既婚 バイト
どちらもオタク
Aが会うたびにお金がないお金がないと言ってくるので、バイトに入ってないの?と聞いたら、繁忙期が過ぎたから全然入ってない。もう一つバイトを増やしたいけど増やしたいと思ってたら一ヶ月が過ぎた。とのこと。
学生時代にやってたバイトに近いものを探してみたら?→うーん…そうだね…嫌で辞めた仕事だから気が進まないけど慣れてると言う点ではそれが良いかも…(やらない)
今やってるピッキングのバイトを辞めて、週5で入れる時給の高いバイトを探してみたら?→せっかくピッキングの仕事覚えたし、良くしてもらってるから辞めたくない 掛け持ちの方向で行きたい
もう旦那に養ってもらおう!→家賃含めて生活費旦那持ち、自分が働いた分は遊ぶお金に使ってるけど足りなくて困ってる
ファッション系の専門だったから、そのバイトを探してみるとか→学生時代からずっと関係ないバイトをしてて職歴がないから厳しい。
2人とも今年で30なんだけど、30にもなって学生の時みたいにお金ないよね〜って言えない。派手な生活はできなくても、フルタイムで働いて地道に自炊とかしてれば趣味も楽しめるくらいにはお金はある。
お金がかかりそうな場所とかディナーとかは別の人と行くようにしてるし、遊びに誘われてもできるだけお金がかからなそうなプランを提案してる。
それでも会うたびにお金がないお金がない言ってくるし、お金がないのに◯◯の限定グッズ買いにいくのに付き合って!とか、今度推しの俳優に会いに大阪に行くとか話してくるのがだんだんストレスになってきた。
働きたくないのは分かったからお金がないって言うのをやめるか、ちゃんと働いてから言うかどっちかにして欲しい。
最近は、旦那にも罪があるのでは?お金がない状態で放浪するな、働かせるか遊ぶ金を渡せ。と見たこともない旦那にまでイラついてきた。完全に八つ当たりである
Aの性格的にお金の無心をしてきてるわけでは絶対ない(人に奢ってもらったり絶対しないし、被ったからあげるね、みたいなものにも絶対お金を払う)から本当にはたらきたくない、でも金がないという話なんだけど会うたびにされるため疲れてきた。
色々提案してもなんだかんだ言ってやらないし、よく考えたら専門卒業して正社員になる!っていいながら30までバイトのままだった人がそんな能動的に職探しできるわけないか…と下に見てしまい自己嫌悪
1、部屋で子猫が腕にしがみついてくる。
あたためた牛乳を与える。
2、野外。総合運動公園的な。小さな丘の上で下を見ている。下には人に混じって様々な野鳥や動物が居る。1羽の羽のきれいな鳥が駆け回っていたが、他の鳥の集団に囲まれてつつかれ絶命したようだった。周囲の鳥たちはその羽根をくちばしで毟っている。自分は下に降りてその鳥の遺骸に近付き尾羽根を毟り取った。灰褐色のふわふわした短い羽毛と極彩色の長い尾羽根が手に入った。
3、高架を横のビルか何かから眺めているアングル。電車が居るが、高架の終点を突き破り引っ掛かっており、先頭車両は手のひらのようなものに乗り上げている。オランダの、鯨の尻尾の銅像に電車が乗り上げた事故シーンに近いが、夢の中の高架の方が3倍ほど高い。その電車の脇から人間が現れる。なぜか人間は出現時に電車の側面側を地表として接地しており、実際の地面に向き合っている。(目線としては屋上から下を覗いている様な状態)そして次の瞬間下に落ちていく。それが何度も繰り返される。位相ズレというか角度設定ミスというか。
色んな切り口があり議論が錯綜するので自身の整理のために考えたことをまとめます。
今回の件では、本来外野であるはずのネット民が攻撃をしかけて炎上させることがなければ、原作者が追い詰められて自死を選ぶことはなかったでしょう。
にも関わらず「日テレが悪い」「小学館が悪い」「プロデューサーが悪い」と主張しているのは、自信の罪を自覚しながら、それを認めたくがないために、罪を押し付ける先を探しているようにさえ見えます。彼らは自信の振る舞いを反省する気はないのか。
誰がなんと言おうが、一番悪いのはお前らだよ。
漫画が改悪されて実写化されると「原作レイプだ!」と騒ぐ方々が現れます。
実写化により、原作に改変が加えられるのであれば「原作レイプ」という主張も分かります。
でも、原作は、原作のままなんじゃないですか。原作と実写化された作品は別物なのでは。
