて間もないうちは、恐怖心を喚起する部分が含まれていても、それに気付かないかもしれません。私自身も、クンダリニー覚醒前は、麻原の著書の地獄餓鬼動物などの記述はまったく気になりませんでした。

 その経験を振り返りますと、私の話がどれだけ伝わったか心もとなくなります信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖から回避無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです。実感は難しいかもしれませんが、その恐怖のために、たとえ自身の生命健康が損なわれる事態に直面しても悪業となる行為はまったくできません。私の経験としては、次のことがありました。

 地下鉄サリン事件とき、私がサリン中毒になったので(本文三十六頁)、あらかじめ指示があったとおりに、送迎後の信徒が車で教団の付属病院に連れて行ってくれました。ところが病院関係者に話が伝わっておらず、事情がわからないようでした。しかし、私はサリン中毒を伝えられませんでした。「ヴァジラヤーナ救済」の任務に関することを関係者意外に話すと悪業になったからです。結局、私は病院での治療を断念し、医師の林郁夫のいる集合場所に行き、治療を受けました。

 また、地下鉄サリン事件逮捕された後、教団の指示どおりに当番弁護士を一回お願いして、拘留場所を教団に伝えましたが、右と同じ理由で事件に関する相談はできませんでした。常識的には、弁護士相談しながら取り調べを受けます。また、それをしないことは連日十時間の取り調べが続くなか、自らを孤立させることになるとされています

 これらのことは、重大事件で逮捕された状況において、極めて不利です。しかし、悪業となる行為はできませんでした。

 さらに、事件の動機である「ヴァジラヤーナの救済」の教義と麻原の地下鉄サリン事件への関与については、供述すると無間地獄宇宙創造から破壊までより長い期間苦しむ地獄)に転生しかねないので―また、この教義を聞く資格のない人に話すと誤解され、その人が将来にわたって救済されなくなるともいわれていました―、この事件の捜査間内には供述できませんでした。

 取り調べの最終日、事件の核心部分を追求する検察官を、悪業を犯すまいとする私との間に必死の攻防がありました。

問)麻原尊師のことや事件の動機、目的も話さなければ、反省したとはいえないのではないか

答)……

問)話せない理由は何か。

答)お話できません。

―ではこちらから質問する。

問)今回の事件はヴァジラヤーナの教義に基づいたものではないか

答)答えられません。

問)ヴァジラヤーナでは、「ポア」のために他人の命を絶つことも許されるのではないか

答)答えられません。

問)その教えを麻原尊師が説かなかったか

答)答えられません。

問)麻原尊師の指示は、いかなるものでも絶対に従わなければならなかったのではないか

答)必ずしもそうではありません。

問)では、どういう場合に従わなくていいのか。

答)何ともいえません。

―ほら、やはり従わなければならないじゃないか

問)今回の事件は、麻原尊師の指示ではないか

答)黙秘します。

問)村井大師は、サリンを撒くと切り出したとき、それが麻原尊師意向であることを話さなかったか

答)黙秘します。

問)今回の事件の後で、君は麻原尊師に事件の報告をしていないか

答)黙秘します。

―(ある信徒が描いた図を見せながら)〇〇が図まで描いて、君たちが報告したことを話しているのに、話さないのか。

問)君は、今回の事件に関与した仲間については話しているのに、なぜ事件の目的や動機、報告については話さないのか。

答)答えられません。

問)君が黙秘するのは、それが麻原尊師に関係する部分だからではないか

答)黙秘します。

 当時は、なるべく悪業にならないように、教団とは無関係なこととして、地下鉄サリン事件における自身の行為はすべて供述していました。しかし、自身のことを供述しても、事件の動機や麻原の関与を供述しなければ反省していないとみなされ、身を滅ぼしかねない状況でした。加えて、質問の内容から検察官がそれらのことを既に知っていることは分かり、一般的見地からは、私が供述しても誰にも影響しないことは十分に理解できる状況でした。それでも、金縛りにでもあったかのように、供述できなかったのです。

 以上のように悪業とされる行為ができなくなる傾向は、クンダリニー覚醒直後に現れました。オウムに入信する段になって、気に掛かったのは、「複数のグル修行指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分解する」との麻原の著書の記述でした。当時、私はある瞑想団体に入会していたからです。私は不安になり、クンダリニー覚醒したその日に、団体に脱会届を郵送しました。

 また、私は釣りが好きだったのですが、それは悪業になるので、クンダリニー覚醒以来一度も行いませんでした。そのほか虫も殺せなくなるなど、恐怖のために教義で悪業とされる行為はできなくなったのです。

 このような状態は、次のように、宗教的回心において現れるといわれています

 私たちはある思想を繰り返し繰り返しいだき、ある行為を繰り返し繰り返しおこなっている。しかし、その思想の真の意味が、ある日はじめて、私たちのなかに響き渡るのである。あるいは、その行為が突然、道徳的に不可能なことに一変しているのである

(前出 ジェイムズ

 オウム信徒には、同様に悪業を為すことに強い抵抗を感じる者が多数いました。このような宗教的悪業の教義に関して、文献では次のことがいわれています

 さらに、宗教が単独で精神的問題を引き起こす場合がある。フロイトが主張するのは、「イド」と「スーパーエゴ」とのせめぎ合いにおいて、宗教スーパーエゴの側に立つということである宗教戒律や禁制は、性的衝動や攻撃的衝動抑制する目的がある。さらにまた、宗教は完全な道徳を目指しているので、これらの掟に対する違反は罪悪感を引き起こす。極端な場合、罪悪感が生活を支配し、麻痺させることがある。また、しばしば、過度の後悔に至ることもあり、中世鞭打苦行派の罪の意識による鞭打ちから現代テレビ時代における罪の公然の告白にまで及ぶ。

 オランダにおいて、罪への自責心の問題をアライト・シルダーが研究した。彼女研究『罪の意識に苦しむ以外なすすべがない』は、厳格な一部のオランダプロテスタントに関するもので、罪悪感がもたらしうる、人の仕事、思考および行動を麻痺させる影響への洞察を与えた。

引用英語で分からず。)

 友好関係を生じることに加えて、カリスマグループは個人的および社会的行動を規制する行為の基準を確立する。絶縁したセクトの状況では、このような外的規制によって、集団は心理学的に困難な支配の操作がしやすくなる。多数のセクトの行動規範は、現在性的に寛大な態度に対する反動形成を反映するように見える。これらの規範は、しばしば多くの儀礼化された集団防衛を採用するだけで維持される。たとえば、ハーダー、リチャードソン、およびシモンズは、ジーザス運動の一つの分派における求愛、結婚、および家庭の形態研究した。彼らは、全員が性的にとがめられかねない状況を明確に回避することを述べ、そして求愛と肉体的快楽に関するセクト特有の規制の大要を説明した。たとえば、デートをすることは不適切と考えられたが、それに誘惑や罪に至りかねないからだった。セクトに入会中の人の態度の同様な変化は、前に述べた統一教会の会員に関する研究に現れた。その七十六パーセントが性について考えることを“非常に”避けたと述べたが、入会の前には十一パーセントしかそのように感じなかったと報告した。したがって、集団心理は本能の要求の表出の統制やそのほかの葛藤の統制に重要役割を果たす。

(前出 引用英語で分からず。)

 以上のように、宗教的悪業を規定する教義には、人の思考や行動を強く統制する作用があるとされています。そして、オウムの教義にもまた、ある思考や行動を宗教的悪業として規定するものがありました。たとえば、私が出家した直後の平成元年四月二日、麻原は次の内容の説法をしています

 「わたしたちの修行を妨げる眠気、貪り、怒り、真理(オウムの教義と考えていただいて差しつかえありません)を否定したくなる気持ちは悪魔であり、取り返しのつかない迷いの生を繰り返す」

 「現代人は快楽を追求し、真理の実践をしていないので、三悪趣地獄餓鬼動物)に生まれ変わる」

 「説法を復習せず、聞き流すとサマナ出家者)をやめるという結果になり、迷いの生に入り、三悪趣に生まれ変わる」

 また、クンダリニー覚醒すると、「魔境」に入りやすくなるとされていました。これは、「これ以上ない人生挫折」、「生まれ変わっても続いてしまう恐ろしい修行挫折」とされる状態です。そして、「魔境」に落ちないためには、「正しいグル解脱した指導者)を持つ」、「功徳(神とグルに対する布施奉仕)を積む」、「強い信を持つ(グルと真理を強く信じる)」、「真理を実践する」ことが必要と説かれていました。(麻原彰晃『超能力秘密の開発法』 『生死を超える』 『マハーヤーナ・スートラ』

 この類の教義はほかにも多数ありましたが、これらは信徒にとって、麻原、教団、あるいは教義から離脱を困難にし、そして、麻原や教義に従うよう思考や行動を統制すつものでした。このような作用は、信徒違法行為の指示に従わなかったリ、事件が明らかになった後でも脱会しなかったりする原因の一つと思います