「自分の愛しているものが陵辱されたら許せない」という気持ちは理解できます。
更に、原作をそこまでのレベルにしたのは、原作者および出版社の努力なのでは。あなたたちは、その創作活動に対して何をしたんでしょうか。
その方たちが「自分たちの異議には正当な根拠がある」というのは無理があるでしょう。
実写化にたいする違和感を表明する権利は侵害されないので、「原作レイプだ!」と述べるのは全く問題がありませんが、その主張に正当性はないです。
ネット民が攻撃を仕掛けるのも、原作ファンが「原作レイプだ!」と叫ぶのも、感情に起因するものなので、止めようはありません。
そこに対して、理屈でさとすのも愚かなことでしょう。
《海猿》《金色のジャッシュ》の問題について、長期にわたって主張をし続けた方がどれだけいるんでしょうか。
事態を改善したいなら、一時の感情で叫ぶのではなく、問題の真因はどこにあり、どのような再発防止を打つことができるのか考えるべきでしょう。
何がおきたかを明らかにするために第三者委員会を設置して経緯を明らかにして欲しいという声があります。
それして、どうするんでしょう。
経緯を明らかにしたいというよりは「どうせテレビの奴らは漫画を下にみて酷いことしたんだろう。それを認めて土下座しろよ」という主張が多いように見えます。
醜悪なテレビの奴らを土下座させて溜飲を下げたい以上の意味があるんでしょうか。
実は簡単な再発防止策があります。「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者の作品は実写化しないことです。
「原作者の望まない実写化は公開しない」でもいいんですが、これだと、実写化作品が完成した後で原作者が「私はこの脚色は不満です」と述べると公開できなくなります。このリスクは流石に実写化サイドは呑めないでしょう。
どちらも極端だろうということであれば、
1.を約束しても醜悪なテレビの奴らは「これが我々の考えた漫画に忠実な脚本です」と全く忠実でない脚本を出してくることは考えられるので、2., 3., 4.などは有効な策といえるでしょう。
「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者の作品は実写化しないというのが、実は、現実的であり有効な策だと考えています。
これで困る人がいるのかですが、原作者も、原作ファンも、困らないでしょう。
「テレビ局は困るんじゃないか?」は、困ると思います。ただテレビ局は、漫画原作に頼らず、オリジナルで魅力的な作品が書ける脚本家を育てるという道があります。
困るのは、出版社です。メディアミックス戦略が使えなくなります。
しかしここは、原作者を守るために、「お好きなように改変して下さい」と言わない漫画家の作品を実写化に提供してはダメです。
それにより、メディアミックス戦略が使えなくなり、出版社の収益は減るでしょう。いくつかの漫画雑誌も廃刊に追い込まれ、世の中に出ていたはずの作品が日の目を見ることがなくなるかも知れません。
でもそれが、漫画ファンが望んだことなんです。甘んじて引き受けましょうよ。
仮に原作者が脚色を担当したとしても「素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです」という状況に陥ることは充分にあり得ます。
「漫画に対するリスペクトがないから、こんな酷いことが起きるんだ」という主張がありますが、そうなんでしょうか。
実写化しようと思った時点で、原作に魅力があると感じているはずなのに、それでも原作を蔑ろにしてるんでしょうか。
尺が合わない等で原作のエピソードを取捨選択したり、逆に原作にエピソードを足さなきゃいけないこともあるでしょう。
このときに、原作のエッセンスを汲んで適切な取捨選択ができたり、原作のエッセンスを活かしてエピソードを足せる脚本家もいるでしょう。
野木亜紀子さんは、それがうまくできる一人です。「全ての漫画原作の実写化は、脚本を野木亜紀子が担当する」とすれば、今回のような事象は発生しないでしょう。
ただそれは非現実的です。野木亜紀子ほど技量が高くない脚本家も、実写化のための脚本を書きます。
そのとき、うまく捌けずに、余計な恋愛要素を入れてしまう脚本家もいるでしょう。