 私が教義に疑問を抱き、脱会に至るまでには、次のように、悪業とされる行為をすることへの慣れが必要でした。

 逮捕された後、供述すると悪業になる内容について、私は取調官の追求を受けるようになりました。しかし、それでも、はじめはまったく供述できない状態であり、身を引きちぎられるように感じました。そのような状況において、私は軽度の悪業となる内容から少しずつ供述せざるを得ませんでした。

 私が最初に話したのは、地下鉄内で自身がサリンを発散させた単独行動の部分でした。事件に関してかなりのことが既に明らかになっていた状況であり、個人的な行為として供述するならそれほど悪業にならないと思ったのです。

 その後、黙秘供述を何度も繰り返して、長時間かけて動機の「ヴァジラヤーナの救済」の教義のことや麻原の事件への関与について供述できるようになりました。

 以上のように、自覚してないうちに恐怖を喚起する教義の影響を受ける場合があります。また、宗教的悪業を規定する教義そのものに興味を抱いてオウムに係わることは考え難いですが、多くの信徒がそのような関心外の教義を受容し、思考や行動が制限されていました。ですから、そのときは実感がわかなくても、「地獄」など恐怖の喚起が予測される概念を強調する思想には、近づくべきではないでしょう。


【vol.5「規範意識を変容させる集団」】へ続く。

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.3

【vol.2「宗教的経験(前半)」】はこちら。

 オウム信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウム出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己解脱に専念することでした。

 出家者は教団施設内で共同生活をすることになります家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞テレビラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。

 入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。

自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家意志は皆無でした。

 ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウム出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。

 「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末核戦争が起こる。(本文二十一頁)」

 ―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒布教活動をさせたり、さらに、出家必要性を訴え、多くの信徒出家させたりしました。

 このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。

 私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三晩秋か初冬に私が話した内容です。

 町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。

 当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界ヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョンカンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。

 また、一般社会情報煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。

他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。

 これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。

 この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。

 こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末人類の破滅というタイムリミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。

 このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束しました。そして、平成元年三月末に出家しました。

 私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています

 その初めての説法において、麻原は仏典引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼前生悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典引用して「殺人」を肯定したのです。

 ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。

 ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より

 前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教経験を根拠として、この教えを説いていました。

 さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウム価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います

 このような説法が展開されていたとき、私は解脱悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。

 この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。

 解脱悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。

 以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱悟りに導くことの実体験になりました。

 平成二年四月、麻原は古参幹部と理系出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。

 麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。

 「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」

 そして、麻原が指示したのは、猛毒ボツリヌストキシン大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートル水槽四基―の責任者でした。

 作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います

 私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。

 それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。

 一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビコマーシャルを視聴したところ、その音楽イメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。

 一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。

 ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分意識が肉体から離れ、上方オレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。

 このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践日常的なことでした。

 そして、平成七年三月、私たちは地下鉄サリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。

 地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウム宗教経験に没入している状態でした。

 [ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為のものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマ法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]

 以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。

 他方、「禅」も宗教経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います

 宗教経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。

 また、私は宗教経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実認識してしまうこともあるのです。

 神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ

 幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。

 ですから宗教経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。


【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。

言わないで欲しかった

父が仕事ストレスでおそらく鬱になり入院している。

しかしだいぶ元気になってきたので時々家に帰ってきては家族外食をしに行く。

先日、父が「薬が増えて・・・」と不安そうな顔をした。

いまは元気だが実は私自身入院経験があって、その気持ちは痛いほど分かる。

また薬が増えたから私の体調は悪いんだ・・・と落ち込んでいた。

しか一喜一憂するのではなく先生を信頼してドンと任せるのが一番だと私は学んだので

「そこは気にしないで先生(たまたま私の担当医と同じで名医として有名)に任せれば心配ないよ」などと

父を不安にさせないように母と一緒に言っていたが・・・

兄は「えー、ヤブなんじゃないの?」「早く病院変えたほうがいいって!」と思い出して書いていても嫌な無責任言葉を吐いた。

私と母は血の気が引いた。忘れていた、兄は精神病に対して偏見があったということ。

本人は全くもって無意識らしいが私も何度が言われて傷ついて泣いたことがある。

落ち込んでいく父をフォローしようとしたが、兄は他の話を続けて、もはや手遅れだった。

父と兄は会わせないようにしようと思った・・・。

http://anond.hatelabo.jp/20120411181031

まずおまえが考える「2ch脳」とやらを説明してもらう必要があるな。

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