それは、リスペクトがないのではなく、技量の低さに起因しています。憎むべきは「リスペクトがない」といった心理的な要因ではなく、「脚本家の技量が低い」という問題なんじゃないでしょうか。
作品はネットでしか読んでなかった読者なので、ファンと名乗るには烏滸がましいのだけど、読者の(末席の末席の)一人としてつくづくそう思わざるを得ない。
出版社が作家を守らないとか、TV側が原作者を下に見てるとか、いろいろあるんだけど、それもこれも死んだらおしまいだ。作品はどうなるの。未完でおしまいになってしまったじゃないか。作品が作れなくなってしまったとしても、とりあえず生きてさえいてくれれば、まだ希望が持てるじゃないか。俺は漫画が好きで、漫画家も好きなので、漫画家には健やかに長生きしてほしいわけですよ。死を選んでしまった漫画家何人もいるけど、みんなに言いたいよ。死ぬなって。ほんと。
義兄に、趣味はなんなの?って聞いた。そしたら、「結婚前はパチンコ、競馬、麻雀、ゲームとかだったけど、今はもう、どれもしてないな。休日は妻と子どもが行きたいとこややりたいことに付き合うばかりだし。そういう意味では、それが趣味かな」って。
初めて会った時は、ぶっきらぼうでコワモテで、明るくないし爽やかでないし、愛想もないしなんだか嫌な感じの人だと思ってた。
顔もスタイルも仕事も年収も、夫の方が素敵なの。夫は人当たりもいいし、多趣味で、知識や教養も広くて、実業家一族の息子で育ちもよくて、品性があって。わかってるの。夫のそんなスマートさに惚れたよ。
だけど、それすら間違っていたのだろうか。
増田の夫は夫、増田姉の夫は増田姉の夫でそれぞれ違うしいいところも違う。
子どもにしたって自分の(流産した)子どもと姉の子どもを一緒にするな。
叔母からそんな風に見られているとなると何の罪もない姉の子どももかわいそうだ。
そもそも姉に対してどう思いたいのか。このまま下に見続けて依存するのか、きちんと一人の人間として姉への執着から抜け出すのか。
その辺りきっちり整理して比較から抜け出さないと、次増田が子どもを授かり生を受けたとしても子ども同士の比較(運動神経が悪い、頭が悪い、容姿が悪い、偏差値が低い学校に入学したetc)に走って両方あるいはどちらかの子どもが歪んでいく。
それを常に謝れ!ってのはもう対等な人間関係を築けないじゃん。
常に相手に謝らなきゃいけないということは、つまり奴隷になれってことじゃん。
謝っても責めずに対等な態度を取ってくれるなら謝ってもいいけど、謝ったらマウントしてきやがるから謝りたくないんだよ。
そもそも謝るって言ってもお前ら健常者のオレオレルールじゃん。
なんでわざわざお前らのルールに則って謝って奴隷扱いされなきゃいけないんだよ?
それともお前は ADHD の人間を常に下に見て奴隷にしたいのか?
まあ実際には対等に接してくれるフェアな精神がある相手にならば適度に謝ることもあるけど、対等な人間関係を崩してくるような奴が相手ならオレは絶対に謝らない。
これは健常者視点絶対主義によって苦しめられている ADHD 障害者からの世直しだ。
ブコメにも ADHD の子供に謝罪を強要して育ててる毒親がいるけど、そんなことがふつうになったら自己肯定感なんてだだ下がりで、そのうち自分で命を絶つ日がくるぞ。
考えてもみろよ。ふつうに生きてるだけで、しかもどうやっても対処不能なことに対して毎日ことあるごとに謝罪しなきゃいけない生活をまずお前らがやってみろよ。
オレは ADHD である自分を大切にしていて自尊心を持っているし、健常者視点絶対主義を批判的に見ているので、自己破壊につながる謝罪なんて絶対にしない。
他の ADHD の人たちもこいつら健常者に従う必要なんかないぞ。
健常者視点絶対主義のせいでオレらが謝罪を強要されてるだけだ。オレらが謝罪する必要なんて無い。
つまり上記に書いたとおり、謝罪しても対等な人間関係を保ってくれると保証した環境で、健常者特有の根拠の無いこだわりがあるけどそれをやってくれるだけで彼氏君は喜ぶから協力してほしいというようなお願いをすれば、ADHD 者であっても協力することにやぶさかではないわけよ。
少なくともお互いに好いて付き合う程度なのであれば、理由は分からんけどそれで彼氏君が喜ぶならやってやるか、くらいは考えてやれる。